
(2025.9.17 Vatican News Deborah Castellano Lubov)
教皇レオ14世は17日の水曜恒例一般謁見で聖年連続講話「イエス・キリスト、私たちの希望(Jesus Christ our Hope)」をお続けになった。
今回は、聖土曜日、すなわち「深い沈黙と喜びに満ちた期待の日」における神秘に焦点を当てられ、「あらゆる中断された時間も、神に捧げれば、恵みの時となり得ます… ”待ち時間”が長く感じられ、希望が失われたように思える時でさえも、神が人生に働きかける力を信頼するように」と信者たちに説かれた。
*イエスも償いの業を成し遂げられて、休息された
教皇は、「聖土曜日は休息の日。神が宇宙創造後に休息されたように、御子もまた贖いの業を成し遂げ、最後まで私たちを愛し尽くされた後、休息されたのです」とされ、「私たちもまた、日々の慌ただしい活動の中で、静寂と休息の瞬間を見出すよう求められていますが、しばしばこれを軽んじてしまいます」と語られた。
*新たな命は沈黙の中に始まる
続けて、 「私たちは、まるで人生が決して十分ではないかのように生きています。生産し、自己を証明し、追いつくために急ぎます。だが、福音は、立ち止まるのを知ることは、信頼の行為であり、私たちはそれを学ばねばならない、と教えています」と語られ、「聖土曜日は、人生が常に私たちの行動だけでなく、成し遂げたことに別れを告げる術を知ることにも依存することを知るように促している。墓の中で、父なる神の生ける御言葉であるイエスは沈黙しておられますが、まさにその沈黙の中で、新たな命が発酵し始めるのです」とされ、この過程を畑に埋められた種や夜明け前の闇に例えられた。
*「無益な」時間さえも尊いものとなる
さらに教皇は、「神は過ぎ去る時間を恐れません。なぜなら、『待つことの神』でもあるからです」とされ、「そのようにして、私たちの『無益な』時間、つまり休止や空虚、実りの無い時でさえも、復活の胎となるのです」と説かれた。
*全てが終わったように思えても信頼する
続けて「あらゆる中断された時間は、神に捧げれば恵みの時となり得ます… なぜなら地中に葬られたイエスは、全ての空間を占めようとしない神の『柔和な御顔』であり、物事を成し遂げさせ、待ち、自ら退いて我々に『自由を与える神』だからです… 神は、全てが終わったように思える時でさえ、信頼すべき方なのです」とされ、「この出来事から学ぶように。私たちは急いで復活する必要はありません。まず留まり、沈黙を受け入れること、そして、制限に抱かれることを許すこと」と語られた。
最後に、教皇は、「私たちは、即座の答えや解決策を求めるかもしれません。しかし、神は時間が遅く進む中でも、”深く働かれる”のです」と強調された。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)










