ローマ法王フランシスコ、軍隊・警察・治安要員のための聖年ミサを終える(VATICAN MEDIA Divisione Foto
教皇フランシスコは9日の聖ペトロ広場での軍務や治安業務に就いている人々のための聖年のミサの最後に、彼らが、いかにして平和の確立に貢献する「安全保障と民族の自由の代理人」となりうるかを思い起こされ、また、紛争下にあるウクライナ、パレスチナ、イスラエル、ミャンマー、キブ(コンゴ民主共和国)、スーダンに速やかに平和がもたらされるよう祈られた。
教皇は、第二バチカン公会議の現代世界における教会の司牧憲章 “Gaudium et spes “を思い起こされつつ、「自国の軍務に身を捧げる者は、自らを諸国民の安全と自由の担い手とみなすべきです」と激励。 そして、「武力行使は自衛のためにのみ行われ、決して他国を支配するために行われるものではない。紛争に関する国際条約を常に遵守し、何よりもまず、生命と被造物に対する神聖な敬意をもって行われるものでです」と忠告された。
そして、「苦しみの中にあるウクライナ、パレスチナ、イスラエル、中東全域、ミャンマー、キブ(コンゴ民主共和国)、スーダンの平和のために祈るように」とすべての人に求められ、「あらゆる場所で武器が沈黙し、平和を求める人々の叫びが聞かれるように!”と祈られた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
Mass in Saint Peter’s Square for the Jubilee of the Armed Forces, Police and Security Personnel (VATICAN MEDIA Divisione Foto)
(2025.2.9 Vatican News Deborah Castellano Lubov)
教皇フランシスコは9日、世界の軍隊・警察・治安関係者の代表たちを集めた聖年のミサを捧げられ、彼らの努力をキリストに委ねるとともに、「絶え間なく祈りを捧げることは、あなた方の重要な任務の強靭さの源です」と強調。「父である神の愛の勇気ある証人となりなさい…」と説かれた。
説教で、教皇はまず、この日読まれたルカ福音書にある、イエスがゲネサレト湖畔でなさったことを考察され、イエスの振る舞いは「3つの観点から分析できます。それは、『見た』『(舟に)乗られた』『座られた』です」と指摘された。
*すべてを失ったように思える時も、神から与えられた希望は揺るがない
まず教皇は、イエスが鋭い視線で、大勢の人々の中に、岸に近づく二艘の舟と、一晩の無駄な労働の後に空の網を洗っている漁師たちの落胆した表情さえも「見抜いて」いたことに言及され、「イエスの視線が、彼らに対する深い思いやりで満ちていたこと」を指摘。「イエスのこのような振る舞いに見られるように、神が常に私たちに対して示してくださる親密さ、慈しみ、優しさを、決して忘れてはなりません」と説かれた。
(この後、教皇は、のどの痛みからミサ司式者のディエゴ・ラヴェッリ大司教に、ご自身が事前に準備された説教を代読するよう求められた。教皇は気管支炎にかかられたため、ここ数日、宿舎のサンタ・マルタで活動を続け、会合にも出席されていた。)
そして、教皇は、イエスが漁師たちの落胆ぶりを見て、その中の一人、シモンに、持ち舟にご自分を乗せて岸辺から少し漕ぎ出すように、お頼みになったことを取り上げられ、「イエスは、シモンの人生に入り込み、彼の失望感と無力感を共有したのです… これは重要です。イエスは、私たちがしばしばするように、物事がうまくいかない時、ただ傍観し、ひどく不満を言うようなことはなさらず、進んでシモンに近づき、その困難な時を彼と共に過ごされ、彼の『人生の舟』に乗ることを選ばれたのです」と語られた。
続けて教皇は、イエスが舟に乗ると、腰を下ろして群衆に教え始められたことを取り上げ、「漁師たちの目や心に、実を結ばなかった一晩の労苦のフラストレーションを垣間見られたイエスは、良い知らせを告げ知らせ、失望の暗い夜に光をもたらし、人生の苦闘の中でも神の美しさを語り、すべてが失われたように見えても希望は続くことを再確認するために、舟に乗ったです」と指摘された。
*そして、奇跡は起こる
「主が私たちの『人生の舟』に乗り込み、私たちを絶えず支え、見守ってくださる神の愛の福音をもたらしてくださるとき、私たちの人生は新たに始まり、希望がよみがえり、熱意がよみがえり、再び海に網を投げ入れることができるのです… この希望のメッセージは、軍隊、警察、治安関係の方々のための聖年を祝う今日、私たちを導いてくれます」と強調。
そして、ミサに出席したすべての当局者、軍関係団体および学校、軍の司教および司祭に挨拶し、彼らの奉仕に感謝の意を表された。
*皆さんの特質は「勇気」だ
また教皇は、「皆さん全員が、社会生活、政治生活の多くの側面を包含する崇高な使命-国を守り、安全を維持し、合法性と正義を擁護すること―を託されています」とされ、さらに「乗り込むこと。皆さんの制服、皆さんの人格を形成した規律、皆さんの特徴である勇気、皆さんが誓いを立てたこと、これらすべてが、悪を見つけ報告することの重要性を思い出させてくれるだけでなく、荒れ狂う船に乗り込み、座礁しないよう努めることの重要性を思い出させてくれます」と語られた。
