・コンゴで反政府武装勢力が日曜ミサ中のカトリック教会を襲撃、38人死亡ー教皇が深い悲しみ表明

File photo of the aftermath of violence in the DRCFile photo of the aftermath of violence in the DRC  (AFP or licensors)

 

2025年7月29日

☩「冷酷な心を持ち続ける限り、神に『父よ』と呼びかけることはできない」ー教皇、年間第17主日の正午の祈りで

教皇レオ14世 2025年7月27日のお告げの祈り教皇レオ14世 2025年7月27日のお告げの祈り  (@Vatican Media)
(2025.7.27 Vatican News  Francesca Merlo)
 教皇レオ14世は27日、バチカンでの年間第17主日の正午の祈りに先立つ説教で、この日のミサで読まれたルカ福音書の、イエスが「主の祈り」を弟子たちにお教えになる箇所(11章1-13節)を取り上げられた。そして、聖ペトロ広場に集まった信者たちに、「主の祈り」の重要性を改めて思い起こさせ、「主は常に皆さんと共におられます。主の慈しみによって変えられなければなりません」と語られた。
(2025.7.27  バチカン放送)

 教皇の説教の要旨は以下のとおり。

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 今日の福音では、イエスがご自分の弟子たちに「主の祈り」を教える場面が語られます。「主の祈り」は全てのキリスト者を一つにする祈りです。この祈りを通して、主は私たちに、御父に向かって子どものように、単純さ、子としての信頼、大胆さ、「愛されている」確信を持って、「アッバ(お父さん)」と呼びかけるように勧められます(『カトリック教会のカテキズム』2778項参照)。

 『カトリック教会のカテキズム』は、これについて、「主の祈りを通して、御父が私たちに示されると同時に、私たち自身が何者であるかも明らかにされるのです」と述べています(2783項)。天の御父に信頼をもって祈れば祈るほど、私たちは、自分が愛されている子どもであることを発見し、神の愛の偉大さをよりいっそう知ることができるのです(ローマの信徒への手紙8章14-17節参照)。

 また、今日の福音は、神の父性の特徴を、いくつかの印象的なイメージを通して表現しています。それは、真夜中に突然やってきて友人のためにパンを求める人のために、ベッドから起き出して来る人、あるいは、子どもの欲しがる魚、卵を与える父親の姿です。

 これらのイメージは、私たちが神に向かって願う時、神は決して背を向けることがない、ことを思い起させます。それは、私たちが過ちや、機会の喪失、失敗の後で、夜遅くに神の家の扉を叩き、家で眠っている子どもたちを起こすようなことがあったとしても、です( ルカ11章7節参照)。御父は、教会という大きな家族の中で、ご自身のあふれるような慈愛に、私たち一人ひとりを寛大に与らせてくださるのです。

 私たちが主に祈る時、主はいつも耳を傾けてくださいます。時に、主が理解し難いタイミングと方法で応えてくださることがあるとすれば、それは主が私たちの理解を超えた、より偉大な叡智と摂理をもって働かれるためです。ですから、今この時も、信頼をもって祈り続けましょう。そうすれば、主の中に光と力を常に見出すことができるでしょう。

 「主の祈り」を唱えることで、私たちは神の子としての恵みを思い起こすだけでなく、キリストにおける兄弟として互いに愛し合いながら、その賜物にふさわしい者となる努力を表明します。教会のある教父は、それについてこのように記しています。「神を『私たちの父』と呼ぶ時、私たちは子として振る舞う義務を思い起さねばなりません」(カルタゴの聖キプリアヌス、De dominica Oratione, 11)。

 また、別の教父は、このように付け加えています。「冷酷で非人間的な心を持ち続けるなら、あなたがたの御父を、あらゆる善の神と呼ぶことはできません。天の御父の善の刻印はもはや、あなたがたにはないからです」(聖ヨハネ・クリゾストモ、De angusta porta et in Orationem dominicam, 3)。「父よ」と神に祈る一方で、他者に厳しく無関心になることはできません。むしろ、神の御顔を、私たちの顔に鏡のように映し出すために、神の善良さ、忍耐深さ、憐れみによって、自分自身が変えられることが大切です。

 親愛なる兄妹姉妹の皆さん、今日の典礼は、祈りと愛の業を通して、神から愛されていると感じると同時に、神が私たちを愛されるように、私たちもまた、快く応じる態度と、慎重さ、相互の思いやりを持って、損得なしに愛するようにと招いています。御父の御顔の優しさを示すために、この呼びかけに答えることができるよう、聖母マリアに願いましょう。

(編集「カトリック・あい」)

2025年7月28日

☩「戦争に苦しむ世界の人々、特に飢餓に瀕しているガザの人々を速やかに救済するように」—教皇が世界の指導者に訴え

Palestinian baby Zainab Abu Haleeb, dies due to malnutrition, in Khan YounisPalestinian baby Zainab Abu Haleeb, dies due to malnutrition, in Khan Younis
(2025.7.27  Vatican News)

   教皇レオ14世は27日の正午の祈りに続けて、世界の政治指導者たちに、各地で起きている戦争で苦しめられている人々への支援と当事国の対話と和解を速やかに実現するよう求めた。特にガザ地区における人質解放と人道法の完全な尊重を訴え、飢餓に直面する住民たちが速やかに救済されるよう祈られた。

  教皇はまた、タイ・カンボジア国境で起きている軍事衝突の影響を受けている人々、特に子どもたちと避難民の家族のために、シリア南部での暴力の被害者のためにも祈られた。

*ガザの住民は飢餓に押しつぶされ、死の脅威にさらされている

   世界食糧計画(WFP)によると、ガザの約200万人のパレスチナ人のうち少なくとも3分の1が数日間、食事を取っておらず、約50万人が「飢饉のような」状況に直面している ガザ地区の状況については、先週、病院が骨と皮だけの子供たちで埋め尽くされる映像が世界中で流された。教皇は「イスラエルは数か月間、ガザ地区への食料輸送を飢餓ラインを大幅に下回る水準に抑え、その結果、最も脆弱な人々の死亡率が急激に上昇しています」としたうえで、「私は、ガザにおける極めて深刻な人道状況に深い懸念をもって注視しています。住民は飢餓に押しつぶされ、暴力と死の脅威にさらされ続けています」と強い懸念を表明された。

