☩「 ”善きサマリア人”であるキリストに倣おう」教皇、年間第15主日、カステル・ガンドルフォでのミサで

(2025.7.13 Vatican News   Deborah Castellano Lubov )

 教皇レオ14世は13日、年間第15主日のミサを休暇中の離宮、カステル・ガンドルフォで捧げられた。そしてミサ中の説教で、直前に読まれたルカ福音書でキリストが語られた「善きサマリア人」のたとえ話を取り上げ、「私たちは主、善きサマリア人に倣う必要があります」とされ、「神の愛と癒しを経験するとき、私たちが出会う他の人々にも、同じように慰めを与えることができるのです」と念を押された。

Pope Leo presides over Mass at the Parish of St. Thomas of Villanova in Castel Gandolfo

 続けて教皇は「このたとえ話は、憐れみに関するものであり、私たちが他者をどのように見るかが重要なのです… 見て、通り過ぎることもできるし、見て、憐れみの心で感動することもできます」とされた。

 そのうえで、このたとえ話は「私たちを見る神のなさり方について、私たちに語っている… 私たちが、愛と憐れみに満ちた神の目で状況や人々を見る方法を学ぶことができるように、 です」と語られた。

 そして、「善きサマリア人とは、イエスの姿であり、御父が私たちの歴史に遣わされた永遠の御子なのです… ルカ福音書のエルサレムからエリコへと下っていく男のように、人類は死の淵へと下っていく。現代の私たちも、悪、苦しみ、貧困、そして死の謎という暗闇に立ち向かわねばなりません」とされた。

 だが、「神は、そのような私たちと同じ道を歩み、私たちの間に降りてこようとされた。善きサマリア人であるイエスにおいて、神は私たちの傷を癒し、その愛と憐れみのバームを私たちに注ぐために来られたのです」と説かれた。

 教皇はまた、故教皇フランシスコが、神が憐れみと慈しみであることをしばしば指摘され、イエスを 「私たちに対する御父の憐れみ 」と呼ばれたことを思い起された。さらに、聖アウグスティヌスは「イエスが、私たちを助けに来た善きサマリア人として、私たちの隣人として知られることを望んだ 」とされ、「主イエス・キリストは、ご自身が、強盗に殴られ、道端に置き去りにされた半死半生の男を介抱された方であることを、私たちに悟らせてくださいます」と述べられた。

 そして、「このたとえ話がなぜ、私たち一人ひとりにとって、どれほど挑戦的なものか、お分かりになるでしょう… キリストが憐れみ深い神の顔を私たちに見せてくださるのであれば、キリストを信じ、キリストの弟子になることは、私たち自身が変わり、キリストと同じ感情を持てるようになる、ということなのです」と説かれた。

 このことは、「感動する心を持つこと、見る目を持ち、目をそらさないこと、人を助け、その傷を癒す手を持つこと、困っている人の重荷を担う肩を持つことを学ぶこと」を意味すると語られた。

 そして、「善きサマリア人であるキリストが私たちを愛され、気遣ってくださっていることを心の底から理解するなら、私たちも同じように愛するように心を動かされ、キリストのように憐れみ深くなるででしょう… ひとたびキリストによって癒され、愛されれば、私たちもまた、キリストの愛と慈しみの証人となることができるのです 」と強調。

 そのことを念頭に置いて、教皇は 「今日、私たちはこの『愛の革命』を必要としています 」とされ、「今日、エルサレムからエリコに下る道は、罪、苦しみ、貧しさに堕ちていくすべての人々が通る道。心に重くのしかかったり、人生によって傷ついたりするすべての人が通る道、転落し、方向感覚を失い、どん底に落ちるすべての人が通る道、身ぐるみを剥がされ、強奪され、略奪され、専制的な政治体制や貧困を強いる経済の犠牲となり、夢や人生そのものを奪う戦争の犠牲となるすべての民族が通る道、です」と述べた。

