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・Sr.阿部の「乃木坂の修道院から」⑩タイで身に付いた心からの”ワイ”を、日本でも捧げる…
「สวัสดีค่ะ=サワッディーカ」と女性の場合、男性の場合、「สวัสดีครับ=サワッディークラップ」と言いながら、 合掌する仕草であいさつ。タイ国の日常的習慣、朝から晩まで同じあいさつ。30年も日々繰り返し、すっかり身についてしまいました。
このあいさつをタイ語で『ワイ=ไหว้』をすると言い、尊敬、好意を 表す動作です。胸の辺りで合掌して頭を下げるのですが、自分との 関係によって、合掌する手の位置が胸から顔、額へ、会釈からさらに頭を 深く下げるのです。蓮の蕾の様にふっくらと合掌した手が高く、頭 を下げるほど敬意を表すことになります。
タイに行って間も無い頃、教えられたように合掌し、あいさつすると、「シスターは自分からワイをしちゃダメ」と注意されました。 社会的身分(聖職者はワイを受ける立場)を考え、社会の秩序を守 ってワイをしてください、と。子供や学生には、軽くうなずき、微笑み返 す。王様や僧侶は受けるだけ。なるほど!
合掌してあいさつする仕草はすぐに馴染み、気持ちを込めて親しみまし た。拝むような気持ちで話しを聴くことは普段から心がけていたので、 敬う姿勢をすっかり気に入り、タイの文化習慣や言語にもはまり込ん でいきました。
このワイ、実は人造語で1931年ラジオ放送開始の折、チュラロ ンコン大学文学部のニム•カーンチャナチーワ教授が、放送終了時 のあいさつとして考案したもの。サンスクリット語の「吉祥」という言葉をタ イなまりで発音し、語尾をดี(ディー=良い)に変えて「良い吉祥」とし、放送局内で出会いや別れのあいさつとして交わされるようになり 、庶民にも浸透しました。1950年にタイ学士院辞書編纂会議で「 タイ語には元々、あいさつ語はないが、もしあるとすれば『サワッディー 』以外考えられない」とされ、あいさつ語として定着していきました。
社会のしきたりを考慮することは、独自の文化や国境を超える人々との 関わりの中で、平素、気遣うべきマナー。 自分主体の常識を脇に置いて、多種多様な常識に柔軟な対応を迫ら れます。50歳からタイ国で30年、国際社会バンコク、東南アジアの文化 の合流地点に移り住み、私の頑固さも随分と柔らかくなりました。同時に、揺るがない福音の普遍の精神に深く根差して生きるようにと、 導かれたように思います。変えられ、譲歩できる事ごとを削ぎ落とし、「真理に根差した自由」を少しは味わえるようになりました。
便利至極な日本社会ですが、人間関係や構造は複雑至極。毎日曜、教会を 訪問し、一緒にミサに与り、同じ信仰を持った仲間たちと目を輝かせて 出会う、本当に嬉しいですね。
ちなみに、聖体拝領の時は、心を込めてご聖体の主に最高の深いワイ を捧げています、タイの人々を心に抱きながら…。結び目を解く聖母マリアにご保護とお導きを願いつつ、今、祖国 で再出発、人々に心からのワイを捧げながら、日々福音宣教に励んで います。
(阿部羊子=あべ・ようこ=聖パウロ女子修道会会員)
・愛ある船旅への幻想曲 (49)信徒の教会離れの理由を、教皇の言葉から考える
愛猫がここに居ない今冬、寒さが身に染みた。今日、 庭がうっすら雪化粧。 積雪にもめげずに芽を出す黄水仙が、私に「生きる力」をアピールしている 。そこに神がおられる…。
先日、”おっちゃんバンド”、いや ”おじいちゃんバンド⁈” のライブに行った。ギタリストの一人(会社経営者) が50年ぶりのライブ出演だ。彼は同窓会では、 幹事としてなくてはならない存在だ。Duoの相方(歯医者)も同級生。この二人のために、” 元ガールズ”は招集され、「はい、喜んで」と参加した。” 元ボーイズ”から食事の差し入れもあり、 歌を聞きに来たのか、食事に来たのか分からない。
青春時代の音楽をこんなにも愛し、 学生時代からこの年齢になるまで大切に温めている”元ボーイズの歌 に”元ガールズ”は用意したペンライトを控えめ(⁉)に振っている。老いて益々、和気あいあい、笑顔が絶えない仲間の姿がある。 友に恵まれ、良い環境で生きていることに感謝である。
私は、 若者たちに「生きていくためには環境が大事」といつも話している。「類は友を呼ぶ」とのことわざがあるが、 性格が正反対の友も必要である。 互いに歩み寄るためのコミュニケーションを楽しめばよい。一人ひとりを創造された神は、人生を共に旅する相手もそれぞれに 委ね、共に支え合うよう願われる。
神の願いは全ての人間が幸せになることだ。 時に自分の思いが相手に伝わらず、喧嘩になることもあるだろう。 そんな辛く悲しい時にも、イエスは私たちを見守り、 共に旅をしてくださっていることを忘れてはならない—激しい突風が起こり、波が船の中まで入り込み、 船は水浸しになった。しかし、イエス自身は、 艫の方で枕をして眠っておられた。そこで、弟子たちはイエスを起こして、「先生、 私たちが溺れ死んでも、かまわないのですか」と言った。 イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」 と言われた。すると、風はや み、すっかり凪になった。(マルコによる福音書4章35~39節)
