☩「国際的な支援と連帯を欠かさぬように」教皇、ミャンマーの地滑り被災者への支援呼びかけ

Pope Francis at General AudiencePope Francis at General Audience  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)

 

2025年1月15日

◎教皇連続講話「児童労働という”惨禍”」②「すべての小さな者たちを保護し、虐待を決して許してはならない」

Pope Francis at General AudiencePope Francis at General Audience  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)

 

2025年1月15日

☩「子供たちが信仰と家庭の喜びのうちに成長できるように」-教皇、「主の洗礼」の祝日に乳幼児21人に洗礼

 教皇はミサの始めに、子供たちの両親に、「今日は赤ちゃんたちが主役です。私たちは秘跡と祈りをもって奉仕しなければなりません」と述べ、儀式の最中でも子供たちが居心地の良いように遠慮なく世話をするようにと促された。

 そして、「今日、受洗される子供たちのご両親はもとより、私たち皆と教会は、最も大きな恵みを与えられました。それは子どもたちの信仰という恵みです」と語られ、関係者たちと喜びを分かち合われた。

 また、教皇は洗礼式に先立って、両親と代父母に、説教に代わる短い言葉で、「子供たちが信仰と、家庭の喜びのうちに、真の人間として成長できるように主に願いましょう」と呼びかけられた。

 続いて行われた洗礼式で、教皇は子供たち一人ひとりの名を呼びつつ、額に聖水を注ぎ、洗礼の秘跡を授けられた。

(編集「カトリック・あい」)

2025年1月13日

☩「洗礼を通して私たちは新たな命に生まれ変わる」ー「主の洗礼」の祝日の正午の祈り

Pope Francis during AngelusPope Francis during Angelus  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)

 教皇フランシスコは12日、「主の洗礼」の祝日の祈りに先立つ説教で、「主の洗礼は、イエスの人間性において示された神の愛の親密さを思い起こさせるもの」とされ、信者たちに「この愛を受け継ぎ、人生のあらゆる場面で、私たちを導く唯一の父の子供として生きるように」と呼びかけられた。

 説教で教皇はまず、この日のミサで読まれたルカ福音書の箇所(3章15-16節、21-22節)からヒントを得て、ヨルダン川で示された神の顔と声という、この箇所で強調された2つの要素について熟考するよう、信者たちに促され、「この箇所で、イエスは洗礼者ヨハネのもとへ進み出て、洗礼を受け、群衆は『裸の魂と裸の足』でイエスに近づきます… この場面は自身にとって親しみ深い、悔い改めの洗礼を受ける人々の謙虚さを強調しているのです」と説かれた。

 そして、神がイエスを通して自らを明らかにするという決断、神と人類が出会うための特別な空間の確立について、信者たちに熟考するよう促され、「神が真にどのようなお方であるかを知るのは、愛する御子の顔を通してなのです」と指摘。「イエスの洗礼の際に響き渡った父の声」に注意を向け、「洗礼という変容をもたらす贈り物」を信者たちが受け入れるように勧められた。

 続けて教皇は、「『主の洗礼』を通して、神は、ご自身との個人的なつながりを深めるようにと、私たちに呼びかけておられます」とされたうえで、次のように自らに問いかけるように促された。「神に愛され、見守られていると感じているか?それとも『神は自分から遠く離れている』と思うか?神の声を聞いているか?」。

 さらに、「洗礼を受けた日を覚えていますか?」と問いかけられ、「洗礼を受けた日付を思い出すことで、私たちは、新しい命に生まれ変わり、キリストと教会の神秘に組み込まれた瞬間を大切にすることができるのです… 洗礼を受けた日を自分が生まれた日と同じように祝いましょう」と信者たちを促された。

 最後に、教皇は「聖母マリアに身を委ね、彼女の助けを求めましょう」と信者たちに呼びかけ、聖母の取り次ぎを求める祈りを捧げられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年1月12日

