(2025.5.25 Vatican News Deborah Castellano Lubov)
教皇レオ14世は25日、復活節第6主日のご自身にとって初の正午の祈りに先立つ説教で、神が私たちの手を取ってくださることを思い起こされ、悩まず、信仰の喜びのうちに歩むよう、信者たちに促された。
説教の冒頭、教皇は、「つい数日前、私は皆さんの間で宣教を始めました。まず、皆さんが私に示してくださっている愛情に感謝します」とされ、さらに「皆さんの祈りと親密さによって、私を支えてくださるようお願いします」と希望された。
続けて教皇は、「主が私たちに呼びかけてくださるすべてのこと—人生の旅路であれ、信仰の旅路であれ—において、時に私たちは力不足を感じることがあります 」とされたうえで、今日のミサで読まれたヨハネ福音書でイエスが語られているように、「私たちは自分の力に頼ろうとせず、私たちを選んでくださった主の憐れみに頼るべきであり、聖霊が私たちを導き、すべてを教えてくださることを確信すべきだ、と福音は教えているのです 」と説かれた。
そのうえで、「不安や苦悩の中にあっても、主が慰めと平安を与えてくださること」を信者たちに強調。「師イエスが亡くなる前夜、『神の国をどのように証しし続けることができるだろうか』と思い悩む使徒たちに、イエスは、聖霊の賜物を素晴らしい約束とともに告げられます―『私を愛する者は、私の言葉を守る。私の父はその人を愛され、父と私とはその人のところに行き、一緒に住む」と。
このように、イエスは弟子たちをあらゆる不安や心配から解放し、「心を騒がせるな、恐れるな 」と励まされたが、イエスが使徒たちに告げられたように、「私たちも、主の愛のうちにとどまるなら、主ご自身が私たちのうちに住まわれます」と教皇は語られた。
そして、「私たちの内に神が宿るのは、まさに聖霊の賜物であり、聖霊は私たちの手を取って、私たちが日常生活の中でさえ、神の臨在と親しさを体験し、神の住まいとすることを可能にしてくださるのです」と強調。「私たちの召命、私たちに委ねられている現実と人々、私たちが遂行する約束、そして教会における私たちの奉仕を通して、私たち一人ひとりが自信を持って、そのように言うことができるのは素晴らしいことです」と言われた。
「主は私の内に住まわれる。主は聖霊をもって私に伴われ、私を啓発し、私を他者、社会、世界に対する主の愛の道具としてくださる… (そのことを念頭に置きながら)信仰の喜びのうちに歩みましょう。そして、主の愛をあらゆる場所に広めることに自分を捧げましょう」と、信者たちに呼びかけられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
Pope Leo XIV at the Regina Caeli (@Vatican Media)
(2025.5.25 Vatican News Christopher Wells)
教皇レオ14世は25日の正午の祈りに続けて、前日24日に列福された福者スタニスラウス・シュトライヒ、中国の教会のための祈りの日、故教皇フランシスコの環境回勅 「Laudato sì 」公布10周年を思い起され、戦争に苦しむすべての人々のために祈るように、世界の信者たちに勧められた。
教皇は、「聖母マリアの執り成しが、(中国のカトリック信者と)私たちすべてのために、たとえ試練の中にあっても、常に平和と調和を促進するために、福音の力強い喜びの証人となる恵みを得られますように」と願われた。
*『中国の教会のための祈りの日』へ
そして、24日が教皇ベネディクト16世が制定された『中国の教会のための祈りの日』であったことに触れ、「中国のカトリック信者と世界の教会との交わりに対する関心と愛情のしるし」として、世界中で神に捧げられた祈りを強調。
さらに、「このような気持ちをもって、私たちの祈りは、戦争に苦しむすべての人々を包み込みます。私たちは、対話と平和への真摯な探求に従事する人々の勇気と忍耐を呼び起こすのです 」と説かれた。
*福者スタニスラウス・シュトライヒを想起
