アーカイブ
・映画がカトリックを広める ③モーセの「十戒」、「サウンドオブ・ミュージック」、そして「天使にラブソングを」
映画「十戒」といえば、名優チャールトン・ヘストンがモーセ役を演じている1956年版が有名である。映画では、旧約聖書の7つの物語、アダムとイブ、ソドムとゴモラ、ノアの箱舟、モーセの出エジプトなどの物語を、聖書の記述通りに正確に再現されている。中でも、エジプトを出たモーセとイスラエルの民を追いかけるエジプト軍の前に出現した、真っ二つに割れた海。そこを歩いて渡りきった彼らの前で、後を追うエジプト軍が、もとに戻った海に巻き込まれて全滅するシーンが、ことのほか有名である。
ところで、このような物語は単なる作り話なのだろうか。「単なる作り話ではない」と言うのは、大学受験で有名な故竹内均氏である。著書「地球物理学者竹内均の旧約聖書」(同文書院、1988年)では、紀元前1400年頃の地中海で起こったサントリニ島の火山大爆発による島の陥没、カルデラの生成などにより、実際に海が真っ二つに割れた事件が、モーセの出エジプトに記されている、と主張しておられる。
その他の物語も、実際に起こった事件が旧約聖書の物語に反映されている、という。日本の神話も、単なる物語ではなく、実際に起こった国誕生の事件が神話に反映している、というのが、もはや定説のようになっている。それはともかく、「十戒」を見れば、西洋人が話題にする聖書の物語が一通り理解できるので、教養として鑑賞してはどうだろう。
聖書物語などキリスト教そのものを表現した作品ではないが、カトリック精神が充満している映画としては、「サウンドオブ・ミュージック」をお勧めしたい。
ジュリー・アンドリュース扮する修道女が、見渡す限りの山の草原で歌い上げる、まさに、今でいえばドローンで撮ったような雄大な冒頭のシーンが有名だ。実は彼女は、毎回祈りの時間に遅れ、院長から「あなたは修道女に向いていない」と諭されていた。歌っているところではなかったのだ。
そうして7人の子供を持つ大佐一家に家庭教師として赴任する中での、恋あり、一家を捕らえようとするナチからの逃走劇ありの、実話に基づいた映画である。楽しい映画で、見たことがない人は是非鑑賞を勧めたい。実はこの映画の続編があって、ナチの追跡から辛うじてアメリカに逃れたトラップ一家がいかにしてアメリカで有名な家庭コーラスになっていくかが演じられている。
「天使にラブソングを」もいい。ギャングに追われた女性主人公の逃亡先の修道院の、あまりにも音程の酷いコーラスを立派に育て上げていく物語で、大ヒットし、続編が何編か作られている。
(横浜教区信徒 森川海守 ホームページ:https://www.morikawa12.com)
・神様からの贈り物 ⑬神様の子どもである喜びを、ろうそくの火を分けるように広げたい
今から10年ほど前、初めての本を出版した。私は嬉しくて舞い上がっていた。著名な方々も含め、たくさんの人たちに献本として拙著を送付してしまった。ある日、受け取らなかった旨のスタンプが押されて返送されたものがあり、はっとした。相手方に、献本を受けているかを確認しなかった、と気づいた。対応は温かいものが多く、とても嬉しかったが、献本を辞退されたのは残念、というのも正直な気持ちだった。
そんな中、出版社から私のもとにメールである連絡が入った。「三品さんにお手紙が届いています。教会関係の方でしょうか」と言われ、不思議に思った。「誰だろう?知っている人なら、直接私に言ってくるはずだし…」と考えたからだった。
後日、自宅に転送された葉書の送り主を見て驚いた。『置かれた場所で咲きなさい』の著者であるシスター渡辺和子からだった。「たしかに受けとりました」という言葉とともに、学生たちのために必ず役立てること、そして神のご加護がありますように、というメッセージが自筆で書かれていた。会ったこともない私に、このようなお返事をくださるとは、夢にも思っていなかったので、とても驚いた。感動と嬉しさで胸がいっぱいになった。
もう一人、私の献本に丁寧なお返事をくださった方がいる。そのH神父は、感想も添えてくれた。私がいちばん伝えたかった「病気は神様からのお恵みだったと気づいた」という一文に注目してくださり、心が喜びで満ちあふれた。「どうぞミサにいらしてください」と、目の前にいる人に語りかけるような言葉に感動した。だが、ミサへ行く勇気が出ず、そのままにしていたら、H神父が他教会に異動されたことを知った。
このような方々にとって、私は無名の一般人だ。突然の献本に驚いただろう。この経験を通して、一人ひとりを神様の子どもとして大切にしてもらう喜びを感じた。これからも、この喜びを、ろうそくの火を分けるように、たくさんの人に広げたい。
(東京教区信徒・三品麻衣)
・“シノドスの道”に思う⑭ドイツの視点から・8「バチカンに抗して一般信徒を巻き込み真剣に前進しようとしているが、日本の教会は?
