世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)会場ホール前 2025年1月23日 (REUTERS)
(2025.1.23 バチカン放送)
教皇フランシスコが23日、スイスのダボスで開催中の世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)にメッセージをおくられ、人工知能(AI)がそれを設計した人間の知性を模倣するように構想されているために起きる問題や課題を指摘された。
教皇が指摘されたのは、①AIの人間の能力に似た、あるいはそれを凌駕する高度な技術とスピードを伴う創造性が人類の役割に与える影響②AIが作り出すものの成果が人間のそれとほとんど区別がつかないために、公共の場における真実・正真性の危機が高まる懸念③自律的に学習し特定の選択をするように設計されたこのテクノロジーが、新しい状況の中でプログラマーが予期しない反応をし、倫理責任、安全保障などに関わる重要な問題引き起こす疑念など、だ。
そして、AIの技術が「いくつかの可能性の中から技術的に選択し、その選択は明確に定義された基準、あるいは統計的推論に基づいている」のに対し、「人間は、単に選択するだけではない、『心』を通して『決断』する能力を持っています」と強調。
さらに「他のあらゆる人間活動や技術開発と同様に、AIも人間に適応して規律づけられ、より大きな正義、より広がる兄弟愛、より人間的な社会秩序を実現するための努力の一部とされなければなりません」と総会出席者たちに忠告された。
また、教皇は、「世の中の問題が、すべてテクノロジー的手段をもって解決可能と考える『技術支配的な思考体系』の増長にAIが利用される危険」を指摘され、「こうした考え方の中では、人間の尊厳や兄弟愛は効率追求の二の次にされ、現実や善や真理が、あたかも技術的・経済的権力から生まれるかのようになってしまいかねない」と警告。
そのうえで、「効率を優先するあまり、人間の尊厳が侵害されることはあってはなりません。すべての人の生活を向上させるのではなく、不平等や対立を生み、それを増大させるような技術の開発は、真の進歩とは呼べない」とされ、「AIが健全な人道的・社会的・統合的な発展に役立てられること」と強く希望され、「AIの複雑さを管理するために政府と企業は十分な注意を払うとともに、AIの適用をめぐる状況と社会に与える影響が次第に明らかになることに対して、社会のあらゆるレベルで適切な対応をとる必要がある」と述べられた。
(編集「カトリック・あい」)
教皇フランシスコ 2025年1月22日の一般謁見 バチカン・パウロ6世ホール (VATICAN MEDIA Divisione Foto)
(2025.1.22 Vatican Newes Devin Watkins )
教皇フランシスコは22日、水曜恒例の一般謁見で、先月18日に始められた2025年聖年のための連続講話「イエス・キリスト、私たちの希望(Jesus Christ our hope)」を再開された。今回は、聖母マリアに焦点を当て、彼女の人生を満たし、彼女の行動を励ました「希望」について語られた。
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今日は聖年のための連続講話、「イエス・キリスト、私たちの希望(Jesus Christ our hope)」を主題とする考察りましょう。
ルカは福音書の冒頭で、ヨセフと婚約したが、まだ家族と暮らしているおとめマリアの質素な家にももたらされる「神の御言葉」の変容の力を示しています。
神の偉大なお告げの使者、神の力をその名において意味するガブリエルは、旧約聖書で一度も言及されたことのない村、ナザレに遣わされました。当時、ナザレはガリラヤの小さな村にすぎず、イスラエル郊外のガリラヤ地方は、異教徒たちとの境界にあり、異教徒たちとの接触がある地域でした。そのナザレに、天使はマリアの心を驚かせ揺さぶる、前代未聞の形と内容のメッセージをもたらしたのです。
「あなたに平和があるように」という伝統的な挨拶の代わりに、ガブリエルは、おとめマリアに「おめでとう」「喜びなさい」と呼びかけます。「喜べ」という言葉は、聖なる歴史において親しみある呼びかけです。預言者たちがシオンの娘にメシアの到来を告げるときに使う言葉だからです。捕囚が終わった民に対する神の喜びへの招きであり、主の生き生きとした働きと存在を感じさせるものです。