教皇はまた、ポーランドのポズナン市で24日に行われたスタニスワフ・シュトライヒ師の列福式を思い起こされた。ポーランドの教区司祭、福者スタニスワフは1938年、貧しい人々や労働者のための彼の活動が共産主義イデオロギーの信奉者たちの不興を買ったため、殺害された。スタニスワフ・シュトライヒ司祭の模範が、「特に司祭たちが、福音のために、また兄弟姉妹のために惜しみなく自らを費やすよう促す ことを願っています」と教皇は述べられた。
*回勅「Laudato sì」の10周年を記念する
24日は教皇フランシスコの画期的な環境回勅『Laudato sì 』の10周年記念日でもある。教皇は、この回勅が 「非常に多くの人の支持を集め、世界中の数え切れないほどの取り組みを鼓舞し、すべての人に地球と貧しい人々の二重の叫びに耳を傾けるよう教えています 」と指摘。「Laudato Sì運動と、このコミットメントを前進させるすべての人々」 を激励された。
*世界中からローマを訪れた巡礼者と訪問者へあいさつ
最後に、教皇、バレンシアやポーランドからの巡礼者を含む世界中からの巡礼者や訪問者に温かい挨拶を述べた。また「ピエカリ・シロンスキーのマリア礼拝堂への偉大な巡礼 」に参加するポーランドの人々に特別な祝福をされた。ジェノヴァ大司教区とテンピオ・アンプリアス教区からの巡礼者、パデルノ・ドゥグナーノからのサイクリスト、パレルモからの 「ベルサグリエリ(イタリア軍の射撃手)」を含む、イタリアの様々な町からの信者も祝福された。
教皇レオ14世とキリスト教諸教会・諸宗教の使節との集い 2025年5月20日 バチカン宮殿 (@Vatican Media)
(2025.5.20 バチカン放送)
教皇レオ14世は19日、バチカン宮殿のクレメンスホールで、キリスト教の諸教会、および諸宗教の関係者とお会いになった。
会見には、前日18日に、レオ14世の教皇職開始を祝うミサに参加した正教会やプロテスタントなど、他のキリスト教教会の指導者、またユダヤ教やイスラム教をはじめ、世界の様々な宗教の代表や使節が参加した。
レオ14世は冒頭、大きな喜びを込めてすべての関係者に挨拶をおくられた。そして、「聖ヨハネ23世に始まり、歴代教皇に受け継がれ、故教皇フランシスコによっていっそう普遍的な友愛へと広がったエキュメニカルな対話と諸宗教間の交流の歩みを大切にしていきたいと思います」と述べられた。
続けて、自身の教皇への選出がニケア公会議の開催から1700年を迎える年と重なったこと、この公会議で起草された信条はすべての教会で分かち合われていることに言及され、「すべてのキリスト者の一致の追求は、ローマ教皇の義務の一つであるとともに、「In Illo uno unum(唯一のキリストの中に私たちは一つ)」という聖アウグスティヌスの言葉を司教モットーに選んだ私自身の絶えることのない関心でもあります」と指摘。
「キリスト者の共通の歩みは、人類の友愛というさらに大きな精神のもとに、すべての人たちと関わっていくもの」であり、今は、「対話と橋を築く時代です」と強調された。
また、キリスト教とユダヤ教の特別な関係について、教皇は、第二バチカン公会議の公文書『キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言』で記されている「両宗教が共有する霊的遺産の偉大さ」に触れるとともに、キリスト教とユダヤ教の間の神学的対話の重要性を指摘。「対立と誤解によって傷ついた、この困難な時代、キリスト教とユダヤ教間の貴重な対話を継続する必要があります」と述べられた。
カトリック教会とイスラム教間の対話についても、兄弟愛を育む近年の努力に目を向け、「互いの尊重と良心の自由に基づく態度が、両宗教間に橋をかける上での堅固な基礎となるでしょう」と話された。
最後に教皇は、すべての宗教関係者に、この日の出会いと平和への貢献に、心からの感謝を表明され、「暴力と紛争に傷ついた世界にあって、ここに代表される各宗教共同体の方々は、全人類の利益と地球の保護のために、知恵と思いやりと努力をなさっています」とされたうえで、「私たちがイデオロギーや政治的な条件から解放されて一致するなら、戦争に『ノー』、平和に『イエス』、軍拡競争に 『ノー』、軍縮に 『イエス』と言い、人々と地球を貧しくする経済に 『ノー』、すべての人と地球全体に益をもたらす経済発展に『イエス』」と言う言葉が、強い説得力を持つことができるのです」と訴えられた。
