☩「私たちの町から、絶望を一掃せねばならない」-教皇、国連「国際麻薬乱用撲滅デー」の集いで

教皇レオ14世による「国際麻薬乱用撲滅デー」の集い 2025年6月26日 バチカン・聖ダマソの中庭教皇レオ14世による「国際麻薬乱用撲滅デー」の集い 2025年6月26日 バチカン・聖ダマソの中庭  (@Vatican Media)
(2025.6.26 バチカン放送)

 国連の「国際麻薬乱用撲滅デー」の26日、教皇レオ14世は、麻薬・覚醒剤など違法薬物の取引の撲滅や、薬物依存からの回復に努める人々との集いを開かれた。

 バチカンの「聖ダマソの中庭」を会場にした集いでは、イタリア政府関係者から麻薬撲滅の取り組みが説明され、薬物依存の経験を持つ女性からはその更生の努力が語られた。

 教皇は集いの冒頭で、「あなたがたに平和があるように」と、復活されたイエスの言葉で挨拶された。

  復活されたイエスは家に鍵をかけて閉じこもっている弟子たちの中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と挨拶された。弟子たちはイエスを見捨て、イエスを永遠に失ったと思い、失望と恐れに囚われ、その中にはすでに去って行った者たちもいた。

 教皇は、「それでもイエスは彼らを探して再び戻って来られた… 弟子たちが鍵をかけ、蟄居していた家の扉からイエスは入って来られ、平和をもたらし、赦しと聖霊の息吹きをもって再び弟子たちを元気づけられたのです」とされ、「息が詰まりそうな時、先が見通せない時、私たちの人としての尊厳は枯れてしまう。そのような時にも、復活されたイエスは再び戻られ、その息吹きをもたらしてくださることを忘れてはなりません」と説かれた。

 そのうえで、「薬物依存は、目に見えない牢獄ですが、私たちは皆、自由へと召された存在なのです」と強調。「平和と喜びを見出すためには、『共に』が鍵となります。悪は、皆で共に打ち勝つもの。喜びは、共に見出すもの。不正義は、共に闘うもの」と語られた。

 教皇はまた、「私たちの闘いは、大きなビジネスになっている違法薬物や、アルコール、ギャンブルなどへの『依存を作り出す者たち』との闘いです。そして、これらが巨額の利益を生むシステムや複雑に入り組んだ犯罪組織を解体する義務を、国々は持っています… だが現実は、治安の名の下に貧しい人々を相手に闘い、死の連鎖のシステムの末端にいる人々で刑務所をいっぱいにすることがあっても、そのシステムの鎖の先を握っている人々は罰せられず、影響を行使し続けているのです」と批判。

 「私たちの町は、『疎外された人々』からではなく、『疎外』から解放され、『絶望的な状況に置かれた人々』ではなく、『絶望』を一掃せねばなりません… 私たちは皆、自由であるために、人間的であるために、平和のために、召されています… 癒しと出会いと学びの場所を増やしながら、共に歩んで行きましょう」と参加者たちに呼びかけられた。

(編集「カトリック・あい」)

2025年6月27日

☩「卑劣な行為、全教会は中東のキリスト教徒に寄り添っている」レオ14世がシリアの教会への自爆テロに

教皇レオ14世 2025年6月25日の一般謁見 バチカン・聖ペトロ広場教皇レオ14世のバチカン・聖ペトロ広場での2025年6月25日の一般謁見   (@Vatican Media)

 攻撃の対象となったマール・エリアス教会では、事件当時、約300人がミサに参加しており、爆発により少なくとも30人が亡くなり、負傷者はおよそ60人に上っている。

 このテロ攻撃を「卑劣」なものと非難された教皇は、犠牲者を神の憐れみに託すと共に、遺族と負傷者のために祈られ、「中東のキリスト教徒の皆さんにお伝えしたい。私は皆さんのそばにいます。全教会は皆さんに寄り添っています」と連帯を表明された。

