☩「”霊において貧しい人”となるために、”使い捨て文化”に打ち勝つことが求められる」-年間第4主日の正午の祈りで

Pope Francis greets the crowds in St. Peter's SquarePope Francis greets the crowds in St. Peter’s Square  (Vatican Media)

 

Treasuring every one of God’s gifts

Pope Francis noted that the poor in spirit also “treasure what they receive” and therefore know that “no gift should go to waste”.

He then reflected at length on the actuality of this teaching of Jesus, since it runs up against much of our consumerist society that fails to appreciate the value of people and things.

“After the multiplication of the loaves and the fish, [Jesus] asks that the leftover food be gathered so that nothing would be wasted,” the Pope offered by way of example.

He offered Christians three challenges to combat the throwaway culture that predominates the world, especially in affluent societies.

Gift that we are

Pope Francis first challenged people “not to waste the gift that we are.”

He said each person is a good, independent of the gifts we have, since “every man or woman is rich not only in talents but in dignity.”

“Jesus reminds us that we are blessed not for what we have, but for who we are. Authentic poverty, therefore, is when a person lets go and throws him or herself away, wasting him or herself.”

Gifts that we have

The Pope then challenged us “not to waste the gifts that we have.”

He lamented that over a third of the world’s food production goes to waste, even as many people die of hunger.

“Goods should be taken care of and shared in such a way that no one lacks what is necessary,” he said. “Rather than waste what we have, let us disseminate an ecology of justice and charity!”

Gifts of people

Pope Francis offered the third challenge “not to waste people.”

He said the throwaway culture uses people only so long as they are useful, after which the person is only a bother to society.

Those most affected by this selfish mindset are “unborn children, the elderly, the needy, and the disadvantaged.”

“People are never to be thrown out, never! Every person is a sacred and unique gift, no matter what their age or condition is. Let us always respect and promote life!”

Examination of conscience

The Pope wrapped up his Angelus address with a series of questions we can ask ourselves to assess how we live our poverty of spirit.

“Do I know how to make room for God? Do I believe that he is my good, my true and great wealth? Do I believe that he loves me, or do I throw myself away in sadness, forgetting that I am a gift? And then – Am I careful not to waste? Am I responsible about how I use things, goods? Am I willing to share things with others? Lastly, Do I consider the weakest as precious gifts whom God asks me to care for? Do I remember the poor, those who are deprived of what is necessary?”

2023年1月29日

☩「同性愛者であることは罪でないが、結婚以外の性行為は罪」-教皇、LGBTQ推進のイエズス会士に手紙

File photof of Fr. James Martin, SJFile photof of Fr. James Martin, SJ 

(2023.1.28  Vatican News)

 教皇フランシスコが先のAP通信とのインタビューで「同性愛者であることは犯罪ではない」と語ったことが一部関係者の間で”誤解”を生んでいるが、教皇は28日、米国のLGBTQ(性的少数者) コミュニティで活動しているイエズス会のジェームズ・マーティン神父に手紙を送り、「結婚以外のすべての性行為は罪」というカトリックの教義に変わりはないことを確認された。

 マーティン神父は、AP通信との最近のインタビューでの教皇の発言について、教皇あてに手紙を書いており、それに教皇が答えたもの。文脈から、この手紙で教皇が同性愛について語っているのは明白だが、この場合、対象としているのは、「同性愛の行為」であり、「同性愛」そのもの、ではない。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2023年1月29日

☩「私たちは皆、同じキリストの体の一部だ」教会一致祈祷週間の終わりの晩課で

 

*善を行い、公正を追い求める

 教皇は、「善を行い、公正を追い求めよ」(イザヤ書1章17節)という今回のキリスト教一致祈祷週間のテーマに改めて注目され、「 神は私たちに、悪を放棄するように忠告し、変わるよう促しています。『忠告』と『変更』は、今晩、あなたがたと共に考えたい2つの言葉です」と述べられた。