(編集「カトリック・あい)
Pope Leo XIV blesses the image of Our Lady of Good Counsel at the end of Mass on Sunday, May 18 (@Vatican Media)
(2025.5.18 Vatican News Devin Watkins)
18日に行われた教皇就任ミサの終わりに、教皇レオ14世は聖母に捧げるレジナ・チェリの祈りをされ、世界の戦乱で引き裂かれた地域の平和実現を訴え、特にガザ、ミャンマー、ウクライナで戦争のために苦しんでいる人々のために祈られた。
教皇は、聖体に参列した20万人の人々と多数の代表団に感謝し、国家、教会、諸宗教の代表者に感謝の意を表した。
そのうえで、「信仰と交わりの喜びの中で、戦争のために苦しんでいる兄弟姉妹を忘れることはできません」とされ、イスラエルとハマスの戦争が続く中、ガザでは「生き残った子どもたち、家族、高齢者」が飢餓に瀕していることを思い起こされた。
ミャンマーでは、「新たな敵対行為が罪のない若者の命を奪っている 」と指摘。
「殉教するウクライナは、公正で永続的な平和のための交渉を待っています 」と訴えられた。関連して、このミサの直後、教皇は、ウクライナのゼレンスキー大統領と個人的に会談された。
また教皇は、「天から私たちに同行しておられる教皇フランシスコの霊的存在を強く感じています 」と述べられ、教皇職の正式な始まりにあたり、「海の星 」と 「善き助言の聖母 」の称号を持つ聖母マリアに教皇職を委ねる祈りをカトリック信者に呼びかけた。
そして、「平和の賜物、苦しむ人々への支えと慰め、そして私たち皆が復活した主の証人となる恵みを願い、聖母マリアの執り成しを懇願します」と結ばれた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
(教皇レオ14世、 駐バチカン外交団と会見 2025年5月16日 バチカン宮殿)
(2-25.5.16 バチカン放送)
教皇レオ14世は16日、バチカン宮殿で、世界各国の駐バチカン大使たちと初の会見の場を持たれた。
あいさつで教皇は、「皆さんの存在は、私にとっての賜物。真理、正義、平和を望み、必要としている地上のすべての人民とすべての個人を抱擁したいと願う教会の、私自身の熱望を新たにするものです」とされ、北米、南米、欧州の間で築かれた教皇ご自身の人生経験は、「国境を越えた、異なる人々や文化との出会いへのあこがれを象徴するものでもあります」と語られた。
教皇は続けて、カトリック教会の宣教活動と、教皇庁の外交の基礎となるキーワードとして「平和」「正義」「真理」の三つを挙げられた。
*「平和」は、”戦争が無い状態”ではない
まず、「平和」について、「私たちはしばしば平和という言葉を否定的に捉え、単に戦争や紛争が無い状態と考えがちですが、そのような平和とは、”休戦状態”に過ぎず、緊張は常に”おき火”のようにくすぶり続け、いつでも再び燃え上がりかねないようなものでしかありません」と指摘。
「キリスト教的な観点からは、平和は何よりも賜物、キリストの最高の賜物であり、文化や宗教を超え、私たち一人ひとりの努力を求める能動的な恵みなのです」と述べ、「平和は、心に築かれ、心から始まります。武器だけでなく、言葉も、人を傷つけ、殺すことから、プライドや復讐心を捨て、表現に気をつけることが必要なのです」と強調された。
さらに、教皇は「あらゆる対立や破壊的な征服欲を根絶するために、『対立』ではなく『出会い』を希求する誠実な対話をする意志が求められます。その観点から、紛争解決のために、多国間外交と国際機関に新たな息吹を与えねばなりません」と大使たちに努力を促された。
*「正義」の実践が、平和につながる
