【2026年2月の巻頭言】2月9日、3月11日に“神言会裁判”、その間に3月6日の「祈りと償いの日」、聖職者の性的虐待絶滅を願う教皇の声は届くのか

*教皇が年頭の枢機卿会議で「性的虐待の危機」を警告

 

 世界の教会の信頼を大きく損なう聖職者による信徒などへの性的虐待問題は未だに続いている。昨年後半から今年初めにかけて見ただけでも、「少年への性的虐待で調査中のスペインの司教が教皇に辞表を出して受理」「3億ドルの性的虐待被害補償基金の活用が初仕事となるニューヨーク大司教の新任」「数十人の女性から告発されたブラジルの元司祭、まず、3歳児への強姦罪で有罪判決」などを挙げられる。

 

 いっこうに収束の気配が見えない、この問題に深く心を痛めておられるレオ14世教皇は昨秋、聖職者による虐待被害者支援の国際団体代表とも会われ、「性的虐待被害者支援の責任を果たせなかった者への対応方法にできる限りのことを行う」と約束された。

 そして、新年早々に召集された臨時枢機卿会議の閉幕の挨拶で、「今日でも多くの場所で、教会の活動において真に傷跡となっている『性的虐待による危機』について触れておきたい」とされたうえで、「虐待そのものは、おそらく一生続く深い傷跡を残します…多くの場合、教会におけるスキャンダルは、『扉が閉ざされ、被害者が受け入れられず、真の牧者たちの親身な支援を受けられなかったこと』が原因です… 被害者の痛みは、受け入れられ、耳を傾けてもらえなかったことによって、さらに強くなっています」と警告された。

 

  

*バチカンの「未成年・弱者保護委員会」は日本の司教団に17項目の改善勧告・要請を出したが…

 

 バチカン教理省の未成年・弱者保護委員会は昨年10月の第二次報告で、日本の司教団に性的虐待対応について、「聖職者および司牧者に対する明文化した行動規範が欠如している…聖職者たちが『Vos estis lux mundi』(虐待の通告義務とそのための制度整備を促す教皇フランシスコの自発教令)をどこまで認識・理解しているのかについて疑問を投げかけるものである」「修道会の会員による虐待疑惑を巡る司教と修道会の間の効果的な協力の欠如について懸念を表明する」などとしたうえで、17項目にわたる改善勧告・要請をしている。  

  だが、それから3か月を過ぎた今も、司教団の公式ホームページや、教会の広報紙などには、この報告の内容や勧告・要請への対応はおろか、受け取ったこと自体が報じられていない。昨年末に司教団が「2024年度日本の教区における性虐待に関する監査報告」を公表したが、内容は、教区から提出された確認書による2023年4月からの一年間の性虐待の申し立ては2教区、3件、司祭・修道者の研修実施は7教区、性虐待防止の行事・研修会実施は6教区…性虐待の申し立てのあった教区には監査役の所見を通知、ガイドラインに基づいて更なる対応を求めた―とあるのみ。具体的な説明は皆無。数字だけの”義務的”な報告でしかない。バチカンの委員会の報告を読んだ気配すら感じられない。

 

 

 

*3月6日の「祈りと償いの日」をはさんで2月9日、3月11日に“神言会裁判”がある

 

 日本の教会では、3月6日が「性的虐待被害者のための祈りと償いの日」だ。その日をはさむように、2月9日と3月11日に、告解を”利用“して女性信徒を繰り返し性的暴行した司祭(当時)が所属していた神言会の損害賠償責任を問う東京地方裁判所での裁判が予定されている。

 すでに12回も行われているこの裁判には、原告・被害者の女性は強い心理的な苦痛を抱えながら毎回出廷しているのに対して、被告の神言会の代表は一度も出廷せず、代理人弁護士に任せたまま。被告側は当初は、加害者とされる元司祭が「どこにいるか知らない」とし、その主張が通らないとみるや、「原告の主張は虚偽だ」と言い換え、それも通りにくいと見たのか、今度は、「彼の行為は、読書や散歩のように”業務外”の行為で、会はあずかり知らぬこと」と”新“解釈を持ち出した。あくまで会の責任を回避することに専念し、被害者に対する思いやりどころか、全く誠意を欠いているとしか言いようがない。

 

 

 

 

*裁判を傍聴、被害者の支援を続ける信徒、司祭、シスターに、被告の不誠実に怒りと悲しみ

 

 裁判後に毎回行われている原告弁護士の説明と被害者支援の会には、毎回、一般信徒だけでなく司祭,シスター合わせて30人以上が参加している。それぞれの持ち場で真剣に福音宣教に従事し、中には自身も性的虐待を受けた痛みを抱える方もいるが、このような不誠実な対応に、強い怒りと悲しみを訴える声が、会を重ねるごとに強くなっている。

 

 

 

 

*ほかにも原告・被害者を深く傷つける複数の教区の対応、表に出ないものも

 

 教皇が言われる「被害を訴える人たちへの傾聴」どころか、思いやりも、誠意ある対応を欠いている教区レベルの事案は、確認されただけでも、裁判所の和解勧告を受けてわずかばかりの賠償金を払っただけで、性的虐待被害者への心身のケアや教会に改めて迎え入れる配慮などはしないままの長崎、仙台教区、外国人男性から修道会司祭による性的虐待の訴えを修道会に”取り次いだが、パリの本部から明確な対応を得ないままの札幌教区などがある。表ざたになっていないが、「カトリック・あい」に直接、間接に届いた性的虐待の訴えは他にいくつもある。

 一修道会だけの問題ではなくなっている日本の教会全体の信頼を損なう事態に、関係の高位聖職者も、司教団も真剣に向き合おうとしているとは、とても思えない。1月の臨時枢機卿会議での教皇の言葉を真剣に受け止め、この裁判にとどまらず、聖職者による性的虐待問題について、誠意ある具体的な対応を求められている。

 

 

 

 

*神言会裁判に”不干渉“の高位聖職者の対応は適切と言えるのか?

 

 神言会裁判について続けよう。日本の司教協議会会長の菊地・枢機卿は、東京教区長であり、この修道会においては世界で二人しかいない枢機卿の一人だが、この裁判について、昨年、米国の独立系カトリック・ニュース評論サイトCRUXのインタビューにこう答えている。「修道会の司祭が起こした問題なので、修道会本部が判断すること。こちらからは対処できない」と。本当にそうだろうか。

 

 

 

*バチカンの専門家は「修道会の教区の管轄権からの免除は、内的統治と規律に関して与えられるもの」

 

 教皇庁立ウルバノ大学法学部教授でバチカンの福音宣教省顧問、使徒座最高裁判所署名院の裁判官などを歴任してイージ・サバレーゼ師は「解説・教会法」(田中昇訳、フリープレス刊)でこう説明している。

 「すべての修道会は自治権を有しており、聖座法による会は、地区裁治権者の管轄権からの免除を享受しています」とする一方、「しかしその免除は、本来的に内的統治と規律に関して与えられるのであって、信者の司牧、神への公的礼拝の実施やその他の使徒職の活動に関するものには与えられません。これらの諸活動においては、全ての修道者は、司教の権限の下に置かれます」と明言している。つまり、修道者、修道会も信徒への性的虐待問題の判断は司教が行う、と判断できるのではないか。

 

 

 

*司教団の性的虐待問題への取り組みは”後退“している?

 

 こうした神言会裁判とそれへの対応の影響を受けたのか、性的虐待問題への取り組みに”後退”とも見られる動きが昨年出てきている。

  司教協議会の下に置かれ、性的虐待問題に具体的に対応していたはずの「子供と女性の権利擁護のためのデスク」の活動報告は、カトリック中央協議会会報2025 年 7 月号に、同年5月の「未成年者と弱い立場におかれている成人の保護のためのガイドライン」運用促進部門と「子どもと女性の権利擁護のためのデスク」(CWD)合同オンライン会議の簡単な報告以後、姿を消してしまった。

 

 

 

*司教協議会の「子供と女性の権利擁護のためのデスク」は社会司教委員会が新設の委員会に吸収

 

 そして、カトリック中央協議会会報2025年12月号に、同年7月に開いた「再編成した社会司教委員会」の司教・事務担当者会議の決定事項として①社会司教委員会のメンバーとして修道会管区長会からの派遣を依頼しない②社会司教委員会の下に「いのち・人権・平和委員会」を置き、啓発活動推進について、社会的課題の共有と理解の促進(福音的価値観の深化)を教区、活動団体とともに推進する。現難民移住移動者委員会、部落差別人権委員会、HIV/AIDS 部門、子どもと女性の権利擁護部門のイシューのほかに、現代社会の中でいのちや人権を脅かされている人々の状況や社会的課題に向き合うーなどとある。

 ここから推測するに、「子供と・・・デスク」は、この「いのち・・・委員会」に、他の委員会と共に”吸収“されてしまったようだ。性的虐待問題を誰が責任をもって対応するのか、教区の窓口との連携はどうなるのか、「未成年者・・・の保護のためのガイドライン運用促進部門」はどうなったのか、など全く見えて来ないし、司祭や一般信徒に理解できるような説明もない。

 

 

 

*教区の性的虐待窓口も機能を十分果たしているのか、実績報告もない

 

 そもそも、教会の窓口そのものが、長崎教区では教区事務局の担当者が司祭からパワハラをうけてPTSDを発症して退職、一時窓口が閉鎖になり、東京教区では担当司祭が問題を起こして、更迭・謹慎措置を受けるなど、大きく信頼を損ねる問題が起き、その後始末がきちんとなされたという話もない。機能が十分に果たせているとは言い難い状態だ。

 

 

 

*社会司教委員会のメンバーに「修道会管区長会からの派遣を依頼しない」で「緊密な連携」ができるのか

 

 また、2025年12月のカトリック中央協議会会報には、「子どもと女性の権利擁護のためのデスク」が”吸収”されることになったと解釈される新設の「いのち・人権・平和委員会」の上部組織、「社会司教委員会」のメンバーとして「修道会管区長会からの派遣を依頼しない」と昨年7月の会議で決定した、とある。

 バチカン教理省の未成年・弱者保護委員会は昨年10月の報告で、日本の司教団に「修道会の会員による虐待疑惑を巡る司教と修道会の間の効果的な協力の欠如について懸念を表明する」とのべ、「司教協議会は、修道会の上級責任者と緊密に連携し、(教会が性的虐待の被害者にとって安全な避難所となれるように支援する活動である)『Memorare initiative』を日本において採用し、保護対策における「一つの教会」アプローチのための協力を促進する」と勧告・要請している。これについても、司教団の誠意ある具体的対応が求められている。

 

(「カトリック・あい」代表・南條俊二)

 

2026年1月31日

【2026年1月の巻頭言】改・一日も早く、世界の人々と「おめでとう!」と言い合える日が来ますように !

 2026年。ウクライナ、ガザなど世界各地で戦乱が続き、多くの罪のない方々が苦しみ続ける中で、新年を迎えた。心底から「おめでとう」と言うことがためらわれる現在の状況だ。

 そのような中で、2026年10月に、「カトリック・あい」は創刊10周年を迎える。世界で、アジアで、そして日本で、全ての家庭で平和で安心できる日々の暮らしを、一日も早く取り戻せるよう、世界の人々と心から「おめでとう」と言い合うことのできる日が来るよう祈念するとともに、編集委員一同、少しでも読者の皆様のお役に立てるよう、微力を尽くしたい。

*創刊10周年を迎える「カトリック・あい」の年間閲覧件数は23万を超えた

 「カトリック・あい」は、「教皇はじめ内外さまざまな教会その他で活動する方々の動き、声を集め、解説、意見も合わせて、教会を活性化していけるきっかけを作っていきたい」との趣旨のもと、どこからも資金援助を得ることなく、編集員一同、文字通り無償奉仕の精神で続けて来た。

 当初は数千件で始まった月間閲覧件数も平均2万件前後、新教皇選出があった昨年5月は4万件を超え、昨年の年間総閲覧数は23万6000件に上るまでに成長、日本で唯一の独立系カトリック・ニュース評論サイトとして、中東とアフリカの一部を除く世界100カ国に日本語読者を広げている。 無償でコラム執筆をいただいている方々、そし読者の皆さんのご支援に深く感謝したい。

*「教区割、”司教定員”見直し必要?」が、教皇フランシスコ来日前から今も読まれている

 この10年を、個別閲覧件数の総数別に振り返ると、読者の皆さんのご関心、教会の抱える問題などが見えてくる。

 2019年9月13日から掲載している「教皇フランシスコミサ、東京は25日午後4時から東京ドームで」が8320件でトップに立ち、2位に7663件で、同年5月6日から掲載の「司教定年まで10年以上残して辞任する司教が6年で3人₋ 教区割、”司教定員”見直し必要?』今でも毎月2,30件も読まれ続けている。

 日本社会の高齢化、人口減少を反映して、司祭、日本人信徒の高齢化、減少が進む中で、具体的な対処方針を打ち出せず、基本的に明治時代のままとも言える教区割、司教定数(財政的に教区を維持できなくなった高松教区が大阪教区に合併されたが)の抜本見直しも決断もできない司教団への疑問の表れと見ることもできるだろう。

*聖職者による性的虐待関連が高水準の閲覧を続けている意味は

 そして5位に、2023年10月9日から掲載の「カトリック東京教区が『子どもと女性の権利擁護委員会』担当司祭を更迭、休養扱いに」が5195件、15位に2024年1月23日から掲載の「司祭から繰り返し性暴力‐女性信者が神言会に損害賠償求める裁判始まる」が2199件。

 教皇レオ14世は先月、12月22日発表の使徒的書簡 「未来を創造する忠実さ」 で、「近年、聖職者による虐待行為が引き起こした教会への信頼の危機は、私たちに深い恥を感じさせ、謙虚さを求めている」と忠告されている。

 関連記事も含めて読み続けられているのは、世界的に終息を見せない聖職者による性的虐待問題が日本でも、教会に対する信頼を傷つけ続け、それに具体的に誠実な対応をしないどころか、無視、責任回避、さらには批判の声を抑えようとする動きさえもあるといわれる司教団への”無言”の批判、警告と見ていいのではないか。

*教皇レオ14世の”本格始動“への期待は大きい

 創刊以来の閲覧件数で4位、2025年年間で圧倒的にトップに立ったのは、同年5月の新教皇選出の4日前から掲載した教皇候補「ロバート・F・プレボスト枢機卿」で6466件。ちなみに、レオ14世を候補の一人として”予測“したのは世界の報道機関でCRUXのみ。それを日本語訳にして載せたのは、提携メディアの「カトリック・あい」のみだ。

 そして今、教皇就任から8か月、“助走”期間を終え、いよいよ本格始動の時期を迎えるレオ14世の治世の動向が注目さるが、2025年11月のイタリアの司教団との会見での教皇の以下の発言は極めて示唆的だ。

*伊司教協議会で教皇が示唆した”枢機卿・大司教の定年“が日本の教会に意味するものは

 「教会は、福音の体現者であり、神の国のしるしです…救いのメッセージを宣べ伝え、平和を築き、人間の尊厳を促進し、対話の文化を育み、キリスト教的人間観を推進すること」を具体的な行動で示すべき方向とされ、そのリーダーたるべき司教の定年と後継者の選定について「教区の司教職を終える際の75歳というルールを尊重するのは良いことだ。ただし枢機卿の場合に限り、さらに2年間職務を継続することを検討してもいい」とされ、さらに、司教選出で、「現地教会の管区長や任期満了を迎える者らの意見聴取に加え、信徒のより積極的な参加を促進せねばなりません」と語られている。

