【11月号の巻頭言】シノドス総会最終文書、教皇の言葉、そしてバチカンの性的虐待報告を受け、日本の教会、司教団に求められるのは

・10月の月間閲覧件数は2万3000件を上回り。昨年11月以来一年ぶりの高い件数となった。閲覧件数がここまで伸びた原因は、個別記事別の閲覧件数に明確に出ている。

 教皇による菊地大司教ら新枢機卿の指名、10月27日に最終文書を採択して閉幕したシノダリティ(共働性)に関する世界代表司教会議(シノドス)総会第2会期、そして神言会裁判など聖職者の性的虐待問題と月末に発表されたバチカンの未成年・弱者保護委員会による世界の教会の性的虐待に関する報告、この三つに、読者の方々の閲覧が集中した。

 月間で100件以上閲覧されている上位8つの記事は、新枢機卿指名関連が3、聖職者の性的虐待関連が4と圧倒的だ。もっとも直近の一週間で見ると、シノドス総会の経過と結果に関心が集まり、週間で25件以上閲覧されている12の記事のうち、シノドス総会関連が最終文書の「日本語試訳中」を含め5つ、24日に教皇が発表された新回勅「Dilexit nosa」関連で2つの記事が読まれている。

・日本の教会、司教団の“シノドスの道”への取り組みは極めて消極的だった。小教区レベルで分かち合った内容、提言を教区の担当に挙げても、事実上、無視されたケースもあり、広島教区などごく一部の教区の取り組みの成果もアジア大陸レベル、そして今回のバチカンでの総会での議論にも、最終文書を見る限り、ほとんどと反映されていないようだ。

 それにもかかわらず、日本の教会の現状を憂い、名実ともに「シノダル(共働的な)教会」に向けて積極的に改革の道を模索しようとする真面目な信徒、司祭は、1か月にわたる総会の状況を「カトリック・あい」を通じて少しでも知ろう、今後に役立てたい、と思っていただけた。それが、この閲覧状況に現れているのではなかろうか。

・たとえば、教会における女性の役割を高める象徴的な課題として、総会前から議論されていた「女性助祭の叙階」。日本のように、司祭の高齢化、減少が著しく、”恵まれている“とされている東京教区でさえも、教区司祭の数が小教区の数を下回り、4つの小教区を一人の司祭で担当せざるを得ない地域も出てきている、という状況の中で、当然、関心を持つべき課題だが、司祭不足に悩むアマゾン流域の司教たちなどのように、積極的に総会で発言したとは聞いていない。

・女性助祭など賛否が分かれる問題の具体的検討は、研究チームの一つ(実際はバチカン教理省が所管)に委ねられ、来年6月を目途に答えを出すことになり、総会の最終文書に明確な方向が書かれることはなかったが、かなりのスペースで書き込まれたのは、第3部の「祈りと対話において、教会の識別」「意思決定への配慮」「透明性と説明責任」だ。

 最終文書の80項は「この三つの実践は、密接に絡み合っている… 意思決定プロセスには教会の識別が必要であり、そのためには透明性と説明責任に支えられた信頼の雰囲気の中で耳を傾ける必要がある」とし、 「意思決定プロセスの構造」、「透明性、説明責任、評価」、「シノダリティ(共働性)と参加機関」について103項まで、具体的に書かれている。今シノドス総会の経験から生まれた”シノドスの道“を歩み続けるための一連の提案の核心と言えるだろう。

・教皇は12月8日の叙任式を控えた新枢機卿たちに書簡を送られ、十字架の聖ヨハネを特徴づける「目を上げ、手を挙げ、裸足でいる」という3つの姿勢を体現するよう呼びかけられ、「あなたがたは裸足でいなければなりません… あなたがたは、そうすることで、痛みと苦しみに圧倒されている世界のあらゆる地域の厳しい現実に触れるからです」と強調。