 預言者イザヤが語った、この主の言葉からヒントを得て、教皇は「主は、お香や供え物を望んでおられるのではなく、貧しい人々が援助を受け、孤児に正義が与えられ、やもめの大義が支持されることを望んでおられます」とされたうえで、「神は、ご自身が最も気にかけている人たちへの、私たちの無関心と理解の欠如を悲しんでおられます」と指摘。

 さらに、「至高者を怒らせる第二の、より深刻な原因があります。それは冒涜的な暴力です」とされ、「キリスト教徒を自称する人々による戦争や暴力行為を、主が目撃しなければならない苦しみを想像できます」と語られ、このイザヤ書にある主の言葉は「キリスト教徒である私たちに多くの思考の糧を与えてくれます」と語られた。

 

*弁解の余地はない

 また教皇は「私たちの進化した霊性と神学をもって、改めて申し上げたいのは、『弁解の余地がない』ということです。にもかかわらず、さまざまな狭量で暴力的なナショナリズム、外国人排斥や軽蔑、さらには異なる人々への虐待さえも支持することを、信仰によって奨励されている、あるいは許されている、と感じているように見える人々がいます」とし、「このような傾向に直面しても、批判的な感覚を持ち続け、即座に反応するように、信仰によって促される必要があります」と述べられた。

*神が共におられればすべてが可能

 続けて教皇は「主は、私たちの過ちを診断した後で、それを正すよう求められます… 神と自分の中に潜む暴力を理解できないために、私たちは自分自身を自由にすることができません。神なしには、神の恵みなしには、私たちは自分の罪を癒すことができません」とされたうえで、「神の恵みが私たちの変化の源です(…)。 自分だけでは成功できないが、神が共におられれば、可能です」と強調。

 そして、「回心がどれほど共同体的で教会的であるか」を思い起こされ、「すべてのキリスト教徒が共に、視点を変えることに心を開くように」、そして「世界中のすべての信者が聖霊によって互いに交わり合っており、聖ヨハネ・クリソストム(3世紀から4世紀初めにかけて生きたコンスタンチノーブル司教)が書いているように『ローマに住む者は、インドに住む者が同じ体の一部であることを知っている』ことを再発見するように」と願われた。

 最後に、教皇は、今回のこの交わりの旅に感謝され、またカトリック教会のシノドスの旅に多くのキリスト教徒が関心を持ち、参加してくれていることに感謝を述べられた。そして、「キリストが望まれる完全な一致に向けて、祈り、奉仕、対話、協力を通じて成長し続けるように」と参加者に呼びかけ、晩課に参加したすべてのキリスト教共同体に感謝の意を表されたー「主が私たちの前に置かれた道、一致の道を共に歩もう」。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2023年1月26日

☩「愛に根差した真理に従い、心を込めて話す」ー5月の「世界広報の日」に向けてメッセージ

(2023.1.24 バチカン放送)

 教皇フランシスコが24日、カトリック教会の「第57回世界広報の日」に向けたメッセージを発表された。「世界広報の日」は、様々な形のメディアを通して行う福音宣教について、教会全体で考え、祈ることを目的とするもので、毎年、聖霊降臨の前週の日曜日、今年は5月21日に、日本の教会では復活節第6主日(5月14日)に行われるが、教皇のメッセージは、毎年、ジャーナリストの保護者、聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士の記念日である1月24日に発表されることになっている。

 これまでの「来て、見なさい」、「心の耳で聴く」などのテーマに続き、今回のメッセージで、教皇は「『愛に根差した真理に従い』心を込めて話す(エフェソの信徒への手紙4章15節参照)」(仮訳)を選ばれた。そして、「行く、見る、聞くように、私たちを動かすのは心。心が、開かれた受容的なコミュニケーションを行わせます」とされ、「耳を傾けること」を学んだ後、「対話と分かち合い」を発展させた「心のこもったコミュニケーション」「愛に根差す真理に従った会話」を学ぶよう促された。