 折しも日本の教会では、今年から来年にかけて”定年”を迎える司教が相次ぐ。

 筆者が調べた限りでは、福岡のアベイヤ司教が現在76歳、鹿児島の中野司教が今年4月15日で75歳、さらに横浜の梅村司教が来年6月14日で、名古屋の松浦司教も来年9月28日で75歳。さらに、教皇が示唆された77歳の枢機卿・大司教”定年“に、大阪の前田万葉大司教が今年3月3日に達する。

 定年の迎える司教たちの交替を機に、危機的な状況に積極的に取り組む司教団への”変身“を期待したい。

*公会議から60年、NICEから30余年、日本の教会の危機に司教団は連帯して立ち向かえるか

 世界に開かれ、全ての人と共に歩む教会へ抜本改革を打ち出した第二バチカン公会議が1965年12月に閉幕して60年、その方針を受ける形で日本の教会が司教団連帯の下に、教皇フランシスコの”シノドスの道“を先取りした二度の全国福音宣教推進会議(NICE)が1993年12月に終わって30年余、一時盛り上がった教会改革への熱気は冷め、司教団の連帯した具体的取り組みも絶えて久しい。

 ”シノドスの道“の歩みも満足になされない現在の状況は、当然と言えば当然かもしれないが、日本の教会の現状と将来を危惧し、何とかしたい、という意識を持ち続ける司祭や信徒の声を、司教団も受け止め、具体的な行動を連帯して進めねばならない。

*信徒たちが「力を貸そうにも、貸す手立てがない」のが現状、トップの「千の言葉より十の実践」が求められている

 日本司教協議会の会長で東京大司教の菊地枢機卿は、年頭の司牧書簡「希望の灯を絶やすことのないように」で、「誰かが全てを準備してくれた教会で霊的サービスを受けるお客様になるのではなく、一緒になって共同体を育てる道に、どうかあなたの力を貸してください。一人ひとりの力と助けが無ければ、教会は成り立ちません」と訴えている。

 東京教区では、「小教区を『聖堂共同体』とし、複数の共同体をまとめた『宣教協力体』に統合していく」という前任の教区長の計画が実施からわずか3年で挫折し、それに代わる方針が示されないまま現在に至っている。結果、信徒全員参加の小教区運営、隣接小教区との連携に齟齬を生じ、”シノドスの道”の歩みがうまくいかない要因もそこにある。

 小教区の運営が主任司祭と彼に選ばれた少数の委員に委ねられ、多くの信徒は現状に対応した福音宣教を企画したり、”共に歩む”活動に参加する機会を失い、第二バチカン公会議以前の”一般信徒お客様”が常態化するところも少なくない。しかも、そうなる以前の小教区を知らない司祭、信徒が大半を占め、司教も同様で、”古参”の信徒がいくら訴えても理解されないケースさえある。

 菊地大司教はそうした現状を訴える信徒の声を聴くことは聞いた。2021年に発表した東京教区の宣教司牧方針で、小教区の運営規約の基本要綱の作成、実行、宣教協力体の目的の明確化、再構築などを約束した。だが、それから5年を経過した今も、その約束は果たされていない。2026年の年頭司牧書簡では、宣教協力体については「見直し作業は簡単ではありませんが、今年中に何らかの提案ができるかと思います」と一応、説明されてはいるが、小教区の運営規約の要綱作成・実行については全く触れられていない。

 司祭、信徒に力と助けを求めるのは当然だが、「共に歩む」体制が劣化している小教区などをそのままにしていては、まともな信徒、司祭が力を貸そうにも満足に貸すことができないのが、現状ではないか。千の言葉より十の実践、まず「隗(かい)より始める」ことを切に希望したい。

(「カトリック・あい」代表・南條俊二)

2025年12月31日

【2025年12月の巻頭言】3年目に入る「神言会裁判」—この修道会に、カトリック教会に「自己修正メカニズム」は働かないのか

▷聖職者による性的虐待で深い傷を負った女性信者が、所属(当時)修道会・神言会に損害賠償を求める裁判の12回目が、12月1日、午後3時から、東京地方裁判所第606法廷で開かれる。

 裁判は2024年1月から始まっているから、間もなく3年目に入る。この間、被告の神言会側は、当初は「(原告が指摘するようなことは)知らない」と言い、その後、「(原告側の主張は)虚偽だ」と言い直し、さらに、最近では「(読書や散歩など)司祭の業務外のことは修道会は関知しない」と言う詭弁とも思われる主張に変えてきている。

 

▷原告被害者に二重三重の苦しみを味あわせ続けるばかりか、支援者の司祭、シスター、そして多くの信徒を落胆させ、それが、修道会、司教団への信頼に失墜、教会から離れていく原因を作っているように思われる。

 何のために多額の弁護費用を払って責任を回避し続けるのか。何を守ろうとしているのか。速やかに非を認め、原告被害者に謝罪し、精神的ケアに費用を投じるほうが、よほど”効果”が高い、と思われるのだが、社会的常識は通用しないようだ。

 

▷教皇庁未成年・弱者保護委員会は10月16日に「世界の教会における聖職者の性的虐待に関する第二回年次報告」を発表。欧州、アジア、アフリカから最近司教団のバチカン定期訪問があった18か国・地域、男女各1の修道会に対して、現状、課題、それをもとにした勧告・要請がされている。

 日本の司教団に対しても「保護対策に特化した5年ごとの実態調査の完全実施」「司教と修道者合同委員会の活用検討」「教会の保護体制に対し強固な監査メカニズムを構築」「教会における賠償の実践事例について、バチカンの未成年者・弱者保護委員会への報告」など、17項目に上る具体的な勧告・要請が明記されている。

 だが、今のところ、日本の司教団がこれを真剣に受け止め、対応の検討を始めた、とは聞いていないし、中央協議会のホームページなどにも全く掲載されていない。

 

▷委員会の日本の司教団に対する勧告・要請をもう少し具体的にみていくと、「保護対策に特化した5年ごとの実態調査の完全実施」。性的虐待被害への対処について、司教たちと修道会の上級責任者との連携不足があることを前提に、その克服のため、(教会が性的虐待の被害者にとって安全な避難所となれるように支援する活動である)「『Memorare initiative』の導入」、保護対策における「一つの教会」アプローチのための協力を促進する基盤として「司教と修道者合同委員会」の活用検討、「性的虐待被害者のための祈りと償いの日、各教区が安全確保への取り組み声明を発表する提案の実行を勧告。

 関連して、外国人司祭や他教区から来た司祭による性的虐待への対処に問題がある、との認識をもとに、海外から来て日本で活動、あるいは教区間で異動する修道会、教区の聖職者、司牧担当者についての審査手順を厳格化する方向での見直しと公表、教区の青年司牧担当、司祭継続養成担当、および女性・児童の人権保護デスク間の緊密な連携を提起。

 未成年者及び脆弱な成人保護の全国ガイドラインへの、「被害者への支援の提供、行政当局との連携」に関する規定の追加」、「同ガイドライン実施を監督する委員会の構成員、権限範囲、定款に関する情報の公表」、 「聖職者及び司牧者に関する行動規範の策定」、聖職者向けに「『Vos estis lux mundi』の具体的な内容を網羅した啓発活動の実施」、「教会の保護体制に対し強固な監査メカニズムを構築」なとが必要としている。

 さらに、性的虐待被害者への「賠償」が金銭的損害賠償の提供を超えた幅広い実践(心身のケア、教会への歓迎など)を含むことを念頭に、教会における賠償の実践事例について同委員会に報告することを司教協議会に要請している。

 最後に、国連児童の権利条約市民社会組織連合による指摘を引用して、「日本では性的虐待は、欧米よりもはるかに少ないと考えられているが、統計的な証拠はない… 欧米でも以前は同様の見方がされていたが、実際は多数に上っており、このことは日本の性的虐待の件数が実際には、はるかに多い可能性を示唆している」とし、日本の教会が、自己の調査による件数が少ないことをもって、誤った安心感を持ち、対応に手を抜いていることについて、間接的に警告している。

 

▷11月の「カトリック・あい」の月間閲覧件数を記事別にみると、コラムや巻頭言が圧倒的に上位を占め、「教会には自己修正システムが存在しない」とする東京教区の信徒からの読者投稿が170件近く読まれている。

 これとまさに同じ見方を、著名な歴史学者で哲学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏が今春、日本語版を刊行した「NEXUS-情報の人類史」に書いている。

 「人体だけでなく、様々な機関も、自己修正メカニズムが無いと破綻する…カトリック教会は自己修正メカニズムが比較的弱い機関だ。不可謬性を誇っているため、自らの間違いを認めることができない… 内部の人間が誤ったり、罪を犯したりしたことを、時折認める場合もあるが、教会自体はあくまで完璧なまま、という建前になっている」と。『神言会裁判』の行方を追っていると、実にその指摘がぴったりくるように思われる。

 

▷自己修正メカニズムが働いていないのは、「神言会裁判」だけではない、既に結審している長崎地裁、仙台地裁では、それぞれの教区の司祭が女性信徒を性的虐待したことに対して、被害者原告と被告の両教区に和解勧告が出されたが、いずれも教区がわずかな賠償をしただけで、被害者への謝罪も、精神的ケアや教会に迎え入れるような措置を取ったとは聞かない。

 

▷教会は11月30日から待降節で、教会暦的には、新しい年に入った。修道会も、司教団も、御子をこの世界に送られた主の強い思いを改めてかみしめ、被害者と誠実に向き合い、「自己修正メカニズム」を働かせる契機とすべきではなかろうか。

 

(「カトリック・あい」代表・南條俊二)

2025年11月29日

【2025年11月の巻頭言】“風化”する聖書週間の「全国運動」、「数年先に検討」の時期を迎えた『聖書協会共同訳聖書』の扱いをどうするのか

 11月には日本のカトリック教会でいくつかの行事が予定されているが、毎年恒例の「聖書週間」も16日から行われる。

 

 「カトリック・あい」では2年前、2023年11月に(評論)「聖書週間まったく盛り上がらない『全国運動』、発刊5周年の『新旧約聖書・聖書協会共同訳』をどうするのか」と題する評論を掲載した。

 その冒頭で、「聖書週間が『行われる』といっても、カトリック中央協議会のホームページを見る限り、シンポジウムなどの「行事」はいっさい予定されていない。わずかに、リーフレットとポスターの配布のみだ」と書いたが、2年経った今月も、当時と全く変わらないようだ。

 現在の中央協議会のホームページで「聖書週間」を検索すると、「1979年11月の臨時司教総会で、聖書に親しみ、聖書をより正しく理解するための全国的な運動として「聖書週間」を毎年行うことを決定」とあり、その実施機関としての「聖書委員会は1998年2月に解消されたが…常任司教委員会に引き継がれ…リーフレットとポスターの政策も継続されることになり、今日に至っています」と、2年前と全く同じ説明が繰り返されているだけだ。

 これでは、司教団として「全国的な運動」を主導する気が無い、”風化”するに任せている、と見られても仕方あるまい。それとも、そのような努力をしなくても、日本の信徒たちが「聖書に親しみ、聖書をより正しく理解する」ようになったと判断しているのだろうか?

 

 司教団とは関係なく、日本聖書協会(理事長・石田学・日本ナザレン神学校校長)では、11月24日に同協会150周年記念として、ケルン大学のハイドルン・E・マーダー教授(新約聖書学)による講演会「十字架の愚かさから平等の教会論へ―パウロとマルコの対話」を上智大学四谷キャンパスで予定している。 

 信濃町の真生会館では、聖書入門コースや新・旧訳聖書コースなどの講座を開いているが、これは聖書週間に限って開かれているわけではない。

 中央協議会のホームページには全国の教区レベルでの聖書週間の企画などが全く掲載されていないので、教区の取り組みがどうなっているか、同ページから知ることができない。 東京教区のホームページを見るかぎり、聖書週間に関連した講演会、シンポジウムは皆無だ。 

 東京教区に所属する筆者は小教区で毎月第四土曜日に「主日の福音を味わう会」を10年以上続けており、毎回10人前後、聖書に親しもうと熱心な方々の参加をいただいているが、教区全体に積極的な取り組みが無いこともあり、盛り上がりに欠け、ポスターの掲示や毎日曜日のお知らせなど広報に努めているが、信徒の方々、特に若い信徒への広がりはない。

 私たちの信仰の基本にある聖書について、日本の司教団がどれほど真剣に考えているのか、疑問を抱くのは、「聖書週間」ばかりではない。

その聖書協会が中心となり、カトリックとプロテスタントの高位聖職者や聖書学や宗教学、日本語などの専門家が結集し、10年近くかけて制作した「聖書 聖書協会・共同訳」が刊行されたのは2018年12月だった。

だが、司教協議会は不思議なことに、2010年2月の臨時総会で「聖書の新しい共同訳事業」を承認し、事業着手に同意したにもかかわらず、それが完成し、刊行された直後の2019年1月の常任委員会で「『聖書 聖書協会・共同訳』のカトリック教会の典礼での使用については数年先に検討する」ことを決定。その理由も、「数年先」の根拠も、信者たちに説明のないまま、事実上、使用を棚上げしてしまった。

それから7年近く経ち、「数年先」を迎えているのにさっぱり音沙汰がない。2019年1月の司教協議会常任委員会の決定を忘れてしまったように見える。

 

 「聖書 聖書協会・共同訳」の刊行事業は、「『新共同訳』が刊行されて20年が過ぎた現在、聖書の新しい訳が検討されるべき時期が来ている。過去数十年間に生じた聖書学、翻訳学のどの進展、底本の改訂、日本語や日本社会の変化、また『新共同訳』見直しへの要請が、新しい翻訳を求めている」との認識から始まった。

 日本聖書協会が国内のカトリック、プロテスタントの32教派、1団体から推薦された議員21人による「共同訳事業推進計画諮問会議」(カトリックからは司教協議会の推薦で岩本純一、下窄英知の2名)からを設け、2008年から2009年10月まで4回の会合で「翻訳方針前文」をまとめ、理事評議員会で翻訳事業の開始を決定。

 そして、カトリック司教協議会も2010年2月の臨時総会で「聖書の新しい共同訳事業を日本カトリック司教協議会として承認する」との決議をしたことで、正式にカトリック、プロテスタントが協力して翻訳事業が開始されることになった、という経緯がある。

 翻訳事業には、翻訳委員148人、翻訳者62人(翻訳委員プロテスタント107人、カトリック41人、翻訳者プロテスタント37人、カトリック25人)が参加。翻訳者にはカトリックから川中仁・上智大学神学部長、雨宮慧・上智大学神学部名誉教授、浦野洋司・カトリック神学院東京キャンパス非常勤講師、柊暁生・南山大学人文学部教授、高橋由美子上智大学外国語学部教授、編集委員には、カトリックから宮越利光・カトリック司教協議会典礼委員会秘書(肩書はいずれも当時)など。

