☩「広島、長崎の原爆犠牲者、そしてウクライナ、パレスチナ、ミャンマーなどすべての戦争犠牲のために祈ろう」

Pope Francis prayed at the Peace Memorial Park in Hiroshima on November 24, 2019Pope Francis prayed at the Peace Memorial Park in Hiroshima on November 24, 2019  (AFP or licensors)

(編集「カトリック・あい」)

2024年8月11日

☩「偉大な民族の遺産を無駄にしてはならない」ー教皇、中国訪問の希望を改めて表明

20224.08.09 2024.08.09 Cara a cara con el Santo Padre

(2024.8.9 Vatican News  Isabella Piro)

   教皇フランシスコは イエズス会中国管区のペドロ・チア広報部長とのインタビューで、中国は「偉大な民族」であり「その遺産を無駄にしてはならない」と強調。同国への訪問を希望していることを改めて表明された。

*特に聖母マリアの佘山聖堂への訪問を希望

  教皇は中国、特にキリスト教徒の助け主である聖母マリアに捧げられた松江区の佘山聖堂への訪問を希望され、「現地の司教たちや信仰深い神の民に会いたい。彼らは信仰深い民です… 多くのことを経験し、信仰を守り続けてきました」と語られた。

*忍耐強く待つ人々に希望のメッセージを送る

   また、中国の若いカトリック教徒について、「希望の達人であり、忍耐強く待つ人々に対して希望のメッセージを送ることは、私にはエールの交換のようにも思われますが、とても素晴らしいことです」と指摘。そして、 中国の人々は「偉大な人々」であり、「自分たちの遺産を無駄にしてはなりません… 自分たちの遺産を、忍耐強く、引き継がなければならない」と強調された。

 

 

*批判と抵抗は、建設的でなくても、常に役に立つ

 

 就任から10年を超える教皇職について尋ねられた教皇は、「バチカンの高官や全ての人々と力を合わせ、耳を傾け、協議しながら、務めを果たしてきました」と述べ、様々な批判を受けてきたことに対しては「批判は、たとえ建設的でなくても、常に役に立ちます… 常に有益であり、自分の行動を振り返るきっかけとなります」とされた。

 そして、「抵抗の背後にさえ、時には良い批判があることがあります。時には、痛みもありますが、耐えることが求められます。例えば、今起きている、教会に対する『小さなグループ』からの抵抗に遭った時などがそうです。それでも、困難や絶望の瞬間は、常に主の慰めによって解決されるのです」と語られた。繰り返した。

 

 

*戦争とその他の課題

 

 また、これまでの教皇職で直面した多くの課題の中で、特に、「新型コロナの世界的大感染」と、今も続く「ウクライナ、ミャンマー、中東での戦争」を挙げられ、 「私は常に対話を通じて問題を解決しようと努めています… それがうまくいかないときは、忍耐とユーモアのセンスを持って、聖トマス・モアの教えに従います」と語られた。

 

 

*イエズス会士として危機は人間として当然。克服の方法は

 

さらに、イエズス会士としての活動でいくつかの「危機」を経験したことを思い起され、「これらは(人間として)当たり前のことです。そうでなければ、私は人間ではない」とされたうえで、「危機は2つの方法で克服できます。それは”迷路”を乗り越えて”頂上”から脱出することですが、決して一人で抜け出すのではなく、助けや付き添いを得て抜け出すこと。なぜなら、助けを受けることがとても重要だからです… そのために私は、主に『赦しの恵みをくださいますように、私に忍耐してくださいますように』と願っています」と述べられた。

 

 

*イエズス会の四つの使徒的優先事項

 

教皇はまた、2019年にイエズス会の今後10年間に優先すべきこととして概説された四つの「普遍的な使徒的優先事項」について触れられた。その四つは、霊操と識別、貧しい人々や疎外された人々と共に歩むこと、希望の未来を創る若者への伴走、”私たちの共通の家”-地球ーへの配慮だ。教皇は、これらは切り離すことのできない、四つの統合された原則です。伴走、識別、宣教活動がイエズス会の礎なのです」と強調された。

 

 

*聖職者主義と世俗主義

 

教会の将来に目を向けられた教皇は、「一部の人々は、教会はますます”小さく”なり、聖職者主義と霊的世俗主義の疫病に陥ることのないように、注意する必要があることを。私に思い起こさせてくれます。故アンリ・ド・リュバック枢機卿は『(聖職者主義と霊的世俗主義の疫病は)教会を苦しめる最もひどい悪であり、放蕩な教皇の時代よりもさらにひどい』と語っておられます」と述べた。