前回、ドイツの「カトリックの日」は信徒主催・主体の祭典であること、ドイツという国が民主主義国になるために、カトリック市民が大きく貢献したことを述べました。「民主主義とキリスト者であることは一緒にやっていける」というZdK議長の言葉も紹介しました。
ところで教皇フランシスコの言葉「今日の民主主義は不健全です。キリスト者はもっと政治に参加して健全化に寄与すべき」(カトリック新聞7月28日付)。教会の健全化のためにも、信徒がもっと教会運営に参加できるよう、バチカンも民主化に向けて努力すべきでは、と筆者は思います。今回紹介することもそれに関係します。以下、4月頃からのドイツの司教協議会と信徒団体、そしてバチカンとのやり取りを紹介します。
*司教協議会常任委員会と信徒団体の間の信頼関係は・・
4月末にドイツ司教協議会(DBK)の常任委員会と一般信徒団体である聖ゲオルグ・スカウト協会の間でトラブルが発生しました。スカウト協会は、規定としてDBKの承認を得た補助司祭(霊的指導のため)が必要なのですが、DBKがその候補者を拒否してしまったため、司教たちと諸信徒団体の信頼関係が損ないかねない事態となり、シノドス委員会にも影響を与えることになったようです。
シノドス委員会は、ドイツ・カトリック者中央委員会(ZdK)と司教たちが共同でドイツのカトリック教会の今後のことを共に協議し決めていこうとするものです。しかし、今回の司教たちの「拒否」は、諸信徒団体の批判的な行動に対するリアクションだという判断を、ZdKは下しているのです。
*ZdKの司教たちに向けた疑問と批判
上記の事態に直面して、ZdKは次のように批判しています。
①上記のような決定をDBKの常任委員会がしたことは、シノドス委員会における建設的で信頼関係の中でなされるべき協働に著しく異議を唱えるものである。カトリック教会やその組織、その指導者たちと教えのレベルに向けられる批判的疑問は、シノドス委員会で議論の対象となるべきである。教会信徒団体の批判的行動を通してのみ、カトリック教会は自らを根本的に改革しようとするのだから、このような議論を恐れてはならない。
②常任委員会が先の決定をしたことで、司教たちは「シノドスの道」が決定したことをどれだけ尊重しているのだろうか。それらを自分たちに課せられたものとして受け止めているのだろう
か、疑わしい。それら決定事項を司教たちが具体的な行動に限られた範囲でのみ実行するのではないか、あるいは実行の妨害すらするのではないかと危惧される。
③それゆえ、DBKは信徒の間で失った信頼の回復をする責任がある。
以上に加え、幾つかの質問を二回目のシノドス委員会で真っ先に司教たちに付きつけました―スカウト協会の補助司祭の候補者を司教たちが拒否したことに見られる透明性と説明責任を欠いたやり方を続けるつもりなら、どうして「シノドスの道」で信頼関係の中で共働できるのか? 司教たちは「シノドスの道」の諸決定をどのように、またいつ自分たちの教区で実行するつもりなのか?司教たちはシノドス委員会にどのように貢献してくれるのか? 司教たちはバチカンの保留や反対にどう対処するつもりなのか?―などです。このように、透明性と説明責任を求めて信徒団体が司教たちに発言できるのは素晴らしい、と思います。日本の教会ではどうでしょう?