 また、「イエスは、『木はそれぞれ、その結ぶ実によって分かる』(参照 ルカ福音書6章44節参照)、『善い人は良い物を入れた心の倉から良い物を出し、悪い人は悪い物を入れた倉から悪い物を出す。人の口は、心からあふれ出ることを語る』(同45節)と語っている」とされ、「ですから、私たちが『愛に根差した真理』に従って語るためには、自らの心を清める必要があります。純粋な心で聞き、話してこそ、私たちは外見の奥にあるものを見、混乱した騒音を克服することができるのです」と説かれた。

*心を込めて伝える

 さらに、「『心を込めて伝える』とは、読む人、聞く人に、今日の人々の喜びや恐れ、希望や苦しみに対する私たちの分かち合いを理解してもらうこと。そのように話す人は、相手を大切に思い、その自由を尊重します」と語られた。このようなコミュニケーションのために、イエスが十字架上の死を遂げた後、エマオへ向かう弟子たちに話しかけた不思議な「旅人」を模範として示され、「復活されたイエスは、悲しみにくれるむ弟子たちに、尊重をもって歩調を合わせながら、心を込めて話しかけられます。弟子たちは、その『旅人』との会話で『心が燃える』( ルカ福音書24章23節)のを感じたのです」とされた。

 そして「分極化や対立の構図が目立つ今の時代に、教会共同体もその影響を受けていないとはいえません。そうした中で『心から』『両腕を広げた』コミュニケーションの努力は、情報にたずさわる方々だけでなく、すべての人の責任でもあります。私たち皆が、真理を語り、それを愛をもって行うよう求められているのです」と強調された。

*よく話すためには、よく愛するだけで十分

 また教皇は、「心を込めて話す」ことの最も輝ける模範を示した人として、帰天400年を迎えた聖フランシスコ・サレジオ司教・教会博士を挙げられ、この聖人の「柔和で、人間性にあふれ、反対者をも含むすべての人と忍耐強く対話する姿勢は、神の慈しみの愛のすばらしい証しとなった」ことを思い起こされた。

 「心は心に語る」という同聖人の言葉は、世代を超えた多くの人に影響を与え、その一人、ジョン・ヘンリー・ニューマンは、この言葉をモットーに選んだ。教皇は、このメッセージで、ニューマンの「よく話すためには、よく愛するだけで十分である」という言葉を引用されている。

 教皇は、聖フランシスコ・サレジオの「私たちが伝えるのは、私たちそのものだ」という言葉に触れつつ、「今日のソーシャルメディアが、『ありのままの自分』ではなく、『かくありたい自分』を伝えるために利用されている」と指摘。この「優しさの聖人」から、「真理を勇気と自由をもって語り、物々しい攻撃的な表現を用いる誘惑を退けること」を学ぶよう勧められた。

*共に歩む中で心を込めて話す

 続けて教皇は、「教会においても耳を傾け、また耳を傾け合うことの必要が大いにあります」とされたうえで、「心に灯をともし、心の傷に塗る香油となり、兄弟姉妹たちの歩みの光となるコミュニケーションの構築」を急務として示され、「聖霊に導かれた、親切で、同時に預言的な、第三千年期にふさわしい新しい福音宣教の在り方を見い出し得る、教会のコミュニケーション」の実現を、強く望まれた。

*平和の表現を推進し、”魂の武装”を解く

 さらに教皇は「穏やかに語る舌は骨をも砕く」という箴言の言葉(25章15節)を取り上げ、「『心を込めて話す』ことは、戦争のある所に平和の文化を推し進め、憎しみと敵意が荒れ狂う所に対話と和解の道を開くために、強く求められています」と強調。「世界的な紛争を生きる今日の厳しい状況において、対立的でないコミュニケーションを確立することが求められています」と訴えられた。

 そして、「対話に道を開き、統合的な軍縮を進め、闘争的な心理状態を解くことに努力する伝達者の必要」を説きつつ、聖ヨハネ23世の言葉ー「真の平和は、ただ相互の信頼のもとにのみ築くことが可能です」(回勅「地上に平和を」61項)を示しておられる。