 さらに、 検討委員には高見三明・長崎大司教、和田幹男・カトリック神学院聖書学講師。加えて 外部モニター(20人)には、梅村昌弘・横浜司教、岡田武夫・東京大司教、幸田和生・東京補佐司教(梅村師除き、肩書は当時)などが入っていた。

 これを見ても分かるように、 聖書の翻訳事業は、カトリック、プロテスタントの信仰一致の取り組みの重要な柱であるはずだ。その取り組みを司教協議会として総会で承認し、カトリック側から高位聖職者も、トップクラスの専門家も大勢参加して出来上がった知恵と努力と祈りの結晶である「聖書 聖書協会共同訳」を、司教協議会として、いまだに棚上げしたままにしているのは理解できない。

 廃止された司教協議会の「聖書委員会」の業務は常任委員会に引き継がれたとされているが、委員会の誰が担当司教なのか、あるいは2019年の常任委員会で、「典礼での使用は…」となっているから「典礼委員会」が、使用の是非を判断するのか。私たちには、司教協議会のどの部署が担当するのか分からないが、いずれにしても、司教協議会として、カトリック教会への「聖書 聖書協会共同訳」の導入について、明確な判断をする必要がある。

 

 日本の司教団のリーダーである司教協議会の会長、菊地功・枢機卿、東京大司教は、日本聖書協会の副理事長でもある。「聖書週間」実行の、そして「聖書協会・共同訳聖書」のカトリック教会への正式導入の是非を判断するキー・パーソンの判断力、実行力に注目したい。

 

(「カトリック・あい」代表・南條俊二)

2025年10月31日

【2025年10月の巻頭言】 10月1日で11回目となる東京地裁「神言会裁判」にみる被告側のあまりにも不誠実な対応

【2025年10月の巻頭言】 10月1日で11回目となる東京地裁「神言会裁判」にみる被告側のあまりにも不誠実な対応

  教皇レオ14世は9月18日に公開された米有力カトリック・サイトCruxとのインタビューで次のように語られている。

  「性的虐待被害者は深い敬意をもって扱われねばならない。虐待によって非常に深い傷を負った人々は、その傷を一生背負い続けることもあるのです… 教会は、何よりもまず、司祭、司教、信徒、修道者、男性・女性、カテキスタなど教会関係者によって人々が被った痛みや苦しみに、真摯で深い感受性と慈愛を育まねばなりません」。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 聖職者による性的虐待で深い傷を負った女性信者が、加害者が属していたカトリック修道会・神言会に対して起こしている損害賠償訴訟の11回目の裁判が、10月1日午後4時から東京地方裁判所第615法廷で開かれた。だが、被告神言会から出された準備書面も相変わらず、会の責任を回避するような文言が目立ち、次回は12月1日、次々回は来年2月9日と、3年目に持ち越されることが確定した。

 裁判は、神言会に所属し、当時、長崎大司教区内の小教区司牧を委嘱されていた会員司祭が女性信徒に対し不同意性交を強いていたとして、被害信徒が神言会日本管区の監督責任を問い損害賠償を求める訴えを起こしたことから、2024年1月23日から始まった。

 被害者の主婦・田中時枝さんが裁判所に提出した訴状によれば、長崎・西町教会で助任司祭を務めていた神父は2012年、「ゆるしの秘跡」を受けた田中さんの告解内容を聴くと「やり直さなければだめだ」と性交を迫り、以後約4年間にわたり被害者女性をマインドコントロール下に置いて、不同意強制性交を重ねていた。

 心の平静を取り戻した田中さんは、加害司祭を「不同意強制性交の罪」で刑事告訴したいと考え、まずその司祭を監督・指導する立場にある神言修道会の上長に事情を打ち明け相談した。修道会側では加害者とされる神父から事情を聴き、本人を派遣先の長崎から引き上げさせた後、母国に送還したものの、「被害者には謝罪など誠意のある対応を見せず、何の救済措置も取らなかった」ため、裁判に至った。

 これまで10回の裁判を振り返ると、この修道会の対応は、上記の教皇の言葉とはまさに真逆だった、と言わざるを得ない。 被告の神言会は、一度として会を代表する者が出席せず、代理人弁護士に任せ続け、 第1回から10回までの、被告代理人弁護団の対応を、傍聴人の立場から見ても、元司祭(加害後に司祭を辞めた)が所属していた神言会の責任を回避しようとする姿勢ばかりが目立ち、被害者に対する誠意や思いやりが全く感じられないのだ。

 まず、原告被害者は本人が毎回裁判に出席しているのと対照的に、被告の神言会は、一度として会を代表する者が出席しなかった。すべてを代理人弁護士に任せ続けている。

 そして、その代理人弁護士の対応は当初、原告の訴えの内容に対して、『不知』(「知らない」の意味)と答え、裁判長から「不知ばかりですが、どういうことか」と問われて、『否認』、そして『虚偽』との言い方を変えていった。当初は「どこにいるか知らない」としていた加害司祭を「補助参加人」として裁判に参加させ、あわせて代理人弁護士3人の強力な体制をとった(原告側は代理人弁護士1人だ)。

 二年目に入ると、被告とされている司祭(当時)がしたとされる教会外での『行為』について、「神言会に責任を問うことはできない」と会の責任を否定。さらに準備書面で、「司祭としての『業務』か、読書や散歩など『私生活』は除外される(この司祭=当時=について原告側が性的虐待を働いたとしている行為があろうとなかろうと責任は神言会にない、と言う意味)という”珍説“を展開している。

 感じられるのは、何とか責任を逃れよう、という姿勢のみ。当然、代理人弁護士は自身の判断で動くわけではなく、神言会の意向に従って対応しているわけだ。そうだとすれば、この修道会は、教皇の意向とも、日本の司教団が毎年出しているメッセージとも全く乖離し、被害者に対する謝罪も、反省も、いたわりも全く欠いたイエス・キリストの説く愛の行為とは真逆、ということになる。

 3月の「性的被害者の日」のメッセージで、日本司教協議会会長で神言会員でもある菊地・枢機卿、東京大司教は、不特定の被害者に謝罪し、対応を約束している。 だが、Cruxとのインタビューで、この裁判について聞かれ、「修道会の問題は会の本部が判断することで、教区長は口をはさめない」と世間一般の常識から判断して理解できない発言をしている。これでは、上記のメッセージの言葉は全く説得力をもたない。

 東京教区で言えば、信徒数の半分近くは、現在入手可能な不完全なデータをもとにすると様々な修道会が会員司祭が運営する教会に所属しているはずだ。そうだとすれば、教区の信徒の半分近くは、司祭たちから問題行為をされ、修道会が対応してくれないからといって、教区に訴えてもどうにもならない、ということになる。

 菊地師は、神言会で世界で二人しかいない枢機卿の一人だ。組織上はともかく、事実上、会を代表する人物の一人と一般社会では誰もが判断するだろうし、この問題についても「助言」は可能、という見方が専門家の間にもある。英語には「peer pressure」という言葉がある。日本語で言えばこの場合は、「友情ある説得」「同じ会の仲間への説得」。どうして、そのことに考えが及ばないのだろうか。

 日本でも信徒が少ない分、表面化した虐待をめぐる訴訟件数は欧米に比べれば少ないが、既に司祭による性的虐待裁判が結審した長崎、仙台両教区では、加害司祭が属していた教区側は裁判所の指示で和解に応じたものの、若干の賠償金を原告被害者に支払っただけで、公式の謝罪は聞かれず、心身のケアも、教会に復帰できるような支援をしているとは聞かない。

 そればかりか、仙台の場合は、「あの人はお金をもらいたくて裁判をした」という心無い教会関係者の声がさらに被害者の心に傷を大きくし、教会に戻ることができずにいる。そうした中で、広島教区でも教区の不誠実な対応に失望した信徒が同様の訴えを裁判所に起こし、裁判が始まっていると聞く。

 ドイツなどでは、聖職者による性的虐待の隠ぺいや被害者への不誠実な高位聖職者の態度が、信徒たちを失望させ、教会離れを加速している要因になっている。

 日本でも、今のような事態を事実上放置したまま、”シノドスの道“を司教、司祭、修道者、そして何よりも一般信徒が、心から共に歩むことができるとは、とても思えないし、ドイツの教会の二の舞になる恐れもある。

 田中時枝さんは11回目の裁判の前に、支援者への感謝を込めた手紙にこう書いている。「私の、失った尊厳は取り戻す方策もなく絶望の日々がさらに鮮明に蘇ります。皆様に送る手紙に切手を貼りながら、はらはらと涙がこぼれ落ちてしまいます。性暴力によりもぎ取られた人生は、失われてしまったまま、返りません… カトリックの赦しの秘跡の秘密を利用した神父によって、今も私は苦しんでいます。修道会に相談しても加害神父の行為を認めず、何も対応してくれなかった。隠蔽され、無いものにされてしまった。その不誠実さに、私は毎日、絶望と地獄のような苦しみを味わっています」。

 このような悲痛な訴えを前に、「私の所に言って来ない」「修道会の問題だから、教区長としてはどうしようもない」といつまで言い続けるつもりなのだろうか。

 菊地枢機卿も、日本の司教団も、そして修道会の幹部も、真剣にこの問題と向き合い、真摯に体勢を立て直し、被害者への誠実な対応、謝罪、補償、心身のケア、そして教会へ復帰できる支援へ具体的行動をする必要がある。 来年には結審する神言会裁判へのこれからの対応が、一つの試金石になる。

(2025年10月1日記「カトリック・あい」代表・南條俊二)

2025年9月28日

【2025年9月の巻頭言】   2024年度「カトリック現勢」に思うー日本の教会改革に生かすためのデータ収集、分析が必要だ 

 8月は、広島、長崎原爆投下80周年、平和旬間でしたが、注目されるような関係者の発言やニュースはなかったこともあり、夏休みの最盛期。猛暑で読者の方々の閲覧意欲も鈍られたのか、閲覧件数は月間で1万6000件程度にとどまりそうです。 その中で特筆されるのは、読者投稿と常設コラムの個別閲覧件数が上位10本のうち8本を占めたことです。

 トップは、東京教区ニュースのシノドス担当の某司祭が連載コラムで教皇フランシスコをあしざまに批判したことへの疑問を呈した投稿(155件)と、それに共感する読者の声(162件)。いずれも7月初めから掲載していますが、2か月弱の累計でそれぞれ454件、581件と圧倒的な閲覧件数で、 多くの方の共感を得ていることを示していると言えます。

 常設コラムは、Sr.阿部の「乃木坂の修道院」、女性信徒の「パトモスの風」(サン・ダミアーノの十字架続編)、西方の司祭の「共に歩む信仰に向けて」(教皇制のゆくえ)、「カトリック精神を広める」本紹介、「愛ある船旅への幻想曲」(真理の愛とは)など、硬軟バラエティに富んだ、多くのことを考えさせる内容が好評が続く理由でしょう。

 

 これら以外に10位以内に入っているのは、「所属司祭(当時)による女性信徒性的虐待の責任を神言会に問う東京地裁での裁判の第10回(神言会、「不法行為ない」と全面否定)が97件、掲載開始の7月下旬からの累計で281件。(第8回裁判「『私生活』は司祭の『業務執行に含まれない』と被告側が”珍説“」は累計740件に達しています。)、もう一つは、「信徒も減っているが、聖職者など減少深刻、コロナ明けもミサ参加者、新規受洗者回復せず―日本のカトリック現勢」が8月23日に掲載してわずか一週間で90件も読まれています。この二つの問題を日本の教会のあり方とも関係して深刻にとらえる司祭、信徒が多いことを示している、と思われます。

 

 「カトリック現勢」2024年度版については、上記の通り、「現勢」にはない、過去のデータなどを用いた「分析、説明」を「カトリック・あい」で加え、この「カトリック・あい」に掲載していますので、まだの方は是非お読みいただきたいのですが、本文中の中見出しを再掲すると…

 「日本の一般信徒数は20年間に7.7%減少、聖職者・修道者・神学生は34.8%も減っている」「コロナで激減したミサ参加者、受洗者数などは、今も回復せず、”教会離れ”が常態化?」「教区別信徒数、『札幌』は10年で2割減、1割以上減が『長崎』など4教区。7つの教区が東京・麹町教会に信徒数より少ない」「聖職者・修道者・神学生は10年間で『仙台』で8割減、『福岡』7割減、『京都』『新潟』『鹿児島』も5割超えの減少。東京も26.4%減少」となります。

  日本の信徒や司祭が日本の教会の現状を理解し、今後の在り方を考え、具体的な方策を立てるために、適切なデータ収集、分析を行うことは、必要不可欠です。しかし、そのような役に立つものに「現勢」はなっていない。 毎年8月ごろにカトリック中央協議会のホームページに前年度の数字が発表されているものの、よほど関心のある信者でもない限り、引き出すのは容易でないうえに、内容はデータとグラフのみで、分析や解説などの文章は一切ありません。

 それは、「現勢」が、バチカンに報告が義務付けられていて、そのためにまとめている。やさしく言えば、日本の信者ではなく、バチカンに顔を向けたものだからでしょう。当然、データのとり方も、十年一日で、日本の教会をめぐる環境の大きな変化に対応した工夫もなく、信徒、聖職者の高齢化、若者の教会離れ、外国人信者の増加などを客観的に知るための年齢別、国籍別データもありません。このようなデータがあれば、AI技術などを活用して5年先、10先の日本の教会の姿を予測することも可能だし、具体的な対策を立てるのも容易になるはずです。

 日本の教会の現状の把握、将来の展望に役立つデータを収集、分析し、司教も司祭、一般信徒も皆で共有し、それぞれの立場、環境から、意見を出し合い、これからの日本の教会、福音宣教の使命を果たす教会をどうすれば作って行けるのか、その具体的あり方を考え、実行していく。 それこそ、教皇フランシスコが始められた”シノドスの道“の日本の教会における歩みとすべきではありませんか。

 

(「カトリック・あい」代表・南條俊二)

2025年8月30日

【2025年8月の巻頭言】神言会裁判記事と某教区ニュースの某司祭の前教皇批判発言の記事が圧倒的閲覧—何を意味するのか

 「かとりっく・あい」の7月の閲覧総件数は、前月より大幅に増加し、2万件を超えました。新教皇の誕生があった5月の4万2685件という、2016年10月の創刊以来の記録には及びませんが、日本国籍を持つカトリック信者が20万人強、 日曜のミサに通っておられる方がその5分の一程度と推定されるとすれば、直に比べられないとしても、かなりの閲覧件数と言えます。

 残念ながら、この高水準の閲覧件数を素直に喜ぶことはできません。圧倒的な閲覧が、開始以来一年を超えたカトリック修道会・神言会の所属司祭(当時)による女性信徒への繰り返しの性的虐待に関する裁判、そして、某教区ニュースの大型コラムにシノドス担当を自任する某司祭が、明らかに故教皇フランシスコを嘲笑、批判すると受け取られるような記事を載せたことへの、司祭、信徒からの批判の投稿で占められているからです。