 シノドス総会閉幕のミサでの説教では、マルコ福音書の「盲人のバルティマイ」の箇所を引用され、「私たちが、自信を持って、共にシノダリティ(共働性)の旅を続けられるように」、「バルティマイのように、私たちも主の呼びかけを聞いて勇気を奮い起し、自分の盲目を主に委ね、立ち上がって、福音の喜びを世界の街に運ぶことができますように」と祈られた。

・シノドス総会閉幕直後の29日、バチカンの未成年者・弱者保護委員会が、5大陸にまたがる広範な調査を行った作業グループの報告書を発表。地域別調査の結果では、中南米、アフリカ、アジアの一部の国が対象となったが、「教会組織や教会当局の中には、虐待被害の予防や被害者保護に対する明確な責任体制をとるところがある一方、虐待に対処する責任を引き受け始めたばかりのところもある」と指摘。

 さらに、教皇が2019年5月の「虐待や暴力を届け出るための新しい手続きを定め、司教や修道会の長上らにとるべき態度を周知させる」自発教令で指示された「虐待被害の報告体制や被害者に対するケアの体制」を欠いているところもある、と批判している。

 報告書の発表で記者会見に出席したある委員は、教会当局に苦情を申し立てた被害者たちが長い間、待たされ、被害に関する情報提供も十分なされないことで、苦痛を強め、 「再トラウマ化 」に陥る人も出ている、とし、被害者のこうした苦痛の訴えは、バチカンだけでなく、世界各地の教区の対応についても寄せられている、と述べた。

・日本の教会はどうか。司教協議会は、教皇フランシスコの自発教令などに押される形で、2021年に「未成年者と弱い立場におかれている成人の保護のためのガイドライン」を決定したが、各教区レベルで目立った動きはなく、2年半後の昨年9月に「2022年度日本の教区における性虐待に関する監査報告」を発表。

 だが、その内容はというと、「各教区から提出された確認書」をもとにした」という性的虐待の申し立ては2022年4月から2023年3月の間に4教区、5件。具体的な教区名も、申し立ての内容など具体的な記述は皆無。「性虐待の申し立てのあった各教区には、監査役から提出された調査報告書に記載された所見を通知し、ガイドラインに基づいてさらなる対応をするよう求めた」とあるだけで、どの教区に、どのような「所見」を通知したのか、「さらなる対応」はどのようなものなのか、まったく明らかにされず、性的虐待問題に、被害者に寄り添って真剣に取り組もうとする姿勢はまったく感じられない。そして、一年以上たった今、2023年度版の発表はおろか、そのようなものが作成されるかどうかさえ、判然としない。

・こうした中で、長崎、仙台の二つの教区で被害者から、教区の司祭による性的虐待の訴えがそれぞれの地方裁判所に出され、教区側は認めようとしないまま数年を経過、裁判所の和解勧告に従って賠償金は払ったものの、被害者の精神的ケアや教会に温かく迎え入れるような努力はされていない。ほかにも東京教区や札幌教区で小教区の司祭による性的不祥事が伝えられているが、誠実に受け止めるどころが、事実上無視、あるいは圧力をかけるような動きさえあると聞く。

 東京地方裁判所では、菊地・東京大司教や成井・新潟司教の出身母体である神言会の司祭から告解を悪用した卑劣な繰り返しの性的虐待を受け、PTSDを発症した被害者が昨年、神言会を相手取って訴えを起こし、すでに第5回口頭弁論まで進んでいる。だが、被告の神言会は、過ちを認めるどころか、弁護士を3人も立て、虐待はなかった、との主張を続けるばかりか、「原告は虚偽の訴えをしている」とまで言い、被害者にさらなる精神的な傷を負わせている。

・バチカンの未成年・弱者保護委員会の記者会見に出た委員の一人、コロンビアの首都ボゴタのエレーラ補佐司教は、「自分が愛し、自分の人生を捧げてきた組織の(被害者への訴えに対する)抵抗を目の当たりにすることは、私にとって十字架だった」と、そうしたことが世界で起きていることを裏付けた。それでも、「間違いなく、この数年間で多くの重要な変化も起きている… 虐待予防と被害者保護に関する教会の内部文化を変える戦いは困難だが、ゆっくりと前進している」と前を向いた。