(編集「カトリック・あい」)

2023年1月26日

◎教皇連続講話「使徒的熱意について」③「キリストに従う人々にとって、毎日が恵みの時」

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

(2023.1.25 バチカン放送)教皇の講話の要旨は次のとおり。

**********

 「預言者イザヤの巻物が手渡されので、それを開いて、こう書いてある箇所を見つけられた。『主の霊が私に臨んだ。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主が私に油を注がれたからである。主が私を遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、打ちひしがれている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである』。…イエスは巻物を巻き、…『この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した』と話し始められた」(ルカ福音書4章17-21)

 先週、私たちは福音の告知の模範であるイエスと、常に他者に向けられたその牧者の心を考察しました。今日は福音の告知の師としてのイエスを見つめましょう。そして、イエスがナザレの会堂で説教したときのエピソードから導きを得ましょう。

 イエスはナザレの会堂でイザヤ書の一節(参照 61章1-2節)を朗読され、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」(ルカ福音書4章21節)という一言で皆を驚かせました。イエスにとって、このイザヤ書の一節には、ご自分についての本質が含まれている、ということです。では、それはどのようなものでしょうか。私たちはここに5つの本質的要素を見ることができる。

 最初の要素は、「喜び」です。イエスは言われます。「主の霊が私に臨んだ。貧しい人に福音を告げ知らせるために…」(ルカ福音書4章18節)。「福音」とは、すなわち、「喜ばしい知らせ」です。イエスについて語るとき、喜びなしでは語れません。なぜなら、信仰は分かち合うべき「素晴らしい愛の物語」だからです。

 「イエスを証しする」とは、イエスの名において他者のために何かをすること。イエスから受けた恵みの素晴らしさは、どのような言葉をもっても言い尽くせません。福音ー良き知らせーは、喜びの知らせです。喜びが欠けるとき、それは福音とは言えません。悲しいキリスト者は非常に素晴らしいことを話せても、伝えることに喜びがなければ、すべては無駄になります。

 2つ目の要素は「解放」である。イエスはご自身のことを「捕らわれている人に解放を告げるために」(参照 同上)遣わされた、と言われます。それはすなわち、神を告げ知らせる者は、改宗主義をとらない、ということです。神を伝える者は、他者に圧力をかけず、むしろその重荷を軽くし、罪の意識ではなく、平和をもたらす者でなくてはなりません。イエスに従うことには、当然犠牲が要る。しかし、キリストを証しする者は、歩みの辛さよりも、目的地の美しさを物語っています。

 3つ目の要素は「光」です。イエスが遣わされたのは「目の見えない人に視力の回復を告げるため」(参照 同上)である、という。驚くべきことに、キリスト以前には、聖書において目の見えない人の癒しは現れません。それはメシアと共に現れる約束されたしるし、であったためです。

 イエスの癒しは、物理的な視力の回復だけでなく、人生を新たに見つめるための光をもたらすものでした。イエスの与える光とは何でしょう。それは「父子関係」の光です。イエスは御父の愛する子であり、イエスと一緒に私たちも、自分が抱える過ちや欠点にもかかわらず、神から永遠に愛される子となりました。これによって、人生は、虚無に向かって進む先の見えないものでも、運命や健康やお金に左右されるものでもなく、私たちを慈しまれる御父の愛によるものとなったのです。この光を他の人と分かち合うことは、どれほど素晴らしいことでしょう。

 4つ目の要素は「癒し」です。イエスは「打ちひしがれている人を自由に」するために遣わされた(参照 同上)。「打ちひしがれている人」とは、病気や、苦労、心の重荷、罪の意識、過ち、悪癖、罪など、何かに押しつぶされている人である。私たちを押しつぶすものの中でも、特に、人の力では癒すことができないもの、それは罪です。「良き知らせ」とは、イエスによってこの”古い病”を打ち負かすことができる、ということです。