*シノドス委員会を昨年11月、今年6月に開催
シノドス委員会の初会合は昨年11月にエッセンで開かれましたが、マインツでの二回目の会合は64名の参加者で開かれれました。「『シノダル(共働的)な教会』であるとは、どういう意味か?」という問いがテーマとなり、最終的に3つのコミッション(委員会)を作ることが決まりました。
一つ目の委員会は、「構造的原理としてのシノダリティとは何か」を深めること、そしてシノドス評議会のあり得る規律・規則を議論すること、が仕事です。
二つ目の委員会は、これまでのドイツの教会の「シノドスの道」での諸決定が実行されているかの評価と監視。
三つ目の第三委員会は、ドイツの教会の「シノドスの道」を今後発展させるためにどう導いていくか、を考えるのが仕事です。
DBKのベッティングは「具体的な変化を見えるようにすることが重要だ。現地の教会の行動が変化していることを人々は見ることができなければならない」と。ZdK議長も「我々の教会における構造的な変化への責任を我々は持たなければならない」と前向きです。
*6月に開かれた司教たちとバチカンの担当者との会談の中身は
教皇フランシスコの意向に従って、ドイツ司教団の代表とバチカンの代表それぞれ6名が、丸一日の会議をしました。以下、聖座とドイツ司教協議会の共同声明を紹介します。
両者の会談は2022年11月のアドリミナの時に始まり、2023年7月に意見交換がなされ、2024年3月22日になされたことの続きとして、前もって予定されていたことでした。日本のカトリック新聞(7月21日付)が書いている「ドイツ司教団の代表はバチカンに呼び出され」ではありません。この会談は先回の合意(取り決め)に基づいてなされ、ドイツの教会におけるシノダリティの実践を具体的にどう形作っていくかについて、第二バチカン公会議の教会論と教会法の規定と世界シノドスの成果と一致させながら考えるという内容でした。具体的には以下の通りです。
【ドイツのシノドス委員会についての報告】
この会議ではまず、6月15日のシノドス委員会での協議内容がドイツ側から報告されました。全国的なシノダルな団体を法的にも可能なものとして設立するための神学的基盤と可能性について、
また司教職の行使と全信徒の共同責任の促進との関係について、シノダリティをどう具体化できるかという観点から議論されたことをバチカン側に伝えました。効果的な福音化に向けてシノダリティの実践へ向けて進んでいることを分かち合ったのです。
【バチカンの介入】
次に、シノドス委員会Ausschussによって設立される委員会Kommissionはシノダリティをどう考えるかという問題と、「シノドス審議会Gremiun)」の仕組みをどうするか、という問題に取り組むことになりました。そしてこの「シノドス審議会」の構想については、先の委員会が「権限を持つバチカン省庁の代表者によって構成される委員会Kommission」とコンタクトを取りながら、なされることになりました。つまり、ドイツ側の委員会とバチカン側の委員会が共同で「シノドス審議会」を考えていく、というのです。
ここで振り返ってみますと、シノドス委員会とは、2026年までにシノドス評議会Ratを設立するための一時的な作業集団でした。シノドス評議会とは司教協議会と信徒団体ZdKから選ばれた人たちがドイツの教会の全国的な方向・運営を考えていくものとして構想されていました。司教と信徒団体の共同統治を目指していたのです。
ところが、今回のバチカンとの会談後の共同声明では、明言はしていませんが、明らかにバチカン側の要求でしょう、今後のドイツのあり方に「バチカン側の委員会Kommissionも一緒になって協議していく」ということです。従って、これまでドイツ側が構想していたシノドス評議会Ratと、今後進められていくシノドス審議会Gremiumとは、違ったものになると思われます。
【バチカンは2つの変更を求めてきた】
バチカンは2つの変更を求めてきました。一つは名称の変更です。先ほど述べたように、シノドス評議会Ratはシノドス審議会Gremiumに変更されました。ただし、正式名称はまだ決まってはいません。もう一つはこのシノドス審議会の地位は、「司教協議会の上でも同等でもない」ということです。シノダリティ(共働性)は、司教たちの下で構想・実践されていくということでしょう。「信徒と司教の共同統治は許さない」という形。しかも上述したようにドイツ側の委員会とバチカン側の委員会の二つが「共同で協議し、構想していく」ということです。
特に名称変更は実質の大きな変更です。恐らく、ドイツ側の委員会に司教と信徒たち、すなわちZdKの代表やシノドス集会から選ばれた人がメンバーとなるだろうと思われます。ドイツの「シノドスの道」は大きな転換を迫られることになった、と言えるでしょう。