インタビューの最後に、教皇は、「ペトロの座を継承する者が誰であろうと、祈ることの重要性に変わりはありません。主は、祈りの中で語られるからです」と強調された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2024年8月10日

☩「中東情勢を重大な懸念をもって注視している、即時停戦を」-教皇、世界の紛争地域の平和を祈る

Aftermath of Israeli strikes in Deir Al-Balah in the central Gaza StripAftermath of Israeli strikes in Deir Al-Balah in the central Gaza Strip  (REUTER

*パキスタンとアフガニスタンでの民族差別撤廃を訴え

 

さらに、教皇は、「パキスタンとアフガニスタンの地域での民族差別、特に女性に対する差別がなくなるように」と祈りと共に、現地の政治指導者など関係者たちの努力を求められた。教皇はこの日の一般謁見の前に、イタリアのアフガニスタン人コミュニティを代表する小規模なグループと会見されている。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2024年8月8日

◎教皇連続講話「聖霊について」⑤「神と共にあれば、不可能なことは何一つない」

Pope Francis smiles at pilgrims at the weekly General AudiencePope Francis smiles at pilgrims at the weekly General Audience  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)

(2024.8.7 Vatican News   Christopher Wells)

    教皇フランシスコは7日、夏季休暇を終えられ、水曜恒例の一般謁見を再開された。

 そして、「聖霊について」の連続講話も再開され、「聖霊による御言葉の受肉」をテーマに、イエスが「聖霊によって聖母マリアから受肉し、人間となった」という私たちの信条の確認から始められた。

 教皇は、「これはキリスト教会全てに一致する信条です。すべてのキリスト教徒が同じ信条を共に公言しているからであり、それは、日々のお告げの祈りという伝統的なカトリックの信心業に反映されています」説かれた。

 そして、「これは、聖母マリアと教会を比べ合わせる根拠にもなります。第二バチカン公会議でも取り上げられましたが、聖母マリアが処女懐胎し、キリストをお生みになったように、教会も『信仰をもって神の言葉を受け入れ、自ら母となる』ことでキリストを迎え入れます」とされ、「まず神の言葉を受け入れなければ、教会の『活動と説教』は不毛になってしまいます」と指摘された。

 続けて教皇は、受胎告知を受けたマリアの「どうして、そのようなことが可能なのですか」という問いかけについて考察された。「教会も、同じ問いかけをしています。『この世の幸福だけを求めているように見える世界に、イエス・キリストとその救いを宣べ伝えることがどうして可能なのですか』と」。

 そして、その答えとして、使徒言行録にある「あなたがたの上に聖霊が下ると、あなたがたは力を受ける」(1章8節)というイエスの使徒たちへの言葉は、「当時も今も変わらない。聖霊から力を受けなければ、教会は前に進むことができず、成長できず、説教もできません」と強調。

 さらに、「教会について言われていることは、洗礼を受けたすべての人にも当てはまります」とされ、私たちが自分の力を超えた状況に陥ったとき、天使がマリアに語った「聖霊が降り、いと高き方の力があなたを覆う… 神にできないことは何一つない」(ルカ福音書1章35~37節)という言葉を思い起し、この励ましの言葉に力を得て、旅を再開するように」と説かれ、この天使の言葉を信じるなら、「私たちは奇跡を起こすでしょう。神にとっておできにならないことは、何一つありません」と締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2024年8月7日

☩「真の平和は、キリストの流された血からもたらされる」ー聖マリア大聖堂献堂の祭日

 

(2024.8.5  Vatican News   Christopher Wells)

   ローマの「聖マリア大聖堂」の献堂を記念する5日、教皇フランシスコは同大聖堂で夕べの祈りに参加され、戦争で荒廃している世界の平和を祈られた。

 この大聖堂は、もともとは教皇リベリウス(在位352-366)によって建設された。伝承によれば、385年の8月4日から5日にかけての夜、「ジョヴァンニ」という名のローマの貴族と教皇リベリウスの夢に聖母が現れ、「しるしによって示す場所に教会を建てるように」と勧め、翌朝、真夏にもかかわらず、エスクィリーノの丘には雪が積もっていた。教皇は、積雪の形に沿って外郭を定め、同じ夢を見たジョヴァンニの協力を得て、西洋最古の聖母巡礼地となる教会を建てた。約100年後、教皇シスト3世(在位432-440)が聖堂を修復・再建し、8月5日をその献堂の日とした。この献堂の祭日が早くから祝われていたことは、5世紀の『ヒエロニムス殉教者暦』などの史料からも明らかになっている

