◎レオ14世の聖年連続講話「イエス・キリスト、私たちの希望」—実りが無い、と思われる時も、神に捧げれば恵みの時となる

Pope Leo XIV greeting faithful at Wednesday General Audience in the VaticanPope Leo XIV greeting faithful at Wednesday General Audience in the Vatican  (@Vatican Media)

(2025.9.17  Vatican News   Deborah Castellano Lubov)

教皇レオ14世は17日の水曜恒例一般謁見で聖年連続講話「イエス・キリスト、私たちの希望(Jesus Christ our Hope)」をお続けになった。

今回は、聖土曜日、すなわち「深い沈黙と喜びに満ちた期待の日」における神秘に焦点を当てられ、「あらゆる中断された時間も、神に捧げれば、恵みの時となり得ます… ”待ち時間”が長く感じられ、希望が失われたように思える時でさえも、神が人生に働きかける力を信頼するように」と信者たちに説かれた。

*イエスも償いの業を成し遂げられて、休息された

 教皇は、「聖土曜日は休息の日。神が宇宙創造後に休息されたように、御子もまた贖いの業を成し遂げ、最後まで私たちを愛し尽くされた後、休息されたのです」とされ、「私たちもまた、日々の慌ただしい活動の中で、静寂と休息の瞬間を見出すよう求められていますが、しばしばこれを軽んじてしまいます」と語られた。

 

*新たな命は沈黙の中に始まる

 

 続けて、 「私たちは、まるで人生が決して十分ではないかのように生きています。生産し、自己を証明し、追いつくために急ぎます。だが、福音は、立ち止まるのを知ることは、信頼の行為であり、私たちはそれを学ばねばならない、と教えています」と語られ、「聖土曜日は、人生が常に私たちの行動だけでなく、成し遂げたことに別れを告げる術を知ることにも依存することを知るように促している。墓の中で、父なる神の生ける御言葉であるイエスは沈黙しておられますが、まさにその沈黙の中で、新たな命が発酵し始めるのです」とされ、この過程を畑に埋められた種や夜明け前の闇に例えられた。

 

 

*「無益な」時間さえも尊いものとなる

 

 さらに教皇は、「神は過ぎ去る時間を恐れません。なぜなら、『待つことの神』でもあるからです」とされ、「そのようにして、私たちの『無益な』時間、つまり休止や空虚、実りの無い時でさえも、復活の胎となるのです」と説かれた。

 

 

*全てが終わったように思えても信頼する 

 

 続けて「あらゆる中断された時間は、神に捧げれば恵みの時となり得ます… なぜなら地中に葬られたイエスは、全ての空間を占めようとしない神の『柔和な御顔』であり、物事を成し遂げさせ、待ち、自ら退いて我々に『自由を与える神』だからです… 神は、全てが終わったように思える時でさえ、信頼すべき方なのです」とされ、「この出来事から学ぶように。私たちは急いで復活する必要はありません。まず留まり、沈黙を受け入れること、そして、制限に抱かれることを許すこと」と語られた。

 最後に、教皇は、「私たちは、即座の答えや解決策を求めるかもしれません。しかし、神は時間が遅く進む中でも、”深く働かれる”のです」と強調された。

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2025年9月17日

☩「即時停戦、人質解放、外交的解決、そして国際人道法の完全な尊重を」教皇、イスラエルのガザ市攻撃で訴え

Displaced Palestinians, fleeing northern Gaza move southward, in the central Gaza StripDisplaced Palestinians, fleeing northern Gaza move southward, in the central Gaza Strip  (MAHMOUD ISSA)

(2025.9.17  Vatican News  Christopher Wells)

 教皇レオ14世は17日の水曜恒例一般謁見の最後に、危機的な状況にあるガザの人々に対し、深い同情を示されるとともに、即時停戦、人質解放、交渉による外交的解決、そして国際人道法の完全な尊重を改めて訴えられた。

   イスラエル軍は16日からガザ地区最大の人口密集地であるガザ市に対し、新たな大規模軍事攻撃を開始。ほぼ2年に及ぶ戦争の中で最も激しい砲撃の中、市民に対し、市からの避難を命じている。

 ハマスによれば、35万人が市東部から市内の避難センターへ、さらに17万5千人が市外へ避難したという。

 このような現状を踏まえ、教皇は「ガザ地区のパレスチナの人々は、恐怖の中で暮らし、耐え難い状況で生き延び、そして自分の住む土地から追い出されています」と述べ、心からの彼らの苦しみを共有された。