*似たようなことはフランスでも起きている
実は、バチカンはこれに近いことをフランスの司教団にも要求したようです。カトリックメディア「ザ・ピラー」3月23日付けによると、フランスの司教協議会が昨年11月、バチカンに新しい司教協議会の規約を提出し承認するよう求めたところ、「司教協議会の新規の仕組みにおいては、司教の団体的責任をもっと明白に強調するように」と指示された、ということです。そして、「バチカンはドイツが司教と信徒の共同の審議団体を作ろうとしている計画を念頭に置いて、このような要求をしてきた。バチカンは司教の責任性が曖昧にされるのを恐れている」と解説しています。
*バチカンに送られたドイツ司教団の報告書と日本の司教団の報告書との違いは
このコラム「シノドスの道に思う➉」で申し上げたように、世界代表司教会議(シノドス)第16回通常総会・第一会期の総括文書がバチカンの事務局から出された後、ドイツ司教協議会は、国内の各司教区とカトリック諸団体に3月末日までに「省察報告書」を提出するよう求め、それを要約した文書をバチカンのシノドス事務局に5月22日付で送りました。
それによると、各教区が具体的に信徒を巻き込んでシノダル(共働的)な動き、つまり全員参加を求めて対話をし、互いの意見を聞き、シノダルな仕組みや委員会の設置などが進んだ。そうした中で「神は教会に何をするように求めているのか」という問いを草の根レベルで意識するようになった、としています。
またこのコラム「シノドスの道に思う⑨」で紹介したビュルツブルク共同シノドス(多くの信徒や修道者も参加して、共同責任で審議していこうとした画期的な教会会議)の精神を思い出しながら、皆が参加する構造を作る努力や、場合によっては共同審議だけでなく決定も共同でするなど、具体的な取り組みを進めています。
ある司教区では「教区協議会は(司教、司祭、修道者、一般信徒)全員が意見を出せるように民主的でオープンかつ公平な雰囲気」でなされ。「聖霊における会話」という手法も使いながら、教区の中の困難な問題をどう解決していくかについて、具体的な話し合いを進めている、ということです。また、別の教区では「いわゆる同意メソッド」で、一つの解決策だけを取り上げるのではなく「反対するのも自由」のやり方で、深刻な意見対立も最終的に一致をみるような努力をしている、といいます。
それに対して、日本の教会はどうでしょう。報告書「シノドス的教会を目指して日本のカトリック教会の挑戦」が出されましたが、具体的な”実績”と言えるのは、”シノドスの道”を歩む方法にすぎない「霊における会話」を一部の人が”実践”したことだけのように読み取れます。定義もはっきりしない「霊における対話」のほかは、どうなっているのでしょうか。「透明性」も「説明責任」を果たすことから程遠く、「挑戦」という言葉だけが空しく響きます。
*ドイツ司教協議会www.dbk.de ドイツカトリック者中央委員会www.zdk.de 聖ゲオルグ・スカウト協会 https://dpsg.de/en/die-dpsg カトリック系メディア The pillar
(西方の一司祭)
(読者投稿)「さっぱりの日本のシノドスの道」に同感、教皇が提唱する「互いに耳を傾け、理解し、共に働く」共同体を取り戻そう
読者投稿の「さっぱりの日本のシノドスの道」に同感です。第二バチカン公会議の「世界に開かれた、共に歩む教会」の精神を受けて、約30年前に日本の教会が取り組んだ「NIC
私の教区でも数か月前、司教と司祭たちによる「霊における対話」
司教と司祭のみの
私は自分の小教区共同体でも、10年前と比べて「シノダリティ(共働性)」が低下し
教区の号令を待っていては、いつになるか分かりません。「
テーマをしっかり決めて逸脱しな
森司教の「
(2024.7.5 東の教区の信徒、匿名希望)
・Chris Kyogetuの宗教と文学⑮ 洗礼を受ける前、私は夢で「10人のおとめ」の1人になった
2014年の8月に私は洗礼を受けたが、その前にある夢を見た。
眠る前に、新約聖書のマタイによる福音書の25章にある「10人のおとめ」のたとえを読んでいた。その時は、集中力がなかったのか、表面だけをなぞったようで、おそらく話の内容を把握できなかった。登場人物ですらどうだったのか、 眠気もあったので頭に入っていないなと思ったし、 そういうことは誰にでもあるとは思う。ただ何気なく読んで、本を閉じた。 おそらくこれが現代文のテストであったのなら致命的だったかもしれ ない。それぐらい分かっていなかった。明日、読み直そうとも思わなかった。特にそんなことも考えず、 ポストイットに「マタイの25章」 と最後に読んだ箇所だけを書き残して机に貼って、 そのまま本を閉じて眠りについた。
