「かとりっく・あい」の7月の閲覧総件数は、前月より大幅に増加し、2万件を超えました。新教皇の誕生があった5月の4万2685件という、2016年10月の創刊以来の記録には及びませんが、日本国籍を持つカトリック信者が20万人強、 日曜のミサに通っておられる方がその5分の一程度と推定されるとすれば、直に比べられないとしても、かなりの閲覧件数と言えます。
残念ながら、この高水準の閲覧件数を素直に喜ぶことはできません。圧倒的な閲覧が、開始以来一年を超えたカトリック修道会・神言会の所属司祭(当時)による女性信徒への繰り返しの性的虐待に関する裁判、そして、某教区ニュースの大型コラムにシノドス担当を自任する某司祭が、明らかに故教皇フランシスコを嘲笑、批判すると受け取られるような記事を載せたことへの、司祭、信徒からの批判の投稿で占められているからです。
トップは、「聖職者性虐待、日本でも」—TBSテレビ「News23」で放映、”修道会”は「係争中」を理由に取材に応じず(534件)で、これを含めて神言会裁判の関連では100件以上の閲覧が6件に上りました。大きな苦難を背負って修道会の責任を訴え続ける被害女性が毎回原告として出廷しているのに対して、神言会は代理人弁護士を3人も雇って任せきり、日本管区長や加害者とされている元司祭は10回の裁判に一度も出廷せず、知らぬ、存ぜぬ、責任がない、と繰り返し、被害者への思いやりのかけらも見せていません。
2位、3位は(読者投稿)「自分が「古い人間だ」だからといって、前教皇フランシスコをあしざまに批判するのはやめてほしい」(297)と(コラム反響)「日本のカトリック教会の質の低下を示している」「なぜ前教皇をここまで貶めねばならないのか」「何をおっしゃりたいのか、分からない」(359)で合わせて600件を大きく超えました。
高齢化、世俗化が進み混迷が進む教会と社会の危機感を持ち、何とかして、教会内外の人々と共に歩み、様々な課題解決に努力しようとしている司祭、信徒は少なくないはずです。そうした中で、およそ、一般社会から見てもまともとは思われない、これらの対応が、さらなる教会離れを誘っている、いくら耳に聞こえの良い話をしてもさっぱり説得力を持たない、一部高位聖職者や司祭、修道者への批判や嘆きが、この閲覧状況から伺うことができるでしょう。
そうした日本の教会の現状の中で、教皇レオ14世が主日正午の祈りに先立つ説教で語られた「教会と世界に必要なのは『都合のいい時に”参加”する人』ではない、『常に宣教の現場で熱心に働く人』だ」との言葉に50件を超える閲覧があったのは示唆的です。
教皇フランシスコの大きな遺産の一つが”シノドスの道“ですが、教皇レオ14世の同意を得てシノドス事務局が発表した「シノドス実施段階への道筋:2025₋2028」の構成と内容の要約には、105件の閲覧があり、日本の教会の消極的な歩みにもかかわらず、司祭、信徒の間に関心が衰えていないことを示しています。
ただ、直後に発表された日本の司教団のトップのメッセージ対しては「菊地大司教『シノドスの道の今後について』を読んで—「バチカン指示待ち症候群」から脱しなければ」という読者投稿が98件も寄せられていることにも注目する必要があるでしょう。
日本中の信徒、修道女、司祭の皆さんから毎月いただいているコラムには、多くの閲覧が続いています。 初参加の「パトモスの風—田園調布教会・聖クララ聖堂の「サン・ダミアーノの十字架」(140件)、・Sr.阿部の「乃木坂の修道院から—ブーゲンビリア咲く小さなマリアの園で、お祈りをする小学生との対話」が(137件)、「愛ある船旅への幻想曲—”指示待ち族”では教会は成り立たない。だがイエスの愛を生きるには覚悟がいる」(125件)、「神様からの贈り物—人間がAIに近づいている、と感じるのは、私だけ?」(63件)など。
女性執筆者の方々の”健闘“が目立ちますが、・「共に歩む信仰に向けて」⑦教皇制のゆくえ ・その2「教皇と教皇庁、ヒエラルキー(位階制)秩序は変えられるのか」(112件)、「カトリック精神を広める⑲ 勧めたい本紹介2 フランシス・コリンズ著「ゲノムと聖書 科学者、<神>について考える」(52件)など、男性陣の”硬派”コラムもよく読まれています。
日本では6日が広島平和記念日(原爆の日)、9日が長崎原爆の日、そして15日が終戦記念日がそれぞれ80年目を迎えます。日本のカトリック教会は6日から15日を「平和旬間」とし、早々と6月に司教団メッセージ、「平和を紡ぐ旅 -希望を携えて-」を出していますが、中国の急激な軍備増強と日本への挑発行為、原爆の増産など、日本を取り巻く安全保障環境の急激な悪化にどう対処すべきかという目前にある(不都合な)課題には目を背け、目前の脅威から日本国民を守ろうとする努力を「軍備増強反対」の一言でかたずけ、いたずらに平和を叫ぶ、どこかの政党と同じような部外者的“きれいごと”の繰り返しで、日本の教会全体で、考え、行動する具体的な予定も、また教区ごとの取り組みも、中央協議会のホームページには示されていません。
世界に目を転じれば、バレスチナ・ガザ地区で激化するイスラエル軍の攻撃と住民の飢餓の深刻化、ロシア軍によるウクライナ軍事侵攻の継続に心を痛めた教皇レオ14世の繰り返しの和平への仲介申し出に、当事者たちは応じる気配がなく、空しく時が過ぎています。
そうした現実をしっかりと認識したうえで、「日本にいては何もできない。祈るだけだ」とあきらめず、ガザ、ウクライナ、コンゴ、ミャンマー…苦しみ続ける人たちのために早期和平を祈るだけでなく、具体的な努力の可能性を常に模索することも、私たちに、教会に求められているのではないでしょうか。
(2025.7.31 「カトリック・あい」代表・南條俊二)