 そのうえで教皇は、「私たちは何をすればいいのでしょうか? 瀕死の状態で倒れている人を見て、通り過ぎるのか、それともサマリア人のように、その人に心を開くのか。自分の義務を果たすことだけに満足するのか、それとも、自分の集団の一員であり、自分と同じ考えを持ち、同じ国籍や宗教を持つ者だけを隣人と見なすのか」と問いかけられ、「イエスは、傷ついた人の隣人として行動するサマリア人、外国人、異端者を私たちに示すことによって、このような考え方を覆し、私たちにも同じようにするよう求めておられるのです 」と説かれた。また教皇は、ベネディクト16世が書著『ナザレのイエス』の、善きサマリア人のたとえ話に触れた箇所で、「もし『サマリア人は、私の隣人なのか』という問いが、当時の状況でなされたのなら、答えは明確に『ノー』であっただろう」と指摘した箇所を取り上げられた。

 そして、「外国人であるサマリア人は、自分自身を隣人とし、私が心の奥底で隣人となることを学ばなければならないこと、そして私自身の中にすでに答えがあることを示しています。『私たちは、愛にあふれた人のようにならなければならない、他人の必要によって心が揺さぶられることに心を開いている人のようにならなければならない』と」。

 「傷ついた人の横を通り過ぎることなく見つめ、私たちの生活のペースを止め、他者が誰であろうと、その必要や悩みを抱えていようと、その人の人生が私たちの心に触れるようにすること、それが私たちを互いに隣人とし、真の友愛を生み出し、壁や障壁を取り払うことなのです。最終的に、愛は勝利し、悪や死よりも強力であることを証明するのです」と強調された。

 そして説教の最後に、教皇は、 「善きサマリア人であるキリストに目を向けましょう。今日、キリストの声にもう一度耳を傾けましょう。キリストは私たち一人ひとりに、『行って、同じようにしなさい』と言われるからです」と信者たちに呼びかけられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2025年7月13日

☩「薄らぐことのないキリストの光を、いくつもの”小さな光”を通して全世界に広げて」八つの修道会の会員たちに

教皇レオ14世、8つの修道会の総会参加者と 2025年7月12日 カステルガンドルフォ・教皇宮殿中庭教皇レオ14世、8つの修道会の総会参加者と 2025年7月12日 カステルガンドルフォ・教皇宮殿中庭  (@Vatican Media)

(2025.7.12  バチカン放送)

 教皇レオ14世が12日、夏季休暇を過ごしておられるカステル・ガンドルフォで、八つの修道会の会員たちとお会いになった。

 ミラノ宣教会、マリアの娘エスコラピアス修道女会をはじめとする八つの修道会は、いずれも現在総会を開いている。

 教皇は挨拶で、「皆さんの創立者たちは、聖霊の働きかけに従順に、キリストの体を築き上げるための多様なカリスマを、あなたがたに遺されました」とされ、「皆さんの修道会は、キリストの犠牲と一致した自己奉献、諸民族のもとへの宣教、教会への愛を守り伝える青少年の教育と育成など、神の民全体の生活と行いを完全なものとするための要素を具現化しておられます… それはすなわち、神の人類への愛という、唯一かつ永遠の現実を、カリスマに応じて表現する多様な道です」と語られた。

 また教皇は、各修道会の指針の中でも、本質的に要求されるべきものとして、「真の宣教精神の刷新」「イエス・キリストの思いを自分のものとする」「神に根差す希望を持つ」「聖霊の火を心に生き生きと保つ」「平和を推進する」「現地の教会において司牧の共同責任を育む」などを挙げられた。

 そして、「教会であることの自覚と喜びを新たに、かつ確かにすることができるように」と参加者たちを励まされるとともに、「全人類を一つの大きな家族としてご自身のもとに導くことを望まれる神の救いのご計画を、広い視野において考えるように」との教皇フランシスコの呼びかけを思い起こされ、「この精神と、共に皆さんの修道会が生まれ、これこそが、あらゆる努力を傾けるべき目標です」と表明。「薄らぐことのことのないキリストの光を、いくつもの”小さな光”を通して全世界に広げてください」と願われた。

(編集「カトリック・あい」)

 

 

2025年7月13日

☩「AI(人工知能)を共通善に奉仕させる責任は、開発、管理、監督、そして使用する人々にある」-教皇、「AI for Good」サミットへ

AI for Good Global Summit in GenevaAI for Good Global Summit in Geneva  (ANSA)