 イエスは私たちを罪から「常に、無償で」癒してくださいます。イエスは「疲れた者、重荷を負う者」は誰でもご自分のもとに来るようにと招いておられます(マタイ福音書11章28節参照)。誰かのイエスとの出会いを助けることは、その人を心の医者に連れていくこと。イエスを信じる人は、他者に、神の赦しの力の体験をもたらすことができます。

 聖書には、負債の重荷から解放される年、恵みの年である、ヨベルの年についての記述がある。実際、イエスは「主の恵みの年を告げるため」(参照 同上)に遣わされたと言われます。これは宣言された聖年のことではなく、キリストによって常に驚きと共に与えられる、人生を新しくする恵みのことです。イエスを告げることは、常に「恵みに対する驚き」をもたらすものでなくてはなりません。なぜなら、私たちが偉大なことをなしとげるのではなく、主の恵みが私たちを通して思いがけないことを、成し遂げるからです。

 私たちが福音を、喜びと、解放、光、癒し、驚きをもって告げることができるよう、イエスが助けてくださいますように。

 最後に、この喜ばしい知らせが、特に「貧しい人」に向けられていることに注目したいと思います。貧しい人々はイエスが特に心にかける人々である。貧しい人々を私たちも心に留めるとともに、自らが、恵みを、イエスを、必要とする者であることを自覚し、主をお迎えするために「心を清貧」にすることを忘れてはなりません。

(編集「カトリック・あい」=聖書の引用の日本語訳は「聖書協会・共同訳」に改めました)

2023年1月25日

☩「すべての人を包み込む社会の構築を」ハンセン病・国際シンポジウムに

スティグマ=

ハンセン病に関する国際シンポジウム  2023年1月23日 ハンセン病に関する国際シンポジウム  2023年1月23日  

(2023.1.23 バチカン放送)

 教皇フランシスコは23日、教皇庁総合人間開発省、ラウル・フォレロー財団、アミーチ・ディ・ラウルフォレロー協会、笹川ハンセン病イニシアチブ(笹川保健財団)の共催で開かれた「ハンセン病に関するバチカンでの国際シンポジウム〜誰一人取り残さない〜」にメッセージをおくられた。

 2回目となる今回のシンポジウムは、ハンセン病対策の進展と課題の検証や、新型コロナウィルスの世界的大感染が社会的弱者、特に疾病による障害者のコミュニティに与えた影響が考察された。

 教皇はメッセージで、しばしば忘れられ、社会から見捨てられているハンセン病患者のために尽くしている人々に感謝され、「最も弱い立場の人たちを世話し、彼らに拒まれた権利と尊厳を返すためにかがみ込む、善きサマリア人の姿」を彼らと重ねられた。

 また、このシンポジウムが第70回目を迎える「世界ハンセン病デー」に先立って開かれたことに言及され、「世界ハンセン病デー」が1953年、根絶されたと多くの人に思われていた病気への関心を高めるために、ラウル・フォレローによって始められたことを思い起こされた。

 そして「今日、過去以上に心配すべきことは、この病気だけでなく、人そのものが忘れられかねないこと」と指摘。世界各地でハンセン病に結びつけられたスティグマ(特定の属性を持つ人に対するネガティブで誤った態度)がもたらし続ける人権の重大な侵害に触れつつ、「私たちは多くの面で成長しても、発展した社会の、最も弱い立場の人々を見守り、世話し、支えることにおいて無知であり、自分たちに直接関わらないかぎり、目をそらし、通り過ぎ、状況を無視することに慣れてしまっています」と語られた。

 教皇は、「これらの兄弟姉妹を忘れず、特に恵まれない社会を背景に、まだ多くの人を襲うこの病気を無視することがないように」と願われ、「世界ハンセン病デー」を機会に、「私たちの発展モデルを見直し、それがもたらす差別を指摘し、正すように努め、誰一人片隅に取り残されない、すべての人を包み込む社会の構築に、改めて取り組む必要があります」と強調。

 さらに、「基本的人権が守られ、社会の完全な一員として生活するための闘いにおける主役として、ハンセン病の患者たちを尊重しつつ、彼らといかによりよく協力していくかを、具体的に考えねばなりません」と訴えられた。

