教皇レオ14世による「国際麻薬乱用撲滅デー」の集い 2025年6月26日 バチカン・聖ダマソの中庭 (@Vatican Media)
(2025.6.26 バチカン放送)
国連の「国際麻薬乱用撲滅デー」の26日、教皇レオ14世は、麻薬・覚醒剤など違法薬物の取引の撲滅や、薬物依存からの回復に努める人々との集いを開かれた。
バチカンの「聖ダマソの中庭」を会場にした集いでは、イタリア政府関係者から麻薬撲滅の取り組みが説明され、薬物依存の経験を持つ女性からはその更生の努力が語られた。
教皇は集いの冒頭で、「あなたがたに平和があるように」と、復活されたイエスの言葉で挨拶された。
復活されたイエスは家に鍵をかけて閉じこもっている弟子たちの中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と挨拶された。弟子たちはイエスを見捨て、イエスを永遠に失ったと思い、失望と恐れに囚われ、その中にはすでに去って行った者たちもいた。
教皇は、「それでもイエスは彼らを探して再び戻って来られた… 弟子たちが鍵をかけ、蟄居していた家の扉からイエスは入って来られ、平和をもたらし、赦しと聖霊の息吹きをもって再び弟子たちを元気づけられたのです」とされ、「息が詰まりそうな時、先が見通せない時、私たちの人としての尊厳は枯れてしまう。そのような時にも、復活されたイエスは再び戻られ、その息吹きをもたらしてくださることを忘れてはなりません」と説かれた。
そのうえで、「薬物依存は、目に見えない牢獄ですが、私たちは皆、自由へと召された存在なのです」と強調。「平和と喜びを見出すためには、『共に』が鍵となります。悪は、皆で共に打ち勝つもの。喜びは、共に見出すもの。不正義は、共に闘うもの」と語られた。
教皇はまた、「私たちの闘いは、大きなビジネスになっている違法薬物や、アルコール、ギャンブルなどへの『依存を作り出す者たち』との闘いです。そして、これらが巨額の利益を生むシステムや複雑に入り組んだ犯罪組織を解体する義務を、国々は持っています… だが現実は、治安の名の下に貧しい人々を相手に闘い、死の連鎖のシステムの末端にいる人々で刑務所をいっぱいにすることがあっても、そのシステムの鎖の先を握っている人々は罰せられず、影響を行使し続けているのです」と批判。
「私たちの町は、『疎外された人々』からではなく、『疎外』から解放され、『絶望的な状況に置かれた人々』ではなく、『絶望』を一掃せねばなりません… 私たちは皆、自由であるために、人間的であるために、平和のために、召されています… 癒しと出会いと学びの場所を増やしながら、共に歩んで行きましょう」と参加者たちに呼びかけられた。
(編集「カトリック・あい」)
教皇レオ14世のバチカン・聖ペトロ広場での2025年6月25日の一般謁見 (@Vatican Media)
(2025.6.25 バチカン放送)
教皇レオ14世は25日、水曜恒例一般謁見で、22日シリアの首都ダマスカスのギリシャ正教会で起きた自爆テロに言及、犠牲者ために祈り、中東のキリスト教徒にご自身と全教会の連帯を示された。
攻撃の対象となったマール・エリアス教会では、事件当時、約300人がミサに参加しており、爆発により少なくとも30人が亡くなり、負傷者はおよそ60人に上っている。
このテロ攻撃を「卑劣」なものと非難された教皇は、犠牲者を神の憐れみに託すと共に、遺族と負傷者のために祈られ、「中東のキリスト教徒の皆さんにお伝えしたい。私は皆さんのそばにいます。全教会は皆さんに寄り添っています」と連帯を表明された。
この悲劇的な出来事は、「長年、紛争と不安定な状況が続いた後に、今なお残るシリアの深刻な脆弱さを示すもの… シリアに対し国際社会が関心を持ち続け、平和と和解のための連帯と新たな取り組みを通して、支援を提供し続けることができるように」と願われた。
また教皇は、「イラン、イスラエル、パレスチナでの状況の展開を注意と希望をもって見守り続けよう」と呼びかけられた。
さらに、「『国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うを学ぶことはない』というイザヤ預言者の言葉(イザヤ書2章4節=「聖書協会・共同訳})がこれまでにない切迫をもって響いています」とされ、「いと高き神からのこの声に、耳を傾けるように」と呼びかけられた。
