☩「若々しい勇気を出し合い、前進しよう」-ローマ教区の叙階40年以上の司祭たちに

教皇フランシスコとローマ教区の司祭との集い 2024年5月14日 ローマ、サン・ジュゼッペ・アル・トリオンファーレ教会教皇フランシスコとローマ教区の司祭との集い 2024年5月14日 ローマ、サン・ジュゼッペ・アル・トリオンファーレ教会 

(2024.5.14  バチカン放送)

 教皇フランシスコは14日、ローマ市内の教会でローマ教区の叙階40年以上の司祭たちとの集いを持たれ、祈りに続くあいさつで、「『記憶の証し人』となり、若々しい勇気を出し合って、皆で前に進みましょうい」と励まされた。

 集いは、バチカンに近い、ローマ市内トリオンファーレ地区の聖ヨセフ教会(サン・ジュゼッペ・アル・トリオンファーレ)の司祭館で行われ、ローマ教区で働く、叙階40年以上の司祭らおよそ70名が参加した。

 意見交換では、ローマ教区とその小教区における取り組みなど、司牧的テーマが中心となり、教皇は、「小教区の主任司祭と、社会の中で司牧する司祭たちの奉仕の価値」を強調。「『群』を率いるためには『優しさ』が必要。人々は司牧者の優しさを知る時に、近づいて来ます」と話された。

 さらに、「赦しの秘跡や、教区の巡礼聖堂における仕事」なども意見交換のテーマとなり、高齢の司祭たちの問題として、「人々の間で長年奉仕した後の孤独」「変化に対応するための苦労」「祈りによって克服する苦悩」「神に対する愛の思い出」「聖母への子としての愛」などが取り上げられた。

 教皇は、「高齢の司祭と若い司祭との絆の重要性」を繰り返し説かれた。

 約2時間の対話の終わりに、教皇は参加者らに感謝を述べ、これからも祈り続け、教会を導き見守って欲しいと願われた。司祭一人ひとりに挨拶された教皇は、初聖体を準備する70人の子どもたちや、近くの聖ヨセフ学園の生徒約100名、そして数百人の信者たちともお会いになった。

 ローマ教区の声明によれば、このところ行われていたローマ教区内のブロック別訪問を完了された教皇は、今後は叙階年数ごとにグループに分けながら、司祭たちとの出会いを継続されるという。

(編集「カトリック・あい」)

2024年5月15日

☩「イエスの父への帰還は、私たちの最終目的地を示している」-「主の昇天の主日」に

(2024.5.12 Vatican News   Lisa Zengarini)

  教皇フランシスコは13日、「主の昇天の主日」のRegina Caeli の祈りに先立つ説教で、「イエスが天に上げられ、神の右に座された」(マルコ福音書16章19節)ことが私たちにとって何を意味するか、について考察された。

 説教で教皇はまず、「イエスの御父のもとへの帰還は、私たちにとって別れではなく、むしろ私たちの最終目的地の予感のように見えます」とされ、「 イエスは、私たちが山の頂上に向かって登るときの”パートナー”として、教会を、ご自身の体を、ご自身が昇天された天国に引き上げてくださるのです」と説かれた。

 そして、「神の手足である私たちも、頭である神と共に喜びをもって立ち上がります。『一人の一歩』が『すべての人の一歩』。私たちは、皆が一つの体であり、誰も道に迷ったり、取り残されたりしてはならないことを、知っています 」と強調。

 続けて、「着実に、イエスは私たちに進むべき道を示してくださっています」とされ、この日のミサで読まれた福音が「神の愛の業-人に命を与え、希望をもたらし、あらゆる悪意と卑劣さから遠ざけ、善をもって悪に対し、苦しんでいる人々に寄り添うこと―を実行するという、とるべき歩みを私たちに告げています… そうした業を行えば行うほど、私たちは主の御心によって変えられ、主の模範に従い、山の中にいるように、周りの空気が明るく清らかになるのを感じるのです」と説かれた。

 そのうえで、教皇は、信者たちに、「自分が主の歩みに従っているかどうか」、次のように自問するよう勧められた―「私の中に、神への願望が、限りない愛が、神の永遠の命が生きているだろうか? それとも、つかの間のもの、お金、成功、楽しみなどに縛られているだろうか? 天国への願望が私を孤立させるのか、それとも、兄弟を愛し、天国への旅の仲間として感じるように私を導くのか?」。

 説教の最後に、教皇は「私たちが天国の栄光に向かって喜びを持って共に歩むことができる」よう助けてくださるよう、聖母マリアに願われた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2024年5月13日

☩「恐怖に基づいた国際安全保障は”欺瞞”だ」ーノーベル平和賞受賞者など参加の国際会議に

教皇フランシスコ、「人類の兄弟愛をめぐる国際ミーティング」参加者と 2024年5月13日 バチカン宮殿教皇フランシスコ、「人類の兄弟愛をめぐる国際ミーティング」参加者と 2024年5月13日 バチカン宮殿  (Vatican Media)

(2024.5.11 バチカン放送)

 教皇フランシスコが11日、ノーベル平和賞受賞者らや国際機関の代表などによる「人類の兄弟愛をめぐる国際ミーティング」の参加者たちとお会いになった。

 #BeHumanと題されたこのミーティングは、フラテッリ・トゥッティ基金の主催で、5月10日と11日の両日、ローマ市内とバチカンを会場に行われた。ノーベル平和賞受賞者らや国際機関の代表をはじめ、科学技術・社会・政治・経済などの研究者、企業家と労働者、スポーツ関係者など、広い分野の人々が参加し、「社会にすでに兄弟愛の原則が存在している場所を理解する」ことを通し、「戦争と貧困にかわるもの」を考察した。

 教皇は、ミーティング最終日の11日に行われた会見で、「地球が危機にある中で、それぞれの文化の交流を通して、ヒューマニズムこそが人々を一致させ、互いを兄弟と認めさせる」ことを証しつつ、戦争に「ノー」、平和に「イエス」と、明言するために集った参加者たちに感謝された。