 この悲劇的な出来事は、「長年、紛争と不安定な状況が続いた後に、今なお残るシリアの深刻な脆弱さを示すもの… シリアに対し国際社会が関心を持ち続け、平和と和解のための連帯と新たな取り組みを通して、支援を提供し続けることができるように」と願われた。

 また教皇は、「イラン、イスラエル、パレスチナでの状況の展開を注意と希望をもって見守り続けよう」と呼びかけられた。

 さらに、「『国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うを学ぶことはない』というイザヤ預言者の言葉(イザヤ書2章4節=「聖書協会・共同訳})がこれまでにない切迫をもって響いています」とされ、「いと高き神からのこの声に、耳を傾けるように」と呼びかけられた。

 そして、「ここ数日の流血の行為によって引き裂かれた傷跡を癒し、横暴や復讐のあらゆる論理をはねのけ、対話と外交による平和の道を決然と選び取るように」と関係する指導者たちに訴えられた。

(編集「カトリック・あい」)

2025年6月26日

☩「神に根差し、教会への奉仕に献身する模範を示すことで『希望の証人』となるように」教皇、「司教たちの聖年」の黙想講話で

Pope Leo XIV with Bishops during their Jubilee pilgrimage to St Peter's BasilicaPope Leo XIV with Bishops during their Jubilee pilgrimage to St Peter’s Basilica  (@Vatican Media)

*司教に不可欠なその他の徳

 教皇は続けて、司教に必要な他のさまざまな徳について言及され、特に司牧上の慎重さ、福音的清貧、独身における完全な禁欲という 「不可欠な徳 」を指摘。「司教は、スキャンダルを引き起こしかねない状況や、虐待のあらゆる事例、特に未成年者が関係する事例に断固とした態度で対処し、現在施行されている法律を十分に尊重して対応せねばなりません」と強調された。

 さらに、「司教は 人間としての美徳を培うよう 求められており、特に第二バチカン公会議が強調した公正さ、誠実さ、自制心、忍耐力、傾聴と対話の能力、奉仕の意志を含む美徳を培うよう求められているのです」と強く語られた。

*交わりの人たち

 講話の最後に教皇は、「聖母マリアと聖ペトロとパウロの祈り」が司教とその共同体にとって最も必要な恵みを得ることができるように、と願われ、特に、司教たちが 「交わりの人となり、常に教区司祭座の一致を促進する助けとなるように」と祈られ、「その交わりの精神は、司祭たちの司牧的働きかけを励まし、教会を一致のうちに成長させるのです 」と強調して締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2025年6月25日

◎教皇レオ14世の聖年連続講話「イエス・キリスト―私たちの希望」⑥イエスのもとへ行こう!主は私たちを癒してくださる」

(2025.6.25  Vatican News   Deborah Castellano Lubov)

 教皇レオ14世は25日の水曜恒例一般謁見で、「イエス・キリスト、私たちの希望」の連続講話を続けられ、今回は、マルコ福音書に記された「イエスへの信仰を持つことの癒しの力」を明らかにする二つの奇跡について考察された。

 最初の奇跡は、社会から汚れた存在として敬遠される病気で苦しんでいた女性が、イエスには自分を癒す力があると信じ、群衆の中でイエスに触れようと手を伸ばし、その信仰のゆえにイエスは彼女を癒されこと。イエスは彼女に、「安心して行きなさい」と言われた。

 そして二つ目の奇跡は、「娘が死んだ」という知らせを受け、心を痛める父親の願いに応え、イエスは少女を死からよみがえらせたこと。イエスは、父親に 「恐れるな、ただ信仰を持ちなさい 」と言われ、彼の家に行き、皆が泣き叫んでいるのを見て、「その子は死んでいるのではなく、眠っているのだ 」と言われた。

 教皇は、「この2つのエピソードは、私たちが信頼と信仰をもって主に向かうとき、主の能力を超えるものは他にないことを明らかにしています」とされ、「イエスの行為は、主があらゆる病を癒すだけでなく、死からも目覚めさせることを示しています… 永遠の生命である神にとって、肉体の死は眠りのようなもの。真の死とは、魂の死であり、私たちはこれを恐れなければなりません」と説かれた。