さらに、神は、マリアを聖書の歴史上、それまで知られていない名前、「ケカリトメネ(神の恵みに満ちた者)」という愛情のこもった名で呼ばれています。この名は、「神の愛が、マリアの心にすでに宿り、これからも宿り続けること」を意味します。神は、マリアがいかに「恵みに満たされ」、いかに彼女を内的に彫り上げ、ご自身の傑作としたか、を語られているのです。
この愛情あふれる呼び名は、神がマリアだけに与えられるもの。神はそのマリアを「恐れることはない」と、すぐに安心させられます。全能の神、「できないことは何一つない」神(ルカ福音書1章37節)はマリアと共におられます。
ガブリエルは、おとめマリアにその使命を告げ、彼女から生まれる子の王権とメシア性に関して、聖書の多くの記述をマリアの心に響かせ、それを古くからの預言の成就として示しました。神の御言葉は、待望されたダビデにつながるメシアの母として、マリアを召されました。メシアは、人間的、肉としての方法ではなく、神的、霊的な方法で王となられ、その名は「イエス」、「神は救われる」という意味です。救いをもたらすのは、人ではなく、神だけであることを、すべての人に常に思い出させるものです。
救い主の母となったことは、マリアを心の底から揺さぶります。知的なマリアは、様々な出来事を内面から読み取ることができました。自分に起きていることを理解し、識別しようとした。そして、マリアは、その開かれた繊細な心の奥深くで、「神に信頼するように」という招きを聞きました。
マリアの心に、信頼の光が灯ります。神に委ね、従い、自分を明け渡します。マリアは、御言葉をその肉に受け、一人の女性、人間にこれまで託されたことのない、最大の使命に飛び込んだのです。マリアは自身を、奉仕のために差し出した。それは、奴隷としてではなく、父なる神の協力者としてでした。(イエスがぶどう酒の奇跡をなさった)カナの婚姻の場でそうであったように、マリアは神の恵みの賜物をつかさどる尊厳と権威に満ちています。
救世主の母、私たちの母であるマリアに、神の御言葉に耳を開き、それを受け入れ、守り、私たちの心を、神がおいでになる聖櫃、人々を受け入れ希望を育てる家へと、変容させることを学びましょう。
(編集・翻訳「カトリック・あい」南條俊二)
Pope Francis’ Sunday Angelus (VATICAN MEDIA Divisione Foto)
(2025.1.19 Vatican News Deborah Castellano Lubov)
教皇フランシスコは19日、年間第2主日の正午の祈りに先立つ説教で、この日のミサで読まれた福音で読まれた、カナの婚宴における主の最初の「しるし」について振り返られ、「私たちが何かを欠いているとき、主は、私たちと共に祝いたいという願いから、助けてくださり、私たちの期待を遥かに超えることをお望みになる」と語られた。
教皇は、説教で、この日の福音書であるヨハネによる福音書について考察。カナの婚宴で、母親の求めに応じて水をぶどう酒に変えたイエスの最初の「しるし」について振り返られ、「このエピソードは、イエスに与えられた使命を先取りし、要約しています」と指摘された。
そして、預言者イザヤとアモスが、救世主が現れる日には主が「上等のぶどう酒の宴会」を用意されると予見していたことを思い起こしつつ、「イエスは、神と人類の間の結婚の契約を更新するために、ご自身の愛という『上等のぶどう酒』をもたらすために来られた花婿なのです」と語られた。
続けて教皇は、「今日の福音で、私たちは『欠乏』と『過剰』という2つの要素を目にしています… 一方で、ぶどう酒が底をつき、マリアは息子に『彼らにはワインがありません』と告げ、他方では、イエスが介入し、6つの大きな壺に、宴会の主催者が最後までそれを取っておいた花婿を称賛するほど、極上のぶどう酒を溢れんばかりにされます」とされ、「神のしるしは豊かさ… カナで示された豊かさは、『神と人類との祝宴が始まった』というしるしです」と指摘。「人類が欠乏に直面したとき、神は常にお応えになり、しかも、決してわずかなものではなく、あふれるような神の愛をもって応えてくださいます」と説かれた。
