・「苦悩する世界に時宜を得た呼びかけ、公式翻訳には時間」新回勅で菊地大司教がメッセージ

(2020.10.9 カトリック・あい)

 教皇フランシスコが4日、公表された新回勅「Fratelli tutti」について、菊地・東京大司教が9日、以下のようなメッセージを発表した。

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 教皇様は、10月3日、訪れていたアシジの聖堂で新しい回勅に署名され、公表されました。教皇の文書は、多くの場合その冒頭の言葉をタイトルとしますが、今回の新しい回勅は「Fratelli tutti」とよばれています。どう訳すかは定まらないことでしょうが、「兄弟の皆さん」と呼びかけるアシジの聖フランシスコの言葉で始まっています。

 手元に英語版がメールで送付されてきたのが前日でしたから、まだすべて読み切れてはいません。回勅について知らせるバチカンニュースによれば、新しい回勅は、いわゆる社会教説(現実世界の諸問題に対して表明される、教会の立場や教え)で、「個人の日常的関係、社会、政治、公共制度において、より正しく兄弟的な世界を築きたい人にとって、大きな理想であると共に具体的に実行可能な道とは何か?」という問いかけに答えるものであると言うことです。

 特に教皇様は、この回勅を準備中に新型コロナの状況に直面したことで、兄弟愛と社会的友愛に基づいた正義と平和に満ちた世界を構築する道を考察しておられます。教皇様はコロナ禍にあって、貧富の格差が拡大していることや、利己的な保護主義的考えが蔓延し、助けを必要としている人への配慮が忘れ去られているとしばしば警告されてきました。

 たとえば、教皇様は今年の世界難民移住移動者の祈願日メッセージにおいて、世界が感染症対策にばかり目を奪われている陰で、「大勢の人々を苦しめている他の多くの人道的緊急事態が過小評価され、人命救済のため緊急で欠くことのできない国際的な取り組みや援助が、国の政策課題の最下位に押しやられていることは確か」と指摘されました。

 その上で教皇様は、「今は忘れる時ではありません。自分たちが直面しているこの危機を理由に、大勢の人を苦しめている他の緊急事態を忘れることがあってはなりません」と呼びかけておられました。この危機に直面することで、誰も一人で生きてはいけず、互いに支え合い連帯を強めなくてはならないとの教皇様の願いが、この新しい回勅に詳述されています。

 新しい回勅の中で教皇様は、現代社会の経済システムのはらむ課題に詳しく触れ、矛盾が生み出す様々な悪を指摘した上で、「特にキリスト者に対し、あらゆる疎外された人の中にキリストの御顔を見つめるようにと招いて」います。

 また教皇様は、かなりの分量をさいて、「戦争、迫害、自然災害からの避難、人身取引などによって故郷を追われた移民たちの『引き裂かれた生活』(37)を見つめ、彼らが受容、保護、支援され、統合される必要を」説いています。

 そのほか教皇様はこの回勅の中で、政治のあり方や、戦争についても触れていますが、特に「正戦論」に対して、ある一定の考え方を提示している箇所が注目されます。終わりの部分で教皇様は、「人類の兄弟愛の名のもとに、対話を道として、協力を態度として、相互理解を方法・規範として選ぶよう」アピールをされています。

 2020年に私たちは世界的な規模で、未知の感染症によって命の危機に直面し、また社会がこれまで当然としてきた多くのことを見直す機会をあたえられました。教会も、集まれない現実の中で、それでは教会共同体であるとはどういうことなのかをあらためて考えさせられています。

 命を守るための行動は、まだまだ続くでしょう。日夜命を救うための活動に取り組まれる医療関係者に心から敬意を表すると共に、病床にある多くの方に御父のいつくしみ深い手がさしのべられ、健康を回復されるように祈ります。

 この現実のただ中で、教皇様はこの回勅を通じて、世界全体の進む方向を見直すように呼びかけられています。守るべきものは賜物である命であること、それも例外なくすべての命であることを明確に示されています。まさしく時宜を得た社会への呼びかけの回勅であろうと思います。

 さて、そういう重要な回勅ですが、公式の翻訳が整うまでには、今しばらく時間がかかるものと思います。バチカンのサイトにはすでに8カ国語の翻訳が掲載されていますが、もちろん日本語は含まれていません。これら8カ国語は、最初からバチカンで整えられた公式訳です。

 これらの言葉を使っている国の司教団は、うらやましいものだと思います。出来上がっている翻訳を、あとは広めるだけですから、様々な方法がすぐに思い浮かびます。うらやましい。日本語訳は、もちろん日本の司教協議会で行わなくてはなりません。原文が数日前に届いたばかりですから、これからです。

 中央協議会には翻訳のための職員がいますが、こちらは日常の翻訳業務がありますから、これからまず、どの言語版を底本とするかを決めて、その言語の翻訳者を探さなくてはなりません。

 もちろん仕事としての翻訳作業と出版作業ですから、それなりの費用が発生します。よく尋ねられる、「どうして無料でネット公開しないのか」というご意見は、申し訳ないのですが、経済的に厳しいものがあります。また公式訳は、それまでの教皇回勅と翻訳の整合性をとらなくてはならないので、原語とその翻訳を、以前の同様の用語の翻訳と合わせるためのチェック作業が不可欠です。そうしないと、たとえば「「いつくしみ」と「あわれみ」のように、同じ原語に複数の翻訳があって、後々に難しいことになってしまいます。どうしても即座に翻訳発行とはなりませんので、今しばらくお待ちください。

2020年10月17日

・米、豪、英などの司教団が新回勅 “Fratelli tutti”に歓迎を表明・・日本は?