 そして、「『殺してはならない』と命じられた全能の主を呼びかけ」を世界のすべての人の前で言明され、「すべての人は、常に不可侵の尊厳をもち、尊重され保護されねばなりません」と訴えられた。

 さらに「停戦、人質の解放、交渉による外交的解決、国際人道法の完全な尊重」を当事国、組織の指導者たちに、改めて強く呼びかけられた。

 また世界のすべての人に、「平和と正義の夜明けが早く訪れるように」との「心からの祈り」に加わるよう求められた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年9月17日

☩「亡くなったあなたがたの愛する人を、主は抱きしめ、寄り添っておられる」—教皇、苦しみに耐えて来た全ての人に捧げる聖年の祈り徹夜祭で

Pope Leo XIV presides at the prayer vigil for the Jubilee of ConsolationPope Leo XIV presides at the prayer vigil for the Jubilee of Consolation  (@Vatican Media)

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年9月16日

☩「神は、十字架を『死の道具』から『命の手段』に変えられる」ー教皇、十字架称賛の祝日の正午の祈りで

 

2025年9月14日

☩「科学的厳密性と歴史への情熱を融合させ、完全に受肉した『外に出て行く神学』が求められている」教皇、神学アカデミー国際セミナーで

Pope Leo addresses theologians taking part in an International Seminar promoted by the Pontifical Academy of Theology Pope Leo addresses theologians taking part in an International Seminar promoted by the Pontifical Academy of Theology   (@Vatican Media)

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年9月14日

再掲☩「長年培った信仰を、家族、人との出会いの中で愛情をもって伝え、希望のしるしに!」ー教皇、「祖父母と高齢者のための世界祈願日」(日本は9月14日、世界は7月27日)

年配の巡礼者を祝福する教皇レオ14世年配の巡礼者を祝福する教皇レオ14世  (@Vatican Media)
 教皇レオ14世が7月10日、同月27日の「祖父母と高齢者のための世界祈願日」に向けたメッセージを発表された。今年のテーマは「希望を失うことのない人は、幸いだ」( シラ書14章2節参照)

 「祖父母と高齢者のための世界祈願日」は、2021年に教皇フランシスコによって制定され、教会暦中のイエスの祖父母、聖ヨアキムと聖アンナの日(7月26日)に近い7月の第4日曜日に祝われる。日本の教会では、9月の「敬老の日」に合わせて、その前日の日曜日(今年は9月14日)に記念することになっている。

 バチカン報道官室が7月10日公表したメッセージ全文の仮訳以下の通り。

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2025年第五回「祖父母と高齢者のための世界祈願日」のために

希望を失わない人は幸いである(シラ書 14章2節 参照)

 親愛なる兄弟姉妹の皆さん

 私たちが今祝っている聖年は、年齢がどうであれ、希望が喜びの絶え間ない源であることを理解する助けとなります。その希望がまた、長い人生の中で火によって鍛えられたとき、それは深い幸福の源となるのです。

 聖書は、主がその救いの計画の一翼を担うために人生の後半に召された男女の例を数多く示している。年老いたアブラハムとサラは、神が彼らに子を授けると約束されたとき、それを信じることが難しかった。子供がいなかったため、将来への希望が持てなかったようです。

 洗礼者ヨハネ誕生の知らせに対するゼカリヤの反応も同じでした。「私は老人ですし、妻も年を取っています」(ルカ福音書1章18節)。老齢、不妊、肉体の衰えは、明らかにこれらの男女の生命と豊穣への希望を閉ざした。ニコデモが、師から「生まれ変わる」ことについて話しかけられたときにイエスに尋ねた質問も、純粋に修辞的なもののように思われます。「年を取った者が、どうして生まれることができましょう。もう一度、母の胎に入って生まれることができるでしょうか」(ヨハネ福音書3章4節)。しかし、私たちが物事を変えられないと思うときはいつでも、主は救いの力で私たちを驚かせてくださいます。

*希望のしるしとしての高齢者

 聖書では、神は晩年の人々に目を向けることで、ご自身の摂理的配慮を繰り返し示している。アブラハム、サラ、ゼカリヤ、エリザベスだけでなく、すでに80歳になっていたモーセも、民を解放するために召された(出エジプト記7章7節参照)。こうして神は、神の目には高齢は祝福と恵みの時であり、高齢者は神にとって希望の最初の証人であることを教えています。