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年7月12日

☩「長年培ってきた信仰を、家族、人との出会いの中で、愛情をもって伝え、希望のしるしとなろう!」ー7月27日「祖父母と高齢者のための世界祈願日」

年配の巡礼者を祝福する教皇レオ14世年配の巡礼者を祝福する教皇レオ14世  (@Vatican Media)
 教皇レオ14世が10日、27日の「祖父母と高齢者のための世界祈願日」に向けたメッセージを発表された。今年のテーマは「希望を失うことのない人は、幸いだ」( シラ書14章2節参照)

 「祖父母と高齢者のための世界祈願日」は、2021年に教皇フランシスコによって制定され、教会暦中のイエスの祖父母、聖ヨアキムと聖アンナの日(7月26日)に近い7月の第4日曜日に祝われる。日本の教会では、9月の「敬老の日」の前日の日曜日(今年は9月14日)に記念することになっている。

 バチカン報道官室が10日公表したメッセージ全文の仮訳以下の通り。

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2025年第5回祖父母と高齢者のための世界祈願日」のために

希望を失わない人は幸いである(シラ書 14章2節 参照)

 親愛なる兄弟姉妹の皆さん

 私たちが今祝っている聖年は、年齢がどうであれ、希望が喜びの絶え間ない源であることを理解する助けとなります。その希望がまた、長い人生の中で火によって鍛えられたとき、それは深い幸福の源となるのです。

 聖書は、主がその救いの計画の一翼を担うために人生の後半に召された男女の例を数多く示している。年老いたアブラハムとサラは、神が彼らに子を授けると約束されたとき、それを信じることが難しかった。子供がいなかったため、将来への希望が持てなかったようです。

 洗礼者ヨハネ誕生の知らせに対するゼカリヤの反応も同じでした。「私は老人ですし、妻も年を取っています」(ルカ福音書1章18節)。老齢、不妊、肉体の衰えは、明らかにこれらの男女の生命と豊穣への希望を閉ざした。ニコデモが、師から「生まれ変わる」ことについて話しかけられたときにイエスに尋ねた質問も、純粋に修辞的なもののように思われます。「年を取った者が、どうして生まれることができましょう。もう一度、母の胎に入って生まれることができるでしょうか」(ヨハネ福音書3章4節)。しかし、私たちが物事を変えられないと思うときはいつでも、主は救いの力で私たちを驚かせてくださいます。

*希望のしるしとしての高齢者

 聖書では、神は晩年の人々に目を向けることで、ご自身の摂理的配慮を繰り返し示している。アブラハム、サラ、ゼカリヤ、エリザベスだけでなく、すでに80歳になっていたモーセも、民を解放するために召された(出エジプト記7章7節参照)。こうして神は、神の目には高齢は祝福と恵みの時であり、高齢者は神にとって希望の最初の証人であることを教えています。

 アウグスティヌスは、「老年とは何を意味するのか?」と問いかけます。そして、神ご自身がその問いに答えておられる、と語ります―「 私の力があなたがたのうちにとどまるように、あなたがたの力を衰えさせなさい。そうすれば、使徒と同じように、『私が弱ったとき、私は強い』と言うことができる」(Super Ps. 70章11項)と。高齢者の増加は、この歴史の瞬間を正しく解釈するために、私たちが識別するよう求められている時代のしるしです。

 教会と世界の活動は、世代の経過を踏まえて初めて理解できます。高齢者を受け入れることは、人生とは今この瞬間以上のものであり、表面的な出会いやつかの間の人間関係で無駄にすべきではないことを理解する助けとなります。人生は常に私たちを未来へと導いているのです。

 創世記には、年老いたヤコブが孫であるヨセフの息子たちに祝福を与えた感動的なエピソードがあります。彼は、神の約束が成就する時であるとして、希望をもって未来を見つめるよう訴えています(創世記48章8-20節参照)。

 高齢者の弱さが若者の強さを必要とするのは事実ですが、若者の未熟さが知恵をもって未来を築くために高齢者の証しを必要とするのも、また事実です。私たちの祖父母は、信仰と献身、市民としての美徳と社会的コミットメント、記憶力と試練の中での忍耐の模範なのです! 祖父母が希望と愛をもって、私たちに伝えてくれた貴重な遺産は、常に感謝の源となり、忍耐への呼びかけとなります。

