☩ロシアのウクライナ侵攻から1000日ー「全人類にとって恥ずべき災いをもたらしている、平和のために働き続けよう」と教皇

ウクライナ侵攻から1000日をしるすキャンドル 2024年11月19日 ウクライナ・キーウウクライナ侵攻から1000日をしるすキャンドル 2024年11月19日 ウクライナ・キーウ  (ANSA)

(2024.11.20 Vatican News   Joseph Tulloch )

 教皇フランシスコは20日の水曜恒例の一般謁見で、前日、ウクライナへの侵攻から1000日を迎えたのを受け、今も続くウクライナの人々の苦しみを振り返り、謁見に参加したウクライナのオレナ・ゼレンスカ大統領夫人を激励。

 ウクライナの大学生から寄せられ手紙を読み上げ、「この日は、侵攻がもたらした犠牲者と破壊、同時に全人類にとって恥ずべき災いを思い起こさせる」とされ、「私たちは、苦しむウクライナの人々と共に立ち、平和のために働くことを思いとどまってはならない… ウクライナの人々に寄り添い、平和を祈り求め、武力が対話に、対立が出会いに場を譲るように、働き続けなくてはなりません」と訴えられた。

*ウクライナの大学生の手紙を読み上げー「苦しみだけでなく、信仰の証しを」

 教皇が読み上げられたウクライナの大学生からの手紙は、冒頭で、「水曜日(一般謁見の日)、全世界に向けて、この恐ろしい戦争が1000日目を迎えたことを話す機会があるでしょう。どうかその時に、私たちの苦しみだけでなく、私たちの信仰の証しについても語ってください」と希望を述べた。

 そして、「たとえ、つたない信仰でも、その価値は変わりません。それは復活されたキリストを痛ましい筆遣いで描くものです」とし、「ここ数日、自分の人生であまりにも多くの死を見ました。『逃げたい』『母の腕に抱かれた子どもに戻りたい』『沈黙と愛の中にいたい』と正直に思いました。しかし、この苦しみの中で、より多くの愛を学べることを、神に感謝したいと思います」と語っている。

 最後に「苦しみが痛みを伴うのは、愛があるからです。ですから、私たちの苦しみを、1000日の苦しみを話される時、どうか1000日の愛についても話してください。なぜなら、ただ愛と信仰と希望だけが、この傷に真の意味を与えるからです」と訴えている。

 教皇はこのウクライナの若者の手紙を紹介することを通して、皆と平和への思いを分かち合われた。

(編集「カトリック・あい」)

2024年11月21日

☩「”ジェノサイド”と言われるガザで起きていることの調査を求める」-教皇、新刊書『希望は欺かない…』で

パレスチナ・ガザ地区北部から上がる煙 2024年11月17日パレスチナ・ガザ地区北部から上がる煙 2024年11月17日 

(2024.11.17  Vatican News)

    2025年の聖年を前に、教皇フランシスコの新刊『希望はあざむかない。より良い世界を目指す巡礼者たち(仮訳)』が19日にイタリア、スペインと中南米諸国で、追って他の国々でも出版される。

 原題を「La speranza non delude mai. Pellegrini verso un mondo migliore」(Edizioni Piemme刊)とするこの本の中で、教皇は戦争の避難民の状況について語りながら、パレスチナの飢餓について触れ、特にガザの状況について、”ジェノサイド”とされている実態を調査するよう希望されている。

 この本で、教皇は戦争の避難民たちの受け入れについて語りながら、「中東において、ヨルダンやレバノンのように扉を開いた国々は、地域の紛争から逃れる無数の人々の救いであり続けている」とされ、「私は特に、飢餓が広がる中でガザを離れる人々を思う。この飢餓は、彼らの領土に食料や援助をもたらすことが難しい状況に直面する中で、パレスチナの兄弟姉妹たちを襲った」と述べた。