Pope Francis signing “Fratelli tutti” Encyclical on the tomb of St. Francis of Assisi 

 教皇フランシスコが4日、新たな回勅「Fratelli tutti」を発表されたのに対し、米国、英国、そしてオーストラリアの司教団が相次いで、これに歓迎を表明。連帯と人間の友愛に対する教皇の訴えを真剣に受け止めている。

 残念ながら、日本では、「カトリック中央協議会」のインターネット・ページを見る限り、新回勅の内容はもちろん、発表されたことさえ、6日現在、全く伝えられていない。従来、教皇フランシスコが出される回勅や使徒的勧告の、日本語の翻訳には半年から一年を要しているので、今回もそれを待たねばならないのだろうか。新型コロナウイルスの大感染が世界を危機に陥れ、教会の危機克服への対応が注目されている今、この”周回遅れ”は致命的なことになりかねない。

*オーストラリアの司教団「ポスト・コロナの世界のロードマップに」

 Vatican Newsによると、オーストラリア司教協議会会長のコールリッジ大司教は4日、声明を出し、「新型コロナウイルス大感染の後のあり方を見出すことのできない世界は、新回勅で、新たなロードマップを手に入れることが可能になった」と述べ、「友愛と対話の新しい文化を構築するための呼びかけが、すべての人間の尊厳のビジョンになる」と強調した。

 また大司教は、教皇の言葉に倣って「コロナ危機が過ぎ去った後の私たちの最悪の対応は、『熱狂的な消費主義と新しい形の自己中心の自己保存』に陥ること」としてき、「私たちは『彼ら』や『それら』の観点でなく、『私たち』の観点から、物事を考えねばならない」と自省を込めて語った。

 さらに、教皇が特定の人々、つまり女性、高齢者、胎児、先住民、移民が公正さを欠いた形で扱われている、とされていることを取り上げ、オーストラリアでも同じようなことが行われていることを認めたうえて、教皇のメッセージが世界の自分たちとは別の地域だけに関係していると考えることが誤りであることを指摘している。

*米国司教団「政治経済システムの道徳的刷新の強力で緊急のビジョン」

 米国司教協議会の会長、ホセ・.ゴメス大司教も4日、新しい回勅を歓迎する声明を発表。「米国のカトリック教会を代表して、私は教皇フランシスコの人間の友愛に関する新しい回勅を歓迎します。この回勅は、前の回勅「Laudato si」以前のラウダートシとともに、教会の豊かな社会教説の伝統に大きく貢献するもの」と評価した。

 そして、新回勅に込められた教皇のメッセージは、「私たちの個人的な関係や社会や経済の組織化など、私たちの生活のあらゆる側面に影響を与える神の人類の計画を思い起こさせる」とし、現在の世界の状況に対し、「教皇は、政治と政治経済システムの道徳的刷新のための強力で緊急のビジョンを提示された」と強調。

 また、教会にとって、教皇は私たちに「自分たちの文化における個人主義を克服し、愛をもって隣人に仕え、すべての人の中にイエス・キリストを見、正義と憐れみ、思いやりと互いへの関心をもつ社会を追求する」ことを求めておられる、と受け止め、カトリック教徒と善意のすべての人々が教皇のメッセージをしっかりと受け止め、熟考し、「人間の家族の団結を求めるための新たな誓約をする」ことができるように祈った。

*英国司教団・社会正義委員会「”善きサマリア人”は個人の関係だけでなく国もレベルにも」

 一方、Cruxによると、英国でも司教協議会の社会正義委員会の委員長を務めるリチャード・モス司教が、インタビューに答え、新回勅で、「教皇は、個人や国に、早すぎるスピードを落とし、耳を傾け、兄弟姉妹として関わり合うように呼びかけておられます」とし、新回勅の「大きな挑戦」は、善きサマリア人の福音のたとえ話に示されている原則を採用し、「同じレンズを通して他の人々を見るように人々を促すことだ」と語った。

 そして、新型コロナウイルスの大感染との関係では、「もちろん、多くの人が、愛する人の喪失を悲しんでいます。医療従事者たち今も、途方もない緊張の下で働いています。非常に多くの人を襲っているこのウイルスに対処しようとする闘いの中で、それが、私たちの知っているすべてのこと」とだが、同時に、 この現実から、多くの人が思ったのは、「私たちが必ずしも物事を元の状態に戻すことを望んでいない、ということでした」「教皇も、この回勅で言っておられます。元に戻すことではない、と」と言明。

  「私たちの兄弟姉妹に対する見方を考えましょう。地域だけでなく世界的に、共通善のために、人類の未来と神が私たちに与えてくださった地球のため。これらすべてが非常にうまくかみ合っている、と私は思います」と述べた。

 また新回勅で教皇が使われた「善きサマリア人」のたとえ話を取り上げ、盗賊に襲われて重傷を負ったにもかかわらず、通行人に無視された人を、サマリア人が助けた、という行為は、個人同士の関係だけでなく、すべての国々と国民にも適用することが課題として示されている、と指摘。「これは私たちにとって非常に大きな挑戦です。なぜなら、私たちが普通に持っている考え方を改める必要があるからです」とした。

 「他の人の人間性を認めるのは当たり前のこととして、他のすべてのことを見るために飛躍する誘惑がある」が、実際には、教皇は私たちに、「物事をもっと深く見つめ、まず人間を見、そのうえで他のすべてのことに注意を向けるように言われている」と述べ、「それが、この回勅を通して、教皇が示された極めて強力なメッセージであり、私たちがこの挑戦を受け入れるなら、世界がどのレベルでもなすべきことをする方法を実際に変革する潜在的な力をもつことになります」と強調した。

 

2020年10月17日

・「新回勅は『世界が危機に瀕している』と警告している」と教皇側近の枢機卿(Crux)

(2020.10.6 ROME BUREAU CHIEF Inés San Martín

     教皇フランシスコの側近の一人、バチカン人間開発省次官のマイケル・チェルニー枢機卿は5日、米国の ジョージタウン大学が開いたオンライン・シンポジウムで発言し、教皇フランシスコが現在の世界は、キューバのミサイル危機、第二次世界大戦、あるいは3万人近い死傷者を出したイスラム過激派による米国での同時多発テロに匹敵する危機的状況にあると見、それに対応するメッセージが求められている、とお考えになっている、と述べ、4日に発表された教皇の新回勅『Fratelli Tutti』を十分に理解するためには、「私たちが危機の瀬戸際にある」ことを認識する必要がある、と強調した。