 また教皇は、イエスが少女を生き返らせた後、彼女の両親に「何か食べ物を与えるように」と言われたことを取り上げ、「これは、イエスが私たちの人間性と親密であることのもう一つの具体的なしるしです… このことは私たちに深い意味での理解を可能にし、私たち自身に問いかけさせるもの。もし私たち自身が福音によって養われていないなら、どうすればよいのでしょうか」と問いかけられた。

 そして、教皇はそれぞれの奇跡を振り返り、悲惨な状況を解決するために、神への信仰を邪魔するものを許容されなかったことを強調。「時として、私たちはそれに気づきませんが、密かに、そして実際に、恵みが私たちに届き、私たちの人生を内側からゆっくりと変えていくのです 」と語られた。さらに、「おそらく今日も、多くの人々がイエスの力を心から信じることなく、表面的な方法でイエスに近づいているでしょう。私たちは教会の”表面”を歩いているが、心は別のところにあるのかもしれません」と信者たちに注意を促された。

 教皇は講話の締めくくりとして、この福音書の二つの記述は、「イエスにとって、癒すことができないほど大きな傷や苦しみは何もないこと、そして私たちはイエスのもとに行くことで、イエスから新しくされることを示しています」と強調された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2025年6月25日

☩「私たちはパンを分かち合い、神の国を宣べ伝えるよう召されている」—教皇、「キリストの聖体の祝日」のミサで

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年6月23日

☩「中東危機深刻、人類は平和を叫び声を上げて訴えている」—教皇、「キリストの聖体の祝日」の正午の祈りで

Israeli security forces gather outside the site of an Iranian airstrike in Tel Aviv on June 22, 2025Israeli security forces gather outside the site of an Iranian airstrike in Tel Aviv on June 22, 2025  (AFP or licensors)

2025年6月23日

☩「 キリストの体と血の犠牲は『究極の愛』の形」教皇、キリストの聖体の祭日の正午の祈り

Pope Leo XIV recites the Angelus on 22 June 2025Pope Leo XIV recites the Angelus on 22 June 2025  (@Vatican Media)

(2025.6.22 Vatican News  Deborah Castellano Lubov)

教皇レオ14世は22日、「キリストの聖体」の祝日の正午の祈りに先立つ講話で、「主は、私たちが祭壇に供えるパンとぶどう酒を、私たちの命の捧げ物とともに受け取り、聖別し、祝福し、キリストのからだと血に変え、世の救いのための愛のいけにえとしてくださる」と語られた。

 講話で教皇はまず、この日、教会は世界の多くの場所で、パンと魚の奇跡を語る聖ルカの福音朗読とともに、キリストの至聖なる体と血の祝日を祝っていることを思い起こされた。

 この福音の箇所で、イエスが、ご自分の話を聞き、癒しを得たいと集まって来た何千人もの人々の空腹を満たすために、使徒たちに対応するよう求め、差し出されたパンと魚を祝福し、全員に分けるよう命じた様子を描写している。

 その結果が驚くべきものであり、すべての人が食べるのに十分な量が配られただけでなく、余りさえしたことを指摘された教皇は、「これは奇跡であることを超えて“しるし”です。神の賜物は、それがどんなに小さなものであっても、分かち合われるとき、いっそう大きくなることを私たちに思い起こさせてくれるのです」と説かれた。

 そして、「この祝日に聖書のこの箇所を読むとき、さらに深い現実、すなわち、すべての人間の分かち合いに先立つ、より大きな分かち合い、すなわち、『神が、私たちと分かち合ってくださること 』について考えるよう、私たちは求められているのです」と強調された。