 アウグスティヌスは、「老年とは何を意味するのか?」と問いかけます。そして、神ご自身がその問いに答えておられる、と語ります―「 私の力があなたがたのうちにとどまるように、あなたがたの力を衰えさせなさい。そうすれば、使徒と同じように、『私が弱ったとき、私は強い』と言うことができる」(Super Ps. 70章11項)と。高齢者の増加は、この歴史の瞬間を正しく解釈するために、私たちが識別するよう求められている時代のしるしです。

 教会と世界の活動は、世代の経過を踏まえて初めて理解できます。高齢者を受け入れることは、人生とは今この瞬間以上のものであり、表面的な出会いやつかの間の人間関係で無駄にすべきではないことを理解する助けとなります。人生は常に私たちを未来へと導いているのです。

 創世記には、年老いたヤコブが孫であるヨセフの息子たちに祝福を与えた感動的なエピソードがあります。彼は、神の約束が成就する時であるとして、希望をもって未来を見つめるよう訴えています(創世記48章8-20節参照)。

 高齢者の弱さが若者の強さを必要とするのは事実ですが、若者の未熟さが知恵をもって未来を築くために高齢者の証しを必要とするのも、また事実です。私たちの祖父母は、信仰と献身、市民としての美徳と社会的コミットメント、記憶力と試練の中での忍耐の模範なのです! 祖父母が希望と愛をもって、私たちに伝えてくれた貴重な遺産は、常に感謝の源となり、忍耐への呼びかけとなります。

*高齢者には祝福がある

 聖書の時代から、聖年は、「解放の時」と理解されてきた。奴隷は解放され、借金は赦され、土地は元の所有者に戻されました。聖年は、神によって定められた社会秩序が回復され、長年にわたって蓄積された不平等や不公正が是正される時でした。イエスはナザレの会堂で、貧しい人に福音を、目の見えない人に視力を、囚人や虐げられている人に自由を告げ知らせました(ルカ福音書4章16-21節参照)。

 この聖年の精神にそって高齢者に目を向けると、私たちは、彼らが解放される、特に孤独や疎外から解放されるのを、助けるよう求められているのを知ります。今年はそのためにふさわしい年です。神の約束への忠実さは、老年期には祝福があること、高齢者がしばしば閉ざされている無関心の壁を打ち破るよう私たちを鼓舞する本物の福音的喜びがあることを教えています。私たちの社会は、世界中どこでも、人生の重要で豊かな部分が疎外され、忘れ去られることに慣れきってしまっています。

 このような状況を踏まえ、教会全体が責任を引き受けることで容易に理解できるような意識の転換が求められています。高齢者を定期的に訪問し、高齢者のために、また高齢者と共に、支援と祈りのネットワークを作り、「自分は忘れられている」と感じている人々に、希望と尊厳を回復させる関係を築くことでもたらされる、感謝と配慮の 「革命 」の主人公となるよう、すべての小教区、協会、教会団体が求められているのです。

 キリスト教的な希望は、常に、私たちに「大胆になるように、大きく考えるように、現状に満足しないように」と促しています。高齢者が受けるべき尊敬と愛情を回復できるような変化のために働くよう、私たちに促しているのです。

 だからこそ教皇フランシスコは、「世界祖父母と高齢者の日」を主に、一人暮らしの高齢者を探す取り組みを通して祝うことを望まれたのです。そのため、この聖年にローマに巡礼に来ることができない人は、「適切な時間、独りでいる高齢者を訪問し… ある意味で、彼らのうちにおられるキリストのもとへ巡礼する(マタイ福音書25章34-36節参照)」(『APOSTOLIC PENITENTIARY』, 『Jubilee Indulgence』, III)ことができます。高齢者を訪問することは、私たちを無関心と孤独から解放してくださるイエスに出会うことです。

*高齢者として、私たちは願うことができる

 シラ書は、希望を失わない者を「幸いな者」と呼んでいます(14章2節参照)。おそらく、特に私たちの人生が長い場合、私たちは未来ではなく、過去に目を向けたくなるかも知れません。しかし、教皇フランシスコが最後の入院中に記されたように、「私たちの身体は弱っていますが、それでも、信仰をもって、希望の輝くしるしとして、愛し、祈り、自らをささげ、互いに寄り添うことを妨げるものは何もありません」2025年3月16日の正午の祈りの説教)。私たちには、どんな困難も奪うことのできない自由があります。それは、「愛する自由」であり、「祈る自由」です。