そして、「ここ数日の流血の行為によって引き裂かれた傷跡を癒し、横暴や復讐のあらゆる論理をはねのけ、対話と外交による平和の道を決然と選び取るように」と関係する指導者たちに訴えられた。
(編集「カトリック・あい」)
Pope Leo XIV with Bishops during their Jubilee pilgrimage to St Peter’s Basilica (@Vatican Media)
(2025.6.25 Vatican News Christopher Wells)
教皇レオ14世は25日、「司教のための聖年」の黙想を主宰され、講話の中で、世界中から集まった司教たちに、 「神にしっかりと根ざし、教会への奉仕に完全に献身する生活 の模範を通して、『希望の証人』にならねばなりません」と注文を付けられた。
講話で教皇はまず、「司教は、羊飼いである前に、羊であり、主の群れの一員です」と強調。「もし、私たちの世話を委ねられている教会を導くのであれば、イエスの御心とイエスの愛の神秘に完全に一致するために、『良い羊飼い』であるイエスによって、自分自身を深く新たにされれねばならない」と強調された。
そして、2025年の聖年のテーマである 「希望は失望させない 」を思い起こしながら、司教が 「神にしっかりと根ざし、教会の奉仕に完全に献身する生き方」の模範によって、いかに強く、「希望の証人 」となることを求められているかについて考察された。
*目に見える一致の原則
教皇はまず、それぞれの教会における 「目に見える一致の原理 としての司教」に焦点を当てられ、「教会の成長と福音の広がりのために与えられた、さまざまな賜物と務めを育むことによって、そのメンバー間と普遍教会との交わりを築くことが司教の務めです… この奉仕において、司教は 特別な神の恵みに支えられ、『信仰の教師』であり『聖化の奉仕者』であることを助けられ、「神の国への献身を強めていくのです」と説かれた。
*神学的な生き方をする人
さらに、司教は「神学的な生活を送る人」、すなわち、「信仰と希望と慈愛で満たしてくださる聖霊の促しに完全に従順な人 」であり、信仰の人である司教は、モーセのように、「前を見て、ゴールを垣間見、試練の時に忍耐する 」執り成し手として行動する。希望を通して、司教は「民が絶望しないように、言葉だけでなく、民に寄り添い、安易に解決策を提供するのではなく、簡素さと連帯のうちに福音を生きようと努力する共同体の経験を提供する必要があります」と述べられた。
さらに、「信仰と希望」という神学的徳は、「司牧的慈愛の人として」、羊飼いであるキリストの慈愛によって常に鼓舞され、突き動かされる司教の中で一体となる、とされ、「司教は、日々、聖体からもたらされる恵みと自らの祈りの生活を糧として、自分が世話をするすべての人々に友愛の模範を示すのです」と強く促された。
*司教に不可欠なその他の徳
教皇は続けて、司教に必要な他のさまざまな徳について言及され、特に司牧上の慎重さ、福音的清貧、独身における完全な禁欲という 「不可欠な徳 」を指摘。「司教は、スキャンダルを引き起こしかねない状況や、虐待のあらゆる事例、特に未成年者が関係する事例に断固とした態度で対処し、現在施行されている法律を十分に尊重して対応せねばなりません」と強調された。
さらに、「司教は 人間としての美徳を培うよう 求められており、特に第二バチカン公会議が強調した公正さ、誠実さ、自制心、忍耐力、傾聴と対話の能力、奉仕の意志を含む美徳を培うよう求められているのです」と強く語られた。
*交わりの人たち
講話の最後に教皇は、「聖母マリアと聖ペトロとパウロの祈り」が司教とその共同体にとって最も必要な恵みを得ることができるように、と願われ、特に、司教たちが 「交わりの人となり、常に教区司祭座の一致を促進する助けとなるように」と祈られ、「その交わりの精神は、司祭たちの司牧的働きかけを励まし、教会を一致のうちに成長させるのです 」と強調して締めくくられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
Israeli security forces gather outside the site of an Iranian airstrike in Tel Aviv on June 22, 2025 (AFP or licensors)