先日、私は、未信者の若い女性から「 カトリック教会は何を教えているのでしょうか?」と質問された。彼女が交際していた彼はカトリック信徒である。 彼女から聞かされる彼と、私が知る彼とが全く違い、 私は言葉を失った。若者たちには、本物のカトリック信者になってほしく、 信者としてのよからぬ例も私は指摘してきたつもりだ。私が、 偽善者を嫌いなことを彼も知っているはずなのだが。
今、 憐みの神が私たちに駆け寄って来てくださっていることを知る。そして同時に教皇フランシスコが様々な信者の姿に心を痛め、 教会のありようを見直さねばならないと切に望んでいらっしゃるこ とを思い知る。
教皇フランシスコの言葉。「私たちは洋菓子屋に並べられたキリスト教徒になっています。 きれいに飾られたケーキやお菓子みたいなキリスト者で、 本物のキリスト教徒ではありません」(2013年、アシジ訪問時)
未信者の教会への疑問、 信徒の教会離れの理由を真剣に考える時が来ているのではないだろ うか。ある女性の夫から教会に電話があり、挨拶もなしに「 うちの家内を返しなさい!」と怒声を浴びせられた。 当時の担当司祭は「教会は一度も彼女を呼んでいません!」と、 はっきり答えた。「この司祭は、女性信徒をわざわざ教会に呼ぶことはありません」 と、私も証言した。 この時の年老いた夫の怒りの発言が、今もトラウマになっている私で ある。
また、ある夫は子育て真っ最中の時、 毎週日曜日には教会で一日中過ごし、家族サービスもしなかった。 子供時代の父親への反感から、彼の妻と子供たち家族は教会に来たこ とがない。夫婦と家庭に関して、教会は反省せねばならないことが多い、と私は思 っている。これからは、『イエスへの忠実さと心からの献身』 を正しく受け取り、信者でない夫や妻、 家族のために謙虚さを持って共に生きていくことの大切さを、信者は 深く学ぶ必要があるのではないだろうか。
教皇フランシスコの言葉。「自己中心的な教会は、イエスを自身の目的のために利用し、 イエスを外に出さない。これは病気だ。二つの教会像がある。 一つは福音を宣べ伝えるため、飛び出す教会だ。 もう一つは社交界の教会だ。それは自身の世界に閉じこもり、 自身のために生きる教会だ。 それは魂の救済のために必要な教会の刷新や改革への希望の光を投 げ捨ててしまっている」(2013年、 枢機卿会議での枢機卿時代の発言)
(西の憂うるパヴァーヌ)
・カトリック精神を広める ⑮ 水をワインに変えたイエス・キリストの奇跡
「この世」で一番美味しいワインは
現実世界にはグラス一杯で1万円以上するワインがあるが、そのような高価なワインは飲みたくない。食事を美味しくしてくれる脇役がワインだと考えると、料理よりも高いワインには眉をひそめる。しかし、「このワインなら是非飲んでみたい」というのが、今回紹介する奇跡である。
新約聖書に出てくる、イエス・キリストが水をワインに変えた奇跡は、キリスト自身が望んで起こしたものではない。母である聖母マリアに促され、図らずも、ご自身の生涯最初の奇跡となった。ヨハネ福音書2章1-11節の「カナでの婚礼」として知られる奇跡は、次のように記述されている。
場面は結婚式である。イエス・キリストとその母マリア、そして弟子たちが結婚式に招かれていた。宴たけなわとなった時、肝心のワインが飲み尽くされていることにマリアは気づいた。そこで、息子のイエスのところに行って、「ぶどう酒がありません」と告げた。この時のイエスの答え方が妙である—「女よ、私とどんな関わりがあるのです。私の時はまだ来ていません」。
聖母は構わず、周りにいた召使いたちに言われた—「この人が言いつける通りにしてください」。マリアは、奇跡を起こして欲しいと望んでおられたのであろうか。思うに、既に世に打って出る前から、イエスは家庭の中で、幾たびか奇跡を起こしておられたのではないかと考える。
イエスは観念し、召使いたちに言った。「水がめに水をいっぱいに入れなさい… 宴会の世話役のところへ持って行きなさい」。召使いたちは言われた通りに、かめの縁まで水を満たし、世話役のところに持って行った。恐らく、持って行く途中で、水がワインに変わったのに気がついたのであろうか。世話役のところに持って行ったら、彼はそれを一口飲んで、恐ろしく美味しいワインであることに気がつき、花婿を呼んでこう言った—「誰でも初めに良いぶどう酒を出し、酔いが回った頃に劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取っておかれました」。
召使いたちは口をつぐんでいたが、イエスの弟子たちは、一部始終を見ていたであろう。「我らが親分、イエスは、ただ者では無い」と初めて知ったのではなかろうか。イエスが水からワインに変えたそのワインを、是非飲んでみたいものである。「この世界」ではない、「この世」で一番美味しいワインであろうから。
(森川海守:横浜教区信徒)HP:https//www.morikawa12.com
*聖書の引用は、「聖書協会・共同訳」に統一しています(「カトリック・あい」)。
・読者投稿・叔母からの電話、入院して教会のミサに出れなかった私を気遣ってくれた?