 続けて教皇は、「創造主である神は、私たちを救うために、私たちに命を与えられ、被造物である女性に、神の母となること、そして私たちと同じように、壊れやすく、制約のある、死を免れない肉体を御子キリストに与えるように求められました。これによって、主は 、貧しさを私たちと完全に分かち合い、私たちの贖いのために、私たちが主に捧げることのできるわずかなものを用いることを選ばれた のです」と語られた。

 そのうえで、「たとえささやかなものであっても、私たちそれぞれに応じた贈り物をし、受け取った人に感謝されるのを知る時、それはどれほど素晴らしいか」考えるよう、信者たちに促され、「その行為が単純であるにもかかわらず、贈り物が私たちの愛する人たちとの距離を縮めてくれると感じる時、私たちはどれほど幸せでしょう 」と述べられた。

 

 聖体儀式では、祭壇のパンとぶどう酒が聖別され、私たちの人生を共に捧げられことで、キリストの体と血に変えられ、世界の救いのために働く。「神は、私たちが神に捧げるものを喜びをもって受け入れることで、ご自身を私たちと一体化させ、私たちが神の愛の賜物を受け取り、喜びをもって分かち合うことで、私たちを神と一体化させるよう促しておられます。聖アウグスティヌスも言っておられるように、「たくさんの”一粒の麦”から一つのパンが作られるように、慈愛の一致のうちに、キリストの一つの体が形作られるのです 」と説かれた。

 講話の最後に教皇は、22日の午後遅く、聖ヨハネ・ラテラノ大聖堂でのミサから始まり、聖マリア・マジョール大聖堂へと続く、ローマにおける「キリストの聖体」の祝日の伝統的な聖体行列を主宰することに言及。「私たちは共に聖ミサを行い、その後、至聖なる秘跡を携えて、私たちの街の通りに出ます。私たちは歌い、祈り、そして聖マリア大聖堂の前に集まり、私たちの家、私たちの家族、そして全人類に主の祝福を祈り求めます」と語られ、この祝典が、「祭壇と幕屋から出発して、分かち合いと慈愛のうちに、日々、互いに交わりと平和の担い手となることを約束する私たちの輝ける”しるし”となるよう祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年6月22日

☩「教会における虐待への対応に『ゼロ・トレランス(容赦しない)』の文化の徹底が重要」教皇、リマでの調査報道讃える演劇にメッセージ

"Proyecto Ugaz" photo credits Francisco Rodriguez Torres“Proyecto Ugaz” photo credits Francisco Rodriguez Torres 

 ウガス氏は、ベル―で強い影響力を持っていた信徒運動体、「キリスト教生活ソダリティウム(Sodalitium Christianae Vitae」(カトリック教会の使徒生活協会の一つ。1971年にルイス・フェルナンド・フィガリによってペルーで設立されたが、度重なる不正行為と汚職が明らかになり、バチカンによって、2025年4月14日に解散させられた)に関する調査報道を続け、そのために嫌がらせや取材妨害を受けて来た。

 今でも、法的な嫌がらせやオンラインによる攻撃にさらされており、2022年11月、彼女は教皇フランシスコに自身含む4人のジャーナリストの保護を求め、教皇は彼らに支持を表明された。教皇レオ14世もそれを受け継いで支持を続けておられる。

2025年6月22日

「聖トマスモアは、今日の私たちにとっても、自由と良心のために殉教した政治家の模範」教皇、「政治家の聖年」参加者たちに

Pope Leo XIV meets with political leaders during the Jubilee of Governments on June 21, 2025Pope Leo XIV meets with political leaders during the Jubilee of Governments on June 21, 2025  (@Vatican Media)

 

 

2025年6月22日

☩「AIは子どもや若者の発達を助けるもの、妨げてはならない」教皇、第二回ローマ人工知能会議へ注文

File photo of Pope Leo XIV blessing a child at his weekly General Audience File photo of Pope Leo XIV blessing a child at his weekly General Audience 

(2025.6.20 Vatican News   Deborah Castellano Lubov)