 

 

*神からすべての人に与えられている尊厳を守れ

  そして教皇は、「停戦、人質解放、国際人道法の完全な尊重を心から訴えます。すべての人間は、神ご自身から与えられた内在的な尊厳を有しているのです」と強調。すべての紛争当事者に対し、「人に与えられた尊厳を認識し、それを侵害する一切の行動を停止するように」と強く求められた。また、世界中の政治指導者たちに、「すべての民族のための平和の未来に向けた交渉を促進し、それを妨げる一切のものを拒否するように」と促された。

 最後に、「平和の女王マリアに、何の罪もなく紛争の被害に苦しめられている人々、そして、そのような事態を終わらせる力を持つ指導者たちを委ねます」と祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2025年7月27日

☩教皇「紛争と不平等に苦しむ現代世界、移民・難民は『希望の証人』だ」ー今年の「世界移民・難民の日」は「移民と宣教の聖年」に合わせ10月4,5日に

Fleeing Sudanese seeking refuge in ChadFleeing Sudanese seeking refuge in Chad  (ZOHRA BENSEMRA)

(2025.7.25 Vatican News  Isabella H. de Carvalho)

 教皇レオ14世は25日、カトリック教会の「世界移民・難民の日」に向けたメッセージを発表。「紛争と不平等に苦しむ世界で、移民と難民は、逆境の中における希望と粘り強さの証人、より良い平和な未来を強く願い求めることを通して、重要な証しをしている」と強調された。

 国連の調査によると、2024年末時点で、迫害、紛争、暴力その他を原因として、世界中で約1億2340万人が強制的に故郷を離れることを余儀なくされている。

 「世界移民・難民の日」の目的は、故郷や出身地を離れることを余儀なくされた数百万の人々への支援と連帯を示すよう、信徒に促すことにある。例年は9月24日とされているが、聖年の今年は、10月4日と5日に行われる「移民と宣教の聖年」と同時に行われることになった。

*平和への願いは人類にとって不可欠

 教皇はまた、世界が今、「恐ろしいシナリオと全球的な破壊の可能性に直面している」とされ、「新たな軍拡競争や核兵器を含む新兵器の開発、深刻化する気候変動危機への配慮の欠如、深刻な経済格差の影響によって、現在から将来にかけての課題はますます達成困難になっている。そして、何百万人もの人々が故郷を離れることを余儀なくされています」と指摘された。

 そうした危機の中にあるにもかかわらず、世界中で「特定の共同体や企業の利益」に目を向ける「広範な傾向」が、「責任の分担、多国間協力、共通善の追求、そして世界的な連帯を脅かしています」と警告。こうした流れを食い止めるために、「人々の心の中に、平和とすべての人の尊厳が尊重される未来への願望が高まっていくことが重要。そのような未来は、人類とその他の被造物に対する神の計画に不可欠なのです」と強調。

 さらに、旧約聖書のゼカリヤ書の箇所(8章4‐5、12節)を引用され、キリスト教徒として「主は常にその約束を忠実に果たされることから、私たちは、その完全な実現を信じ、希望するのです」と説かれた。

 

*移民と難民は、その物語を通して希望を証ししている

 教皇は、「移民と難民が、より良い未来への希望を示す重要な役割を果たしています」とされ、カトリック教会にとって、「希望の徳は、神がすべての男性と女性の心に置かれた幸福への渇望に応えるもの」であり、この探求は「移民、難民、避難民の主な動機の一つ」であり、彼らを「希望の使者」であり「特権的な証人」としている、と指摘。「彼らは困難に直面しながらも、神への信頼と忍耐を通じて、完全な人間の発展と幸福が可能な未来を垣間見ながら、この希望を日々示しています」と述べ、聖書に描かれたイスラエルの民の経験と比べ合わされた。

 さらに、「戦争と不正義に覆われた世界において、すべてが失われたように思える時にあっても、彼らの勇気と粘り強さは、目に見えないものを超えた信仰の英雄的な証しであり、現代の移民ルートで死に挑む力を与えています」と讃えられた。

*移民の受け入れの重要性

 同時に教皇は、「移民と難民を受け入れる共同体社会は、神の子供としてのすべての人の尊厳が認められる現在と未来の約束を示すことで、『希望の生きた証人』となることができます。そうして、移民と難民は兄弟姉妹として認められ、才能を表現し、共同体社会の生活に完全に参加できる家族の一員として受け入れられるのです」と説かれた。

*カトリックの移民と難民は教会を活性化させる

 教皇はまた、霊的な次元において、移民と難民が教会に「巡礼的な次元」を思い出させる、と指摘。「教会は、最終的な故郷へと永遠に旅する民であり、神学的な徳である『希望』に支えられていま」として、教会とその信者たちが「天の故郷へと旅する神の民」となるよう促され、「”定住化”の誘惑」を避け、「世俗的なもの」にならないよう、促された。

 そして、この点に関して、教皇は、カトリック信者の移民や難民は、「彼らを受け入れる国々で『希望の宣教師』となり、イエス・キリストのメッセージがまだ届いていない場所に、新しい信仰の道を切り開き、日常生活と共通の価値観の探求に基づく宗教間対話を開始する、という特別な使命を担っている」とされ、「これはまさに『missio migrantium(移民によって遂行される使命)』。、効果的な教会間の協力によって、その使命を果たせるように、十分な準備と継続的な支援を確実に行う必要があります」と強調された。

 さらに、「彼らの霊的な熱意と活力は、硬直化し、重荷に圧迫され、霊的な荒廃が驚くべき速度で進む教会共同体にも、新たな活力を吹き込むことができるでしょう… ですから、彼らの存在は、真の神の祝福、すなわち、教会に新たなエネルギーと希望を与える神の恵みに心を開く機会として、認識され、評価されねばなりません」と訴えられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)¥

 

*英語版公式全文は以下の通り

MESSAGE OF POPE LEO XIV FOR THE 111th WORLD DAY OF MIGRANTS AND REFUGEES 2025 [4-5 Octobre 2025]

 Migrants, missionaries of hope

 Dear Brothers and Sisters!