70代半ばの叔母との会話が興味深いものでしたので、共有させていただきます。
私が入院して教会に数か月来ていない事を心配して 、昨日、叔母が電話をくれました。元気だと分かると、次第に話が変り 、以前、私が神父のパワハラに「おかしい」 と声を上げた事について叔母が、「あんな事やるべきではなかった 、間違いだった」と諭し始めました。
今ではその神父も別の教会へ移り、私にとって既に「済んだ話」なの ですが、「そうね」と適当な言葉を返すことができず、「どうして?」 と聞くと、「そんな事をしても無駄」「教会は特殊な団体だから 信徒が何しても無理」「やるだけ自分が擦り切れる」と、自分や 知人の経験を山ほど話してくれました。
そこまでは共感できるので すが、納得できなかったのは「○○さんもその神父に暴力を振るわれたけど 、黙って耐えた」「暴力を間近に見た人も皆、 教会で広まらないよう沈黙していた」と”美談”のように話し 、私が神父に直接声を上げたこと自体を「間違い」と結論づけたことでした。
叔母からすれば、私がとった行動は、”内乱罪”のようなものなのでしょう。 心配して電話してきたはずの叔母ですが、電話を切る頃には 「根詰めて教会に来なくていい」「復活祭やクリスマスだけ来るの でもいい」と語り、「ミサで毎週、会いたい」という電話ではないことが分 かってきました。
この会話で痛感したのは、姪に起こったハラスメントにでさえ、自 分の事のように真剣に受け止めることが、彼女にはできない、ということです。そして事 実がどうであれ、「聖職者を悪く言ったあなたが悪い」「教会の平穏を 乱すなら、教会に関わらないで欲しい」「老い先短いし、毎週楽しく教会 に行きたいのに、あなたが問題提起するから楽しくなくなった」「あ なたに起こった問題について深く考えたくない」「あなたは問題に巻 き込まれないよう適当に教会に通えば良い」「なんなら教会以外に情 熱を注げる活動を見つける方がいい」という考えなのです。
声を上げる被害者を視界から消して、問題も消えた、として楽しく「 平和」に過ごしたいのでしょう。私は「被害者が声を上げる事が間違いとされるなら、それはキリス ト教なの? この教会がそうなら、そのうち誰もいなくなって葬式もできなくな るよ」と笑顔で話を終えました。あなたなら、どうなさいますか。
(一読者の信徒)
共に歩む信仰に向けて③ キリシタン史と現代・その2ー歴史の教訓から学ぶべきは
初めに、伴天連が行なったことを幾つか項目別にして概観してみます。すなわち、集団改宗、寺社仏閣の破壊、日本人を奴隷として売り飛ばす(奴隷売買に関与)、政治的動きなど。現代において「ヒエラルキーの教会」から「シノダルな教会」への改革の必然性を理解できると考えるからです。
*キリシタンへの「集団改宗」は強制改宗でもある
前回述べたような精神で、初期の頃はイエズス会が宣教していきます。そのやり方は大名や領主を教化して領民へ民衆へ、という集団改宗を行ないました。集団改宗は強制改宗です。「キリシタン宣教師とりわけイエズス会士は日本の権力者に近づいて彼らを入信せしめ、上から下へ信仰を広める政策の効果的なことを当初から確信し、実行したのです。
ヴァリニャーノは、日本人の領主への隷属性は極めて強く、彼らの積極的支援なしには教会の発展はおぼつかない、と日本布教の責任者に指示しました。ですから、多くの日本人が、一人一人が教えを理解して納得して信仰を自分のものにしたとは言えません。領主など高山右近のような身分の高い例外もありますが。
彼らは「ドチリイナ・キリシタン」(カトリックの教え)などを教えられたのでしょうが、福音書に示されるイエスの行動や言葉を十分に学ばずに、主祷文、使徒信経、普遍的教会、秘跡などをどれだけ理解できたのか、極めて疑問ではあります。
ましてや日本語に習熟していない宣教師(伴天連)とその補助をした同宿が教えたのです。領民が一人一人個別に教えを聞いて納得して改宗したわけではないでしょう。
*寺社仏閣の破壊、会衆を拒否した仏僧を国外追放…
宣教師は、自分たちが信奉するカトリック教だけが本当の宗教で、他の宗教は異教・邪教だから捨て去るべきもの、との信念から、寺社仏閣を破壊していきます。
「日本においても、在来の宗教といった敵に対しては、徹底的に攻撃の手を緩めず、後に述べるごとく、彼らによる神社仏閣の破壊はすさまじいものがあった」「実際に手を下して破壊したのが日本人信徒でり、パードレがそれに無関係であったかのごとく強弁しても、それは無理である。イエズス会宣教師の指示によって寺社の破壊が行なわれた事例は少なくない」。