(2025.6.22 Vatican NewBy Devin Watkins
レオ14世教皇は22日の「キリストの聖体の祝日」の正午の祈りで、米国のイラン核施設空爆で緊張の度を急速に増している中東について、「戦争の悲劇」の終結を訴え、「戦争は永続的な解決策をもたらさず、問題を拡大させ、深い傷を残すだけです」と強調された。
教皇は、「中東、特にイランから、憂慮すべきニュースが続いています」とされ、「イスラエルとパレスチナを含むこの劇的な状況下で、特にガザ地区をはじめとする地域の人々への人道支援の必要性がこれまで以上に切迫しているのが忘れ去られる恐れが強まっている」と指摘。
「今日、これまで以上に、人類は平和を叫び、訴えています… 平和への叫びは『責任と理性』を求めるもの。武器の轟音や紛争を煽る修辞的な言葉によってかき消されてはなりません」と訴え、世界の指導者たちに、「戦争の悲劇が取り返しのつかない深淵となる前に、それを阻止する道徳的責任を果たすように」と強く求められた。
そして、「人間の尊厳が危機に瀕している時、いかなる紛争も、決して私たちから遠い存在ではない」とされ、「戦争は問題を解決しない。それどころか、問題を増幅させ、人々の歴史に深い傷跡を残します。その傷は、何世代にもわたって癒えることはありません。いかなる軍事的勝利も、母親の苦しみ、子どもの恐怖、あるいは奪われた未来を償うことはできないのです」と強く説かれた。
最後に教皇は、「武器の騒音」が静まることを願われ、「外交によって武器を静めましょう!世界各国は、暴力や血なまぐさい紛争ではなく、平和の営みによって未来を切り拓いていきましょう!」と改めて和平実現の努力を世界の指導者たちに呼びかけられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
Pope Leo XIV recites the Angelus on 22 June 2025 (@Vatican Media)
(2025.6.22 Vatican News Deborah Castellano Lubov)
教皇レオ14世は22日、「キリストの聖体」の祝日の正午の祈りに先立つ講話で、「主は、私たちが祭壇に供えるパンとぶどう酒を、私たちの命の捧げ物とともに受け取り、聖別し、祝福し、キリストのからだと血に変え、世の救いのための愛のいけにえとしてくださる」と語られた。
講話で教皇はまず、この日、教会は世界の多くの場所で、パンと魚の奇跡を語る聖ルカの福音朗読とともに、キリストの至聖なる体と血の祝日を祝っていることを思い起こされた。
この福音の箇所で、イエスが、ご自分の話を聞き、癒しを得たいと集まって来た何千人もの人々の空腹を満たすために、使徒たちに対応するよう求め、差し出されたパンと魚を祝福し、全員に分けるよう命じた様子を描写している。
その結果が驚くべきものであり、すべての人が食べるのに十分な量が配られただけでなく、余りさえしたことを指摘された教皇は、「これは奇跡であることを超えて“しるし”です。神の賜物は、それがどんなに小さなものであっても、分かち合われるとき、いっそう大きくなることを私たちに思い起こさせてくれるのです」と説かれた。
そして、「この祝日に聖書のこの箇所を読むとき、さらに深い現実、すなわち、すべての人間の分かち合いに先立つ、より大きな分かち合い、すなわち、『神が、私たちと分かち合ってくださること 』について考えるよう、私たちは求められているのです」と強調された。
続けて教皇は、「創造主である神は、私たちを救うために、私たちに命を与えられ、被造物である女性に、神の母となること、そして私たちと同じように、壊れやすく、制約のある、死を免れない肉体を御子キリストに与えるように求められました。これによって、主は 、貧しさを私たちと完全に分かち合い、私たちの贖いのために、私たちが主に捧げることのできるわずかなものを用いることを選ばれた のです」と語られた。
そのうえで、「たとえささやかなものであっても、私たちそれぞれに応じた贈り物をし、受け取った人に感謝されるのを知る時、それはどれほど素晴らしいか」考えるよう、信者たちに促され、「その行為が単純であるにもかかわらず、贈り物が私たちの愛する人たちとの距離を縮めてくれると感じる時、私たちはどれほど幸せでしょう 」と述べられた。