・シノドス総会の最終文書、教皇の言葉、そして、バチカンの委員会による性的虐待報告、10月下旬に出されたこれらの指針を真摯に受け止め、過去を振り返り、「神の民」の声に真摯に耳を傾け、識別し、これからの「シノダルな教会」の実現に向けて、それを具体的な歩みに反映していくことが、日本の司教団のトップである菊地・新枢機卿以下の司教の方々に、そして司祭、信徒に強く求められている。日本の教会が「前を向いて」進めるように。

(「カトリック・あい」代表・南條俊二)

2024年10月31日

【10月の巻頭言】「10月はシノドス総会第二会期の会合、そして東京地裁で修道会司祭の性的虐待裁判が続く」

・9月の「カトリックあい」月間閲覧件数は、前月より日数が少ないことや、読者の皆様に強い関心を引くニュースか少なかったためでしょうか、前月より若干減って約1万7600件となりました。

 個別記事では、トップが「来年の聖年に向けて聖地巡礼などを全免償とするとバチカン発表」約160件で、「イタリアの司祭が妻と子のために司祭返上」約140件、「カトリック東京教区が『子供と女性の権利擁護委員会』担当司祭更迭」約120件がこれに次いでいます。月間閲覧60件以上の記事12本をテーマ別にみると、聖職者の性的虐待関連、シノドス関連がそれぞれ4本と、高い関心が続いているのが読み取れます。

 

・「Synod on Synodality」をテーマとする世界代表司教会議(シノドス)第16回通常総会の第二会期の会合が10月2日から始まります。

  バチカンのシノドス事務局が7月に発表した準備要綱で、シノドス総会第2会期に取り上げるべき課題として多くのスペースを割いているのは、「女性の活躍の促進」と「透明性と説明責任」です。

 「基礎編」で「教会生活のあらゆる領域における女性の役割」について、女性のカリスマと召命を「さらに十分に認める必要」を強調し、女性の助祭叙階などを念頭に、具体的な方策の検討に踏み込むことを求めています。

  「本編」で「重要かつ緊急」を要する課題として7項にわたって触れられているのは、「透明性」と「説明責任」ですシノダル(共働的)な教会に求められる文化として『透明性と説明責任を実践する』を挙げ、 「現在、教会内における透明性と説明責任の要求は、財政上のスキャンダル、とどまることのない性的虐待、その他の未成年者や弱者への虐待などによる信頼性の喪失の結果として起きている」と現状分析、具体的な取り組みの検討を提起しています。

 

・「カトリックあい」の9月の月間閲覧状況で、読者の関心が高いのは「シノドス」と「聖職者の性的虐待」と申し上げましたが、討議要綱もまさに、この二つをつなぐものとして、「透明性」と「説明責任」を重要テーマとして挙げているのです。

 第二会期直前の9月27日、ベルギー訪問中の教皇フランシスコは、同国の政治、経済、市民社会など各界代表、外交団、そして司教団などを前にしたあいさつで、聖職者による性的虐待問題を取り上げ、「カトリック教会は、キリスト教徒としての謙虚さをもって児童性的虐待の『恥』と向き合い、二度とこのようなことが起こらないようあらゆる努力をしなければならない…。今日、私たちはこの問題と向き合い、赦しを請い、虐待の恥、未成年者への虐待の恥を解決せねばなりません」と、教会関係者以外の政府や民間のリーダーたちを前にした異例の訴えをされました。

