☩「武力は自衛のためにのみ行使されるもの、世界の紛争地に速やかな平和を」軍務や治安業務に携わる人々のための聖年ミサの終わりに

Pope Francis at the conclusion of the Jubilee Mass for the Armed Forces, Police and Security Personnelローマ法王フランシスコ、軍隊・警察・治安要員のための聖年ミサを終える(VATICAN MEDIA Divisione Foto

 教皇フランシスコは9日の聖ペトロ広場での軍務や治安業務に就いている人々のための聖年のミサの最後に、彼らが、いかにして平和の確立に貢献する「安全保障と民族の自由の代理人」となりうるかを思い起こされ、また、紛争下にあるウクライナ、パレスチナ、イスラエル、ミャンマー、キブ(コンゴ民主共和国)、スーダンに速やかに平和がもたらされるよう祈られた。

 教皇は、第二バチカン公会議の現代世界における教会の司牧憲章 “Gaudium et spes “を思い起こされつつ、「自国の軍務に身を捧げる者は、自らを諸国民の安全と自由の担い手とみなすべきです」と激励。 そして、「武力行使は自衛のためにのみ行われ、決して他国を支配するために行われるものではない。紛争に関する国際条約を常に遵守し、何よりもまず、生命と被造物に対する神聖な敬意をもって行われるものでです」と忠告された。

 そして、「苦しみの中にあるウクライナ、パレスチナ、イスラエル、中東全域、ミャンマー、キブ(コンゴ民主共和国)、スーダンの平和のために祈るように」とすべての人に求められ、「あらゆる場所で武器が沈黙し、平和を求める人々の叫びが聞かれるように!”と祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年2月10日

☩「父なる神の愛の、勇気ある証人となれ」-世界の軍隊、警察、治安関係者のための聖年ミサで

Mass in Saint Peter's Square for the Jubilee of the Armed Forces, Police and Security PersonnelMass in Saint Peter’s Square for the Jubilee of the Armed Forces, Police and Security Personnel  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)

 

 

*すべてを失ったように思える時も、神から与えられた希望は揺るがない 

   まず教皇は、イエスが鋭い視線で、大勢の人々の中に、岸に近づく二艘の舟と、一晩の無駄な労働の後に空の網を洗っている漁師たちの落胆した表情さえも「見抜いて」いたことに言及され、「イエスの視線が、彼らに対する深い思いやりで満ちていたこと」を指摘。「イエスのこのような振る舞いに見られるように、神が常に私たちに対して示してくださる親密さ、慈しみ、優しさを、決して忘れてはなりません」と説かれた。

 (この後、教皇は、のどの痛みからミサ司式者のディエゴ・ラヴェッリ大司教に、ご自身が事前に準備された説教を代読するよう求められた。教皇は気管支炎にかかられたため、ここ数日、宿舎のサンタ・マルタで活動を続け、会合にも出席されていた。)

 

 そして、教皇は、イエスが漁師たちの落胆ぶりを見て、その中の一人、シモンに、持ち舟にご自分を乗せて岸辺から少し漕ぎ出すように、お頼みになったことを取り上げられ、「イエスは、シモンの人生に入り込み、彼の失望感と無力感を共有したのです… これは重要です。イエスは、私たちがしばしばするように、物事がうまくいかない時、ただ傍観し、ひどく不満を言うようなことはなさらず、進んでシモンに近づき、その困難な時を彼と共に過ごされ、彼の『人生の舟』に乗ることを選ばれたのです」と語られた。

 

 続けて教皇は、イエスが舟に乗ると、腰を下ろして群衆に教え始められたことを取り上げ、「漁師たちの目や心に、実を結ばなかった一晩の労苦のフラストレーションを垣間見られたイエスは、良い知らせを告げ知らせ、失望の暗い夜に光をもたらし、人生の苦闘の中でも神の美しさを語り、すべてが失われたように見えても希望は続くことを再確認するために、舟に乗ったです」と指摘された。

 

 

*そして、奇跡は起こる

 