 また教皇は、ハンセン病に苦しむ人々にご自身の寄り添いを表明されるとともに、関係者たちに、これらの人に精神的支えと医療サービスが欠けることがないよう願われ、「聖母と、ハンセン病患者においてキリストに仕えた多くの聖人たちの支えがあるように」と祈り、祝福を与えられた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 教皇のメッセージに続き、教皇庁総合人間開発省次官 アレッサンドラ・スメリッリ修道女や、WHO(世界保健機関)ハンセン病制圧特別大使、日本財団会長の笹川陽平氏ら、共催者代表による挨拶が行われたほか、国連人権高等弁務官のフォルカー・トゥルク氏や、世界保健機関のテドロス・アダノム・ゲブレイェソス事務局長などから寄せられたビデオメッセージが紹介され、次いで、「グローバル・アピール2023~ハンセン病患者と回復者に対する社会的差別の撤廃に向けて~」の宣言が行われた。

 同シンポジウムでは、「ハンセン病と病気にまつわる問題のない社会、さらには、『誰一人取り残さない社会』を実現するために、今、どのような行動が必要とされるか」について、講演や、パネル討論、証言などが、24日まで続けられる。

(編集「カトリック・あい」)

2023年1月24日

☩教皇、ミャンマー、ウクライナのために平和の回復を強く祈る

(2023.1.22 Vatican News   Deborah Castellano Lubov)

 教皇フランシスコは22日の正午の祈りの中で、北西部の町チャンターで歴史的なカトリック教会と市街地が焼き尽くされたミャンマーはじめ、理不尽な攻撃で多くの人々の命が失われているウクライナ、ペルーなど世界の国々で続く悲惨な状況を改めて思い起こされ、これらの悲劇を引き起こしている暴力を強く非難。その終結と平和の回復を強く訴えられた。

 教皇はこの中でまず、14日にミャンマーのチャンターで起きた悲劇を取り上げるとともに、2021年春の軍事クーデター以来、この国の多くの都市で辛い試練の下に置かれている無実の市民らに思いを寄せられ、このような武力闘争が一刻も早く終わり、赦しと愛と平和の時代が訪れることを祈られ、聖ペトロ広場に集まった信者たちにも、ミャンマーのために聖母マリアの取次ぎを願う祈りを捧げるよう呼びかけられた。

また教皇は、世界で暴力による悲惨な状況に置かれている他の国々、特にロシアによる軍事攻撃で大きな人的、物的被害を受けているウクライナ、大統領辞任を要求するデモが激化し警官隊との衝突で多くの死者が出ているペルーなどの状況に強い懸念を示され、主の助けを慰めを祈り、関係者に対して改めて和平実現への緊急の努力を求められた。

 一方、少数派の英語圏地域でここ数年、政治や社会経済での差別的な扱いに対し抗議し権利拡大を求める人々への弾圧、治安部隊による武力行使で多くの犠牲者が出ていたカメルーンで、紛争解決に希望をもたらす動きが出ていることに注目され、和平協定の実施に関わるすべての人に、「対話と相互理解に努め、和平実現に粘り強く取り組むように。互いの出会いによってのみ、未来は共に構築することができます」と励ましの言葉を送られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2023年1月23日

☩「神の言葉は私たちに回心を呼び掛け、癒し、立ち上がらせる」ー神の言葉の主日ミサで

Sunday of the Word of GodSunday of the Word of God

 

*神の言葉はすべての人のために

 

 さらに、福音宣教の使命を果たされようとするイエスは「常に場所を移し、旅人であり、巡礼者であり、町や村を訪れ、人々に会い、人々を癒しておられます」とされ、「そのイエスの足は、神の愛の福音を告げ知らせる使者の足です」と指摘。

