☩「世界平和を祈念する年の初めに、”母の心”を思い起こす」-元旦「神の母聖マリア」の祝日の正午の祈り

(2025.1.1 Vatican News  Thaddeus Jones)

 

 

 

 

2025年1月1日

☩「すべての人の命を大切にし、聖年の新しい年をマリアに委ねよう!」-元旦・神の母聖マリアの祝日に

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2025年1月1日

☩「兄弟愛の希望をもって働けることを神に感謝しよう」-大晦日「神の母聖マリア」の祭日の前晩の祈り

(2024.12.31  バチカン放送)

 教皇フランシスコは31日、2024年の大晦日にあたって、バチカンの聖ペトロ大聖堂で「神の母聖マリア」の祭日(1月1日)の前晩の祈り(第一晩課)の集いを行われた。2024年を締めくくるこの集いには、バチカンで働く枢機卿や司教らはもとより、ローマ市長ら地元行政の代表、そして多くの熱心な信者らが参加した。

 説教で、教皇は2024年を特に「聖年準備の努力」という視点から振り返られ、「聖年を迎える前のこの一年は、街中で始まった大小の工事のために、ローマ市と市民、また巡礼者・旅行者の皆さんにとって決して容易ではない年でした… しかし、これらの準備や工事が意味したものは、本来の整備的な目的以上に、すべての人を神の子として認め、兄弟として受け入れるローマの召命を表すものとなりました」と語られた。

 そして、「こうした意味で、私たちが『兄弟愛の希望』という大きな展望のもとに働けることを、神に感謝せねばなりません」とされ、「『兄弟愛的な世界の希望』とは、イデオロギーやスローガンの類ではありません。それが何であるかは、聖母マリアが私たちに示すイエスの中にあります… 兄弟愛的な世界の希望とは、まさに人となられた神の御子イエスそのもの。イエスが御父に遣わされたのは、私たち皆が天の御父の子となり、神のもとに皆が兄弟姉妹となるためであったのです」と説かれた。

 説教の最後に教皇は、ローマの工事の成果に感謝するとともに、「本当の”工事現場”とは自分自身だ、ということを知り、神の子としてふさわしく、より人間的に兄弟的に生きることができるよう、毎日自分を変えていく努力が大切です」と皆を励まされた。

 この後、教皇はこの一年を神に感謝し、皆と共に賛歌「テ・デウム」を捧げられた。

(編集「カトリック・あい」)

2025年1月1日

☩「紛争や悲しみに苦しむすべての家族のために、勧告航空機事故の犠牲者のために祈りを捧げよう」-「聖家族の祝日」の正午の祈りで

Sudanese displaced by war and facing famine line up to register for aid at a camp for IDPs Sudanese displaced by war and facing famine line up to register for aid at a camp for IDPs   (AFP or licensors)

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2024年12月30日

☩「家族で食卓を囲み”ケータイ”無しで”語り合う時間を持とう」-「聖家族の祝日」の正午の祈り

2024.12.29 Angelus2024.12.29 Angelus  (Vatican Media)

 

2024年12月29日

☩「新しい年が平和と、兄弟愛、感謝をもたらすように」教皇、英BBCラジオで語りかける

教皇フランシスコ (写真アーカイブ)教皇フランシスコ (写真アーカイブ)  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)

(2024.12.28 バチカン放送)

 英国の国営BBCラジオ4が、28日の特集番組”Thought for the Day”で「希望と思いやり」と題する教皇フランシスコの考察を音声で紹介した。同番組内で教皇の声が放送されたのは2021年10月にグラスゴーで開かれた国連気候変動枠組み条約第26回締約国会議(COP26)にあたってのメッセージ以来、2度目。

 今回の放送で教皇は、依頼されたテーマ「希望と思いやり」について、「希望は、福音の中心に触れるものであり、思いやりは、私たちがとるべき態度の方向性を示すもの」と指摘。希望と思いやりに満ちた世界はより素晴らしく、未来を信頼をもって見つめ尊重と共感をもって人に接する社会はより人間的です」と語られた。

 そして、24日に始まった聖年は「希望の巡礼者となるように、私たちに呼びかけています」とされた教皇は、「明日、何が待っているか分からなくても、未来を悲観や諦めをもって眺めるのはよいことではありません。戦争や、社会の不正義、様々な形の暴力に毎日のように接しても、私たちは懐疑主義や失望に陥るべきではありません」と言明。

 「愛を選び取りましょう。愛は、私たちの心を燃え立たせ、信頼を与えてくれます… 愛する者は、たとえ不安定な状態に置かれても、希望に満ちた、思いやりのある眼差しで、常に世界を観想することができます」と説かれた。

 さらに教皇は、「思いやりは、外交的な戦略でもなく、社会の調和を保証したり、何か有利なことを引き出したりするための身の振り方でもない。謙遜になるために心を開いて受け入れ、皆を助ける、愛の一つの形です… 謙遜は、対話を促し、無理解を克服させ、感謝を生むものなのです」と強調。そして、アルゼンチンの詩人ホルヘ・ルイス・ボルヘスが尊敬していた英国の偉大な作家ギルバート・キース・チェスタートンの言葉―「人生のもろもろを感謝をもって受け止め、当たり前のこと、と考えてはならない」を思い起こされた。