そして、「法と秩序を守るために都市や近隣にあなたがたが存在すること、そして無防備な人々の味方になることは、私たち全員にとって教訓となり、善はすべてに打ち勝つことができることを教えてくれます」と讃えられた。
*聖職者の役割は
また教皇は、彼らの仕事はその人生全体を包含するものであり、その仕事を行う際には聖職者が同行していることを思い起こされ、「聖職者たちは、皆さんの真ん中にいる重要な存在。その任務は、歴史の中で時折起こったように、戦争の異常な行為を祝福することではありません。彼らはキリストの存在として皆さんの間にいる。キリストは、皆さんの傍らを歩み、耳を傾け共感を示し、常に新たな一歩を踏み出すよう励まし、日々の奉仕を支援することを望んでいるのです」と強調。
「道徳的・精神的な支えとして、聖職者は、皆さんのあらゆる歩みに同行し、福音の光のもと、共通善の追求において皆さんの使命の遂行を助けます」と述べられた。
*命の守護者となる目的を見失わないように、好戦的になる誘惑に警戒して
さらに教皇は、「皆さんが時に大きな個人的リスクを冒しておられることに感謝しています。嵐に翻弄される船に乗り込んでくださることで、私たちを守り、私たちが進むべき道を歩み続けるよう励ましてくださっていることに感謝します」と語られ、同時に「自らの奉仕と活動の目的を見失わないように。その目的は、生命を促進し、生命を救い、生命の絶え間ない守護者となることです」と願われた。
説教の最後に教皇は、次のように呼びかけられた。
「好戦的な精神を育む誘惑に対して警戒しなさい。権力の幻想や武器の轟音に惑わされないよう警戒しなさい… 憎悪を植え付け、守るべき友人と、戦うべき敵とに世界を分断するプロパガンダに毒されないよう警戒しなさい。私たち皆が兄弟姉妹となることを望む父なる神の愛の勇敢な証人となるように。共に平和、正義、友愛の新しい時代の担い手となるよう努めましょう」。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
教皇フランシスコ、人身取引撲滅に取り組む奉献生活者のネットワーク「タリタ・クム」の代表者らと 2025年2月7日 (VATICAN MEDIA Divisione Foto)
(2025.2.7 バチカン放送)
教皇フランシスコが7日、8日の「International Day of Prayer and Awareness against Human Trafficking(世界人身取引に反対する祈りと啓発の日)」のメッセージを発表された。
世界のカトリック教会は毎年2月8日、人身取引犠牲者の保護者である聖ジュゼッピーナ・バキータの日を「世界人身取引に反対する祈りと啓発の日」としている。聖年である今年のテーマは、「希望の使者:人身取引に共に反対を(仮訳)」だ。
教皇はこの日を前にした7日、人身取引の撲滅に取り組む奉献生活者の国際ネットワーク「タリタ・クム」の代表者らにお会いになり、その場でメッセージを発表された。
メッセージで教皇は、「この聖年の年に、『希望の巡礼者』として、人身取引に反対する道を共に歩むように」と世界の信者たちに勧められている。
「女性や、子ども、若者、移民・難民をはじめ、現代の奴隷制度に囚われている無数の人々を前に、どのように希望を育み続けることができでしょうか」と問いかけられた教皇は、「私たちの希望、キリストに眼差しを上げることによって、暗い中で小さな光を灯し、その光を一つに合わせることで、あけぼのが訪れるまでの夜の闇を照らすことができるのです」と強調。
「人身取引と闘う世界中の若者たちの姿から、希望の使者となり、粘り強さと愛をもって共に行動し、被害者に寄り添う必要を学ぶように… 神の助けをもってこそ、不正に慣れることを防ぎ、ある種の現象を根絶やしにすることは不可能と考える誘惑を遠ざけることができます」と述べておられる。
また教皇は、「人身取引の仕方は複雑で、常に変化し、戦争や紛争、飢餓、気候変動の影響を悪用して育つ現象です」とされ、人身取引に反対するために、世界的な対応とあらゆる層における共通の努力の必要を示され、「人間の尊厳を守り、あらゆる形の人身取引をなくし、世界平和を推進するための取り組みを促すように」と世界のすべての人々、特に政府や諸組織に呼びかけている。
そして、メッセージの最後に教皇は「『人類は皆、兄弟』という自覚と最大限の努力をもって、人身取引や搾取をなくし、基本的人権の尊重がそれに優る状況を共に作り出していくことができるように」と聖バキータに主への取り次ぎを願われた。
(編集「カトリック・あい」)
Pope Francis greets nuns as he arrives for a private meeting with people experiencing economic hardship at the House of the Missionaries of Charity, on the occasion of the Mediterranean Meetings (MED 2023), in Marseille, southern France, on September 23, 2023.