The 111th World Day of Migrants and Refugees, which my predecessor chose to coincide with the Jubilees of Migrants and of the Missions, offers us an opportunity to reflect on the connections between hope, migration and mission.

The current global context is sadly marked by wars, violence, injustice and extreme weather events, which force millions of people to leave their homelands in search of refuge elsewhere. The widespread tendency to look after the interests of limited communities poses a serious threat to the sharing of responsibility, multilateral cooperation, the pursuit of the common good and global solidarity for the benefit of our entire human family. The prospect of a renewed arms race and the development of new armaments, including nuclear weapons, the lack of consideration for the harmful effects of the ongoing climate crisis, and the impact of profound economic inequalities make the challenges of the present and the future increasingly demanding.

Faced with frightening scenarios and the possibility of global devastation, it is important that there be a growing desire in people’s hearts for a future of peace and of respect for the dignity of all. Such a future is essential to God’s plan for humanity and the rest of creation. This is the messianic future anticipated by the prophets: “Old men and old women shall again sit in the streets of Jerusalem, each with staff in hand because of their great age. And the streets of the city shall be full of boys and girls playing in its streets… For there shall be a sowing of peace; the vine shall yield its fruit, the ground shall give its produce, and the skies shall give their dew” (Zech 8:4-5, 12). This future has already begun, since it was inaugurated by Jesus Christ (cf. Mk 1:15; Lk 17:21), and we believe and hope in its full realization, for the Lord is always faithful to his promises.

The Catechism of the Catholic Church teaches: “The virtue of hope responds to the aspiration to happiness which God has placed in the heart of every man and woman; it takes up the hopes that inspire human activities” (N. 1818). What is more, the search for happiness, and the prospect of finding it beyond one’s place of origin, is certainly one of the main motivations for the movement of people today.

This link between migration and hope is clearly evident in many contemporary experiences of migration. Many migrants, refugees and displaced persons are privileged witnesses of hope. Indeed, they demonstrate this daily through their resilience and trust in God, as they face adversity while seeking a future in which they glimpse that integral human development and happiness are possible. Moreover, we can see the itinerant experience of the people of Israel repeated in their own lives: “O God, when you went out before your people, when you marched through the wilderness, the earth quaked, the heavens poured down rain at the presence of God, the God of Sinai, at the presence of God, the God of Israel. Rain in abundance, O God, you showered abroad; you restored your heritage when it languished; your flock found a dwelling in it; in your goodness, O God, you provided for the needy” (Ps 68:7-10).

In a world darkened by war and injustice, even when all seems lost, migrants and refugees stand as messengers of hope. Their courage and tenacity bear heroic testimony to a faith that sees beyond what our eyes can see and gives them the strength to defy death on the various contemporary migration routes. Here too we can find a clear analogy with the experience of the people of Israel wandering in the desert, who faced every danger while trusting in the Lord’s protection: “he will deliver you from the snare of the fowler and from the deadly pestilence; he will cover you with his pinions, and under his wings you will find refuge; his faithfulness is a shield and buckler. You will not fear the terror of the night, or the arrow that flies by day, or the pestilence that stalks in darkness, or the destruction that wastes at noonday” (Ps 91:3-6).

Migrants and refugees remind the Church of her pilgrim dimension, perpetually journeying towards her final homeland, sustained by a hope that is a theological virtue. Each time the Church gives in to the temptation of “sedentarization” and ceases to be a civitas peregrine, God’s people journeying towards the heavenly homeland (cf. Augustine, De Civitate Dei, Books XIV-XVI), she ceases to be “in the world” and becomes “of the world” (cf. Jn 15:19). This temptation was already present in the early Christian communities, so much so that the Apostle Paul had to remind the Church of Philippi that “our citizenship is in heaven, and it is from there that we are expecting a Savior, the Lord Jesus Christ. He will transform the body of our humiliation that it may be conformed to the body of his glory, by the power that also enables him to make all things subject to himself” (Phil 3:20-21).

In a special way, Catholic migrants and refugees can become missionaries of hope in the countries that welcome them, forging new paths of faith where the message of Jesus Christ has not yet arrived or initiating interreligious dialogue based on everyday life and the search for common values. With their spiritual enthusiasm and vitality, they can help revitalize ecclesial communities that have become rigid and weighed down, where spiritual desertification is advancing at an alarming rate. Their presence, then, should be recognized and appreciated as a true divine blessing, an opportunity to open oneself to the grace of God, who gives new energy and hope to his Church: “Do not neglect to show hospitality to strangers, for by doing that some have entertained angels without knowing it” (Heb 13:2).

The first element of evangelization, as Saint Paul VI emphasized, is that of witness: “All Christians are called to this witness, and in this way they can be real evangelizers. We are thinking especially of the responsibility incumbent on migrants in the country that receives them” (Evangelii Nuntiandi, 21). This is a true missio migrantium, a mission carried out by migrants, for which adequate preparation and ongoing support must be ensured through effective inter-ecclesial cooperation.

At the same time, the communities that welcome them can also be a living witness to hope, one that is understood as the promise of a present and a future where the dignity of all as children of God is recognized. In this way, migrants and refugees are recognized as brothers and sisters, part of a family in which they can express their talents and participate fully in community life.

On this Jubilee, when the Church prays for all migrants and refugees, I wish to entrust all those who are on the journey, as well as those who are working to accompany them, to the maternal protection of the Virgin Mary, comfort of migrants, so that she may keep hope alive in their hearts and sustain them in their commitment to building a world that increasingly resembles the Kingdom of God, the true homeland that awaits us at the end of our journey.
From the Vatican, 25 July 2025 Feast of Saint James, Apostle  LEO PP. XIV

Pope: Migrants are “witnesses of hope” in a devastated world

In his Message for the 111th World Day of Migrants and Refugees, Pope Leo XIV emphasizes the important witness that migrants and refugees offer in a world affected by conflict and inequality in hoping and searching for a better and more peaceful future.