☩「”神の尺度”から再出発をしよう」-教皇 、聖年の巡礼者ための隔週土曜の謁見を開始

教皇フランシスコ 2025年1月11日 聖年の巡礼者への謁見 バチカン・パウロ6世ホール教皇フランシスコ 2025年1月11日 聖年の巡礼者への謁見 バチカン・パウロ6世ホール  (ANSA)

(2025.1.11 バチカン放送)

 教皇フランシスコが11日の土曜日、バチカンのパウロ6世ホールで、の謁見をなさった。

 この謁見は、毎週水曜日に行われる一般謁見とは別に、聖年中にローマを訪れる巡礼者のために、隔週を目安に土曜日に行われることになったもので、講話では、「希望」をテーマに様々な角度から考察される。

 その第一回となる講話の要旨は次の通り。

**********

 皆さんの多くは、「希望の巡礼者」として、ここローマに来ています。今日から、皆さんと「聖年の土曜日の謁見」を始めたいと思います。この謁見は、世界のいたる所から、新たな始まりを求めてやって来るすべての人を歓迎し、抱擁するものです。聖年とは「新たな始まり」です。それはすべての人にとって、神から新たにスタートする可能性を意味するものです。今回から聖年を通して予定する土曜日の謁見では、希望が持ついろいろな側面に焦点を当てていきたいと思います。

 まず、「希望」とは、対神徳(キリスト教の徳のひとつで、信仰、希望、愛の3つの徳を指す。人間が神の本性にあずかることができるようにするもの)の一つです。ラテン語で「virtus(徳)」とは「力・能力」を意味します。希望とは、神から来る力。人に備わっているかどうかの、習慣や性格のことではありません。願い求める力なのです。私たちが巡礼をするのはそのためです。巡礼を通して、人生の歩みを再び始めるための賜物を願うのです。

 私たちは明日12日に、「主の洗礼」の祝日を記念します。主の洗礼という出来事にあたって、私たちに「偉大な希望の預言者」、洗礼者ヨハネについて考えずにはいられません。イエスは「およそ女から生まれた者のうち、ヨハネより偉大な者はいない」( ルカ福音書7章28節)と語られました。

 この言葉から、なぜ多くの人が「人生を新たにしたい」という願いのうちにヨハネのもとに集まっていたのかが、分かります。ヨハネの人となりは、実に偉大で、信頼に足るものでした。今日、私たちが聖なる扉をくぐるように、洗礼者ヨハネもまた、ヨルダン川に入るようにと、招いていたのです。

 しかし、イエスは洗礼者ヨハネに対する賛辞のすぐ後で、次のようなことを言われます。それは私たちを考えさせる言葉です。「およそ女から生まれた者のうち、ヨハネより偉大な者はいない。しかし、神の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である」。

 すべての希望は、この飛躍の中にこそ、あるのです。希望は、私たちにではなく、神の国にかかっています。さらに驚くべきことは、神の国を受け入れることで、誰が偉大かについての新たな尺度がもたらされる、ということです。これこそ私たちの世界が、皆が、必要としていることです。

 イエスがこの言葉を述べた時、洗礼者ヨハネは牢の中にいて、彼の心は問いで満ちていました。私たちも巡礼の中に多くの問いを抱えています。それは、神の国に対抗する「ヘロデ」たちが、いまだ多くいるからです。しかしイエスは、福音の驚くべき掟である「真福八端」という新しい道を示してくださいます。

 では、ここで自分に問いかけましょう―「『再び始めたい』という願いを心に本当に抱いているか」「どういう人が本当に偉大なのかを、イエスから学びたいと思っているか」と。神の国では、最も小さい者は、偉大なのです。

 洗礼者ヨハネから、「再び信じる」ことを学びましょう。私たちが共に暮らす家である、搾取され傷ついた地球への希望、すべての人間にとっての希望は、神が言われる尺度の中にあります。神が尺度とされる偉大さは、普通のものとは異なります。イエスの中に輝き、私たちに奉仕と兄弟愛を求め、自分たちの小ささを認めさせる、この神の尺度から再発しましょう。そして、小さき人々を見つめ、彼らに耳を傾け、彼らの声となりましょう。これが新たな始まり、私たちの聖年なのです。