 そして、教皇は「ある専門家たちによれば、ガザで起きていることは、”ジェノサイド”の特徴を持っているという。それが法学者と国際組織が主張している専門的な定義に当てはまるかどうか、注意深く調査する必要があるだろう」と続けている。

2024年11月18日

☩「キリストの弟子の務めは、希望を目に見える形にすること。”無害な信心”に陥るな」教皇、『貧しい人々のための世界祈願日』ミサで

Pope Francis presides over Holy Mass for World Day of the PoorPope Francis presides over Holy Mass for World Day of the Poor  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)

*ソーシャルメディアが恐怖や不安を拡大する世界に警告

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2024年11月17日

☩「私たちは軌道修正する人的・技術的な資源を持っている、もはや無関心でいる時間はない」教皇、COP29にメッセージ

教皇フランシスコ、第29回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP29)にメッセージ

(2024.11.14  バチカン放送)

 教皇フランシスコは、アゼルバイジャンの首都バクーで開かれている第29回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP29)に、ピエトロ・パロリン国務長官による会場での代読の形でメッセージを送られた。

 この中で、会議参加者たちに精神的な寄り添いを表された教皇は、「この会議が、自らの利益に固執する態度を超えた視点を持ち、人類のための善と、神が私たちに世話と責任を委ねられた『共に暮らす家』を中心に置くことができるように」と願われた。

 そして、「被造物の保護が今日の最も急務の課題の一つであり、もはやこれ以上の遅れは許されないことを、科学的データは明らかに示しています」と訴えられた。

 また教皇は、「環境保全が、平和の維持と緊密に結びついている事実」を認識するように求められた。

 さらに、「多国間の機関への失望と、壁を築く風潮が高まる中でこのCOP29が開かれたこと」に触れ、「互いに繋がった同じ地球村の唯一の家族の一員として行動、生活すべきであるにもかかわらず、個人、国家、権力集団のエゴイズムが不信と分裂を煽っている」と今の世界の現状を深く憂慮された。

 そのうえで、教皇は「社会のグローバル化によって、私たちは互いに近づきましたが、兄弟になることはなく、経済発展によって、不平等が解消されることもありませんでした」と指摘。「最も弱い立場の人々の保護を犠牲にしながら、一部の利益や関心が優先され、環境問題の悪化が加速している現状」に改めて注意を向けられ、このような中で、豊かな国々に対し、返済が不可能と思われる国々の債務を放棄するように、と2025年の聖年を前にしたアピールをここでも改めて繰り返された。

 そして、「軌道を修正し、真に人間的で包括的な統合的発展のサイクルを追求するための、人的・技術的資源を私たちは持っています… 軌道修正はいつでも可能であり、問題解決のためにいつでも何かできる… 人類の能力に希望を見出すべきです」と強調。「今、無関心でいる時間はありません。『自分は関係ない』とこの問題から距離を置き、構わないでいることはできません。これは、まさに今世紀の課題なのです」と訴えられた。

(編集「カトリック・あい」)

2024年11月16日

☩「『共通善」を政治的な意思決定の指針とする経済理論が必要だ」教皇、バチカン生命科学アカデミーの会合へメッセージ

Pope Francis writingPope Francis writing 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2024年11月15日

◎教皇連続講話「聖霊について」⑫「聖霊の息吹に従順であることをマリアから学ぼう」

 

教皇フランシスコ 2024年11月13日の一般謁見 バチカン・聖ペトロ広場教皇フランシスコ 2024年11月13日の一般謁見 バチカン・聖ペトロ広場  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)

 教皇フランシスコは13日の水曜恒例一般謁見で、「聖霊について」の連続講話を続けられ、今回は「生ける神の霊によって書かれた手紙:マリアと聖霊」をテーマに話された。

講話の要旨は次のとおり。

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 御言葉、秘跡、祈りなど、聖霊が教会において聖化の業を行う様々な手段の中に、一つの特別な方法、「マリアへの信心」があります。