(2025.2.6 Vatican News Deborah Castellano Lubov)
教皇フランシスコは6日、10月19日の「世界宣教の日」に向けたメッセージを発表された。 その中で教皇は、宣教師たちに、祈りによって主に立ち返ることが、「希望の火を燃やし続け、それが大きな炎となって、私たちを取り巻くすべての人々を照らし、温めることができるようにするための鍵です」と励まされた。 メッセージの冒頭で教皇は、「今年の『世界宣教の日』の中心となるテーマは『希望』です。そのため、『すべての人々への希望の宣教者たち』という標語を選びました」とされ、この標語は、キリスト教徒一人ひとりと教会全体に、「キリストの足跡をたどり、希望の使者、希望の建設者となるという私たちの根本的な召命を思い起させるものです」と語られた。
そして、「この文脈において、『世界宣教の日』が恵みの時となることを望みます」とされたうえで、キリスト教宣教者のアイデンティティの3つの側面について考察された。
*主の足跡に従うように促される
まず、「主の足跡をたどること」について考察され、「私たちも主イエスの足跡をたどり、神が私たちに生きることを許されたあらゆる場所や状況において、主と共に、主にあって、すべての人々への希望のしるしとなり、希望の使者となるよう、インスピレーションを感じることができるように」と促された。
次に、教皇は「あらゆる民族の希望の担い手であり建設者であるキリスト教徒」について考察され、「キリストに従い、キリスト教徒は、出会う人々の具体的な生活状況を分かち合うことで、福音を伝えるように、それによって希望の担い手であり建設者となるように、求められています… 主の呼びかけに従うことで、キリスト教徒は、キリストにおける神の愛を伝えるために、他の国々へと出て行きます」と説かれた。
さらに、「このことについて、私は心から感謝しています。皆さんの生活は、すべての民に福音を伝えるために弟子たちを派遣された、復活のキリストの命令に対する明確な応答です」と述べられた。
*”人間的危機”の兆候を示す世界の先進地域で
教皇は、「このようにして、洗礼を受けた人々が『万人のための召命のしるし』となり、聖霊の力と日々の努力によって『万人のための宣教師、主イエスが与えてくださった大きな希望の証人』となることを告げられた。
そして、「この大きな希望に突き動かされて、キリスト教の共同体は、最も『発展した』地域において深刻な人間的危機の兆候を示している世界において、新しい人類の先駆者となることができるのです… そうした危機の兆候は、人々の間に広範囲にわたる戸惑い、孤独感、高齢者が必要としていることへの無関心、困っている隣人を助ける努力をすることへの消極性、として現れています」と指摘。
「技術的に最も進歩した国々では、”近さ”が失われつつあります… 私たちは皆、互いに繋がっていますが、効率への執着や物質的なものへの執着、野心が、私たちを利己的にし、利他主義を不可能にしています」とされたうえで、「福音は共同体生活の中で経験され、私たちを完全で、健全で、贖われた人間性へと回復させることができます」と言明され、世界のすべての信者に対して、「貧しい人々、弱い立場の人々、高齢者、社会から疎外された人々に対して特別な配慮をするように。神の親密さ、思いやり、優しさという形で行うように」と促された。
*祈りと行動によって希望の火を絶やさないように
メッセージの最後に、教皇は「希望の使命を新たにする」というテーマの3つ目の側面に言及。「希望の使命の緊急性に直面している今日、キリストの弟子たちは、まず、希望の『職人』となり、しばしば気もそぞろで、幸せの薄い状態から、人間性を回復させる方法を模索するよう求められています」とされ、「”希望の宣教師”は「祈りの人々」です…なぜなら『希望する人は祈る人である』からです… 祈りは宣教活動の第一であり、同時に『希望の第一の力』であることを忘れてはなりません」と強調。
このことを念頭に置き、教皇は宣教師たちに「希望の使命を新たにしましょう。祈り、特に神の言葉に基づく祈り、特に詩篇に基づく祈りから始めましょう。詩篇は、聖霊が作曲した祈りの大交響曲です。祈ることによって、私たちは神が私たちの中に灯した希望の火を絶やさず、大きな炎として燃え上がらせ、その炎が周囲の人々を照らし、温めることができるようにするのです。また、祈りそのものが呼び起こす具体的な行動や身振りによっても、周囲の人々を照らし、温めることができるようにするのです」と説かれた。
また教皇は、福音宣教はキリスト教の希望そのもののであるとともに、常に共同体のプロセスであり、「福音は最初の説教と洗礼で終わるのではなく、継続するプロセス。洗礼を受けた一人ひとりが福音の道を歩む中で、キリスト教の共同体が形成されていくのです」と述べられた。