(編集「カトリック・あい」)

2025年1月12日

・「真実、赦し、自由、正義」に基づく「希望の外交」を提唱ー在バチカン外交団との年頭会見で

Pope Francis greets member of the diplomatic corps accredited to the Holy SeePope Francis greets member of the diplomatic corps accredited to the Holy See  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)

 

 

*”フェイクニュース”が憎しみを煽り、要人暗殺未遂などを起こしている

 

 会見での講話で教皇は、”フェイクニュース”の絶え間ない作成と拡散 “を慨嘆され、「それは”事実だけでなく認識も歪めてしまっている」と語られた。そして、「この現象は、虚像を生み出し、憎しみを煽る疑惑の風潮を生み、人々の安心感を損ない、市民的共存と国家全体の安定を危うくする」と指摘。そうした目的のために、2週間以内に行われるトランプ氏の大統領就任式を前にした最近の銃撃事件などが起きていることを憂慮された。

 昨年一年間のバチカンの外交面での成果として、司教任命に関するバチカンと中国の暫定合意の更新を挙げ、更新期間が従来の2年ではなく4年に延ばされたことは「中国のカトリック教会とすべての中国国民の利益のために、尊敬に満ちた建設的な対話を続けたい、という願いの表れ 」と説明されたが、世界の現状を見ると、ドイツのマグデブルクやニューオリンズでのテロを含む紛争や戦争が続き、各地で社会的・政治的緊張が高まっている、と指摘。

 

平和と対話を促進する「希望の外交」を

 

 そうした中で、新しい年、そして聖年が始まり、「外交は平和と対話を促進する上で重要な役割を担っています」とされ、世界の政治指導者たちが共通善を追求し、貧しい人々や虐げられた人々を優先するような『希望の外交』を実践するよう、各国の外交官たちに提唱された。

 また、「現代の社会が、ますます富と物質的成長を重視し、子供よりも、ペットを好むようになっており、合理的な議論が失われ、異なる考えを持つ人々への不信感が高まる中で、真実が失われています」と批判。「こうした傾向は、現代のコミュニケーション手段やメディアや人工知能によって増幅され、経済的、政治的、イデオロギー的な目的のために心を操作するために悪用される可能性があります」と警告された。

 教皇はまた、科学の進歩がもたらすリスクにも警鐘を鳴らし、「科学の進歩は多くの恩恵をもたらしていますが、反面、特にソーシャルメディアやオンラインゲームの普及が、二極化、偏狭さ、不安、孤立、そして”現実の単純化”を増幅させる原因にもなっています」と語られ、それを克服するための批判的思考と個人の成長を促す「メディア・リテラシー教育」の重要性を強調。

 また、多国間主義の重要性と、国際的な場面で意思疎通を図るための共通言語を見つける必要性を指摘。「人々の価値観や信念を踏みにじる分断的なイデオロギーを推進するために、用語の意味を変えたり、人権条約の内容を一方的に解釈し直したりして、多国間の文書を操作しようとする試みは、特に憂慮すべきもの… 慎重に計画されたアジェンダに従って、民族の伝統、歴史、宗教的な結びつきを根こそぎにしようとすることは、真の『イデオロギーによる植民地化』を意味します」と強く警告された。

 さらに、「これは、胎児や高齢者を含む弱者に不釣り合いな影響を及ぼす… 人権、特に、生命に対する権利と矛盾する『中絶の権利』が主張されている」現状を挙げ、「すべての命は、受胎から自然死まで、あらゆる瞬間において、保護されねばなりません。高齢者や病人が希望を奪われ、捨てられてはならないのと同様に、どんな子供も、存在することが”間違い”であったり、”罪”であったりしてはならないからです」と訴えられた。