 カトリック教会の伝統には、「マリアを通してイエスへ」という言葉があり、マリアは私たちをイエスに会わせてくださる。そして、いつも扉を開けてくださる。マリアは私たちの手を取り、イエスのもとに導いて下さるお母さんです。聖母はご自身を示すことなく、イエスを示されます。「聖母の手を通してイエスへ」-これが聖母への信心です。

 聖パウロは、キリスト教共同体を「キリストが私たちを用いてお書きになった手紙であって、墨ではなく、生ける神の霊によって、石の板ではなく、人の心の板に記されたもの」(コリントの信徒への手紙2・3章3節)と表現しています。

 マリアも、イエスの最初の弟子、教会の象徴として、生ける神の霊によって書かれた手紙です。それゆえに、聖母は「すべての人から知られ、読まれる」(コリントの信徒への手紙2‣3章2節参照)存在と言えます。聖母は、神学の本を読まない人も、神が御国の神秘を啓示される「幼子のような者」( マタイ福音書11章25節)も読むことができる手紙なのです。

 マリアは、天使のお告げに「お言葉どおり、この身に成りますように」」と答え、イエスの母となることを受け入れました。マリアの「はい」という言葉は、「私は、主がお望みのように書かれるための、一枚の板です」と神に答えているかのようです。ある聖書学者は、マリアの天使に対する「はい」という返事は、「神の御前におけるあらゆる宗教的態度の中で、頂点をなすものである」(H. Schürmann, Das Lukasevangelium)と述べています。

 マリアは、神の母として、聖霊の聖化の業における道具となりました。神、教会、聖性について話し、記した、とどまることなくあふれる言葉の中で、マリアはいかなる状況でも口にすることができる、単純な二つの言葉を教えてくれます。それは、「私はここにおります」と、「はい」という言葉です。主に「はい」と答えたマリアの模範と取り次ぎは、従順さが求められる状況や、超えるべき試練を前に、私たちも「はい」と主に答えることができるように励ましてくれるのです。

 教会の歴史のすべての時代において、そして特に今日、教会は、イエスの昇天後にキリスト教共同体が置かれた状況を体験しています。それは、「すべての人に福音を告げる」という使命を前に、「高きからの力」を待っている状態です。使徒言行録にあるように、その時、弟子たちが「イエスの母マリア」(使徒言行録1章14節)のまわりに集っていたことを忘れてはなりません。マリアと一緒に他の婦人たちがいたことは確かですが、マリアの存在は、その中でも唯一、特別でした。

 マリアと聖霊は、キリストご自身という、唯一にして永遠の絆で結ばれています。私たちが「使徒信条」で唱えるように、「主は聖霊によってやどり、おとめマリアから生まれた」からです。福音記者ルカは、お告げの時にマリアに訪れる聖霊と、聖霊降臨の際に弟子たちに降る聖霊の一致を意図的に強調し、それぞれの場面でいくつかの同じ表現を用いています。

 アッシジの聖フランシスコは、ある祈りの中で、「王なる天の御父の娘にして、仕え女、至聖なる主イエス・キリストの御母、聖霊の花嫁」と乙女マリアを呼び、挨拶をおくっています。御父の娘、御子の母、聖霊の花嫁、マリアと三位一体の唯一無二の関係を、これ以上に単純な言葉で言い表すことができるだでしょうか。

 すべてのイメージと同様に、この「聖霊の花嫁」のイメージも絶対化することなく、そこにある真理、非常に美しい、その真理を通して理解すべきです。マリアは花嫁ですが、それより先に聖霊の弟子-マリアは花嫁にして弟子なのです。

 聖霊が与える息吹に従順であることをマリアから学びましょう。天使が去った後、マリアがすぐに「出かけて、急いで行った」(ルカ福音書1章39節参照)ように、マリアは「あなたがたも、助けを必要とする人のところへ出かけて行くように」と勧めています。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二=聖書の日本語訳は「聖書協会・共同訳」を使用)