 枢機卿は「第二次世界大戦中にピオ十二世教皇がクリスマスのメッセージを聞いた時、どう感じましたか?ヨハネ23世教皇が(1963年に)回勅「Pacem in Terris(地上の平和)」を出された時は?2001年の米国での同時多発テロ、2007年に始まった世界金融危機は?新回勅を理解するためには、その時の思いを全身で、心の底から思い起こさねばなりません」と語った。

 そして、2015年に教皇が出された被造物へのいたわりを強調した環境回勅「 Laudato Si’」が私たちに「すべてのものが、つながっている」ことを教えているとすれば、今回の回勅「Fratelli Tutti」は「すべての人が、つながっている」ことを教えている、と指摘。「私たちが”共通の家”と兄弟姉妹に責任を負うなら、私たちに良い機会が与えられるでしょう。そして希望を再び燃え立たせ、根気強く、もっと多くのことをするように促されるでしょう」と述べた。

 また新回勅で「教皇は、ほとんどの人が、自分たちのしていることを認識しないまま同意するような見解を強く批判されたうえで、いくつかの大きな問題を、私たち一人一人に提起しておられます… 私たちは、神を創造主として認識せず、自分が誰の助けも必要としない自立した存在であり、繁栄し、すべてのものを所有し消費するに値する存在だと思い込んでいますが、実際は、”孤児”であり、つながりを断ち切られ、完全に”自由”で、一人ぼっちなのです」。

 そして、教皇がご自身で作られた言葉は、新回勅では使われていないが、その言葉は、回勅が何を言おうとし、回勅がそれを読む人たちをどこに導こうとしているのか、理解するのに役に立つ、とし、その言葉を紹介したー「真実、それは自我自尊の、冨を謳歌する”孤児”であることとは、正反対です」。

 シンポジウムにはチェルニー枢機卿とともに、女子修道会指導者会議前議長のシスター、ナンシー・シュレックや、シカゴの移民保護活動家で Bread for the Worldの理事のエディス・アビラ・オレア氏、 Religion News Service バチカン特派員のクレア・ジアングレーブ氏も参加した。

 その中で、シスター・シュレックは「現在、多くの人々が希望を失い、次々と起こる悲劇に恐怖を抱いていますが、私たちを支配する文化風潮は、もっともっと懸命に働き、同じことをするように言っている… 新回勅で私がとても勇気づけられるのは、教皇フランシスコが私たちの生活の中で何が起きているかを調べる方法を提供してくださり、今この瞬間にも、新しいことが起きる可能性があることです」と回勅を評価。新回勅は、「お互いを、人間関係を築く隣人、友人」と見るよう招いており、世界が政治的に分裂していると感じる今、その傷を癒すのに役立つ、と指摘した。

 また、フランシスコ会の一員として、十字軍のイスラムとの戦いの最中にスルタン・アル・マリク・アル・カミルを訪れた聖フランシスコについて取り上げ、「当時の支配的な考えは人を殺すことでしたが、聖人が同行した人々に命じたのは、『話すのではなく、聞くこと』でした。そして、二人は出会いの結果、互いの関係を築きました。そして聖人はアッシジに戻り、彼とフランシスコ会の兄弟たちの生活に、『祈りの呼びかけ』など、イスラム教徒のいくつかの習慣を取り入れました」と語った。

 そして、ここから得られる教訓は、「私たちは、敵と考える人の所に行くかも知れない、私たちの文化風潮が敵を呼び寄せるかもしれない、ということです、そして、私たちは関係を築くことができるかもしれません」と述べ、「私たちはそのことを、新回勅のあらあゆる箇所から学びます」とした。

 シスターはまた、新回勅の経済の観点から見て優れた点は、「私の隣人は誰なのか、貧しい人々を生み出すシステムで捨てられた人々をどのように扱うか」について言及していること、とし、「世界の多くの地域で、私たちの現在の金融モデルは、多くの人々を排除あるいは破壊することで、少数の人々が恩恵をもたらしています… それを改めるために、資源を持つ人と持たない人の間に関係の絆を築き続けねばなりません。私たちの思考を導くのは『関係』です」と強調した。

 これに関連して、チェルニー枢機卿は「経済や政治をどのように運営するかを教えることは、教会の指導者の役割でも、教皇の役割でもない」としたうえで、「教皇は世界を特定の価値観に導くことができる。これは教皇が新回勅でなさっていることです」と述べた。

 またアビラ氏は、生後8か月のときに家族と一緒にアメリカに移住した自己の経験をもとに、「私は移民として、普通の人とは違う立場にいます。なぜなら、移民であることで生じる困難を避けられないからです。私は不確実性を抱えて生きています。メディアやインターネットで耳にする絶え間ない反移民の言動など、絶え間ない脅威からもたらされる悪夢とともに生き、それから逃れることはできません」。

 だが、そうした中で、新回勅は「安らぎへの招き、希望を持ち続けることへの招き、十字架は苦難に満ちているが、その後に復活があることを思い起こす招き… カトリック教徒として、社会に貢献し、社会をより良くするための招き」と受け止めている、と語った。さらに、教皇がご自身も移民として、自分に話しかけていることを感じ、「さまざまに混ざり合った状態にある家族で育った者は、理解したり、対処したりするのが容易でない課題を抱えています。ですが、教会がここにあり、バチカンから遠く離れているにもかかわらず、米国の移民コミュニティの一員としての私の痛みと苦しみを聞いてくださっていると感じと、とても感動しました」と語った。

 ジアングレーブ氏は、「大学生の時に、カフェで同世代の人たちと、国境や財産、そして個々の人間の権利、どのようにさまざまな宗教が一緒になれるか、最も弱い立場にある貧しい人々の利益を考えた対話と政治をどのように実際に行うことができるか、などについて議論したことを覚えています」としたうえで、自分にとって、教皇フランシスコがたびたび語る「年配者は夢を見、若者はする」を”感じる”のは楽しかったが、「それを実際に経験したことは一度もなかった。私の知っている年配者は、夢を多くは見ていない。過ぎ去った時について思い出し、考えることでとても忙しそうでした」と述べた。