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Pope Leo XIV highlights how migrants and refugees are witnesses of hope and tenacity amidst adversity and calls for a future of peace and respect for human dignity, in his Message for the 111th World Day of Migrants and Refugees, released on Friday, July 25.

This year, rather than being celebrated on September 24 as usual, the World Day will coincide with the Jubilee of Migrants and of Missions, which takes place on October 4 and 5. This annual event encourages the faithful to show support and closeness to the millions of people who are forced to leave their homes and places of origin. According to the United Nations, at the end of 2024, around 123.4 million people were forcibly displaced across the world due to persecution, conflict, violence or other issues.

A desire for peace is essential for humanity

Pope Leo XIV begins his Message underlining how the world is “faced with frightening scenarios and the possibility of global devastation”.

“The prospect of a renewed arms race and the development of new armaments, including nuclear weapons, the lack of consideration for the harmful effects of the ongoing climate crisis, and the impact of profound economic inequalities make the challenges of the present and the future increasingly demanding”, he explained, adding that these issues have forced millions to leave their homelands.

He points out that the “widespread tendency” to look at “the interests of limited communities” poses a threat to sharing “responsibility, multilateral cooperation, the pursuit of the common good and global solidarity”.

For Pope Leo, “it is important there be a growing desire in people’s hearts for a future of peace and of respect for the dignity of all”. He stresses that “such a future is essential to God’s plan for humanity and the rest of creation”, citing passages from the biblical book of Zechariah emphasizing that, as Christians, “we believe and hope in its full realization, for the Lord is always faithful to His promises”.

Migrants and refugees, witnesses of hope through their stories

The Pope explains that migrants and refugees thus have an important role to play in showing hope in a better future. For the Catholic Church, “the virtue of hope responds to the aspiration to happiness which God has placed in the heart of every man and woman”; and this search is “certainly one of the main motivations” for migrants, refugees and displaced persons, making them “messengers” and “privileged witnesses of hope”.

“Indeed, they demonstrate this daily through their resilience and trust in God, as they face adversity while seeking a future in which they glimpse that integral human development and happiness are possible”, he says, comparing the experience of the people of Israel described in the Bible.

“In a world darkened by war and injustice, even when all seems lost”, he stresses, “their courage and tenacity bear heroic testimony to a faith that sees beyond what our eyes can see and gives them the strength to defy death on the various contemporary migration routes”.

The importance of welcoming migrants

At the same time, Pope Leo explains that communities that welcome migrants and refugees can also be “a living witness to hope” as they show “the promise of a present and a future where the dignity of all as children of God is recognized”.

“In this way, migrants and refugees are recognized as brothers and sisters, part of a family in which they can express their talents and participate fully in community life”, he says.

Catholic migrants and refugees can revitalize the Church

On a spiritual level, Pope Leo highlights that migrants and refugees also remind the Church “of her pilgrim dimension, perpetually journeying towards her final homeland, sustained by a hope that is a theological virtue”. He encourages the Church and its members to be “God’s people journeying towards the heavenly homeland” and avoid the “temptation of ‘sedentarization’” and becoming “of the world”.

In this regard, the Pope believes Catholic migrants and refugees have a special mission in becoming “missionaries of hope in the countries that welcome them, forging new paths of faith where the message of Jesus Christ has not yet arrived or initiating interreligious dialogue based on everyday life and the search for common values”.

“This is a true missio migrantium, a mission carried out by migrants, for which adequate preparation and ongoing support must be ensured through effective inter-ecclesial cooperation”, he says.

“With their spiritual enthusiasm and vitality, they can help revitalize ecclesial communities that have become rigid and weighed down, where spiritual desertification is advancing at an alarming rate”, he says. “Their presence, then, should be recognized and appreciated as a true divine blessing, an opportunity to open oneself to the grace of God, who gives new energy and hope to His Church”.

2025年7月26日

☩「国際人道法を完全に守り、住民の強制移住は拒否するように」教皇、アッバス大統領と電話会談

Aftermath of an Israeli strike in Gaza CityAftermath of an Israeli strike in Gaza City 

 

 

2025年7月22日

☩「蛮行の即時停止、紛争の平和的解決に全力を」教皇、イスラエル軍のガザ地区の教会爆撃に

Smoke billows following an Israeli strike on the Gaza StripSmoke billows following an Israeli strike on the Gaza Strip  (AFP or licensors)

 

2025年7月21日

☩「夏こそ、『仕えること』と『耳を傾けること』の価値を実感する絶好の機会」教皇、年間第16主日ミサで

(2025.7.20 Vatican News  Kielce Gussie)

A copy of the image of the ancient Byzantine-style icon of the Madonna della Rotonda
A copy of the image of the ancient Byzantine-style icon of the Madonna della Rotonda   (@Vatican Media)

夏の離宮、カステル・ガンドルフォで休暇中の教皇レオ14世は20日、年間第16主日のミサを隣接するアルバーノ大聖堂で捧げられ、説教の中で神と他者との関係を築く上で不可欠な要素である「もてなし」「奉仕」そして「傾聴」について考察された。

 説教の冒頭で、教皇は5月にアルバーノ大聖堂を訪問する予定を変更せざるを得なかったことに触れ、「ご存知の通り、5月12日に着く予定でしたが、聖霊の計画が変わりました。それでも、ここに来ることができて本当にうれしく思います。兄弟愛とキリスト教の喜びを感じながら、ここにいらっしゃる皆様にご挨拶申し上げます」と冗談を交えて語られた。

 教皇は続けて、ミサの第一朗読と福音を振り返りながら、「これらの箇所は、『もてなし』『奉仕』、そして『傾聴』について深く考えるよう、私たちに呼びかけています」と指摘。