*高齢者には祝福がある

 聖書の時代から、聖年は、「解放の時」と理解されてきた。奴隷は解放され、借金は赦され、土地は元の所有者に戻されました。聖年は、神によって定められた社会秩序が回復され、長年にわたって蓄積された不平等や不公正が是正される時でした。イエスはナザレの会堂で、貧しい人に福音を、目の見えない人に視力を、囚人や虐げられている人に自由を告げ知らせました(ルカ福音書4章16-21節参照)。

 この聖年の精神にそって高齢者に目を向けると、私たちは、彼らが解放される、特に孤独や疎外から解放されるのを、助けるよう求められているのを知ります。今年はそのためにふさわしい年です。神の約束への忠実さは、老年期には祝福があること、高齢者がしばしば閉ざされている無関心の壁を打ち破るよう私たちを鼓舞する本物の福音的喜びがあることを教えています。私たちの社会は、世界中どこでも、人生の重要で豊かな部分が疎外され、忘れ去られることに慣れきってしまっています。

 このような状況を踏まえ、教会全体が責任を引き受けることで容易に理解できるような意識の転換が求められています。高齢者を定期的に訪問し、高齢者のために、また高齢者と共に、支援と祈りのネットワークを作り、「自分は忘れられている」と感じている人々に、希望と尊厳を回復させる関係を築くことでもたらされる、感謝と配慮の 「革命 」の主人公となるよう、すべての小教区、協会、教会団体が求められているのです。

 キリスト教的な希望は、常に、私たちに「大胆になるように、大きく考えるように、現状に満足しないように」と促しています。高齢者が受けるべき尊敬と愛情を回復できるような変化のために働くよう、私たちに促しているのです。

 だからこそ教皇フランシスコは、「世界祖父母と高齢者の日」を主に、一人暮らしの高齢者を探す取り組みを通して祝うことを望まれたのです。そのため、この聖年にローマに巡礼に来ることができない人は、「適切な時間、独りでいる高齢者を訪問し… ある意味で、彼らのうちにおられるキリストのもとへ巡礼する(マタイ福音書25章34-36節参照)」(『APOSTOLIC PENITENTIARY』, 『Jubilee Indulgence』, III)ことができます。高齢者を訪問することは、私たちを無関心と孤独から解放してくださるイエスに出会うことです。

*高齢者として、私たちは願うことができる

 シラ書は、希望を失わない者を「幸いな者」と呼んでいます(14章2節参照)。おそらく、特に私たちの人生が長い場合、私たちは未来ではなく、過去に目を向けたくなるかも知れません。しかし、教皇フランシスコが最後の入院中に記されたように、「私たちの身体は弱っていますが、それでも、信仰をもって、希望の輝くしるしとして、愛し、祈り、自らをささげ、互いに寄り添うことを妨げるものは何もありません」2025年3月16日の正午の祈りの説教)。私たちには、どんな困難も奪うことのできない自由があります。それは、「愛する自由」であり、「祈る自由」です。

 愛する人への愛情—人生の大半を共に過ごした妻や夫への愛情、子どもへの愛情、日々を明るく照らしてくれる孫への愛情—は、私たちの力が衰えても、衰えることはありません。彼らの愛情が、私たちの活力をよみがえらせ、希望と安らぎをもたらしてくれることも多いのです。

 神ご自身にルーツを持つ、これらの生きた愛のしるしは、私たちに勇気を与え、「たとえ外側の自分が衰えていくとしても、内なる自分は日々新たにされていく」(コリントの信徒への手紙2・4章16節)ことを思い出させてくれます。特に私たちが年を重ねる中で、主を信じて前進しましょう。祈りと聖ミサにおける主との出会いによって、日々新たにされましょう。

 私たちが長年培ってきた信仰を、家族の中で、また日々の人との出会いの中で、愛情をもって伝えていきましょう。常に神の慈しみを賛美し、愛する人たちとの一致を培い、遠くにいる人たち、とりわけ、困っているすべての人たちに心を開くことができるように。そうすることによって、私たちは年齢にかかわらず、希望のしるしとなるのです。

2025年6月26日、バチカンより 教皇レオ14世

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二=聖書の日本語訳は「聖書協会・共同訳」を使用)