聖体儀式では、祭壇のパンとぶどう酒が聖別され、私たちの人生を共に捧げられことで、キリストの体と血に変えられ、世界の救いのために働く。「神は、私たちが神に捧げるものを喜びをもって受け入れることで、ご自身を私たちと一体化させ、私たちが神の愛の賜物を受け取り、喜びをもって分かち合うことで、私たちを神と一体化させるよう促しておられます。聖アウグスティヌスも言っておられるように、「たくさんの”一粒の麦”から一つのパンが作られるように、慈愛の一致のうちに、キリストの一つの体が形作られるのです 」と説かれた。
講話の最後に教皇は、22日の午後遅く、聖ヨハネ・ラテラノ大聖堂でのミサから始まり、聖マリア・マジョール大聖堂へと続く、ローマにおける「キリストの聖体」の祝日の伝統的な聖体行列を主宰することに言及。「私たちは共に聖ミサを行い、その後、至聖なる秘跡を携えて、私たちの街の通りに出ます。私たちは歌い、祈り、そして聖マリア大聖堂の前に集まり、私たちの家、私たちの家族、そして全人類に主の祝福を祈り求めます」と語られ、この祝典が、「祭壇と幕屋から出発して、分かち合いと慈愛のうちに、日々、互いに交わりと平和の担い手となることを約束する私たちの輝ける”しるし”となるよう祈られた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
“Proyecto Ugaz” photo credits Francisco Rodriguez Torres
(2025.6.21 Vatican News Salvatore Cernuzio)
教皇レオ14世は、ペルーの首都リマで上演中のパオラ・ウガス氏の調査報道における功績を称える演劇『Proyecto Ugaz 』にメッセージを送られ、性的虐待を含めた教会における、いかなる虐待に対しても「ゼロ・トレランス(いかなる行為も容赦なる罰すること)」で対応する文化の徹底、(虐待行為を摘発する)報道の自由の擁護を呼びかけられた。
ウガス氏は、ベル―で強い影響力を持っていた信徒運動体、「キリスト教生活ソダリティウム(Sodalitium Christianae Vitae」(カトリック教会の使徒生活協会の一つ。1971年にルイス・フェルナンド・フィガリによってペルーで設立されたが、度重なる不正行為と汚職が明らかになり、バチカンによって、2025年4月14日に解散させられた)に関する調査報道を続け、そのために嫌がらせや取材妨害を受けて来た。
今でも、法的な嫌がらせやオンラインによる攻撃にさらされており、2022年11月、彼女は教皇フランシスコに自身含む4人のジャーナリストの保護を求め、教皇は彼らに支持を表明された。教皇レオ14世もそれを受け継いで支持を続けておられる。
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『Proyecto Ugaz 』の演劇の中で読まれたメッセージで教皇は、虐待を摘発するジャーナリストを賞賛され、「彼らを黙らせることは民主主義を脅かし、正義と真実を求める福音の呼びかけを損なうことにつながります」と指摘。そして、あらゆる形態の虐待に反対する、文化的変革がカトリック教会に求められており、「権力や権威の乱用、良心や霊性の乱用、性的乱用など、いかなる形態の乱用も許さない文化を、教会全体に根付かせる必要がある」と強調された。
教皇はさらに、ウガス氏の例を引き、「報道の自由を断固として擁護する必要がある」と言明、 「ジャーナリストが沈黙するたびに、国家の民主主義の魂は弱まっていくのです」と警告された。
そして教皇は、メッセージで3つの感謝の言葉を述べられた。
まず、『Proyecto Ugaz 』の 制作者たちに対して。
「この作品は、単なる演劇 ではなく、記憶であり、抗議であり、そして何よりも正義の行為。長い間沈黙していた痛みに声を与えました」と讃えた。そして、「ソダリティウムのかつての霊的家族の犠牲者たちは、勇気と忍耐と真実への献身をもって彼らを支えたジャーナリストたちと共に、傷つきながらも希望に満ちた教会の顔を映し出しています。あなた方の正義のための戦いは、教会の戦いでもある。人間の肉体と魂の傷に触れない信仰は、福音を理解していないのです」と強く指摘された。
続いて、無視され、信用を失い、法的攻撃を受けながら、耐え忍んできた人々に対して。