 教皇レオ14世は20日にバチカンで開かれた第2回ローマ人工知能会議にメッセージを送られ、「AI、特に生成AI(学習したデータに基づいて新しいコンテンツを生成する能力を持つ技術)は、ヘルスケアや科学的発見における研究の強化を含む、さまざまなレベルで新たな地平を切り開きました」と評価。

 そのうえで、AI(人工知能)という 「人類の知恵の類まれなる産物」への対応を考える際、「人間の尊厳を決して忘れてはならず、若者や子供たちの適切な人間的・神経学的発達を妨げてはなりません」と警告された。

 メッセージで教皇はまず、会議がバチカンで開かれたことについて、「これは、私たち人類家族の現在と未来に直接影響を与えるこのような議論に参加したい、という教会の明確な意思の表れ」とされたうえで、「人類家族に恩恵をもたらす並外れた可能性とともに、AIの急速な発展は、より真に公正で人間的なグローバル社会を生み出す上で、このような技術を適切に使用することに関して重大な問題も提起しています」と指摘。

*人間の天才が生み出した例外的な産物だが、道具であることに変わりはない

 そして、故教皇フランシスコが言われたように、AIは「何よりも『道具』」であることを強調され、「AIのガバナンスのための適切な倫理的枠組みを議論するためには、人間固有の特徴を認識し、尊重することが欠かせません… 私たちの誰もが、子供や若者のことを心配し、AIの使用が彼らの知的・神経学的発達に及ぼす可能性について懸念しているのは確かです… 若者たちは、成熟と真の責任に向かう旅路を妨げられることなく、助けられなければなりません。社会の幸福は、若者たちが神から与えられた賜物と能力を開発し、自由で広い心をもって、時代の要求と他者の必要に応える能力を与えられるかどうか、にかかっているのです 」と訴えられた。

*どんなに広範であっても、知性と混同してはならない

 続けて教皇は、「AIによって得られる情報量にこれほど素早くアクセスできる世代はかつてなかった。しかし、データへのアクセスは、それがどんなに広範なものであっても、知性と混同されてはなりません… 知性とは、必然的に 、人生の究極的な問いに対して開かれ、真と善への志向を反映するものです」と指摘。

 さらに、AIがより大きな平等を促進するために肯定的かつ実に崇高な方法で使用される一方で、依然として 「他者を犠牲にして利己的な利益のために悪用される可能性、あるいはもっと悪いことに、紛争や侵略を煽るために悪用される可能性 」がある、と警告された。

*AIの影響について考える

 教皇は、教会として、「人間と社会の統合的発展 に照らしてAIの影響を検討する必要性を何よりも強調することで、差し迫った問題についての穏やかで十分な情報に基づいた議論に貢献したいと願っています」とされ、「このことは、人間の幸福を物質的にだけでなく、知性的にも精神的にも配慮すること、一人ひとりの人間の侵すことのできない尊厳を守り、世界の人々の文化的、精神的な豊かさと多様性を尊重することを意味します」と言明。

 「最終的に、AIの利益やリスクは、この優れた倫理的基準に従って正確に評価されなければなりません… 今日の社会は、人間的なもののある種の 『喪失』、あるいは 」少なくとも『蝕み』を経験している。このことは、私たちが共有する人間の尊厳の本質と独自性について、より深く考察することを求めている のです」と説かれた。

*青少年はAIによって妨げられるのではなく、助けられなければならない

 教皇はメッセージの最後に、「本物の知恵は、データの利用可能性よりも、人生の真の意味を認識することに関係しています」とされ、この観点から、この会議の審議が、「若者が真理を道徳的・精神的生活に統合することを可能にし、その結果、彼らの成熟した決断に情報を与え、より大きな連帯と一致の世界への道を開くことを可能にする、必要な世代間の徒弟制度の文脈の中でAIについても検討される 」ことへの期待を表明された。そして、「あなた方の前に課せられた任務は容易ではありません。しかし、極めて重要なものです」と締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2025年6月21日