2025年7月11日

☩「ウクライナの人々に寄り添い、祈る」—教皇、ゼレンスキー大統領と会談、ロシアとの和平交渉仲介の意思を確認

教皇レオ14世、ウクライナのゼレンスキー大統領を迎えて 2025年7月9日 ローマ近郊カステルガンドルフォ教皇レオ14世、ウクライナのゼレンスキー大統領を迎えて 2025年7月9日 ローマ近郊カステルガンドルフォ  (ANSA)

(2025.7.9 Vatican News   Francesca Merlo)

 教皇レオ14世が9日午後、夏季休暇のため滞在中の教皇離宮カルテルガンドルフォで、ウクライナのゼレンスキー大統領とお会いになった。

 ゼレンスキー大統領は、7月10日と11日ローマで開かれるウクライナ復興会議のためにイタリアを訪れている。

 教皇離宮内ヴィッラ・バルベリーニに大統領を迎えた教皇は、ウクライナで続いている戦争と、対話を通じて平和を追求する緊急の必要性が話し合われた。

 バチカン報道室が同日夕に発表した声明によると、会談は、ウクライナにおける敵対行為の終結と、戦争の公正かつ永続的な解決策を見出すための努力を中心に行われ、教皇は、戦争の犠牲者への哀悼の意を表し、ウクライナ国民に対し、祈りと継続的な寄り添いを約束された。

 教皇はまた、囚人のロシアとの相互釈放と、ロシアに拉致され、家族と離ればなれになったウクライナの子供たちの帰還に向けた取り組みを願われ、バチカンがウクライナとロシア両国の代表者をバチカンに迎え、交渉の機会を設ける用意があることを改めて表明された。

 会談後、ゼレンスキー大統領は記者団に短い挨拶を行い、「教皇が会談に応じ、私たちをお迎えくださったことを大変うれしく思います」と述べた。特に、ロシアに拉致されたウクライナの子供たちの問題に関して、教皇とバチカンの支援に感謝するとともに、「これは非常に重要な問題です。私たちはこの問題について話し合ってきました」とし、子供たちを速やかに親族の元に返還する必要性を強調した。

 また大統領は、ウクライナの平和実現への努力を改めて表明し、「もちろん、私たちは平和を望んでいます。戦争の終結を望んでいます。バチカンと教皇が、この戦争を終わらせるためのロシアとのハイレベル会合の場を提供してくださることを強く期待しています」と語った。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年7月10日

☩「環境危機に対して、観想的な眼差しが必要」教皇、夏の離宮で被造物保護のミサ

Pope Leo XIV delivers his homily at the first Mass for the Care of Creation in the papal residence in Castel GandolfoPope Leo XIV delivers his homily at the first Mass for the Care of Creation in the papal residence in Castel Gandolfo  (@Vatican Media)

2025年7月9日

☩「教会と世界に必要なのは『都合のいい時に”参加”する人』ではない、『常に宣教の現場で熱心に働く人』だ」ー教皇、年間第17主日の正午の祈り

Pope Leo XIV during his Sunday Angelus addressPope Leo XIV during his Sunday Angelus address  (@VATICAN MEDIA )

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2025年7月6日

☩「お互いを大切にし、友情の橋を架けよう」教皇、サマースクールの子供たち、ウクライナからの子供たち600人と”対話集会”

 

 教皇レオ14世は月3日、バチカンで開講されているサマースクール参加者とウクライナからやって来た子供たち合わせて約600人と”対話集会”を持たれ、「互いを大事に思い、相手を自分と同じ者として見ること」の大切さを説かれた。ウクライナからの子供たちは、カリタス・イタリアの支援でローマを訪問した。

 パウロ6世ホールで行われたこの集いで、教皇は子供たちから、いくつかの質問を受け、それに答えられた。その中で、ご自分の子ども時代について聞かれた教皇は、ミサに出るため教会に通い、そこで、他の子どもたち、特に「最高の友、イエス」と出会った体験を語られた。

 また、ウクライナの子供たちに対して、英語による歓迎の言葉を送られ、「お互いを大切にし、自分と違うところがある、といって立ち止まらず、友情の橋を架けることが大切です。私たちは皆、友だち、兄弟姉妹になることができるのです」と説かれた。