 続けて教皇は、「紛争を効果的に解決したり、現代の課題に対応したりする国際機関の能力が低下していること」を指摘しつつ、イラン(の核開発を抑制する)核合意をめぐる交渉の再開など、最近の外交的成功を評価された。

 

*憎しみと暴力を克服する「赦しの外交」が必要

 

 教皇はまた、「憎しみと暴力を克服し、平和を回復すること」のできる「赦しの外交」を育むことの重要性を強調。(昨年12月の「主の降誕」から始まっている)聖年を踏まえ、「2025年にウクライナとガザでの戦争を終結させるために、国際社会全体が意義ある努力をすること」を希望され、「イスラエル人の人質解放」「長年のイスラエルとパレスチナの紛争に対する二国家間解決の達成」「ガザの”恥ずべき”人道危機からの救済」を提唱された。

 そして、改めて「世界的な武器貿易の廃止」を提唱され、「戦争は、すべての関係者にとって失敗。民間人、特に子どもたちが巻き込まれ、インフラが破壊されることは、両者の間で悪だけが勝者となることを意味します」と警告。

 さらに、「私たちは、民間人を爆撃したり、彼らの生存に必要なインフラを攻撃したりすることを容認できない。 病院が破壊されたり、国のエネルギー網が攻撃されたりして、子供たちが凍死するような事態を容認できません… 世界の国々が『国際人道法を尊重する』と言いながら、その履行を怠っている」と批判。この聖年を契機に、「侵すことのできない人権が軍事的な必要性のために犠牲にされることのないよう、積極的な措置を講じることを望みます」と訴えられた。

 アフリカ各地やミャンマーで起きているさまざまな紛争、中東やハイチ、ベネズエラ、ニカラグアなどの中南米で社会不安が続いていることにも言及された。

*信教の自由を含めた人権を尊重する「自由と正義の外交」も

 

 また、「平和と信教の自由の権利の尊重」も提唱され、世界中で高まる反ユダヤ感情や、アジアやアフリカにおけるテロリスト集団によるキリスト教徒への迫害、また、信者の権利を制限する法規範や行政慣行を通して、西側諸国における信教の自由への”控えめな冒涜”を非難された。

 加えて教皇は、世界中で続いている奴隷労働、人身売買、麻薬取引に終止符を打つよう呼びかけ、尊厳ある労働条件と、特に「若者にとって有意義な雇用の促進」を提唱。人身売買という「恐ろしい商業」の撲滅に国際社会が参加し、特に人身売買の被害に遭いやすい移民に配慮する「自由の外交」を呼びかけられた。

 また教皇は、「正義の外交 」を呼びかけ、「聖年は、正義を実践し、負債を赦し、囚人の刑を減刑するために、理想的な時期です」とされ、正義を回復できる方法として、「死刑は今日、正当性を見出すことができない」として、すべての国における「死刑を廃止」を改めて呼びかけ、「国家を含め、誰であれ、他人の生命を要求することを許す”負債”など存在しません」と説かれた。

 さらに教皇は、「気候危機と闘う、さらなる努力」を世界の国々に求め、裕福な国々に、貧しい国々が社会開発を優先的に取り組めるよう、返済不能な債務を免除するよう求められた。

 最後に教皇は、「2025年が、世界にとって、真理、赦し、自由、正義、平和に満ちた、真に恵みの年となるように!」と希望され、講話を締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2025年1月10日

◎教皇連続講話「児童労働という”惨禍”」①「高度に技術進歩した現代、いまだに子供たちの犠牲と向き合っていない」

(2025.1.8 Vatican News   Christopher Wells)

The General Audience in the Paul VI Hall
(The General Audience in the Paul VI Hall)

 教皇フランシスコは8日、水曜恒例の一般謁見での講話で、「児童労働」という”惨禍”に焦点を当て、「子供たちが愛され、守られる代わりに、幼少期や夢を奪われ、搾取や疎外の犠牲になっている時、キリスト教徒が無関心でいることはできません」と訴えられた。