 「主が私たちの『人生の舟』に乗り込み、私たちを絶えず支え、見守ってくださる神の愛の福音をもたらしてくださるとき、私たちの人生は新たに始まり、希望がよみがえり、熱意がよみがえり、再び海に網を投げ入れることができるのです… この希望のメッセージは、軍隊、警察、治安関係の方々のための聖年を祝う今日、私たちを導いてくれます」と強調。

 そして、ミサに出席したすべての当局者、軍関係団体および学校、軍の司教および司祭に挨拶し、彼らの奉仕に感謝の意を表された。

 

 

*皆さんの特質は「勇気」だ

 

 また教皇は、「皆さん全員が、社会生活、政治生活の多くの側面を包含する崇高な使命-国を守り、安全を維持し、合法性と正義を擁護すること―を託されています」とされ、さらに「乗り込むこと。皆さんの制服、皆さんの人格を形成した規律、皆さんの特徴である勇気、皆さんが誓いを立てたこと、これらすべてが、悪を見つけ報告することの重要性を思い出させてくれるだけでなく、荒れ狂う船に乗り込み、座礁しないよう努めることの重要性を思い出させてくれます」と語られた。

 そして、「法と秩序を守るために都市や近隣にあなたがたが存在すること、そして無防備な人々の味方になることは、私たち全員にとって教訓となり、善はすべてに打ち勝つことができることを教えてくれます」と讃えられた。

 

 

*聖職者の役割は

 

 また教皇は、彼らの仕事はその人生全体を包含するものであり、その仕事を行う際には聖職者が同行していることを思い起こされ、「聖職者たちは、皆さんの真ん中にいる重要な存在。その任務は、歴史の中で時折起こったように、戦争の異常な行為を祝福することではありません。彼らはキリストの存在として皆さんの間にいる。キリストは、皆さんの傍らを歩み、耳を傾け共感を示し、常に新たな一歩を踏み出すよう励まし、日々の奉仕を支援することを望んでいるのです」と強調。

 「道徳的・精神的な支えとして、聖職者は、皆さんのあらゆる歩みに同行し、福音の光のもと、共通善の追求において皆さんの使命の遂行を助けます」と述べられた。

 

 

*命の守護者となる目的を見失わないように、好戦的になる誘惑に警戒して

 

 さらに教皇は、「皆さんが時に大きな個人的リスクを冒しておられることに感謝しています。嵐に翻弄される船に乗り込んでくださることで、私たちを守り、私たちが進むべき道を歩み続けるよう励ましてくださっていることに感謝します」と語られ、同時に「自らの奉仕と活動の目的を見失わないように。その目的は、生命を促進し、生命を救い、生命の絶え間ない守護者となることです」と願われた。

 説教の最後に教皇は、次のように呼びかけられた。

 「好戦的な精神を育む誘惑に対して警戒しなさい。権力の幻想や武器の轟音に惑わされないよう警戒しなさい… 憎悪を植え付け、守るべき友人と、戦うべき敵とに世界を分断するプロパガンダに毒されないよう警戒しなさい。私たち皆が兄弟姉妹となることを望む父なる神の愛の勇敢な証人となるように。共に平和、正義、友愛の新しい時代の担い手となるよう努めましょう」。

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2025年2月9日

☩「試練の時、希望は私たちを強めてくれる」ー2月11日「世界病者の日」教皇メッセージ

(2025.2.9 カトリック・あい)

 カトリック教会は、2月11日、33回目の「世界病者の日」を祝う。教皇フランシスコはそれに向けたメッセージを以下のように出されている。

(翻訳・カトリック中央協議会、編集・「カトリック・あい」=聖書の引用の翻訳は「聖書協会・共同訳」による)

2025年「第33回世界病者の日」教皇メッセージ 

「希望が失望に終わることはない」(ローマの信徒への手紙5章5節) 試練のときに私たちを強めてくれる

親愛なる兄弟姉妹の皆さん

 私たちは2025年の聖年に第33回「世界病者の日」を祝います。この聖年に教会は、私たちに「希望の巡礼者」となるよう促しています。この旅路には、神の言葉が聖パウロを通して伴ってくださいます。大きな励ましとなるメッセージを与えてくださっているのです。「希望が失望に終わることはありません」(ローマの信徒への手紙5章5節)。まさに、希望は試練の時に、私たちを強めてくれます。