 戦争に関する質問には、教皇は、「子供の時から平和と友情を築く人となることを勉強し、争いや戦いに加わらず、憎しみや妬みを広げないようにする必要があります」と答えられた。

 そして、「イエスは皆が友だちになるようにと、私たちに願っておられます… 小さいときから、お互いを大切にし、皆を『自分と同じ』だと見るようにしましょう」と話された。

 子供たちからは、教皇に、サマースクールで制作した作品や、ウクライナの子供たちからは、自分たちが描いた絵などが贈られた。集合写真を撮影した後、教皇は「アヴェ・マリアの祈り」を唱えるよう勧められ、祝福をおくられた。

(翻訳・バチカン放送、編集「カトリック・あい」)

 

2025年7月6日

☩「キリストにおいて、私たちは『平和と希望の種』」教皇、9月1日の被造物のための祈願日に向けたメッセージ

(2025.7.2   バチカン放送)

 教皇レオ14世は2日、カトリック教会の「被造物を大切にする世界祈願日」(9月1日)に向けたメッセージを発表された。教皇フランシスコの環境回勅『ラウダート・シ』と共に設けられたこの祈願日は、今年で第10回目を迎える。 教皇レオ14世、2025年度「被造物を大切にする世界祈願日」に向けメッセージ

 今年の「聖年」を背景に記念される2025年度の同祈願日のテーマは「平和と希望の種」。教皇は、前教皇が生前に選ばれたこのテーマに沿ったメッセージで、「イエスは、神の国について語るために、しばしば『種』のイメージを用いておられます… 種は落ちた場所に自分のすべてを委ねながら、その恵みの爆発的な力をもって、思いがけない場所にさえも命を芽生えさせます」とされたうえで、「キリストにおいて、私たちは種。それだけではありません。『平和と希望の種』なのです」と説かれた。

 続いて教皇は、イザヤ書の次の一節を引用され、「不毛で干からびた荒れ野を、休息と平安の庭に変える、神の霊の力」に注意を向けられた—「ついに、高き所から、霊が私たちの上に注がれる。すると、荒れ野は果樹園となり、果樹園は森と見なされる。その時、荒れ野に公正が宿り、正義が果樹園に住む。正義が造り出すものは平和。正義が生み出すものは、とこしえに至る静けさと信頼である。私の民は、平和な住まい、安全な家、心配の要らない安らぎの場に住む」(32章15-18節=日本語訳は「聖書協会・共同訳」を使用)。

 そして「世界の様々な場所で、大地の荒廃が進んでいることは明らかです。至るところで、不正義、国際法と人権の侵害、不平等、貪欲が、森林破壊や、公害、生物多様性の損失が起きています」と、世界の厳しい現実に触れ、「気候変動が引き起こす極端な自然現象は、その激しさと頻度を増しているだけでなく、自然そのものが『交換の道具、経済的・政治的利益のための取引の対象』になっています… これらの傷は、罪によるもの。ご自分に似た者として造られた人間に地球を託された時に、神が意図しておられたこととは、当然、異なる結果です」と指摘された。

 そのうえで教皇は、「環境に対する正義は、単なる環境保護問題を超え、緊急に必要とされています… それは社会正義、経済、人間学の問題であるだけでなく、キリスト者にとっては、神が人間に求められる義務でもあり、被造物の保護は、信仰と人類の問題なのです」と強調。「献身と優しさをもってこの問題に取り組むことで、たくさんの正義の種が芽を出し、平和と希望に貢献することができるでしょう」と世界の信者たちに具体的な努力を促された。。

 教皇はまた、教会がこの分野において蒔いた種の一つとして、教皇フランシスコが「統合的エコロジー教育」を目的に、夏の教皇離宮、カステルガンドルフォで企画された「ボルゴ・ラウダート・シ(ラウダート・シ村)」の事業を取り上げるとともに、回勅『ラウダート・シ』発表後のカトリック教会の10年間の歩みを振り返りながら、「回勅がこれからも、私たちに霊感を吹き込み、『統合的エコロジー』の道を歩み続け、その努力を分かち合うように」と願われた。

(編集「カトリック・あい」)

2025年7月3日

☩「戦乱が続く中で希望を語るのは難しい、それでも一つの信仰、一つの希望に結ばれ続けよう」-教皇、ウクライナのギリシャ・カトリックの司教たちに

(2025.7.2  Vatican News  Christopher Wells)