ヴィレラは1557年に、平戸で領内で1300人を改宗させます。しかし「パードレたちが寺社から仏像等を集めさせて焼いたり、経典を俵詰めにして焼却した行為が、仏僧らの怒りを招かないはずはなかった」(五野井)。天正年間に大村純忠の手により領内の神社仏閣のすさまじい破壊、大友宗麟による寺社の破壊、また寺社領を奪って家臣に与えるなどの行為があった。高山右近も、自己の高槻領で寺社の破壊、仏僧たちに対しキリシタンへの改宗の強要、拒否した僧たちを追放し、寺社は焼却したり教会に転用したりしました。
純忠の性急なやり方は、家臣や領民に不快感を与え、離反を招くことになります。比叡山の僧たちは京都の治政に関して請願書を大名・松永久秀に提出する中で、パードレとキリシタンが日本人の祖先崇拝の対象である神々を悪く言い、そのために一般の人々が仏教への信心を失い、反逆や罪悪を犯すことを怖れなくなった、として、パードレを追放することを求めています。天皇や公家、仏教界の反発が大きかったことは、言うまでもありません。
*異教徒の日本人を、奴隷として海外に売り飛ばした
インドや南米その他の地域で宣教師がやったことは「植民地化、異教徒を奴隷にすること」。教皇も容認してのことです。「日本人奴隷を売買したのはあくまでポルトガル商人であり、イエズス会士はその禁止に向けて尽力したということになるが、当時のイエズス会自体、世界各地で奴隷使役の上に成り立っていた、という点を忘れてはならない」「新大陸におけるイエズス会の砂糖きび栽培も、黒人奴隷の使役によるものであった… 日本のイエズス会が奴隷の売買をした記録が会計帳簿に記載されているし、朝鮮半島で宣教したセスペデスは、日本人奴隷売買に関わったようである」。
日本人奴隷の売買にイエズス会宣教師も関わっていたことは、幾つかの研究によって明らかにされており、秀吉が伴天連追放令(1587年)の理由の一つとしてあげていることからも、そうした行為の言い逃れはできないでしょう。ルシオ・デ・ソウザは「秀吉が、日本人が海外に売却されている現実を、イエズス会の問題でもあると認識していた… またイエズス会は、奴隷売買に、紛れもなく加担しており、それを秀吉は見逃さなかった」と。
秀吉に詰問されたイエズス会士のコエリョは「日本人が”売るから”だ。教会は日本人を奴隷とするのを止めさせようとしている」と苦しい抗弁をしており、売買の事実は否定しようのないものでした。
*伴天連の政治的・軍事的な動き
これまで述べてきたことよりもっと重要なことは、伴天連の政治的な動きです。大村純忠が1580年に、イエズス会に長崎と茂木を寄進し、近隣の反キリスト教勢力(竜造寺氏)から守るため、大砲や武器を与えて要塞化していきます。ヴァリニャーノは『日本の布教長のための規則』で武装・要塞化を指示していました。住人と兵士に武器を持たせ、軍艦のフスタ船を所有し、その指揮は修道士がするなど。まヴァリニャーノは、「有馬晴信に対し、軍事的てこ入れを行なった。同じころ彼は、武力征服が布教のための有効な手段である旨、書簡に記述しています。
カブラルも、大村純忠に対し「何回にもわたり金銭援助をした」「戦国時代に、近隣の諸大名との戦いで、キリシタン大名が危機に瀕した場合、イエズス会は、さまざまな支援を与えた」と述べ、日本準管区長のコエリョが1585年(天正13年)にフィリピン教会の同僚にあてた書簡には、「キリシタン大名救援のために、武装艦隊の派遣を、総督に取り次いでもらいたい旨、要望した」とあります。当時、日本にいたイエズス会士の多くが一致して、”迫害者”秀吉に対し、内外呼応して武力を行使することが計画されてい―「宣教」と「征服」は繋がっていたのです。
*伴天連追放令と禁教令の時代へ
そして秀吉は1587年、伴天連追放令を出します。その後も、フランシスコ会など托鉢修道会が日本に来て、活動しますが、長崎での司祭、子供も含む信者26人の処刑などが続き、徳川幕府のもとで、宣教師は表立った活動はできなくなります。家康も、秀吉が出した伴天連追放令を撤回することはなく、キリシタンや宣教師がらみの幾つかの事件を機に、1605年、家康はフィリピン総督アクーニャに、キリシタン布教を固く禁じる旨、通告します。
そしてまず家康のいる駿府や天領などで、キリシタン禁令が出され、1614年には幕府によって全国的な禁教令が発布され、宣教師は国外に退去するか、隠れて活動するしかできなくなります。
*「カトリック教会が布教地を広げることは『日本征服』につながる」と