 説教の初めに教皇は、「(12日の主の洗礼の祝日まで続く)降誕節は、子供たちが置かれている状況について考えるのにふさわしい時期」とされたうえで、8日と来週水曜15日の一般謁見での講話を「児童労働」という「惨禍」に捧げると予告され、「人工知能を生み出し、惑星間での活動を計画する現代において、世界は、いまだに『屈辱を受け、搾取され、致命的な傷を負わされる”幼少期”という惨禍』と向き合っていません」と嘆かれた。

 そして、教皇は聖書に目を向けられ、「旧約聖書には『息子』という言葉が約5000回出てきます… そして詩編に『子供たちは神からの贈り物』と書かれていますが、残念ながら、その贈り物が常に尊重されているわけではありません」と指摘。「旧約聖書には『喜びの歌』だけでなく、『犠牲者の叫び』も出てきます。今日、どれほど多くの子供たちが、喉の渇きや飢えで命を落としているか、あるいは爆弾によって引き裂かれているかを考えてみてほしい」と信者たちに求められた。

 続けて新約聖書に目を向けれた教皇は、そこに書かれた「キリストがお生まれになった時、ヘロデ王が幼子たちを虐殺したこと」を思い起こされ、「これは歴史の中で、様々な形をとって繰り返されてきた陰惨な悲劇のひとつ。イエスは、母マリアと聖ヨセフと共に、今日でも多くの人々に起こっている『外国で難民となるという悪夢』を経験せざるを得なかったのです」と指摘。

 イエスは、公生活において、子供たちがご自分のところに連れて来られた時、「子供たちを『単なる物体』とみなす伝統を破られ、『子供たちを自分のもとに来させるように』と弟子たちに命じれらました… イエスは、子供たちを『大人たちが模範とすべき存在』としてお示しになったのです」と説かれた。

 そして現代に話を戻された教皇は、「命を尊重しない経済活動によって労働を強いられ、搾取されている余りにも多い子供たちの窮状」に目を向け、「神の子であると自覚する者は、無関心でいることはできません。愛され、守られるべき私たちの小さな姉妹や兄弟たちが、その幼少期や夢を奪われ、搾取や疎外の犠牲になっていることを受け入れることはできません」と歌えられた。

 最後に教皇は、「神が、私たちの心と思いに、思いやりと優しさをもたらし、すべての少年少女が年齢とともに知恵と恵みを得て、愛を受け、愛を与えることができるように」との祈りで講話を締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2025年1月8日

☩「戦争で病院や学校が破壊されている、国際人道法を確実に尊重せよ」ー教皇、5日の正午の祈りで訴え

2025年1月6日

☩「すべての人のために、御父の愛の輝く証しとなることができるように」ー「主の公現」の祝日の正午の祈り

教皇フランシスコ 2025年1月5日のお告げの祈り教皇フランシスコ 2025年1月5日のお告げの祈り  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)

(2025.1.5 バチカン放送)

 教皇フランシスコは5日、「主の公現」の祝日の正午の祈りに先立つ説教で、「言(ことば)は肉となった」とイエスについて語る、ヨハネ福音書の冒頭部分(1章1-18節)をを取り上げ、神の愛-私たち一人ひとりに到達するために、あらゆる方法を見つけ、私たちの歩みを照らし続ける神の愛-を強調された。

 教皇の説教の要旨は次のとおり。

**********

 「言(ことば)は肉となった」とイエスについて語る今日の福音(ヨハネ福音書1章1-18節参照)は、「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」(同1章5節)と述べています。これは、神の愛は強く、何ものにも打ち勝ち、妨げや拒絶にもかかわらず、私たちの歩みを照らし続けることを思い起させます。