「正義」については、教皇は「平和の追求には、正義の実践が必要です」とされ、自身の教皇名を選ぶ際に社会的回勅「レールム・ノヴァールム」を発出されたレオ13世を特に念頭に置いたことを明らかにしつつ、「恥ずべき労働条件や、分裂的、対立的な社会をもたらす多くの不均衡や不正義を前に、バチカンは声を上げざるを得ません」と述べ、世界的な規模で存在する不平等に対策を講じる必要を強調。「調和ある平和な市民社会の構築に努力するのは、統治責任を負う者の務めです」とされた教皇は、特に「男女の安定した一致の上に築かれ、社会の核・基礎である家庭」のために力が注がれることを望まれた。
また教皇は自身が移民の家系に生まれ、移住を経験したことに触れつつ、「私たち一人ひとりが、その生涯の中で健康であったり、病気になったり、仕事があったり、なかったり、母国にいたり、異国にいたりすることがあっても、その人は、常に同じ尊厳、神から望まれ愛された尊厳を持ち続けます」と語られた。
*「真理」無くして平和的関係は築けない
「真理」について教皇は、「国際共同体においても、真理無くして、真の平和的関係は築けません」と述べ、「曖昧で両義的なニュアンスの言葉があふれ、現実の認識を変容させた仮想現実的な世界がチェックされることもなく支配するところでは、客観的な現実の意思疎通が存在せず、真の人間関係を築くことは難しい」と指摘。
そのうえで、「キリスト教的真理は、決して慈愛から切り離されたものではなく、その根源には、常にすべての人の命と善に対する配慮があります。そして、その真理とは抽象的な原理ではなく、キリストご自身との出会いです」とされ、「そのようにして真理は、移民問題や、人工知能の倫理的利用、地球環境の保全などの今日の課題に、私たちを力強く立ち向かわせることを可能にするのです」と説かれた。
あいさつの最後に教皇は、自身の教皇職が「希望」をテーマとした2025聖年の最中に始まったことに触れ、「真理と正義と平和のうちに、それぞれが人間性を発揮できる世界を共に構築する、という希望に励まされ、この回心と刷新の時に、争いを捨て、新しく歩み出すことができるように」と願われ、それがウクライナと聖地をはじめとする、あらゆる紛争地域で環境で実現するように、と祈られた。
(編集「カトリック・あい」)
(2025.5.11 Vatican News Thaddeus Jones)
教皇レオ14世は、世界正面祈願の日の11日の正午の祈りに先立つ説教で、聖ペトロ広場を埋めた10万人を超える信者たちを前に、「司祭職と奉献生活への召命のために、そして、人生の旅路において、愛と真理のうちに歩むことができるよう、互いに奉仕して生きるために、祈るように」と呼びかけられた。
*良い羊飼いの主日に
新教皇は、11日が「良い羊飼いの主日」であることを思い起こされつつ、ローマ司教としての最初の日曜日に、このミサで読まれた福音書にある 「自分の羊を知り、愛し、羊のために命を捧げる、真の羊飼い」としてご自身を示されたイエス」を祝うことができるのは、「神からの賜物です」と語られた。
*世界召命祈願の日に
11日はまた、世界召命祈願の日であり、ローマを訪れているバンドや大衆芸能のメンバーによる2025年聖年の巡礼の最終日でもあることも想起され、「良い羊飼いであるキリストの祭日を盛り上げ、聖霊によって教会を導いてくださる皆さん 」の音楽と演奏に感謝し、親愛の情をもってすべての人に挨拶を送られた。
*互いに助け合おう!
続けて新教皇は、召命、特に司祭職と奉献生活への召命のために、すべての神の民とともに祈ることができる喜びを表されるとともに、「教会が、彼らを大いに必要としている 」のと同様に、「彼らが 、共同体の中で受け入れられ、耳を傾けられ、励まされ、神と兄弟姉妹への惜しみない献身の信頼できる模範を見い出す 」ことができるよう、私たち皆が、彼らの召命の旅路を支援するように、と促された。
そして故教皇フランシスコの「世界召命祈願の日」のメッセージを思い起こしつつ、「皆が互いに奉仕し合い…互いに助け合って、愛と真理のうちに歩み、生きることができること」を神に願いながら、「若者を歓迎し、共に歩む」ように、信者たちを促された。
*恐れてはならない!