 そして、「忍耐強く勇気ある対話は、衝突や紛争のようにニュースになることはありませんが、人々がよりよく生きられるように、目立たない形で世界を助けます」とされ、「あきらめないことの大切さ」を強調。

 さらに、「戦争とは欺瞞であり、恐怖に基づいた国際安全保障の論理も同様です… 恒久的な平和を保証するには、共通の人間性において互いに認め合う関係に立ち返り、人々の生活の中心に兄弟愛を据えることが必要。そうしてのみ、人類家族に未来をもたらす共存モデルを発展させることができるのです」と説かれた。

 最後に、「政治上の平和には、心の平和が必要です。人々が信頼のうちに出会う限り、命は常に、あらゆる形の死に勝利するでしょう」と語られた。

(編集「カトリック・あい」)

2024年5月13日

☩教皇、「ロシアとウクライナの戦争捕虜交換の促進にバチカンは協力する」と改めて言明

File photo of a former Ukrainian prisoner of war reacting after a prisoner exchangeFile photo of a former Ukrainian prisoner of war reacting after a prisoner exchange 

  教皇フランシスコは12日の「主の昇天の主日」の正午の祈りで、ロシアとウクライナの捕虜交換を改めて訴え、バチカンとしてそのために協力する用意があることを確認された。

 教皇は、昇天された主が「私たちが自由になることと、解放されることをお望みになっている」としたうえで、両国の関係者全員に対し、「特に重傷者や病気の人々のために、あらゆる努力を求める用意」が出来ていると述べ、さらに、「ウクライナで、パレスチナで、イスラエルで、ミャンマーで、平和を祈り続けましょう… 平和を祈りましょう!」と世界の人々に呼びかけられた。

 教皇はこれまでも様々な機会に、世界中で行われている戦争で捕虜となった人々の交換、解放を呼びかけておられる。

 今年の復活祭の「ウルビ・エ・オルビ」のメッセージでは、「私の思いを、特に、イスラエル、パレスチナ、そしてウクライナをはじめとする世界中の多くの紛争の犠牲者たちに捧げます。復活したキリストが平和の道を開いてくださいますように。 国際法の原則の尊重を求め、ロシアとウクライナの間ですべての捕虜が一般的に交換されることへの希望を表明します」とされた。

 4月17日の一般謁見では、「聖地、パレスチナのことを考えましょう。 イスラエルのこと、殉教したウクライナのことを考えましょう…主 が彼らを解放してくださいますように。そして捕虜となり、拷問を受けている人々が思い浮かべます。 人間の尊厳を傷つける多くの種類の拷問と、拷問を受けている多くの人々について考えてみましょう… 主がすべての人を助け、すべての人を祝福してくださいますように」と祈られている。

 また先に出された2025年聖年を公式に布告する勅書でも、困難な状況で暮らす人々に希望を与えるための緊急の呼びかけを行い、「聖年の間、私たちは経験している兄弟姉妹たちにとって、具体的な希望のしるしとなるよう求められています…  自由を奪われ、拘留とその制約の厳しさ、愛情の欠如、そして多くの場合、自分の人格に対する敬意の欠如を日々感じている囚人のことを思い浮かべ… 世界のどの地域でも、信者、特に司祭は、刑務所にいる人々に尊厳のある扱いがされ、人権が尊重されることを強く求めるすべきです」と願われた。

 

 ウクライナ・ギリシャ・カトリック教会の首長スヴィャトスラフ・シェフチュク首位大司教は、5月5日のユリウス暦・復活祭に向けたメッセージで、教皇の訴えを受ける形で、「捕虜交換は、私たちにとって必須のこと」と述べ、女性兵、医療従事者、司祭の3つのカテゴリーの捕虜の釈放をロシア政府に要求した。首位大司教によると、現在ロシアにはウクライナ人の軍人約8000人、民間人約1600人が拘束されている、という。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2024年5月12日

☩「私たちが希望を再び見出し、告げ、築けるように」教皇、主の昇天の祭日に2025年聖年を布告する勅書を全世界の教会に託す

(2024.5.9 バチカン放送)

 典礼暦で「主の昇天」を祝った9日(木)、教皇フランシスコがバチカンで同祭日の第二晩課を主宰され、この夕べの祈りの冒頭に、2025年の聖年を公式に布告する勅書『スペス・ノン・コンフンディト』を、全教会に象徴的に託す儀式を行われた。

 勅書公布の儀式は、聖ペトロ大聖堂のアトリウムにおいて、まだ閉じられている「聖なる扉(聖年の扉)」の前で行われ、教皇は「万能で、慈しみ深い神が、恵みのために私たちが運命づけられている栄光への希望を、私たちの中に高揚させてくださいますように」と祈りつつ、聖年を公式に布告する勅書を、全教会を代表する教皇直属のローマの4つの大聖堂の各主席司祭、世界の教会を代表する数人の枢機卿と司教、そしてプロトノタリオ(教皇庁の書記長)に手渡された。

 続いて、朗読台に上がった、プロトノタリオ団の主席、レオナルド・サピエンツァ師によって、勅書の重要な箇所の抜粋が読み上げられた。

 「フランシスコ、ローマの司教、神のしもべのしもべ。この書簡を読む人たちの心を希望がいっぱいに満たすように。『スペス・ノン・コンフンディト』、「希望が失望に終わることはありません」(ローマの信徒への手紙5章5節)」。 このように始まる勅書を通し、2025年の聖年の開幕および閉幕が次のように発表された。

 2025年の聖年は、2024年12月24日(火)、バチカンの聖ペトロ大聖堂の「聖なる扉(聖年の扉)」が開かれると共に始まる。次いで、同月29日(日)にローマのラテランの聖ヨハネ大聖堂(サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ)、2025年1月1日(水)に聖マリア大聖堂(サンタ・マリア・マッジョーレ)、同月5日(日)に城壁外の聖パウロ大聖堂(サン・パウロ・フォーリ・レ・ムーラ)の「聖なる扉」がそれぞれ開かれる。地方教会としては、2024年12月29日(日)、すべてのカテドラルにおいて、教区の司教により聖年の荘厳な開幕としてのミサが捧げられる。