2024年11月14日

☩「優しさをもって仕え、偽善を避けよ」教皇、年間第32主日の正午の祈りで

(2024.11.10‐ Vatican News  Deborah Castellano Lubov)

 

2024年11月10日

☩「 希望はキリスト者にとって『恵み』と同時に『務め』」「信仰とは『巡礼』だという自覚を」-「希望」「信仰=旅」テーマに教皇の2冊の選集

(2024,11,6  バチカン放送)

 12月24日に始まる「希望の巡礼」の聖年を前に6日、「希望」と「旅としての信仰」をテーマにした2冊の教皇フランシスコの講話集が、バチカン出版局から発刊された。2冊はそれぞれ、「希望」と「信仰=旅」というテーマに沿って、教皇の説教や講話等から選ばれた言葉が集められており、教皇はそれぞれの本に序文を書かれている。

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教皇フランシスコの選集『希望は夜の光』(バチカン出版局) 教皇は、『希望は夜の光』の序文で、希望とはすべてのキリスト者にとって「恵み」であると同時に「務め」である、とされ 「希望が『恵み』であるのは、神が与えてくださるものだからです… 希望とは、大学の試験がうまくいくといい、日曜日の遠足が晴れだといい、といった単なる願望ではなく、『神の永遠、無限の愛における救い』という、すでに与えられているものを待ち望む態度なのです」と指摘。

 そして、「この神の愛と救いが、私たちの人生に味わいをもたらし、私たちの罪が引き起こしたあらゆる悪にもかかわらず、世界が存在し続けるための要(かなめ)を形作ります… 『希望する』とは、うかがい知れない天に閉じこもることなく、『私たちの状態を分かち合うために血となり肉となられた神』に愛され、求められ、望まれることの素晴らしさを味わうことなのです」と説かれ、また、「希望とは、『キリスト者が育み、その実りをすべての兄弟姉妹のために役立て、いただいた恵みに忠実に生きるという務め』でもあります」と語られている。

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 もう一つの選集、『信仰は旅』の序文で、教皇は、2025年の聖年では「希望」という本質的な面と共に、「信仰とは巡礼であり、私たちはこの地上の巡礼者でだ」という自覚をはっきり持つことを望まれている。教皇フランシスコの選集『信仰は旅』(バチカン出版局)

 教皇は、「巡礼者とは、旅行者や放浪者のように状況に合わせて移動する存在ではありません… リスク、苦労、目的地というキーワードに表される『歩みを生きる』存在です」とされ、「大昔、旅に出るということは、多くの危険のために、『二度と家に戻れないかもしれない』というリスクを帯びていました。しかしながら、巡礼のために旅立ちを選んだ人たちの信仰は、どんな恐れよりも強かったのです」と指摘。

 そして、「私たちも、そのような信仰のわずか一部でも神に願い、神に信頼し、御旨にゆだねるというリスクを受け入れることを、昔の巡礼者たちから学ぶように、求められているのです… 巡礼の歩みは苦労に満ちています。早く起き、必要な物だけを背負い、簡素な食事をとる。足は痛み、喉の渇きは辛くなる。しかし、歩いて巡礼する人は、出会う人との美しい関係、真の沈黙と内的豊かさ、本質的な価値の理解など、苦労以上のものを得られます」と語られた。

 さらに教皇は、「歩むことには目標がある。歩む人は方向性を持ち、どこに行くかを知っている。神こそが私たちの目的地です… そして、この神を求め続ける歩みこそが、ご自身のなぐさめと恵みを与えるために、神は私たちを待っておられる、という甘美な確信を、私たちにもたらすのです」と強調されている。

(編集「カトリック・あい」)

 

2024年11月7日

☩「教壇を減らし、ヒエラルキーのないテーブルに皆がつき、知識を求め合うスタイルが必要」教皇、グレゴリアン大学で講話

教皇フランシスコ、ローマのグレゴリアン大学で講話 2024年11月5日教皇フランシスコ、ローマのグレゴリアン大学で講話 2024年11月5日  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)