さらに教皇は、すべての信者たちに、「宣教活動には、共同体として祈り、行動することが必要です。子供たち、若者たち、大人たち、そして高齢者の皆さん。皆さんの生活と祈りの証し、犠牲、そして寛大さによって、教会の共通の福音宣教の使命に積極的に参加するよう強くお勧めします」と呼びかけられた。
締めくくりに教皇は、「私たちの希望であるキリストの母マリアに目を向けるように。この聖年に加え、これから訪れるすべての年もマリアに委ねるように」とすべての信者たちに勧められた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
Pope Francis at General Audience (VATICAN MEDIA Divisione Foto)
(2025.2.5 Vatic an News Deborah Castellano Lubov)
教皇フランシスコは5日、水曜恒例の一般謁見で聖年の連続講話「イエス・キリスト、私たちの希望」をお続けになり、今回は「訪問」の神秘について考察され、「聖母マリアが従姉妹のエリサベトを訪問した際に、マニフィカト(マリアの賛歌)を歌い、キリストを胎内に迎え入れたその模範に従うように」と信者たちに勧められた。
この日の一般謁見では、教皇は風邪をひかれていることから、のピエルイジ・ジローラ神父に連続講話の代読を頼まれた。
代読の中で教皇は、「聖母マリアはエリザベトを訪問しましたが、何よりも、母の胎内にいるイエスこそが、民を訪問するのです」と指摘。
そして「天使の受胎告知に驚嘆したマリアは、立ち上がり、旅に出ます。マリアは危険や他人の批判を恐れず、若い女性は世間から身を守る道を選ばず、他者のもとへと向かいました」とされ、「このことこそ、『愛されている』と感じるとき、愛を動かす力を経験することを示しています。聖パウロも強調したように、『キリストの愛』が私たちを駆り立て、私たちを動かすのです」と強調された。
さらに、「マリアはこの愛の力強さを感じていました… 愛が、マリアを従姉妹のもとへと駆り立て、不可能を可能にする神への信仰と、神の約束の成就への希望を分かち合わせたのです」と述べられた。
続けて教皇は、「マリアは、マニフィカトの中で、自分自身についてではなく、神について語っています。信仰、希望、喜びにあふれた賛美を捧げています。たとえ動詞がすべて『過去形』であっても、マリアの言葉は、信仰によって『現在』を照らし、希望によって未来を照らす愛の記憶に満ちています… マリアは、『過去』の恩寵を歌っていますが、『未来』を胎内に宿す『現代』の女性なのです」と説かれた。
また、「主は、謙虚なマリアに身をかがめ、彼女の中で『偉大なこと』を成就され、彼女を主の母となさいました。そして、永遠に民に忠実であることを示されました」と強調。
講話の最後に、教皇は、「主が約束したことのすべてが成就するのを待つことができる恵みを今日、主に願いましょう。マリアの模範を私たちの生活に取り入れることができるよう助けてくださいますように」と信者たちに呼びかけられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
Vatican hosts the first-ever International Summit on Children’s Rights (VATICAN MEDIA Divisione Foto)
(2025.2.3 Vatican News Kielce Gussie) 3日にバチカンで開かれた「子供の権利に関するサミット」初会合が同日夕閉幕し、教皇フランシスコは閉幕のあいさつで、今回の会合などを踏まえ、「子供たちに捧げる使徒的勧告」をまとめる意向を表明された。
閉幕あいさつで教皇は、「バチカン宮殿の部屋が、世界中の子供たちが置かれている現実の『観測所』となった」ことを参加者や講演者たちに感謝するとともに、「貧困、戦争、教育の欠如、搾取が蔓延するこの世界で、子供たちは不正や弱さと向き合っている。彼らは、私たちが(これからの)人生をどのように歩んでいくのかを見守っています」と強調。
そして教皇は、今回の会合を、単に「観測」するだけでなく、「実験室」と表現され、聖地代理管理者のイブラヒム・ファルタス神父の「子供たちは、私たちを見ている」という言葉を引用されて、「子供たちは、私たちが人生をどのように歩んでいくかを見ているのです」と語られた。
そのうえで、教皇は「子供たちに捧げる使徒的勧告を書くつもりです」と述べられ、その狙いが、「(今回の会合で語られた)取り組みを継続させ、教会全体に広めることにあります」と説明され、あいさつを締めくくられた。
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*「すべての子供には、私たちの保護を受ける権利がある」とイランのアブドラ王妃
今回の会合には、世界の政治、経済の分野の関係者や子供の問題に関わるNGOの代表など科参加し、7つの分科会に分かれて、現代社会における子供の権利、教育を受ける権利、自由な時間を持つ権利、食糧や医療を受ける権利など、さまざまなトピックが取り上げられた。