 この言葉には慰められます。ただ、とくに苦しんでいる人々にとっては、難しい問いかけにもなるのです。たとえば、身体が重い病気で弱っている時、そして、その治療に払えそうもない高額な費用がかかる時に、私たちは強くあり続けることができるでしょうか。私たち自身の苦しみに加えて、自分を支えてくれている愛する人たちも助けることに無力感を覚えている時に、「まだ力がある」ことを示せるでしょうか。そうした状況にある時、私たちは「自分よりも強い力による支え」が必要と感じます。神の助けが必要になるのです。神の恵み、神のみ摂理、神の霊の賜物である力です(『カトリック教会のカテキズム』1808項参照)。

 ここで、神がどれほど苦しんでいる人の近くに寄り添ってくださるかについて、考えてみましょう。とくに、その寄り添いが表れる三つの様相があります。出会いと賜物、分かち合いです。

1.まず、「出会い」です。イエスは、72人の弟子たちを宣教に派遣した時(ルカ福音書10章1-9節参照)、病者たちにこう言うようお命じになります―「神の国はあなたがたに近づいた」(同9節)。こうして、たとえ苦痛を伴い、理解に苦しむような病にあっても、主との出会いの機会を得られるように助けなさい、と求めておられるのです。

 実際、病に見舞われた時、私たちは、人間としての弱さを、身体的、心理的、そして精神的な弱さを感じます。それでも、神の寄り添いと共感を体験することもできます。イエスは、私たちと苦しみを共にしてくださったのです。神は、私たちを見捨てることがなく、時として、私たちが思いもせず、決して見い出すこともなかった力を授かっていたことに、気づかせ、驚かせてくださいます。

 そうして病は、私たちを変える出会いの機会になります。人生の嵐に遭った時にも、しっかりとつかまることのできる堅固な岩を見い出すのです。その体験は、たとえ大きな犠牲を伴っても、私たちをより強くしてくれます。私たちが独りぼっちではないことを分からせてくれるからです。このことから、「苦しみそのものが救いの神秘をもたらす」と言うこともできます。神の慰めに満ちた現存の寄り添いを実際に体験させてくれるからです。こうして私たちは、「その約束と命のすべてを通して福音の豊かな完全さを知る」(聖ヨハネ・パウロ二世教皇「米国司牧訪問時の若者たちへの講話」ニューオーリンズ、1987年9月12日)のです。

2.このようにして、私たちは二つ目の様相である「賜物」に思い至ります。確かに、苦しみほど、あらゆる希望が主から来ることに気づかせてくれるものはありません。それは、何より第一に、受け取り、育むための恵みなのです。尊者マドレーヌ・デルブレルの美しい表現を借りれば、「神の忠実さに忠実」であり続けることです(『希望は暗闇の中の光』序文[La speranza è una luce nella notte, Vatican City 2024]参照)。

 それでも、キリストの復活のうちにだけ、私たちの人生は永遠の限りない地平の中に、その行き先を見い出すのです。主イエスの復活のうちにだけ、私たちは確信するに至ります。「死も、命も、天使も、支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、他のどんな被造物も…  神の愛から私たちを引き離すことはできないのです」(ローマの信徒への手紙8章38-39節)。

 この「偉大な希望」は、私たちが人生の試練や障害を乗り越える助けとなる、何か他のかすかな光を生み出します(ベネディクト十六世回勅『希望による救い』27、31項参照)。それだけでなく、復活された主は、私たちと共に歩み、私たちの旅に同伴してくださるのです。エマオに向かう弟子たちのために、そうされたとおりです(ルカ福音書24章13-53節参照)。

 その弟子たちと同じように、私たちも迷いや心配事、失望を主と分かち合うこと、また私たちを照らし、心を燃え立たせてくださる主の御言葉を聞くことができます。そして、パンを裂くことで、私たちも主の現存に気づくことができます。主が私たちと共におられることを通して、現在という制約の中にあっても、その「向こう側」が近づいてくることで、勇気と自信を取り戻すことができるのです。