 聖年の閉幕については、ローマの教皇直属4大聖堂のうち、聖ペトロ大聖堂を除く3つの大聖堂の「聖なる扉」が、2025年12月28日(日)までに閉じられる。地方教会においては、聖年は同日に終了、 2026年1月6日(火)、主の公現の祭日に、バチカンの聖ペトロ大聖堂の「聖なる扉」が閉じられることで、2025年の聖年は閉幕する。

 また、勅書の中では、戦争の悲劇に覆われた世界に対する平和の祈り、命の伝承への熱意が失われた今日、若い人たちが子どもを持つことが可能となるための支援の必要が強調された。同時に、この聖年を機会に、受刑者、病者、青少年、難民・移民、高齢者、貧しい人々への、いっそうの関心が呼びかけられた。

 勅書の朗読に続き、大聖堂のアトリウムから聖堂内への行列が行われた。夕べの祈りの説教で教皇は、「祈りの年」を通して聖年を準備しながら、心をキリストに高く捧げ、絶望が広がる文明の中で「希望を歌う者」となるように招いた。社会と時代、自然環境、国々と人民、若者と高齢者、病者、教会、そして私たち一人ひとりに、希望の必要を説かれた。

 「主の昇天」の祭日、教皇は、「私たちが希望を再び見出し、希望を告げ、希望を築けるように」と、復活し昇天された主にその恵みを祈り求めた。

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 勅書は、合わせて25の段落で構成され、冒頭部(1)で教皇はこのように述べている。

 「『スペス・ノン・コンフンディト』、「希望が失望に終わることはありません」(ローマの信徒への手紙5章5節)。希望のしるしにおいて、使徒パウロはローマのキリスト教共同体に勇気を呼び起こしました。希望は、来たる聖年の中心的メッセージでもあります。聖年は、古き伝統に従って、教皇が25年ごとに召集するものです。わたしは、聖年を体験するためにローマを訪れる「希望の巡礼者たち」、そして、この使徒ペトロとパウロの都市を訪れることはできないが、地方教会においてこの聖年を祝う人々を思います。すべての人にとって、この聖年が、救いの『門』(参照 ヨハネ10,7.9)である主イエスとの生きた、個人的な出会いの時となりますように。教会は、イエスと共に、いたる場所で、すべての人に「わたしたちの希望」(1テモテ1,1)を告げる使命を持っています。」

 冒頭部に続き、同文書は、「希望の言葉」(2~4)、「希望の歩み」(5~6)、「希望のしるし」(7~15)、「希望のアピール」(16~17)、「希望に錨(いかり)を下ろして」(18~25)の5つのテーマを展開している。

 「希望の言葉」で、教皇は、聖パウロの「このように、わたしたちは信仰を義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。 […] 希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです」(ローマ5,1-2、5,5)という言葉を引用。

 「十字架上で刺し貫かれたイエスの心からわき出る愛から生まれ、愛に基づく希望」、「だれも神の愛からわたしたちを引き離すことはできないという確信の上に築かれた、決して幻想を抱かせず、欺くことのないキリスト教的希望」について観想している。

 また、教皇は、神ご自身が「忍耐と慰めの源」(ローマ15,5)であるように、「忍耐」も聖霊の実であり、「希望」を生き生きと保ち支える、「希望の娘」であるとしている。

 「希望の歩み」で教皇は、この「希望」と「忍耐」の関係から明らかなように、キリスト教的生活とは一つの歩みであり、それには希望を養い強める「偉大なる時」も必要と指摘。

 教皇ボニファチオ(ボニファティウス)8世が、1300年に召集した最初の聖年はもとより、チェレスティノ(ケレスティヌス)5世(1294年8月、ラクィラ・コレマッジォ聖堂における赦しの日)、オノリオ(ホノリウス)3世(1216年8月、アッシジ・ポルツィゥンコラにおける赦しの日)、カリスト(カリストゥス)2世(1122年、サンティアゴ・コンポステーラの聖年)など、教皇たちが設けた赦しの日や聖年の歴史を振り返っている。

 「巡礼」はあらゆる聖年における基本的要素であると述べつつ、教皇は、来たる聖年においても「希望の巡礼者たち」が伝統的なあるいは今日的な巡礼を通して、聖年を体験することを願われた。

 教皇は、2025年の聖年が、紀元2000年の大聖年と、2015年の「いつくしみの特別聖年」に続くものであり、また同時に、主イエスの受難と死と復活によって成し遂げられた「贖い」から2千年を祝う2033年に向かう歩みの途中にあることを示された。

 こうして、教皇は、2025年の聖年の開催期間とその開幕・閉幕の概要を次のように説明している。

 2024年12月24日(火)、バチカンの聖ペトロ大聖堂の「聖なる扉(聖年の扉)」を開くことで聖年が開始。続いて、2024年12月29日(日)にローマのラテランの聖ヨハネ大聖堂(サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ)で、翌年2025年1月1日(水)に聖マリア大聖堂(サンタ・マリア・マッジョーレ)で、1月5日(日)に城壁外の聖パウロ大聖堂(サン・パウロ・フォーリ・レ・ムーラ)で、それぞれの「聖なる扉」が開かれる。

 また、2024年12月29日(日)、すべてのカテドラルにおいて、教区の司教は聖年の荘厳な開幕として所定の式次第に従いミサを捧げる。

 ローマの4大バシリカのうち、聖ペトロ大聖堂を除く3つの大聖堂の「聖なる扉」は、2025年12月28日(日)までに閉じられる。

 地方教会において、聖年は2025年12月28日(日)に終了する。

 そして、2025年の聖年は、2026年1月6日(火)、主の公現の祭日、バチカンの聖ペトロ大聖堂の「聖なる扉」を閉じることによって閉幕する。

 「希望のしるし」の項において、教皇は、聖年を主が与える「時代のしるし」を読み取る機会としながら、わたしたちが悪と暴力に打ち負かされたと思い込む誘惑に勝つために、今日の世界に存在する善に注意を向けるようにと勧めている。