 教皇は最後に、「愛と信仰と共に対神徳をなす希望をもって、この聖年の間、私たちが人々との関係を築くための愛の形として、思いやりを実践できるように」と祈られ、「新しい年が平和と、兄弟愛、感謝をもたらすように」と願われた。

(編集「カトリック・あい」)

2024年12月29日

☩「 主は限りない慈しみで、いつもすべてを赦してくださる」教皇、聖ステファノ殉教者の祝日、正午の祈り

Pope Francis at AngelusPope Francis at Angelus  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)

 教皇フランシスコは、最初のキリスト教徒殉教者である聖ステファノの祝日、26日の正午の祈りに先立つ説教で、信者たちに「今、信仰のために迫害されている人々に関心を持ち、彼らのために祈っているかどうか」を自問するよう呼びかけられた。

 主の降誕の大祝日の翌日の26日のミサでは、石打ちの刑に処されて殉教した最初のキリスト教徒の殉教者である聖ステファノを祝う。使徒言行録によると、ステファノは死の間際、自分を殺した者たちのために祈った、という。

 教皇は、「ステファノは、一見すると暴力に対して無力であることに苦しんでいるように見えますが、実際には、真に自由な人間として、殺人者たちをも愛し続け、彼らのために自分の命を捧げました。まるで十字架上のイエスのようにです」と指摘。

 「このように、ステファノは、死の瞬間においても主の慈悲と愛を模範としており、『すべての人を救いたい、一人も失いたくない』という神の偉大な願いの証人として、私たちには見えます」と語られた。

 そして、「残念ながら、今日でも、世界中のさまざまな地域で、福音のために迫害され、時には死に至るまで苦しめられる男女が数多くいます。ステファンについて語られたことは、彼らにも当てはまります」とされ、 「彼らは、弱さゆえに殺されることも、イデオロギーを守るために殺されることも容認しない。すべての人を救いの賜物に参加させるために殺されるのです。何よりもまず、彼らは殺害者のためを思ってそうするのです」と強調。信仰のために犠牲となる人々のために祈られた。 

 さらに教皇は、現代の殉教者である福者クリスチャン・ド・シェルジュを素晴らしい模範として取り上げられた。彼は1996年にアルジェリアの10年間にわたる内戦中に殉教したティブリネの7人の福者修道僧の一人。修道院長だったクリスチャン・ド・シェルジュと、修道士の兄弟であるルック・ドシェ、クリストフ・ルブレトン、ミシェル・フルーリ、ブルーノ・ルマルシャン、セレスティン・リンガード、ポール・ファーブル・ミヴィルの7人は全員斬首され、その頭部は2か月後にティビリーンからそれほど離れていない場所で発見されたが、遺体は見つからなかった。

 「迫り来る死を予見していた福者ド・シェルジュは、霊的遺言の中で、自分を殺すであろう人物を“最後の瞬間の友人”と呼びました」と教皇は振り返られた。

 これらのことを踏まえて、教皇は信者たちにいくつかの質問について熟考するよう促された―「私は、すべての人々が神を知り、すべての人々が救われることを望んでいるだろうか? 自分を苦しめる人々の幸福を望んでいるだろうか?」、そして「信仰のために迫害されている多くの兄弟姉妹に関心を持ち、彼らのために祈っているだろうか?」。

 最後に教皇は、殉教者の女王マリアに、「私たちが世界を救う福音の勇敢な証人となるよう助けてください」と懇願されて、説教を締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2024年12月26日

☩「希望、平和、そして一致の巡礼者となれますように!」ー教皇がクリスマス・メッセージと”Urbi et Orbi”の祝福

(2024.12.25 Vatican News   Thaddeus Jones)

   教皇フランシスコは主の降誕の大祝日25日の正午、聖ペトロ大聖堂のロジア(2階中央のバルコニー窓)から、広場の群衆と世界中のメディアを通じて生中継を見ている人々に向けて、恒例のクリスマスの挨拶とメッセージを述べられ、復活の大祝日にも行う”Urbi et Orbi”(ローマ市と全世界へ)の祝福をなさった。

*神の心は常に私たちに開かれている

 

 教皇はクリスマス・メッセージの冒頭で、「今日、私たちが祝う喜びは、2000年前に起こった出来事、すなわち、救済の永遠の言葉である『主イエスの誕生』に由来するもの… この出来事は、今日もなお、すべての男女に語りかけ続けています―『私はあなたを愛している。あなたを赦します。私のところに戻って来なさい。私の心の扉は開かれている!』と」と語られた。

 そして、「神の心の扉は常に開かれています… 私たちを愛し、赦してくださる、その心へと立ち返り、神との和解を可能にするように」と信者たちに呼びかけられた。

 

*すべての人に開かれた救いの聖なる扉

 