 教皇は説教で、奇跡的な降雪の「驚異」と「驚き」を強調し、その素晴らしさと無償性から「恵みの象徴」とされ、「恵みは当然ながら、自分で得ることはできず、買うこともできません。賜物として受け取るしかありません… ですから、ローマの真夏の降雪のように、まったく予測不可能です」と述べられた。

 そして「このような受け止め方をすれば、大聖堂に関係する重要な『しるし』、つまり聖母マリアの聖画像、Salus Populi Romani すなわち『ローマの人々の救い』を理解することができます」と語られ、この聖母マリアと幼子の像が「宗教の領域に常に潜んでいるあらゆる神話的、魔術的、霊的装いが剥ぎ取られた、具体的な形での恵みを表現しています… つまり、すべての時代の前に選ばれ、降りたての雪のように汚れのないマリアと、その幼子にのみ、神性の豊かさのすべて宿っているのです」と強調された。

 さらに、「これが、信者たちが神の聖母に祝福を求めに来る理由です。なぜなら、聖母は聖霊の働きによって常にイエス・キリストを通してのみ得られる恵みの仲介者だからです」と説かれた。

 また教皇は、5日の祝祭に参加した人々は、ローマと全世界のためにマリアの執り成しを願いながら、来年の聖年のためにローマに来る多くの巡礼者たちに先駆ける、一種の「先鋒」になっている、と指摘され、「巡礼者たちは特別な方法で、『真の平和』の賜物を求め、マリアに執り成しを求めます。そして、『真の平和』は、『悔い改め赦された心』、『キリストの十字架から来る平和』、そして『キリストが私たちの罪の赦しのために流された血から来る平和』によってのみ、もたらされるのです」と強調された。

 最後に教皇は、聖母マリアに語りかけアレクサンドリアの聖キリルの言葉で説教を締めくくりられた―「神の聖母マリアよ、光の担い手、汚れのない器よ。母であり侍女である聖母マリアよ、おとめよ、あなたから生まれた神の御名のために。母よ、あなたが腕に抱いた神の御名のために… おとめよ、マリアよ、あなたは全世界で最も尊い存在です… 消えることのない灯火よ。あなたから正義の太陽が生まれたのです。神の聖母よ、私たちのためにお祈りください」。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2024年8月6日

☩「平和の神の言葉を押し殺すな、戦争は敗北だ」教皇、中東危機拡大が切迫する中で

(2024.8.4 Vatican News   Michele Raviart )

 中東での新たな戦乱の危機が迫る中で、教皇フランシスコは4日、年間第18日の正午の祈りで、聖地での平和を呼びかけ、暴力を非難するとともに、ベネズエラでの対話を促し、インドの洪水被害者のために祈り、新たに列福されたレバノン人のステファノ・ドゥアイを称えられた。

*中東での血なまぐさい紛争をこれ以上拡大するな

 教皇は中東情勢と、紛争がガザとイスラエルから他の国々に広がる恐れが強まっていることを強く懸念され、「すでに特に暴力的で血なまぐさい紛争がこれ以上拡大しない」よう切望されている。

 この日の正午の祈りに続いて、教皇は、すべての犠牲者、「特に罪のない子供たち」と「パレスチナ、イスラエル、レバノンの人々」のために祈りを捧げ、先週ロケット弾攻撃で、サッカー場で遊んでいた12人の子供と若者が死亡した聖地のドゥルーズ教徒のコミュニティに哀悼の意を表された。そして、紛争当事者たちに「ガザとすべての前線での戦闘がの即時停止と、人質解放のために、対話を再開する勇気」を求め、「爆撃、殺人、暴力は何の役にも立ちません」と強調された。

 さらに、「標的を絞った攻撃、殺人は、決して解決にはならない。正義の道、平和の道を歩む助けにはならず、憎しみと復讐をさらに生み出すだけです。兄弟姉妹の皆さん、もうたくさんです!もうたくさんです!平和の神の言葉を押し殺してはならない。平和を聖地、中東、そして全世界の未来にしましょう!戦争は敗北です!」と強く訴えられた。

*ベネズエラで当事者全員が真実を求める必要

 また教皇は、マドゥロ大統領の再選をめぐる争いから「危機的な状況に直面している」ベネズエラの情勢に懸念を表明され、「私はすべての当事者に、真実を求め、自制し、あらゆる種類の暴力を避け、対話を通じて紛争を解決し、党派的利益ではなく国民の真の利益に配慮するよう心から訴えます」と述べられた。

*インドにおける豪雨の被害者たちに祈りを捧げる

 教皇は、インド、特に「豪雨に見舞われ、多数の土砂崩れを引き起こし、死者、多数の避難民、そして甚大な被害をもたらした」ケララ州の人々にも思いを寄せられ、「命をなくした人々と、このような壊滅的な災害の被害を受けたすべての人々」のために祈るよう、すべての人に呼びかけられた。