 さらに29日のローマへの帰国途上の機中会見で、教皇は「虐待の被害者の声に耳を傾けることは義務です… 私たちには虐待を受けた人々の声に耳を傾け、彼らをケアする責任があります。被害者の中には、心理療法が必要な人もいる」とし、「被害者のケアだけでなく、加害者も処罰されなければならない」と強調。さらに、「司祭が告発され有罪判決を受けた後、司教の中には教区や子供たちから離れた図書館で働く任務を与える者もいます」と批判、「このような行為は改めねばならない。教会の恥は『隠蔽すること』です。私たちは隠蔽してはならない」と強い言葉で”隠蔽体質”を糾弾しています。

 この発言の裏には、児童のみならず未成年、成人の男女に対する聖職者の性的虐待と高位聖職者などによる隠ぺいが、教会全体の信頼を大きく損ない、教会離れを加速する要因になっている、しかも対策が目立った効果を上げていないこと、透明性が確保されず、説明責任も十分に果たされていないことへの、強い危機意識りがあるように思われます。

 

・日本の教会はどうでしょう。

 教皇フランシスコは2021年10月に”シノドスの道”の歩みを始めるにあたり、この歩みについて、「世界の教会のあらゆるレベルで行われる、互いに耳を傾け合う、大きな動き、として考えています…シノドス(共働性)という言葉には、私たちが理解すべき全てのものが含まれている。それは『共に歩く』ということです」(同年9月18日の講話)と語られました。日本の教会の”共に歩く”は、いまだにこの教皇の思いとはかけ離れた状態です。現状を見る限り、「共に歩く」ことも、聖霊の助けを借りて、全ての信者の声に「耳を傾け」、「識別」し、「具体的な行動」に生かしていく努力を、日本の司教団が十分にしているとは、残念ですが、とても思えません。末端から声を挙げようにも、それを受け止める体制すら無きに等しい状態ではないでしょうか。

 そうした中で、聖職者による性的虐待も、欧米に比べれば件数は多くありませんが、司教や司祭の皆さんに、説明責任を果たし、被害者に謝罪し、教会に戻れるようケアをするという努力は皆無と言っていい状態です。加害者司祭は無論のこと、教区や修道会の責任者も被害者と誠実に向き合おうとせず、長崎、仙台では裁判所が和解勧告をし、教区が損害賠償金を払ったことになっていますが、司教も司祭も、教会への復帰の支援、温かく迎える対応どころか、教会関係者が被害者に心無い非難の声をかけ、さらに心の傷を深くさせ、教会に足を踏み入れることもできないケースもあると聞きます。

 東京地裁でも、繰り返し神言会の司祭から繰り返し性的虐待を受けた女性がこの修道会を相手に損害賠償の訴えを起こして公判中(第五回口頭弁論が10月9日午後3時から東京地裁第615法廷で開かれた)ですが、被告側の修道会は謝罪や和解の努力をすることなく、あくまで訴えそのものを拒否する姿勢で、第4回口頭弁論から弁護士を3人に増やしています。

 教皇フランシスコが2021年10月に始められた”シノドスの道“の大きな”山場“とも言うべきシノドス総会第二会期の会合が約1か月にわたって開かれる間に、「聖霊の導き」のもとに、どこまで踏み込んだ議論をし、来年前半までに出される10のテーマの研究会最終報告にどうつなげ、具体的な取り組みに踏み出せるのか。そして日本の代表たちが、どのように対応するのか。「カトリックあい」は、東京地裁での裁判の行方なども併せて、強い関心をもってフォローしていきます。

 

(「カトリックあい」代表・南條俊二)

2024年9月29日

【9月の巻頭言】シノドス総会第2会期目前、改めて日本の司教たちの姿勢を問う

・月間閲覧件数は1万9516件と前月を大きく上回りました。猛暑や豪雨が繰り返され、体調を崩される方も少なくないと拝察しますが、そうした中でのご愛読に感謝いたします。

・8月の閲覧状況で特徴的なのは、10月2日から約1か月にわたって開かれる世界代表司教会議(シノドス)総会第2会期会合を目前にしたシノドス関連記事、そして聖職者による性的虐待関連が引き続き多く読まれていることで、月間閲覧件数50件以上の記事25本のうち、前者が7件、後者が11件を占めています。読者の皆さんが、この二つの問題に強い関心を持ち続けていることの証しでしょう。