教皇は、教皇フランシスコが困難なチリ訪問と虐待被害者との面会の後に書かれた2018年の「Letter to the People of God (神の民への手紙) 」を思い起こされ、 「被害者とその家族の痛みは、私たちの痛みでもあります。未成年者と弱い立場の成人を守るために、私たちの決意を新たにすることが急務です」と強調。
「真の教会改革とは、”修辞”ではなく、謙遜、真実、償いの具体的な道の歩み。予防とケアは単なる”司牧的戦略”ではありません」と念を押された。
そして、勇気をもって教皇フランシスコに訴えたウガス氏、複数の国で活動するペルー発祥の信徒団体による虐待を暴露したウガス氏と仲間のジャーナリスト、ペドロ・サリナス、ダニエル・ヨヴェラ、パトリシア・ラキラの勇気を讃え、カタカオスやカスティーリャのような共同体全体に影響を及ぼす経済的虐待を含む、ソーダリチウムによって 引き起こされたより広範な害を認め、5月12日のメディア関係者に対する発言は「単なる形式的な挨拶ではなく、ジャーナリズムの神聖な役割を改めて確認したもの。真理を求め、守り、奉仕することは、すべての人の責任です」とされた。
さらに、現在の制度的・社会的緊張の時代に、「自由で倫理的なジャーナリズムを守ることは、正義の行為であるだけでなく、強力で参加型の民主主義を目指すすべての人の義務です」と言明。「地域ラジオ放送から大手メディアに至るまで、地方から首都に至るまで、誠実に真実を報道する人々を守るよう、ペルー当局、市民社会、そしてすべての市民に訴えます。ジャーナリストが沈黙すればするほど、その国の民主主義の魂は弱まるのです」と強く訴えられた。
最後に教皇は、すべてのペルーのマスコミ関係者に心からのメッセージを送られ、「あなた方は仕事を通じて、平和、団結、社会的対話の建設者となることができる。そして、誰も沈黙の中で苦しむことのない教会、真理が恐れられることなく、解放への道として受け入れられる教会への希望の表明となる」と、励まされた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
Russian drone and misille strike in Kyiv
(2025.6.18 Vatican News Christopher Wells)
教皇レオ14世は18日の水曜恒例一般謁見で、「現代の科学兵器の ”残虐性 ”が、戦闘員たちを 過去よりもはるかに酷い”蛮行” へと導く危険性がある」と警告、世界の指導者たちに 対し、「戦争は常に敗北だ。平和では何も失われないが、戦争ではすべてが失われる 」と述べ、和平実現に全力を挙げるよう、強く求められた。
教皇は、「ウクライナ、イラン、イスラエル、ガザをはじめとする戦場からの叫びによって、教会の心は引き裂かれている 」と嘆かれ、「私たちは、決して戦争に慣れてはならない。強力で洗練された武器への誘惑を、拒絶せねばなりません」と述べた。
さらに、現代の戦争における 「あらゆる種類の科学兵器 」の使用は、「戦闘員を過去の時代よりもはるかに野蛮に導く 」危険性があると警告。
そのうえで、「人間の尊厳と国際法の名において、私は教皇フランシスコが語られた言葉を、世界の責任者たちに向けて繰り返します—『戦争は常に敗北だ』。そしてピオ12世とともに、『平和によって失われるものは何もない。戦争によってすべてが失われるのだ』と繰り返します」と訴えられた。
*ロシアによるウクライナ空爆が続く
ウクライナの民間人を標的にしたロシアの空爆はここ数週間激化しており、夜間の無人機やミサイルによる攻撃で少なくとも18人が死亡、151人が負傷した。
同国のゼレンスキー大統領は「今回の攻撃は、2022年2月のロシアによるわが国への全面侵攻以来、最も恐ろしいものだ」と述べた。国連ウクライナ人権監視団は「キエフへの攻撃は、今年に入ってこれまでで最も死者が多かった」と指摘し、「このような兵器を大都市で使用すること」の危険性を強調、ダニエル・ベル代表は声明で「今回の攻撃は、ミサイルと大量の無人機を同時に人口密集地を標的にしてに配備する、という戦術がもたらす重大な脅威を例証するものであり、民間人の死傷と深刻な苦しみをもたらす」と非難した。
*イスラエルとイランの対立
イスラエルがイランの核開発計画の排除を目的とした攻撃を続けているため、何千人もの人々がイランの首都テヘランから脱出している。