以上のような伴天連の政治的かつ軍事的動きから、高橋裕史氏は「宣教師は<霊魂の司牧者>なのか<武の司令官>なのか、あるいはその両方であったのか容易に答えは見つからない」と言っていますが、その両方だったため伴天連追放令や禁教令が出たことは否定できないでしょう。
「宣教師がキリシタン大名に対して軍事的てこ入れをしたことと、彼らが日本をカトリック国にすることを夢見て、ポルトガルやスペインの武力による日本征服を企図したこととの間には、本質的な差異はない、と言うべきであろう」(高瀬)。1615年ごろにローマで司祭叙階された最初の日本人、トマス・アラキは後に「パードレの説く法は良いが、彼らの意図は布教を手段に日本を自国の国王に服させるにある」と語ったと言います。
フランシスコ会士のアセンシオンは1597年長崎で殉教した一人ですが、彼の所論の一部を紹介すると、「教皇は霊的な事柄についてその権力を行使できるが、その目的を遂げることが出来ない時には世俗的な事柄についても権力を行使できる。もし異教徒が布教を妨げたら、教皇は強制的にその妨害を排除できる。日本はデマルカシオンによる分割においてスペイン側に位置する。従ってスペイン国王は日本に対して支配権を有する」。日本は植民地の一歩手前まで行っていた、と言えます。
キリシタン勢力が政治的な反逆を企てることが実際に明らかになったのが、島原・天草の乱でした。農民一揆の性格が強いが、領民のほとんどはキリシタン。制圧するまでに幕藩側が要した日数や動員数は莫大なものでした。
全国各地で転びキリシタンたちが蜂起して由々しい事態に陥ることも、幕府は危惧しました。そこに外国勢力が加わるとどうなるでしょうか。その後の徳川幕府による「鎖国」政策もキリシタン禁制が第一の目的だったことは間違いありません。いわゆる鎖国令の最後のものが出されたのは島原の乱終結の翌年、1639年です。
*今日まで続いてきた「ヒエラルキーの教会」から脱皮すべきだ
以上のような次第で、伴天連の伝えたキリスト教が邪宗だとの認識が日本中に定着していきますし、日本という国の法秩序を否定し、国を傾け国を奪おうとする邪法であると断定せざるを得なかったのです。国の主権に対する自覚を持った秀吉や徳川政権が「国家理性」に基づいて自己の存立を主張したところに、キリシタン禁教が成り立っていました。伴天連追放令や禁教令を出し信徒を弾圧迫害したのは自然なことだったのです。
政権にとって、キリシタン大名等の増加は、全国統一の妨げになるだけでなく全国家分裂を招く恐れがある、という危機感も強かったでしょう。信徒の信仰は本物だったとしても、その背後にある伴天連と彼らが所属するローマ教皇中心の「ヒエラルキーの教会」、それと結びついたポルトガル等の国家権力は、日本の亡国を招く「敵対勢力」だった、と言わざるを得ません。
*教皇の歴史的謝罪に学ぶ森一弘司教にならいたい
2000年の上智大学での夏期神学講習会で、今は亡き森一弘・司教が「新しい時代に向けての日本の教会―教皇の歴史的謝罪に学ぶ」という題で講演をなさいました。教皇ヨハネ・パウロ二世が2000年3
月に、中世の十字軍や異端審問、そして現地の文化や宗教を根こそぎに破壊した16世紀の中南米の宣教活動など、過去の教会の過ちを公けに謝罪されたことに、日本の教会も学ぶ必要がある、とし、「そのように遠い昔の時代の過ちに対して、教皇は頭をお下げになったのです」と言っておられました(佐久間勤編『想起そして連帯―終末と歴史の神学』=サンパウロ=)。
ザビエルの時代の教会は、16世紀のトリエント公会議後の教会です。それが第二バチカン公会議まで続いてきました。教皇フランシスコは昨年10月2日、「シノダリティ(共働性)」をテーマにした世界代表司教会議第16回通常総会の第2会期を前にして、悔い改めと許しを願う「祈りの集い」を主宰され、その中で権力の乱用、植民地主義についても神に赦しを願われました。「権力」の教会から「仕える」「共に歩む」シノダル(共働的)な教会に変わらなければ、カトリック教会に未来はありません。
長崎の26人がピオ9世教皇によって聖なる殉教者とされたのも、第2千年期の教会を正しいものとしたい、という願いからです。当時の日本人に与えた苦しみや損害を考えれば、高山右近の列聖についての運動も、26聖人を殉教者と全面的に讃えることも控えめにすべきと考えますが、読者の皆様はどう思われるでしょうか。
(参考文献等は「その1」の最後をご覧ください)
(西方の一司祭)
共に歩む信仰に向けて③ キリシタン史と現代・その1ー宣教師は「素晴らしい教え」を説いただけだったのか?