(2024.11.5 バチカン放送)

 教皇フランシスコが5日、ローマの教皇庁立グレゴリアン大学を訪問され、講演された。

 グレゴリアン大学は、イエズス会の創立者の一人で、同会の最初の総長となった聖イグナチオ・デ・ヨヨラが1551年に創始した、コレッジョ・ロマーノを前身とする長い歴史を持つ大学。

 2019年の教皇フランシスコによる同大の再編をめぐる教令を経て、「教皇庁立聖書研究所」と、「教皇庁立東洋研究所」を、その名前を残しながら合併。この二つの研究所と、同大に以前から所属する学部・研究所等からなるアカデミック共同体「コレジウム・マキシムーム」とを合わせて、「グレゴリアン大学」という一つの総体を形作っている。教皇の今回の訪問は、同大の再編完成後、初めて。

 教皇は大学構内のアトリウムで行われた講演で、同大の基礎となったコレッジョ・ロマーノの黎明期、地味な家の扉に「文法学、人文学、キリスト教教理の学校、無料」と書かれていたことに注目。それは、信仰の知識を人間的なものとし、人類に恵みの火花を灯し、学科を超えた研究と教えを育むことへの招きでした、と話された。

 また、この学校の扉に明記されていた「無料」という言葉について、教皇は、無償性は「主人を作らず、すべての人を仕える者とし」、「自由の熱望を解き放ちながら、いつくしみ深い神への驚きに自らを開かせ」、「愛である神の神秘の存在を啓示する」ものであると語った。

 教皇は、「心を失った世界において、こうした神の寄り添い、憐れみ、優しさこそが、誰をも排除せず、すべての人に向かうための常なる最初の一歩となると述べ、そのためにも、差異や混じり合うことを恐れない、人間と民の匂いのする大学が必要とされています」と述べられた。

 そして、「この大学が教会の宣教の道具となるためには、神から来る知識を研究し、それを人類との対話の中で証明し、『自分たちとその他の人々』というアプローチを捨てなければなりません」とも話された。

 教会の学問は長い世紀にわたり上から皆を見下ろしてきたが、それによって多くの過ちを犯した、と語る教皇は、今は謙虚になり、自らの無知と他者の必要性を認める時と述べられ、「今日の複雑な世界にあって、研究には皆の寄与が必要であり、異なるレベルにおいて問題に対応するには、一人の人間の考えだけでは答えを出せません」と語られた。

 そして、「教壇を減らし、ヒエラルキーのないテーブルに皆がつき、歴史の傷に触れながら、知識を求め合うスタイル」を提案され、「それを実現するには、このアカデミックな空間を『一つの心の家』へと変えていく必要があります」と説かれた。

 教皇はこの訪問で、イエズス会関係者とお会いになったほか、同大学の礼拝堂で祈りの時を持たれた。

(編集「カトリック・あい」)

2024年11月7日

◎教皇連続講話「聖霊について」⑫私たちが祈るとき、聖霊が『弁護者』として助けてくれる

(2024.11.6  Vatican News  Deborah Castellano Lubov)

    教皇フランシスコは6日、水曜恒例の一般謁見で「聖霊について」の連続講話を続けられた。今回は「聖霊が私たちの祈りに、どのように応じてくれるか」をテーマに話され、「キリスト教徒の祈りは、電話の一方の端に立つ人間が、もう一方の端にいる神に語りかけるものではありません。そうではなく、私たちの内に祈るのは、神なのです!私たちは、神を通して神に祈るのです」と、聖ペトロ広場に集まった信者たちに説かれた。