講演者の一人、ヨルダンのラニア・アル・アブドラ王妃は、国際社会に対して、置かれた状況に関係なく、すべての子供たちが大切に扱われるように訴え、「すべての子供たちは、私たちから保護とケアを受ける権利を平等に持っています。これは、世界が子供たちに対して約束していることです」と主張。ガザ地区の子供たち関する統計を引用し、「96%の子どもたちが『死が迫っている』と感じており、ほぼ50%が『死を望んでいる』と答えている。私たちは、どうしてこのような状況を招いてしまったのでしょう?」と問いかけ、さらに、「人類が意識的に努力をしなければ、より良い世界の美しいビジョンは実現しません」と強調した。
*「環境破壊の影響に直面するのは今の子どもたちの世代だ」と米区のゴア元副大統領
もう一人の演説者は、米国のアル・ゴア元副大統領は、環境破壊の脅威を取り上げ、「環境破壊は、私たちがこの地球の子供たちに負わせた重荷だ。”意図的な盲目”で、地球温暖化や温室効果ガス、その他の気候変動の影響を、多くの人々が見ようとしなくなっている」と指摘。「その影響に直面するのは現在の世代ではなく、私たちの子供たちの世代なのだ」と訴えた。
*「子供たちの飢餓や不公平の背後にある問題を見さねば」-とギリビGKSD社長
また、医療産業などへの投資・管理会社GKSDのカメル・ギリビ社長は「子供たちの飢餓や不公平を解決するだけでなく、その背後にある問題、その理由を見つけなければならない」と述べ、今回の会合を「単なる言葉に終わらせず、この後も子供たちを支援する呼びかけを継続していくことで、美しいスピーチを聴くだけで満足する従来のこの種の会合とは異なるものとなるようにすべきだ。今日、ここを去る時に、具体的な行動を起こすことを願っている」と主張した。
*「子供の権利の保護とケアに関する8つの原則」の宣言に署名、行動を継続
会合の終わりに、教皇は他の講演者たちとともに「子供の権利の保護とケアに関する8つの原則」を盛り込んだ宣言に署名された。行動を呼びかけ、公正な未来の創造を目的とするこの会合そのものは終了しても、その使命は、すべての子供たちが基本的人権を享受できるようになるまで継続される、としている。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
Pope Francis with children at the first International Summit on Children’s Rights (VATICAN MEDIA Divisione Foto)
(2025.2.3 Vatican News Lisa Zengarini)
世界で苦しむ子供たちを支援、保護するための方策を議論する「子供の権利に関するサミット」の初会合が3日、バチカンで開かれ、教皇フランシスコは講話の中で、「子どもの命に勝るものはありません」と強調。参加した各国首脳たちを前に、紛争や貧困、移民、そして中絶や育児放棄を含む「使い捨て文化」の犠牲となっている子供たちの保護を求め、彼らの声に耳を傾けることの緊急性を改めて訴えられた。
*戦争が壊滅的な影響を子供たちに与えている
講話で教皇は、世界中の子供たちが直面している現在も進行する苦境に焦点を当て、「世界的な進歩にもかかわらず、多くの子供たちが依然として貧困、戦争、教育不足、不正、搾取に苦しんでいること」を強く指摘された。
特に「戦争で荒廃し貧困に苦しむ地域の子供たちの悲惨な状況」とともに、「裕福な社会においても、子供たちは精神的な苦悩、暴力、社会的な疎外といった脆弱性に直面していること」にも目を向けられ、「学校や医療サービスが、多くの困難を経験している子供たち、不安や抑うつ状態にある子供たち、攻撃的または自傷行為に走る思春期の子供たちに対処しなければならないケースが増えています。効率性を重視する文化は、子供時代そのものを、老年期と同様に、存在の『周辺』と見なし、希望の象徴であるべき若者たちが、絶望や将来への楽観主義の欠如に苦しんでいる。これは悲しく、憂慮すべき事態です」と警鐘を鳴らされた。
そして、最も憂慮すべき問題のひとつは、「戦争が子どもたちに与える壊滅的な影響です」とされ、「私たちは、悲劇的にほぼ毎日のように目にしてきました。権力やイデオロギー、国粋主義的利益の偶像に犠牲となり、爆撃によって命を落とす子供たちです。受け入れがたいことです」と嘆かれた。
*先進国の「病的な個人主義」の犠牲となっている
続けて教皇は、先進国で目立つ「病的な個人主義」を非難され、「子供たちが保護すべき立場にある人々による虐待やネグレクト、さらには幼児殺に直面することが多く起きている」と指摘。また、「絶望から海や砂漠、危険な旅の途中で命を落とす子供たちが後を絶たないこと」を挙げ、移民の若者の命が失われていることは「容認できない」と改めて強く非難された。