 続けて教皇は、24日夜、2025年の聖年を宣言するために聖ペトロ大聖堂の聖なる扉が開かれことを思い起こされ、この扉は「すべての人に開かれた救いの扉であるイエスを表しています」とされたうえで、「兄弟姉妹の皆さん、恐れてはなりません! 扉は開いています。大きく開いています!神と和解し、そして自分自身とも和解し、さらには敵対する者とも和解できるようになるのです。神の慈悲は、すべてを可能にし、あらゆる結び目を解き、あらゆる隔ての壁を取り壊し、憎しみと復讐の念を追い払います。イエスこそ『平和の扉』なのです」と強調された。

 

*”敷居”を越える勇気

 

 その一方で教皇は、「その扉の”敷居”を越えるには勇気が必要です。なぜなら、私たちはそうするために、古いやり方や考え方を犠牲にし、争いや分裂を過去のものとし、神の愛に身を委ねなければならないからです」とも説明され、「このクリスマス、聖年のはじまりにあたり、私は、すべての人々、すべての民族、すべての国家が、その扉を通り抜けるために必要な勇気を奮い起し、希望の巡礼者となり、武器の音を沈黙させ、分裂を克服することを呼びかけます!」と訴えられた。

*武器が沈黙しますように

 

 世界が直面する課題に目を向けられた教皇は、「戦争で荒廃したウクライナで武器の音が沈黙すること」を祈られ、関係国と世界の指導者たちに「正義と永続する平和のために、強さと交渉や対話へ心を開くように」と促された。

 また、中東での戦争終結を祈り、ベツレヘムの馬小屋とイスラエル、パレスチナのキリスト教共同体を思い起こされ、特に、人道面で深刻な状況にあるガザ地区について、「停戦が実現し、人質が解放され、飢えと戦争で疲れ果てた人々に援助が提供されますように」と祈られた。

 変革の渦中にあるレバノンとシリアのキリスト教社会にも親近感も表明。「紛争で荒廃したこの地域全体に、対話と平和の扉が大きく開かれますように」と祈られた。また、リビア国民が国家の和解に向けて取り組むよう激励された。

 

 

*苦しむ人々への人道支援

 

 さらに教皇は、私たちが祝う救い主の誕生が、コンゴ民主共和国、ブルキナファソ、マリ、ニジェール、モザンビークで麻疹の流行に苦しむ何千人もの子供たちに希望を与えることを祈られ、「この人道危機が主に人間の要因、すなわち武力紛争やテロの惨害に起因し、気候変動によって悪化し、数百万人の避難を余儀なくさせ、多くの人々を死の危険にさらしている」と批判。「アフリカの角」の住民を思い起し、「彼らに、平和、調和、友愛の贈り物がもたらされるように」と祈られ、スーダンの一般市民についても、「彼らに緊急に必要とされる人道支援が届き、新たな停戦交渉が行われるように」と祈られた。

 

*対話と社会の調和を祈る

 

 また、長期にわたる紛争で多くの人々が苦しみ、避難を余儀なくされているミャンマーについても、「クリスマスがミャンマーの人々に安らぎをもたらしますように」と祈られ、混乱が続くラテンアメリカの現状についても、「法と真実をもって分裂を克服し、人々が望む社会の調和と公益を促進するために、政治当局と善意ある人々が協力するように」と促され、ハイチ、ベネズエラ、コロンビア、ニカラグアについて言及された。

 教皇は、半世紀にわたって分断されたままのキプロス島の住民についても、分離の壁が取り払われ、すべての共同体社会の権利と尊厳を十分に尊重した上で、相互に合意できる解決策が見出されるよう祈りを捧げられた。

 

 

*イエスは私たちを待っておられる

 

 「神の永遠の言葉であるイエスは、私たちが存在の意味とすべての生命の神聖さを再発見し、人類の基礎となる価値観を取り戻すために招き入れられる、開かれた扉です」とされた教皇は、イエスが「特に最も弱い立場にある人々」、すなわち戦争や飢餓に苦しむ子供たちや、孤独の中で見捨てられて生きることを余儀なくされることが多い高齢者たちのために、「玄関口で待ち受けておられること」を強調。また、家を失い、安全のために母国を離れ、職を失い再就職もできない人々、刑務所に収監されている人々、信仰のために迫害を受けている人々を、主が待ち受けておられる、とも説かれた。

*人々のために働く方々に感謝する

 

 教皇は、奉仕や善行、他者への支援に身を捧げる人々を称賛し、また「次世代を形作るという大きな責任を担う両親、教育者、教師たち」を思い起こされ、医療従事者、軍人、慈善団体、そして特に「困難に直面する多くの人々に光と慰めをもたらしている世界中の宣教師たち」に感謝の意を表された。

*私たちの負債を赦してください

 最後に、教皇は、この聖年が特に最貧国の負債を赦す機会となるよう祈った。「神の子が夜の寒さと闇の中で生まれたように、神の子は私たちを赦してくださっている」と教皇は述べ、主が「私たちを癒やし、赦してくださっている」と述べられた。