 私たちは、それを主の降誕に、人となられた神の御子が多くの壁と分裂を克服する時に、見ることができます。イエスは、当時の「偉大な」人たちの「神を求めるよりも、自分の権力の維持を案ずる、閉ざされた心と考え」に直面されました( マタイ福音書2章3-18節参照)。御子は、限られた可能性と不便さの中で、ご自分を受け入れ愛情をもって育ててくれたマリアとヨセフと、つつましい生活を分かち合われました。

 か弱く無防備な御子は、羊飼いたちとの出会いに自らを差し出しました。羊飼いたちは、人生の厳しさと社会からの軽蔑に傷ついた心を持っていました。そして、幼子イエスは東方三博士たちと出会われます。彼らはユダヤ人の王として生まれた幼子に会う情熱のために長い旅に出て、ついに貧しい庶民の家の中にイエスを見つけたのです。

 神は、このような、また他の多くの挑戦を前に、とどまることはありません。損得勘定なく、無条件に、すべての人、私たち一人ひとりに到達するために、あらゆる方法を見つけられます。神は、人類の最も暗い夜でさえも、光の窓を開けられ、その光を闇が覆うことはありません(イザヤ書9章1-6節)。このことは、特に、光と、希望、平和を大いに必要としている今、人類が複雑な状況を作り出し、そこから抜け出せないように思われる今、私たちを慰め、力づけてくれます。

 今日、神の御言葉は、この神の愛に倣うようにと、私たちを招いています。家庭、社会、国際的場面など、自分が置かれた場所で、出会うあらゆる人に、一筋の光をもたらすようにと呼びかけています。恐れずに最初の一歩を踏み出し、苦しむ人への寄り添い、赦し、憐み、和解し、光に向けて窓を開け放ち、皆の歩みを照らし確かなものとするようにと、呼んでいます。

 この招きは、特に始まったばかりの聖年に響き渡ります。命に「はい」と答え、命をもたらすことを選びながら、希望のメッセンジャーとなるようにと、私たちを促しています。皆でこれを実行しましょう。これが救いへの道なのです。

 そして、年の初めに自らに問いかけましょう―「自分が置かれた環境や人間関係の中で、どのような方法で、光の窓を開けることができるだろうか?」「どのような場所で、神の愛を伝える光となることができるだろうか?」と。

 イエスに導く星であるマリアよ、すべての人のために、御父の愛の輝く証しとなることができるように、どうか私たちをお助けください。

(編集「カトリック・あい」)

2025年1月6日

☩「世界平和を祈念する年の初めに、”母の心”を思い起こす」-元旦「神の母聖マリア」の祝日の正午の祈り

(2025.1.1 Vatican News  Thaddeus Jones)

 

 

 

 

2025年1月1日

☩「すべての人の命を大切にし、聖年の新しい年をマリアに委ねよう!」-元旦・神の母聖マリアの祝日に

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2025年1月1日

☩「兄弟愛の希望をもって働けることを神に感謝しよう」-大晦日「神の母聖マリア」の祭日の前晩の祈り

(2024.12.31  バチカン放送)

 教皇フランシスコは31日、2024年の大晦日にあたって、バチカンの聖ペトロ大聖堂で「神の母聖マリア」の祭日(1月1日)の前晩の祈り(第一晩課)の集いを行われた。2024年を締めくくるこの集いには、バチカンで働く枢機卿や司教らはもとより、ローマ市長ら地元行政の代表、そして多くの熱心な信者らが参加した。

 説教で、教皇は2024年を特に「聖年準備の努力」という視点から振り返られ、「聖年を迎える前のこの一年は、街中で始まった大小の工事のために、ローマ市と市民、また巡礼者・旅行者の皆さんにとって決して容易ではない年でした… しかし、これらの準備や工事が意味したものは、本来の整備的な目的以上に、すべての人を神の子として認め、兄弟として受け入れるローマの召命を表すものとなりました」と語られた。