教皇はさらに、「私たちの人生という”宴”においても、特に心配事や恐怖に悩まされたり、悪の破壊的な力が人生の味わい、喜びの興奮、希望の風味を奪ったりするときに、”ぶどう酒が足りない”ことに気づくことがあります。しかし、このような”欠乏”に直面しても、主は豊かにその愛を注ぎ、喜びと希望の聖霊の”ぶどう酒”を私たちの生活にもたらし、それを私たちに豊かに与えてくださるのです」と強調。「『私たちが欠乏すればするほど、主はより豊かに応えてくださる」という考えは、一見、矛盾しているように思えますが、それは、主が私たちと共に祝いたい、と望んでおられるからです」と説かれた。
そして説教の最後に、教皇は、「聖母マリアが私たちのために取り成し、この聖年に、主イエスと出会う喜びを再発見できるよう助けてくださるように」と信者たちに祈るよう促された。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
Pope Francis at General Audience (VATICAN MEDIA Divisione Foto)
(2025.1.15 Vatican News Deborah Castellano Lubov)
教皇フランシスコが15日の水曜恒例一般謁見で、13日にミャンマー北部カチン州のヒスイ鉱山地域で発生した地滑りの被害者たちに対する支援を呼びかけられた。また、世界中で戦争や紛争によって引き起こされる無数の殺戮に貢献する武器製造業者が回心するよう祈ることを、信者たちに求められた。
教皇は、13日のミャンマーでの地滑り事故では、「死傷者や行方不明者、そして甚大な被害をもたらしています」と述べられた。AP通信によると、少なくとも12人が死亡し、多数が行方不明となっており、少なくとも50軒の家屋が土砂に埋もれたり、損壊したりしている。
そして教皇は、「この悲劇の被害に遭った人々に寄り添い、命を落とした人々やその家族のために祈っています」とされ、「このような試練に耐えている兄弟姉妹たちに、国際社会からの支援と連帯が欠けることがないように」と訴えられた。
教皇はさらに、「私たちは忘れてはなりません…殉教したウクライナ、ミャンマー、パレスチナ、イスラエル、そして多くの戦争中の国々を」と語られ、世界中で今も続いている戦争や紛争で苦しむすべての人々のために祈るよう、すべての人々に呼びかけられた。
そして「戦争は常に敗北です」と強調され、「武器製造業者が回心するよう祈りましょう。なぜなら、彼らがその製品によって殺人を助長しているからです」と訴えられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
Pope Francis at General Audience (VATICAN MEDIA Divisione Foto)
(2025.1.15 Vatican News Deborah Castellano Lubov)
教皇フランシスコは15日、水曜恒例の一般謁見で、先週に続いて「児童労働という”惨禍”」をテーマに講話をされ、「イエスはご自分の働きの中で、小さな者たちを守り、歓迎し、愛することの重要性を繰り返し語られた」ことを強調された。
講話で教皇は、「主がすべての人を神の子として愛し、特に最も小さい者たちを大切にされていること」を思い起こされたうえで、「世界では今日も、何億もの未成年者が、成人としての義務を負う最低年齢に達していないにもかかわらず、労働を強いられ、その多くが特に危険な労働に従事させられています」と指摘。
さらに、少年少女たちが「売春やポルノを目的とした人身売買の奴隷」となり、あるいは「強制結婚」を強いられている現状を強く非難された。
そして、「私たちの社会では、子供たちが虐待や不当な扱いを受けるやり方は数多く存在しています。そのような児童虐待は、その性質が何であれ、卑劣で極悪非道な行為です」とされ、「それは単に『社会の害悪』だとか、『犯罪』というだけでなく、神の戒律に対する重大な違反です」と言明。
「ですから、私たちには、良心を目覚めさせ、虐待を受けた子供や若者たちに寄り添い、真の連帯を示すことが必要です。また、彼らに成長の機会と安全な場所を提供することに献身する人々の間に信頼と相乗効果を築くことも求められているのです」と訴えられた。