 そして、「希望の巡礼者として、神のもとへ出かけましょう!神が私たちに心を開いてくださったように、私たちも神に心を開きましょう!皆さまに穏やかで祝福されたクリスマスがありますように」とメッセージを締めくくられた。

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   バチカン放送によるメッセージ原稿全訳は以下の通り。

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 親愛なる姉妹の皆さん、親愛なる兄弟の皆さん  主の降誕のお喜びを申し上げます。

 この夜、私たちに驚きと感動を与え続ける神秘が新たにされました。おとめマリアはイエスを生みました。神の御子は布にくるまれ、飼い葉桶の中に寝かされています。ベツレヘムの羊飼いたちが見たものはこうした光景でした。羊飼いたちは喜びに満たされました。天使たちは「栄光、神にあれ、平和、人にあれ」(参照 ルカ2,6-14)と歌っていました。

 2000年前に起きたこの出来事は、聖霊の働きによって新たにされます。愛といのちの聖霊ご自身によってマリアは受胎し、その人間の体をもってイエスを生みました。そして、今日、この時代の苦悩の中で、永遠の救いの御言葉は再び真に受肉し、すべての人に、全世界に「あなたを愛している。あなたを赦そう。私に立ち帰りなさい。私の心の扉は開いている」と呼びかけています。

 兄弟姉妹の皆さん、神の心の扉はいつも開いています。神に立ち返ろうではありませんか。私たちを愛し、赦されるその御心に帰りましょう。神に赦していただきましょう。神と和解させていただきましょう。

 昨晩、ここ聖ペトロ大聖堂で私は聖年の聖なる扉を開きました。聖なる扉、それはすべての人に開かれた救いの扉、イエスを意味します。イエスは慈しみ深い御父が世界の、歴史の真ん中に開けた扉です。それはわたしたちが神に立ち返るためのものです。私たちは皆、道を見失った羊として、羊飼いと、御父の家に戻るための門を必要としています。イエスは羊飼い、イエスは門です。

 兄弟姉妹の皆さん、恐れてはいけません。扉は開いています。大きく開かれているのです。来てください。神と和解させていただきましょう。そうすることで私たちは自分自身と和解し、私たちの間でも、私たちと敵対する人とも、和解することができるのです。そうです。神の慈しみは何でも可能です。あらゆる結び目を解き、隔ての壁を打ち壊し、憎しみと復讐の精神を解きほどいてくれます。来てください。イエス」こそが平和の門です。

 私たちはしばしば敷居の上で立ち止まります。それを乗り越える勇気がないのです。自分を問いただすただすからです。扉から入り、平和の君である幼子イエスの腕に自身を委ねるには、一歩を踏み出すための、争いや分裂を捨て去るための、努力が必要です。聖年の始まりであるこの降誕祭に、すべての人、すべての民族、国に呼びかけたいと思います。扉をくぐり、希望の巡礼者となり、武器を捨て、分裂を乗り越える勇気を持ってください。

 苦しむウクライナで武器の音が止みますように。あるべき恒久の平和に到達するために、交渉と、対話と出会いの態度に、扉を開く勇気を持つことができますように。

 中東で人々が武器を収めますように。ベツレヘムの飼い葉桶の幼子イエスを見つめながら、特に深刻な人道状況にあるガザをはじめ、イスラエルとパレスチナのキリスト教共同体を思います。戦闘をやめ、人質を解放し、飢えと戦争で疲弊した人々を助けることができますように。

 わたしはレバノン、特に同国南部の、また現在大変複雑な状態に置かれたシリアの、キリスト教徒たちに寄り添いたいと思います。紛争に引き裂かれたすべての地域で、対話と平和の扉が開きますように。ここで、リビアの人々にも、国内の和解を促す解決を見つけられるように励ましたいと思います。

 救い主の誕生が、感染症による危機に見舞われているコンゴ民主共和国の家族や子どもたちに、また同国東部や、ブルキナファソ、マリ、ニジェール、モザンビークの人々にも希望の時をもたらしますように。

 主に武力紛争やテロリズムの傷によって引き起こされた人道危機は、気候変動の破壊的な影響によって深刻化し、人命の喪失と無数の避難民を生んでいます。

 同様に、「アフリカの角」地帯の国々にも、平和と調和、兄弟愛の賜物を祈ります。いと高き方の御子が、スーダンの市民に対する人道支援へのアクセスを促し、停戦を目指す新たな協議を開始するための国際社会の努力を支えてくださいますように。

 主の降誕の知らせが、ミャンマーの住民に慰めをもたらしますように。ミャンマーでは、長引く武力衝突により、人々は苦しみ、家を離れ逃げざるを得ない状況に置かれています。

 ハイチ、ベネズエラ、コロンビア、ニカラグアをはじめ、アメリカ大陸諸国が、社会調和を推進するための解決を、真理と正義のもとに一刻も早く見つけることができるように、幼子イエスが政治家とすべての善意の人々に霊的な促しを与えてくださいますように。また、特にこの聖年において、人々が政治的対立を乗りこえ、共通善を築き、すべての人の尊厳を再発見できるように、働きかけてくださいますように。