 

    教皇レオ14世は、週初からローマで総会を開いているウクライナのギリシャ・カトリック司教会議の司教たちとお会いになり、「教会共同体に助けを求め、傷つき苦しむすべての人々の中でキリストに仕える」という司教の義務を思い起こされ、その義務が正常に果たせるよう、ウクライナに「一刻も早く平和が戻る」よう祈られた。

 

*信仰と希望の証しは「神の力のしるし」

 

 会見でのあいさつで教皇は、今年の同司教会議の総会が「神の民すべてが希望のうちに自らを新たにするよう招く聖年」の中で行われることを指摘され、「希望は、キリスト・イエスにおける神の愛に基づいており、決して私たちを失望させるものではありません」と強調。

 ロシアによる侵略戦争の最中にあるウクライナで、「希望を語るのは難しい… この無意味な戦争で愛する人を失った家族、特に心身に傷を負った人々と日々接している司教たちにとって、慰めの言葉を見つけることは容易でない」ことを認めつつ、「信仰と希望の多くの証言は、破壊の瓦礫の中に現れる『神の力のしるし』です」と司教たちを励まされた。

 

 

*一つの信仰、一つの希望に結ばれて

 

 さらに教皇は、司教たちが多くの教会的、人道的要請に直面していることを認め、「皆さんの共同体に具体的な助けを求める、傷つき苦しむすべての人々の中でキリストに仕える」という義務を思い起こされたうえで、「ウクライナの全てのギリシャ・カトリック信者に寄り添い、『一つの信仰、一つの希望』に結ばれ続ける」よう呼びかけ、交わりの「偉大な神秘」を指摘。

 「この神秘は、この世から引き裂かれながらも神に迎え入れられた人々とさえ、私たちを結びつけます。神において、全てのものは生き、その完全な意味を見出すのです」と強調された。

 そして挨拶の最後に教皇は、「聖母マリアの執り成しによって、ウクライナに可及的速やかに早く平和が戻りますように」と祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年7月2日

☩「世界の食糧事情は悪化の一途、80年前の設立目標から程遠い」教皇、FAO創設80周年記念総会に

種をまくニジェールの女性たち 種をまくニジェールの女性たち   (AFP)

 教皇レオ14世が6月30日、28日に始まった国際連合食糧農業機関 (FAO)総会にメッセージをおくられ、「FAOの対応は重要な進歩を遂げたが、世界の食料事情は悪化をたどっており、私たちは1945年のFAO設立目標から程遠いところにいる」とされ、一層の真剣な取り組みを求められた。

 メッセージで教皇はまず、今年創設80年を迎えるFAOが最重要課題の一つである食糧不安と栄養不良への解決を見出すために日々取り組んでいることに感謝を述べられ、「福音書のイエスのパンと魚の奇跡を読むと、キリストによって行われた真の奇跡は、飢えを撲滅するための鍵は『強欲な溜め込み』ではなく、『分かち合い』にあると、気づかされます」と語られた。

 そして、FAO設立から80年間に「世界の食料安全保障の状況は悪化をたどり、2030年までに貧困を撲滅するという『アジェンダ2030』の達成は見通せなくなるばかり… これは1945年に同機関が創立された際の目標から私たちが程遠いところにいることを意味します」と指摘。

 そのうえで、「地球上では全人類に食糧を十分行き渡らせるだけの生産が可能であるにもかかわらず、食料安全保障をめぐる国際的な取り組みがされているにもかかわらず、世界では多くの貧しい人々が日ごとの糧を得られないでいます。その一方で、今日、戦争の武器として飢餓が不当に利用されているのを、私たちは苦悩と共に目の当たりにしているのです」と訴えられた。

 そして、「国民を飢えさせることは、非常に安上がりな戦術であり、今日の紛争では、罪のない市民を支配する目的で、通常の軍隊ではなく、民間の武装集団が農地を焼き、家畜を盗み、支援を阻むケースが目立っています… 多くの人が飢餓で亡くなる一方、政治リーダーたちは汚職や不処罰で富を蓄積しています」と批判され、「今こそ、世界はこうした権力の乱用を制裁し、責任者らを訴追するために、共通の明確な規制措置をとる必要があります」と強く求められた。