*ベイルート港爆発の被害者に対する正義と真実

 先週金曜日にレバノンで行われたマロン派の故ステファノ・ドゥアイ総主教の列福式を思い起こされた教皇は、ドゥアイ総主教が1670年から1704年までマロン派教会の指導者だった時期は「迫害を特徴とする困難な時代」であり、そうした中で「信仰の教師であり勤勉な牧者でもあった彼は、常に人々の傍らにいて希望の証人でした」と称えたうえで、「今日でも、レバノンの人々は大きな苦しみを味わっています。特に、ベイルート港爆発の犠牲者の家族のことが、私の頭に浮かびます。正義と真実がただちに実現するように」と願われた。

 また、4日は、聖ヨハネ・ビアンネを偲ぶ日であり、一部の国で教区司祭の祝日が祝われるが、教皇は「熱意と寛大さをもって、時には多くの苦しみの中でも、神と人々に身を捧げるすべての教区司祭」に親しみと感謝の意を表された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2024年8月5日

☩「充実した人生を送るために慈善の道を歩もう!」-教皇、年間第18主日の正午の祈りで

(2024.8.4 Vatican News)

 教皇フランシスコは4日、年間第18主日の正午の祈りに先立つ説教で、物質的なものを追い求めることは充実した人生に繋がらず、自分のために何も残さず、すべてを共有するキリストが示された慈善の道を歩むことが人生の充実につながることを、信者たちに教えられた。

   説教で教皇は、パンと魚の奇跡の後にイエスを探し求めた群衆について語る、この日のミサで読まれたヨハネによる福音(6章24‐35節)を取り上げ、まず、その個所の前にイエスがなさった「わずかなパンと魚で群衆の空腹を満たすという奇跡」は、「誰もが持っているものを、たとえそれがどんなに小さなものであっても捧げれば、神の助けによって誰もが恩恵を受けることができることを示しています」とされたうえで、「しかし、群衆の関心は、イエスの奇跡と一時的に満たされた肉体的な飢えだけに集中し、その経験のより大きな意味を理解していませんでした」と語られた。

 そして、イエスが、パンと魚の奇跡で示されたのは、彼らの飢えを満たすだけでなく、「永遠に続く命の道と、計り知れないほど満たすパンの味」だった、と指摘され、「真のパンは、神の愛する子が人となられたイエスであり、イエスは私たちと同じ境遇を共有し、神と兄弟姉妹との完全な交わりの喜びと賜物へと導くために来られたのです」と説かれた。

 さらに教皇は「物質的なものは充実した人生にはつながらない。愛だけが、そして、自分のために何も残さず、すべてを共有する慈善の道を歩むときに、人生の充実をもたらすことができるのです」と強調。

 続けて、「親が子供を立派に育て、良い未来を残そうと努力するとき、家族の中でこれがどのように見られるでしょう。子供たちは親に感謝を示し、お互いを支え合うことが可能になる。父親と母親のメッセージ、彼らの最も貴重な遺産は、『お金』ではなく、神が私たちに対してそうするように、彼らが持っているすべてのものを子供たちに与える『愛』です。そのようにして、親たちは子供たちに愛することを教えるのです」と説かれた。

 そのうえで教皇は、「物質的なものと私たち自身の関係を見つめ、私たちが物質的なものに縛られているか、それとも愛と喜びを表現するために物質的なものを自由に他の人と共有しているか」を自分自身に問い直し、私たちが受け取った贈り物に「ありがとう」を言うように、と信者たちに勧められた。

 そして説教の最後に、「イエスに全生涯を捧げたマリアが、すべてのものを愛の道具にすることを私たちに教えてくださいますように」と願われた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2024年8月4日

☩「『あなたと共に』は愛の神秘を秘めた言葉」-教皇、欧州20か国からローマ巡礼に来たミサ侍者の若者たちを激励

(2024.7.30 バチカン放送)

 教皇フランシスコが7月30日夕、バチカンの聖ペトロ広場で、欧州中からローマに巡礼に来たミサ侍者の若者たちとの集いをなさった。

 このローマ巡礼は、国際侍者協会(Coetus Internationalis Ministrantium,CIM)が主催するもので、今回で第13回目を迎えた。イザヤ書の一節から採られた言葉「あなたと共に」(イザヤ書41章10節)をテーマにした今回の巡礼には、ドイツからの約3万5千人をはじめ、オーストリア、ベルギー、クロアチア、フランスなど20か国から約5万人が参加。さらに、約1万2千人のボランティア、 2千人あまりの司牧担当者らが付き添った。