また教皇は、「広範にわたる貧困、家族に対する社会支援手段の不足、失業や雇用の不安定」が、幼い子供たちに最も大きな負担を強いる要因となっていること、子供たちがしばしば「利用」されることを強く非難され、「キリストはこのような幼い子供たちのニーズに応えることを重大な道徳的義務だ、見ておられました」と説かれた。
さらに、「今日、貧困の中で暮らす多くの子供たちが労働を強いられ、また、虐待やネグレクトに苦しめられたり、薬物やギャングに依存させられたり頼ったりしている。このような絶望的な現実を前にして、具体的な行動を起こすべきです」と信者や世界の人々に求められ、各国政府や国際機関に対しても、「多くの国や国際機関がすでに児童労働に対する法律や指令を制定していますが、さらに多くのことができるはずです」と努力を促された。また、世界のジャーナリストたちに対しても、「問題に対する認識を高め、解決策を見出す手助けができるはず」とも述べた。
そして、信者たちに「私たち自身は、自分の役割をはたしているでしょうか。例えば、児童労働を搾取する企業からの製品購入や投資を避けるよう求めたり、マザー・テレサの例に倣い、子供たちが安全と愛情の中で人間として成長し、より良い未来への希望となるよう手助けすることもできるのではありませんか」と呼びかけられた。
マザー・テレサに関しては、「最も恵まれない、忘れられた少女や少年たちの『母』。彼女の優しさと配慮にならうように。そうすることで、自分の目に見えない小さな子供たち、あまりにも多くの奴隷となっている子供たちを、不正を放っておくことのできない世界に同行させることができるからです」と説かれ、すべてのカトリック信者と善意ある人々に、「子供たちの福祉を守り促進するために、自分たちにできることを行うように」と呼びかけられた。
また教皇は「「マザー・テレサと共に、子供たちに声を与えましょう」と次の、彼女の次の言葉を引用された。
「私が遊べる安全な場所をください。愛することができる人の微笑みをください。より良い世界の希望としての子どもでいられる権利をください。人間として育つことができますように。あなたを頼りにしていいですか」。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
教皇フランシスコ 2025年1月11日 聖年の巡礼者への謁見 バチカン・パウロ6世ホール (ANSA)
(2025.1.11 バチカン放送)
教皇フランシスコが11日の土曜日、バチカンのパウロ6世ホールで、の謁見をなさった。
この謁見は、毎週水曜日に行われる一般謁見とは別に、聖年中にローマを訪れる巡礼者のために、隔週を目安に土曜日に行われることになったもので、講話では、「希望」をテーマに様々な角度から考察される。
その第一回となる講話の要旨は次の通り。
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皆さんの多くは、「希望の巡礼者」として、ここローマに来ています。今日から、皆さんと「聖年の土曜日の謁見」を始めたいと思います。この謁見は、世界のいたる所から、新たな始まりを求めてやって来るすべての人を歓迎し、抱擁するものです。聖年とは「新たな始まり」です。それはすべての人にとって、神から新たにスタートする可能性を意味するものです。今回から聖年を通して予定する土曜日の謁見では、希望が持ついろいろな側面に焦点を当てていきたいと思います。
まず、「希望」とは、対神徳(キリスト教の徳のひとつで、信仰、希望、愛の3つの徳 を指す。人間が神の本性にあずかることができるようにするもの)の一つです 。ラテン語で「virtus(徳)」とは「力・能力」を意味します。希望とは、神から来る力。人に備わっているかどうかの、習慣や性格のことではありません。願い求める力なのです。私たちが巡礼をするのはそのためです。巡礼を通して、人生の歩みを再び始めるための賜物を願うのです。
私たちは明日12日に、「主の洗礼」の祝日を記念します。主の洗礼という出来事にあたって、私たちに「偉大な希望の預言者」、洗礼者ヨハネについて考えずにはいられません。イエスは「およそ女から生まれた者のうち、ヨハネより偉大な者はいない」( ルカ福音書7章28節)と語られました。