 そして、「ところが、(注:年配者である)教皇フランシスコは、この回勅の中で夢を語っておられます。それは、若者としての私を、そして他の多くの若い人たちを、奮い立たせ、多分、無知だからかもしれませんが、この世の中でされているやり方でないことについて興奮させます」と語った。

 

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

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2020年10月17日

・新回勅-教皇は、教会の伝統的教え「正戦論」を覆したか(Crux)

A Ukrainian soldier is seen at a position on the front line near the town of Novotoshkivske July 26, 2020. (Credit: Iryna Rybakova/Press Service of Ukrainian Defense Ministry handout via Reuters via CNS.)In new encyclical, Pope questions usefulness of Church’s ‘just war’ doctrine

 (2020.10.6 Crux  MANAGING EDITOR Charles Collins)

 4日発表された教皇フランシスコの新しい回勅 Fratelli Tutti は、「正戦」に関してわずか6段落しか費やしていないが、この主題に関するカトリック教会の教えを覆した可能性がある。

*注*西欧における「正しい戦争」という考え方は、中世において繰り返された戦争・暴力という状況から、「戦ってもよい戦争」と」「戦ってはいけない戦争」を区別し、戦争・暴力の、行使・発生を制限する事を願って生まれ、10世紀後半以降、議論が活発となった。その際、「神の命じた戦争の遂行を義務」とする旧約聖戦観念と、ストア派ローマ法に由来する「穏健で必要最小限度の暴力行使という原則」を結びつけた聖アウグスティヌスの説が大きな影響力をもった。カトリック教会も、これまでその伝統的解釈を受け継ぎ、聖ヨハネ・パウロ二世によって、1992年に第二バチカン公会議30周年を記念して出された現行の「カトリック教会のカテキズム」でも、厳しい条件付きで、「軍事力による正当防衛の行使」という表現で「正しい戦争」を認めている。(「カトリック・あい」)

*「正戦論を完全否定はしていないが…」

 教皇はこの回勅で「戦争のリスクはおそらく、常に想定される利益よりも大きいため、戦争を解決策と考えることはできなくなりました。このことを考慮すると、今日では、『正戦』の可能性について話すために、数世紀前に作成された合理的な基準を思い起こすことは非常に困難です。戦争は二度とあってはなりません!」と述べている。

 そして、「カトリック教会のカテキズム」は、「道徳的正当性の厳格な条件」が満たされている限り、軍事力による正当防衛の可能性について語っている(「カトリック教会のカテキズム」2309項)が、「この潜在的な権利について過度の拡大解釈に陥りやすい」と警告。ここ数十年ですべての戦争は、それを始めた人々によって「正義の戦争」とされたことに注意を向けるように求めている。

 「教皇は新回勅で正戦論を絶対的な仕方で否定はしていないが、前任者たちと同じように、ヨハネ23世教皇以来、教会が進んできた道を継承している」というのが、米ペンシルベニア州のメアリーウッド大学「正義と平和研究プログラム」のディレクター、ダニエル・コサッキ氏の見方だ。

*「新回勅で教皇が言いたいのは『戦争で平和は築けない』だ」

 そして、「非常に分かりやすく言えば、教皇は『戦争によって平和を築くことはできない』と言っているのです… 『カトリック教会の教え』は、これまで何十年もの間、単なる戦争の伝統から離れてきました… しかし、(注:正戦を否定する)メッセージを聞きたくない人はたくさんいます」と語った。それはカトリック教会の「正戦」の伝統が1500年以上前にさかのぼり、伝統的に軍事介入が求められる侵略、人道的災害、その他の国際的危機の現実世界の問題に対処してきたからかも知れない。

*「カトリックの伝統から、『戦争が本質的に悪』と決めつけるのは問題」

 カナダのプリンス・エドワード・アイランド大学の哲学・宗教の准教授、ピーター・コリタンスキーは、「カトリックの伝統において、戦争が『本質的に悪』だと示唆することには、問題がある」と語る。

 「『戦争が本質的に悪だ』と示唆することは、神が、選ばれた人々に『武器を取れ』と命じることで、『本質的に邪悪な行動』をとるように命令したことを意味します。同様に、そのような示唆は、教会の教えに反することになるでしょう。教会の教えは、平和論よりも正戦論を明確に選択しているからです」。

 そして、「これらの理由から、私は、教皇の言葉をこのように解釈するのがいいと思います-『環境を変える』というよりも、『環境を変えるために教会の教えを改めて適用する』ことを意味している、と。それが、『本質的な悪』の解釈を成り立たせます」と述べた。

 さらに、教皇の言葉が暗示しているのは「過去よりも、現代の世界では、戦争を道徳的に正当化するのが難しい」ということであり、そウした考えの背景にあるのは、「近代兵器、特に核兵器と化学兵器の登場です。核兵器によって引き起こされる大量破壊は、戦争を始めるかどうかの判断を、劇的に変えているのです」と指摘した。

 

*「新回勅の”脚注”で、聖アウグスチヌスは隅に押しやられた?」

 だが、メアリーウッド大学のコサッキ氏は、「教皇は、戦争の正当性に関する教会の理解に対して、もっと劇的な変化を示唆しています… 2016年の使徒的勧告「愛の喜び」で扱った離婚し再婚した信徒の聖体拝領の問題と同様に、問題はすべて『脚注』に行きつくのです」と言う。

 新回勅の脚注242には、次のように書かれているー「聖アウグスチヌスは、現代ではもはや掲げることのない『正戦』の概念を構築し、こう述べているー言葉をもって戦争をすることは、剣で人を殺す、そして戦争ではなく、平和によって平和を獲得あるいは維持するよりも、誉れ高いーと」