さらに、社会から否定された子供の実態は、「経済システムの誤り、戦争の犯罪性、適切な医療や教育の欠如を非難する静かな叫び」とされ、これらの悲劇に対して私たちの感覚が鈍くなり、「人間として最も尊いもの、すなわち慈悲や思いやりを失うこと」を警告された。
*児童奴隷、人身売買、虐待という惨禍
教皇はまた、避難を余儀なくされた子供たちの苦しみを思い起こされ、紛争で避難を余儀なくされた子供たちが4000万人以上、家を失った子供たちが1億人以上いるという数字をあげ、児童奴隷、強制労働、人身売買、虐待、児童婚が依然として根強く残っており、1億6000万人の子供たちがこうした不正の犠牲者となっている、という悲痛な現実を示された。。
さらに、出生登録がされていないために法的アイデンティティを持たず、虐待や搾取を受けやすい「目に見えない」1億5000万人の子どもたちにも注意を向けられ、「この同伴者のいない未成年者の現象はますます頻繁に深刻化している」と指摘。ミャンマーから逃れてきたロヒンギャ族の子どもたちの例を挙げられた。
「戦争を経験した高齢者たちが語っているように、こうした子供たちの抑圧の歴史は、戦時下で常に繰り返されています。今日、暴力や搾取、不正の中に生きる子どもたちの声を聴くことは、戦争に対する私たちの『ノー』の意思を強めることにつながります」と強調された。
*使い捨て文化」が助長する殺人に等しい中絶の慣行
特に力強く語られたのは、生まれてくる命を含め、人間の命が顧みられることなく捨てられる「使い捨て文化」に対する非難で、「人間が全能であるというこの使い捨ての考え方のもとで、中絶という殺人行為によって生まれてくる命が犠牲にされている」と強調。「それは社会全体の希望の源を断ち切るものです」と批判された。
*より良い未来への希望を築くために、子供たちの声を聴こう
そのうえで教皇は、世界の指導者たちに、「言葉だけでなく、沈黙や表情、経験からも子供たちの”声”を聞く」よう促され、「子供たちは、その表情や沈黙によっても私たちに語りかけています。ですから、彼らの”声”を聴きましょう!」と呼びかけられた。「耳を傾けることがいかに大切であるか。幼い子供たちが理解し、記憶し、私たちに語りかけていることを、私たちは認識する必要がある」。
講話の最後に、教皇は参加者全員に、今回の会合が提供する機会を最大限に活用するよう促し、彼らの貢献が、「子供たちにとって、ひいてはすべての人々にとってより良い世界を築く助けとなることを期待しています」と願われた。「私にとって、子供たち、彼らの権利、彼らの夢、そして彼らの未来への要求を私たちの関心の中心に据えるために、私たちがここに一堂に会していることは希望の源です」。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
Pope Francis waves to the faithull in St Peter’s Square gathered for his Sunday Angelus (File photo) (ANSA)
(2025.2.2 Vatican News Lisa Zengarini)
教皇 フランシスコは2日、「主の奉献」の祝日の正午の祈りに先立つ説教で、この祝日の意味について、「イエスがすべての人々の救いであり、私たちの光であることを思い起こさせるもの」とされ、信者たちに、神との出会いを真に求めるよう呼びかけられた。
説教で教皇は、この日のミサで読まれたルカ福音書(2章22-40節)に書かれた「幼子イエスを連れてエルサレムの神殿にやって来たマリアとヨセフのエピソード」を取り上げ、その場面で、シメオンとアンナがイエスについて語った預言的な言葉に注意を向けられた。
「シメオンたちが、イエスを『神の約束の成就』と認識したことは、この瞬間の根本的な新しさを強調しています。神は民の中に存在している。それは神が”四方を壁に囲まれた中”に宿っているからではなく、神が人として人々の間に生きているからだ、ということを」と教皇はと語られた。
*シメオンがイエスについて語った三つの言葉は
続けて教皇は、「自分たちの幼子についてシメオンがこのように宣言したことに、深く感動し、驚いたマリアとヨセフは、シメオンがイエスを『救い』『光』『反対を受けるしるし』という3つの重要な言葉で表現するのを聞きました」とされた。
一つ目の言葉は、「『イエスは救い』。シメオンは、この幼子の中に普遍的な救いが示されている、と宣言しました。それは、神の贖いの愛が一人の人間に完全に具現化されていることを強調する、畏敬の念を抱かせる真実です」と指摘。
二つ目の言葉は「『イエスは光』。イエスは昇る太陽のように世界を照らし、苦しみ、悪、死の闇を追い払う。それらの闇は、今日もなお、人類を苦しめ続けています」。