 また、「平和と安定なくして、強靭な農業食糧システムを確立するのは不可能であり、すべての人に健康的で手の届きやすい食糧の保障はできません。互いに傾聴し、理解し合い、共に行動するための対話が必要です」と訴えられた。

 食糧システムと気候変動が相互に影響し合っている点にも言及され、「自然災害と生物多様性の喪失によって引き起こされた社会の不平等は、環境と人間を中心に据えた適切な自然環境保全への移行によって、取り除かれる必要がある」と説かれた。

 さらに、「今も止まらない様々な危機と紛争によって”国際関係の巨大な二極化”が進み、世界の貧困と飢餓を撲滅するための資金と技術が兵器の製造と取引に流用され、是非の議論の余地があるイデオロギーが扇動され、人間関係は冷え込み、兄弟愛や社会的友情を妨げている」と世界の現状について述べ、「今こそ、”不毛な雄弁”を脇に置き、確固として政治的意志を持ち、教皇フランシスコが述べられたように『皆の必要を満たすために、相互の協力と信頼ある環境を育むことを目的とした、相違点の解決』が求められます」と強調された。

(編集「カトリック・あい」)

2025年7月2日

☩「聖ペトロと聖パウロは、交わりと調和の模範」教皇、二人の聖人使徒の祝日ミサで

*多様な賜物が一つの信仰告白で一つとなり、福音宣教を前進させる

2025年6月29日

☩「教会における一致は、赦しと相互信頼によって育まれる」教皇、聖ペトロ・聖パウロ祝日の正午の祈りで

Pope Leo XIV during AngelusPope Leo XIV during Angelus  (@VATICAN MEDIA)

 

2025年6月29日

☩「シノダリティ(共働性)と平和のために努力を」教皇、欧州司教協議会連盟の会長らと会見

Pope Leo XIV receives members of CCEEPope Leo XIV receives members of CCEE  (@VATICAN MEDIA)

 

 

 

2025年6月29日

☩「 兄弟的対話を通して、両教会の完全なる一致のために努力を続けたい」—教皇、ギリシャ正教会のエキュメニカル総主教庁使節を歓迎

教皇レオ14世、エキュメニカル総主教庁使節団長、カルケドン府主教エマニュエルと 2025年6月28日 バチカン宮殿教皇レオ14世、エキュメニカル総主教庁使節団長、カルケドン府主教エマニュエルと 2025年6月28日 バチカン宮殿  (@VATICAN MEDIA)

(2025.6.28 バチカン放送)

 教皇レオ14世は28日、ローマの保護聖人、使徒聖ペトロ・聖パウロの祭日を前に、正教会のエキュメニカル総主教庁の使節とお会いになった。

 同使節は、翌日にカトリック教会の暦で祝われる、使徒聖ペトロ・聖パウロの祭日のためにバチカンを訪問した。エキュメニカル総主教庁はローマの保護聖人、使徒聖ペトロ・聖パウロの祭日にバチカンに向けて、教皇庁はエキュメニカル総主教庁の保護聖人・聖アンデレの祝日(11月30日)にイスタンブールに向けて、使節を派遣するのが恒例となっている。

 レオ14世は出会いの席で、教皇登位後初めて、使徒聖ペトロ・聖パウロの祭日のためにエキュメニカル総主教庁の使節を迎えたことに喜びを表明。「この伝統的な使節交換は、使徒ペトロとアンデレの兄弟の絆を反映すると同時に、両教会間にすでに存在する深い交わりを象徴するもの」と話された。

 さらに教皇は、「世紀にわたる不和と無理解を経て、両教会の真の対話を再開させたのは、教皇パウロ6世と総主教アテナゴラス1世の勇気と先見、またそれに続く後継者たちの和解とさらなる関係構築への確信でした」と振り返られ、先日の教皇フランシスコの葬儀と、自身の着座式に、バルトロメオス1世総主教自らご参列いただいたことに、深い感謝を述べられた。

 教皇レオ14世は、「今後も神の助けのもと、尊重ある傾聴と兄弟的対話を通して、両教会の完全なる一致のために努力を続けていきたい」と抱負を表わされた。

(編集「カトリック・あい」)

2025年6月29日