 同時に、神の救いを求める人間の心の願望を中に含んだ「時代のしるし」を見つめ、それを「希望のしるし」に変容するようにと招いている。

 教皇はこの希望のしるしを通し、戦争の悲劇の只中にある世界に平和がもたらされるようにと希求する。

 そして、人々が命の伝承に対する熱意を失っている中で、若い人たちが新しい家族を作る望みを持てるようにと教皇は願っている。

 また聖年が、受刑者たちに希望を、病者たちに寄り添いと慰めを、青少年に支えを、難民・移民に安全の保証と仕事・教育へのアクセスを、高齢者に若者をはじめとする他の世代との絆や理解や励ましをもたらし、生活に最低限必要なものまで欠けている貧しい人々への関心を高める機会となるようにと希望している。

 「希望のアピール」の項で、教皇は、地上の富は一部の恵まれた人たちだけのものではなく、すべての人々のものであると強調。豊かな人々が、助けを必要とする貧しい兄弟姉妹たちに寛大であるようにと呼びかける。

 また、教皇は、お金を武器の調達や戦費に費やさず、飢餓をなくすための世界基金のために使うことを改めて提案。同時に、債務の返済が不可能な貧しい国々への債務帳消しをアピールしている。

 さらに、教皇は、2025年の聖年が、325年のニケア公会議開催から1700周年を記念する年と重なることにも言及。この聖年がキリスト者の一致への歩みを進めるはずみとなることを期待している。

 同勅書の最後「希望に錨(いかり)を下ろして」の項で、教皇は、聖年に向けて歩みながら聖書に立ち返るように招く。そして、「私たちが持っているこの希望は、魂にとって頼りになる、安定した錨(いかり)のようなもの」(ヘブライ6,19)という言葉を示しつつ、私たちに贈られた希望を決して失わず、神の中に「拠り所」を見い出しながら、それをしっかり保つように励ましている。

 教皇は、私たちが希望に魅了され、希望を求める人にそれを伝えることができるように、と願われる。そして、主イエス・キリストの再臨を信頼に満ちて待つ中で、希望の力が私たちの現在を満たすようにと祈られている。

(編集「カトリック・あい」)

2024年5月12日

◎教皇連続講話「悪徳と美徳」⑲「世界はキリスト教徒の「希望」を必要としている」

(2024.5.8 Vatican News  Christopher Wells)

教皇フランシスコは8日の水曜恒例一般謁見で、「悪徳と美徳」をテーマとする連続講話をお続けになり、今回は、「希望」という神学的美徳について考察され、「私たちの最終的な運命の問題を考えるとき、その答えは『希望』です」と語られた。

人生の意味に関する問いに対する「否定的な答え」が悲しみにつながることを、教皇は認め、 「もし私たちが、人生の最後には何もない、と考えたら、それならなぜ歩かねばならないのか、と自問するようになり、絶望に陥るのです… 希望がなければ、多くの人は人生を諦め、他のすべての美徳も崩れ、灰になってしまう危険があります」と述べられた。

 

 

*「希望」が神学的美徳であるのは…

 

教皇は「しかし、キリスト教徒は『希望が自分自身の功績から来るものではない』ことを理解しています」とされ、 「もし、キリスト教徒が未来を信じるとしたら、それはキリストが死んで復活され、私たちに御霊を与えてくださったからです。『希望』が神学的美徳であるのは、まさに、希望が私たちから発せられるものではなく、神から直接与えられる賜物であるからなのです」と説かれた。

そして、聖パウロの有名な言葉-「キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰は空しく、あなたは今もなお罪の中にいることになります」(コリントの信徒への手紙1.15章17節)を引用することで、信仰と不信仰を対比し、「 敗北も死も永遠ではない、という確信。 しかし、キリストの復活を信じないなら、使徒たちの説教さえも、すべてが空しいものになってしまいます」と語られた。

さらに教皇は、「神は慈悲深く、私たちの心よりも偉大である」ことを忘れたとき、「過去の幸福に対する”後ろ向きの郷愁”や罪に対する絶望など、希望に反する罪に陥る、と警告されたた。

 

 

*「希望」を求める世界には「忍耐」も必要

 

教皇はまた、「今日の世界は、このキリスト教の美徳を大いに必要としていますが、希望と密接に歩む美徳である『忍耐』もまた必要です。 忍耐強い人は『善を織る者』であり、常に固く、平和を希望しています」と指摘。「たとえ私たちの周りで多くの人が幻滅に負けても、希望に鼓舞され、忍耐強い人は最も暗い夜を乗り越えることができるのです」と強調された。

 

 

*「希望」は「心が若い人たち」の美徳

 

最後に教皇は、新約聖書にある、神殿で生まれたばかりのメシアに出会ったシメオンとアンナを思い起され、「『希望』は『(年齢ではなく)心が若い人たち』にとっての美徳です。私たちが人生の終わりに、シメオンとともに『主よ、今こそあなたはお言葉通り、この僕を安らかにさらせてくださいます。私はこの目であなたの救いを見たからです。これは万民の前に備えられた救い…』(ルカ福音書2章29-31節)と宣言できるなら、大きな賜物になるでしょう」と語られた。

そして、信者たちに、「前進し、希望を持てるように恵みを求め、忍耐とともに希望を持ってください。いつも最後の出会いに目を向けてください。 主が常に私たちの近くにおられること、死が決して勝利しないことを、いつも確かめてください」と求められた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二=聖書の翻訳は「聖書協会・共同訳」を使用)

 

2024年5月8日

☩「5月はロザリオの月、聖地、ウクライナ、ミャンマーに平和が来るよう、聖母マリアに執り成しを願おう」

File photo of Pope Francis praying the RosaryFile photo of Pope Francis praying the Rosary  (AFP or licensors)
2024年5月8日

☩「主との友情を育み、皆で分かち合おう」教皇、 Regina Coeli の説教で

(2024.5.5 Vatican News  Thaddeus Jones)