 「これは私にとってショックでした」とコサッキは語る。「聖アウグスティヌスは通常、(彼の指導者である聖アンブローズと共に)正戦論の『創始者』あるいは『父』とされています。彼の正戦論には3つの重要なポイントがあります。①戦争は不正な侵略者への対応であること②戦争は担当の権威ある者が宣言すること③アウグスチヌスは、戦争中の正しい行動そのものに関心を持っていることーです」と説明。

 さらに、「今、これらの3つのポイントは、教会の正戦論においてアウグスティヌスに続く多くの議論の基礎になっています… ですから、教会は、アウグスティヌスが4世紀に持っていたのと同じ戦争への理解を持ち続けはしなかったが、正戦論を廃止するのではなく、時代時代の戦争への理解をもとに、再構築してきたのです。それを、教皇フランシスコは『もはや支持しない』と言う… この言葉が、この脚注に、教会が正戦論を超えて進む状況を作る道を開かせるのです」と強調した。

 

*「教皇が、アウグスチヌスの『正戦論』を単に破棄した、と見るのは誤り」

 これに対して、コリタンスキー準教授は、「教皇が、アウグスチヌスの『正しい戦争の教え』を『単に破棄した』と見るのは誤りです」と反論する。

 「教皇の言葉は、二通りの解釈ができます。一つは『正戦の概念そのものを、現在の教会が否定している』、もう一つは『正戦の概念そのものは完全に有効だが、現在の世界に適用するのは、従来よりもはるかに難しくなっている、と言っている』です。一つ目の解釈には、この脚注にある教皇が実際に選んだ言葉がもつ通常の意味を反映するという利点がありますが、二つ目の解釈には、教皇が神聖な伝統と矛盾するのを防ぐという利点があります」と説明した。

 準教授はまた、回勅に述べられた正戦論に関する教皇の言葉の「曖昧さ」について不満がある、と言う。その一つは「戦争」の定義だ。教皇は回勅で、国連の役割について前向きに話しているが、国連の平和維持活動、あるいは国連の警察行動も、このカテゴリーに入れるのだろうか。「そのような区別は非常に重要です。現在、国際社会が理解しているように、教皇も『戦争』を非難する際に、国連の平和維持活動の活動を念頭に置いてはいないようですが」としている。

*「人道的軍事介入は支持できるとしても、それを開戦の口実にすることが多い、と教皇は警告」

 米ジョージタウン大学の宗教平和世界問題センターのシニア・フェローでイエズス会士のドリュー・クリスチャンセン神父は、「私が最初に注目したのは、教皇が『原則として、軍事的手段を使う場合でも人道的介入は支持ができるが、それにもかかわらず、そのような言い方は、戦争を始める際の説明として、頻繁に使われている』と言われている箇所です」と述べた。

 コサッキ氏は、国連の介入は「非暴力を基本としており、紛争に関与している当事者にさらなる暴力を行使するよう仕向けない限り、(注:軍事力の行使は)正当化できる、と(注:教皇も判断しておられると解釈)してもいい」と述べた。

 教皇が2014年に韓国を訪問した際、「不正な侵略者を止めることは合法である」と言われたが、同時に、「私は、こういう動詞を強調したいー止めなさい、と。私は、爆弾を落とせ、戦争をせよ、とは言いません、何らかの手段で止めなさい、と言います。どういう手段を使って、止められますか?それは評価される必要があります」とも語られている。

 国連では、このような議論こそ、行われるべきだ、と述べたコサッキ氏は、「それは間違いなく、困難な状況に対処する場合の、教皇が好むやり方です」と指摘した。

*「戦争と死刑をまとめて扱った意味は…残る曖昧さと今後」

 フランシスコの曖昧な言葉は、前々任者の聖ヨハネ・パウロ2世を思い起こさせる。1995年に出した回勅「 Evangelium Vitae(命の福音)」でヨハネ・パウロ二世は、現代社会で死刑の適用を正当化できるケースは「事実上存在しない、とは言わないまでも、非常にまれである」と述べた。 2018年に教皇フランシスコはさらに踏み込んで、死刑について「容認できない」と「教会のカテキズム」を書き換えた。

 コサッキ氏は、教皇フランシスコが死刑と戦争を新回勅で一つにまとめていることに注目し、「この二つがつながっている」と教皇が考えている、と見る。(教皇ヨハネ・パウロ二世の回勅「Evangelium Vitae」も2つの主題をリンクさせていることに注意するのは興味深いことだ。)

 そして、このように語るー「戦争と死刑は、教皇にとって容易に解決できる問題。これら2つを一緒に考え、否定する理由として教皇は三つ挙げています。それは、①いずれも、生命に関わる事態だ②いずれも、意図されたようにすることに失敗する誤った答えだ③いずれも、結果としてもたらされるのは、ますますひどくなる暴力の悪循環だけだ、ということです」。

 だが、コリタンスキー准教授は、死刑と正戦の両方についての教皇フランシスコの扱いには、「明確さを欠いている」という難点がある、と指摘する。

 「『戦争と死刑は本質的に悪』と示唆することで教会のこれまでの教えを真逆にすることは、神学的には支持できないにもかかわらず、通常の常識的な感覚で関係個所を読むことで、(注:この二つを巡る教会の対応についての)歴史的な経緯を知らず、合理的にものを考える人ー人は、まさにそうした結論に導かれるでしょう」。

 そして、「神学的に正確な言葉を望んでいる人々からの問いかけ、特に戦争と死刑が『本質的に悪』であるかどうかについての問いかけを受けて、私たちが『理論的議論に夢中にならないように』と教皇は警告しておられます」と准教授は付け加えた。

 コサッキ氏は、教皇フランシスコがご自分の後継者が「戦争の正当性」について、さらに決定的な判断を下すための土台を準備している、とし、次のように語った。

 「教皇ヨハネ・パウロ二世が1995年に、死刑が正当化されるケースを限定した際になさったように、教皇フランシスコは、正当化された戦争について同様の指摘をされました。しかし、ヨハネ・パウロ二世が、次に来る教皇(フランシスコ)が「死刑を容認できない」と宣言するようにしたように、フランシスコは次に来る教皇が『正当化された戦争について同じ主張をするだろう』と言っているように見える」と彼は言った。

Jack Lyons contributed to this story.