 まず、第一朗読で読まれた創世記の箇所(18章1-10a節)にある、3人の男が「日中の暑さの中」にアブラハムを訪ねる場面に触れられた。

 そして、「家の主人であるアブラハムが、訪問者たちに対して、どのように『もてなし』の心を持って対応したでしょうか」と問いかけられ、彼らの心のこもったもてなし、その愛の行為によって、「午後のその場の静けさが満たされました… 神は二人が待ち望んでいた知らせ、すなわち息子が生まれるという知らせを告げられたのです」とされ、「この出会いは、神がアブラハムとサラの人生に介入するために、どうして、『もてなしの道』を選ばれたかを深く考えさせてくれます」と説かれた。

 続いて教皇は、この日のミサで読まれたルカ福音書の箇所(10章8-15節)を取り上げ、「この箇所は、神の働き方について教えてくれます」とされた。そして、「イエスは、マルタとマリアの家に客として来られましたが、見知らぬ人としてではなく、祝宴の席にいる友人として来られました。姉妹は、客人に対して全く異なる方法で対応します。マルタは『仕えること』で客を迎え、マリアはイエスの足元に座って『話に耳を傾け』ました」と語られた。

 そのうえで、「この二つの態度を互いに相反するものと見なしたり、二人の女性の長所を比較したりするのは誤りです」と指摘。「仕えること」と「耳を傾けること」は、「もてなしの二つの側面なのです… 日々の生活の中でこの二つの側面を生きようと努めるためには、まず神との関係を第一に考え、それぞれの状況に応じて、具体的な行動を通して信仰を実践する必要があります。しかし、これは神の言葉を思い巡らし、聖霊に耳を傾けた後でのみ可能です。そのために、私たちは、気を散らすものを取り除き、沈黙と祈りの時間を捧げ、神に集中し、神が私たちに語りかけてくださる空間を作るようにせねばなりません」と説かれた。

 教皇はさらに、「これは、個人と共同体にとっての価値として、そして現代社会への預言的なしるしとして、今日私たちが特に回復すべきキリスト教生活の一側面です」と指摘。「夏こそが、このことを推し進め、神との関係の美しさを体験し、それがいかに私たちを他者に開かれたものにしてくれるかを実感する絶好の機会となります」と勧められた。そして、夏は、しばしば内省し、他者と過ごすための自由な時間が増えるため、「この機会を有効に活用し、多忙な仕事や心配事の渦から逃れ、平和と内省のひとときを味わい、他者を訪ねるようにしましょう」と呼びかけられた。

 また、夏は、「他者を思いやり、知り、耳を傾ける機会となり得ます。これらはすべて愛の表現であり、私たち皆がそれを必要としているのです… そして、私たちが勇気を持ってこれらのことを実践しようと努めるなら、平和の文化を促進し、周囲の人々が分裂や敵意を乗り越え、個人、民族、宗教間の交わりを築くのを助けることにつながります」と強調。

 「これには努力と犠牲が伴いますが、こうした努力こそが、人生において価値あるものを築くことを可能にします。他者に耳を傾け、奉仕することこそが、他者との真の関係を築き、強める唯一の方法です」と念を押された。

 教皇はミサの最後に、アルバーノのヴィンチェンツォ・ヴィーヴァ司教にカズラを贈呈され、「これは、司教区教会への私たちの親愛の証であり、主の祝福が常にあなたと共にありますようにと願っています。あなたのご奉仕に感謝し、そしてあなたの仲間たちに感謝します」と述べられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2025年7月20日

☩教皇、ネタニヤフ首相と電話会談「ガザ地区で即時停戦を」‐17日の教会爆撃の死者は3人、重軽傷者10人に

A view of the damage to the Holy Family Catholic Church in GazaA view of the damage to the Holy Family Catholic Church in Gaza 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年7月19日

☩「ガザでの戦闘の即時中止を」教皇、イスラエル軍のガザ地区のカトリック教会爆撃、二名死亡、数名重軽傷を受けて

A view of the damage to the Holy Family Church following an Israeli strike on the only Catholic parish in GazaA view of the damage to the Holy Family Church following an Israeli strike on the only Catholic parish in Gaza  (AFP or licensors)

(2025.7.17  Vatican News  Francesca Merlo )

 パレスチナのガザ地区にあるカトリック、聖家族教会が17日午前、イスラエル軍による爆撃を受け、二人が死亡、主任司祭を含む数名が負傷した。爆撃を受けた聖家族教会には、避難民約500人が生活している。

 Cruxが、カトリックの慈善団体「カリタス・エルサレム」の発表として伝えたところによると、死亡したのは、同教会の60歳の清掃員と、教会敷地内のカリタスの避難所で治療を受けていた84歳の女性という。

 教皇レオ14世はこの報を受けて、 犠牲者たちに深い悲しみを表明するとともに、ガザにおける戦闘を直ちに停止するよう、関係の指導者たちに強く求めた。

 教皇は、亡くなった人たちの魂を「全能の神の慈愛に委ね」るとともに、負傷者の回復と悲しむ人々への慰めを祈られた。

 そして、ガザ地区での速やかな和平と停戦を関係指導者たちに呼びかけるとともに、「対話、和解、そして持続可能な平和」への深い希望を表明された。

 ガザ保健省の報告によると、ハマスとイスラエル軍の戦闘が本格化した2023年10月7日以降、6万200人以上(5万8313人はパレスチナ人、1983人はイスラエル人)が死亡した。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年7月17日

☩「平和のために、そして戦争で苦しむ人々のために祈るのを忘れないように」教皇、年間第十五主日の正午の祈りで

Pope Leo XIV greetings the crowds in Castel Gandolfo following the AngelusPope Leo XIV greetings the crowds in Castel Gandolfo following the Angelus  (@Vatican Media)
(2025.7.13 Vatican News   Salvatore Cernuzio)

 教皇レオ14世は13日、夏の教皇離宮、カステル・ガンドルフォでの正午の祈りの終わりに、戦争によって苦しみ、困窮しているすべての人々のために祈ることを忘れないよう、すべての人に求めた。

 また、1900年代初頭に、信仰への憎しみから殺害されたマリスト会の兄弟リカリオン・メイの列福式が12日にバルセロナで行われたことを思い起こされ、この夏の間、子供たちや十代の若者たちの世話をするすべての青少年指導者や教育者に感謝の意を表された。