 また、「イエスが宣教を始められたガリラヤ湖畔の地域は、伝統的に人々の文化の交差点でした。このことは、イエスが神の言葉をイスラエルの人々に限定せず、すべての人に宣べ伝えるために、いかに”境界を広げ”ようとしたかを示しています」とされ、「イエスは、社会の片隅に置かれた人々に手を差し伸べたい、病人を癒したい、罪人を救いたい、失われた羊を集め、心が疲れ、抑圧されている人々を立ち上がらせたい、と希望されています。『神の憐れみは、すべての人に向けられている』と告げておられるのです。忘れてはなりません。神の憐れみは、すべての人の上にあるのです」と強調された。

 

 

*私たちの最優先事項は神の言葉を伝えること

 

 続けて教皇は、「神の言葉が、『すべての人に宛てられた贈り物』であるなら、それをイエスがなさったと同じように、私たち信者も”最優先事項”とせねばなりません。 そして、私たちの宣教は、すべての人に対して開かれた”広い心”をもって行われ、”閉じた心”を持った教会としての宣教が決してされないように」と注意され、「神の言葉を福音宣教の中心に置き、”境界”を広げ、人々に心を開き、主との出会いの経験を育むことを、イエスから学びましょう。神の言葉は、抽象的なあるいは静的な公式に包み込まれてはおらず、人と出来事、言葉と行動、発展と緊張からなる歴史の中で躍動する力を持っていることに気付きましょう」と信者たちに求められた。

 

 

*神の言葉は私たちを回心させる

 

 教皇はまた、「神の言葉は、回心するように、生き方を変えるように、すべての人に呼び掛け、その生命と勇気を与えるメッセージを聞いた後では、その場にとどまることができなくなるようなもの」とされたうえで、「御言葉は、私たちを危機に落とすことさえあり得ますが、悪徳と罪の内なる闇と私たちが戦わねばならない時に、神の善の光を見るのを助け、人生の中にそのための場を作るのを助けます。御言葉は、私たちに入るとき、私たちの心と思いを変えます。私たちを変え、私たちの人生を主に向けるように導きます… ここにイエスの招きがあるのです。神はあなたのそばに来られます。神の存在を認識し、神の言葉のために場所を空けてください。そうすれば、人生観が変わります」と説かれた。

 

*私たちは神の言葉を証しするよう召されている

 説教の最後に、教皇は「私たちは、私たちを布告者にする神の言葉を証しするように召されています。 イエスはガリラヤ湖の岸辺で、シモンとアンデレを弟子とし、『人間をとる漁師』とされました。同じように、私たちもまた、福音の喜びを宣べ伝える中で私たちの兄弟姉妹と出会うように呼ばれています」とされ、「これが御言葉の”強い力”ですー御父の愛の”網”に私たちを引き込み、自分たちが出会うすべての人を”王国の舟”に連れて行きたい、という抑えきれない欲求に突き動かされた私たちを使徒にするのです」と強調。

 「御言葉を宣べ伝えることは、私たちが日常生活の中で互いをどのように扱い、気遣うかについて証しをすることを意味し、私たちが誰であり、何をするかについてそれを具体化することを意味します… それが私たちの使命です。『離れて行った人、抑圧された人、落胆した人たちを探す人』になることです。御言葉には、慰め、人生を変える神の破壊的な宣言、神が私たちの父であり、私たち一人一人に話しかけてくださることを知る喜び、『兄弟姉妹に皆さん、神があなたがたのそばに来られましたました。聞いてください。そうすれば、神の言葉の中に驚くべき贈り物があることに気付くでしょう』と語ることの素晴らしさ、があります」と語られた。

 

*神の言葉を宣べ伝えるすべての人に感謝

 

 そして締めくくりに、神の言葉を人生の中心に据えて宣べ伝えているすべての人に深く感謝された。御言葉についての知識を深めた人々、御言葉を広めた司牧者たち、そして特にこの日のミサの中で、その資格を得て人々に敬意を表され、奉仕と犠牲を通して「神の言葉を深く思い、生き、宣べ伝える」ことで信徒たちを養うのを助けるすべての司祭、助祭に感謝され、このように祈られー「すべての人にとって、救いの言葉を宣べ伝える喜びが、慰めと報酬となりますように」。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2023年1月22日