 トップは、「聖職者性虐待、日本でも」—TBSテレビ「News23」で放映、”修道会”は「係争中」を理由に取材に応じず(534件)で、これを含めて神言会裁判の関連では100件以上の閲覧が6件に上りました。大きな苦難を背負って修道会の責任を訴え続ける被害女性が毎回原告として出廷しているのに対して、神言会は代理人弁護士を3人も雇って任せきり、日本管区長や加害者とされている元司祭は10回の裁判に一度も出廷せず、知らぬ、存ぜぬ、責任がない、と繰り返し、被害者への思いやりのかけらも見せていません。

 2位、3位は(読者投稿)「自分が「古い人間だ」だからといって、前教皇フランシスコをあしざまに批判するのはやめてほしい」(297)と(コラム反響)「日本のカトリック教会の質の低下を示している」「なぜ前教皇をここまで貶めねばならないのか」「何をおっしゃりたいのか、分からない」(359)で合わせて600件を大きく超えました。

 高齢化、世俗化が進み混迷が進む教会と社会の危機感を持ち、何とかして、教会内外の人々と共に歩み、様々な課題解決に努力しようとしている司祭、信徒は少なくないはずです。そうした中で、およそ、一般社会から見てもまともとは思われない、これらの対応が、さらなる教会離れを誘っている、いくら耳に聞こえの良い話をしてもさっぱり説得力を持たない、一部高位聖職者や司祭、修道者への批判や嘆きが、この閲覧状況から伺うことができるでしょう。

 そうした日本の教会の現状の中で、教皇レオ14世が主日正午の祈りに先立つ説教で語られた「教会と世界に必要なのは『都合のいい時に”参加”する人』ではない、『常に宣教の現場で熱心に働く人』だ」との言葉に50件を超える閲覧があったのは示唆的です。

 教皇フランシスコの大きな遺産の一つが”シノドスの道“ですが、教皇レオ14世の同意を得てシノドス事務局が発表した「シノドス実施段階への道筋:2025₋2028」の構成と内容の要約には、105件の閲覧があり、日本の教会の消極的な歩みにもかかわらず、司祭、信徒の間に関心が衰えていないことを示しています。

 ただ、直後に発表された日本の司教団のトップのメッセージ対しては「菊地大司教『シノドスの道の今後について』を読んで—「バチカン指示待ち症候群」から脱しなければ」という読者投稿が98件も寄せられていることにも注目する必要があるでしょう。

 日本中の信徒、修道女、司祭の皆さんから毎月いただいているコラムには、多くの閲覧が続いています。 初参加の「パトモスの風—田園調布教会・聖クララ聖堂の「サン・ダミアーノの十字架」(140件)、・Sr.阿部の「乃木坂の修道院から—ブーゲンビリア咲く小さなマリアの園で、お祈りをする小学生との対話」が(137件)、「愛ある船旅への幻想曲—”指示待ち族”では教会は成り立たない。だがイエスの愛を生きるには覚悟がいる」(125件)、「神様からの贈り物—人間がAIに近づいている、と感じるのは、私だけ?」(63件)など。

 女性執筆者の方々の”健闘“が目立ちますが、・「共に歩む信仰に向けて」⑦教皇制のゆくえ ・その2「教皇と教皇庁、ヒエラルキー(位階制)秩序は変えられるのか」(112件)、「カトリック精神を広める⑲ 勧めたい本紹介2 フランシス・コリンズ著「ゲノムと聖書 科学者、<神>について考える」(52件)など、男性陣の”硬派”コラムもよく読まれています。

 日本では6日が広島平和記念日(原爆の日)、9日が長崎原爆の日、そして15日が終戦記念日がそれぞれ80年目を迎えます。日本のカトリック教会は6日から15日を「平和旬間」とし、早々と6月に司教団メッセージ、「平和を紡ぐ旅 -希望を携えて-」を出していますが、中国の急激な軍備増強と日本への挑発行為、原爆の増産など、日本を取り巻く安全保障環境の急激な悪化にどう対処すべきかという目前にある(不都合な)課題には目を背け、目前の脅威から日本国民を守ろうとする努力を「軍備増強反対」の一言でかたずけ、いたずらに平和を叫ぶ、どこかの政党と同じような部外者的“きれいごと”の繰り返しで、日本の教会全体で、考え、行動する具体的な予定も、また教区ごとの取り組みも、中央協議会のホームページには示されていません。

 世界に目を転じれば、バレスチナ・ガザ地区で激化するイスラエル軍の攻撃と住民の飢餓の深刻化、ロシア軍によるウクライナ軍事侵攻の継続に心を痛めた教皇レオ14世の繰り返しの和平への仲介申し出に、当事者たちは応じる気配がなく、空しく時が過ぎています。

 そうした現実をしっかりと認識したうえで、「日本にいては何もできない。祈るだけだ」とあきらめず、ガザ、ウクライナ、コンゴ、ミャンマー…苦しみ続ける人たちのために早期和平を祈るだけでなく、具体的な努力の可能性を常に模索することも、私たちに、教会に求められているのではないでしょうか。

(2025.7.31 「カトリック・あい」代表・南條俊二)

2025年7月31日

・2025年7月の巻頭言 「新教皇レオ14世の言動で気になる”軌道修正”の動き」

 

*閲覧件数は、”常態”に戻ったが、聖職者の性的虐待、と新教皇レオ14世の関連記事が圧倒的に読まれている

 

 6月の閲覧件数総数は約1万9000件。 教皇フランシスコが帰天された4月の2万6982件、新教皇レオ14世が就任された5月の4万2685件という2016年10月の「カトリック・あい」創刊以来の記録に比べれば大幅減ですが、通常よりも高い数字です。 教皇就任から間もなく2か月、読者の方々も落ち着きを取り戻された、と言えるでしょう。

 記事別閲覧件数を見ると、トップ、準トップが、司祭の信徒女性性的虐待で所属していた神言会に損害賠償を求める東京地裁での9回目の裁判関係で占められ、東京教区の子供と女性権利擁護委員会の担当司祭の更迭(86件)、新教皇の未成年・弱者保護委員会との初会談関連2本(74件、50件)、イタリア司教協議会の性的虐待年次報告で、前年の二倍の被害報告(54件)など、月間閲覧件数が40以上の記事37本のうち、11本。以前から教会の信頼を大きく損なう深刻な問題とされてきた課題が改めて浮き彫りになっています。

 コラムの人気に変わりはなく、3位から5位、6位(「聖霊は、真実と受け入れる・・」163件、「タイ語訳の日本の漫画がシスター誕生に・・」161件、「新教皇への大きな期待・・・」147件、「日本に『修復的司法』が・・」103件、以下69件、62件)など、よく読まれ続けています。寄稿者の方々に感謝します。

 新教皇への関心も決して薄れたわけではありません。「急ピッチのバチカン幹部との会見で見えて来るレオ14世の優先課題」など、月間閲覧件数40以上の記事37本中、10件を占めています。 

 

*司教団がいまだに日本語訳を出さない、前教皇の最後の回勅、世界代表司教会議総会の最終文書が読まれ続けている

 

 関連して、教皇フランシスコの最後の回勅『Delexit Nos(主は私たちを愛された)』の阿部仲麻呂師訳(123件)、昨年10月のシノダリティ(共働性)に関する世界代表司教会議の最終文書の「カトリック・あい」訳(47件)と読まれ続けています。いずれも、日本の司教団からいまだに正式訳が出ていません。後者の最終文書は、昨年10月末に発表され、「カトリック・あい」は翌11月中旬の全訳を終えて、掲載を始め、これまでの閲覧件数は合計612件に上っています。

 5月8日に新教皇に選出されたレオ14世は直後の「ローマと世界への挨拶」で「あなた方すべてに平和があるように…シノダル(共働的)な教会として、共に歩もう!」と呼びかけて以来、数多くのメッセージを出され、教会内外の多くの要人たちとの会見をこなされています。

 それをもとにこれから、どのような具体的行動、決定をされ、世界の教会をどのように導いて行かれるのか、引き続き注目していきたい、と筆者は6月号の巻頭言で申し上げました。

 

 

*新教皇に、フランシスコの「シノドスの道」「バチカン中心から地方分権」路線から”軌道修正”の気配?

 

 「西方の司祭」も7月のコラムで指摘されていますが、故教皇フランシスコの始められた、すべての教会のメンバーが共に耳を傾け合い、共に歩む“シノドスの道”、バチカン中央集権の”地方“への分権などの路線が、新教皇レオ14世のもとで、大きく”軌道修正“される気配がみられるように思われます。

(「カトリック・あい」代表・南條俊二)

 

 

*首都大司教へのパリウム授与を、「現地の教皇大使から」から「教皇から」に戻した

 

 その一つが、教皇から世界の首都大司教が着用するパリウムの授与です。

 教皇が司教たちとの絆を、支配権を強めるために9世紀ごろから本格的に始められたと言われますが、故教皇フランシスコは2015年に、6月29日のミサでご自身から大司教たちにパリウムを授与する代わりに、後日、出身大司教区で、その国に駐在する教皇大使によるミサで授与する、という形に改めました。

 当時のマリーニ教皇儀典長は 「この変更の意味は、新たに指名された大司教と地元教会との関係をより重視することにある。 これは、カトリック教会における”シノダリティ(共働性)の旅”の一部であり、教皇就任当初から、(教皇フランシスコは)教会の歴史におけるこの時期、特に緊急かつ貴重であると常に強調してきた」と説明。

 米サンフランシスコのジョン・R・クイン名誉大司教も、パリウムの方針変更は、 「教会におけるシノダリティ(共働性)を強調するための手段。大司教、自身の教区、そして首都圏管区の司教や教区に対し、教会における参加と交わりの真のシノダリティへの新たな道を開くよう求められていることを思い起させるもの」と意義を強調していました。

 ところが、レオ14世が教皇の座に就かれた後、教皇儀典室が6月11日に、29日にサンピエトロ大聖堂で行われる「聖ペトロ・聖パウロ使徒の祝日」のミサ聖祭の準備に関する声明を発表し、「聖父レオ14世がミサを司式し、パリウムを祝別し、新しいメトロポリタン大司教にそれを課す」と予告。29日のミサでは、実際に世界の54人の新首都大司教たちに、教皇が直接パリウムを授与され、彼らは教皇に忠誠を誓いました。

 小さいことのように思われるかも知れませんが、これは故教皇のパリウム授与の方針変更に込めた”シノドスの道“の歩みへの深い思いを壊すもののように受け取る関係者もいるようです。

 

 

*バチカン職員への「コンクラーベ・ボーナス」復活は、歳出削減・合理化推進を停止のしるし?

 

 バチカン中央集権から現地教会への権限移行に関連しては、フランシスコはバチカン財政改革の一環として、職員向けの歳出削減、人員合理化を進めようとされていたが、レオ14世は、職員たちとの会見で、「教皇は変わるが、教皇庁は残る」として、その重要な役割を讃え、フランシスコが廃止した”コンクラーベ・ボーナス“を復活させ、改革棚上げと受け取られる姿勢を打ち出しています。

 

 

「collegiality(合議制)」強調は、「sinodality(共働性)」から軸足を移す兆し?

 言葉の表現でも気になることがあります。レオ14世は 5月10日、教皇選出直後の枢機卿との会議で、「collegiality(合議制)」の重要性を強調しました。教皇選挙の前の枢機卿団の全体会議で出された前教皇への批判の一つ、つまり、時に孤立した形で統治したこと、に対する回答。 聖ペトロ大聖堂のバルコニーからの選出直後の挨拶で呼びかけた新しい統治モデルへのシフトを示しているのかもしれない、とLaCroixは論評しています。

 6月17日の、イタリア司教協議会(CEI)の司教たちとの会見でも、教皇は、司教たちの役割としてcollegiality(合議制)を 司教同士、教皇との間で進めるよう促されました。これも、前任者が推進された」に対比するかたちで表現されている懸念があります。

 

 もっとも、レオ14世は、教皇就任以降、短期間に何度も「シノダリティ」について言及しておられます。 例えば5月19日、キリスト教指導者たちに 「共同体とエキュメニズムは密接に結びついている 」と語り、「カトリック教会のシノダル(共働的)な性格を促進し、エキュメニカルな分野で『これまで以上に強力なシノダリティのための新しい具体的な形を作っていく』という教皇フランシスコの強い遺志を受け継いで行く私の意思を確認したい 」と言明。 

 

 

*シノドス事務局との初の会談で教皇は「シノダリティは、真の教会になるために”役立つスタイル”」と強調されたが、具体的方向は見えない

 

 また教皇は6月26日に、バチカンのシノドス事務局のグレック局長はじめ評議員たちと初の会談を持ち、世界の教会が「参加と交わり」の”シノドスの道”を歩み続けることができるように努力を求められ、フランシスコの遺産は、「何よりも次の点にあると、私は考えています… それは、シノダリティ(共働性)が、(すべての信者が)真の参加と交わりの経験を促進することで、私たちが真の教会となるのに役立つスタイルであり、姿勢であるということです」と強調されました。

 だが、今後の取り組みの指針、具体的には女性の助祭叙階など昨年の世界代表司教会議の最終文書で課題として残され、10のチームによる検討結果をどうするのか、”シノドスの道”の当面の締めくくりとするために前教皇フランシスコが提示された世界教会会議を予定どおり2028年に開くのか、会議の構成メンバーは、司教だけでなく、司祭・聖職者、一般信徒の代表も含むのか、そもそも具体的テーマはどうするのか、会議に向けて、世界の教会はどのように”シノドスの道“を歩むのか。 会見は単なる初顔合わせと教皇の”訓示“にとどまったのか、それともこのような具体的な課題まで踏み込んだ意見交換があったのか。 事務局からも、明らかにされていません。

 

 レオ14世は、原則として7月は、夏の教皇離宮カステル・ガンドルフォでお過ごしになる予定だが、中東やウクライナなど世界各地で和平実現の展望が見えず、予断を許さない事態が続く。 7月も、以上のような問題も含め、教皇の言動から目を離せないことになりそうです。

2025年6月30日

【2025年6月の巻頭言】この一か月に出された数多くのメッセージ、教会内外の要人との会見を、新教皇はどのように行動で示すか

 

 レオ14世の教皇就任から早や1か月が経とうとしています。「カトリック・あい」の閲覧状況から、世界の読者の反応を見ると、5月の総閲覧件数は4万2000件を超え、通常の月の3倍、2018年の教皇フランシスコ来日時を大幅に上回る、2016年の創刊以来の最大を記録しました。

 「カトリック・あい」では、教皇選挙が始まってから、日本語のカトリック系メディアの中で最も早く、詳細に伝え続け、教皇選出当日、日本時間9日は午前5時前までにレオ14世選出のストレートニュースにとどまらず、その人物像や選出の背景や課題に至るまで掲載しました。結果、9日の閲覧件数は1万2500件と空前とも言える閲覧をいただきました。単純比較はできませんが、日本のカトリック信者は、日本国籍だけで約20万人とされています。

 それだけ多くの方が、単に一般紙やテレビなどの表面的な報道に満足せず、早く新教皇の人となり、どのような教会のかじ取りをしていくのか、知りたい、という強い関心と願望を示している、と言えるかもしれません。「カトリック・あい」が少しでもお役に立っているとすれば、ありがたいことです。感謝します。

 このように多くの方が注目されている新教皇の言動ですが、これまで矢継ぎ早に出されているメッセージ、教会内外の要人たちとの会見や決定から、ご自身が取り組もうとされている重点課題がいくつか見えてきているようです。(続きは、巻頭言本文へ)