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

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2020年10月17日

・新回勅‐自分自身と世界を救うために兄弟姉妹として他者を見る(Vatican News 解説)

(2020.10.4 Vatican News  Editorial Director   Andrea Tornielli)

 教皇フランシスコの新しい社会回勅のメッセージはー誰も一人で救われることはないーだ。そして友愛の社会を提案している。社会が戦争、憎しみ、暴力、無関心、そして新しい諸々の壁に圧倒されないように。

 私たちは「閉じられた世界を覆う暗雲」に取り巻かれている。だが、暗闇に屈服せず、夢と希望を抱き、兄弟愛と社会的友愛を築くことに専念することで手を汚し続ける人もいる。Child refugees

 小規模にばらばらに起きている第三次世界大戦、利益本意の市場原理は、一見、健全な政治に根ざしているようでもあり、「使い捨て文化」が普及しているように見え、飢えた人々のうめき声は聞こえない。だが、これとは異なる、もっと思いやりのある世界を作るための、はっきりとした道を示す人もいるのだ。

 5年前、教皇は、環境危機、社会危機、戦争、移住、貧困の間に存在するつながりを明確に描写した環境回勅「Laudato si」を発出し、達成すべき目標を示したー今よりも、もっと公正な経済、社会システム、被造物を大切にし、人間を、至高の〝神”に祭り上げたお金よりも、母なる地球の守り手として、中心に置くことーだ。

 4日発表された社会的回勅「 Fratelli tutti,」、教皇は、その目標を達成するための具体的な道を示している。その方法とは、自分たちを兄弟姉妹として認識すること。なぜなら私たちは子供たちであり、互いに養育係であり、皆同じ船に乗っているからだ。そのことは、現在の新型ウイルスの世界的大感染の中で一段と明らかになっている。

 言い方を変えれば、homo homini lupus(他者に対して狼のように振る舞う人)となる誘惑、新たな壁を作り、孤立する誘惑に屈するのを避け、「善きサマリア人」という画期的な福音宣教の模範を掲げて進め、ということだ。

 教皇フランシスコが示す道は、他の人を”よそ者”とする見方を壊されたイエスのメッセージを基礎に置いている。そして、すべてのキリスト教徒に、次のことを求めているーそれぞれの人の中におられるキリストを見い出し、私たちの世界で捨てられ、忘れられ、苦悩する人々の中に「十字架につけられたキリスト」を、再び歩けるようになった兄弟姉妹1人ひとりの中に「復活されたキリストを見る」ことだ。兄弟愛のメッセージは、他の宗教を信じる男性と女性、そして宗教を信じない多くの女性と男性によって受け入れられ、理解され、思いを共有されることのできるものだ。

 新回勅は、教皇の社会教説の要約として示されています。それは彼が教皇に就任にされてから、これまで7年間になさった説教、講話や質疑応答で示された要点を体系的にまとめたものになっている。その発想の元になっているものの1つは、間違いなく昨年2月に訪問先のアブダビで、アルアズハルのグランド・イマームのアフマド・アル・タイーブ師と合意、署名された「世界の平和と共に生きるための人間の友愛に関する文書」だ。教皇は、宗教間の対話にとって歴史的な出来事となったこの共有宣言をもとに、「対話が道であり、共通した協力がmodus operandi(方法)であり、相互理解が方法であり基準だ」ということを強調されている。

 だが、新回勅の意義を宗教間対話の領域にのみにとどめることはできない。回勅のメッセージは、私たち皆に関係している。社会的、政治的分野でも啓蒙的な内容が含まれている。”荒れ野に叫ぶ声”である教皇が、金銭的利益と市場の神話ー管理監督がされなくても全ての人に幸せがもたらされるという”神話”ーをあまりにも長い間、信頼してきた後で、健全で特定の役割を担うことを可能にする政治、を支持するプロジェクトに再び手を付けるのは、逆説的に思えるかもしれない。

 新回勅は、一つの章全体を「奉仕の観点から、慈善の証人として、偉大な理想によって育まれた政治」にあてている。目先の利益ではなく、共通善について考えることで将来のために、そして特に若い世代を念頭に置いた計画を考えている。そして、多くの国々が互いに密接に関係し合っている現在、教皇は、改めて国際的な諸機関への信頼を喪失しないように、改革の必要を強く訴えている。

 また、新回勅が最も力を入れたもののひとつは、戦争を断罪し、死刑を否定することだ。教皇はまず、教皇ヨハネ23世の「Pacem in terris(世界の平和)」の主旨に沿い、過去何十年かの間に起きた数多くの紛争が何百万人という罪もない人々の生活を踏みにじるという破壊的な結果についての、現実的な評価から始めて、回勅の最も強力なページの中には、戦争の非難と死刑の拒否に捧げられたページがあります。教皇ヨハネ23世の領土内のペースに沿って、過去数十年間に非常に多くの紛争が何百万人もの罪のない人々の生活に影響を与えた壊滅的な結果の現実的な評価をした。そして、”正義の戦争”があるという考え方を支持する、過去何世紀にもわたって醸成された合理的基準を維持することが、今や極めて難しくなった、との判断を示された。

 また、死刑に頼ることは、正当化することができず、容認することもできない、として、世界全域で廃止されねばならない、としている。

 教皇が指摘しているように、「今日の世界では、私たちが一つの人間家族に属している、という感覚は薄れつつあり、正義と平和のために協力する世界、という夢は、時代遅れのユートピアのように見える」。それでも、今、再び夢を見なおし、何よりも、その夢を共に実現する必要があるー手遅れになる前に。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2020年10月17日

・教皇の新回勅は、ポスト・コロナの世界の”投票案内”だ(Crux)

( 2020.10.4 Crux  

Pope’s new encyclical offers ‘voter’s guide’ for post-pandemic world

Pope Francis celebrates Mass in the crypt of the Basilica of St. Francis, in Assisi, Italy, Saturday, Oct. 3, 2020.  (Credit: Vatican Media via AP.)