 正午の祈りに先立つ説教に続けて、教皇は、平和のために祈り、暴力や戦争によって苦しみ、困窮しているすべての人を思い起こすよう、すべての人に呼びかけられたが、これは、この日の朝のミサの説教で、「善きサマリア人」のたとえ話に出てくる重傷を負った人について、暴力と貧困がいかに夢と生活を破壊するかについて語られたのと、呼応するものだった。

 また、12日に列福されたリカリオン・メイは、1909年の民衆蜂起の際、信仰への憎しみから敵対的な状況が生まれる中で殺害されたが、教皇は「彼は最も貧しい人々の間で情熱と勇気をもって教育的使命を生きた 」とされ、彼の証しが 「すべての人、特に教育分野で働く人たちのインスピレーションとなるように 」と祈られた。

 教育に関連しては、夏の数か月を子供たち、若者たちと共に過ごす青少年の指導者や教育者たちに感謝の意を表され、17日から行われるジッフォーニ映画祭を 「重要な取り組み 」として挙げられた。イタリアのサレルノ県で開かれるこの映画祭には、毎年、世界中から子供たちや10代の若者たちが集まる。始まる今年のテーマは 「人間になる 」だ。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2025年7月14日

☩「『死を欺く』のではなく、他者を思いやり『命に仕える』ことで私たちは『平和の職人』となる」教皇、年間第十五主日の正午の祈り

 

2025年7月14日

☩「 ”善きサマリア人”であるキリストに倣おう」教皇、年間第15主日、カステル・ガンドルフォでのミサで

(2025.7.13 Vatican News   Deborah Castellano Lubov )

 教皇レオ14世は13日、年間第15主日のミサを休暇中の離宮、カステル・ガンドルフォで捧げられた。そしてミサ中の説教で、直前に読まれたルカ福音書でキリストが語られた「善きサマリア人」のたとえ話を取り上げ、「私たちは主、善きサマリア人に倣う必要があります」とされ、「神の愛と癒しを経験するとき、私たちが出会う他の人々にも、同じように慰めを与えることができるのです」と念を押された。

Pope Leo presides over Mass at the Parish of St. Thomas of Villanova in Castel Gandolfo

 続けて教皇は「このたとえ話は、憐れみに関するものであり、私たちが他者をどのように見るかが重要なのです… 見て、通り過ぎることもできるし、見て、憐れみの心で感動することもできます」とされた。

 そのうえで、このたとえ話は「私たちを見る神のなさり方について、私たちに語っている… 私たちが、愛と憐れみに満ちた神の目で状況や人々を見る方法を学ぶことができるように、 です」と語られた。

 そして、「善きサマリア人とは、イエスの姿であり、御父が私たちの歴史に遣わされた永遠の御子なのです… ルカ福音書のエルサレムからエリコへと下っていく男のように、人類は死の淵へと下っていく。現代の私たちも、悪、苦しみ、貧困、そして死の謎という暗闇に立ち向かわねばなりません」とされた。

 だが、「神は、そのような私たちと同じ道を歩み、私たちの間に降りてこようとされた。善きサマリア人であるイエスにおいて、神は私たちの傷を癒し、その愛と憐れみのバームを私たちに注ぐために来られたのです」と説かれた。

 教皇はまた、故教皇フランシスコが、神が憐れみと慈しみであることをしばしば指摘され、イエスを 「私たちに対する御父の憐れみ 」と呼ばれたことを思い起された。さらに、聖アウグスティヌスは「イエスが、私たちを助けに来た善きサマリア人として、私たちの隣人として知られることを望んだ 」とされ、「主イエス・キリストは、ご自身が、強盗に殴られ、道端に置き去りにされた半死半生の男を介抱された方であることを、私たちに悟らせてくださいます」と述べられた。

 そして、「このたとえ話がなぜ、私たち一人ひとりにとって、どれほど挑戦的なものか、お分かりになるでしょう… キリストが憐れみ深い神の顔を私たちに見せてくださるのであれば、キリストを信じ、キリストの弟子になることは、私たち自身が変わり、キリストと同じ感情を持てるようになる、ということなのです」と説かれた。

 このことは、「感動する心を持つこと、見る目を持ち、目をそらさないこと、人を助け、その傷を癒す手を持つこと、困っている人の重荷を担う肩を持つことを学ぶこと」を意味すると語られた。

 そして、「善きサマリア人であるキリストが私たちを愛され、気遣ってくださっていることを心の底から理解するなら、私たちも同じように愛するように心を動かされ、キリストのように憐れみ深くなるででしょう… ひとたびキリストによって癒され、愛されれば、私たちもまた、キリストの愛と慈しみの証人となることができるのです 」と強調。

 そのことを念頭に置いて、教皇は 「今日、私たちはこの『愛の革命』を必要としています 」とされ、「今日、エルサレムからエリコに下る道は、罪、苦しみ、貧しさに堕ちていくすべての人々が通る道。心に重くのしかかったり、人生によって傷ついたりするすべての人が通る道、転落し、方向感覚を失い、どん底に落ちるすべての人が通る道、身ぐるみを剥がされ、強奪され、略奪され、専制的な政治体制や貧困を強いる経済の犠牲となり、夢や人生そのものを奪う戦争の犠牲となるすべての民族が通る道、です」と述べた。

 そのうえで教皇は、「私たちは何をすればいいのでしょうか? 瀕死の状態で倒れている人を見て、通り過ぎるのか、それともサマリア人のように、その人に心を開くのか。自分の義務を果たすことだけに満足するのか、それとも、自分の集団の一員であり、自分と同じ考えを持ち、同じ国籍や宗教を持つ者だけを隣人と見なすのか」と問いかけられ、「イエスは、傷ついた人の隣人として行動するサマリア人、外国人、異端者を私たちに示すことによって、このような考え方を覆し、私たちにも同じようにするよう求めておられるのです 」と説かれた。また教皇は、ベネディクト16世が書著『ナザレのイエス』の、善きサマリア人のたとえ話に触れた箇所で、「もし『サマリア人は、私の隣人なのか』という問いが、当時の状況でなされたのなら、答えは明確に『ノー』であっただろう」と指摘した箇所を取り上げられた。