最初の攻撃で、軍幹部や核科学者を含む220人以上が死亡した、と伝えられている。イスラエル軍情報筋によると、イスラエル空軍は一晩でテヘランの20の標的を攻撃した。これに対し、イランはイスラエルに向けて約400発のミサイルを発射し、約40発がイスラエルの防空網を突破した。イスラエル当局は、この攻撃で24人が死亡した、としている。
*イスラエル軍戦車が援助を求める市民に発砲
ガザでは、イスラエル軍が軍事作戦を続けており、表向きは「ハマスの政治・軍事組織を壊滅」するのが狙いとしている。イスラエルは、2023年10月にハマスの武装勢力がイスラエルに武力侵攻し、イスラエル人約1200人が死亡したことを受けて、ガザへの攻撃を開始した。ハマスはこの襲撃でおよそ250人の人質を取り、そのうち50人以上が現在も拘束されている。
17日には、イスラエルの戦車が人道支援物資を積んだトラックを待っていた群衆に砲弾を撃ち込んだ、と報じられ、現場に居合わせた医療関係者によると、60人近くが死亡、220人以上が負傷し、うち約20人が重体だという。イスラエルは同地域での発砲を認め、「事件を調査中」と説明した。
ガザ保健省によると、5月末以来、400人近くのパレスチナ人が殺害され、3000人以上が負傷しており、援助を待つ市民の間でも、多くの死傷者が発生している。同省は、イスラエルによるガザ侵攻が始まって以来、5万5000人以上のパレスチナ人が死亡し、ガザのほぼ全人口が暴力によって避難を余儀なくされている、と主張している。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
Residents of Gauraka, in Nigeria’s Niger state, protest against kidnappings and killings (From 2021) (AFP or licensors)
(2025.6.15 Vatican News Joseph Tulloch)
三位一体の主日の15日の正午の祈りの前に、教皇レオ1世教皇はナイジェリア、スーダン、ミャンマー、ウクライナ、そして中東における紛争の犠牲者のために祈りを捧げ、特に13日から14日にかけてナイジェリアのベヌエ州で起きた残忍な虐殺の犠牲者のために祈られた。
ベヌエ州のグマ地方行政区のイェルワタでは13日から14日にかけ約200人が「残忍に殺害」されたが、ほとんどは、現地のカトリック教会に保護されていた国内避難民だった。
教皇はナイジェリアの「安全、正義、そして平和」を祈り、特に「容赦ない暴力の犠牲者となっているベヌエ州の農村部のキリスト教徒コミュニティ」のことを思い起しつつ、祈られた。
この虐殺事件を受け、アムネスティ・インターナショナル・ナイジェリアは14日、ナイジェリア当局に対し、「ベヌエ州でほぼ毎日のように続いている流血事件を直ちに終わらせ、真犯人を裁きを受けさせる」よう求めた。
また教皇は、2年以上も内戦が続くスーダンに思いを馳せられ、「南西部エル・ファシェルの教区司祭、ルーク・ジュム神父が最近の爆撃で死亡したとの連絡を受けた」とされ、ジュム神父とすべての犠牲者のために祈りを捧げるとともに、内戦に関わっている人々に対し、戦闘を止め、民間人を守り、平和のための対話の道を歩み始めるよう、訴えた。そして、世界の国々、国際機関に対して、この進行中の危機によって「深刻な影響を受けている」人々への人道支援活動の「強化」を強く求められた。
教皇はさらに、イスラエルとイランの間で大規模な紛争が勃発している中東、そしてウクライナとミャンマーにも平和への祈りを捧げられ、ミャンマーに関しては、「最近の一時停戦にもかかわらず、紛争が続いている」とされ、国軍、反政府軍に対して、「包括的な対話の道を歩むように。それが、平和的で安定した解決につながる唯一の道です」と訴えられた。
続けて教皇は、この日に列福されるコンゴ民主共和国出身の若い国境警備隊員、フロリベール・ブワナ・チュイ氏を取り上げた。彼は2007年、公衆衛生を危険にさらす可能性のある腐敗した米の輸入を拒否したために殺害された。殺害されたのは、「キリスト教徒として、彼は不正に反対し、幼い子供たちや貧しい人々を守ったからです」とされた教皇は、今日列福されるチュイ氏の模範が「コンゴ民主共和国とアフリカ全土の若者に勇気と希望を与える」ことを願うと述べられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