そして三つ目の言葉は「『反対を受けるしるし』です。それは、 人間の心の奥底にある真実を明らかにし、 イエスを通して、歴史は『愛』という一つの基準によって裁かれるのです… イエスは、すべての歴史とそのドラマの中で、私たち一人ひとりの人生が裁かれる基準を明らかにされます。 この基準とは『愛』である。愛する者は生き、憎む者は死ぬのです」と説かれた。
説教の最後に、教皇は、信者たちに自らに次の問いかけをするよう促された―「私は、人生で何を待っているのか?」「 私の最大の希望は何か? 」「心から主の御顔を拝みたいと願っているか?」「 人類に対する神の救済計画の実現を待っているか?」。
そして、すべての人がマリアと共に祈り、「マリアが、歴史の光と影を共に歩み、主への旅路を導いてくださいますように」と願われた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
Sudan’s army soldiers celebrate the army’s liberation of an oil refinery, in North Bahri
(2025.1.26 Vatican News Devin Watkins)
教皇フランシスコは26日の正午の祈りに続けて、アフリカのスーダンで紛争当事者たちに対して、「世界で最も深刻な人道的危機を引き起こし、人々に甚大な苦しみをもたらし、隣国南スーダンに劇的な影響を及ぼしている敵対行為」を停止するように強く促された。
そして、「ただちに戦闘を停止し、交渉のテーブルに就く」よう求め、世界の国々、国際機関などに対しても、「和平交渉を支援し、人道的支援を促進」するよう訴えられ、「スーダン、南スーダン両国の国民に寄り添い、同胞愛と連帯を呼びかけ、あらゆる形態の暴力を回避し、操られることのないよう促します」と言明された。
また、教皇は、武装集団の衝突で多くの民間人が命を落とし、3万人以上が家を追われている南米コロンビアのカタトゥンボ地方の状況についても懸念を表明。「私は彼らに寄り添い、祈りを捧げます」と述べられた。
続いて教皇は、この日に記念された「世界ハンセン病の日 (WLD)」に言及し、ハンセン病患者を社会が全面的に受け入れるよう呼びかけた。
また、明日27日が「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー」であり、今年がアウシュビッツ強制収容所の解放から80年目にあたることを取り上げ、「その時代に何百万人ものユダヤ人や他の信仰を持つ人々が絶滅させられた、という恐ろしい出来事は、決して忘れてはならないし、否定もできません」とされ、ローマ在住のハンガリー生まれの詩人、エディット・ブルックの例を挙げ、「多くのキリスト教徒もナチスの強制収容所で命を落としました。その中には数多くの殉教者もいます」と指摘。
「あらゆる形態の差別や宗教迫害とともに、『反ユダヤ主義』という災厄を根絶するために、皆が協力して取り組むよう、私は改めて呼びかけます。共に、より兄弟愛に満ち、公正な世界を築きましょう。兄弟愛、寛容、平和の精神をもって、すべての人を受け入れる心を持つよう、若者たちを教育しましょう」と世界の人々に呼びかけられた。
最後に、ローマでの「コミュニケーション聖年」の行事に参加したメディア関係者全員に挨拶され、「常に希望の語り部であるように」と激励された。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
(2025.1.26 Vatican News Linda Bordoni)
教皇フランシスコは26日、神の言葉の主日の正午の祈りに先立つ説教で、「2025年の聖年がキリスト教徒にとって救いの必要性を認識し、キリストとの出会いを新たにする機会」となることを強調された。
教皇はこの日のミサで読まれた、ナザレのシナゴーグを訪れたイエスについて記述したルカ福音書の箇所、特に、イエスがイザヤ書の預言の成就を宣言した瞬間に注目され、「この瞬間に、イエスの同郷の人々に決定的な疑問を投げかけました。『彼は自分にふさわしくない役割を自分にふりかぶる大工の息子なのか、それとも、神によって罪と悪から人々を救うために遣わされた真のメシアなのか?』と」「ナザレの人々が受けた衝撃と困惑を想像してみてください… 彼らはイエスをよく知っているつもりでいましたが、それが、かえって彼らが心を開くのを妨げ、光を遮るベールのように覆ってしまったのです」と指摘された。
続けて教皇は、「この福音書の箇所は今日も、信者たちに『イエスに対する自分自身の理解と向き合うように』と促しています」とされ、「ここに書かれた出来事は、今日でも私たちにも起こり得ます… つまり、私たちも『イエスをすでに知っている』と思い込む罠に陥る可能性がある。私たちはイエスと共に成長してきました。学校で、教区で、教理学習で、カトリック文化を持つ国で…。ですから私たちにとって、イエスは身近な存在です。あまりにも身近な存在なので(そのような罠に陥る可能性がある)」と説かれた。