 聖年がすべての隔ての壁を、特に政治生活、実生活に影響を与えがちなイデオロギー的な壁を打ち壊すための機会となりますように。たとえば、キプロス島では、すでに50年にわたる分裂が人々と社会の基盤を傷つけています。キプロスのすべての共同体の権利と尊厳の尊重のうちに共通の解決を見出し、分裂に終止符を打つことができますように。

 人となられた永遠の神の御言葉、イエスは開かれた扉です。私たちは人生の意味とすべての命の神聖さを見出すために、人類家族の土台となる価値を再発見するために、その扉をくぐるようにと招かれています。イエスは戸口で待っておられます。最も弱い立場にある人々はもとより、私たち一人ひとりを待っておられます。

 イエスは子どもたちを、戦争と飢えに苦しむすべての子どもたちを待っておられます。しばしば孤独で見捨てられた状態で暮らすお年寄りたちを待っておられます。家を失い、安全な場所を求めて故郷から逃げた人々、仕事を見つけられない人を、すべてに関わらず常に神の子である受刑者たちを、信仰によって迫害される人々を待っておられます。

 この祭日、静かに誠実に善のために尽くす人々に、私たちの感謝が欠けることがありませんように。未来の世代を育成する大きな責任を担う両親や教育者たち、医療従事者や、警察関係者、愛の業に取り組む人々、特に困難にある多くの人々に光と慰めをもたらす世界各地の宣教者たちを思います。すべての人々に感謝を表しましょう。ありがとうございます。

 兄弟姉妹の皆さん、聖年が借りを免除する機会に、特に最も貧しい国々の債務を免除する機会となりますように。一人ひとりが自分が受けた侮辱を赦すようにと招かれています。なぜなら寒く暗い夜にお生まれになった神の御子が私たちのあらゆる借りを帳消しにしてくださったからです。御子はわたしたちを見つめ、赦すために来られました。希望の巡礼者たちよ、イエスに出会いに行きましょう。ご自身の聖心の扉を私たちに開け放ってくださったイエスのように、私たちも心の扉を開こうではありませんか。

 すべての皆様に平安で聖なる降誕祭をお祈り申し上げます。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2024年12月25日

☩「キリストの希望の光がすべての人を照らしますように」-教皇、主の降誕深夜ミサ、聖なる扉を開き 2025年の聖年開始を宣言

(2024.12.24 Vatican News   Deborah Castellano Lubov)

 教皇フランシスコが24日夜(日本時間25日未明)、聖ペトロ大聖堂の聖なる扉を開き、2025年の「希望の聖年」を正式に宣言され、主の降誕の深夜ミサの説教で、「ベツレヘムにお生まれになった幼子キリストが世界に無限の希望と喜びをもたらす」と確信を述べられた。

 教皇は25年ごとに開催される歴史的なイベントである「通常聖年」を、主の降誕の深夜ミサの冒頭に聖なる扉を開くという典礼を持って開始された。通常聖年に聖なる扉が開かれるのは、2000年に聖ヨハネ・パウロ2世が行って以来のこと。 教皇フランシスコは、2016年を「いつくしみの特別聖年」とされ、2015年の主の降誕の深夜ミサで聖なる扉を開いておられる。今回の聖年は2026年1月6日の主の公現の祝日に聖なる扉を閉じることで終了する。

 

*聖なる扉の意義

 聖なる扉は、そこを通って入るすべての人に聖なる生活を歩むよう呼びかけるための「聖なる」ものとみなされている。教皇に続いて、聖年賛歌が歌われる中で神の民の代表者たちがその敷居をまたいだ。これは、聖年中に聖ペトロ大聖堂を訪れ、救済の神秘を祝う、あらゆる国や言語を話す無数の希望に満ちた巡礼者たちの”前奏曲”となるものだ。

 この慣習の起源は、1423年の特別聖年にラテラノ大聖堂の聖なる扉を開いたマルティヌス5世教皇にまで遡る。聖ペトロ大聖堂では、1450年の聖年に初めて聖なる扉が開かれた。扉の場所は、ヨハネス7世教皇が聖母マリアに捧げた礼拝堂の後壁にある。1500年、アレクサンデル6世教皇は、この聖年の開幕の象徴に、何世紀にもわたってほとんど変わることなく受け継がれてきた儀式を行った。2000年、それまでのレンガ造りの壁が取り払われ、1983年にすでに設置されていた青銅の扉が儀式的に開かれるようになった。

 

 

*信仰を強め、私たちの間にいるキリストを認識するための聖年

  2025年の聖年開始にあたって、教皇は「この聖年に、キリストの希望の光がすべての人を照らし、神の愛のメッセージがすべての人に届けられますように。そして、教会が世界のあらゆる場所でこのメッセージを忠実に証言しますように!」と祈られた。そして、この1年を通して自らを整え、「私たちの信仰を強め、私たちの生活のただ中に復活したキリストを認識し、私たちをキリスト教の希望の巡礼者へと変容させるために祈るように」と世界の信者たちに呼びかけられた。