(「カトリック・あい」代表・南條俊二)

 

 教皇が9日の選出後に世界に向けて発せられた第一声は「あなた方すべてに平和があるように…シノダル(共働的)な教会として、共に歩もう!」でした。

  最優先課題は、平和—具体的には、故教皇フランシスコの努力にもかかわらず、いまだに和平への展望の見えないウクライナ、ガザ…の即時停戦です。

 1か月近くに出された多様なメッセージの中で最も多くの呼びかけをされ、特にウクライナに関しては、ウクライナのゼレンスキー大統領や米国のバンス副大統領、バチカン駐在の各国大使たちとの初会見、東方カトリック教会のキエフ大司教との初会見を含めて、ロシアとの交渉の仲介役への意欲を示されました。

 

 「シノダル(共働的)な教会として、共に歩もう」の呼びかけは、教皇フランシスコが始められた”シノドスの道”の継承です。

 これまでの歩みの過程で、強く出されてきた課題の一つ、聖職者の性的虐待がもたらしている教会の危機への対処では、担当の教理省のフェルナンデス長官と二度、また教皇庁未成年者・弱者保護委員会のオマリー委員長とも会われたことで、優先課題としていることが分かります。

  同様に、教会における女性の役割重視という課題に対しても、奉献・使徒的生活者省の長官、次官を修道女とする人事で行動をもって示されています。

 聖ヨハネ23世が始め、教皇フランシスコが推進されたキリスト教諸教会、諸宗教との一致(エキュメニカル)の取り組みを重視されていることは、キリスト教諸宗派・諸宗教代表との会見を速やかになさったことで明白です。

 

 以上を優先課題とされる背景には、教皇としてのご自分の名前を選ばれる動機となったレオ13世が始められたカトリック教会の社会教説の現代社会に対応した形での発展、具体的にはAI(人工知能)の急激な成長・拡大への教会としての対処も、すでに教皇就任直後の枢機卿会議で表明されています。

 故教皇フランシスコが取り組まれた教会改革では、教皇庁の財政赤字削減の一環としての人員削減で職員との軋轢を生じたとされる問題と関連して、職員に対する”コンクラーベ・ボーナス”の復活、全職員との会見での「教皇は移り変わるが、教皇庁は残る」発言などにみられるように、関係修復も、重要課題とされているようです。

  逆に、バチカンが直面している重要課題の中で、まだ新教皇が明確に語られていないのは対中国関係です。2018年に中国における司教任命について中国政府と暫定合意し、関係が大きく前進すると期待されていましたが、目立った融和は進まないどころか、前教皇が亡くなって、新教皇選出までの期間、つまり、判断すべき教皇が空位の間に中国政府・共産党は、一方的に二人の司教を任命、5月11日から一週間、カトリックなど5つの”公認宗教”の代表を集めて「中国伝統文化を学び、体験するイベント」を開き、“習近平思想”の徹底を図ろうとしています。共産党に忠誠を誓わないカトリックを含む宗教関係者への弾圧を緩める気配もありませんが、新教皇の姿勢はまだ見えてきません。

  進展が見られないと言えば、新教皇の度重なる呼びかけや仲介の意向表明にもかかわらず、ロシアによるウクライナ軍事侵攻は止まっていません。和平のための仲介の表明は、欧米の支持を得たものの、ロシアのラブロフ外相の”拒否“に遭って、棚上げ状態です。すぐにも和平実現、と自信を示していたトランプ米大統領も匙を投げそうな雲行きです。ガザ問題も緊急に対処すべき課題ですが、これらの難局を、教皇の立場からどう切り開いて行かれるのでしょうか。

  この一か月近くの間に数多くのメッセージを出され、教会内外の多くの要人たちとの会見をこなされた教皇14世が、それをもとにこれから、どのような具体的行動、決定をされ、世界の教会をどのように導いて行かれるのか、引き続き注目していきたいと思います。

 (「カトリック・あい」代表・南條俊二)

2025年5月31日

【2025年5月の巻頭言改】 新教皇に、”フランシスコの道”の力強い継承・発展を期待する

 

  ・教皇選挙は8日午後の投票で、初の米国人教皇レオ14世が誕生しました。

   ・4月の「カトリック・あい」の月間閲覧件数は通常の二倍、2万6000件を超えました。4月21日の教皇の突然のご逝去関連の閲覧が圧倒的で、「教皇の人生最後の時間…看護師に感謝」「教皇の遺言発表-人生最後の苦しみは、世界の平和と諸国民の間の兄弟愛のために主に捧げる」、そして亡くなる前日にご自分で読み上げられた Urbi et Orbi , 主の復活の日の主日の説教などがよく読まれました。

  5月に入るとさらに閲覧ピッチが上がり、15日朝まで15日間弱の合計閲覧件数は通常の6倍、3万件を超え、特に未明に新教皇が決まった9日には昼過ぎまでに一日で1万件を上回りました。記事別にみると、上位11件中9件が「次期教皇有力候補を吟味する」で占められ、上位20位までで見ても、新教皇選出後の課題関連が大半。その中で、聖職者による性的虐待の日本での”踏み絵“となりつつある神言会の責任を問う裁判が6位と18位を占め、新教皇関連として読まれているようです。

  このような4月から5月初めにかけての閲覧状況から見て取れるのは、信者を中心とした読者の方々の、故教皇による慈しみと献身に満ちた教皇職への高い評価と共に、信徒、司祭、司教が共に歩む”シノドスの道“に象徴される教会改革の路線を新教皇が引き継ぎ、発展させることへの期待ではないでしょうか。

 

 

 

 ・新教皇が引き継ぎ、発展させるべき課題については、教皇選挙前に連続して開かれた枢機卿団の全体会議にほぼ出尽くしているようです。

 

  筆者なりに整理してみますと、まず、基本軸として、故教皇が教会改革の基礎に置かれた、世界に開かれた、共に喜びを持って歩む教会、と言う第二バチカン公会議の真髄から発する2021年秋からの”シノドス(共働性)の道“の中間点としての2023年、2024年のシノドス的教会をテーマとした世界代表司教会議、さらに、総仕上げとしての2028年の世界教会会議。それに関連する発言が、全体会議で多く、繰り返し出されたようです。

  そしてその基本軸の上に、多様化、分断化が進む現代社会における福音宣教の推進、世界の平和と安定への貢献、キリスト教他宗派や他宗教との連携、そうした活動の基本に関わるバチカンの財政・人事改革などが課題として出されました。

  福音宣教の推進の中には、信徒、司祭の高齢化、減少、若者を主体とする信徒の教会離れ、それを加速する聖職者による性的虐待と高位聖職者による隠ぺいへのさらなる具体的な対処、教会における女性の役割の抜本的な向上、関連して女性助祭・司祭を認めることの是非などが、大きな課題として残されています。急激に進む「AI革命」への具体的対応も重要性を増してきています。

  故教皇は、世界の現状を”分散化した第三次世界大戦“と定義づけ、ロシアによるウクライナ軍事侵攻、ガザ地区や南スーダン、ミャンマーなど各地で罪のない市民を悲惨な状態に置き続ける現状を深く悲しまれ、和平実現に祈りと言葉だけでなく、可能な限りの具体的な行動を続けて来られましたが、どれもいまだに成果を上げるに至っていません。関連して移民・難民問題への取り組みでは、欧州政治の潮目が変わる懸念が強まっており、教会としていかに食い止め、巻き戻していけるのかが、差し迫った課題です。

 このような問題への対処が効果を上げるためにも、キリスト教他宗派、他宗教との連携強化が必要です。故教皇はこの分野でも積極的に取り組まれてきましたが、教会全体への広がりはこれからです。

 そして教皇職の基盤としてのバチカンの改革。上部組織の整理・統合などはなされましたが、劣化した保有資産の処分を含む財政の抜本的な立て直し、関連して、歳入減に見合った人員見直しなどの歳出削減には、まだ手がついていません。

 

 ・76歳で教皇になられた故フランシスコは、「自分は、教皇職が十分果たせなくなったと判断したら、いつでも辞任する」と公言され、在位期間として5年を目途とされている、との見方も側近の一部にありました。しかし、このような多くの課題を道半ばにして去るわけにはいかない、という思いが、次第に強くなっていかれたのではないでしょうか。

 病床にあっても、祈りと共に誠実に職務を果たされようとされ教皇、世界の平和を願い、常に苦しむ人々と共にあって、精神と行動で、亡くなられる前日まで世界のカトリック教会のリーダーとしての「存在」を示し続けられた教皇。その遺志を継ぎ、さらに発展させる意欲と能力が、新教皇に期待されます。

(「カトリック・あい」代表・南條俊二)

2025年5月31日

【2025年3月の巻頭言】世界的な危機に直面して、教会は内外の「不都合な真実」から目を背けていないか

*歴史の危険な転換点、世界の、日本の教会の存在が見えにくくなっている… 

 

 ロシアによるウクライナ軍事侵略が4年目に入り、”和平“早期実現一直線のトランプ米大統領は、ウクライナ侵略の張本人、プーチン露大統領との親密さをアピールし、彼の責任を問うこともなく、ウクライナのゼレンスキー大統領抜きの二者合意を図ろうとしている。

 ロシアによる軍事侵攻について、国際司法裁判所は2022年3月、「国際法に照らして重大な問題を提起している」として直ちに軍事行動をやめるようロシア政府に暫定的な命令を出し、ハーグの国際刑事裁判所も2023年3月に、戦争犯罪でプーチン大領領に逮捕状を出している。だが、ロシアは全く無視したまま。ロシアに対する欧米などの経済制裁も、中国などがロシア原油などを買い込むなど、十分な効果を挙げずにいる。

 2月24日の国連総会でロシア軍の撤退を求める決議が採択されたが、米国はロシアを批判する文言に反対し支持せず、安全保障理事会では、米国提出の対露非難を含まない「紛争終結」を求める決議が採択されている。国際社会における正義も人道主義も全く踏みにじられている、と言っていい。

 司法、立法、行政の三権を事実上掌握し”独裁者”のように振る舞うトランプ、任期無しの独裁が“保証されたプーチン、そしてそのロシアと軍事同盟を結びウクライナ侵略に兵隊を送り込む北朝鮮の金正恩総書記、対露政策に加わらず漁夫の利を得ようとする中国の習近平主席の3者… 核兵器を背景に強権を振るう”指導者“たちに、世界の命運が握られようとしている。

 だが、世界が歴史の危険な転換点に直面しようとしている今、民主主義、人道主義の根幹をなすキリスト教を奉じるカトリック教会やプロテスタント教会の存在が見えにくくなっている。

 

 

*口だけでなく行動の人、教皇フランシスコになぜ倣おうとしないのか

 

 そうした中で、教皇フランシスコは、ロシアの軍事侵略開始直後に、ご自身でロシア大使館に足を運ばれて即時停止を働きかけ、その後も、特使をロシア、ウクライナ両国に派遣して、捕虜の交換や、ロシアが拉致したウクライナの子供たちの救出、それを契機にした和平への対話実現へ具体的な努力を重ねてこられた。

 主日の正午の祈りなど機会あるごとに、関係国指導者などに即時停戦、和平への対話開始を繰り返し訴えてこられたが、今、長期治療を余儀なくされる身だ。23日、年間第7主日の正午の祈りの説教原稿で、24日のウクライナ侵攻開始3周年を取り上げ、「全人類にとって痛ましく恥ずべき出来事」と指弾されたが、その言葉には、思うように力を尽くすことのできない無念さが、にじみ出ている。

 だが教皇以外、バチカンの外交部門担当者やウクライナ関係者を除いて、他の世界のカトリック教会の指導者たちは、このような単にウクライナに留まらない世界的な危険な転換点にあって、具体的にどのように現状を理解し、識別し、行動しようとしているのか。多くは、従来通り、「平和」「対話」を口にするだけで、事実上、傍観しているだけではなかろうか。

 日本の教会も“ご多分に漏れず”だ。日本の教会には、自国の政府などへの批判には勇ましくても、「海外の問題には関わらない、という、”不文律“がある」と、ある高位聖職者から聞いたことがある。不都合な真実から逃げている、と言われても仕方ないだろう。

 

 

*19日の「神言会裁判」の前、21日は「性被害者のための祈りと償いの日」-日本の教会は、司教団は何を「償う」のか?

 

 不都合な真実から逃げている、と言えば、国内の問題でもそうだ。その最たるものが聖職者による信者たちへの性的虐待への対応だ。

 3月の日本の教会の「祈りの意向」は、「性虐待被害者のために…性虐待被害者の受けた心と体の傷が癒され、神との交わりの中で生きる希望を見出すことができますように」であり、3月21日は日本のカトリック司教団が定めた「性被害者のための祈りと償いの日」だ。だが、カトリック中央協議会のホームページで、この日についての項目を検索しても、司教協議会会長の菊地枢機卿(東京大司教)が早々と2月1日付けで出したメッセージしか出て来ない。

 ホームページの「お知らせ」に書かれた3月の行事は、「日本カトリック部落差別人権委員会・ハンセン病問題学習会(15日)」と「長崎教区・日本の信徒発見の聖母記念ミサ・ライブ配信(17日)」だけだ。日本の教会、各教区の具体的な取り組みの紹介も皆無。会長メッセージだけで済まそうとしているように見える。

 そのメッセージは、「世界において、また日本にあっても、神からの賜物である命に対する暴力を働き、なかでも性虐待という神の似姿としての人間の尊厳をないがしろにする行為を、聖職者や共同体の指導者が働いたという事例が、近年相次いで報告されています」と、日本でもそのようなことがあることを公式に認め、「被害を受けられた多くの方々に、心から謝罪します」と述べてはいる。

 だが、具体的に謝罪の相手は誰なのか、どこで誰が、どのような被害をもたらしたのか、など、具体的事例も、「被害を受けられた方」がどのような苦しみを受け、教会としてケアをしているのかいないのかの説明もない。「被害者の人権に配慮して具体的な言及はできません」と言うなら、有名人の性的加害を隠ぺいしたフジテレビ首脳たちの当初の釈明と同じではないか。人権に配慮した表現の工夫などいくらでもできる。それとも、工夫できる”言語能力”が不足しているのだろうか。加害司祭あるいは教区、修道会を守ることを優先させ、被害者側に立った対応を怠ってきたのが、これまでの日本の教会、そして外国の多くの教会ではなかったか。

 21日は日本の教会の「祈りと償いの日」というが、メッセージには、具体的に被害者に対してどのような「償い」をするのか、肝心の説明がない。償いを本当にするつもりなら、「口」だけでなく、加害者とそれが属する教区、修道会が被害者に誠意をもって対応し、謝罪し、傷ついた心身のケアを助け、教会に温かく迎え入れる体制を整え、実行する、という行動が伴わねばならない。

 しかし、被害者の信徒が司祭あるいは教区を訴えた性的虐待裁判が終結した長崎教区、仙台教区の場合、筆者の知る限りでは、最後まで加害者も教区も被害者に謝罪せず、物心両面で精魂尽きた被害者が“和解”に応じたことで、賠償金ではなく、和解金を払っただけだ。あまつさえ、仙台教区では、被害者に対し「お金のために訴えたのだろう」という教会内部の心無い声が被害者の耳に入り、精神的な苦痛を倍加させ、聖堂に足を踏み入れることもできないでいる、と聞いている。