そのうえで教皇は、「私たちは、イエスを神の子であり、救い主である」と本当に認識しているかどうか、自らに問うように促された。「ナザレのイエスが語る言葉に、独特な権威があることを感じているだろうか?」「私たちに救いをもたらすことができるのは、イエスの他に誰もいないことを認識しているだろうか?」。
そして、「このようにして、私たち全員に救いの必要性を考え、それを認識した時に、初めて今年が恵みの年になるのです」と説かれた。最後に教皇は、「神の母であり、私たちの母であるマリアに自信を持って助けを求め、イエスを認識できるようにしましょう」と信者たちに呼びかけ、説教を締めくくられた。
(2025.1.24 バチカン放送)
教皇フランシスコが24日、6月1日のカトリック教会「世界広報の日」に向けてメッセージを発表された。
カトリック教会では、毎年、「聖霊降臨」の前週の日曜日(今年は6月1日、日本の教会では復活節第6主日に記念するため今年は5月25日)を「世界広報の日」と定め、多様な形態のメディアを通して行われる福音宣教について教会全体で考え、祈りを捧げることにしている。2025年度のテーマは「Share with gentleness the hope that is in your hearts(仮訳= あなたがたが心に抱いている希望を穏やかに分かち合いなさい)」(ペトロの手紙1・3章15-16節参照)。
メッセージの中で教皇は、偽りの情報や分極化が目立ち、かつてないほどに、ごく一部の権力が大量のデータと情報を統制する今日、ジャーナリストや広報担当者たちの仕事の重要性と責任の重さを指摘。「困難な時代にあって、恵みの時であるこの聖年にあたり、福音の精神に従い、各自の仕事と使命を新たにし、希望を伝える者となるように」と報道・広報関係者たちに求められた。
*現実を単純化、歪曲し、言葉を刃物のように使うコミュニケーションの問題
さらに、教皇は、「希望を生まず、恐怖や、絶望、偏見、恨み、狂信、憎悪を生じさせ、直感的な反応を引き起こすためにしばしば現実を単純化し、言葉を刃物のように扱い、偽りの、あるいは歪曲された情報まで用いる」など、今日のコミュニケーションの問題を列挙され、このようなコミュニケーションの”武装”を解除し、攻撃性が清められる必要を説かれた。
また、別の懸念すべき現象として、デジタル・システムを通した「プログラムされた関心の分散」を挙げ、「デジタル・システムが市場の論理に従って私たちを分析・推定することで、現実に対する私たちの認識を変質させてしまうリスク」も指摘された。
*人々の歩みに寄り添う『ナザレのイエスのスタイル』に倣え
教皇は、新約聖書のペトロの手紙1の「心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を求める人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。それも、優しく、敬意をもって、正しい良心で、弁明しなさい」(3章15‐16節=聖書協会・共同訳)と言う言葉から、「キリスト者の希望には、顔がある。それは復活された主の御顔だ」、「その希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるようにしなければならない」、「その際には、優しく、敬意をもって弁明する」という3つのメッセージを引き出された。
そして、「キリスト者のコミュニケーションはもとより、一般のコミュニケーションも、柔和さ、親しさによって織りなされ、すべての時代における最も偉大な伝達者、人々の歩みに寄り添う『ナザレのイエスのスタイル』に倣うべきです」と強調。「心に語りかけるコミュニケーション、幻想や恐れを売るのではなく、希望する動機をもたらすことのできるコミュニケーション」であるよう希望された。
*注意深く思慮に満ちたコミュニケーション、隠れた善を語る必要
また教皇は、「希望が持つ共同体的な性格」に言及しながら、特にこの恵みの年がもたらす「再出発と、神の抱擁と慈しみへの委託のメッセージ」を指摘。聖年の多くの社会的意義に触れつつ、こうした意義を反映する例として、受刑者への憐れみと希望のメッセージ、苦しむ人や疎外された人への寄り添いと優しさを込めた呼びかけなどを挙げられ、「私たちを希望へと開く、注意深く優しい、思慮に満ちたコミュニケーションの大切さと、隠れた善を見出し、それを語る必要性」を示された。
*心に語りかけ、希望を蒔き、傷をいやすコミュニケーションの実践を
最後に教皇は、テクノロジーのめまぐるしい発展を前に、「私たちのたちの心、自分の内面生活をたいせつにするように」と信者たちに促され、「柔和で、相手の顔を忘れず、人々の心に語りかけ、本能的な反応をコミュニケーションの指針にせず実を結ぶことがと思われる時でも常に希望を蒔く、人類の傷をいやすコミュニケーションの実践」を求められた。
(編集「カトリック・あい」)