 集いでは、演奏や合唱、ルクセンブルグ大司教で国際侍者協会の会長、ジャン=クロード・オロリッシュ枢機卿の挨拶、司教たちの講話などを交えた前半に続いて、教皇が5人の少年少女たちと一緒に特別車「パパモービル」で会場に到着。聖ペトロ広場を一巡した後、広場から伸びる「コンチリアツィオーネ通り」まで進み、道の左右に鈴なりになった各国・各教区からの巡礼団に祝福をおくられた。

 教皇は若い祭壇奉仕者たちへのあいさつで、今回の巡礼のテーマ「あなたと共に」を愛の神秘を秘めた言葉として示された。

 「ミサの侍者たちにとって、この『あなたと共に』の主役は神です」とされたうえで、教皇は「『二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいる」(マタイ福音書18章20節)というイエスの言葉は、ミサの中で最高に実現されるのです」と指摘。

 「そこでは『あなたと共に』は、キリストの御体と御血において神の具体的な現存となり、司祭はこの神秘を毎日自分の手の中で見つめ、また侍者たちも祭壇に奉仕しながらこれを見ることになります」、そして、「さらに聖体拝領で、私たちは霊的・物理的にイエスが『私たちと共に』おられることを体験するのです」と語られた。

 さらに、「この『あなたと共に』おられる神の神秘を、マリアのように、自分の心と肉において留めるなら、新たな方法で『他者と共に』いることも可能になるのです」と強調。「イエスのおかげで、私たちは他者に対して『あなたと共に』と言えるようになり、裁いたり、先入観をもったり、閉め出したり、除外することなしに、態度や心や寄り添いを通して、泣く者と共に泣き、喜ぶ者と共に喜ぶことができるようになります」と説かれた。

 あいさつの最後に教皇は、侍者たちにローマへの巡礼と、イエスの愛の奉仕者としての務めを感謝しながら、これからもイエスと共によき歩みを続けていくように、と励まされた。

(編集「カトリック・あい」)

 

2024年8月1日

☩「『高齢者たちの孤独』に『ノー』と言おう!」-教皇、28日の「祖父母と高齢者のための世界祈願日」に

教皇フランシスコ、高齢者と若者の集いで 2024年4月27日 バチカン・パウロ6世ホール教皇フランシスコ、高齢者と若者の集いで 2024年4月27日 バチカン・パウロ6世ホール  (Vatican Media)

(2027.7.28  バチカン放送)

 カトリック教会の「第4回祖父母と高齢者のための世界祈願日」が28日、世界中で記念された(日本の教会は9月15日)。教皇フランシスコは同日の正午の祈りで、今年の祈願日のテーマ「老いの日にも、見放さないでください」(詩編71章9節参照)を紹介され、「『高齢者を見放す』という、悲しむべき現実を、決して当たり前のことにしてはなりません」と強調された。

 教皇は、特にこの夏の日々は「多くのお年寄りたちにとって、孤独は耐えがたい重荷になりがちです」と指摘。

 この日記念された「祖父母と高齢者のための世界祈願日」は、「『私を見放さないでください』というお年寄りたちの声に耳を傾け、その声に対して『私はあなたを見放すことはありません』と答えるように、私たちに求めています」と語られた。

 そして、「孫と祖父母、若者とお年寄りとの絆を強めるように」と信者たちに勧められた教皇は、「『高齢者たちの孤独』に『ノー』と言いましょう!」とアピール。「私たちの未来は、祖父母と孫たちが共に生きることをいかに学ぶかにかかっています… お年寄りたちを忘れてはなりません」と強調された。

(編集「カトリック・あい」)

2024年7月29日

☩「捧げ、感謝し、分かち合うー主の恵みの奇跡を日々、味わうように」教皇フランシスコの年間第17主日の正午の祈り

(2024.7.28 Vatican News   Deborah Castellano Lubov)

 

2024年7月28日

☩「『休息』と『憐み』は結びついている」-教皇、年間第16主日の日曜正午の祈りで

教皇フランシスコ 2024年7月21日のお告げの祈り教皇フランシスコ 2024年7月21日のお告げの祈り  (ANSA)

(2024.7.21 バチカン放送)

 教皇フランシスコは21日、年間第16主日の正午の祈りに先立つ説教で、この日の福音朗読、マルコ福音書の、イエスが、宣教から戻った弟子たちに、人里離れた所へ行ってしばらく休むようにと命ずる一方で、ご自分のもとにやって来る群衆の、飼い主のいない羊のようなその有様を深く憐れむ場面(6章30-34節)を取り上げられた。