 「聖霊について」の連続講話で教皇は、これまでの「秘跡」から、「キリスト教徒の祈り」に重点を移された。「神の言葉と秘跡に加えて、聖霊の働きは祈りで表現されます」とされた教皇は、聖霊はキリスト教徒の祈りの主題であり対象でもあることを指摘、「聖霊は祈りを与える方であり、祈りによって与えられる方でもあります… 私たちは聖霊を受け取るために祈り、真の祈りを捧げるために聖霊を受け取るのです… そのようにして私たちは奴隷としてではなく、神の子として祈るのです」と語られた。

 そのために、教皇は、まず第一に、「聖霊を受け取るために祈らなければなりません」とされ、「この点について、イエスは福音書の中で非常に明確な言葉を残しておられます―『あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は、求める者に聖霊を与えてくださる』(ルカによる福音書11章13節)。私たちの祈りは、神の霊に対して私たちができる唯一の『力』であり、聖霊こそが、私たちに真の祈りの賜物を与えてくださる方なのです」と強調された。

 そして、「確かに、私たちは祈り方を知りません… 確かに、聖霊は私たちの弱さを助けてくれますが、それよりもはるかに重要なことをしてくれます… 聖霊は、私たちが神の子であることを証しし、私たちの唇に『アッバ、父よ!』という叫びを浮かべてくださるのです」と説かれた。

 さらに教皇は、「祈りにおいて、聖霊は、『弁護者』、すなわち私たちの弁護者、擁護者としての役割を明らかにされます… 聖霊は、私たちを父なる神の前に告発するのではなく、私たちを守るのです… たとえ私たちの心が、何かについて自分を責めていても、聖霊は、『神は私たちの心よりも偉大だ』ということを私たちに思い起させます」と述べられた。

 また「聖霊は、私たちのために執り成してくださるだけでなく、兄弟姉妹のためにどのように執り成しをすればよいかを教えてくれる… 聖霊は、私たちに執り成しの祈りを教えてくれるのです」とされ、さらに、「祈りは、最も無償で利他的なものであるため、特に神に喜ばれます…「誰かが皆のために祈るとき、聖アンブローズが指摘したように、誰もが誰かのために祈るようになり、祈りが倍増するのです」と強調された。。

 そして講話の最後に、教皇は、来年の聖年に備えて、「神の計画に従って聖徒のために執り成し、祈る」聖霊と自らを結びつけるように、と信者たちを促された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2024年11月6日

☩「私たちのすべての源は、『神への愛』『隣人への愛」年間第31主日の正午の祈り

“What counts are not the exterior practices,” Pope Francis explained, “but the readiness of heart with which you open yourself to God and to brethren in love.”“What counts are not the exterior practices,” Pope Francis explained, “but the readiness of heart with which you open yourself to God and to brethren in love.”  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)
(2024.11.3 Vatican News   Kielce Gussie)

 

2024年11月4日

☩「対話が武器に取って代われるように」と教皇、戦争否認のイタリア憲法第11条を引用

(2024.11.3  Vatican News   Linda Bordoni)

 教皇フランシスコは3日、世界中を苦しめている紛争の調停による解決を、改めて世界の当事者たちに求めるとともに、スペイン・バレンシア地方を襲った壊滅的洪水の被災者への支援に協力するよう信者たちに呼びかけられた。

 教皇はこの日、世界9か国で紛争や貧困の被害者への支援活動を行っている慈善団体「エマージェンシー」のローマ支部を訪問された際、戦争拒否に関するイタリア憲法第11条を引用し、世界中の戦争当事者たちに対し、対話を開始し、紛争を終わらせるように、求めたもの。同団体が支持するイタリア憲法第11条には「イタリアは、他国民の自由に対する侵害の手段としての戦争、および国際紛争解決の手段としての戦争を否認する」と記されている。

 教皇は「この原則が世界中で適用されるように。戦争を禁止し、法律と交渉によって問題に対処できるように。武器を黙らせ、その代わりに対話を実現しよう。戦争が禁止され、法と交渉によって問題が解決されるように。武器が沈黙し、対話がその代わりとなるように」と呼びかけられ、さらに、信者たちに「苦しむウクライナ、パレスチナ、イスラエル、ミャンマー、南スーダン」のために祈りを捧げるように求められた。