 

 

*「償い」とは、謝罪し、心身のケアを責任を持って助け、改めて教会に受け入れることだ

 

 「祈りと償いの日」の二日前、3月19日には東京地裁で、性的虐待被害女性による犯行当時司祭だった男が所属していた神言会に対する損害賠償請求裁判の第8回が行われる。初回から2年目に入ったこの裁判で、被告側は3人も弁護士を雇い、原告被害者の訴えを認めようとしていない。

 このような事件では、当然ながら、加害を立証するための「第三者の目撃証言」や「現場に残された物証」などを欠くことが少なくない。被告側はそれをいいことに、被害者の悲痛な訴えに耳を背け、あくまで知らぬ存ぜぬを決め込み、自費で弁護費用を工面する被害者側が裁判を続けられなくなるのを待ち、”最悪”でも「和解」で済ます、ということが、過去のケースでもあった。一年を超えて続く今回の裁判でも、そうした意図が被告側にはあるのではないか、と多くの関係者は感じている。

 1月29日の第7回裁判後に開かれた説明会・支援集会では、参加した30人を超える信徒や聖職者から、訴状で「告解で聴いたことを利用して被害者をマインド・コントロール下に置き、4年にわたって繰り返し性的暴行を繰り返した」とされる神言会のバルガス神父(当時)の行為について、「人間の尊厳を踏みにじる行為、それを司祭がするというのは赦されることではない」など批判の声が次々と出され、自らも若い時に、他の司祭から性的被害に遭ったことを打ち明けた方も2人いた。

 神言会に対しても「何故このような元司祭を切り捨てず、守ろうとするのか、バルガス以外にも同様な行為をしている会員がいるのでは、と疑いたくなる」「原告の弁護士は1人なのに、高い弁護費用を払って3人も弁護士を雇い、原告被害者と裁判で戦うよりも、加害者とされる元司祭に回心を促す必要があるのではないか」など、対応に疑問が呈された。

 「“あの時のこと”が繰り返し思い出され、一人でいると生きた心地がしなかった。だが、皆さんに励まされ、このような思いを口に出してもいいんだと思えるようになった。この一年間、苦しい裁判の私を支えてくれた神に、皆さんに感謝します。これが信仰を持つことだ、と教えられました」と感謝の言葉を忘れない原告・被害者の田中時枝さん。彼女を救う道は、神言会と加害者が訴えの内容を認め、口ではなく、行動で「償い」を果たすことではないか。

(「カトリック・あい」代表・南條俊二)

 

2025年2月28日

改【2025年2月の巻頭言】性的虐待者が所属した神言会に損害賠償を求める裁判一年、司教団トップの「祈りと償いの日」に向けた呼びかけとの落差は

【2025年2月の巻頭言】

 性的虐待者が所属した神言会に損害賠償を求める裁判一年、司教団トップの「祈りと償いの日」に向けた呼びかけとの落差は

 

 神言会に損害賠償を求める東京地裁での裁判が始まって一年。1月29日の第7回公判には40人を超す傍聴者。公判後の説明会・支援者集会では、自身のつらい体験や励ましの言葉が全員から出された。

 「カトリック・あい」の1月月間の閲覧状況を見ると、29日の公判を予告した「原告被害者の悲痛な訴え」が163件、公判の内容を報じた「加害者とされる人物の”匿名”申し立て却下」は掲載開始からわずか一日半で76件と、週間の個別記事別件数でこれまでトップを独走していた「聖年の全免償などを認める規範」を上回り、1位と2位を占めた。

 また日本司教団の性虐待に関する監査報告についての論評も月間で個別閲覧件数4位の124件に上り、「カトリック・あい」の閲覧者である日本内外の方々から、聖職者の性的虐待問題に大きな関心がもたれていることを示している。

 

 

*聖職者による人の尊厳を踏みにじる行為が日本でもされていることを認め、被害者に謝罪したが…

 

 間もなく”恒例”の日本のカトリック司教団が制定した「性被害者のための祈りと償いの日」を迎える。四旬節第2金曜日だから、今年は3月21日だ。司教団のトップである日本カトリック協議会会長の菊地東京大司教(枢機卿)が”恒例”の呼びかけを、昨年よりも半月早く、1月31日に発表した。その内容には、昨年の呼びかけに比べて、前進は見られる。

 呼びかけの内容を昨年と比べると、「世界において、また日本にあっても、神からの賜物であるいのちに対する暴力を働き、なかでも性虐待という神の似姿としての人間の尊厳をないがしろにする行為を、聖職者や共同体の指導者が働いたという事例が、近年相次いで報告されています」とし、初めて、日本でもそのようなことがあることを公式に認めたこと、昨年の呼びかけでは、誰に対して「謝罪」するのが明確でなかったのを、「被害を受けられた多くの方々に、心から謝罪します」と、相手を特定しての「謝罪」も評価できるだろう。

 

 

*具体的事例も、誰が相手なのかも、具体的な対応も説明がない

 

 だが、どこで何が起きたのかなど、具体的事例も、「被害を受けられた方」がどのような苦しみを受けたのかもはっきりしない。謝罪の具体的な相手も見えない。しかも「謝罪」をするだけで、具体的に被害者に対してどのような「償い」をするのか、傷ついた心身のケア、教会に改めて温かく迎え入れる体制をどうするのか、など肝心なことが欠落している。

「被害者の人権」を守る必要があるのは当然だが、それを理由にすべて曖昧にするのでは、「加害者ファースト」とも受け取られ、大きな社会問題になっているフジテレビの対応と同じではないのか。

 

 呼びかけでは、昨年10月に閉幕した2年にわたる世界代表司教会議(シノドス)通常総会の最終文書を引用する形で、「被害者は、最新のうちに歓迎され、支援されなければならない」としているが、日本の現状は、全くされていないに等しい。さらに、「最終文書では、透明性、説明責任、評価の重要性が説かれている」としている。

 

 

*「教会全体の声を聴き、対応のあり方や組織改編を検討」というが、これまで何をしてきたのか

 

 そのうえで、現在、「司教協議会と男女の修道会協議会とで、既存の枠を越えた協働関係の枠組み構築を急いでいる」「被害を受けられた方々と歩みをともにするためには、教会内外のいわゆる外部専門家の協力と協働がなければ、ふさわしく対応することはできない… 教会全体の声に耳を傾け、よりふさわしく十分な対応のあり方やそのための組織の改編、さらには聖職者や共同体の指導者の啓発などを検討してまいります」というが、現状はどうか。

 カトリック教会の聖職者による性的虐待は、米国で有力紙Boston Globeが2002年にその隠蔽を暴く報道をしたのをきっかけに、欧米を中心に世界の教会を揺るがす深刻な問題となった。2013年に教皇に就任されたフランシスコは、この問題に積極的に取り組まれ、2016年に全世界の教会に「性虐待被害者のための祈りと償いの日」を定め、日本の司教団も2017年から四旬節第二金曜日として、「祈りと償い」を始めた。だが、それから4年以上経過した今も、対応に実のある進展はない。

 

 

*2023年度監査報告は「性虐待の申し出は2教区、3件」というが、内容不明、どう対応したのかも不明

 

 昨年12月27日に司教団が発表した「2023年度日本の教区における性虐待に関する監査報告」によれば、「2022年4月から2023年3月の間に性虐待の申し立てがあったのは2教区、3件」とわずかな”数字”を上げるのみで、どの教区で、どのような内容の申し立てがあり、具体的に教区としてどのように対応しているのかなど、全く明らかにされていない。日本の全16教区のうち、性虐待防止に関する行事・研修会を実施したのは、わずか6教区、司祭・修道者の研究を実施したのも7教区のみ。「性虐待の申し立てのあった教区には…(未成年者・弱者保護の)ガイドラインに基づいてさらなる対応をするよう求めた」とあいまいな表現で、他人事のような”対応”を述べただけで、教区の申し立ての内容がどのようなものなのか、その教区はどのような対応をし、しているのかなど、大事な点が判然としない。

 

 

*今年の「性虐待防止に関する研修会」申し出は、全16教区中、名古屋、京都の2教区のみ

 

 この問題を扱うはずの司教協議会の「子どもと女性の権利擁護のためのデスク」の事務局会議について、協議会のホームページで明らかになっている最新のものは、昨年12月5日に開かれたものだが、それによれば、「研修会」の依頼は3月の名古屋教区司祭研修会、7月の京都教区司牧者研修会(オンライン)の二件のみ。あとは、2025年「祈りと償いの日」リーフレットの印刷、教区への納付、それに、「ガイドライン対応マニュアルの継続審議」となっている。

 

 菊地会長の1月31日の呼びかけでは、おそらくこのような状態も念頭に、「現状の教会の組織形態や日本の法律上の組織形態では、それぞれの司教区や修道会は独立しており、一致協力して透明性、説明責任、評価に取り組むことができておらず、この点は多くの被害者の方々、支援者の方々から厳しく指摘されています」と”率直”に述べているのは良しとしても、「祈りと償いの日」制定からみても、すでに8年が経過している。司教団は一体何をやってきたのか。「研修会」の低調な依頼状況を見ても、会長の「呼びかけ」とは、あまりにも乖離している、と言わざるを得ない。

 

 

*司教団の緊張感のなさはどこから来るのか…

 

 この司教団の緊張感の無さはどこに起因しているのか。「黙っていればすぐ終わる、忘れてしまう」と思っているのだろうか。「裁判に訴えても、性的虐待という事案の性質上、第三者の目撃証言が得られることはまずないし、”証拠物件”も時間の経過もあり残っていない、自身で裁判費用を負担するには重すぎで、訴訟を長引かせることもない」と見ているのだろうか。

 何千件、何万件と被害訴えが噴出している欧米や、南米の現状に比べれば、「2件や3件は大したことはない」ということなのだろうか。実際はそうではない、いまだに”神父様”を崇め奉る風土が残る日本では、酷いことをされた、と言う思いを持ち続けながら、多額の裁判費用を払って、教会や修道会を相手にする勇気を持てない被害者が少なくないのだ。「カトリック・あい」にもそのような情報がいくつも寄せられている。

 

 

*被害者が、莫大な物心両面の犠牲を払って裁判をしても、長崎、仙台教区は”和解金”を払うだけで、まともな謝罪もケアもなし

 

 そうした中で勇気を奮って教区に訴えても、取り上げてもらえず、やむなく莫大な物心の犠牲を払って裁判に持ち込んでも、長崎教区や仙台教区のように、弁護士を教区側が雇って、否定にかかり、”二次被害”を原告・被害者に与えるケースも見られる。

 そうした犠牲に耐えられず、裁判所から和解の働きかけを受け、応じたものの、教区側は”和解金”(損害賠償金ではない)を支払っただけで、被害者が何よりも求めていた、性的虐待の事実の認定、謝罪、そして心身のケア、教会への迎え入れの環境造りなどは皆無。さらに、仙台教区の場合は、心無い信徒から「あの人はお金のために裁判をした」などという噂をたてられるという”三次被害”に遭い、いまだに、怖くて、聖堂の中に入れないでいる。

 

 

*東京地裁での神言会に対する損害補償請求裁判、被告側は3人も弁護士を雇い、すでに1年、原告支援者たちから批判の声

 

 1月29日の東京地裁での神言会損害賠償裁判第7回公判の後開かれた、原告と代理人弁護士による説明会・支援集会では、参加した30人を超える信徒や聖職者から、訴状で「告解で聴いたことを利用して被害者をマインド・コントロール下に置き、4年にわたって繰り返し性的暴行を繰り返した」とされている神言会のバルガス神父(当時)について、「人間の尊厳を踏みにじる行為、しかもそれを司祭がするというのは赦されることではない」「加害者とされる司祭(当時)には良心があるのか。彼のとった行動が理解できない」と批判の声が次々と出され、自らも若い時に、他の司祭から性的被害に遭ったことを打ち明けた方が2人いた。

 また、神言会に対しても「神言会は、なぜこのような元司祭を切り捨てずに守ろうとするのか、バルガス以外にも同様な行為をしている会員がいるのではないか、と疑いたくなる」「原告の弁護士は1人なのに、高い弁護費用を払って3人も弁護士を雇い、原告被害者と裁判で戦うよりも、加害者とされる元司祭に回心を促す必要があるのではないか」など、その対応に疑問が呈された。

 原告・被害者の田中時枝さんは、「あの時のことが繰り返し思い出され、一人でいると生きた心地がしなかった。夜も寝られない日があった。体をもぎ取られそうな気持。だが、皆さんに励まされ、このような思いを口に出してもいいんだと思えるようになった。この一年間、苦しい裁判の私を支えてくれた神に、皆さんに感謝。これが信仰を持つことだ、と教えられた」と感謝の言葉を忘れなかったが、彼女を救う道は、神言会と加害者が訴えの内容を認め、謝罪し、心身のケアに努めることを約束することではないか。

 

 

*「心から謝罪」するなら、原告の苦しみを受け止め、具体的な行動で率先垂範する必要が

 

 「呼びかけ」をしている司教協議会の菊地会長(東京大司教・枢機卿)は、まさにその神言会の会員であり、日本管区長も経験されている。神言会のホームページによれば、現在の日本管区長は、菊地大司教の秘書役を数年前に勤めていたディンド師だ。

 菊地会長は「呼びかけ」で、「信頼していた聖職者から暴力を受け、心に深く消えることのない傷を負われた方々に対して、あたかも被害を受けられた方に責任があるかのような言動で加害者を擁護するなど、二次加害によってさらに被害を受けられた方々を傷つけた事例も、教会内にあります。これらの言動が、人間の尊厳をさらに深く傷つけています。責任は優位な立場を利用した加害者にあるのは当然です」としている。

 本当に「心から謝罪」するのであれば、この目前にある東京地裁での裁判をこれ以上長引かせ、反対弁論で原告・被害者の「尊厳」をさらに傷付け、苦痛を与え続けることがないように、自らが関わりのある修道会と”行為”をした当時の会員、加害者の責任を認め、謝罪させ、被害者を責任を持って心身のケアをするように、率先垂範して指導する必要があるのではなかろうか。それがないままで、せっかくの”心からの呼びかけ”が、説得力を持つだろうか。

(「カトリック・あい」代表・南條俊二)

 

 

 

 

2025年1月30日

【2025年新年1月の巻頭言】「カトリック・あい」10月で創刊10年、「カトリック新聞」3月で廃刊を機に考えるべきことは

 新年おめでとうございます。「希望の巡礼」の聖年に当たって、皆さまが、そして世界が、平和への希望を持つことのできる一年となることをお祈りいたします。

 日本で唯一のカトリック系独立インターネット新聞である私たちの「カトリック・あい」は、今年2025年11月で10年目に入ります。これと前後して、日本のカトリック教会で唯一の月刊紙、創刊100年の伝統を持つ「カトリック新聞」が今年3月30日付けをもって事実上の廃刊を余儀なくされることとなります。同紙は公称発行部数9000部といわれていますが、「カトリック・あい」の月間閲覧件数は創刊時の数千件から現在では2万件前後、2024 年の年間累計閲覧件数は23万件に増えています。