 教皇の説教の要旨は次のとおり。

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 今日の典礼の福音は、宣教から戻った使徒たちがイエスのもとに集い、自分たちが行ったことを報告する様子を語っています。

 そこでは、報告を聴かれたイエスが彼らに「あなたがただけで、寂しい所へ行き、しばらく休むがよい」と言われましたが、人々は彼らの動きに気づいてしまった。彼らが舟から上がった時、イエスは大勢の群衆を目にし、飼い主のいない羊のようなその有様を深く憐れみ、彼らに教え始め(34節参照)られます。

 ここには、イエスの弟子たちに「休息」を取るように、との招きの一方で、イエスの群衆に対する「憐れみ」があります。休息と憐れみ、これらは二つの相入れない事柄のように見えますが、実は互いに関係しています。これについて考えてみましょう。

 イエスは弟子たちの疲れを心配されました。おそらく私たちの生活や使徒職にありがちな危険を感じておられるのかもしれません。

 たとえば、宣教や仕事を進める上での熱心、託された役割や課題が、私たちを”活動主義”の犠牲者にしてしまうことがあります。やるべきことや、その結果で、頭をいっぱいにしてしまいます。すると、心が乱れ、本質を見失い、エネルギーを消耗し、心身の疲労に陥ることになるます。これは忙しさに囚われがちな私たちの生活や社会、また教会や司牧奉仕に対する、警告です。私たちは”すべきことの独裁”に注意せねばなりません。

 同時に、イエスが勧める「休息」は、「この世からの逃避」や、「心地よい世界に引きこもること」ではありません。イエスは「休息」を弟子たちに勧めながら、迷える群衆を前にして「憐れみ」を覚えられるのです。こうして、私たちは福音から、「休息」と「憐れみ」という二つの現実が結びついていることを知ります。「休息」することを学ぶなら、「憐れみ」を持つことができるのです。

 私たちの心が、「何かをしなければならない」という不安で憔悴しないなら、立ち止まって沈黙の祈りのうちに神の恵みを受け取ることができるなら、私たちは、他の人々に憐れみ深い眼差しを持ち、彼らが必要としていることを認識することができるのです。

 自分に問いかけましょう。「私は一日の中で、立ち止まることができているだろうか?」「また主と共にいる時間を持つことができているだろうか?」「いつも何かすべきことに追われているだろうか?」「毎日の騒がしさや活動の中で、内的な『砂漠』をわずかでも見つけることができているだろうか?」

 聖なるおとめマリアよ、私たちが日常的なあらゆる活動の中にあっても「聖霊のうちに休む」ことを知り、他者に対して快く応じ、憐れみを持つことができるように、お助けください。

(編集「カトリック・あい」)

2024年7月22日

☩教皇、戦争で引き裂かれた国々のために「オリンピック休戦」を再度呼び掛け

Olympic Games set to begin in ParisOlympic Games set to begin in Paris  (AFP or licensors)

 

2024年7月21日

☩「パリ五輪が、平和の担い手となるように」教皇、国連の「オリンピック停戦」決議に合わせて

オリンピックのシンボルである五輪を掲げたエッフェル塔 フランス・パリオリンピックのシンボル、五輪を掲げたエッフェル塔  

(2024.7.19  バチカン放送)

 教皇フランシスコは19日、 パリ五輪開催を前に、同地で行われた「平和のためのミサ」にメッセージをおくられ、その中で「オリンピック停戦」の尊重をアピールされた。

 パリを会場とした2024年のオリンピック競技大会の開会を一週間後に控えた19日、パリのマドレーヌ教会で、平和のためのミサが捧げられた。この日は、「オリンピック停戦」の初日となった。

 国際オリンピック委員会が、古代ギリシャの「オリンピック停戦」の伝統復活のため、国連に働きかけ、国連総会でオリンピック停戦の順守に関する決議が採択されたのは1993年だ。以来、国連総会では、各オリンピックおよびパラリンピック開催の前年に、大会中の停戦を求める決議が行われてきた。

 パリ五輪における「オリンピック停戦」の決議は、昨年11月21日、国連総会で採択された。決議は、開幕7日前から、パラリンピック閉幕の7日後まで、世界中のすべての紛争に対し休戦が求めている。

 教皇は、この日マドレーヌ教会で平和のためのミサを駐仏バチカン大使のチェレスティーノ・ミリヨーレ大司教と共同司式したローラン・ウルリッヒ・パリ大司教に宛てにメッセージをおくられ、パリ五輪が「世界中の国々から集うすべての人々にとって、互いを発見し、認め合い、偏見を取り除き、軽べつと不信があるところに尊重を、憎しみがあるところに友情を生み出す、またとない機会となること」を希望された。