 また、フランシスコ法王は、少なくとも214人が死亡し、数十人が行方不明となっている壊滅的な洪水の被害を受けたバレンシアやスペインの他の地域の人々にも思いを馳せ、「バレンシアや、最近大きな被害を受けているスペインの人々のために、引き続き祈りを捧げましょう」と呼びかけられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2024年11月3日

☩「私たちの人生が、聖性の道となるように」・諸聖人の祭日の正午の祈りで

(2024.11.1 バチカン放送)

  教会の典礼暦で「諸聖人」の祭日を迎えた11月1日、教皇フランシスコはバチカンで正午の祈りを巡礼者と共に唱えられた。 そして、祈りの前に、教皇は、この日の福音朗読箇所、イエスが「真福八端」(マタイ福音書5章1-12a説)の教えを述べる場面を取り上げて、説教をなさった。

 教皇の説教の要旨は次のとおり。

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 諸聖人の祭日を迎えた今日、福音書(マタイ 5章1-12節参照)の中で、イエスは、キリスト者の身分証明書であり、聖性への道である「真福八端」を宣言されています。その中でイエスは、ご自身が人となられることで歩まれた道を、私たちにとって神の贈り物であると同時に、私たちの応答でもある愛の道を示されます。

 この聖性への道が神の贈り物であるのは、聖パウロが言うように、私たちを聖なる者としてくださるのは神だからです(コリントの信徒への手紙1・6章11節参照)。それゆえ、私たちは、聖なる者にしてくださるよう、私たちの心を主の御心に似たものにしてくださるようにと、何よりも主にお願いするのです。

 主がその恵みによって私たちを癒され、愛してくださったように、主は、私たちが愛することを妨げるすべてのものから解放してくださいます(ヨハネ福音書13章34節参照)。こうして、福者カルロ・アクティスの言葉にあるように、私たちの中で、常に「神に場所を譲るために、自分が少なくなっていく」のです。

 そして、これが、二つ目の点、私たちの応答へとつながっていきます。天の御父は、ご自身の聖性を私たちに差し出されながらも、それを押し付けることは、なさいません。主は私たちに聖性の種を蒔かれ、そのすばらしさを見せ、味わわせつつも、私たちの「はい」という返事を待ち、尊重されます。

 主は私たちに、ご自身が与えられる良い霊感に従う自由、主のご計画に加わる自由、主のお気持ちを自分のものにする自由を与えてくださいます。主は、すべての人、全世界に向けて開かれた、より普遍的な愛をもって、他者に仕えることを私たちに教え、それを可能にしてくださるのです。

 私たちは、聖人たちの生涯の中に、今日においても、これらすべてを見出すことができます。例えば、聖マクシミリアン・コルベは、アウシュビッツで、死刑を宣告された一人の父親の身代わりになることを申し出ました。コルカタの聖テレサは、最も貧しい人々に奉仕するために生涯を捧げました。聖オスカル・ロメロ司教は、横暴な者たちの権力の濫用から、最も貧しい人々の権利を守ったために、祭壇で殺されました。

 このほかにも、私たちが祭壇で崇敬する聖人や、私たちが毎日を共にしている「身近な」聖人など、多くの聖人たちの中に、真福八端の精神によって形作られた、貧しく、柔和で、憐れみ深く、義に飢え渇く、平和を実現する兄弟姉妹たちを認めることができます。彼らは「神に満たされた」人々、隣人の必要に無関心でいられない人々、光り輝く道の証し人です。そして、そうすることは、私たちにも可能なのです。

 ここで自分に問いかけてみましょう。祈りの中で、私は神に聖なる人生の賜物を願っているだろうか? 主の霊が私の中にかき立てる、善なる衝動に従っているだろうか? 自分の生活環境の中で、福音の「真福八端」の実践に進んで努力しているだろうか?