日本のキリシタン史がどのように語られたかを振り返ってみると、私が大学生の頃の語り手は、片岡弥吉、結城了吾、高木一雄、H・チースリク、海老沢有道といった人たちでした。どちらかというと、教会の立場から、宣教師は素晴らしい教えを説き、信徒はそれを理解して受容し、立派な信仰を持ち、迫害を受け、殉教していったと、そんな感じだったと思います。
ところがその後、80年代になって潮目が変わりました。高瀬弘一郎、佐藤彰一の論文が出てきました。研究の方法がもっと客観的、かつ実証主義的になったのです。宣教師の属した西欧世界とカトリック教会の構造といった背景を理解したうえで、宣教師(伴天連)の具体的な行動(経済的、宣教的、政治的な行動)と、それに対して日本人(大名や領主,その元にある武士や庶民)がどう応じたか、が叙述されるようになり、キリスト信者でなくても「読める」ものに変わったのです。
*キリシタンは何も悪いことをしてないのに迫害されて殉教したのか?
「キリシタンの時代」は短期間でした。戦国時代末期の1549年ザビエルら鹿児島に到着してから、江戸時代の1639年にポルトガル船の長崎来航が禁止され、鎖国が完成するまでの間ですから、わずか百年にも満たない期間です。なぜこんなに短かったのか。秀吉による伴天連追放と江戸幕府による禁教令により徹底的に迫害されたからです。では、なぜそれほどまでに迫害されたのでしょうか。伴天連やキリシタンがそれなりに悪いことをしたから、ではないのでしょうか。
日本という国のあり方に政治的に力で介入しようとしたので、自国を守るために日本の為政者はキリシタンを迫害したのです。キリスト教の発生後、ローマ帝国でキリスト者は何も悪いことはしていないのに迫害されて殉教しました。しかし日本のキリシタンや伴天連が迫害されたのは、迫害されるだけの悪いことをし、また伴天連や信徒を自由にしておくことは一国にとって危険だ、と判断したので徹底的に迫害したのではないか。そして、それは正しかったのではないか、というのが私の結論です。以下にその理由を述べていきましょう。
*宣教師が来日する西洋側の背景は・・
西欧から伴天連がやってきたのは大航海時代です。高校生の参考書『詳説日本史研究」(山川出版社)の一節「ヨーロッパ人の東アジア進出」に、西欧は近代社会に移行しつつあったが、ヨーロッパに隣接する地域ではオスマン帝国などのイスラム勢力が存在し、経済的にも宗教的にも西欧キリスト教世界を圧迫していたので、ヨーロッパ諸国は香料を入手し、「アジアにキリスト教世界を拡大してイスラーム世界を挟撃する」ために、海路アジアを目指した、とあります。
西洋中世史が専門の佐藤彰一氏も、13世紀にすでに教皇庁にはモンゴル帝国と連携してオスマン帝国を挟撃する構想があったこと、その後イスラーム教徒の世界であったインド洋にバスコ・ダ・ガマ(主キリスト騎士修道会の一員)が参入したこと、コロンブスが十字軍思想の持ち主であり、大西洋を西進しアジアの側からイスラームの背面を衝くという戦略的構想に取りつかれていた、と述べています。イベリア半島のポルトガルとスペインは常時イスラーム勢力と対峙していたからこそ、大航海時代となり、その精神で宣教師も来日することにもなったのでした。
*世界に進出する西欧の思惑は…
「大航海時代、ローマ教皇はイベリア諸侯(ポルトガルとスペインの王たち)に布教保護権を与えたが、同時に彼らに対し、未知の世界に航海し、武力で切り拓いてそこを奪い取り、植民地として支配し、そこで貿易等を行なう独占的権限を授けた」(高瀬)。ローマ教皇は教権と俗権両方の頂点に立つ、と自認しており、王たちもそれを認めていました。当時の教皇たちによって世界(地球)はポルトガルとスペインによって二分されて―デマルカシオンという―支配されるようになります(1494年のトルデシリャス条約)。
「異教徒を奴隷にすることも教皇は容認した」。イベリア両国は教俗一体化して国家的進出をしたのであり、その中に宣教師も組み込まれており、彼らの宣教の経費も貿易の収益や仲介料などから充てられたのであり、この点、ザビエルも後続のキリシタン宣教師も同じでした。ザビエルも、ポルトガル国王の保護とポルトガル商人の援助なくしては日本での布教は遂行できないこと、すなわち「貿易と布教の一体化」を痛感していた、と五野井氏は指摘しています。
*騎士修道会と世界征服
ここで、騎士修道会について触れておきます。佐藤彰一『剣と清貧のヨーロッパ』の第1章の冒頭は「騎士修道会の起源は異教徒に対する征服戦争に求められる」で始まっています。この言葉は重要です。時は大航海時代です。エンリケ航海王子は騎士修道会の総長になり、教皇からアフリカのイスラム教徒と戦い、アフリカにキリスト教を布教するようにとの、きわめて十字軍的な使命を与えられました。
エンリケはマデーラ諸島、アゾレス諸島を征服します。アフリカ南端の喜望峰を回ったヴァスコ・ダ・ガマも騎士修道会の所属です。インドへの航路を発見しますが、すぐその後、ポルトガルの艦隊(13隻、1000人の兵士)がインド西海岸(ゴア、カリカット、コーチンなど)に派遣され、武力制圧し、インド副王(インド総督)を置きます。歴代のほとんどすべての副王が、騎士修道会に所属し、土地の占領、駐留軍、要塞の建設などを行って、植民地化していきます。