 そして、「オリンピックは平和の担い手であり、戦争の担い手ではありません…世界平和が深刻に脅かされているこの激動の時代、紛争を解決し、調和を取り戻すことを希求しつつ、すべての人々がこの『オリンピック停戦』を心に留めるように」と願われ、「神が私たちを憐み、統治者たちの重大な責任について、彼らの良心を照らし、平和のために働く人々にその努力の実りと祝福をお与えくださいますように」と祈られた。

(編集「カトリック・あい」)

2024年7月20日

☩「神の喜びと愛を十分に体験する旅には、邪魔な荷物を持たないこと」教皇、年間第15主日の正午の祈りで

(2024.7.14 Vatican News  Deborah Castellano Lubov)
   教皇フランシスコは14日、年間第15主日の正午の祈りに先立つ説教で、「必要な物だけを持ってキリストに近づくように」と信者たちに呼びかけられ、「神の喜びと愛を十分に体験するには、私たち荷を重くし旅の邪魔になるだけの物を手放す必要があります」と説かれた。
 説教で教皇はこの日のミサで読まれたマルコ福音書の箇所(6章7~13節「12人の弟子の派遣」)を取り上げられた。ここで、イエスは、弟子たちを福音宣教に派遣するにあたって、杖一本のほかは何も持たず、履物ははき、下着は一枚だけにするよう告げておられる。

教皇の説教の要旨は次のとおり(バチカン放送)

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今日の福音は、イエスがご自分の弟子たちを宣教に遣わされた時のことを語っています。イエスは弟子たちを二人ずつ組にして遣わされ、そして、必要な物以外は持っていかないように命じられました。

一緒に派遣され、必要な物だけを身に付けた、この弟子たちの姿を考えてみましょう。

福音は一人では告げるものではなく、共同体として共に告げるものです。そうするためには、節制が大切です。それは、物の使用における簡素さ、財・能力・才能の分かち合い、贅沢を慎むことなどであす。なぜそうすべきなのでしょう。それは自由であるため、皆が尊厳ある生活をし、活発に宣教に貢献できるように、必要なものを持てるようにするためです。

さらに、先入観や頑なさを捨て、考えや感情において節度を保つことが必要です。これらは無用に重い鞄のように、歩みを困難にし、妨げます。これに対し、検討や傾聴は、証しをより効果的なものもします。

家族や共同体の中で、たとえそれがわずかでも、神の助けによって、私たちが必要において満たされ、前に進み、皆が調和し、あるものを分かち合い、各自が何かを断念し、互いに支え合うなら、そこで何が起きるかを考えてみましょう( 使徒言行録4章32-35節)。言葉で表す以前に、すでに一つの福音宣教となります。なぜなら、それは日常の生活を通して、イエスのメッセージの素晴らしさを具現化しているからです。

そのように暮らす家族や共同体は、実際、自分たちの周りに愛にあふれた環境を生み出します。そこでは、信仰と福音に心を開くことが容易になります。そして、そこからは、よりよい形で、またより安心して再出発することができるのです。

これに対し、それぞれが自分勝手に振る舞い、物質的なことだけにこだわり、相手の話に耳を傾けず、自己中心主義と妬みが勝るなら、雰囲気は重苦しく、生活は難しくなり、出会いは喜びではなく、不安と悲しみと失望の機会に変わってしまうでしょう。

キリスト教的生活にとって、交わりと節度は重要な価値があります。あらゆるレベルで宣教的な教会のために不可欠な価値です。

では、ここで自分に問いかけてみましょう。「私は、福音を伝え、主との出会いから来る喜びと光を生活の場にもたらす味わいを感じているだろうか」「そうするために、開いた精神と寛大な心をもって、他の人々と考えや能力を分かち合いながら、彼らと共に歩む努力をしているだろうか」「節度ある生活スタイルを育み、兄弟たちの必要に配慮しているだろうか」。

使徒の女王、マリアよ、私たちが交わりと節度ある生活を通して、真のイエスの弟子、宣教者となれるようお助けください。

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2024年7月14日

☩教皇、「女性たちはしばしば見過ごされ、過小評価されている、その声を聴こう」新刊書の序文で

(2024.7.11 Vatican News   Salvatore Cernuzio)

 教皇フランシスコは、2 人の枢機卿と 3 人の女性神学者が執筆し、9日に出版された「Women and Ministries in the Synodal Church(シノダル(共働的)な教会における女性と聖職)」と題する本に序文を寄せられた。その中で教皇は、「女性」「聖職者」「シノダリティ(共働性)」「虐待の悲劇」など教会にとってデリケートなテーマをすべて取り上げている。