 諸聖人の女王、マリアよ、私たちの人生が聖性の道となるよう、どうかお助けください。

(編集「カトリック・あい」)

2024年11月2日

☩「戦争で一番に犠牲になるのは子供たちと家族だ」教皇、一般謁見でイスラエルのガザ、レバノン攻撃を批判

Destruction in Khan YunisDestruction in Khan Yunis  (AFP or licensors)
2024年10月31日

◎教皇連続講話「聖霊について」⑪堅信は「成長」の秘跡、聖霊の賜物の豊かさを受ける

(2024.10.30 Vatican News  Deborah Castellano Lubov)

 教皇フランシスコは10月30日の水曜恒例一般謁見で「聖霊について」の連続講話を続けられ、今回は、堅信の秘跡において若者たちがいかに聖霊と出会う経験をしているかについてお話しになった。

 聖ペトロ広場に集まった信者たちに、教皇は「2025年の聖年を目前にして、私たちが聖霊によって新たにされ、力を与えられ、すべての行いにおいて聖霊の賜物を担いましょう……」と呼びかけられた。

 そして講話では、堅信の秘跡において受ける聖霊の賜物に焦点を当てられ、まず、「新約聖書では、水による洗礼のほかに、もう一つの儀式、すなわち、「聖霊を目に見える形で、カリスマ的な方法で伝える目的を持つ『按手』という儀式が描かれている」とされ、「この儀式は、聖霊降臨の際に使徒たちによって生み出されたものに類似した効果を持つしぐさです」と語られた。

 教皇は、イタリア司教協議会の成人向けカテキズムがこの秘跡について記している 「非常に単純で明確な方法 」を引用する形で 「堅信は、教会全体にとって聖霊降臨がそうであったように、すべての信徒にとってそうである。…それは、洗礼によってキリストと教会に組み込まれ、預言者的、王的、司祭的使命に奉献されることを強めるものです」と述べられ、これを念頭に置いて、「秘跡がいかに聖霊の賜物の豊かさを伝えるか」を強調。

 「洗礼が誕生の秘跡であるなら、堅信は成長の秘跡です。そのため、堅信は証しの秘跡でもあり、それはキリスト者としての成熟と密接に結びついているからです」とされたうえで、堅信を 「最後の儀式」、すなわち 「教会からの『出発』の秘跡 」に 矮小化しないよう警告された。

 さらに、「教会全体の現状を考えると、それは不可能に思えるかも知れない。しかし、それを追求するのをあきらめるべきだ、という意味ではありません」と明言され、「子供であれ大人であれ、堅信を受けた人すべてが、そうなるわけではありませんが、少なくとも、堅信を受けた後、何人かが、教会共同体を生きいきとさせる役割を果たすことが重要です 」と説かれた。そして、「この目的のために、キリストとの個人的な出会いを経験し、聖霊の真の体験をした信徒たちの助けを、秘跡の準備として進んで受け入れることは有用です」と語られた。

 そして、「堅信の秘跡の按手礼によって聖霊の消えない印章を受けることで、私たちが、キリストの真の証人として、信仰を世界に広め、守ることができるようになること」、さらに「堅信によって、洗礼のときに注がれた聖霊の賜物が増し、深まり、私たち、特にこの秘跡を受ける若者たちが、教会の命と使命に積極的に関わるよう促されること」を思い起こされた。

 そして、聖パウロが弟子のテモテに「按手によって受けた神の賜物を再び燃え立たせなさい」と促したことを挙げ、「この言葉は、『その炎を再び燃え立たせるために火を吹きかける人』のイメージを示しています」と指摘され、「ここに(2025年の)聖年の素晴らしい目標があります。”習慣と離脱”の灰を取り除き、オリンピックの聖火ランナーのように、聖霊の炎の担い手になることです」と語られ、講話を締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2024年10月30日