*私たちを神に似た者とするために地上に降りられた

 ミサ中の説教で教皇は、今回の聖年のテーマである「希望」を取り上げ、まず、ルカ福音書に記された「光に包まれた主の天使が夜を照らし、羊飼いたちに吉報をもたらす場面」を思い起こされた―「私は、すべての民に与えられる大きな喜びを告げる。今日、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」(2章10-11節)。

 そして、貧しい人々の驚嘆と天使の歌声の中で天国が地上に現れる様子について思いを巡らせ、「神は、私たちを神に似た者とするために、私たちの仲間となってくださった。神は私たちのもとに降りてきて、私たちを高め、父の抱擁のもとに私たちを回復してくださったのです」と強調。

 

*幼子は世界に希望をもたらす

 

 さらに教皇は「『神は私たちと共に』という意味の『エマヌエル』に、私たちは希望を見出します… 限りなく偉大な方が、自らを小さくされました。天の栄光が、幼子として地上に現れたのです」とさら、「たとえ私たちの心が”粗末な飼い葉桶”のように見えたとしても、神が私たちを訪れてくださるのなら、私たちは心からこう言えます―『希望は死んでいない。希望は生きている。そして、それは永遠に私たちの人生を包み込むのだ!』と」と説かれた。

 

 

*この世の闇に「光の巡礼者」として、希望を携えて進もう

 

 続けて教皇は、聖なる扉が開かれたことで新たな聖年が始まり、「私たち一人ひとりが、この特別な出来事の神秘に踏み込むように、と促されていること」を思い起こされ、「今夜、希望の扉が世界に向けて大きく開かれました… 神は私たち一人ひとりに語りかけ、『あなたにも希望がある!』と告げているのです」と強調。

 「私たちのためにお生まれになった主を、喜びと注意深さをもって見つめ、出会いましょう。日々の生活に希望をもたらすために。キリスト者の希望は、受動的に待つ『ハッピーエンド』ではなく、苦しみとため息の絶えない私たちの世界で、今ここで、歓迎されるべき主の約束なのです」とされた教皇は、「急いで、私たちのために生まれてくださった主を仰ぎ見ようではありませんか。私たちは、心を喜びと注意深さに満たされ、主と出会う準備、そして日々の生活に希望をもたらす準備ができているのですから」と語られた。

 そして、それは、聖年を迎えるにあたっての「ぐずぐずしないこと、古い習慣 に縛られないこと、平凡さや怠惰に甘んじないこと」を呼びかけでもある。教皇は、教会博士である聖アウグスティヌスが、希望とは「間違っていることに憤り、それを変える勇気を見出すよう私たちに呼びかけていること」と示唆したことを思い起され、「主の弟子として、私たちは、神に大きな希望を見出すよう呼びかけられています。そして、その希望を、遅滞なく、この世の闇の『光の巡礼者』として携えて進むのです」と信者たちを促された。

*主との出会いの喜びを再発見する

 さらに教皇は、「兄弟姉妹たちよ。これは聖年なのです。主と出会う喜びを再発見するよう招かれている希望の季節です」とされ、聖年が「私たちを精神的な再生へと導き、世界の変革に私たちを献身させる。そうすることで、今年が真に歓喜の時となるでしょう」と念を押された。

 そして説教の最後に、「愛する姉妹、愛する兄弟たちよ、今夜、神の心の『聖なる扉』は皆さんの前に開かれています。私たちと共におられるイエスは、あなたのために、私たちのために、すべての人々のためにお生まれになりました。イエスとともに喜びは花開き、イエスとともに人生は変わり、イエスとともに希望は裏切られることはありません」と強調された。

*聖年の開始に関わる25日からの教皇行事

 

 主の降誕の主日の25日正午、教皇はローマ市民および世界中の人々に向けてウルビ・エト・オルビ(都市と世界)のメッセージを発せられる。26日、教皇は聖年の歴史で初めて、ローマ市内の刑務所5つに聖なる扉を開く。これは、入所者たちへの教皇の変わらぬ親近感を表す希望のしるしだ。

 29日、聖家族の祝日には、教皇は自身の司教座聖堂であるラテラノ大聖堂の聖なる扉を開かれる。そして、2025年1月1日には、神の母マリアの祝日に、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂の聖なる扉が開かれる。最後に、1月5日、主の公現の祝日には、サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂の聖なる扉が開かれる。これら最後の3つの聖なる扉は、2025年12月28日(日)に閉じられる。

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

2024年12月25日

☩「罪もない子供たちがあまりにも残虐な仕打ちを受け続けている」-教皇、世界中の戦闘地域に”クリスマス停戦”を訴え

「ベツレヘムの平和の聖火」が灯ったろうそくを手にするウクライナのスカウト会員たち 2024年12月15日 ウクライナ・キーウ「ベツレヘムの平和の聖火」が灯ったろうそくを手にするウクライナのスカウト会員たち 2024年12月15日 ウクライナ・キーウ  (AFP or licensors)