 むろん、発行部数と閲覧件数を単純に比較することはできませんが、この二つの出来事が、広く日本の教会の発信力の現状とあり方のついて考える、きっかけの一つになるのは間違いないと思います。

 

 

*高位聖職者のオピニオン紙の発行の打診に「”紙”の新聞は無理、インターネットなら」と

 「カトリック・あい」創刊は、2015年秋、すでに「カトリック新聞」に限界を感じておられた故森一弘司教から、新しいオピニオン紙の発行について打診を受けたことに遡ります。

 筆者は、日本、というよりも自由世界の日刊紙として最大の部数を持つ新聞社に40年以上も籍を置き、地方記者から、本社の経済記者、デスク、論説委員、東南アジア地域の新聞発行統括を務めた経験から、日本のカトリック教会が全国の信者はもちろん、教会外の人々とも共に歩む、外に開かれた教会に脱皮していくためには、それに役立つ内外の情報、評論などを提供する新たな媒体が必要、とかねてから考えていました。

 しかし、人々の新聞離れ、”紙”離れが加速度を増している今、取材、執筆、編集、印刷、発行に多くの人員をそろえ、印刷、配布にも多額の資金が必要な”紙媒体”を創刊するのは無理。インターネットを媒体とするものなら、引き受けてもいいのではないかと考え、そのようにお答えしたところ、「資金援助は無理だが、他のことは協力するので、準備を進めてほしい」との答え。パチカンや教区のひも付きとせず、森司教の意図をくみつつ、協力を得ながら独立・自由な発信をするのであれば… ということで準備に着手しました。

 そして、カトリック信徒やその理解者の知人たちから、インターネットの専門家、大手業界団体の広報経験者、カトリック系の出版責任者の参加を得、四人で運営資金を出し合って、2016年10月から本格発行を始めることになったのです。

*「カトリック・あい」の経験もとに、5年前、”紙”離れに対応した「カトリック新聞」の抜本改革を提言したが…

 

 無償で協力してくださるコラム執筆者も増えて、発行が軌道に乗った2019年秋、「カトリック・あい」での経験も踏まえ、当時の「カトリック新聞」編集長の司祭と面談し、このまま魅力の薄い内容の紙の媒体だけの新聞を続けていても、早晩、限界を迎えてしまう、と申し上げたうえで、抜本的な改革案-インターネット・ニュースとタプロイド版週刊誌紙のハイブリッド化、スタッフの人員、能力の強化など―を具体的に提言しました。しかし、改革を試みたその司祭は、新聞内部関係者の抵抗に遭って頓挫し、ご本人もポストを去ってしまった。

 翌年、司教団の事実上のトップについていた方に、改めて「カトリック新聞」の抜本改革について同様の提言をしたのですが、新聞内部の同意が得られそうにないことを理由に棚上げ。さらに2年後の2022年秋に改めて、「カトリック新聞を含めた広報体制の刷新・強化、発信力の強化、そのために、発信すべきメッセージとなる情報を的確に受け止め、文章にし、的確、効果的に発信する能力を持ち、思想的にも偏りのない公正な人材のスカウト、育成の体制が必要」と申し上げたところ、「広報の問題はS司教が担当することになり、カトリック新聞、出版、広報についての見直しを始めているので、任せている。改革となると司教協議会の総会にかけねばならないし…」との返事。

*司教団が、事実上の2025年3月で廃刊を決めたが… 改革の方向は?

 

 それから1年半後の2024年2月、司教団が司教総会で「カトリック新聞」の「休刊」という名目で廃刊を決定。2025年3月30日付をもって発行を停止し、同年4月以降は、Webで情報提供をし、紙媒体は月1回程度、無料で小教区や修道会に配布する、ということになったのです。信者の間には、「上位下達のお触ればかり。聖職者の訃報以外役立つ情報がない」「典礼や教会暦に関する手垢のついた解説が多く、読む気がしなかった」など”廃刊やむなし”の声もありましたが、「慣れ親しんだ情報ツールをつぶさないで」「投書欄は、信徒が発信できる数少ない場、読者が信仰を問い直す貴重な場」など存続を求める声もあり、存続を求める署名運動も起きました(カトリック社会問題研究所「福音と社会」333号など)が、廃刊の方針が変わることはありませんでした。

 事実上廃刊に至った事情について、司教協議会会長の菊地東京大司教は、2024年3月3日付けのカトリック新聞紙上で、「近年、定期購読者数が減少し、経営的には厳しい状況が続いており…現在の新聞事業の経営状況と、インターネットの普及のスピードを考え合わせたとき、日本のカトリック教会の情報発信をどのようにするべきか、数年前からそのあるべき姿について検討を重ねて参りました。 その結果、数年後を見据えて、現在、カトリック新聞、広報、出版と独立しているカトリック中央協議会における情報発信の部門を統合し、新たな形での情報発信の姿を確立するために、具体的な作業に入ることを決定致しました」と説明。「2025年4月以降は、インターネットでの発信へと転換することにするが、いわゆる『新聞』という紙媒体での発行も毎月1度の形で、無料広報誌とし、各小教区や修道院、教会関係施設に配布するなどの方法をとる、編集方針は今後の検討課題だが、詳細で速報的なニュースはインターネットで、教会全体の流れは紙媒体でという棲み分けになろうかと思う」としている。

 筆者が2019年秋に当時の編集長だった司祭に、抜本見直しを提言したほぼ同じ内容が、5年も経って”実現“することになった、というわけです。教会の内外の情勢は急速な変化を続けています。そうした中で、この対応の遅さはどうしたことでしょうか。しかも、肝心の内容に直接関わる取材、執筆、編集を担う能力のある人材を確保できているのか、不明です。

 

*一般信徒に分かりやすく内容豊富な月刊誌も相次いで廃刊

 

 日本のカトリック教会の福音宣教の重要な柱であり、教皇フランシスコが強く促されている”シノドス(共働性)の道”を聖霊の導きに従って共に歩むのに不可欠な情報共有の要の一つとなるはずの定期刊行物が相次いで廃刊に追い込まれる例は、「カトリック新聞」にとどまりません。読みやすく、幅広い内容、執筆者も多様で、信者以外の読者も少なくなかった月刊誌が相次いで廃刊しています。

 聖パウロ女子修道会(東京都港区)が発行していた「あけぼの」は創刊60年目を迎えた2015年に4月号を持って終了。ドン・ボスコ社の経営母体であるサレジオ会日本管区が1928年に創刊した「カトリック生活」も2024年3月号をもって廃刊となりました。編集長の関谷義樹氏(サレジオ修道会司祭)は、「メディアを取り巻く環境が激変する今日、紙媒体の雑誌を発行し続けることが困難であると、修道会として判断せざるを得なかった」と語っています。

 

*翻訳力の低下も目立つ

 このように、”紙媒体”の柱となってきた新聞や月刊誌が相次いで存続不能となり、劣化する一方の教会の発信力、情報共有能力を他の媒体によって補完することがほとんどできずにいるのが、今の日本の教会の実状です。発信力の劣化に関してさらに申し上げれば、翻訳力の低下も深刻です。

 昨年12月で88歳になられた教皇フランシスコが世界中の聖職者、一般信徒に対して、今も様々な形での語りかけを、メッセージの発出を、不自由な体をおして、連日のように続けておられます。その内容は実に豊かで、私たちが今、そしてこれからの福音宣教を具体的な進めるために、示唆的な内容がちりばめられています。にもかかわらず、バチカン文書も含めて、司教団が、そのイタリア語の原文を日本語に翻訳することは、ほぼ皆無。英訳の翻訳さえも長文であれば何か月もかかり、メッセージの共有がなかなか進まない事態になっています。

 最近の具体例を挙げれば、教皇が2021年10月に始められ、2023年10月、2024年10月の二度にわたる世界代表司教会議総会に至る”シノドスの道”の成果となる最終文書は2024年10月26日の総会最終日に採択され、イタリア語の全文が発表され、さらに2週間後に英語訳がシノドス事務局から出されていますが、2024年12月末現在、日本語の”公式”訳が出たとは聞きません。

 教皇は、シノドス総会での最終文書採択後の最終講話で、これを受けた使徒的勧告は出さない、と語られたうえで、「この文書にはすでに、特定の大陸と状況における教会の使命の指針となり得る非常に具体的な指示が含まれている。文書で示された共通の経験が、神の民に奉仕する具体的な行動を促すことを確信しています」と、世界の司教たちに、この文書を踏まえた具体的な使命遂行を促されました。最終文書はそれだけ、世界の教会の今後にとって重要なのです。その内容の共有の遅れは、現在の激動を続ける世界における福音宣教にとっても、大げさだと思われるかもしれませんが、致命的になりかねません。

 

*「カトリック・あい」は、シノドス最終文書や最新の回勅の全文試訳をいち早く日本の教会、信者の皆さんに全文試訳を提供

 

 そのような認識から、「カトリック・あい」では、その概要をVatican Newsをもとに即日報道し、全文についても、協力者の力をいただいて、まずイタリア語原文から翻訳を始め、英語訳が出たのと前後して、11月中旬には全文の試訳を終え、掲載しています。

 また教皇は、この最終文書発表の2日前の10月24日に、教皇就任後4回目の回勅 『Dilexit nos(私たちを愛してくださった)』を発表され、「イエス・キリストの心にある人間的で神的な愛 」に関する思想の伝統と関連性を辿り、信仰の優しさ、奉仕の喜び、宣教の熱意を忘れないために、真の献身を新たにするように、と呼びかけられました。5章220項から成るこの回勅は、イエス・キリストの御心の人間的で神聖な愛に捧げられています― 「イエス・キリストの開かれた心は、私たちよりも先に進み、無条件に私たちを待ち望んでおられます。イエスはまず私たちを愛された』(ヨハネの手紙1・4章10節参照)。イエスのおかげで、『私たちは、神が私たちに抱いておられる愛を知り、信じる』(同4章16節)ようになったのです」と教皇は述べておられます。

 「カトリック・あい」では、この回勅も、概要を速報したうえで、阿部仲麻呂師の協力により,同師の試訳全文を10月31日から掲載しています。

 これら、カトリック教会の現在から将来を左右する、最近出された二つの重要文書が、2か月たった今も、いまだに司教団による翻訳が出ていない(2025年1月1日現在)のです。イタリア語でまず公式発表されることの多いバチカン文書に、イタリア語翻訳能力が実質皆無。英語翻訳能力も数年前に優秀な人材が司教協議会事務局から転出して以降、急激に落ちている、との見方が、複数の関係者から示されています。

 教会文書の翻訳は、正確性、厳密性が求められる、そのための人材がいないので遅くならざるを得ない、というような話も聞きますが、そうでしょうか。日本全国の司祭、修道士、一般信徒には、神学や聖書学の知識を持ち、しっかりとした翻訳能力をもつ人が少なくありません。現に「カトリック・あい」には翻訳を協力してくれる優秀な人材が複数います。

*”シノドスの道”を共に歩むために欠かせない教会の発信力、情報共有力、信徒の人材活用が必要

 

 翻訳力にとどまりません。まず何が情報として重要か否か、というニュース価値の識別力、取材力、執筆力など、教会の発信力を回復するために必要な能力を持つ人材を発掘し、協力を呼びかけ、育てる努力を、日本の司教団は、司教たちは、担当者たちはしているでしょうか。今の日本の教会の現状を憂い、自分の経験や能力を生かすことがあれば喜んで協力したい、と思っている人がいるに違いないのです。

 今から半世紀近く前、東京教区では当時の補佐司教が大司教と相談して、教区の一般信徒を対象に様々な分野で経験と能力を持つ人材の情報を収集、コンピューターを使って分類、データ化し、必要な時にそれを活用して、協力を求める、というシステムを作り始めたことがありました。しかし、当時はまだコンピューターの能力も低く、コストばかりが高くなり、関係者の理解も進まないまま、中途で挫折してしまったことを覚えています。当然ながら、今ならそうした性能も格段に上がり、ソフトも長足の進歩を遂げていますから、人材活用の大きな力になると思います。一番の問題はそうしたシステムを動かすトップの意志と能力です。

 新年を迎えるにあたって、教会にとって貴重な定期刊行物の相次ぐ廃刊、しかも全国の教会をつなぐ情報共有の要となるべき新聞の廃刊という事態に直面して、共にシノドスの道を聖霊の導きに従って歩むために不可欠な情報共有手段が劣化している問題を深刻に受け止め、自身の問題として、それを克服しようとする意志、気力をもっていただくことを、日本全国の聖職者、信徒の皆さん、として何よりも司教協議会会長をトップとする司教の皆さんに、強く期待します。

(「カトリック・あい」代表・南條俊二)

2024年12月31日

【12月の巻頭言】改・枢機卿となった菊地・東京大司教が「決断」と「行動」を求められる課題

 

 教皇フランシスコが新たに選任された21人の枢機卿の叙任式が12月7日にバチカンの聖ペトロ大聖堂で行われる。国際カリタス総裁、アジアカトリック司教協議会連盟事務局長、日本カトリック司教協議会会長、そして、カトリック東京大司教区長。これだけ多くの役職を務める菊地大司教を、教皇が新任の21人の枢機卿の一人にお選びになったのは、「これまでの実績」を評価したため、と言うよりも、「これからの実績」を期待してのこと、と思われる。

 菊地大司教は、2017年10月、ペトロ岡田大司教の引退に伴い、教皇フランシスコより、新潟司教から、9代目の東京大司教に任命され12月に着座。2022年2月14日、日本カトリック司教協議会会長、2025年2月再任予定。2023年5月13日、第22回国際カリタス総会で、ルイス・アントニオ・タグレ枢機卿の後任として国際カリタス総裁に選出された。だが、失礼ながら、どのポストも実績と言えるようなものはまだ、見えてこない。

 

 

*東京大司教就任から8年目に入ろうとする中で・・・

 

 東京大司教に就任して8年目に入ろうとしているが、”実績”と言えるのは、既に存在するカリタス・ジャパンに加えて東京カリタスを作ったこと、カテキスタ制度を作り養成を始めたことの二つだが、小教区信徒の目からは、前者は具体的な活動が見えない、後者は、教区司祭、信徒の幅広いコンセンサスが不十分なまま始めたものの、2025年度に向けて養成希望者が足らず、カテキスタの新規養成は”終了“となった。

 小教区レベルからの要請を受けて宣教司牧方針で約束した”共に歩む“教会のための小教区運営規約のモデル提示、岡田体制で司祭減少・高齢化に対処する小教区再編成を狙いとしたものの3年で事実上破綻した宣教協力体制度の見直しは、6年経過した今も、原案の提示さえ、されていない。

 

 

*国際カリタス総裁、アジア司教協議会連盟事務局長の課題

 

 国際カリタスは2022年、突然、理由も明らかにされないまま、教皇が総裁以下の幹部を更迭、一年の空白を経て、菊地新総裁の就任となったが、関係方面に大きな動揺を与え、カリタスに対する信頼を揺るがせたにもかかわらず、いまだに総括も、それにもとずく信頼回復の再建方針も提示されたとは聞かない。

 アジア司教協議会連盟も、”シノドスの道”の歩みで役割が認識され、公的な団体としてバチカンの承認を得たうえで、事務局機能も整備強化する必要があるが、その具体的な取り組みは見えない。