特に召命に関して、新教皇は、若者たちを「教会の招きと主キリストの招きを喜んで受けなさい!」と励まされた。
そして最後に、「主の呼びかけに応えた生涯であった聖母マリアが、イエスに従う私たちにいつも寄り添ってくださいますように」と願われ、説教を締めくくられた。
・・・・・・・
(Vatican News Francesca Merlo)
また教皇レオ14世は、正午の祈りに続けて、故教皇フランシスコの言葉を引き継ぐ形で、ウクライナ、ガザ、インドとパキスタンの国境における紛争終結を訴えられた。
「『断片的に戦われる第三次世界大戦』という今日の劇的な状況において…。戦争は絶対に繰り返してはなりません! 」。
新教皇は、80年前の5月8日に6000万人の死者を出して終結した第二次世界大戦の甚大な悲劇を思い起こされ、今日の世界を苦しめている現代の戦争に目を向け、 「私は、愛するウクライナの人々の苦しみを胸に抱いています… 真の、公正で、永続的な平和に一刻も早く到達するためにあらゆる努力がなされるように」と訴えられた。
さらに、「すべての捕らわれている人々が解放され、子どもたちが家族のもとに戻されますように」と願われ、ガザ地区で今も進む人道的大惨事について「何が起きているのか、私は深く心を痛めている。戦闘を直ちに停止させ、疲弊した市民に人道支援を提供し、すべての人質が解放されますように」と当事者たちに求められた。
そして、強い希望の中で、インドとパキスタンの停戦合意が発表されたことを歓迎され、「今後の交渉を通じて、永続的な戦闘の停止が合意が速やかに達成されることを望みます」と語られた。
続けて、新教皇は「世界には、このほかにもどれほどの紛争があるのでしょうか 」と問いかけられ、最後に、自らの「心からの願い」を平和の女王マリアに託されて、「聖母マリアが、その願いを主イエスに託され、私たちに平和の奇跡をもたらしてくださるように」と祈られた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
(2025.5.9 Vatican News Deborah Castellano Lubov)
第267代教皇に選出された翌朝、教皇レオ14世はシスティーナ礼拝堂で枢機卿たちと共に教皇として初のミサを捧げられた。説教の中で新教皇は、枢機卿たちに、「私たちは、キリストへの喜びに満ちた信仰を証しするよう求められています 」とされ、キリストとの個人的な関係を常に深めるよう求めるとともに、「信仰がなければ、人生に意味はありません」と強調された。
説教で教皇レオ14世は、まず英語でいくつかの言葉を述べ、その中で教皇選挙に参加した枢機卿たちの信頼に感謝した。そして、「答唱詩編の言葉を繰り返したいと思います― 主は驚くべきことをなさった… 私は主に向かって新しい歌を歌おう」とされ、「兄弟である枢機卿たち、今朝、私たちがミサを捧げるにあたり、主が成し遂げてくださった奇跡、主がペトロの聖職を通して私たち全員に注ぎ続けてくださっている祝福について考えていただきたい」と呼びかけられた。
そして、「教会として、イエスの友人の共同体として、信者として、福音を告げ知らせるために、私たちと共に歩むために、皆さん一人一人が頼りになることを知っています」と語られた。
*キリストは人間の聖性を示してくださった
新教皇は説教をイタリア語で行われ、初代教皇である聖ペトロを中心に、聖マタイによる福音書にある彼の言葉-「あなたは生ける神の子キリストです 」-を思い起こしながら、主への絶え間ない信仰によって可能となった「使徒的継承を通して教会が二千年の間守り、深め、伝えてきた 遺産」を指摘。
そして、ペトロとキリストとの関係を振り返りながら、「救い主であるイエスだけが、御父の御顔を現しておられること」を思い起こされ、「イエスのうちに、神は、ご自分を男女の身近な存在とするために、子どもの信頼に満ちた眼差しで、若者の生き生きとした心で、そして人間の成熟した顔立ちで、私たちにご自分を現されました… このようにして、イエスは、私たちのあらゆる限界と能力を超越する永遠の運命の約束とともに、私たち皆が倣うことのできる人間の聖性の模範を示してくださったのです 」と語られた。
*賜物と道
さらに、ペトロがキリストとの応答の中で、「それが 『神の賜物』」であると同時に、『その賜物によって自分が変えられるためにたどるべき道 』であることを理解していました… それらは、人類の善のために宣べ伝えられるよう教会に託された、救いの不可分の側面です 」と言明。「福音がすべての被造物に宣べ伝えられるために、私たちの限界を超え、私たち自身の功績もないのに、ここに連れて来られ、ここから送り出されるのです」と述べられた。