☩「 戦争は常に敗北だ!」教皇レオ14世がフランシスコの叫びに共鳴、ウクライナ、イラン、ガザなどの戦争を非難

Russian drone and misille strike in KyivRussian drone and misille strike in Kyiv 

*イスラエルとイランの対立

 

 イスラエルがイランの核開発計画の排除を目的とした攻撃を続けているため、何千人もの人々がイランの首都テヘランから脱出している。

 最初の攻撃で、軍幹部や核科学者を含む220人以上が死亡した、と伝えられている。イスラエル軍情報筋によると、イスラエル空軍は一晩でテヘランの20の標的を攻撃した。これに対し、イランはイスラエルに向けて約400発のミサイルを発射し、約40発がイスラエルの防空網を突破した。イスラエル当局は、この攻撃で24人が死亡した、としている。

2025年6月18日

☩「人間についての生きた考察がなければ、信仰は実体のないものになる危険がある」教皇、イタリアの司教団に”警告”

Pope Leo XIV meets with the Italian Episcopal Conference in the Vatican

(Pope Leo XIV meets with the Italian Bishops’ Conference in the Vatican =@Vatican Media)

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年6月17日

☩「ナイジェリアで起きた残忍な虐殺の犠牲者のために祈る」教皇、三位一体の祝日の正午の祈りで

Residents of Gauraka, in Nigeria's Niger state, protest against kidnappings and killings (From 2021)Residents of Gauraka, in Nigeria’s Niger state, protest against kidnappings and killings (From 2021)  (AFP or licensors)

 三位一体の主日の15日の正午の祈りの前に、教皇レオ1世教皇はナイジェリア、スーダン、ミャンマー、ウクライナ、そして中東における紛争の犠牲者のために祈りを捧げ、特に13日から14日にかけてナイジェリアのベヌエ州で起きた残忍な虐殺の犠牲者のために祈られた。

 ベヌエ州のグマ地方行政区のイェルワタでは13日から14日にかけ約200人が「残忍に殺害」されたが、ほとんどは、現地のカトリック教会に保護されていた国内避難民だった。

 教皇はナイジェリアの「安全、正義、そして平和」を祈り、特に「容赦ない暴力の犠牲者となっているベヌエ州の農村部のキリスト教徒コミュニティ」のことを思い起しつつ、祈られた。

 この虐殺事件を受け、アムネスティ・インターナショナル・ナイジェリアは14日、ナイジェリア当局に対し、「ベヌエ州でほぼ毎日のように続いている流血事件を直ちに終わらせ、真犯人を裁きを受けさせる」よう求めた。

 また教皇は、2年以上も内戦が続くスーダンに思いを馳せられ、「南西部エル・ファシェルの教区司祭、ルーク・ジュム神父が最近の爆撃で死亡したとの連絡を受けた」とされ、ジュム神父とすべての犠牲者のために祈りを捧げるとともに、内戦に関わっている人々に対し、戦闘を止め、民間人を守り、平和のための対話の道を歩み始めるよう、訴えた。そして、世界の国々、国際機関に対して、この進行中の危機によって「深刻な影響を受けている」人々への人道支援活動の「強化」を強く求められた。

 教皇はさらに、イスラエルとイランの間で大規模な紛争が勃発している中東、そしてウクライナとミャンマーにも平和への祈りを捧げられ、ミャンマーに関しては、「最近の一時停戦にもかかわらず、紛争が続いている」とされ、国軍、反政府軍に対して、「包括的な対話の道を歩むように。それが、平和的で安定した解決につながる唯一の道です」と訴えられた。

 続けて教皇は、この日に列福されるコンゴ民主共和国出身の若い国境警備隊員、フロリベール・ブワナ・チュイ氏を取り上げた。彼は2007年、公衆衛生を危険にさらす可能性のある腐敗した米の輸入を拒否したために殺害された。殺害されたのは、「キリスト教徒として、彼は不正に反対し、幼い子供たちや貧しい人々を守ったからです」とされた教皇は、今日列福されるチュイ氏の模範が「コンゴ民主共和国とアフリカ全土の若者に勇気と希望を与える」ことを願うと述べられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年6月15日