この言葉から、なぜ多くの人が「人生を新たにしたい」という願いのうちにヨハネのもとに集まっていたのかが、分かります。ヨハネの人となりは、実に偉大で、信頼に足るものでした。今日、私たちが聖なる扉をくぐるように、洗礼者ヨハネもまた、ヨルダン川に入るようにと、招いていたのです。
しかし、イエスは洗礼者ヨハネに対する賛辞のすぐ後で、次のようなことを言われます。それは私たちを考えさせる言葉です。「およそ女から生まれた者のうち、ヨハネより偉大な者はいない。しかし、神の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である」。
すべての希望は、この飛躍の中にこそ、あるのです。希望は、私たちにではなく、神の国にかかっています。さらに驚くべきことは、神の国を受け入れることで、誰が偉大かについての新たな尺度がもたらされる、ということです。これこそ私たちの世界が、皆が、必要としていることです。
イエスがこの言葉を述べた時、洗礼者ヨハネは牢の中にいて、彼の心は問いで満ちていました。私たちも巡礼の中に多くの問いを抱えています。それは、神の国に対抗する「ヘロデ」たちが、いまだ多くいるからです。しかしイエスは、福音の驚くべき掟である「真福八端」という新しい道を示してくださいます。
では、ここで自分に問いかけましょう―「『再び始めたい』という願いを心に本当に抱いているか」「どういう人が本当に偉大なのかを、イエスから学びたいと思っているか」と。神の国では、最も小さい者は、偉大なのです。
洗礼者ヨハネから、「再び信じる」ことを学びましょう。私たちが共に暮らす家である、搾取され傷ついた地球への希望、すべての人間にとっての希望は、神が言われる尺度の中にあります。神が尺度とされる偉大さは、普通のものとは異なります。イエスの中に輝き、私たちに奉仕と兄弟愛を求め、自分たちの小ささを認めさせる、この神の尺度から再発しましょう。そして、小さき人々を見つめ、彼らに耳を傾け、彼らの声となりましょう。これが新たな始まり、私たちの聖年なのです。
(編集「カトリック・あい」)
Pope Francis greets member of the diplomatic corps accredited to the Holy See (VATICAN MEDIA Divisione Foto)
(2025.1.9 Crux Senior Correspondent Elise Ann Allen)
教皇フランシスコは9日、在バチカン外交団との年頭の会見で、「フェイクニュース」が世界中で増えている現状を非難され、「このような意図的な事実の歪曲が憎悪の風潮を醸成し、2024年のスロバキアのフィコ首相や米国のトランプ次期大統領に対する暗殺未遂事件などの行為につながっている」と警告された。
*”フェイクニュース”が憎しみを煽り、要人暗殺未遂などを起こしている
会見での講話で教皇は、”フェイクニュース”の絶え間ない作成と拡散 “を慨嘆され、「それは”事実だけでなく認識も歪めてしまっている」と語られた。そして、「この現象は、虚像を生み出し、憎しみを煽る疑惑の風潮を生み、人々の安心感を損ない、市民的共存と国家全体の安定を危うくする」と指摘。そうした目的のために、2週間以内に行われるトランプ氏の大統領就任式を前にした最近の銃撃事件などが起きていることを憂慮された。
昨年一年間のバチカンの外交面での成果として、司教任命に関するバチカンと中国の暫定合意の更新を挙げ、更新期間が従来の2年ではなく4年に延ばされたことは「中国のカトリック教会とすべての中国国民の利益のために、尊敬に満ちた建設的な対話を続けたい、という願いの表れ 」と説明されたが、世界の現状を見ると、ドイツのマグデブルクやニューオリンズでのテロを含む紛争や戦争が続き、各地で社会的・政治的緊張が高まっている、と指摘。
*平和と対話を促進する「希望の外交」を
そうした中で、新しい年、そして聖年が始まり、「外交は平和と対話を促進する上で重要な役割を担っています」とされ、世界の政治指導者たちが共通善を追求し、貧しい人々や虐げられた人々を優先するような『希望の外交』を実践するよう、各国の外交官たちに提唱された。