 愛する人への愛情—人生の大半を共に過ごした妻や夫への愛情、子どもへの愛情、日々を明るく照らしてくれる孫への愛情—は、私たちの力が衰えても、衰えることはありません。彼らの愛情が、私たちの活力をよみがえらせ、希望と安らぎをもたらしてくれることも多いのです。

 神ご自身にルーツを持つ、これらの生きた愛のしるしは、私たちに勇気を与え、「たとえ外側の自分が衰えていくとしても、内なる自分は日々新たにされていく」(コリントの信徒への手紙2・4章16節)ことを思い出させてくれます。特に私たちが年を重ねる中で、主を信じて前進しましょう。祈りと聖ミサにおける主との出会いによって、日々新たにされましょう。

 私たちが長年培ってきた信仰を、家族の中で、また日々の人との出会いの中で、愛情をもって伝えていきましょう。常に神の慈しみを賛美し、愛する人たちとの一致を培い、遠くにいる人たち、とりわけ、困っているすべての人たちに心を開くことができるように。そうすることによって、私たちは年齢にかかわらず、希望のしるしとなるのです。

                                                        2025年6月26日、バチカンより 教皇レオ14世

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二=聖書の日本語訳は「聖書協会・共同訳」を使用)

2025年9月12日

☩「教会内外の困難の中で、福音宣教への新たな情熱と勇気が求められている」—教皇、新任の司教たちに

教皇レオ14世、最近任命された司教たちと 2025年9月11日 バチカン、シノドスホール教皇レオ14世、最近任命された司教たちと 2025年9月11日 バチカン、シノドスホール  (@Vatican Media)

(2025.9.11  バチカン放送)

 教皇レオ14世は11日、バチカンのシノドスホールで、最近任命された司教たちとお会いになり、「皆さんが受けた賜物は、自分自身のためではなく、福音に奉仕するためです」とされ、「司教とは僕(しもべ)であり、人々の信仰に奉仕するために召されているのです」と強調された。

 教皇との会見に参加したのは、バチカンの福音宣教省と司教省が主催したセミナーに出席した最近1年間に任命された世界の司教たち。

 教皇は、彼らへの講話で、「奉仕とは単なる外的性質のものや役割の遂行ではありません… イエスの弟子として、福音を告げるために召された者には、内的な自由さ、簡素な精神、愛から生まれる奉仕への自発性が求められます」と言明。

 さらに、 「第一に、民を統率する者は、自分が『多くの人々の僕』であることを理解せねばなりません」と語られ、司教叙階について聖アウグスティヌスが述べた言葉を引用するかたちで、「常に注意深く、謙遜と祈りのうちに歩み、主が遣わされる民の僕となるように」と願われた。

 そして、「人々の信仰の僕であるためには、キリストの姿に倣う奉仕の精神に根差しているだけでは十分でない… 信仰とその伝承の危機、教会への帰属意識と教会生活の実践をめぐる困難に直面する中で、福音宣教のための新たな情熱と勇気を見出す必要があります」と説かれた。

 また、教皇は、現在の世界の多くに地域での戦争と暴力の悲劇、貧しい人々の苦難の中で、「兄弟愛と連帯に満ちた世界を求める人々の願望、生命と自由の価値をめぐる倫理的課題などを忘れてはなりません」とされ、「人々の歩み、疑問、不安、希望を分かち合える、注意深い牧者として、また、司祭や信仰の姉妹兄弟の導き手、父、兄弟として、教会は、皆さんを派遣するのです」と新司教たちを励まされた。

2025年9月12日

◎教皇レオ14世・聖年連続講話「イエス・キリスト、私たちの希望」⑬イエスは、”叫び”が「弱さ」ではなく「希望の行為」であること示された

Pope Leo holds his weekly General Audience in St. Peter's SquarePope Leo holds his weekly General Audience in St. Peter’s Square  (@Vatican Media)

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2025年9月11日

☩「戦争で苦しむ人々の叫びが、神への信頼の祈りとして天に届くように」教皇、水曜恒例の一般謁見で

Pope Leo XIV at the Wednesday General Audience on September 10, 2025Pope Leo XIV at the Wednesday General Audience on September 10, 2025  (@Vatican Media)

 