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2024年12月23日

☩「誕生する命の神秘に、私たちが驚嘆と感謝の念を抱くことができるように」ー待降節第4主日の正午の祈りで

 説教で教皇は、まず、聖母マリアと彼女の従姉妹で洗礼者ヨハネの母であるエリサベトの出会いから考察を始められ、「この出会いは、『母親』という素晴らしい贈り物を喜ぶ二人の女性の出会いです」とされ、「この聖ペトロ広場にも妊娠中の女性や子供たちと一緒の母親たちがいます。その存在に無関心でいないようにしましょう。その素晴らしさに驚嘆しましょう。そして、エリザベトやマリアが行ったように、母親たちを祝福し、生命の奇跡に神に感謝しましょう」と促された。

 

2024年12月22日

☩「全員が神の祝福のために働くように」教皇、降誕祭前の挨拶でバチカンの高官たちに促す

 教皇フランシスコは、降誕祭を数日後に控えた21日、枢機卿やバチカンの諸機関の責任者たちとの出会いを持たれた。

 この日、バチカン宮殿の「祝福の間」に集まった、教皇の協力者として働く枢機卿や、高位聖職者、バチカンの諸機関の責任者たちを前に、教皇は一年を締めくくる講話をされ、数多くの部署からなる複雑な構成を持った教皇庁で、仕事における共同体生活を享受するための助言をなさった。。

 教皇は、「祝福を祈りなさい。呪ってはなりません」(ローマの信徒への手紙12章14節参照)という使徒聖パウロの言葉を引用しつつ、「人を祝福し、悪く言わないことは、謙遜の表現であり、謙遜とはまさに人となられた神の御子の神秘の本質的側面です」と話された。

 さらに「他者のことを悪く考えたり、話したりせず、謙遜の道を歩み、喜びと兄弟愛のもとに生きる教会共同体のあり方」を示しながら、教皇は謙遜の道を実践するための霊的な訓練として、ガザのドロテオ(修道者505−565)ら、古き時代の霊的な師たちの教えである、他者を悪く言わないために自らを省みる精神を学ぶように勧められた。

 そして、「謙遜な人に何か不都合なことが起きると、その人はすぐに自分を省みて、自分はその起きたことにふさわしいと考える。他者のせいにして、彼らを罵ることはしない。動揺も苦しみもなしに、落ち着きのもとに、静かにそれに耐える。謙遜は自分をいらだたせず、他者をもいらだたせない」というガザのドロテオの言葉を紹介され、「この精神の基礎はイエスの中にあります… この日々、プレゼピオを見つめ、自らを低くされたイエスを観想することで、内的なへりくだりの精神についての気づきを得るように」と促された。

 また教皇は「受肉した御言葉は、神は私たちを呪われたのではなく、祝福してくださったことを表しています」とされ、「私たちの主イエス・キリストの父である神は、ほめ讃えられますように。神は、私たちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました」(エフェソの信徒への手紙1章3節)という聖パウロの賛美を思い起こされた。

 教皇はここで「神から祝福されているからこそ、祝福できる」という祝福の本質を指摘。「『あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています』(ルカ福音書1章42節)とエリザベトから挨拶されたマリアこそ、まさに祝福された人であり、イエスという祝福を世にもたらすことができたのです」と説かれた。

 そし、教会の象徴であるマリアを見つめつつ、「神の人類に対する祝福の道具である教会において、私たちは全員が祝福のために働く人となるように召されているのです」と強調。「教皇庁という大きな組織の中で、たとえ異なる職務についていても、『すべての人は神の祝福と母なる教会を世に伝える』という同じ目的のために働いています」とバチカン関係者の日々の努力を励まされた。

(編集「カトリック・あい」)

2024年12月22日

☩「聖年は、恵みに満ちた出会いの機会」―教皇、2025年聖年を前にイタリア日刊紙に寄稿

(2024.12.19 カトリック・あい)

 イタリアの日刊紙『Il Messaggero』が18日付けの電子版で、教皇フランシスコによる聖年についての考察を掲載した。

 その全文の日本語試訳は次の通り。

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 イスラエルの民の歴史において、ヨベルと呼ばれる雄羊の角笛の音は、「jubilee(聖年)」の語源であり、モーセの律法の規定(旧約聖書・レビ記25章「安息年とヨベルの年」参照)に従って、特別な年の始まりを告げるものとして、すべての村に響き渡りました。

 聖年は贖罪と再生の時であり、象徴的な性格を強く持つある選択によって特徴づけられています。 それは、「大地は神のものであり、守るべき賜物として神から私たちに与えられているのだから、誰もそれを所有し、搾取することはできない」ということを私たちに思い起こさせるための、大地の耕作からの休息であり、不平等に対する社会正義を周期的に、そして50年ごとに再確立することを目的とした負債の免除であり、奴隷の解放でした。

 ナザレのシナゴーグでの説教の冒頭で、イエスはこのユダヤ教の十二年祭を取り上げ、新しい究極的な意味をお与えになりました。イエスは「捕らわれている人に開放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、打ちひしがれている人を自由にする」(ルカ福音書4章18-19節参照)ために来られたのです。