 そして、「外国人であるサマリア人は、自分自身を隣人とし、私が心の奥底で隣人となることを学ばなければならないこと、そして私自身の中にすでに答えがあることを示しています。『私たちは、愛にあふれた人のようにならなければならない、他人の必要によって心が揺さぶられることに心を開いている人のようにならなければならない』と」。

 「傷ついた人の横を通り過ぎることなく見つめ、私たちの生活のペースを止め、他者が誰であろうと、その必要や悩みを抱えていようと、その人の人生が私たちの心に触れるようにすること、それが私たちを互いに隣人とし、真の友愛を生み出し、壁や障壁を取り払うことなのです。最終的に、愛は勝利し、悪や死よりも強力であることを証明するのです」と強調された。

 そして説教の最後に、教皇は、 「善きサマリア人であるキリストに目を向けましょう。今日、キリストの声にもう一度耳を傾けましょう。キリストは私たち一人ひとりに、『行って、同じようにしなさい』と言われるからです」と信者たちに呼びかけられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2025年7月13日

☩「薄らぐことのないキリストの光を、いくつもの”小さな光”を通して全世界に広げて」八つの修道会の会員たちに

教皇レオ14世、8つの修道会の総会参加者と 2025年7月12日 カステルガンドルフォ・教皇宮殿中庭教皇レオ14世、8つの修道会の総会参加者と 2025年7月12日 カステルガンドルフォ・教皇宮殿中庭  (@Vatican Media)

(2025.7.12  バチカン放送)

 教皇レオ14世が12日、夏季休暇を過ごしておられるカステル・ガンドルフォで、八つの修道会の会員たちとお会いになった。

 ミラノ宣教会、マリアの娘エスコラピアス修道女会をはじめとする八つの修道会は、いずれも現在総会を開いている。

 教皇は挨拶で、「皆さんの創立者たちは、聖霊の働きかけに従順に、キリストの体を築き上げるための多様なカリスマを、あなたがたに遺されました」とされ、「皆さんの修道会は、キリストの犠牲と一致した自己奉献、諸民族のもとへの宣教、教会への愛を守り伝える青少年の教育と育成など、神の民全体の生活と行いを完全なものとするための要素を具現化しておられます… それはすなわち、神の人類への愛という、唯一かつ永遠の現実を、カリスマに応じて表現する多様な道です」と語られた。

 また教皇は、各修道会の指針の中でも、本質的に要求されるべきものとして、「真の宣教精神の刷新」「イエス・キリストの思いを自分のものとする」「神に根差す希望を持つ」「聖霊の火を心に生き生きと保つ」「平和を推進する」「現地の教会において司牧の共同責任を育む」などを挙げられた。

 そして、「教会であることの自覚と喜びを新たに、かつ確かにすることができるように」と参加者たちを励まされるとともに、「全人類を一つの大きな家族としてご自身のもとに導くことを望まれる神の救いのご計画を、広い視野において考えるように」との教皇フランシスコの呼びかけを思い起こされ、「この精神と、共に皆さんの修道会が生まれ、これこそが、あらゆる努力を傾けるべき目標です」と表明。「薄らぐことのことのないキリストの光を、いくつもの”小さな光”を通して全世界に広げてください」と願われた。

(編集「カトリック・あい」)

 

 

2025年7月13日

☩「AI(人工知能)を共通善に奉仕させる責任は、開発、管理、監督、そして使用する人々にある」-教皇、「AI for Good」サミットへ

AI for Good Global Summit in GenevaAI for Good Global Summit in Geneva  (ANSA)

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2025年7月12日

☩「長年培ってきた信仰を、家族、人との出会いの中で、愛情をもって伝え、希望のしるしとなろう!」ー7月27日「祖父母と高齢者のための世界祈願日」

年配の巡礼者を祝福する教皇レオ14世年配の巡礼者を祝福する教皇レオ14世  (@Vatican Media)
 教皇レオ14世が10日、27日の「祖父母と高齢者のための世界祈願日」に向けたメッセージを発表された。今年のテーマは「希望を失うことのない人は、幸いだ」( シラ書14章2節参照)

 「祖父母と高齢者のための世界祈願日」は、2021年に教皇フランシスコによって制定され、教会暦中のイエスの祖父母、聖ヨアキムと聖アンナの日(7月26日)に近い7月の第4日曜日に祝われる。日本の教会では、9月の「敬老の日」の前日の日曜日(今年は9月14日)に記念することになっている。

 バチカン報道官室が10日公表したメッセージ全文の仮訳以下の通り。

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2025年第5回祖父母と高齢者のための世界祈願日」のために

希望を失わない人は幸いである(シラ書 14章2節 参照)

 親愛なる兄弟姉妹の皆さん

 私たちが今祝っている聖年は、年齢がどうであれ、希望が喜びの絶え間ない源であることを理解する助けとなります。その希望がまた、長い人生の中で火によって鍛えられたとき、それは深い幸福の源となるのです。

 聖書は、主がその救いの計画の一翼を担うために人生の後半に召された男女の例を数多く示している。年老いたアブラハムとサラは、神が彼らに子を授けると約束されたとき、それを信じることが難しかった。子供がいなかったため、将来への希望が持てなかったようです。

 洗礼者ヨハネ誕生の知らせに対するゼカリヤの反応も同じでした。「私は老人ですし、妻も年を取っています」(ルカ福音書1章18節)。老齢、不妊、肉体の衰えは、明らかにこれらの男女の生命と豊穣への希望を閉ざした。ニコデモが、師から「生まれ変わる」ことについて話しかけられたときにイエスに尋ねた質問も、純粋に修辞的なもののように思われます。「年を取った者が、どうして生まれることができましょう。もう一度、母の胎に入って生まれることができるでしょうか」(ヨハネ福音書3章4節)。しかし、私たちが物事を変えられないと思うときはいつでも、主は救いの力で私たちを驚かせてくださいます。