☩「福音を伝えないミサ典礼は”本物”ではない」ー教区典礼担当者研修の参加者たちに

Pope Francis with participants in the course for liturgistsPope Francis with participants in the course for liturgists  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)

 

*畏敬の念を取り戻す

 教皇はまた、ミサにおける崇敬の重要性を指摘。「小教区を訪れた典礼担当者は、”模範的なミサ典礼”を、小教区共同体が典礼の中で成長するために取り入れることができるようにできる必要があります」とされ、「小教区に出かけ、ずさんで、注意に欠け、準備が不十分なミサ典礼に直面したときに『何も言わない』ことは、小教区共同体を助けず、共に歩もうとしないことを意味します」と注意された。

 そして、「ミサ典礼で大事なことに一つは、『沈黙を守る』ことです。 教会では、ミサの前後に騒がしいことがあまりにも多い。ミサのもつ神秘に備え、心を合わせ、神の言葉を響かせるために必要なのは、静粛です。(言葉を交わし合うことで)友愛(を表現する)のは素晴らしい。しかし、私たちは、『沈黙』の意味をもう一度確かめ、大切にせねばなりません」と説かれた。

*典礼司式者の役割

 続けて教皇は、典礼の司式者の役割について、「diakonia、つまり奉仕すること、小教区共同体への奉仕において司教たちと協力すること」であり、「典礼の中心にいようとすると問題が起きます」と指摘。「”舞台裏”ですべてをまとめて行かねばなりません。儀式の主役ではなく、式をつかさどる者なのです。隠れていれば隠れているほどいい。目立たないほどいいのです」と語られた。

 また、司祭の典礼面での養成を含めた、典礼の進行担当者のもつ教育責任についても言及。「この役割は非常に重要」とされ、 第二バチカン公会議の典礼憲章を引用して、「聖職者の典礼教育に特別の配慮をすることが、何よりも必要です」(14項)と強調された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2023年1月21日

☩ 「壁ではなく、地平線を見つめよ」WYDリスボン大会へ若者たちにメッセージ

 (2023.1.20 バチカン放送)

 教皇フランシスコが20日、今年8月に開かれるカトリックの若者たちの祭典「世界青年の日(WYD)リスボン大会」に向けて、若者たちにビデオ・メッセージをおくられた。大会は8月1日から8月6日にかけてポルトガルの首都リスボンで開かれる。

 教皇のビデオ・メッセージは以下の通り。

**********

 開催まで残り数か月、世界青年の日リスボン大会が近づいてきました。大会に参加するために、すでに40万人もの若者たちが申し込みをしています。これほど多くの若者たちがやって来ることは、うれしい驚きです。なぜなら、それは若者たち「参加を必要としている」ということだからです。「観光のために行くのだ」という方もいるかもしれません。でも、心の奥底には、参加することへの渇き、自分の経験を分かち合い、語りかけ、また他の人の経験から受け取ることへの願望があります。若者たちは地平線を求めています。

 すでに参加を申し込んだ40万人もの若者の皆さん、皆さんは地平線を求めているのです。この出会いで、この大会で、常に地平線を見ること、彼方を見つめることを学んでください。自分の人生の前に塀を築いてはなりません。塀は皆さんを閉じ込めてしまいますが、地平線は皆さんを成長させます。いつも地平線を目で、そして特に心で見つめてください。他の文化に、この大会に参加する他の若者たちに心を開いてください。

 地平を開き、心を開くこと、これに向かって準備してください。早くから申し込んでくれた皆さんに感謝します。他の人も、皆さんにならって参加することを願います。神が皆さんを祝福し、聖母が皆さんを守ってくださいますように。私のために祈ってください。私も皆さんのために祈っています。「壁ではなく、地平線」ーこれを忘れないでください。ありがとうございました。

(編集「カトリック・あい」)

2023年1月21日