 

 

*日本の司教教会のシノダル(共働的)な具体的取り組みは見えず

 

 日本の司教協議会も、30年以上前に第二バチカン公会議の精神を受けて始まった福音宣教推進全国会議(NICE)が破綻して以降、全司教が協力した具体的な福音宣教の取り組みも見えないまま。日本の教会に共通する緊急の課題である司祭、修道者など聖職者の高齢化、減少への対応に、共に知恵を出し合い、司祭や信徒のアイデアや力も借りて具体的な対処策についての、全日本レベルでのシノダル(共働的)取り組みも見られない。

 

 

*聖職者性的虐待問題への具体的対応も真剣さが見えない

 

 世界中で教会への信頼を揺るがし続ける聖職者の性的虐待問題への対処も、教皇の強い意向を受け止めることなく、形ばかりの窓口を教区ごとに設置したリ、担当司祭を決め、おざなりのアンケート調査をする程度で、共働して真剣に対処するには程遠い。

 

 

*シノドス総会、そして最終文書への司教団としての反応は・・・

 

 象徴的なのが、教皇フランシスコの呼びかけで2021年10月に始まった“シノダル(共働的)”な教会を目指すシノドスの道の重要な節目となる昨年、今年と2期にわたる世界代表司教会議総会、その結果としての最終文書への、日本の司教団の極めて消極的な対応だ。

 教皇フランシスコは10月26日夜、世界代表司教会議(シノドス)第16回通常総会の第2会期の最後の講話で、シノドスの最終文書を「三重の贈り物」として紹介された。10月2日に始まったシノダリティに関するシノドス総会の第2回会期の討議で、傾聴と対話のプロセスを経て書かれた最終文書が「3年以上にわたる神の民の声に耳を傾けた成果」であることを強調しておられる。

 

 

*教皇は「最終文書をもとに創造的な実践と、交わり、参加、宣教への新たな取り組み」を求めている

 

 そして教皇は、「この文書は、言葉だけでなく、あらゆる行為と交流を通じて福音を体現する『シノダル(共働的)教会』への共通の道を示しています」とされ、「この文書には世界のそれぞれの大陸と状況における教会の使命の指針となり得る非常に具体的な指示が含まれています。文書で示された共通の経験が、神の民に奉仕する具体的な行動を促すことを確信しています」と述べられ、さらに、11月25日、最終文書に添える覚書を発表され、同文書を世界の教会、司教たちに「創造的な実践と、交わり、参加、宣教への新たな取り組みするようにに」と呼びかけられた。11月29日には、教皇庁立神学委員会の総会に出席して神学者たちと会見され、「キリストを中心としたシノダリティ(共働性)の神学を発展」させるよう促しておられる。

 

 

*最終文書の全容さえいまだに公式説明がない中で、「カトリック・あい」の全訳に強い関心

 

 日本の教会、司教団の対応はどうか。中央協議会のHpでシノドス関連を探すと、最終文書の全文翻訳どころか、概要の公式説明もいまだにない。掲載されているのは、今総会開会前に総会参加者を対象にバチカンで行われた黙想会の4回にわたるティモシー・ラドクリフ神父(ドミニコ会)による講話全文訳と、10月のシノドス総会に参加したシスターによる11月6日の難民移動者委員会定例委員会での報告が11月27日付けで掲載されているのみのようだ。(12月1日現在)当然というべきか、上記に述べた教皇の最終文書の重要性を強調される発言など、まったく伝えていない。

 「カトリック・あい」は、このような現状から、最終文書に関する教皇のメッセージ、そして最終文書の全容を一刻も早く日本の信徒、司祭、教会に伝えたいと、まず、今シノドス総会閉幕直後から概要と関連の解説を掲載し、最終文書全文も、バチカンからイタリア語版公式文書が出された直後から試訳を始め、バチカンから英語公式訳が出たのと前後して11月21日に試訳を終え、掲載している。

 シノドス総会とその最終文書が、日本の聖職者や信徒の間で強い関心がもたれているのは、「カトリック・あい」の11月の月間閲覧件数を見れば明らかだ。最終文書の全文閲覧は、日本語試訳を主体に英語公式訳も併せると400件に迫り、記事別閲覧件数で群を抜いている。

 付け加えると、個別記事の閲覧2位が2025聖年関係、3位は東京地裁での神言会司祭の性的虐待裁判で、第一回公判からずっと多数の読者が続いている。「『カトリック・あい』の記事を見て」と27日の第6回口頭弁論傍聴、支援の会参加者も二人おられ、他にも、バチカンで聖職者の性的虐待問題を担当する「未成年と弱者保護委員会」の委員長談話や教皇メッセージ、虐待を隠ぺいしたと報道された聖公会の世界の指導者、カンタベリー大主教の引責辞任なども、多く閲覧件数になっている。

 

 

*まず必要なのは、日本の司教団の実質のある連帯、シノダリティ(共働性)の回復

 

 このように「カトリック・あい」の閲覧状況などからも見て取れる、シノドス総会最終文書をはじめとする諸課題に対する日本の司祭、信徒の高い関心とは対照的な、日本の司教団の対応の鈍さ、拙劣さの原因の一つに、先にご説明した30年以上前のNICEの破綻を契機とする司教団の連帯喪失がある、と考える。その背景には、司教のみならず、司祭、信徒の連帯に欠かせない情報の共有の手段の劣化がある。「カトリック生活」はじめ定期刊行物の廃刊、そして来春のカトリック新聞の廃刊等、日本の教会全体を対象とした“紙”による在来型のコミュニケーション手段の消滅が相次ぐ一方で、SNSなどの効果的活用の努力もなされているとは言い難い

 とすれば、枢機卿として、まず日本の福音宣教の立場から教皇の取り組みを補佐することになった菊地大司教に求められるのは、”シノドス“の道の歩みの中で日本の司教団の実質のある連帯の回復、教皇の求める今シノドス総会の最終文書で示された歩みの全司教、そして全司祭、全信徒がシノダリティ(共働性)をもって諸課題解決の計画立案、そして実践の先頭に立つことだ。

 NICEが破綻して以来、30年もの長き空白で惰性に陥っているように見える現状の中で、それが困難なのは十分承知している。しかし、今、このタイミングでその取り組みを始めない限り、日本の教会の将来はない、と言ってもいい。教会暦で新たな年が始まり、”希望の巡礼“も始まる中で、日本の教会のリーダーとしての奮起を望みたい。

 7日の枢機卿叙任式を前に、菊地大司教は自身のホームページで「私自身が先頭に立ち、『主の道を真っすぐにせよ』と叫ぶ覚悟を持たねば」と決意を語っているが、「叫ぶ」だけでは足りない。「決断」と「行動」が必要なことはご自身も十分に自覚されているだろうし、そう願いたい。

(「カトリック・あい」代表・南條俊二)

2024年11月30日

【11月号の巻頭言】シノドス総会最終文書、教皇の言葉、そしてバチカンの性的虐待報告を受け、日本の教会、司教団に求められるのは

・10月の月間閲覧件数は2万3000件を上回り。昨年11月以来一年ぶりの高い件数となった。閲覧件数がここまで伸びた原因は、個別記事別の閲覧件数に明確に出ている。

 教皇による菊地大司教ら新枢機卿の指名、10月27日に最終文書を採択して閉幕したシノダリティ(共働性)に関する世界代表司教会議(シノドス)総会第2会期、そして神言会裁判など聖職者の性的虐待問題と月末に発表されたバチカンの未成年・弱者保護委員会による世界の教会の性的虐待に関する報告、この三つに、読者の方々の閲覧が集中した。

 月間で100件以上閲覧されている上位8つの記事は、新枢機卿指名関連が3、聖職者の性的虐待関連が4と圧倒的だ。もっとも直近の一週間で見ると、シノドス総会の経過と結果に関心が集まり、週間で25件以上閲覧されている12の記事のうち、シノドス総会関連が最終文書の「日本語試訳中」を含め5つ、24日に教皇が発表された新回勅「Dilexit nosa」関連で2つの記事が読まれている。

・日本の教会、司教団の“シノドスの道”への取り組みは極めて消極的だった。小教区レベルで分かち合った内容、提言を教区の担当に挙げても、事実上、無視されたケースもあり、広島教区などごく一部の教区の取り組みの成果もアジア大陸レベル、そして今回のバチカンでの総会での議論にも、最終文書を見る限り、ほとんどと反映されていないようだ。

 それにもかかわらず、日本の教会の現状を憂い、名実ともに「シノダル(共働的な)教会」に向けて積極的に改革の道を模索しようとする真面目な信徒、司祭は、1か月にわたる総会の状況を「カトリック・あい」を通じて少しでも知ろう、今後に役立てたい、と思っていただけた。それが、この閲覧状況に現れているのではなかろうか。

・たとえば、教会における女性の役割を高める象徴的な課題として、総会前から議論されていた「女性助祭の叙階」。日本のように、司祭の高齢化、減少が著しく、”恵まれている“とされている東京教区でさえも、教区司祭の数が小教区の数を下回り、4つの小教区を一人の司祭で担当せざるを得ない地域も出てきている、という状況の中で、当然、関心を持つべき課題だが、司祭不足に悩むアマゾン流域の司教たちなどのように、積極的に総会で発言したとは聞いていない。

・女性助祭など賛否が分かれる問題の具体的検討は、研究チームの一つ(実際はバチカン教理省が所管)に委ねられ、来年6月を目途に答えを出すことになり、総会の最終文書に明確な方向が書かれることはなかったが、かなりのスペースで書き込まれたのは、第3部の「祈りと対話において、教会の識別」「意思決定への配慮」「透明性と説明責任」だ。

 最終文書の80項は「この三つの実践は、密接に絡み合っている… 意思決定プロセスには教会の識別が必要であり、そのためには透明性と説明責任に支えられた信頼の雰囲気の中で耳を傾ける必要がある」とし、 「意思決定プロセスの構造」、「透明性、説明責任、評価」、「シノダリティ(共働性)と参加機関」について103項まで、具体的に書かれている。今シノドス総会の経験から生まれた”シノドスの道“を歩み続けるための一連の提案の核心と言えるだろう。

・教皇は12月8日の叙任式を控えた新枢機卿たちに書簡を送られ、十字架の聖ヨハネを特徴づける「目を上げ、手を挙げ、裸足でいる」という3つの姿勢を体現するよう呼びかけられ、「あなたがたは裸足でいなければなりません… あなたがたは、そうすることで、痛みと苦しみに圧倒されている世界のあらゆる地域の厳しい現実に触れるからです」と強調。

 シノドス総会閉幕のミサでの説教では、マルコ福音書の「盲人のバルティマイ」の箇所を引用され、「私たちが、自信を持って、共にシノダリティ(共働性)の旅を続けられるように」、「バルティマイのように、私たちも主の呼びかけを聞いて勇気を奮い起し、自分の盲目を主に委ね、立ち上がって、福音の喜びを世界の街に運ぶことができますように」と祈られた。

・シノドス総会閉幕直後の29日、バチカンの未成年者・弱者保護委員会が、5大陸にまたがる広範な調査を行った作業グループの報告書を発表。地域別調査の結果では、中南米、アフリカ、アジアの一部の国が対象となったが、「教会組織や教会当局の中には、虐待被害の予防や被害者保護に対する明確な責任体制をとるところがある一方、虐待に対処する責任を引き受け始めたばかりのところもある」と指摘。

 さらに、教皇が2019年5月の「虐待や暴力を届け出るための新しい手続きを定め、司教や修道会の長上らにとるべき態度を周知させる」自発教令で指示された「虐待被害の報告体制や被害者に対するケアの体制」を欠いているところもある、と批判している。

 報告書の発表で記者会見に出席したある委員は、教会当局に苦情を申し立てた被害者たちが長い間、待たされ、被害に関する情報提供も十分なされないことで、苦痛を強め、 「再トラウマ化 」に陥る人も出ている、とし、被害者のこうした苦痛の訴えは、バチカンだけでなく、世界各地の教区の対応についても寄せられている、と述べた。

・日本の教会はどうか。司教協議会は、教皇フランシスコの自発教令などに押される形で、2021年に「未成年者と弱い立場におかれている成人の保護のためのガイドライン」を決定したが、各教区レベルで目立った動きはなく、2年半後の昨年9月に「2022年度日本の教区における性虐待に関する監査報告」を発表。

 だが、その内容はというと、「各教区から提出された確認書」をもとにした」という性的虐待の申し立ては2022年4月から2023年3月の間に4教区、5件。具体的な教区名も、申し立ての内容など具体的な記述は皆無。「性虐待の申し立てのあった各教区には、監査役から提出された調査報告書に記載された所見を通知し、ガイドラインに基づいてさらなる対応をするよう求めた」とあるだけで、どの教区に、どのような「所見」を通知したのか、「さらなる対応」はどのようなものなのか、まったく明らかにされず、性的虐待問題に、被害者に寄り添って真剣に取り組もうとする姿勢はまったく感じられない。そして、一年以上たった今、2023年度版の発表はおろか、そのようなものが作成されるかどうかさえ、判然としない。

・こうした中で、長崎、仙台の二つの教区で被害者から、教区の司祭による性的虐待の訴えがそれぞれの地方裁判所に出され、教区側は認めようとしないまま数年を経過、裁判所の和解勧告に従って賠償金は払ったものの、被害者の精神的ケアや教会に温かく迎え入れるような努力はされていない。ほかにも東京教区や札幌教区で小教区の司祭による性的不祥事が伝えられているが、誠実に受け止めるどころが、事実上無視、あるいは圧力をかけるような動きさえあると聞く。

 東京地方裁判所では、菊地・東京大司教や成井・新潟司教の出身母体である神言会の司祭から告解を悪用した卑劣な繰り返しの性的虐待を受け、PTSDを発症した被害者が昨年、神言会を相手取って訴えを起こし、すでに第5回口頭弁論まで進んでいる。だが、被告の神言会は、過ちを認めるどころか、弁護士を3人も立て、虐待はなかった、との主張を続けるばかりか、「原告は虚偽の訴えをしている」とまで言い、被害者にさらなる精神的な傷を負わせている。

・バチカンの未成年・弱者保護委員会の記者会見に出た委員の一人、コロンビアの首都ボゴタのエレーラ補佐司教は、「自分が愛し、自分の人生を捧げてきた組織の(被害者への訴えに対する)抵抗を目の当たりにすることは、私にとって十字架だった」と、そうしたことが世界で起きていることを裏付けた。それでも、「間違いなく、この数年間で多くの重要な変化も起きている… 虐待予防と被害者保護に関する教会の内部文化を変える戦いは困難だが、ゆっくりと前進している」と前を向いた。

・シノドス総会の最終文書、教皇の言葉、そして、バチカンの委員会による性的虐待報告、10月下旬に出されたこれらの指針を真摯に受け止め、過去を振り返り、「神の民」の声に真摯に耳を傾け、識別し、これからの「シノダルな教会」の実現に向けて、それを具体的な歩みに反映していくことが、日本の司教団のトップである菊地・新枢機卿以下の司教の方々に、そして司祭、信徒に強く求められている。日本の教会が「前を向いて」進めるように。

(「カトリック・あい」代表・南條俊二)

2024年10月31日