また、「現代の社会が、ますます富と物質的成長を重視し、子供よりも、ペットを好むようになっており、合理的な議論が失われ、異なる考えを持つ人々への不信感が高まる中で、真実が失われています」と批判。「こうした傾向は、現代のコミュニケーション手段やメディアや人工知能によって増幅され、経済的、政治的、イデオロギー的な目的のために心を操作するために悪用される可能性があります」と警告された。
教皇はまた、科学の進歩がもたらすリスクにも警鐘を鳴らし、「科学の進歩は多くの恩恵をもたらしていますが、反面、特にソーシャルメディアやオンラインゲームの普及が、二極化、偏狭さ、不安、孤立、そして”現実の単純化”を増幅させる原因にもなっています」と語られ、それを克服するための 批判的思考と個人の成長を促す「メディア・リテラシー教育」の重要性を強調。
また、多国間主義の重要性と、国際的な場面で意思疎通を図るための共通言語を見つける必要性を指摘。「人々の価値観や信念を踏みにじる分断的なイデオロギーを推進するために、用語の意味を変えたり、人権条約の内容を一方的に解釈し直したりして、多国間の文書を操作しようとする試みは、特に憂慮すべきもの… 慎重に計画されたアジェンダに従って、民族の伝統、歴史、宗教的な結びつきを根こそぎにしようとすることは、真の『イデオロギーによる植民地化』を意味します」と強く警告された。
さらに、「これは、胎児や高齢者を含む弱者に不釣り合いな影響を及ぼす… 人権、特に、生命に対する権利と矛盾する『中絶の権利』が主張されている」現状を挙げ、「すべての命は、受胎から自然死まで、あらゆる瞬間において、保護されねばなりません。高齢者や病人が希望を奪われ、捨てられてはならないのと同様に、どんな子供も、存在することが”間違い”であったり、”罪”であったりしてはならないからです」と訴えられた。
続けて教皇は、「紛争を効果的に解決したり、現代の課題に対応したりする国際機関の能力が低下していること」を指摘しつつ、イラン(の核開発を抑制する)核合意をめぐる交渉の再開など、最近の外交的成功を評価された。
*憎しみと暴力を克服する「赦しの外交」が必要
教皇はまた、「憎しみと暴力を克服し、平和を回復すること」のできる「赦しの外交」を育むことの重要性を強調。(昨年12月の「主の降誕」から始まっている)聖年を踏まえ、「2025年にウクライナとガザでの戦争を終結させるために、国際社会全体が意義ある努力をすること」を希望され、「イスラエル人の人質解放」「長年のイスラエルとパレスチナの紛争に対する二国家間解決の達成」「ガザの”恥ずべき”人道危機からの救済」を提唱された。
そして、改めて「世界的な武器貿易の廃止」を提唱され、「戦争は、すべての関係者にとって失敗。民間人、特に子どもたちが巻き込まれ、インフラが破壊されることは、両者の間で悪だけが勝者となることを意味します」と警告。
さらに、「私たちは、民間人を爆撃したり、彼らの生存に必要なインフラを攻撃したりすることを容認できない。 病院が破壊されたり、国のエネルギー網が攻撃されたりして、子供たちが凍死するような事態を容認できません… 世界の国々が『国際人道法を尊重する』と言いながら、その履行を怠っている」と批判。この聖年を契機に、「侵すことのできない人権が軍事的な必要性のために犠牲にされることのないよう、積極的な措置を講じることを望みます」と訴えられた。
アフリカ各地やミャンマーで起きているさまざまな紛争、中東やハイチ、ベネズエラ、ニカラグアなどの中南米で社会不安が続いていることにも言及された。
*信教の自由を含めた人権を尊重する「自由と正義の外交」も
また、「平和と信教の自由の権利の尊重」も提唱され、世界中で高まる反ユダヤ感情や、アジアやアフリカにおけるテロリスト集団によるキリスト教徒への迫害、また、信者の権利を制限する法規範や行政慣行を通して、西側諸国における信教の自由への”控えめな冒涜”を非難された。
加えて教皇は、世界中で続いている奴隷労働、人身売買、麻薬取引に終止符を打つよう呼びかけ、尊厳ある労働条件と、特に「若者にとって有意義な雇用の促進」を提唱。人身売買という「恐ろしい商業」の撲滅に国際社会が参加し、特に人身売買の被害に遭いやすい移民に配慮する「自由の外交」を呼びかけられた。