 

・第二会期に向けたシノドス事務局の準備要綱の「カトリック・あい」による全文試訳は、7月中旬の掲載開始からの閲覧が英語公式訳を合わせて200件を超えていますが、日本の司教団・中央協議会のホームページには、準備要綱発表から2か月もたって、9月7日にようやく翻訳が掲載されました。

 8月上旬にはバンコクでアジア司教協議会連盟に加盟する17か国の司教や信徒の代表が集まって、準備要綱の検討を含め総会第2会期への対応を話し合いましたが、日本から参加したのは一般信徒の”代表”だけでした。

 教皇フランシスコは2021年10月に”シノドスの道”の歩みを始めるにあたり、この歩みについて、「世界の教会のあらゆるレベルで行われる、互いに耳を傾け合う、大きな動き、として考えています…シノドス(共働性)という言葉には、私たちが理解すべき全てのものが含まれている。それは『共に歩く』ということです」(同年9月18日の講話)と語られました。日本の教会の”共に歩く”は、いまだにこの教皇の思いとはかけ離れた状態です。

 

・準備要綱で、シノドス総会第2会期に取り上げるべき課題として強調されているのは、「女性の活躍の促進」と「透明性と説明責任」です。

 「基礎編」で、「教会生活のあらゆる領域における女性の役割」の考察に最も多くのスペースを割き、女性のカリスマと召命を「さらに十分に認める必要」を強調し、具体的な方策の検討に踏み込むことを求めています。

  「本編」で「重要かつ緊急」を要する課題として7項にわたって触れられているのは、「透明性」と「説明責任」です。「シノダル(共働的)な教会には『透明性と説明責任を実践する』という文化が求められる」(73項)と指摘。 「現在、教会内における透明性と説明責任の要求は、財政上のスキャンダル、とどまることのない性的虐待、その他の未成年者や弱者への虐待などによる信頼性の喪失の結果として起きている」と現状分析し、具体的な取り組みの検討を提起しています。

 

・8月の記事別閲覧状況では、性的虐待関連は、東京教区の担当司祭の更迭、その後の謹慎処分が合わせて200件強。神言会元司祭の性的虐待裁判、北海道でのパリ外国宣教会司祭の性的虐待など、日本の教会の不祥事のほか、欧州や南米で新たに明るみに出た不祥事、関連の評論もよく読まれています。

 その背景には、日本の教会、司教たちが、十分に説明責任を果たさず、透明性を欠いていることへの、信徒、読者の批判意識があるように思われますが、日本の司教たちはどのように受け止めているのでしょうか。それとも、不都合な批判には「耳を傾けること」さえしていないのでしょうか。

 

・シノドス総会第2会期の会合は「シノダル(共働的)な教会を目指すための課題への取り組み」(Vatican News 2024.2.17)の話し合いがなされます。女性助祭の叙階の是非など教義的、司牧的、倫理的諸課題や司教候補の選定基準・法的機能など10の課題はそれぞれの専門家による研究会で、2025年6月末までに結論を出すことになっており、教皇フランシスコが言われているように”シノドスの道“の歩みはもちろん、総会第2会議で終わるわけではありませんが、これまで3年間にわたる歩みが具体的な成果を生むための大きな節目を迎えていることは否定できません。

 

・太平洋諸島司教協議会(CEPAC)は3月のオンライン会議で、ライアン・ヒメネス会長が、一部の司祭が”シノドスの道“の歩みにいまだに参加していないことを認めたうえで、「この歩みに、聖霊が忍耐強く協力して働いてくださるように努めることが、私たちに求められているのです」と訴えました。この会議の主題は「舟に乗るのに遅すぎることはない」でした。

 日本の司教たちも「努め」を放棄してはなりません。「遅すぎることはない」のです。

 

(「カトリック・あい」代表・南條俊二)

2024年9月29日