 教皇フランシスコは5日、復活節第6主日のRegina Coeliの祈りに先立つ説教で、この日のミサで読まれた福音を取り上げ、イエスが使徒たちに語られた言葉-「私はもはや、あなたがたを僕とは呼ばない… 友と呼ぶ」(ヨハネ福音書15章15節)を引用して「主との友情を育み、それを分かち合うように」勧められた。また、先月末から続いているブラジルの洪水の被害者のために、そして理不尽な戦争に苦しめられ続けているウクライナや、パレスチナ、イスラエルで対話を通じて速やかに和平が実現するよう祈られた。

 説教で教皇は、この日読まれたヨハネ福音書で、イエスが使徒たちに「私はもはや、あなたがたを僕とは呼ばない… 友と呼ぶ」と言われたことを取り上げ、聖書に登場する モーセ、ダビデ王、預言者エリヤ、聖母マリアを思い起しながら、神が誰に宝を置いているかに注意を向け、さらに、「イエスがいかに私たちに対して、神と友情を結ぶことを望んでおられるか」を説明された。

*友情の素晴らしさ

 「友情の経験は、おそらく私たちが玩具や最も貴重な贈り物を友人と共有する幼少期に始まり、十代の頃に友人に打ち明けて忠誠を捧げ、そして大人になってお互いの重荷や思い出を分かち合うときに、人生の物語となる」と話された教皇は、「友人たちのことを思い起し、彼らについて主に感謝するように」と勧められた。

*友情は嵐を乗り越える

 そして、「本当の友情は、私たち共通の人間性を認識するものであり、計算や強制の結果ではなく、裏切りに直面しても崩れることはありません」とされ、箴言の「友はどのような時でも愛してくれる」(17章17節)を引用し、「真の友人は、間違いがあっても、見捨てず、正し、叱責するだけでなく、赦すのです」と説かれた。

*あらゆる期待を超えて

 また教皇は、今日の福音でイエスが、私たちをどれほど神の友であるかを語られ、「私たちを、あらゆる功績や期待を超えて、心から愛されており、手を差し伸べ、愛、恵み、御言葉を差し出し、ご自身にとって最も大切なもの、そのすべてを分かち合っている者とされていること」を、父から聞いて語っておられる、と指摘。「主は、私たちの手に御身を委ねてくださいます。それは、主が私たちを愛しておられ、私たちの善を望んでおられ、私たちがその恩恵にあずかれることを望んでおられるからです」と強調された。

 そのうえで教皇は、「私たちが自分の生活の中で、主をどのように見ているか」を考えるよう勧められ、私たちに対する神の無限の愛を受け入れ、それを自分の人生の中で兄弟姉妹、特に間違いを犯して赦しを必要としている人たちと分かち合うことができるように、私たちを御子との友情を育むのを助けてくださるように、聖母マリアに願われた。

*ユリウス暦の復活祭を祝う東方教会へ

 さらに、教皇は、ユリウス暦に従って復活祭を祝う正教会と東方カトリック教会に祝福の言葉を捧げ、「復活の主が、すべての地域社会を喜びと平和で満たし、逆境に直面している人々を慰めてくださいますように」と祈られた。

苦しみと世界平和への祈り

 Regina Coeliの祈りに続いて、教皇は、 大規模な洪水に見舞われたブラジル最南端のリオグランデ・ド・スル州に思いを向け、犠牲となった人々の魂の安らぎと、その家族や家を追われた人々に対する主の慰めを祈られた。

 さらに戦乱が続く世界の国や地域、特にパレスチナとイスラエル、そして、「苦悩のウクライナ」の平和のために祈り続けるよう、世界の人々に呼びかけられ、「戦争にノー、対話にはイエス!」と強調。和平が速やかに実現するように、対話が進み良い実を結ぶよう祈られた。。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2024年5月6日

☩「あらゆる償いは、自分の罪を認めることから始まる」-(性的虐待という)取り返しのつかない行為への対応を話し合う国際会議で

Pope Francis addressing participants in the International conference“Repairing the irreparable” in the Clementine HallPope Francis addressing participants in the International conference“Repairing the irreparable” in the Clementine Hall  (Vatican Media)

 

「教会が、虐待被害者を経済的、法的なレベルで支援するのは当然だが、精神面での償いも必要」と会議主催者

(2024.5.2 LaCroix  Gilles Donada

 教会における性的虐待がもたらした危機に対する適切な霊的対応とは何か?  これが、ローマで開かれた国際会議「修復不可能なものの修復」会議で提起された問題だ。

 この国際会議を企画・主催したフランスのエティエンヌ・カーン神父が会議の目的について、LaCroix に語った。神父は、「教会は、性的虐待がもたらした危機による霊的影響に対応し、必要な償いに取り組む必要がある。被害者を支援し、深く動揺したキリスト教共同体の間で信仰を回復する必要性を改めて確認することにある」と強調。

 「被害者の声に耳を傾け、心理的、経済的、法的なレベルで支援することは絶対に必要ですが、それだけでは十分ではない。被害者の中には、精神的にも傷を負っている人がおり、明らかに精神的な償いの側面を尊重するよう教会に求めている人もいます」と述べた。

 エティエンヌ・カーン神父はインタビューでラ・クロワのジル・ドナダに語り、会議の目的について語った。

 ローマで5月1日から5日まで開催された会議の参加者たちは、カトリック教会における性的虐待に対する適切な霊的対応と賠償について考えている。 教会における虐待の危機に対する適切な霊的対応とは何でしょうか? 会議で提起された質問です。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2024年5月5日

☩「あなたがたの努力と奉仕なしでは、教会は前に進めない」ー「シノドスのための小教区主任司祭」国際会議で

教皇フランシスコ 小教区主任司祭の国際ミーティング参加者と 2024年5月2日 バチカン・シノドスホール教皇フランシスコ、小教区主任司祭の国際ミーティング参加者とバチカン・シノドスホールで  (Vatican Media)

(2024.5.2 バチカン放送日本語版)

 教皇フランシスコは2日、バチカン主催の「シノドスのための小教区主任司祭」国際会議の参加者たちとお会いになった。

 会議は、教皇が主導して2021年から世界の小教区レベルから始められ、昨年10月の世界代表司教会議(シノドス)第16回通常総会・第1会期を迎えた”シノドスの道”の当面の仕上げとなる今年10月の同総会第2会期への準備の一環として開かれた。