気がつくと、身体が重たいような感覚があったが、 夢の中で、眠っていたのを起こされていて、 一人の男の人に日本語かどうか、 どこの国かもわからない言語で、腕を掴まれながら「持っているか、持っていないか」と問われた。 自分の持っていたランプが消え掛かっているので、 持っていない気もしたけれども、ここに来る前に、家に油を取りに帰って持ってきた記憶があった。一緒にいた隣の女性はそれを笑ったが、だんだんと、 私は持っていたような気がするとも思うようになっていて、「 持っている」と答えた。
そうしたら本当に、私は油を持っていて、ランプに灯りをつけた。 その瞬間の麦畑のような、 夜空の下で明かりが灯る瞬間だけ、今でも記憶している。 もう10年も経った事なので、その記憶に補正がかかっているのかも知れないが、 夜空が不気味なようで、でも、灯りがついた瞬間に「命拾いをした」 という安堵感があった。
「お前も入れ」 と言われて、他の賢いおとめたちと、花婿と一緒に、私は祝宴の会場に入った。すると、 後ろで油を分けてもらえなかった愚かなおとめたちが数人、 門から入れずに「影」となった。それで、夢の中で思った。「あぁ、いつも油を持っていないと いざという時に助からないんだな」と。助かった高揚感と、 そして残された「影」が気になって、胸が痛くなった。
起きてみて、それが不思議な夢だったのだ、とは思ったものの、 すぐに日常に溶けていった。そしてまた聖書を読む時間になり、 ポストイットに書き残した箇所を見て、それが昨晩、寝る前に読んだ聖書の「10人のおとめ」のたとえ だ、ということに気づいた。しかし、あの時、眠る前は、一切、 話なんか分かっていなかったはずだった。でも、 再度読んでみると、ほとんど、夢の通りだったのだ。 理解がより深まったはずなのに、 それから夢に出てくることはない。
夢というものはその出てきた他者と繋がっているはずがない。たとえ、それが現実の記憶に沿っていて事実であったとしても、 夢とは「他者と共に時間を過ごした」というわけではなく、私の「 印象」だけが見せる物語だ。
意識では把握できないもの、無意識は、本当にあるのか。 それは心理学でも学派によって否定もされたりもするが、 もしもこれが無意識でなければ、説明がつかないと思う。 そして神秘体験はさらに深いところにある。一時期は、 その経験から旧約聖書の創世記ではファラオの夢を解いたヨセフや 、夢解きののダニエルが出てくるダニエル書があるのに、 新約聖書には何故、イエスが来るようになって夢解きがいなくなったのか、という持論を 純粋に語った時期もあった。
しかし、思い返せば、 共感はさほどされず、それすらも若さに思えるように、 もっとそういった「不思議」 だけでは生きられないのもまたキリスト教だと知った十年間だった 。語ることすらも、馬鹿らしい日もあった。
それでもこの夢の記憶が尾をひいていて、「神秘」 の可能性だけは残していた。「奇跡」を体験した、 それだけでは伝道にならないということを知っていく十年だった。 私の喜びと、そして、そんな夢を見たのに「幸福」とも言えなかった時と、そして今だから、 やはり「確かなものがある」と思えることがある。奇跡は、 語れる機会も重要であって、この話は温存しておくとしている。
重要なのは、日々の生活の中で取り組むべき実践は、 イエスが人々の元へ渡り歩いた労苦であり、 イエスの教えの実践である。「父と子はお互いを純粋に与え合い、 純粋に引き渡し合う運動です。この運動において、両者は豊であり、 その結実は両者の一致であり、それは完全に一つです」 とベネディクト16世教皇が三位一体をそのように語り、「 三位一体の神秘はこの世にあっては、十字架の神秘に翻訳されなければならない」とした。
だが、この美しさは、苦しみもある、ということだ。 豊さゆえに現れる聖霊というのは、 人間の喜びだけではない、ということも常にある。神秘を語りたい、 どこか聖書の話をできる人はいないか、と探す信者は多いと思うが 、いたらいたで、楽しさだけでは成り立たないのは、 相手に壁があるからではなく、 三位一体そのものを共感することは非常に困難だからである。
経験したことが各々の「夢」でしかないように、「他者」 へと繋がりを持つことは、簡単な面もあるが、 深くなることは容易ではない。宗教の語り合いについて、 私は苦しみも引き渡し合うことだと思うので、 最近はあまり求めなくなった。 人の不幸を安易に聞くことは怖いことだ。