  アッシジ(イタリア)=教皇フランシスコは、新しい回勅 Fratelli Tuttiで、新型コロナウイルス大感染後の世界の再構築のための処方箋を、”個人”や”市場”ではなく、共同体社会と貧しい人々を優先するシステムを作るために、政治と市民の言説を完全に作り直すことから説き始めている。

 300ページ近くを費やしたこの文書は、新型コロナウイルス大感染で痛手を負った世界が重大な選択をしようとする直近の未来のためのフランシスコ自身の”投票案内”だ。

 フランシスコの視野は世界的だが、その言葉には米国に対する明確な”バンチ”が詰まっている。米国では論争に明け暮れ、敵意に満ちた政治的戦いでもあった選挙戦の末に、来月初めに大統領が選ばれる。

 回勅で教皇は、新型コロナウイスの大感染に世界が力を合わすことができない現状に対する教皇自身の評価から始まる-前文の第7項で、コロナ大感染によって、世界の「誤った安全保障」の実態が暴露された、と述べている。

 「今回の危機に対し、さまざまな国が、異なった対応をしたものの、力を合わすことができない、ということが非常にはっきりしました… 私たちが、ハイパーコネクティビティ(注:「インターネットによって高度に緊密に結ばれている状態」の意味)にあるにもかかわらず、私たち全体に影響を与える問題を解決することを従来よりもっと難しくする”断片化”が起きていることを目の当たりにしました」と教皇は言明。

 「『学ぶべき唯一の教訓は、私たちがすでに行っていることを改善する、あるいは、既存のシステムや規制を改良する必要があるということだった』と考える人は誰でも、現実を否定しています」と述べている。。

 文書の以上の以外の部分を通して、教皇自身が現在のグローバルな政治と経済システムで誤っている見ているところを分析。「ポピュリズム」「自由主義」「自由市場資本主義」に対する批判を頻繁に繰り返し、移民や難民を含む最も脆弱な人々を優先する多国間協力と政策を支持している。

 また、今日の「過分極化し、攻撃的なソーシャルメディア文化」を激しく批判し、「現代の社会的相互作用の多くを支配する毒性」を治療する薬として友愛を示している。

 さらに、女性の権利と平等を訴え、高齢者を幅広く守るよう促し、人種差別と最近のいくつもの事件が引き起こした暴力的な抗議行動を早急に終息させるよう求めている。

*社会的攻撃

 教皇の見方によれば、「恥ずべき攻撃」意識の高まりは、急激に分極化する現在の”グローバル文化”の欠陥だ。

 回勅の44項で、「”快適な消費者の孤立”を”保っている時でさえも、彼らは、休むことのない、熱に浮かれたような結束を選ぶことが可能です-それは、他の人に対する敵意、侮辱、虐待、名誉毀損、そして破壊的な言葉の暴力をかきたてます」と述べ、そうしたことは、多くの場合、物理的な接触では、私たちを引き裂かずには済まない”自制心の欠如”を伴う、と指摘している。

 そして「社会的攻撃」は、「コンピューターやモバイルデバイスを介して空前の拡大の余地」を見出し、この「中毒性のある冷やかし」は「イデオロギーに好きなようする力を与えました」と批判。「わずか数年前まで、尊敬をなくすリスクを冒さずに誰も口に出せなかったことを、今では、一部の政治家さえも、責任を問われず、極めて粗雑な言葉で話すようになっています」(45項)と述べたが、これは明らかに、米国のトランプ大統領の攻撃的な政治スタイルなどを念頭に置いているとみられる。

 さらに教皇は現在の「ソーシャルメディア文化」を掘り下げ、ソーシャルネットワークで発生する「熱狂的な」やり取りは、単なる「平行線の独り言」であり、「常に信頼できるとは限らないメディアの情報」に基づくことが多い、とし、「鋭く攻撃的な口調で注目を集めるかもしれませんが、独り言は誰とも関わりを持たず、その内容はしばしば利己的で矛盾しています… さらに悪いことに、この種の言葉は、通常、政治的なキャンペーンについのメディアの報道をもとにし、日常的な会話の一部をなすほど広がるようになっている」と批判を重ねた。

 「自分自身の経済的またはイデオロギー的な利益」に一致するか役に立つ場合、こうした振る舞いを正当化あるいは弁明する試みがなされるが、「遅かれ早かれ、そうした利益とは反対になります」と指摘した。

*政治の問題

 現在の政治情勢に関して、回勅で教皇は、現代の「ポピュリズム」と「リベラリズム」の傾向を批判する立場から、政治的美徳と悪徳の普遍的な再考を強く促している。

 この箇所では、「より良い種類の政治」を取り上げ、ポピュリズムとリベラリズムに対する批判を含む第5章で、世界の多くの地域で「さまざまなイデオロギーの影響を受けた一般民衆の国民的一致の概念が、国益の保護の名のもとに、新しい形の利己主義と、社会的意識の喪失を生み出している」と指摘。

 貧しく脆弱な人々への思いやりの欠如は、自分たちの為に煽動的なやり方で彼らを搾取する「ポピュリズム」、あるいは強者の経済的利益に奉仕する「リベラリズム」の陰に隠れる可能性があり、いずれの場合も、「最も弱い人を含めた、すべての人に場を提供し、異なる文化に敬意を払う『開かれた世界』を思い描くことが難しくなる」と警告した。

 また、「ポピュリスト」と「ポピュリズム」という用語について頻繁にさまざまな角度から考えることが、それらが持つ意味を失わせた、とし、「諸々の国民、集団、社会、政府の全体を『ポピュリスト』か『ポピュリストでないか』で分ける努力がされているが、それが、ある人々にとって、「一方がいいか、他方がいいか」「不当に批判すべきか、絶賛すべきか」の二者択一でない見解を表明することを、ほとんど不可能にしている、と批判。