 世界各国のカトリック教会から選ばれた小教区主任司祭300名が参加した会議は、4月29日から5月2日まで、ローマ郊外サクロファーノを会場に、傾聴と、祈り、識別の体験を共にし、最終日の2日、バチカンのシノドスホールで、教皇と会見した。

 教皇はこの席で、司祭たちと対話された後、書簡を発表され、その中でまず、「小教区の主任司祭たちの努力と奉仕なしには、教会は前に進むことができません」と念を押されたうえで、世界のあらゆる場所に福音の種を蒔く、司祭たちの日々の働きに深く感謝された。

 そして、「人口の多い大都会の郊外から、人口の少ない地方に至るまで、また欧州の都市中心部に見られるような高齢者の多い古い教会から、自然豊かで子どもたちの声が響く場所に至るまで、司祭たちが働く小教区の環境は様々ですが、皆さんは、ご自分の小教区が置かれた環境と人々の暮らし、その苦労や喜び、必要や豊かさを内側から知っておられる。シノダル(共働的)な教会は、共に歩むことを学ぶために、まさにあなたがたを必要としているのです」と強調。

 「小教区共同体のすべての信者たちが『福音を告げる』という唯一のミッションに参加しないなら、私たちは共に歩む宣教的な教会には決してなれません。小教区がシノダルで宣教的な性格を持たないなら、『教会』とは言えません」と言明された。

 

 

*「共に歩む宣教的教会の築き手」となるための三つの助言

 

 そのうえで、教皇はこの書簡で、小教区の主任司祭たちが「共に歩む宣教的教会の築き手」となるために、司祭生活と司牧活動に霊感を与える三つの助言をされた。

 一つ目は、「小教区の信者一人ひとりに与えられた様々な形の固有のカリスマを見出し、励まし、活かすこと」。それは、「人間的な現実世界を福音宣教する上で不可欠」とされた。

 二つ目は、「共同体的な識別の技術を習得し実践すること」。特に、現在歩んでいる”シノドスの道”で、そしてシノドス総会・第1会期でも、大いに役立った「聖霊における会話」を活かすよう促された。

 そして、最後に、「司祭間の、あるいは自分たちの司教との分かち合いと兄弟愛に、すべての基礎を据えること」。「何よりも自分たちが子となり、兄弟とならなければ、人々の真の父となることができず、司祭たちや司教との間に交わりや分かち合いがなければ、自分たちに託された共同体でそれを生み出すことができません」と説かれた。

 教皇は、国際会議「シノドスのための教区司祭」に参加した人々を、まず彼ら自身の間で、そして帰国後は仲間の教区司祭たちとともにシノドリティの宣教師となるよう招待した。 教区評議会などの聖体拝領の構造だけでなく、他の多くの分野でも同様に多くの良い実が結ばれている」と氏は語った。

 

 最後に教皇は、この会議に参加した主任司祭たちに、まず自分自身が、そして、それぞれの国に戻って、仲間の教区司祭たちとともに、「シノダルな宣教師」となり、小教区にとどまらず、多くの場でよい実が結ばれるように努めることを求められ、また、世界の司教はじめ教会指導者たちに、今回の会議にとどまらず、これからも小教区の司祭たちの声に耳を傾け続けることを強く求められた。

(編集「カトリック・あい」)

2024年5月3日

◎教皇連続講話「悪徳と美徳」⑱「信仰」はキリスト教徒の人生で最初の賜物

(2024.5.1  Vatican News  Christopher Wells)

   教皇フランシスコは1日の水曜恒例一般謁見で、「悪徳と美徳」をテーマにして連続講話を続けられ、今回は「theological virtues=対神徳(神学的な徳目)の最初のものである信仰」、人間が自由に神に身を捧げる行為である「信仰」について語られた。

 講話で教皇はまず、「3つの対神徳がなければ、私たちは暗闇でも見える目を持たず、愛されていなくても愛する心も持たず、あらゆる希望に立ち向かう希望も持たないだでしょう」と述べたうえで、アブラハムの例を取り上げ、「アブラハムは、神の命令により故郷を離れ、新天地へ向かい、神への信頼ゆえに息子イサクを喜んで犠牲にしようとしました」とされた。

 そして次に、モーセも信仰の人であり、「しっかりと立って主を信頼し、しばしば信仰を欠いた人々を擁護し続けました」と語られ、さらに、聖母マリアを取り上げて、「マリアは、天使のお告げに『私は主のはしためです』と謙虚に答え、神への信頼に心が満たされて、歩むべき道も、危険も知らずに旅を始めたのです」と語られた。

 また教皇は、「キリスト教徒を形成するのは、信仰です… キリスト教徒にとって重要なのは、(キリスト教の)文化を受け入れることではなく、神との関係を築くことです」と語られた。

 さらに、イエスがガリラヤ湖の嵐を静めたという福音書の記述を思い起こしながら、その時に弟子たちが味わった恐怖を強調され、「信仰の敵は理性や知性ではなく、恐怖です」と指摘。

 これが、「信仰こそ、キリスト教徒が人生で最初に歓迎すべき贈り物であり、子供たちが洗礼を受けるときに、親たちが、彼らのために求める贈り物である理由です」と述べられ、「親たちは、子供たちのために望んでいた贈り物を受け取ったことに気づき、『子供たちは、たとえ人生で試練に遭っても、恐怖に溺れることはない』ことを理解するのです」と語られた。

 講話の最後に教皇は、「誰もが信仰を持っているわけではなく、キリスト教徒であっても信仰が不足している場合があること」を認めたうえで、「信仰は、最も幸せな賜物であり、私たちが、うらやむことを許される唯一の美徳。それは、信仰が、私たちの中に恵みを引き起こし、神の神秘に心を開くからです」と説かれ、「ですから、私たちも弟子たちと同じように、主に向かって繰り返し、このように願いましょう―『主よ、私たちの信仰を増してください!』(ルカ福音書17章5節)」と信者たちに促された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2024年5月1日

☩「兵器産業は死から利益を得ている」と教皇が強く批判

A woman walks amongst the rubble in Rafah, PalestineA woman walks amongst the rubble in Rafah, Palestine  (AFP or licensors