信仰を理解し合うこと、それをどこまでできるのか、 簡単にはできないことぐらい分かっている。それが正常な判断だと思 う。生い立ちも、運命も違う人同士の中で、 それらを語るのは苦しいこともある。 自分の想像以上の不幸をいかに一致させられるのか、 それは苦しいことではないだろうか。
安易に、「言葉」 一つで救えることはない。 一つの姿勢が救う一歩になるのかもしれないが、 常にそれらの可能性は不透明だ。 イエスが人助けをすることについて、心地よさだけで語ることには「嘘」がある。 自分の苦しさだけを語ることは驕りでもある。現実は、 他人の奇跡なんかでは救われない。 お互いの貧しさと貧しさの一致は、非常に苦しいものがある。 しかし、各々は,「おとめ」のように眠っているようで、 常に信仰は生きている。だからこそ、常に燃料がいる。 名も知られていないおとめと花婿、一緒に祝宴に入れる(マタイ25章10節)のか、その日まで、分からない。
あの夢を十年前は「良い夢だった」と言っていたが、今年同じく「 良い夢だった」と思うことは抱いている心が違う。そしてまた十年後、「良い夢だった」と言ってる時には、 どんな自分になっているのかは想像できない。
(Chris Kyogetu)
・愛ある船旅への幻想曲(41)”遺産”を大切にしないカトリック教会…そして正教会のミサで体験したこと
私は今、戦前の教会聖堂についての情報を、信者でない方から頼まれて、集めている。そこで、驚いたことがあった。今の聖堂とは全く違う、繊細な作業 が施された祭壇と壁画だ。
教会創立100周年記念誌を準備作成した 時にも、この写真は見ていない。私たちの小教区を担当してきた各宣教会に問い合わせたが、この写 真はどこにも保管されていない。 親が当時の信徒だったと思われる三組の家族にも問い合わせたが、期待した答えはなかった。「仕方ない」と諦めねばならないのか。
過去 の教会について、語り継ぐ作業ができてないこと、 歴史を尊ぶ司祭が居なかった、ということか。「教会とは何か」、さらなる問題である。
資料集めのために、聖ハリストス正教会を訪ねた。 同級生のお父様がこの地での正教会設立に尽力されたこと、 その時まで正教会の信者はカトリック教会で共にミサに与っていた こと、を聞いていたことから、「もしかしたら、、」 と思ったからだ。
また、 彼女のご主人が、この丸いドームのビザンチン様式の聖堂を設計 された、と聞いていたので、一度訪問したいと思っていた。 せっかくならば、と日曜日のミサに与らせていただいた。以前、サンクトペテルブルクに留学していた長女の卒業式に出席した時、ロシア正教の ミサも行われ、司祭方の祈祷する歌声はプロ級のテノール、 バリトン、バスで構成された男性三部合唱となり、 荘厳で美しいミサを今も覚えている。日本でのミサは、 どのような流れなのかと興味津々であった。
信徒は少なかったが、 司祭はよく通る声で祈りを唱え続け、 補佐する一人の青年との歌声は聖堂に響きわたり、 終始立ったままの信徒も、答唱を続ける。 有名画家のイコンとゆらゆら揺れる蝋燭の火が祈りを深めてくれる 。私は、聖歌本やミサ祈祷小冊子のページの確認に必死であった。 このようなテンポの速い、忙しい?ミサに与る信者方の忍耐、 身に付いた祈りの姿勢、何よりも、 司祭の前で跪き涙するロシア人女性の姿は、私に信仰の意味を改めて 認識させた。彼女に終始、笑顔はない。
いよいよ司祭の説教である。 今までとは違い、穏やかな口調で始まった。 気負いのない説教の中で「今日は、 カトリック教会の方々も来て下さり…」と、 共に祈る喜びを笑顔で述べられ、 自然体でありながらも抑揚をつけた清々しい説教は、私にとって新鮮 であった。日本人司祭の全く普通の感覚、正直な対応から「人間であ る司祭」を見た。そこに「人間イエス」を感じた。そして、初めてエキュ メニズムの意味と必要性を私は受け入れたのである。 身を持って経験せねば正しく理解する事も語る事もできないことを、 神は私に教えてくださる… それを実感した。
洗礼を受けていない中学一年生の男の子から「イエス・キリストって本当に生きていたの?」と聞かれた。即、「あなたにとってイエス・キリストはどんな人?」と聞き返した。彼は「“たまたま”預言が当たった人」と答えた。“たまたま”当たった預言を周りの人が“たまたま”広めたと言うのだ。実に面白い。彼にとって全て“たまたま”なのだ。
社会の教科書で学ぶ各宗教への素直な疑問と感想を子供たちが持っていることを、私たちは知らねばならない。今の子供たちには、とんでもない知識があり 、並大抵の知識では太刀打ちできない。一神教であるキリスト教に も教義の違う教派があること「なぜ?」と問う、 小さな種をどう育てるのか。カナダ人の彼の母親は無宗教である。