 このような救世主の使命において、聖年は、人間生活におけるあらゆる抑圧を包含するように拡大し、その結果、罪、諦念、絶望の牢獄にいる人々を解放し、神と出会い、隣人を見ることを許さないあらゆる内なる盲目を癒し、主との出会いの喜びを新たに目覚めさせ、その結果、希望のしるしの中で人生の旅を再開できるようにする恵みの機会となるのです。

 この精神に基づき、1300年の教皇ボニファティウス8世の勅書以来、何百万人もの巡礼者がローマを訪れ、彼らの日々の生活が、たとえ苦難や疲労の中にあっても、再び福音の希望によって把握され、支えられるように、外に向かって巡礼することによって、内なる刷新の旅への望みを表明してきました。彼らは皆、幸福と満ち足りた生活への抑えがたい渇きを心に抱き、予測不可能な未来に直面しながらも、不信、懐疑、死に屈しないという希望を育んでいるからです。

 そして、私たちの希望であるキリストは、私たちの内に宿るこの渇望の炎に出会うために来られ、存在を変容させ、新たにするキリストとの出会いの喜びを再発見するよう、私たちを招いてくださいます。それゆえ、「キリスト者の人生は、目的地である主キリストとの出会いを垣間見せてくれるかけがえのない伴侶、すなわち希望を養い強める絶好の機会をも必要とする旅路」(教皇フランシスコの2025年の聖年公布の大勅書『希望は欺かない』5項)だということです。

 聖年はそうした重要な瞬間です。クリスマスの夜に開かれる聖なる扉は、キリストとの出会いによって私たちに与えられる新しい命に入るための通路、刷新の過越への招きです。そして、最初の聖年であった1300年と同様に、ローマは再び世界中から巡礼者たちを迎えることになります。

 キリスト教の初期の時代には、北からの巡礼者はモンテ・マリオに登り、永遠の都を初めて目にしました。南から来た巡礼者は小舟でテベレ川を航行してやって来ました。 誰もが聖なる扉にたどり着き、その敷居を踏み越えることを強く望んでいました。 それ以来、聖年に巡礼者の足取りがローマの美しさと出会うことが恒例となっています。

 同じように今も、聖年の行事のたびに、巡礼者たちはローマの素晴らしさと出会います。聖年の機会に、道路の整備、公共交通機関の機能向上、記念碑の修復、そして都市の近代化のための特別な対策が動員されています。

 しかし、都市としての物理的な整備に関心を奪われて、聖年がローマに特別な使命を与えていることを忘れてはなりません。 それは、ローマがすべての人を歓迎し、もてなす場であり、多様性と対話の実験場であり、世界のさまざまな色をモザイクのようにまとめる多文化の作業場とすることです。そうすることで、ローマは栄光の過去に根ざした永遠の息吹を持ち、差別と不信の壁のない、障壁のない未来を築くことを約束する都市となることができるのです。ローマは、芸術の素晴らしさだけでなく、歓迎と友愛の予言においても際立っています。

 「殉教者と聖人たちと共に不滅のローマ……力と恐怖は勝つことができない、真理と愛が支配する」(『教皇庁賛歌』)のです。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2024年12月19日

◎教皇の2025年聖年の新連続講話「イエス・キリスト、私たちの希望」①イエスの命へと導いてくださる神に感謝を

 

2024年12月18日

☩「宗教は民衆の阿片ではない」「貧しい人々から学ぶのは私たちの方だ」-教皇、88歳の誕生日、「自叙伝」で

教皇フランシスコ(2024.12.17 バチカン放送)

 教皇フランシスコは17日、88歳の誕生日を迎えられた。来年1月に出版予定の教皇の自叙伝の一部が、この日いくつかの新聞紙上で紹介された。

    教皇フランシスコ(ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ)は、1936年12月17日、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスでお生まれになった。88歳の誕生日、来年出版予定の自叙伝の一部が、イタリアの新聞「ラ・レップブリカ」と「コリエレ・デッラ・セーラ」、また米紙「ニューヨーク・タイムズ」の紙上で紹介された。

 「Spera」(※望む、願う、希望する、等の意)と題されたこの自叙伝は、カルロ・ムッソ氏と共に著されたもので、2025年1月にモンダドーリ社から出版が予定されている。

 記事で紹介された自叙伝の一部では、多民族・多宗教の人々から構成されるブエノスアイレス・フローレス地区で育った幼年時代や、2021年3月に行ったイラク訪問において、特に古代からの伝統を誇ったモスルの惨状に心を痛めたことなどが記されている。

 また、教皇はこの自叙伝の中で、ある人たちが言うように宗教は「民衆の阿片」ではない、と述べ、むしろ信仰と司牧と市民活動によって、スラム街では「多大な困難の中で考えられないような発展があった」「まさに信仰のように、あらゆる奉仕は出会いであった。貧しい人々から学ぶのは私たちの方である」と強調している。

(編集「カトリック・あい」)

2024年12月18日