(2020.11.17 Vatican News Fr. Benedict Mayaki, SJ)
世界カトリック女性組織連合(WUCWO)主催の教皇フランシスコの新回勅「 Fratelli tutti 」を学ぶオンライン会議が17日開かれ、バチカン福音宣教省長官のルイス・アントニオ・タグレ枢機卿は新回勅が社会的友情、普遍的な愛と友愛によるより良い世界を構築する道を歩むよう、私たちを鼓舞している、と強調した。
*フランシスコの三つの回勅に共通するもの
会合はWUCWOの各国代表を中心に55名が参加。基調講演で、タグレ枢機卿は、新回勅の特筆すべき点について、教皇フランシスコこれまでに出された2つの回勅とセットになっていること、新回勅を含めた3つすべてがアッシジの聖フランシスコの記憶によって統一されていること、と指摘。
最初の回勅『 Evangelii Gaudium(信仰の光)』は「聖フランシスコが教会を再建するために神から受け取った求めに触発されています。教皇フランシスコは、21世紀の教会が”福音の喜び”によって”再建”されるというビジョンを提起しました」。2つ目の回勅『Laudatosí(ラウダート・シ)』では「”共通の家”ー地球に対する私たちの共同の責任」について概説し、今回の新回勅『Fratellitutti』は「私たちを社会的な友情、互いに兄弟姉妹になるよう促しています」と述べた。
*新回勅で教皇が採用した方法論
さらに枢機卿は、教皇が新回勅で次のような方法論を採用していることを指摘した。
まず、現在の世界の状況、兆候、傾向を示し、分析する。次に、識別力と判断力を使い、信仰に照らした現代の解釈。そして、以上を受けた対応策ー現状を知り、分析したうえで、より良い住みかとなる世界の構築ーについて述べている。最後に、教会論につながるー私たち兄弟姉妹に奉仕する教会のビジョンを示している。「これは単なる”方法”ではなく、霊的ビジョンであると言う人もいます」と枢機卿は付け加えた。
*現在の世界の状況を直視する
また枢機卿は、新回勅が「今日の世界の状況、兄弟愛と姉妹愛の欠如に注意を払う」ように私たちに呼びかけていることを強調。それはまた、これらの状況が「人類家族で起きている破壊を隠すために、外見を美しく着飾っている」ということを率直に認めるよう求めてもいる、とし、「私たちは、貧しい人々、忘れられた人々、無視された人々が、現在の”使い捨て文化の中で、一段と苦しみを味わっていることに注意を払う必要があります。これは、他者に『閉じられている』という思いと文脈の中で起こる。とりわけ移民、女性、少女、人身売買の犠牲者を含む”貧しい人々の視点”から見ることができます」と指摘した。
*開かれた世界のビジョンの基本は「普遍的な愛」
そのうえで、枢機卿は、「『兄弟愛と姉妹愛に開かれた世界』という教皇のビジョンの基本は『普遍的な愛』にあります。それを通してのみ社会的友情を可能にすることができる」とし、「普遍的な愛は、自分を内に閉じこめるのではなく、他者-自分の集団、家族、コミュニティの文化…ーに対して開くこと。愛は他者との結合を求める形です。愛は他人の価値を見ます。愛は他人の価値を讃える… 愛は他の人にとって何が最も良いかを考えるのです」と述べた。
そして、「これは単なるロマンチシズムや理想主義ではない。神がご自身を現された方法。イエスが愛し、すべての人のために死んだ方法。聖霊が息を吹きかける方法です。愛である神は、全面的、完全に開かれているのです」と強調。これは、教皇が新回勅で言及している「善きサマリア人のたとえ話」にも示されている、とし、「このサマリア人は、開かれた心をもって、道端に置き去りにされた見知らぬ人に歩み寄り、兄弟のように扱いました。別の人、つまり宿屋の主人に、けがを負った人の世話を頼むことで、普遍的な愛の道具になるように誘いました」と説明した。
*真心で対応することの重要性
また枢機卿は「真心からの対応を欠いた”普遍的な愛”は、単なる概念またはスローガンにとどまる危険がある。真心を欠いた対応は、特定の具体的な人とすべての人間の共通の尊厳との間に緊張をもたらします。具体的な人に共鳴しなければ、すべての人間の尊厳に共鳴することができないからです」と注意した。
新回勅のテーマとなっている「社会的友情」に関連して、「それを育てるためには、すべての文化の独自性を排除しない”普遍的な連帯”に心を開く必要があります」と述べ、「例えば私有財産を扱う際に、社会的友情を具体化することができます。財産が公益を犠牲にして絶対化されるべきではありません」とし、「社会的友情は、国際関係における国の政治と政治的慈善を刺激し、大衆迎合主義の罠と人々の分裂を生み出す偏狭なイデオロギーに引き込まれないように、国を導くことを可能にします」と述べた。
さらに、「教皇は新回勅で、『間違いをした子供たちをいつも赦す母親』をたとえに引いて、赦しについて語っています。赦しは、恵みではありますが、それは、正義を否定したり、他人に与えられた恐怖を忘れたりすることではなく、最悪の犯罪者に対してさえも、憎しみで心を閉じたままでいるのを拒むこと、とされています」と指摘。
続いて、「すべての人への呼びかけは、他の宗教や他の信仰をもつ人たちとの友好的な関係を通して、友愛と兄弟愛の中でキリスト教徒としての私たちの場所を見つけることです。これは、開かれた愛情のある対話と『出会いの文化』を通じてなされます」と説いた。
*枢機卿の三つの提案
講演の最後に枢機卿は、新回勅のアピールに対する具体的な対応を促すためのいくつかの提案をした。
まず、個人のレベルと集団のレベルの両方で、人間の心、キリスト教徒の精神面での人格形成の重要性を強調。「回勅は、私たちが心を開くのを妨げる『偏見』に立ち向かうよう、私たちを鼓舞します」と指摘した。
二つ目は、諸文化は人によって活発にされることから、私たちは人間として、これまで当然のこととして受け入れられてきた政治・社会・経済政策、制度、文化を変革するために力を注ぐ必要がある。
三つ目に、 WUCWOに対して、女性たちー苦痛を受けているが、心の扉を閉めることを拒否する女性たちーの話を集めることを、提案した。
そして、締めくくりに、枢機卿は、イエスとその福音宣教、地上での生活に目を向けるように勧め、イエスが兄弟姉妹のように扱った、社会や集団からのけ者にされた人々ーザアカイ、マタイ、シリア・フェニキア生まれの女性(マルコ福音書7章24~30節)、井戸の側にいたサマリア人の女性ーとの関係の持ち方、そして、イエスと並んで十字架にかけられた盗賊への天国の約束から、刺激を受けるように促した。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)