(2024.5.1 Vatican News   Francesca Merlo)

教皇フランシスコは「聖母マリアの月」の初日、労働者聖ヨセフの祝日である1日の正午の祈りで、世界中の戦争で犠牲になっている人々に思いを寄せ、ウクライナ、パレスチナ、イスラエル、ミャンマーの犠牲者のために祈り、「戦争で最も利益をもたらす投資先は、兵器産業に関連したものになっている」と強く批判された。

特に教皇は、「現在、とても苦しんでいる」ウクライナのために、またパレスチナとイスラエルに住むすべての人々のために祈るよう求められ、ミャンマーのロヒンギャ難民にも思いを寄せられて、「平和を求めましょう。これらの人々と全世界に真の平和を求めましょう」と呼びかけられた。

そして最後に、残念なことに「今日、最も多くの収入を生み出す投資先は兵器工場です」と出席者全員に改めて注意を喚起され、「 死から利益を得ることは、ひどいことだ」とは繰り返された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2024年5月1日

☩「ベネチアは、友愛と”共通の家”への配慮のしるしとなることが求められている」聖マルコ広場での1万人ミサで

Pope Francis delivers his homily at Mass in St. Mark's SquarePope Francis delivers his homily at Mass in St. Mark’s Square  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)

(2024.4.28  Vatican News  Linda Bordoni)

 ベネチア訪問中の教皇フランシスコは28日午前11時から、聖マルコ広場に参集した約1万500人の信者と共にミサを捧げられ、説教で「(主の賜物の)素晴らしさは、すべての人が手に入れられるものでなければなりません」とされ、出会い、包摂、そして私たちの”共通の家”、地球への配慮を呼び掛けられた。

 説教で教皇はまず、「ベネチアは、最後の人から始めて全て人が利用できる素晴らしさのしるし、友愛と私たちの”共通の家”への配慮のしるしとなるよう求められています」と語られ、「私たちは、キリストに結ばれ続けることによってのみ、福音の果実を私たちの日々の暮らしにもたらすことができます。その果実とは、 私たちの環境と人類の遺産を守るために慎重に選択された正義と平和の果実、連帯と相互配慮の果実です」と説かれた。

 そして、「私たちは、キリスト教徒の共同体、近隣の地域、都市が他者を心から迎え、受け入れ、もてなす場になるように努める必要があります」と付け加えられた。

 また教皇は、ミサで読まれたヨハネ福音書(15章1-8節)でイエスが、ご自身をぶどうの木、弟子たちをその枝だ、とされ、「あなたがたが私に繋がっており、私の言葉があなたがたの内にいつもあるなら、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。あなたがたが豊かに実を結ぶ」と語っておられることを取り上げ、「主との繋がりを決して断ち切らないように… ぶどう畑が良い実を結ぶために熱心な手入れが必要であるのと同じように、私たちの人生も神の愛の樹液によって養われて実りあるものとなるのです」と強調された。

*イエスと繋がることで、私たちは自由になる

 教皇はさらに、ワイン生産に関わるベネチアの物理的および歴史的な活動は「島々や街の路地にある庭にあるたくさんのぶどう畑」を思い起こされ、 「ぶどうの木と枝のたとえ話のメッセージを理解するのは難しいことではない。イエスへの信仰、イエスとの絆は、私たちの自由な活動を阻害するものではありません。それどころか、私たちは、神の愛の樹液を受け取ることができ、私たちの喜びを倍増させ、熟練したワイン醸造業者のように私たちの世話をし、たとえ私たちの生活の土壌が乾いても芽が出るようにしてくれます」と語られた。

 そして、このことは、「世界で最も美しい場所の一つとして、独特の景観を持つ、水上に築かれたこの都市を思い浮かべながら考えることもできます… ベネチアは、そこにある海と一体です。 自然環境への配慮と保護がなければ、存在しなくなる可能性すらあります。このようなベネチアと同じように、私たちの人生も、神の愛の泉に永遠に浸かっているのです」と教皇は述べた。

*行動するの中で成長する

 また教皇は、今回のベネチア訪問のテーマ「キリストとの一致を保つ」に言及され、「これは、キリストとの繋がりで成長し、キリストと対話し、神の言葉を受け入れ、神の王国へのキリストの道を歩むことを意味します」と説明され、「それは私たちに継続的な成長、関与、そして行動を求めます。『 主のうちに留まる』ということは、弟子としての旅に出ることであり、そこで私たちは主の教えを受け入れ、主の愛を体現し、地域社会で正義、平和、連帯の実を結ぶのです」と強調。

 そのうえで、ベネチアの独特の素晴らしさを守り、育てるために、教皇は、ベネチアの信者たちに緊急の行動を提起され、「 気候変動や環境悪化から社会の分断や文化の浸食に至るまで、ベネチアが直面する多くの課題」の解決に向けて、「環境と人類の遺産を保存するための慎重な選択」を求められて、説教を締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2024年4月29日

☩「スマホをやめて、他の人たちに注意を向けよう」ベネチアでの若者たちとの集いで

Pope Francis speaks to young people in Venice

(2024.4.28 Vatican News  Devin Watkins)

    教皇フランシスコは28日朝、ベネチアのサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会(通称:サルーテ聖堂)前の広場で若者たちとの集いを持たれた。

 ベネチアで最初の訪問先となったジュデッカ島から船で広場に入られた教皇はあいさつで、「私たちは皆、神の愛される子供たちという偉大な賜物を受けており、神の喜びを他の人たちと分かち合うよう招かれています。孤独や誤解について不平を言うのではなく、どうすれば他の人を助けることができるかを考え、自分自身を他の人への贈り物にするように」と集まった約1500人の若者たちに呼び掛けられた。