3.そして、三つ目の様相に行き着きます。「分かち合い」です。苦しみのあるところは、しばしば分かち合いの場でもあります。そこでは、互いを豊かにし合うことができます。私たちは何度となく、病者の床に寄り添うことによって、希望を抱くすべを学ぶことでしょう。何度となく、苦しむ人に寄り添うことで、信じることを学ぶことでしょう。何度となく、困窮している人の世話をすることで、愛を見い出すことでしょう。私たちは、互いに、希望の「天使」のように、神の使者のようになっていることに気づくのです。私たちは皆、一緒です。患者も医師も、看護師も家族も、友人も司祭も、修道者も。どこにいようと、家庭にいようと、救急病院にいようと、養護施設にいようと、病院にいようと、診療所にいようと。

 そして大切なのは、このような恵みに満ちた出会いに、美しさと価値を見い出し、忘れることのないよう、心に刻むすべを学ぶことです。大切に心の内にしまうのです。看護師の優しい微笑を、患者の信頼と感謝にあふれる眼差しを、医師やボランティアの思いやりと気配りに満ちた顔を、伴侶や子どもたち、孫たち、親友たちの期待と不安に満ちた顔を。こうしたすべては、大切な宝になる光で、試練の暗い夜のただ中にあってさえも、私たちに力を与えてくれるだけでなく、命と愛と寄り添うことの真の意味を示してくれるのです(ルカ福音書10章25-37節参照)。

 親愛なる病者の皆さん、苦しむ人を支えている兄弟姉妹の皆さん。この聖年に、皆さんは、いまだかつてないほどの特別な役割を果たしています。皆さんが共に歩む旅路は、実にすべての人にとってのしるしなのです。「人間の尊厳への賛歌であり… 望の歌です」(大勅書『希望は欺かない』11)。その歌声は皆さんがおられる医療施設の病室や病床の外にまで響き、愛のうちに「社会全体の調和ある行動」(同)を促し、励まします。そのハーモニーの実現は時に難しいのですが、まさにそのために、とても甘美で力強く、それが最も必要とされる所に光と温もりを届けることができるのです。

 こうしたことから、全教会は皆さんに感謝しています。私も同じように感謝し、いつも皆さんのことを祈りのうちに思っています。私は皆さんを、多くの兄弟姉妹が困難な時にマリアにささげる祈りをもって、病者の救いであるマリアにゆだねます。

神の御母よ、私たちはご保護を仰ぎます。いつ、どこでも私たちの祈りを聴き入れ、御助けをもってすべての危険から守ってください。(カルメロ神父編『カトリック祈祷書 祈りの友』[発売・カルメル会宇治修道院、サンパウロ]より)

 私は、皆さんとご家族、皆さんの愛する人たちに祝福を送ります。そして皆さんにお願いします。どうか忘れずに、私のために祈ってください。

ローマ サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂にて 2025年1月14日 フランシスコ

2025年2月9日

☩「希望の巡礼者として、人身取引反対の道を共に歩もう」-2月8日、「世界人身取引に反対する祈りと啓発の日」に

教皇フランシスコ、人身取引撲滅に取り組む奉献生活者のネットワーク「タリタ・クム」の代表者らと 2025年2月7日教皇フランシスコ、人身取引撲滅に取り組む奉献生活者のネットワーク「タリタ・クム」の代表者らと 2025年2月7日  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)

(2025.2.7 バチカン放送)

 教皇フランシスコが7日、8日の「International Day of Prayer and Awareness against Human Trafficking(世界人身取引に反対する祈りと啓発の日)」のメッセージを発表された。

 世界のカトリック教会は毎年2月8日、人身取引犠牲者の保護者である聖ジュゼッピーナ・バキータの日を「世界人身取引に反対する祈りと啓発の日」としている。聖年である今年のテーマは、「希望の使者:人身取引に共に反対を(仮訳)」だ。