 さらに教皇は、「ポピュリズム」を社会の現実を解釈するためのレンズとして使うことの問題は、「『people(人々)』という言葉の正当な意味」を無視することにあり、この考えを普通の言葉から取り除くいかなる努力も、「人々による統治」という民主主義の核心となる概念を排除することを意味します」と述べ、「政府に何ができるかについて現実的な期待を持つ必要性」、そして「課題に対してそれぞれの地域の解決策を備えた水平的な統治の必要性」を強調。、民衆運動が果たし得る役割を賞賛し、「大きな政府」と「福祉国家」の”話術”を批判した。

 「新自由主義のモデル」を、経済的に安定した家庭に生まれ、とくに「前向きな取り組み」を必要としない人々がいる一方で、障害を持つ人や十分な教育や医療を受けられない極度の貧困な環境に生まれ、国の政策に依存する人々が存在するのを認めるもの、とし、「社会が『市場の自由と効率』で支配されている場合、そうした弱い人々の場はなく、友愛は単なる漠然とした理想にとどまります」と述べた。

 そして、新自由主義は、「社会問題の唯一の解決策として、『あふれ出す』あるいは『少しずつ漏れ出す』効果がもたらされる、という魔法の理論に頼ることで、自己を再生産するにすぎず、この「あふれ出す」効果が「社会の構造を脅かす新しい形態の暴力のもとになる不平等を解決する」ことはない、と断言。「欠かせないのは、生産的な多様性とビジネスの創造性を指向し、雇用を削減せず、創出することを可能にする経済を推進することを目的とした積極的な経済政策を持つことです」と強調した。

 教皇は、国民国家の現在の「弱体化」が起こしている問題を克服するために、「これまでよりも強力で、効率的に組織化された国際的な諸機関」の創設を提唱。これらの機関を担当する人々は「各国政府間の合意によって公正に」選ばれ、執行の権限を付与される必要がある、とした。

 そうした立場から、教皇は、国際連合を支持し、国連憲章は「法的規範の基本」であり、「透明性と誠実さをもって遵守、運用されれば、正義の必須の基準となり、平和の手段となる」が、そうなるためには、「『諸国家の家族』の概念が実際に効力を得るような改革が必要」と指摘した。

 また、国家間の協定についても、「二国間協定よりも、普遍的な公益の促進と脆弱な国の保護を保証するような多国間協定を優先する必要があります」と踏み込んだ考えを示した。

*移民、人種差別、戦争、死刑

 2013年に教皇に就任して以来、移民・難民問題は、フランシスコの重要な政策問題となっている。この回勅で教皇は、1991年に聖ヨハネ・パウロ二世が出した社会的回勅「Centesimus Annus(新しい課題 ― 教会と社会の百年をふりかえって  )」で述べられた「地球は、特定の国々や個人ではなく、全人類に属するもの」という「社会的財産」の概念に基づいて、普遍的な移民計画のビジョンを展開した。

 移民・難民の入国管理に当たっては、地球の財物の共通の目的地は、領土、資源と同様に国にも適用されねばならず、そうした観点から見れば、「いかなる地域から助けを求めてやって来る人に対しても、財物を拒否されないかぎり、どの国も、外国人に属すると言えます」と述べた。

 今年初めにアフリカ系アメリカ人が警察に殺害された後、抗議活動が続いている米国にとって悩ましい人種差別の問題についても取り上げ、国民の一致と共に、社会の平和を育て、守ることの重要性を強調。「復讐の誘惑と目先の党派的利益の満足感から脱する」ように求め、「暴力的な抗議行動は、解決策を見つけるのに役立ちません」と訴えた。

 また教皇は、この回勅で、戦争について、「正戦」の考えを否定し、現代の諸状況の中では暴力的な紛争を正当化することはできない、と主張。核兵器の廃止と死刑も繰り返し呼びかけ、死刑については「命の根絶」と言う言葉を使った。そして、270項で、死刑について判断をためらっているキリスト教徒に直接、訴え、預言者イザヤ、そしてイエスが聖書の中で語っていることを思い出すように求めたー「彼らはその剣を鋤に…」(イザヤ書2章4節)。そしてイエスは弟子たちに言われたー「剣を鞘に納めなさい」(マタイ福音書26章52節)と。

 

*政治的な慈善行為

 現在の世界の政治状況、社会状況に対する教皇の一般的な評価は厳しいが、その中で、教皇は、「敵意を破り、普遍的な兄弟愛の感覚を育むことができると信じる解決策」として「政治的な慈善」を提唱する。

 「もしも、誰かが、お年寄りが川を渡るのを助けるなら、それはすばらしい慈善の行為です。政治家が橋を架けることも、慈善行為です」と述べ、 「人は食べるものを提供することで他の人を助けることができますが、政治家はその人に仕事を提供し、自身の政治的な活動を気高いものにする慈善活動を実践することになるのです」、そして、このような社会的な慈善活動を「政治の霊的な心」と呼び、それが常に「貧しい人々や最も助けを必要としている人々に優先して注がれる愛」として表現されていると強調した。

 それは「私たちが彼らに代わって行う、すべてのことを支えています… 貧困の窮状は、貧しい人々を鎮静し、大人しく、無害な存在にする『封じ込め戦略』を進めることで対処できないことを私たちに認識させます。必要なのは、『自己表現と社会への参加の新たな道』を示すことです」と彼は述べた。

 また、世界はまだ、「最も基本的な人権のグローバリゼーション」から遠く離れた段階にあり、「世界政治は、飢餓の効果的な排除を最重要かつ不可欠な目標の1つにする必要がある」と強調した。

 そして、教皇が主張する選択肢は、人間の友愛の倫理だ。「さまざまな形の『原理主義的な不寛』が、個人、集団、人々の関係を傷つけている時にあって、他人を尊重することの価値、違いを喜んで受け入れる愛、そして他の人々の発想、意見、行い、そして罪さえも人間としての尊厳を最優先する価値を大切にして生き、他の人に教えるように、全力を尽くしましょう」。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

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2020年10月17日