2025年9月10日

☩「武装しない、武装を解く、謙遜で忍耐強い平和、苦しむ人々に寄り添う平和をすべての人の上に」ーダッカでの諸宗教の集いへメッセージ

バングラデシュで開かれた諸宗教の集いバングラデシュで開かれた諸宗教の集い 

 教皇レオ14世は、バングラデシュで開かれた諸宗教の集いにメッセージをおくられた。

 この集いは、在バングラディシュ・バチカン大使館および同国の司教協議会の共催で、首都ダッカのクリシビッド・インスティテュートで、9月6日から12日まで行われている。

 レオ14世のメッセージは集いに参加したバチカン諸宗教対話省のジョージ・ジェイコブ・クーバカド長官が代読した。

 メッセージで教皇は、「神だけがもたらすことのできる平和—武装しない、武装を解く、謙遜で忍耐強い平和、常に慈愛のために努力し、特に苦しむ人々に寄り添う平和」をすべての人々の上に願われた。

  「兄弟姉妹間に調和の文化を促進する」という集いのテーマについて、教皇は「このテーマは、善意の人々が他の宗教の信者と一緒に育てようと努める、兄弟愛に開かれた精神を反映するもの」と述べられた。

 さらに「文化とは、それぞれの民族を特徴づける芸術、思想、社会制度の豊かな遺産を意味しますが、同時に、成長を支える豊かな環境をも意味します」とされ、「健全な生態系が様々な植物の共存的繁栄を可能にするように、健全な社会文化もまた多様な共同体の調和的繁栄を可能にするのです」と説かれた。

 そして、「このような文化は注意深く育くむ必要があり、真実という太陽、慈愛という水、自由と正義という土壌を必要とします」と語り、「痛ましい歴史は、調和の文化の軽視によって、雑草が平和を覆って窒息させてしまうということを教えています」と指摘。

 調和の文化の構築には、「アイデアだけでなく、具体的な経験の共有も必要であり、そうした意味で、宗教間の友好の真の尺度は、社会の最も弱い立場にある人々への奉仕において共に歩む姿勢にあります」と、調和と平和のための対話と協力を強く願われた。

(編集「カトリック・あい」)

2025年9月10日

☩「二人の聖人は私たちに『人生を無駄にせず、高みを目指し、傑作にしよう』と呼びかけている」ー教皇、列聖ミサで

(編集「カトリック・あい」)

2025年9月8日

☩「聖地、ウクライナ、戦争に苦しむすべての地域のために祈り続けよう、神は平和を望んでおられる!」教皇、年間第23主日の正午の祈りで

Pope Leo during Sunday's canonization of Pier Giorgio Frassati and Carlo Acutis, just before leading the Angelus prayerPope Leo during Sunday’s canonization of Pier Giorgio Frassati and Carlo Acutis, just before leading the Angelus prayer  (@Vatican Media)

*ハンガリーとエストニアで新たに2人の福者が列福

 

教皇はまた、エストニアとハンガリーの両国で教会が新たに二人の福者を祝っていることを思い起こされ、「この二人の新たな列福者の証しによって、教会は豊かになりました」と語られた。

二人は、エストニアのエドゥアルド・プロフィットリッヒ大司教とハンガリーの女性信徒、マリア・マグドレナ・ボディ。 イエズス会士のプロフィットリッヒ大司教は、エストニアの首都タリンで6日に列福された。彼は1942年、当時のソ連政権による教会迫害の中で殺害されている。同じ6日、ハンガリーのヴェスプレームでは、若い女性信徒、ボディが列福された。彼女は1945年、暴行を企てた兵士に抵抗したため殺害された。

教皇はまた、待ち望まれた日曜日の列聖式に参加した8万人以上の全員に感謝し、世界中から参加した司教、司祭、公式代表団、高官、信徒全員に挨拶を述べられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年9月7日

☩「創造物を慈しむことが私たちの使命」教皇、Borgo Laudato si’(ラウダート・シ村)の開所式で

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2025年9月6日

☩「ガザ地区での緊急停戦と人道支援の障害除去の実現を。『二国家解決』が唯一の出口だ」教皇、イスラエル大統領に直接訴え

President Isaac Herzog and Pope Leo XIV met on Thursday, September 4, 2025President Isaac Herzog and Pope Leo XIV met on Thursday, September 4, 2025  (@Vatican Media)

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年9月5日

☩「内戦と自然災害で危機的状況のスーダンへの人道支援を」教皇、3日に一般謁見で世界に国々、国際機関に訴え

FILE PHOTO: Displaced children from Sudan's civil conflictFILE PHOTO: Displaced children from Sudan’s civil conflict 

 

2025年9月4日