教皇はこの日を前にした7日、人身取引の撲滅に取り組む奉献生活者の国際ネットワーク「タリタ・クム」の代表者らにお会いになり、その場でメッセージを発表された。

メッセージで教皇は、「この聖年の年に、『希望の巡礼者』として、人身取引に反対する道を共に歩むように」と世界の信者たちに勧められている。

「女性や、子ども、若者、移民・難民をはじめ、現代の奴隷制度に囚われている無数の人々を前に、どのように希望を育み続けることができでしょうか」と問いかけられた教皇は、「私たちの希望、キリストに眼差しを上げることによって、暗い中で小さな光を灯し、その光を一つに合わせることで、あけぼのが訪れるまでの夜の闇を照らすことができるのです」と強調。

「人身取引と闘う世界中の若者たちの姿から、希望の使者となり、粘り強さと愛をもって共に行動し、被害者に寄り添う必要を学ぶように… 神の助けをもってこそ、不正に慣れることを防ぎ、ある種の現象を根絶やしにすることは不可能と考える誘惑を遠ざけることができます」と述べておられる。

また教皇は、「人身取引の仕方は複雑で、常に変化し、戦争や紛争、飢餓、気候変動の影響を悪用して育つ現象です」とされ、人身取引に反対するために、世界的な対応とあらゆる層における共通の努力の必要を示され、「人間の尊厳を守り、あらゆる形の人身取引をなくし、世界平和を推進するための取り組みを促すように」と世界のすべての人々、特に政府や諸組織に呼びかけている。

そして、メッセージの最後に教皇は「『人類は皆、兄弟』という自覚と最大限の努力をもって、人身取引や搾取をなくし、基本的人権の尊重がそれに優る状況を共に作り出していくことができるように」と聖バキータに主への取り次ぎを願われた。

(編集「カトリック・あい」)

2025年2月8日

☩「祈りが、私たちの『希望の火』を燃やし続ける」-教皇、10月19日の「世界宣教の日」に向けてメッセージ

Pope Francis greets nuns as he arrives for a private meeting with people experiencing economic hardship at the House of the Missionaries of Charity, on the occasion of the Mediterranean Meetings (MED 2023), in Marseille, southern France, on September 23, 2023.Pope Francis greets nuns as he arrives for a private meeting with people experiencing economic hardship at the House of the Missionaries of Charity, on the occasion of the Mediterranean Meetings (MED 2023), in Marseille, southern France, on September 23, 2023. 

 

*”人間的危機”の兆候を示す世界の先進地域で

 

 教皇は、「このようにして、洗礼を受けた人々が『万人のための召命のしるし』となり、聖霊の力と日々の努力によって『万人のための宣教師、主イエスが与えてくださった大きな希望の証人』となることを告げられた。

 そして、「この大きな希望に突き動かされて、キリスト教の共同体は、最も『発展した』地域において深刻な人間的危機の兆候を示している世界において、新しい人類の先駆者となることができるのです…   そうした危機の兆候は、人々の間に広範囲にわたる戸惑い、孤独感、高齢者が必要としていることへの無関心、困っている隣人を助ける努力をすることへの消極性、として現れています」と指摘。

 「技術的に最も進歩した国々では、”近さ”が失われつつあります… 私たちは皆、互いに繋がっていますが、効率への執着や物質的なものへの執着、野心が、私たちを利己的にし、利他主義を不可能にしています」とされたうえで、「福音は共同体生活の中で経験され、私たちを完全で、健全で、贖われた人間性へと回復させることができます」と言明され、世界のすべての信者に対して、「貧しい人々、弱い立場の人々、高齢者、社会から疎外された人々に対して特別な配慮をするように。神の親密さ、思いやり、優しさという形で行うように」と促された。

 

2025年2月7日

◎教皇聖年連続講話「イエス・キリスト、私たちの希望」④「聖母マリアがそうされたように、キリストの愛が私たちを動かす」

Pope Francis at General AudiencePope Francis at General Audience  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年2月5日

☩「子供たちに捧げる『使徒的勧告』をまとめる」-教皇、「子供の権利サミット」閉幕あいさつで表明

Vatican hosts the first-ever International Summit on Children's RightsVatican hosts the first-ever International Summit on Children’s Rights  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)

 今回の会合には、世界の政治、経済の分野の関係者や子供の問題に関わるNGOの代表など科参加し、7つの分科会に分かれて、現代社会における子供の権利、教育を受ける権利、自由な時間を持つ権利、食糧や医療を受ける権利など、さまざまなトピックが取り上げられた。