Athletes bring up the Gifts to the Altar during the closing Mass for the Jubilee of Sport (@Vatican Media)
(2025.6.15 Vatican By Kielce Gussie)
教皇レオ14世は15日、聖ペトロ大聖堂で三位一体の祝日のミサを、「スポーツの聖年」の行事を締めくくる形で捧げられ、数千人のスポーツ選手たちを前にした説教で、三位一体とスポーツの結びつきがいかに「異例」であるかを振り返られ、「人間のあらゆる良い活動は、何らかの形で、神の無限の美を反映するものであり、スポーツは明確にその一つです」と語られた。
そして、スポーツは 「外面的なものだけでなく、何よりも内面的に、他者や他者との関わりを持つようにして挑戦するものであり、私たちが神と出会うのを助けることができます… そうでなければ、スポーツは 『膨れ上がったエゴの空虚な競争』にすぎません」と説かれた。
*スポーツは「与えること」を必要とする
続けて教皇は、「スポーツの試合で観客が選手を応援するときに使うイタリア語は ”dai ”です。このことについて考えてみましょう。スポーツは単に肉体的な達成のためだけのものではなく、個人的な向上のため、競技の支援者のため、愛する人のため、コーチや同僚のため、より多くの人々のため、そして対戦相手のためですらあるのです」と強調。
さらに、聖ヨハネ・パウロ二世はご自分もスポーツ選手だったが、スポーツは、「その純粋な感謝の気持ち、友情の絆を築き、他者との対話と開放を促す能力によって、育まれなければなりません」と述べられた。
*孤独、デジタル、競争社会の中で
教皇はまた、スポーツが人間的、キリスト教的価値観を育む良い方法であることを、「孤独」「デジタル社会」「競争社会」という3つの観点から考察された。
第一に、「私たち 」から 「私 」へと重点が移った現代社会では、「孤独」が圧倒的に目立つ。そのため、他者への関心が薄れている。「しかし、スポーツは、この欠乏に対する解決策を提供するかもしれません」とされた教皇は、スポーツがいかに「協力し、分かち合うことの大切さ」を教えているかを強調され、その結果、スポーツは 「民族間、地域社会、学校、職場、家族内における和解と出会いの重要な手段となり得るのです」と語られた。
第二に、私たちが日々直面し、拡大し続ける「デジタル社会」について、「スポーツは、人々を分断しかねない、このような技術革新の負の影響に対抗するのに役立つ。仮想現実の世界に代わるものを提供し、本物の愛が体験できる自然や実生活との健全な接触を保つ」助けとなります」と指摘された。
そして第三に、現代の「競争社会」と取り上げ、「強い者だけに味方しているように見えますが、スポーツは私たちに”負け方”を教えてくれます。人間の状態の最も深い真実のひとつである『もろさ』『限界』『不完全さ』に私たちを向き合わせます… そして、このような経験を通じて、私たちの心は希望へと開かれていくのです」と説かれた。
さらに、教皇は、「負けたり、ミスを犯したりしないアスリートが存在するということはあり得ません… チャンピオンとは、”完璧に機能する機械”ではなく、転んでも立ち上がる勇気のある、本物の男女です」と語られた。
*生まれながらのチャンピオン人はいない
教皇ヨハネ・パウロ二世だけがスポーツ選手だったわけではない。スポーツは、「個人的な鍛錬として、また福音化の手段として、数多くの現代の聖人の人生において重要な役割を果たしてきた。
教皇は、今年9月7日に列聖されるスポーツ選手の守護聖人、福者ピエル・ジョルジョ・フラッサーティに思いを馳せ、「フラッサーティの生涯は、誰も生まれながらにしてチャンピオンにはなれないし、誰も生まれながらにして聖人にはなれない」ことを示しています」と指摘。「求められるのは、日々の訓練であり、それが最終的なチャンピオンに一歩近づくためのものなのです」と説かれた。
説教の最後に、教皇は、ミサに出席した選手たちに次のような使命を課された— 「自分自身のため、そして兄弟姉妹のために、三位一体の神の愛をすべての活動に反映させること。そして、永遠の命という最高の勝利」に向かって選手たちを導いてくださるマリアに、自分自身を委ねること」。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)