◎教皇連続講話「使徒的熱意について」⑯「幼いイエスの聖テレジアの『小さき道』に倣おう」

(2023.6.7 Vatican News  Deborah Castellano Lubov)

 教皇フランシスコは7日、水曜恒例一般謁見で毎週の一般謁見で「使徒的熱意について」の連続講話を続けられ、今回は、幼いイエスの聖テレジア(リジュ―の聖テレジア)をその模範として取り上げられた。

 教皇は彼女を特徴づける「小さき道」を称賛され、「病気と早世にもかかわらず、並外れた愛を持ってどんな小さなことでも行う道を示しました… その『小さき道』に倣い、主がなさったように、どんなに小さなことでも大きな愛を持って行いましょう」と信徒たちに呼び掛けられた。

 教皇は、聖人が150年前の1873年1月2日に生まれたことを思い起され、教皇はその記念日に使徒書簡を彼女に捧げる計画を表明された。そして、「彼女は福音宣教の後援者ですが、実際に福音宣教に派遣されたことはありませんでした」と述べ、「宣教者」についてのこれまでの”常識”に異議を唱えられた。

*最後まで『宣教者』となることを望んでいた

 そして、彼女はカルメル会の修道女として、「小ささと弱さに従って人生を送りました」とされ、彼女が自分自身を「小さな砂粒」と定義していたことを思い起され、「 彼女は健康状態が悪く、若干24歳で亡くなりました。でも、体は病弱でしたが、その心は生き生きとした宣教者でした」と語られた。

 さらに教皇は、彼女が「日記」の中で、「自分の願いは願望は宣教者になることでした」と述べていることを指摘され、「宣教者になりたいと思ったのは、数年だけではなく、残りの人生を通して、最後まで宣教者になることを望んでいたのです」とし、彼女の日々の決意は「イエスを愛してもらうこと」であり、「他の人のために執り成すことでした」と強調。

 聖人が、手紙で「私は人々の魂を救いたい、そして彼らのために自分を忘れたい。私は自分の死後も彼らを救いたい」と書いていたことを挙げ、「彼女は何度も言っています。『私は、天国で、地上で良いことをして過ごすつもりです』と。彼女の使徒的熱意は、良き羊飼いイエスを模範に特に罪人、つまり『遠くにいる人たち』に向けられていました」と指摘。聖人が数人の宣教師の「霊的姉妹」として奉仕し、修道院からの手紙や祈りを通して”共に歩み”、継続的な犠牲を捧げたことも思い起こされ、 「姿を見せず、隠れていながらも『車に前進の力を与えるエンジン』のように働いたのです」と語られた。

*同僚の修道女から『バラよりも棘』を受けたが

 「ただし、そのことが同僚の修道女たちには理解されないことが多かった」と教皇は嘆かれ、「彼女は彼らから『バラよりも棘』を受けた… しかし、病気に加えてこれらの批判や誤解さえも、すべてを愛情を込めて、忍耐強く受け入れました。教会が必要としていることのために喜んでそうしました。 彼女が言ったように、『バラは誰にでも、特に最も遠くにいる人に落ちるかもしれない』のです」と説かれた。

 

*「宣教者」とは、与えられた場で神の愛の道具として生きる人

 続けて教皇は、「宣教者とは、長い旅をし、新しい言語を学び、良い行いをし、宣教に長けている者だけを意味しません… 与えられた場で神の愛の道具として生きる人たち。証し、祈り、とりなしを通して、イエスがそばを通されるためにあらゆることをする人たちです」と強調され、使徒的な熱意は「人を改宗させたり、束縛したりすることに働くのではない。”引き付ける力”として働くのです」と注意された。

 そして「人は誰かに強制されてキリスト教徒になるのではなく、愛に触れられたからキリスト教徒になるのです。そのために、「教会には幼いイエスの聖テレジアのような心、つまり、『人々を愛し、神に近づける心』が必要なのです」とされ、この本質的な側面を見失わないよう、信徒たちに注意された。

 最後に教皇は、「利己心を克服する恵みと、イエスが知られ愛されるよう執り成してくれる情熱」を幼いイエスの聖テレジアに願うよう、勧められて、講話を締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2023年6月7日