*教会のために忠実であるようにと召された
また新教皇は、8日の午後、第267代教皇に選出されたことで、神がペトロの後継者として自分を召されたことを思い起こされ、「神の助けによって、教会の神秘体全体のために、その忠実な管理者となるように、この宝を私に託されたのです」と述べたうえで、「ペトロが信仰告白をするのは、『人は人の子を誰だと言うのか』という具体的な質問に答えるためでした。この質問は取るに足らないものではなく、私たちの宣教の本質的な側面、すなわち、私たちが生きている世界、その限界と可能性、その疑問と確信 に関わるものなのです」と強調。
*キリストに対して人々が示す二つの異なる態度、だからこそ宣教活動が必要
さらに、「人は、人の子(イエス)を誰だと言うのでしょうか?」と問いかけ、「私たちが考えている場面を振り返れば、2つの異なる態度を特徴づけるものが見つかります」と指摘。まず、「イエスの存在が煩わしい 」となれば、「イエスの厳格な道徳的要求」のために、イエスを拒絶し、排除することを躊躇しない 反応がある」と語った。そして、イエスの問いかけに対するもう一つの可能な反応は、イエスを 「勇気のあるまっすぐな人 」と見る普通の人々の反応であり、「彼らにとっては、イエスはただの人であり、それゆえ、危険な時、受難の時、彼らもイエスを見捨て、失望して去っていくのです」とされた。
そして、「この2つの態度は、今日にも通じるもの」とされ、「たとえ本質的には同じであっても、異なる言葉で表現されているとしても、現代に生きる多くの男女の口から出てくる観念を体現しているのです」、さらに「今日でも、キリスト教信仰が『不条理で、弱者や無知な者のためのもの』とされる状況が数多くあります。 テクノロジー、お金、成功、権力、快楽などが好まれるような状況です」と指摘。
「これらの状況では、福音を宣べ伝え、その真理を証しすることは容易ではなく、信者は嘲笑され、反対され、軽蔑されるか、せいぜい大目に見られ、同情されるにとどまるでしょう。しかし、それゆえにこそ、そのような場所は、私たちの宣教活動が切実に必要とされている場所なのです」と語られた。
*信仰の欠如は、実質的な無神論の状態で生きることに繋がる
続けて、現在社会の信仰の欠如は、「人生の意味の喪失、慈しみの軽視、人間の尊厳に対するひどい侵害、家庭の危機、その他私たちの社会を苦しめている多くの傷を、しばしば悲劇的に伴っています…そして、イエスは一人の人間として評価されてはいるが、一種のカリスマ的指導者やスーパーマンに成り下がっている。洗礼を受けていない人たち間だけでなく、多くの洗礼を受けたキリスト者の間でも このようなことが起こっています 。そのような人々は、実質的な無神論の状態で生きることになるのです 」と警告された。
そして、「これが私たちに託された世界であり、教皇フランシスコが何度も説かれたように、私たちは救世主キリストへの喜びの信仰を証しするよう求められている世界なのです… それゆえ、私たちも、ペトロと共に、『あなたはキリスト、生ける神の子です』と繰り返さねばなりません」と訴えられた。
*日々の回心の旅に身を捧げる
そのために私たちは、まず第一に、「主との個人的な関係において、『日々の回心の旅』に自らを捧げること。そして教会としても、同じことをする必要があります。主への忠誠を共に体験し、すべての人に福音を伝えるのです 」と強調された。
そして、「ローマの司教としての使命を始めるにあたり、ペトロの後継者である私自身に対して、まずこのように言明します」とされ、「それは、アンティオキアの聖イグナチオのよく知られた言葉-『普遍的な教会を、慈愛のうちに司る』です。聖イグナチオは鎖につながれたまま、生け贄を捧げる場所であるこの町に導かれ、そこでキリスト教徒たちにこう書き送っています―『 その時、私は真にイエス・キリストの弟子となる』とも」と語られた。
さらに、「聖イグナチオは、闘技場で野獣に食い荒らされることについて語りました。具体的には、『キリストが残るために身を引くこと、キリストが知られ、栄光を受けるために自分を小さくすること、すべての人がキリストを知り、キリストを愛する機会を持つために自分を最大限に使うこと』だと 」と付け加えられた。
そして説教の最後を次のような祈りで、締めくくられた—「教会の母であるマリアの愛に満ちた執り成しによって、今日も、そしてこれからも、神がこの恵みを与えてくださいますように」。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)