 

 

 

 

 

2025年2月4日

☩「子どもの命に勝るものはない」-教皇、バチカンの「子供の権利サミット」初会合で

Pope Francis with children at the first International Summit on Children’s RightsPope Francis with children at the first International Summit on Children’s Rights  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)
(2025.2.3 Vatican News  Lisa Zengarini)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2025年2月4日

☩「イエスは私たちの救いであり、光だ」-「主の奉献」祝日の正午の祈りで

Pope Francis waves to the faithull in St Peter's Square gathered for his Sunday Angelus (File photo)Pope Francis waves to the faithull in St Peter’s Square gathered for his Sunday Angelus (File photo)  (ANSA)

 

 

2025年2月2日

☩教皇、聖年の巡礼者たち謁見講話②「『使徒中の使徒』とされたマグダラのマリアから希望を学ぼう」

教皇フランシスコ 2025年2月1日 聖年の巡礼者への謁見 バチカン・パウロ6世ホール教皇フランシスコ 2025年2月1日 聖年の巡礼者への謁見 バチカン・パウロ6世ホール  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)

 教皇フランシスコが1日、バチカンのパウロ6世ホールで、2回目の「聖年の土曜日の謁見」を行われた。

 これは、2025年聖年中にローマを訪れる巡礼者たちのために、毎週水曜日の一般謁見に加え、隔週を目安に土曜日に行われるもので、教皇が聖年のテーマである「希望の巡礼者」に沿って、「希望」を様々な角度から考察する講話をされる。

 今回は、「『希望する』とは、向き直ること。マグダラのマリア」について話された。要旨次の通り。

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 聖年は人々にとって、そして世界にとって、新たな始まりです。聖年は、神の夢においてすべてを捉え直すべき時。「回心」という言葉は方向の転換を意味しますが、すべてを別の視点から眺めることで、私たちの歩みも新しい目標に向かうことができる。そうして、決して欺かない希望が湧き上がるのです。

 聖書は、このことについて様々な形で語っています。私たちにとっても、信仰の体験は、人生において自分を変えることを知った人たちとの出会いによって刺激されてきました。彼らは言わば、「神の夢の中に入った人たち」でした。

 そうした意味で、福音書におけるマグダラのマリアの姿は、誰よりも際立っています。イエスは、慈しみをもって彼女を癒し(ルカ福音書8章2節参照)、それによって彼女は変わりました。慈しみは、心を変容させます。マグダラのマリアは慈しみによって神の夢の中に導かれ、彼女の歩みに新たな目標がもたらされました。

 ヨハネ福音書が語るマグダラのマリアと復活されたイエスとの出会いは、私たちに示唆を与えます。何度もマリアが「振り向いて」います。マリアは泣きながら墓の中を見ていましたが、振り返ります。復活されたイエスは、死の側でなく、命の側におられました。マリアは、振り返った先にいた人を、普段見かける人の一人だと思ったかもしれません。そして、イエスがマリアの名を呼ばれた時、マリアが再び振り向いたことを、福音書は記しています。

 こうしてマグダラのマリアの希望は膨らみます。今はもう、墓を最初のようには見ていない。彼女が涙を乾かすことができるのは、自分の名前が、師しか呼ぶことのできない形で呼ばれるのを聞いたからです。「古い世界」は、まだそこにあるように見えても、もうそれは存在しません。

 私たちの心の中で聖霊が働く時、主が名前で呼んでくださるのを聞きます。私たちは師の声を聞き分けることができるでしょうか。

 「使徒の中の使徒」と呼ばれたマグダラのマリアから希望を学びましょう。新しい世界に入るには、何度も回心する必要があります。私たちの歩みは、絶えず展望を変えるようにと、招かれています。復活された主は、私たちを一歩一歩、ご自身の世界へ導いてくださいます…私たちがすでにすべてを知っているかのように振る舞わない限りは。