日本人に(勘違いの) プライドだけのカトリック信者がおられることは重々承知している。問題のある 教会の動きにも見て見ぬふりをし、とにかく自分の楽園を教会に求め るだけの信者生活…。このような信者を”育てた”ことについて、一番反省せねばならないのは聖職者だと私は思っているのだが。
平日は、サラリーマンをしている(彼の言葉から) という正教会の司祭との出会いを、心から神に感謝した。私は、前任の司祭だった彼のお父様のことは存じていた。 こちらのカトリック教会創立100周年の式典にも喜んで参加して 下さった。「父が残した6箱の写真整理がまだできていなくて…」と現 司祭は言う。そのダンボール箱が“宝箱” であって欲しい、と願う私である。
(西の憂うるパヴァーヌ)
・カトリック精神を広める⑧ 映画がカトリックを広める・その2「クォ・ヴァディス」
映画「クォ・ヴァディス」。ポーランドのノーベル文学賞作家、ヘンリク・シェンキェヴィチの同名小説を、壮大なスケールで描いた、今から70年前、1951年初上映の映画だ。ロバート・テイラー、デボラ・カー、ピーター・ユスチノフなど当時のハリウッドの人気俳優が多数出演しており、年配の方の中には、ご覧になった方も少なくないだろう。
「クォ・ヴァディス」はラテン語で「主よ!いずこに行き給うや」という意味だ。キリストがこの世を去り、残された弟子達が、当時の世界の中心であったローマにキリスト教を広めていく中で、暴君ネロにより迫害を被った。ネロが放った放火が、ローマの大火事となり、火事の責任をキリスト教徒に押し付けて、迫害されていく…。そのような中で、ローマの将軍とキリスト教徒の女性奴隷との恋愛をからめ、初期のキリスト教がどのようにして広まっていったのかが、この映画を通じて理解できる。
地下の共同墓地(カタコンベと言い、ローマ観光旅行の定番見学地となっている)で、キリスト教徒の秘密の集会が行われた場面が出てきたり、ローマのコロッセオで、どう猛な野獣とキリスト教徒の戦いが、ローマ市民の見世物になっていたりと、ローマ時代の様子を直に視覚的に理解できる映画にもなっている。カタコンベでの集会では、新約聖書に出てくる聖ペトロによるキリストご受難についての有名な演説が見ものである。
映画のタイトル「クォ・ヴァディス」は、大迫害の中、ペトロがローマから逃げていく途中で、キリストに出会う。その時、彼がキリストに発した言葉だ。この問いにキリストは、「おまえが行かないので、私は再度、十字架にかかりにローマに行く」と答え、それを聞いてペトロは、はっと我に返り、踵を返し、十字架の刑を受けにローマに赴く、というのが映画のストーリーになっている。いずれにしても、聖書には記述のない、シェンキェヴィチの創作ではあるが、私にとって、是非とも世の子供たちに見せたい映画の一つになっている。
(この映画のブルーレイディスクは、JR四谷駅真向いの「サンパウロ」で購入できる。)
横浜教区信徒 森川海守(ホームページ:https://www.morikawa12.com)
・神様からの贈り物⑫ 「広島での祈り」と「先生の母上のための祈り」-修学旅行で体験した2つの祈り
京都、奈良、広島への修学旅行。高校での一大イベントで、準備の段階から楽しんでいた。私のグループでは、日本史の授業で習ったばかりの神社仏閣をめぐる計画を立て、教科書の写真と実物を見比べながら参拝したのが、とても楽しかった。
修学旅行の行事として毎年、「広島での祈り」が必ず入っていた。原爆ドームを訪れ、平和祈念公園にて、クラスごとの『祈りの集い』をもち、その後に原爆の被爆者である語り部さんのお話を聞くのが恒例だった。私が修学旅行へ行ったのは、ちょうど、語り部さんたちが活動をやめてしまった年だったが、先生方が重ねてお願いをしてくださり、お話を聞くことができた。語りは冷静に淡々と進んだが、祈りは熱く強く、「決して繰り返さない」という思いで満ちていた。
そして、もうひとつ忘れられない「祈り」がある。それは、旅行中に急遽、設けられた祈りの時間だ。旅行中、学年主任の先生の姿が見えず、私たち生徒は心配していた。夕食時、別の先生から説明があり、「学年主任の先生のお母様の体調が悪化し、今日は、ご実家へ帰られています」と。それに続けて「お母様のために、皆で祈りましょう」とおっしゃった。学年全員で沈黙の祈りを捧げた。未信者だった私は、正直なところどうしていいか、分からず、ただ、神様に話しかけるように「どうか守ってください。お願いします」と心の中で念じた。すると、生まれて初めて、日常生活とともに祈りがあることを感じ、胸に温かいものが広がった。
翌日の夕食時、私たちが宿泊していたホテルに学年主任の先生が戻られた。「皆さんが、母のために祈ってくださったと聞きました。本当にありがとう」。そう言われた声の抑揚や、少し潤んだ瞳を、私は今でも覚えている。