*受胎告知を受けて聖母マリアがとった行動は「立ち上がって」「行く」

 あいさつで教皇は、「私たちが今日ここに集まったのは、主にあって私たちの美しさを再発見し、『若者を愛し、常に私たちを驚かせてくださる若々しい神』であるイエスの御名において喜ぶためです」とされたうえで、聖母マリアが神の母になると聞かされてすぐにとった二つの行動、「立ち上がって」「行った」(ルカ福音書1章39節参照)を取り上げ、「立ち上がってください、私たちは天国のために作られているのですから。 悲しみから立ち上がり、視線を上に上げてください。 ソファに座るのではなく、立ち上がって自分の人生の前に立ってください」と促された。

 そして、「立ち上がる」について、「毎朝、起きて、私たち一人ひとりが最初にすべきことは、小さな祈りを唱え、人生の賜物を神に感謝することです―神よ、私を自分の人生に夢中にさせてください。あなたは私の人生そのものです、と」と語られた。

 また教皇は、若者たちが世界を灰色に変える「抑圧的な惰性」と戦わなければならないことを認めたうえで、「主に私たちの手を取っていただけますように。主はご自分を信頼する人たちを決して失望させず、常に心を高めて赦してくださるからです」とされ、「私たちがつまずいたり間違いを犯したりしても、神は、私たちを『罰すべき悪人』としてではなく、『立ち上がらせるべき子供』と見ておられる。神は父として、私たちを迎えに来てくださるのです」と説かれた。

*スマホではなく他の人たちを見、テレビを消して福音書を開こう

 教皇はさらに、「私たちが眠りや罪から立ち上がった後は、忍耐の美徳によってイエスのうちに留まる必要があります。キリスト教徒は、一時的な感情や一時的な満足感に頼って生きるのではなく、ミサで共同体の中で祈ることによって、信仰と愛において共に耐え忍ぶよう求められています」とされた。

 そして、「あなたはこう言うかもしれません―『私の周りでは、皆が自分の携帯電話を持ち、ソーシャルメディアやビデオゲームに釘付けになっています』と。それでも、恐れることなく、流れに逆らわねばなりません。人生を自分の手に取り、関わってください。 テレビを消して福音書を開いてください。 携帯電話をやめて、人々と出会うようにして!」と強く求められた。

 さらに「ベネチアの運河を行き来するゴンドラのように、あなたがた若者は神の助けに任せ、流れに逆らって漕ぐべきです…。たとえその道が困難であっても、忍耐は報酬をもたらします」と説かれた。

*私たちは他の人たちへの贈り物だ

 次に教皇は、マリアの行動を表す2番目の動詞「行く」に目を向けられ、「『立ち上がる』ことが『自分自身を贈り物として喜んで受け入れる』ことなら、『行く』ことは『自分自身を贈り物にする』ことを意味します」とされ、 「もし人生が贈り物だとしたら、私は他人のために自分を捧げて生きるよう求められている、と言えます」と述べられた。

 続いて、教皇は、若者たちに、ご自分の創造に参加するように、という神の呼びかけを受け入れるよう求められ、「主の創造は、私たち自身が美の創造者となり、これまで存在しなかったものを創造するよう促しています… 人生は管理されることではなく、与えられることを求められます。 私たちは魂を麻痺させるソーシャルメディアの催眠術のような世界から抜け出さなければなりません」と強調された。

*人生の街路を福音で彩ろう

 

あいさつの最後に、教皇は若者たちに対し、心からの簡単な祈りを作り、「報われない人への愛のしぐさ」を捧げるよう促され、「神に心を開き、神に感謝し、自分がいただいた素晴らしさを受け入れてください。 自分の人生を好きになってください」とされたうえで、こう締めくくられた― 「では、行きましょう! 外に出て、他の人たちと一緒に歩きましょう。 孤独な人を探し、あなたの創造力で世界を彩り、福音で街路を彩ってください。立ち上がって、行きなさい!」

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2024年4月29日

☩教皇・ベネチア訪問ー「今こそ、恵みの時、今こそ救いの日、今から再出発しよう」-ジュデッカ島の女子刑務所で

 教皇フランシスコは28日朝からイタリア北部ベネチアを司牧訪問された。

 今回の訪問は、「第60回ベネチア・ビエンナーレ国際美術展」のバチカン館を訪れ、会場のジュデッカ島の女子刑務所で受刑者やアーティストたちと集いを持つとともに、若者たちとの集いやミサを通して、ベネト地域の教会を信仰面から励ますことを目的としている。

 訪問の最初にジュデッカ島の女子刑務所の受刑者たちとお会いになり、参加した受刑者をはじめ刑務官、ボランティアに対して、愛情を込めた挨拶をおくられ、「今回のベネチア訪問でまず初めにこちらを訪れたのは、私の心の中で皆さんの存在が特別な位置を占めているからです」と強調。この出会いが、「神の恵みのもとに、互いに時間と祈りと兄弟的な愛情を与え合う出会いの時となること」を希望された。

 さらに、この刑務所が、「過密な収容状況や、設備や予算の不足、暴力の発生など、多くの苦しみに満ちた厳しい現実を抱える一方で、相互の尊重と、それぞれの才能や能力を育てる配慮を通して心身の再生を可能にする場所でもあります」と指摘。この刑務所を会場にして行われ、受刑者たちも関わっている美術展のように、「自分や他者の思いがけない素晴らしさを再発見することで、刑務所生活を、勇気を持って自己を見直し、未来の計画を立て、忍耐強く再出発への基礎を一緒に築くきっかけとすることができます」と励まされた。

 また、職員や刑務官たちに「そうするためにも、刑務所のシステムは、受刑者たちに、人間的・精神的・文化的・職業的な成長の機会を提供する必要があります」と希望され、「尊厳を閉じ込めるのではなく、新しい可能性を与える」ことの重要性を説かれた。

 あいさつの最後に教皇は、「私たちの誰もが、赦され、癒されるべき過ちを持ち、誰もが、癒しをもたらす癒された者に、赦しをもたらす赦された者に、再生をもたらす再生された者になることができるのです」と述べられ、「今日、未来への信頼を、皆で共に新たにしましょう。『今こそ、恵みの時、今こそ救いの日』(コリントの信徒への手紙2・6章2節)と声をあげながら、一生を通して、日々、今から再出発しましょう」と呼びかけられた。

(編集「カトリック・あい」)

 

2024年4月28日