また教皇は、「正義の外交 」を呼びかけ、「聖年は、正義を実践し、負債を赦し、囚人の刑を減刑するために、理想的な時期です」とされ、正義を回復できる方法として、「死刑は今日、正当性を見出すことができない」として、すべての国における「死刑を廃止」を改めて呼びかけ、「国家を含め、誰であれ、他人の生命を要求することを許す”負債”など存在しません」と説かれた。
さらに教皇は、「気候危機と闘う、さらなる努力」を世界の国々に求め、裕福な国々に、貧しい国々が社会開発を優先的に取り組めるよう、返済不能な債務を免除するよう求められた。
最後に教皇は、「2025年が、世界にとって、真理、赦し、自由、正義、平和に満ちた、真に恵みの年となるように!」と希望され、講話を締めくくられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
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教皇フランシスコ 2025年1月5日のお告げの祈り (VATICAN MEDIA Divisione Foto)
(2025.1.5 バチカン放送)
教皇フランシスコは5日、「主の公現」の祝日の正午の祈りに先立つ説教で、「言(ことば)は肉となった」とイエスについて語る、ヨハネ福音書の冒頭部分(1章1-18節)をを取り上げ、神の愛-私たち一人ひとりに到達するために、あらゆる方法を見つけ、私たちの歩みを照らし続ける神の愛-を強調された。
教皇の説教の要旨は次のとおり。
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「言(ことば)は肉となった」とイエスについて語る今日の福音(ヨハネ福音書1章1-18節参照)は、「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」(同1章5節)と述べています。これは、神の愛は強く、何ものにも打ち勝ち、妨げや拒絶にもかかわらず、私たちの歩みを照らし続けることを思い起させます。
私たちは、それを主の降誕に、人となられた神の御子が多くの壁と分裂を克服する時に、見ることができます。イエスは、当時の「偉大な」人たちの「神を求めるよりも、自分の権力の維持を案ずる、閉ざされた心と考え」に直面されました( マタイ福音書2章3-18節参照)。御子は、限られた可能性と不便さの中で、ご自分を受け入れ愛情をもって育ててくれたマリアとヨセフと、つつましい生活を分かち合われました。
か弱く無防備な御子は、羊飼いたちとの出会いに自らを差し出しました。羊飼いたちは、人生の厳しさと社会からの軽蔑に傷ついた心を持っていました。そして、幼子イエスは東方三博士たちと出会われます。彼らはユダヤ人の王として生まれた幼子に会う情熱のために長い旅に出て、ついに貧しい庶民の家の中にイエスを見つけたのです。
神は、このような、また他の多くの挑戦を前に、とどまることはありません。損得勘定なく、無条件に、すべての人、私たち一人ひとりに到達するために、あらゆる方法を見つけられます。神は、人類の最も暗い夜でさえも、光の窓を開けられ、その光を闇が覆うことはありません(イザヤ書9章1-6節)。このことは、特に、光と、希望、平和を大いに必要としている今、人類が複雑な状況を作り出し、そこから抜け出せないように思われる今、私たちを慰め、力づけてくれます。
今日、神の御言葉は、この神の愛に倣うようにと、私たちを招いています。家庭、社会、国際的場面など、自分が置かれた場所で、出会うあらゆる人に、一筋の光をもたらすようにと呼びかけています。恐れずに最初の一歩を踏み出し、苦しむ人への寄り添い、赦し、憐み、和解し、光に向けて窓を開け放ち、皆の歩みを照らし確かなものとするようにと、呼んでいます。
この招きは、特に始まったばかりの聖年に響き渡ります。命に「はい」と答え、命をもたらすことを選びながら、希望のメッセンジャーとなるようにと、私たちを促しています。皆でこれを実行しましょう。これが救いへの道なのです。
そして、年の初めに自らに問いかけましょう―「自分が置かれた環境や人間関係の中で、どのような方法で、光の窓を開けることができるだろうか?」「どのような場所で、神の愛を伝える光となることができるだろうか?」と。
イエスに導く星であるマリアよ、すべての人のために、御父の愛の輝く証しとなることができるように、どうか私たちをお助けください。
(編集「カトリック・あい」)