それから30年後、植民地にし、多くのポルトガル兵士が駐留しているゴアに、ザビエルは到着したのです(1542年)。ですからザビエルは、自分の目でインドその他のアジアの国や地域が植民地化されるのを見ているのです。
*イエズス会の精神は騎士修道会と同じもの
イエズス会を作ったイグナチオ・ロヨラは『霊操』という本を書いています。そして彼の同志であるフランシスコ・ザビエルもこれに基づいて生きました。『霊操』の中で、この世の王と永遠の王キリストが並行して書かれています。
「この世の王」は部下に向かって、私は「異教徒の地をことごとく従わせ」ようと思う。だから… あなたたちは卑怯な騎士にならないように」と。同様に「永遠の王」キリストも、「私は全世界とすべての敵を征服し」父の栄光に入ろうと決めた。だから私と一緒に来たい人は、私と共に働きなさい… 神は人間で満ちた地球の全面を眺め、人々が皆地獄に落ちるのをご覧になり、人類を救うために人となって地上に来て、働き、死に、そして位階制度に基づく教会を建てた。人は神と教会に従わなければならない」と。さらに、「世界の人々は地獄に落ちる」と考えていましたが、それは「異教徒は洗礼を受けていないから」と教えられていたからです。だから「世界中に宣教に行かねばならない」と。
また教会は「位階制の教会」であるとロヨラは書いています。また告解に関する箇所では、上長の勧めとは、例えば、十字軍勅書、免償状のことであると。イエズス会がきわめて騎士修道会的で十字軍的な精神を持っていることがわかります。
ついでに申し上げると、ザビエルは、ポルトガル王ジョアン3世に宛てた報告書の中で、「インドのゴアにも異端審問所を開設すべきだ」と進言します。ポルトガルはザビエルの提案を受け、ザビエルの死から数年後、ゴアに異端審問所を開設。「異端」とされた多数の旧ユダヤ教徒を火刑に処しています。
以上、ザビエルらが、どのような背景をもって、来日したかを見てきました。次回は彼ら宣教師が何をしたか、それに対して日本側は、どのように反応したかを見ていきます。
【引用と参照】(拙稿「その2」の分もここに掲載します)
高瀬弘一郎『キリシタンの世紀』(岩波書店)、五野井隆史『日本キリスト教史』(吉川弘文館)、浅見雅一『概説キリシタン史』(慶応義塾大学出版局)、高橋裕史『イエズス会の世界戦略』(講談社選書)、佐藤彰一『宣教のヨーロッパ』『剣と清貧のヨーロッパ』(中公新書)、三浦小太郎『なぜ秀吉はバテレンを追放したか』(ハート出版)、徳永恂『インド・ユダヤ人の光と闇』(新曜社、関根謙司「異端審問についての一考察」(文京学院大学)
(西方のある司祭)
・神様からの贈り物 ⑲街のどこかにいるクリスチャンを思うと、心強くなれる
十字架のネックレスを首からかけている人を見ると、思わず声をかけたくなってしまう。「あの人も、クリスチャンかもしれない」と想像すると、胸が暖まり、自然と頬が緩んでしまう。しかし、最近はファッションとして十字架をつけている人もいるので、そっと見送ってしまうことが多い。
***
私はリハビリのために、障害者施設に通っている。その施設とつながりのある福祉施設の『感謝会』というイベントに招待された。キリスト教系の団体が立ち上げた地域活動支援センターで、精神障害を持つ方々の居場所として運営されている。
私は、神様の話はできなくても、「ここにも信者がいる」と気づいてほしかった。その目印として、こげ茶色の紐で編んだ手作りの十字架のネックレスをつけていくことにした。私の作戦はうまくいき、『感謝会』では何人かから話しかけてもらえた。その施設の英語の先生から「素敵な十字架ですね。手作りですか?」と質問された。「私の姉が作ってくれました」と答えると「beautiful!!」と、弾けるような笑顔で返事をしてくれた。
その様子を見ていた女性の職員も、話の輪に入った。私たちはしばし談笑し、彼女は去り際に小さな声で「クリスチャン?」と聞いた。私が「はい」と、目を見て答えると、職員は「私も」と、優しく微笑んだ。たった数秒のやり取りだったのに、ずっしりと重みのある特別なプレゼントを受け取った気持ちになった。
ふと私は、「遥か昔の隠れキリシタンたちが、同じ神を信じる人を思いがけず発見したとき、こんな気持ちになったのかも知れない」と想像した。
今の日本では、宗教の自由が保証されているので、迫害されることはない。けれども、クリスチャンの数は少なく、信じる神が違う人たちに囲まれていると、ちょっぴり心細くなることもある。そんな時、この街のどこかに、同じように祈る人がいることを思い出すと、「よし、今日も頑張ろう!」という気持ちになれる。
そしてまた、十字架のネックレスと共に、出かけたいと思った。街の中でも、同じ神様を信じる人を見つけたいし、私のことも見つけてほしい。
(東京教区信徒・三品麻衣)
・Sr.阿部の「乃木坂の修道院から」⑨人生は「出る」「出会う」の連続!そして「出向いて行く」こと
思えば人生、生まれた時から「出る」「出会う」の連続であること に驚き、感慨深く、日々の出来事を観察するこの頃です。
先日は天候が雨雪の予報で下井草カトリック教会での新刊紹介販売 を延期。それで冷たい雨の中、思いがけない出会いで親しくなった 友人と小岩教会のミサに与りました。地図を見て尋ねながら… 教会とレジナ幼稚園、看板を見つけた喜び、聖堂いっぱいの信徒、 生き生きした信仰の交わりを感じるミサに与り、共に祈り歌いまし た。出て来てよかった!