祈ることを、「生活から遠いもの」と勘違いしていた時期が長くあった。今の私は、身の回りの出来事を子どもが「ねえ、お父さん」と、話しかけるように祈る。朝起きると「寝ているあいだ、守っていただき、ありがとう!」と十字を切り、寝る前にも「今日もお恵みをありがとう!」と十字を切る。どうしても寝つけない夜は、ロザリオを一つひとつ数え、眠りが訪れるのを待つ。
私には『敬虔な信者』から程遠い、という自覚があるが、それでも、神様に話しかけることをやめようとは思わない。今日も祈りを通して、神様と、世界中の皆とつながっていたい。
(東京教区信徒・三品麻衣)
(読者投稿)さっぱりの日本の”シノドスの道”-「霊による対話」を言う前に、故森司教の「信徒の霊性」を読んでほしい
私の教区では、この2年間「シノドス」
日本では、全世界に向けて「開かれた教会」「共に歩む教会」となることを宣言した第二バチカン公会議の精神を受けて、約30年前に、全国福音宣教推進会議(NICE)という全国的な運動が進められ、教皇フランシスコが昌道される”シノドスの道”の原型ともいえる「共に喜びをもって歩む」分かち合いの実践が提唱されました。しかし、せっかく盛り上がりかけた運動は、その後の日本の教会、そのリーダーである司教団には、全く引き継がれず、運動を担った司祭、信徒も高齢化し、鬼籍に入られたりして、忘れ去られた状態のまま、現在に至っています。
そうした中での、「霊による対話」。本来なら、”シノドスの道”を実践する有効な手段にもなり得るはずですし、教皇やバチカンの意向もそこにあるはずなのですが、日本の司教団はその意向を十分に理解しているとは思われず、教区レベル、小教区レベルの準備もないまま形だけの全国集会をもったりしてはいるものの、信徒一人ひとりに浸透させるような努力は全くされていないようです。
なぜ、30年前の「共に喜びをもって歩む」NICEの運動が定着せず、消えてしまったのか。その反省もなく、教皇の意向を深く受け止め、末端の信徒一人ひとりに耳を傾け、心を開き、共に歩もうとする真剣な努力もなく、ただ、形だけ”シノドスの道”なのか。
ここにこそ、日本の教会の抱える問題、危機があるはずですし、教会の指導者たちは気が付いているはずなのに、真正面から取り組もうとしていません。昨年の前駐日バチカン大使の司教団への講話「シノドスとシノダリティ」が良いヒントを提供していたのに、司教たちはスルー(無視)してしまいました。このような状態では、「霊による対話」も忘れ去られてしまうでしょう。
NICEの推進役をされた故森司教は、著書「信徒の霊性」で、信仰の土台(根本)を分かりやすく説明されています。多くの司教や神学者に見られる、神学用語で煙に巻くやり方ではありません。今読んでも納得する箇所がたくさんあります。 その一つが
「(祈りが)たった一瞬でもよい、魂が神に向けられているならば、それで十分なのである」。
今の司教たちの中に、霊性を”冷静”に語る方がおられるのでしょうか。
(南のカトリック教会の信徒より)
・”シノドスの道”に思う⑬「ドイツの視点から考える」⑦「カトリケンターク(カトリック の日)」は平和を求める人々が共に歩む場
*カトリック新聞の記事「教皇、ドイツの信者に貧しい人を擁護する召命を説く」に違和感
6月23日付けのこの記事は、「教皇がドイツの信者、特に若い信者に向けて貧しく阻害されている人を擁護するように」と説いたことになっています。それもドイツの「カトリケンターク(カトリックの日)」に向けてのメッセージでそのように語った、というのです。しかし、このメッセージ原文を読むと、この記事の書き方は違和感を禁じ得ないものでした。
その理由の第一は、「カトリケンターク」は「信者による信者のためのもの」であって、教皇の意向を実施することを目的とはしていない。「平和な人には未来がある」というテーマは主催者が考えたものであって、教皇が出してきたものではない、ということ。第二に、「カトリケンターク」の主催者は、このコラムでも触れてきた信徒団体「ドイツカトリック者中央委員会ZdK」であって、教皇や司教の指揮・指導でなされるものではないこと。第三に、「カトリケンターク」はカトリック信仰を中心とした祭典であり、内容は講演、対話集会、討議集会、ミサなどであって、単なる「代表者会議」ではないこと。そして第四に、この記事が、ドイツの信者がこの数日間で何をしようとしているのかを微塵も伝えていないことです。教皇メッセージは、カトリケンタークの参加者をねぎらう挨拶にすぎないのです。
*「カトリケンターク」ができた背景・・・民主主義の芽生え
りです。当時郊外の駆け込み宿舎で患者の世話をしながら一緒に