 今日ここで自分に問いかけましょう。「私は物事の見方を変えることができるだろうか。回心の望みを持っているだろうか」と。

 自信過剰で高すぎる誇りが、復活されたイエスを認めることを妨げます。今日でも、イエスの姿は、私たちが気にもかけない普通の人の姿です。私たちは、泣いたり絶望している時でさえも、イエスを置き去りにしてしまうのです。

 過去の闇や墓の虚しさを見つめず、命に向き直ることを、マグダラのマリアから学びましょう。師はそこで待っておられます。私たちの名は、そこで呼ばれるのです。

 現実の生活に、私たちの居場所があります。あなたのために、私のために、誰のためにも、居場所があります。誰もそれを取り上げることはできません。それは以前から、私たちのために考えられた場所だからです。一人ひとりが、こう言うことができるでしょう―「私には居場所がある。『私』という存在は、一つの『使命」なのだ」と。

 自分の居場所とは何なのか、どのような使命を、主は私に与えておられるのか、を考えてみましょう。こうした考えが人生で勇気ある態度をとるための助けとなるように。(編集「カトリック・あい」)

2025年2月2日

◎教皇連続講話「イエス・キリスト、私たちの希望」③聖ヨセフの聖なる模範と信仰を見習おう

 

2025年1月30日

☩「深刻な人道危機を引き起こしている敵対行為を直ちに停止せよ」教皇、スーダンとコロンビアの和平を訴え

Sudan's army soldiers celebrate the army's liberation of an oil refinery, in North BahriSudan’s army soldiers celebrate the army’s liberation of an oil refinery, in North Bahri 

(2025.1.26 Vatican News Devin Watkins) 

 教皇フランシスコは26日の正午の祈りに続けて、アフリカのスーダンで紛争当事者たちに対して、「世界で最も深刻な人道的危機を引き起こし、人々に甚大な苦しみをもたらし、隣国南スーダンに劇的な影響を及ぼしている敵対行為」を停止するように強く促された。

   そして、「ただちに戦闘を停止し、交渉のテーブルに就く」よう求め、世界の国々、国際機関などに対しても、「和平交渉を支援し、人道的支援を促進」するよう訴えられ、「スーダン、南スーダン両国の国民に寄り添い、同胞愛と連帯を呼びかけ、あらゆる形態の暴力を回避し、操られることのないよう促します」と言明された。

  また、教皇は、武装集団の衝突で多くの民間人が命を落とし、3万人以上が家を追われている南米コロンビアのカタトゥンボ地方の状況についても懸念を表明。「私は彼らに寄り添い、祈りを捧げます」と述べられた。

  続いて教皇は、この日に記念された「世界ハンセン病の日 (WLD)」に言及し、ハンセン病患者を社会が全面的に受け入れるよう呼びかけた。

  また、明日27日が「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー」であり、今年がアウシュビッツ強制収容所の解放から80年目にあたることを取り上げ、「その時代に何百万人ものユダヤ人や他の信仰を持つ人々が絶滅させられた、という恐ろしい出来事は、決して忘れてはならないし、否定もできません」とされ、ローマ在住のハンガリー生まれの詩人、エディット・ブルックの例を挙げ、「多くのキリスト教徒もナチスの強制収容所で命を落としました。その中には数多くの殉教者もいます」と指摘。

  「あらゆる形態の差別や宗教迫害とともに、『反ユダヤ主義』という災厄を根絶するために、皆が協力して取り組むよう、私は改めて呼びかけます。共に、より兄弟愛に満ち、公正な世界を築きましょう。兄弟愛、寛容、平和の精神をもって、すべての人を受け入れる心を持つよう、若者たちを教育しましょう」と世界の人々に呼びかけられた。

  最後に、ローマでの「コミュニケーション聖年」の行事に参加したメディア関係者全員に挨拶され、「常に希望の語り部であるように」と激励された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年1月27日

☩「聖年を、キリストとの出会いを新たにする機会に」-神の言葉の主日の正午の祈りで

(2025.1.26 Vatican News  Linda Bordoni)