 そして、「こうした意味で、私たちが『兄弟愛の希望』という大きな展望のもとに働けることを、神に感謝せねばなりません」とされ、「『兄弟愛的な世界の希望』とは、イデオロギーやスローガンの類ではありません。それが何であるかは、聖母マリアが私たちに示すイエスの中にあります… 兄弟愛的な世界の希望とは、まさに人となられた神の御子イエスそのもの。イエスが御父に遣わされたのは、私たち皆が天の御父の子となり、神のもとに皆が兄弟姉妹となるためであったのです」と説かれた。

 説教の最後に教皇は、ローマの工事の成果に感謝するとともに、「本当の”工事現場”とは自分自身だ、ということを知り、神の子としてふさわしく、より人間的に兄弟的に生きることができるよう、毎日自分を変えていく努力が大切です」と皆を励まされた。

 この後、教皇はこの一年を神に感謝し、皆と共に賛歌「テ・デウム」を捧げられた。

(編集「カトリック・あい」)

2025年1月1日

☩「紛争や悲しみに苦しむすべての家族のために、勧告航空機事故の犠牲者のために祈りを捧げよう」-「聖家族の祝日」の正午の祈りで

Sudanese displaced by war and facing famine line up to register for aid at a camp for IDPs Sudanese displaced by war and facing famine line up to register for aid at a camp for IDPs   (AFP or licensors)

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2024年12月30日

☩「家族で食卓を囲み”ケータイ”無しで”語り合う時間を持とう」-「聖家族の祝日」の正午の祈り

2024.12.29 Angelus2024.12.29 Angelus  (Vatican Media)

 

2024年12月29日

☩「新しい年が平和と、兄弟愛、感謝をもたらすように」教皇、英BBCラジオで語りかける

教皇フランシスコ (写真アーカイブ)教皇フランシスコ (写真アーカイブ)  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)

(2024.12.28 バチカン放送)

 英国の国営BBCラジオ4が、28日の特集番組”Thought for the Day”で「希望と思いやり」と題する教皇フランシスコの考察を音声で紹介した。同番組内で教皇の声が放送されたのは2021年10月にグラスゴーで開かれた国連気候変動枠組み条約第26回締約国会議(COP26)にあたってのメッセージ以来、2度目。

 今回の放送で教皇は、依頼されたテーマ「希望と思いやり」について、「希望は、福音の中心に触れるものであり、思いやりは、私たちがとるべき態度の方向性を示すもの」と指摘。希望と思いやりに満ちた世界はより素晴らしく、未来を信頼をもって見つめ尊重と共感をもって人に接する社会はより人間的です」と語られた。

 そして、24日に始まった聖年は「希望の巡礼者となるように、私たちに呼びかけています」とされた教皇は、「明日、何が待っているか分からなくても、未来を悲観や諦めをもって眺めるのはよいことではありません。戦争や、社会の不正義、様々な形の暴力に毎日のように接しても、私たちは懐疑主義や失望に陥るべきではありません」と言明。

 「愛を選び取りましょう。愛は、私たちの心を燃え立たせ、信頼を与えてくれます… 愛する者は、たとえ不安定な状態に置かれても、希望に満ちた、思いやりのある眼差しで、常に世界を観想することができます」と説かれた。

 さらに教皇は、「思いやりは、外交的な戦略でもなく、社会の調和を保証したり、何か有利なことを引き出したりするための身の振り方でもない。謙遜になるために心を開いて受け入れ、皆を助ける、愛の一つの形です… 謙遜は、対話を促し、無理解を克服させ、感謝を生むものなのです」と強調。そして、アルゼンチンの詩人ホルヘ・ルイス・ボルヘスが尊敬していた英国の偉大な作家ギルバート・キース・チェスタートンの言葉―「人生のもろもろを感謝をもって受け止め、当たり前のこと、と考えてはならない」を思い起こされた。

 教皇は最後に、「愛と信仰と共に対神徳をなす希望をもって、この聖年の間、私たちが人々との関係を築くための愛の形として、思いやりを実践できるように」と祈られ、「新しい年が平和と、兄弟愛、感謝をもたらすように」と願われた。

(編集「カトリック・あい」)

2024年12月29日