*希望のしるしとしての高齢者

 聖書では、神は晩年の人々に目を向けることで、ご自身の摂理的配慮を繰り返し示している。アブラハム、サラ、ゼカリヤ、エリザベスだけでなく、すでに80歳になっていたモーセも、民を解放するために召された(出エジプト記7章7節参照)。こうして神は、神の目には高齢は祝福と恵みの時であり、高齢者は神にとって希望の最初の証人であることを教えています。

 アウグスティヌスは、「老年とは何を意味するのか?」と問いかけます。そして、神ご自身がその問いに答えておられる、と語ります―「 私の力があなたがたのうちにとどまるように、あなたがたの力を衰えさせなさい。そうすれば、使徒と同じように、『私が弱ったとき、私は強い』と言うことができる」(Super Ps. 70章11項)と。高齢者の増加は、この歴史の瞬間を正しく解釈するために、私たちが識別するよう求められている時代のしるしです。

 教会と世界の活動は、世代の経過を踏まえて初めて理解できます。高齢者を受け入れることは、人生とは今この瞬間以上のものであり、表面的な出会いやつかの間の人間関係で無駄にすべきではないことを理解する助けとなります。人生は常に私たちを未来へと導いているのです。

 創世記には、年老いたヤコブが孫であるヨセフの息子たちに祝福を与えた感動的なエピソードがあります。彼は、神の約束が成就する時であるとして、希望をもって未来を見つめるよう訴えています(創世記48章8-20節参照)。

 高齢者の弱さが若者の強さを必要とするのは事実ですが、若者の未熟さが知恵をもって未来を築くために高齢者の証しを必要とするのも、また事実です。私たちの祖父母は、信仰と献身、市民としての美徳と社会的コミットメント、記憶力と試練の中での忍耐の模範なのです! 祖父母が希望と愛をもって、私たちに伝えてくれた貴重な遺産は、常に感謝の源となり、忍耐への呼びかけとなります。

*高齢者には祝福がある

 聖書の時代から、聖年は、「解放の時」と理解されてきた。奴隷は解放され、借金は赦され、土地は元の所有者に戻されました。聖年は、神によって定められた社会秩序が回復され、長年にわたって蓄積された不平等や不公正が是正される時でした。イエスはナザレの会堂で、貧しい人に福音を、目の見えない人に視力を、囚人や虐げられている人に自由を告げ知らせました(ルカ福音書4章16-21節参照)。

 この聖年の精神にそって高齢者に目を向けると、私たちは、彼らが解放される、特に孤独や疎外から解放されるのを、助けるよう求められているのを知ります。今年はそのためにふさわしい年です。神の約束への忠実さは、老年期には祝福があること、高齢者がしばしば閉ざされている無関心の壁を打ち破るよう私たちを鼓舞する本物の福音的喜びがあることを教えています。私たちの社会は、世界中どこでも、人生の重要で豊かな部分が疎外され、忘れ去られることに慣れきってしまっています。

 このような状況を踏まえ、教会全体が責任を引き受けることで容易に理解できるような意識の転換が求められています。高齢者を定期的に訪問し、高齢者のために、また高齢者と共に、支援と祈りのネットワークを作り、「自分は忘れられている」と感じている人々に、希望と尊厳を回復させる関係を築くことでもたらされる、感謝と配慮の 「革命 」の主人公となるよう、すべての小教区、協会、教会団体が求められているのです。

 キリスト教的な希望は、常に、私たちに「大胆になるように、大きく考えるように、現状に満足しないように」と促しています。高齢者が受けるべき尊敬と愛情を回復できるような変化のために働くよう、私たちに促しているのです。

 だからこそ教皇フランシスコは、「世界祖父母と高齢者の日」を主に、一人暮らしの高齢者を探す取り組みを通して祝うことを望まれたのです。そのため、この聖年にローマに巡礼に来ることができない人は、「適切な時間、独りでいる高齢者を訪問し… ある意味で、彼らのうちにおられるキリストのもとへ巡礼する(マタイ福音書25章34-36節参照)」(『APOSTOLIC PENITENTIARY』, 『Jubilee Indulgence』, III)ことができます。高齢者を訪問することは、私たちを無関心と孤独から解放してくださるイエスに出会うことです。

*高齢者として、私たちは願うことができる

 シラ書は、希望を失わない者を「幸いな者」と呼んでいます(14章2節参照)。おそらく、特に私たちの人生が長い場合、私たちは未来ではなく、過去に目を向けたくなるかも知れません。しかし、教皇フランシスコが最後の入院中に記されたように、「私たちの身体は弱っていますが、それでも、信仰をもって、希望の輝くしるしとして、愛し、祈り、自らをささげ、互いに寄り添うことを妨げるものは何もありません」2025年3月16日の正午の祈りの説教)。私たちには、どんな困難も奪うことのできない自由があります。それは、「愛する自由」であり、「祈る自由」です。

 愛する人への愛情—人生の大半を共に過ごした妻や夫への愛情、子どもへの愛情、日々を明るく照らしてくれる孫への愛情—は、私たちの力が衰えても、衰えることはありません。彼らの愛情が、私たちの活力をよみがえらせ、希望と安らぎをもたらしてくれることも多いのです。

 神ご自身にルーツを持つ、これらの生きた愛のしるしは、私たちに勇気を与え、「たとえ外側の自分が衰えていくとしても、内なる自分は日々新たにされていく」(コリントの信徒への手紙2・4章16節)ことを思い出させてくれます。特に私たちが年を重ねる中で、主を信じて前進しましょう。祈りと聖ミサにおける主との出会いによって、日々新たにされましょう。

 私たちが長年培ってきた信仰を、家族の中で、また日々の人との出会いの中で、愛情をもって伝えていきましょう。常に神の慈しみを賛美し、愛する人たちとの一致を培い、遠くにいる人たち、とりわけ、困っているすべての人たちに心を開くことができるように。そうすることによって、私たちは年齢にかかわらず、希望のしるしとなるのです。

2025年6月26日、バチカンより 教皇レオ14世

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二=聖書の日本語訳は「聖書協会・共同訳」を使用)

2025年7月11日