祈りの意向

11月の祈りの意向

■11月の祈りの意向

教皇の意向: 子を失った親のために

*息子や娘の死を悼むすべての親が、地域社会に支えられ、聖霊の慰めによって心の安らぎを受けることができますように。

教皇フランシスコは、この意向について、ビデオの中で次のように話された。(バチカン放送)

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「子どもを亡くしたご両親に何が言えるでしょうか。どう慰めたらいいのでしょうか。言葉すらありません。考えてみてください。一人の配偶者が相手を失えば、その人は男やもめ、あるいは寡婦となります。親を失った子どもは、遺児となります。言い表すための言葉があります。しかし、子を失った親に対しては、言葉はありません。それは、あまりに大きな苦しみのために、言葉もないほどなのです。

我が子より長生きすることは、自然なことではありません。子を失った悲しみはとりわけ大きいものです。慰めの言葉は、ありきたりで、感傷的で、余計であることがよくあります。当然、善意で語った言葉であっても、かえって傷を広げてしまうことがあります。

子を亡くした親たちを慰めるには、彼らに耳を傾け、愛をもって寄り添い、イエス・キリストがどのように苦しむ人たちを慰められたかに倣い、責任をもって、その悲しみに寄り添わなければなりません。 そして、信仰に支えられた親たちは、このような恐ろしい悲劇に見舞われた後に、希望のうちに生まれ変わった他の家族たちの中に、慰めを見出すことができるでしょう。

祈りましょう。息子や娘の死を悼むすべての親が、地域社会に支えられ、聖霊の慰めによって心の安らぎを受けることができますように」

 

 

 

 

 

日本の教会の意向: 日韓司教交流会のために

*日本と韓国の司教が、互いの交流を通して信頼を深め、隣国の教会共同体として支え合っていくことができますように。

2024年10月28日

10月の祈りの意向

■10月の祈りの意向

教皇の意向: 「使命を担い合う」ために

*教会が、共同責任のしるしとして、あらゆる場面でシノドス的な生活様式を維持し、司祭・修道者・信徒の参加と交わりをもって使命を推し進めることができますように。

 教皇フランシスコは、この意向について、ビデオメッセージで次のように話された。(バチカン放送、「カトリック・あい」編集)

 「私たちキリスト者は皆、教会の使命に責任を負っています。すべての司祭が、すべての人がです。司祭は、信徒の”上司”ではなく、”司牧者”です。イエスは私たち皆を召されました。誰かを誰かの上にではなく、誰かをこちら側に他の人をあちら側にではありません。私たちが互いに補い合うように召されました。私たちは共同体です。それゆえに、私たちは共に歩まねばなりません。

 皆さんは私に尋ねることができるでしょう。『自分には、何ができるだろうか』と。バスの運転手として、でしょうか。農業者として、でしょうか。漁業者として、でしょうか。皆がすべきことは『自分の人生を通して証しすることです。教会の使命の責任を分かち合うこと』です。

 信徒たち、洗礼を受けた人たちは、教会に、自分の家にいます。その家の世話をせねばなりません。司祭や修道者も、同じです。一人ひとりが自分に得意なことを通して貢献するのです。私たちは教会の使命における共同責任者です。私たちは教会の交わりの中で、参加し、生きています。

 祈りましょう。教会が、共同責任のしるしとして、あらゆる場面でシノドス的な生活様式を維持し、司祭・修道者・信徒の参加と交わりをもって使命を推し進めることができますように」

 

日本の教会の意向: シノドスのために

*教皇フランシスコの意向に合わせ、日本の教会がキリストを信じる世界の教会と共に歩むことができますように。

2024年9月29日