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年1月27日

☩「福音は喜びの言葉、神の国に向かう巡礼の旅に私たちを導く」-「神の言葉」の主日のミサで

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年1月27日

☩「希望と一致を育むために”コミュニケーションの武装解除”を」教皇が6月1日の「世界広報の日」に向けてメッセージ

 教皇フランシスコが24日、6月1日のカトリック教会「世界広報の日」に向けてメッセージを発表された。

 カトリック教会では、毎年、「聖霊降臨」の前週の日曜日(今年は6月1日、日本の教会では復活節第6主日に記念するため今年は5月25日)を「世界広報の日」と定め、多様な形態のメディアを通して行われる福音宣教について教会全体で考え、祈りを捧げることにしている。2025年度のテーマは「Share with gentleness the hope that is in your hearts(仮訳=あなたがたが心に抱いている希望を穏やかに分かち合いなさい)」(ペトロの手紙1・3章15-16節参照)。

 メッセージの中で教皇は、偽りの情報や分極化が目立ち、かつてないほどに、ごく一部の権力が大量のデータと情報を統制する今日、ジャーナリストや広報担当者たちの仕事の重要性と責任の重さを指摘。「困難な時代にあって、恵みの時であるこの聖年にあたり、福音の精神に従い、各自の仕事と使命を新たにし、希望を伝える者となるように」と報道・広報関係者たちに求められた。

*現実を単純化、歪曲し、言葉を刃物のように使うコミュニケーションの問題

 

 さらに、教皇は、「希望を生まず、恐怖や、絶望、偏見、恨み、狂信、憎悪を生じさせ、直感的な反応を引き起こすためにしばしば現実を単純化し、言葉を刃物のように扱い、偽りの、あるいは歪曲された情報まで用いる」など、今日のコミュニケーションの問題を列挙され、このようなコミュニケーションの”武装”を解除し、攻撃性が清められる必要を説かれた。

 また、別の懸念すべき現象として、デジタル・システムを通した「プログラムされた関心の分散」を挙げ、「デジタル・システムが市場の論理に従って私たちを分析・推定することで、現実に対する私たちの認識を変質させてしまうリスク」も指摘された。

*人々の歩みに寄り添う『ナザレのイエスのスタイル』に倣え

 

 教皇は、新約聖書のペトロの手紙1の「心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を求める人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。それも、優しく、敬意をもって、正しい良心で、弁明しなさい」(3章15‐16節=聖書協会・共同訳)と言う言葉から、「キリスト者の希望には、顔がある。それは復活された主の御顔だ」、「その希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるようにしなければならない」、「その際には、優しく、敬意をもって弁明する」という3つのメッセージを引き出された。

 そして、「キリスト者のコミュニケーションはもとより、一般のコミュニケーションも、柔和さ、親しさによって織りなされ、すべての時代における最も偉大な伝達者、人々の歩みに寄り添う『ナザレのイエスのスタイル』に倣うべきです」と強調。「心に語りかけるコミュニケーション、幻想や恐れを売るのではなく、希望する動機をもたらすことのできるコミュニケーション」であるよう希望された。

 

 

*注意深く思慮に満ちたコミュニケーション、隠れた善を語る必要

 

 また教皇は、「希望が持つ共同体的な性格」に言及しながら、特にこの恵みの年がもたらす「再出発と、神の抱擁と慈しみへの委託のメッセージ」を指摘。聖年の多くの社会的意義に触れつつ、こうした意義を反映する例として、受刑者への憐れみと希望のメッセージ、苦しむ人や疎外された人への寄り添いと優しさを込めた呼びかけなどを挙げられ、「私たちを希望へと開く、注意深く優しい、思慮に満ちたコミュニケーションの大切さと、隠れた善を見出し、それを語る必要性」を示された。

*心に語りかけ、希望を蒔き、傷をいやすコミュニケーションの実践を

 最後に教皇は、テクノロジーのめまぐるしい発展を前に、「私たちのたちの心、自分の内面生活をたいせつにするように」と信者たちに促され、「柔和で、相手の顔を忘れず、人々の心に語りかけ、本能的な反応をコミュニケーションの指針にせず実を結ぶことがと思われる時でも常に希望を蒔く、人類の傷をいやすコミュニケーションの実践」を求められた。

 

(編集「カトリック・あい」)

2025年1月25日