☩「 生まれながらのチャンピオンや聖人はいない、日々の鍛錬の結果だ」教皇、三位一体の祝日のミサでスポーツ選手たちに

Athletes bring up the Gifts to the Altar during the closing Mass for the Jubilee of SportAthletes bring up the Gifts to the Altar during the closing Mass for the Jubilee of Sport  (@Vatican Media)

*スポーツは「与えること」を必要とする

続けて教皇は、「スポーツの試合で観客が選手を応援するときに使うイタリア語は ”dai ”です。このことについて考えてみましょう。スポーツは単に肉体的な達成のためだけのものではなく、個人的な向上のため、競技の支援者のため、愛する人のため、コーチや同僚のため、より多くの人々のため、そして対戦相手のためですらあるのです」と強調。

さらに、聖ヨハネ・パウロ二世はご自分もスポーツ選手だったが、スポーツは、「その純粋な感謝の気持ち、友情の絆を築き、他者との対話と開放を促す能力によって、育まれなければなりません」と述べられた。

*孤独、デジタル、競争社会の中で

 

教皇はまた、スポーツが人間的、キリスト教的価値観を育む良い方法であることを、「孤独」「デジタル社会」「競争社会」という3つの観点から考察された。

第一に、「私たち 」から 「私 」へと重点が移った現代社会では、「孤独」が圧倒的に目立つ。そのため、他者への関心が薄れている。「しかし、スポーツは、この欠乏に対する解決策を提供するかもしれません」とされた教皇は、スポーツがいかに「協力し、分かち合うことの大切さ」を教えているかを強調され、その結果、スポーツは 「民族間、地域社会、学校、職場、家族内における和解と出会いの重要な手段となり得るのです」と語られた。

第二に、私たちが日々直面し、拡大し続ける「デジタル社会」について、「スポーツは、人々を分断しかねない、このような技術革新の負の影響に対抗するのに役立つ。仮想現実の世界に代わるものを提供し、本物の愛が体験できる自然や実生活との健全な接触を保つ」助けとなります」と指摘された。

そして第三に、現代の「競争社会」と取り上げ、「強い者だけに味方しているように見えますが、スポーツは私たちに”負け方”を教えてくれます。人間の状態の最も深い真実のひとつである『もろさ』『限界』『不完全さ』に私たちを向き合わせます… そして、このような経験を通じて、私たちの心は希望へと開かれていくのです」と説かれた。

さらに、教皇は、「負けたり、ミスを犯したりしないアスリートが存在するということはあり得ません… チャンピオンとは、”完璧に機能する機械”ではなく、転んでも立ち上がる勇気のある、本物の男女です」と語られた。

*生まれながらのチャンピオン人はいない

 

教皇ヨハネ・パウロ二世だけがスポーツ選手だったわけではない。スポーツは、「個人的な鍛錬として、また福音化の手段として、数多くの現代の聖人の人生において重要な役割を果たしてきた。

教皇は、今年9月7日に列聖されるスポーツ選手の守護聖人、福者ピエル・ジョルジョ・フラッサーティに思いを馳せ、「フラッサーティの生涯は、誰も生まれながらにしてチャンピオンにはなれないし、誰も生まれながらにして聖人にはなれない」ことを示しています」と指摘。「求められるのは、日々の訓練であり、それが最終的なチャンピオンに一歩近づくためのものなのです」と説かれた。

説教の最後に、教皇は、ミサに出席した選手たちに次のような使命を課された— 「自分自身のため、そして兄弟姉妹のために、三位一体の神の愛をすべての活動に反映させること。そして、永遠の命という最高の勝利」に向かって選手たちを導いてくださるマリアに、自分自身を委ねること」。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2025年6月15日

☩ 教皇、イラン・イスラエル紛争激化を非難、両国指導者に「責任と理性」を訴え

Aftermath of Israeli strikes, in TehranAftermath of Israeli strikes, in Tehran 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年6月14日