 本の執筆者は、ローマのアウグスティリウムでキリスト論とマリア論の教授を務めるサレジオ会のシスター・リンダ・ポッチャー、英国国教会の司教で事務総長のジョー・B・ウェルズ、ヴェローナ教区の教師でスピリチュアリティ講座や黙想会の主催者のジュリヴァ・ディ・ベラルディーノ氏の3人の女性と、ルクセンブルク大司教でシノドス総報告者のジャン=クロード・オロリッシュ枢機卿と、バチカン弱者保護委員会の委員長を務めるショーン・パトリック・オマリー枢機卿だ。

 この本は、今年2 月 5 日に教皇が出席して行われた枢機卿顧問会議でなされた議論を基にした執筆者たちによる対話の形をとっている。本の執筆者である2人の枢機卿もメンバーの会議には、共同執筆者の3人の女性も招待され、「教会における女性の役割」というテーマで、意見を述べていた。

 シスター・ポッチャーの共著「教会の非男性化」に続くものだが、「教会の非男性化」という言葉は、教皇フランシスコが国際神学委員会のメンバーと謁見された際に初めて使われた。

*教会における聖職:重要かつ繊細なテーマ

 本の序文で教皇は、まず、在位中の重要な信条である「現実は観念よりも重要である」という”原則”から始めて、「教会における聖職」について考察され、この原則が、「教会における女性というテーマ、特に教会共同体における聖職という重要かつ繊細なテーマに関して、枢機卿顧問会議に向けたシスター・ポッチャーの指針となっていること」を評価された。

*聖職者による性的虐待が引き起こした危機と「聖職者主義」

 また、聖職者による性的虐待とそれへの高位聖職者などの対応が引き起こした危機によって、「『聖職者主義』に立ち向かう必要性が浮き彫りになった」と強調。「聖職者主義は、聖職者に限らず、教会内での権力の乱用という、より広範な問題でもあり、一般信徒や女性にも影響を及ぼしています」と指摘された。

*女性の声に耳を傾けることは、現実を直視する重要な手立て

 そのうえで、「女性の喜びや苦しみに耳を傾けることは、現実に目を向ける重要な手立ての一つです」とされ、「判断や偏見なしに女性の話を聴くことで、『多くの場所や状況で女性が苦しんでいるのは、まさに彼女たちが何者で何をしているのか、また、彼女たちに場所と機会さえあれば何ができるのか、何になれるのかが、認識されていないからだ』ということに気づきます」と語られた。

 そして「最も苦しんでいる女性は、最も身近な女性、神と神の王国に仕える準備が最も整い、最も身近な女性であることが多いことにも」と付けう加えられた。

*”観念の祭壇”で現実を犠牲にしている

 教皇はさらに、このようにして、「観念ではなく現実を見る」よう、私たちに呼びかけ、そうするのは、「教会自体が近代にしばしば陥った『罠』、つまり『観念への忠実さを、現実に注意を向けることよりも重要だと考える』という罠に陥らないようにするため」と説かれた。

 そして、「現実は常に、観念よりも偉大であり、私たちの神学が鮮明で明確な観念の罠に陥ると、必然的にProcrustean bed(画一化された強制)になり、現実の一部を”観念の祭壇”の犠牲にしてしまうのです」と強調。「ですから、この本の価値は、観念からではなく、現実に耳を傾け、教会の女性の経験の賢明な解釈から始めていること、にあります」と述べられた。

*シノドス第2会期に向けた討議要綱でも女性の役割を強調している

 女性の役割の問題は、10月に開かられる世界代表司教会議(シノドス)第16回通常総会第2会期に向けて出された討議要綱でも取り上げられている。女性の賜物と召命を、これまで以上に強く認識する必要性を強調し、男性と女性を”キリストの兄弟”として、教会の使命で結ばれた者として、相互依存的、相互的な見方へ思考を転換することを提唱している。

 女性の教会における役割の強化の象徴となっている女性助祭の問題について、シノドス事務総長のマリオ・グレック枢機卿は、「特定のテーマについて神学的および牧会的な考察を深めるために教皇が設立した研究グループの1つの主題となっており、第2会期の会議では取り上げられない」と述べているが、教皇は、シノドス事務局と協力して、より広い文脈で、聖職者の形態の中で、女性助祭の問題を教理省に委ねた。

 この3月に発表された研究グループに関する文書で発表されたように、この取り組みは、シノドス総会の「女性の貢献に対する認識と評価を高め、教会の生活と使命のあらゆる分野において女性に託された司牧的責任を増やす」という要望に応えることを目指している。

 (翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2024年7月12日