産道を通って必死で生まれてくる赤ちゃんと心ひとつに、妹と弟達 のお産に臨んだ母の話を思い出すと勇気が湧いて、困難を乗り切る ことができました。お母さん、人生の先生、ありがとう!
これまで聖霊のWiFiナビに誘導されながら辿った道、今日は東 京の空の下で『自分から出て-差し出す』人生を歩いています、 感謝!
出して空っぽになった、と思いきや、また、いっぱいに溢れている。不思 議な現象、創造主が人間をこのようにお造りになったのですね。時 に、これでもかと打ちのめされ、全て断念する誘惑にも遭いますが… 心底から突き動かされて、いつも脱出-Exsodusに成功、なす べき事に面と向かわさてくれる霊の力。
『空の手で 裸足のままで ついて行きたいキリストに』の歌を口ずさみながら、出会い、差し出 す歩みを続けて行きたいです。
フランシス コ教皇は使徒的勧告『福音の喜び』で強調されました。『出向いて行く』ことこそ、教会共同体の使命(第1章・Ⅰ 出向いて行く教会20₋24項参照)だと。
「カトリック・あい」の愛読者の皆さん、「出向いて行く」工夫をして、地道に前進しまし ょう。そして福音の喜びに満たされますように、アーメン。
(阿部羊子=あべ・ようこ=聖パウロ女子修道会会員)
・神様からの贈り物 ⑱相手を信じて見守ること〜中学生の職場体験を見て思い出したこと
「困っている人を見守る」というのは、とても難しいです。どうしても、手を出したくなってしまいます。そこを、ぐっと我慢して、その人が自分自身で物事を解決できるよう、じっと見守る胆力をつけようと、日々挑戦中の私です。
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先日、昼食をとるために入った店に、明らかに幼い顔の女の子が二人いました。ネームプレートに『職場体験生』の文字があり、彼女たちが中学生だと分かりました。その女の子たちが、店のスタッフと一緒に、私の食事をテーブルに運んできました。
服薬のためのお水を頼み忘れてたのに気が付き、「この子に頼んで大丈夫かしら?」と不安を覚えつつ、「お薬が飲みたいので、お水を一杯もらえますか?」と彼女の目を見て伝えました。一瞬、目がゆらりと細かく揺れたのが分かりました。後ろについていたスタッフが「氷をお入れしてもよろしいですか?」とフォローしました。「はい、お願いします」と、スタッフと職場体験生の両方の顔を見てから、伝えました。
そんな出来事があって、中学3年の時の私自身の職場体験を思い出しました。職場体験をする場所について、先生が、生徒たちの挙手で希望をとり、希望者の名前を白いチョークで黒板に書きました。私は、保育園での体験を希望していましたが、希望者が多く、じゃんけんで決めることになり、それに参加したくなかったので、希望者のいない花屋さんを選びました。
「 第一希望ではなかったけれどせっかくだから、頑張りたい」と思い、たくさん質問を準備して、花屋さんでの体験に挑みました。花屋のおじさんが丁寧に指導してくださり、メモを取る紙が足りなくなったほどでしたが、「熱心に聞いてくれて、うれしかったよ」とほめてくれ、水がいっぱい入ったバケツを運ぶ仕事を、私たち中学生に任せてくれました。
その時は、おじさんの意図が分からず、重たくて大変だった記憶しかなかったのですが、振り返ってみると、私たち中学生が転ぶかもしれないし、バケツをひっくり返して水浸しにしてしまうかも知れないのに、それでも、仕事を任せてくれたことを、今になって、ありがたく感じます。
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神様は、私たち人間に自由を与えてくださいました。間違えるかもしれないし、失敗する可能性もあります。そんな人間を見て、危険から守るために、手を出したくなることもあるでしょう。それでも、私たちを信頼して見守り、成長を促してくださいます。また、何度失敗しても、決して見離さずに、私たちを見守ってくださいます。
だからこそ、私は今日も明日も、新しいことにチャレンジする勇気を持てます。いつも、私の可能性を信じて、見守ってくださる神様に、心から感謝!!
(東京教区信徒・三品麻衣)
・共に歩む信仰に向けて ② 「召命」のために祈る前になすべきことは…
八十路の祖国での宣教再出発、燃えています。