☩「私たちは、神の計り知れない愛を証しているだろうか」-三位一体の主日、正午の祈りで

Pope Francis gives his Angelus addressPope Francis gives his Angelus address  (ANSA)
 さらに、「私たちは人生を共にする『食卓を囲む家族』のイメージをもって、神について考えることができるでしょう… 祭壇でもあるその食卓は、三位一体を表す象徴でもある。それは『交わりの神』について私たちに語られるイメージです」と指摘。だが、「それは単なる『イメージ』ではありません。『現実』です。なぜなら、聖霊-父がイエスを通して私たちの心に注いでくださった聖霊-が私たちに、『神の臨在』を味わわせてくれるからです。それは親密で、思いやりがあり、優しい… 私たちは、神の愛を分かち合うよう招かれているのです」と説かれた。
 教皇はまた、「 聖霊は、イエスがニコデモに対してなさったことと同じことを私たちにもしてくださいます。すなわち、聖霊は、私たちに新たに生まれることの神秘を知らせ、父の御心を私たちに明らかにし、私たちを神の命そのものに分かち合う者にしてくださいます」と述べ、 「聖霊が私たちに手を差し伸べる招きは、神と共に食卓に就き、神の愛を分かち合うことだと言えるでしょう。それは、イエスが御自身を御父に捧げる祭壇でのミサでなされていることです。イエスは、 私たちのためにご自身を差し出してくださいました」と強調。
 そのうえで、「どうすればこのことを思い起こすことができるのでしょう? 私たちが子供の頃に学んだ最も単純な動作。つまり十字架のしるしを切り、十字架をたどることによって、私たちのために命を捧げるほど神が私たちを愛してくださったかを思い起し、神の愛が私たちを完全に包み込んでいることを、繰り返し思い起こすのです」と説かれた。
  教皇は、信徒たちに、沈黙のうちに十字架のしるしを切るよう勧められ、「 愛としての神を実感すると同時に、私たちは愛としての神を証しし、神の名において交わりを生み出すことに努めねばなりません」とされたうえで、このように自らに問うように言われた-「私たちは愛としての神を証ししているでしょうか? それとも、愛としての神は、もはや慣れ親しんだ”概念“となり、私たちの人生を刺激することがなくなってしまったのでしょうか?」。
 また、自分たちの教会共同体が、愛としての神を証ししているが、問い返すように求められた- 「共同体の人たちは、愛する方法を知っていますか? 家族ですか?」 。そして、「愛を捧げることには、慈悲深く、扉を開けておき、教会共同体をすべての人にとっての家にすることが含まれます」とされ、聖母マリアに、「父と子と聖霊なる神の栄光のために、教会が『親しみをもって愛する家』として生きることができるよう、助けてくださいますように」と祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2023年6月4日

◎教皇連続講話「使徒的熱意について」 ⑮マテオ・リッチの中国の人々への愛は、霊的力の源泉

(2023.5.31  Vatican News  Deborah Castellano Lubov)

 Pope Francis holds his weekly General Audience教皇フランシスコは31日の水曜恒例一般謁見での「使徒的熱意について」の連続講話で、聖フランシスコ・ザビエルの夢をかなえて中国に入国したイエズス会宣教師、尊者マッテオ・リッチ( 1552 – 1610)を取り上げ、「彼の中国の人々への愛は、今も、一貫したキリストの教えの証しの模範、尽きることのない霊的力の源となっている」と讃えられた。

 前週の連続講話で教皇は、中国行きの夢を果たせなかった韓国初の司祭、殉教者、聖キム・テゴンを「使徒的熱意」の模範として取り上げたが、この日は中国行きを果たしたリッチに注目された。リッチはイタリアに生まれ、イエズス会の学校で学んだ、教皇の”大先輩”だ。

 イエズス会の多くの若い仲間と同様に、宣教師たちの海外での活動報告に強く感動し、極東への派遣を願い出た。念願かなって中国に派遣され、難しい中国語を辛抱強くマスターし、その国の文化に深く精通するようになった。

  教皇は、「リッチにとって、度重なる抵抗を受け、多くの障害を乗り越えて北京に到着するのに、18年の歳月と揺るぎない信仰が必要でした。そして、中国語での著書と数学と天文学の知識のおかげで、彼は中国で、賢人、学者として知られ、尊敬を受けるようになり、その膨大な知識と、誠実かつ敬意を持って対話する能力が、福音への奉仕に生かされた。それによって、中国において、イエスへの多くの扉が開かれたのです」と語られた。Matteo Ricci

 さらに「リッチは著作だけでなく、宗教生活、祈り、美徳の模範によって、福音を告げ知らせ、多くの中国人の弟子や友人を惹きつけ、カトリック信仰を受け入れさせた。…(57年の)生涯を宣教に捧げたのです」とされ、「皇帝によって中国の地に埋葬されることを許可された最初の外国人」となったことを強調された。

 また教皇は、リッチのすべての活動を推進し、宣教師の生活を活気づけた「力強い祈りの生活」に注意を向けられ、「自分のキリスト教信仰が一貫しているかどうか自問するよう、信徒たちに勧める前に、自身が祈りを通してキリストに近づく努力を一貫して行うことこそ、偉大な宣教師の最大の特徴の一つなのです」と説かれた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

*連続講話の全文公式英語訳は以下の通り。

POPE FRANCIS  GENERAL AUDIENCE     Saint Peter’s Square  Wednesday, 31 May 2023

Catechesis. The passion for evangelization: the apostolic zeal of the believer. 15. Witnesses: Venerable Matteo Ricci

Dear brothers and sisters, good morning!

We are continuing these catecheses speaking about apostolic zeal, that is, what the Christian feels in order to carry out the proclamation of Jesus Christ. And today I would like to present another great example of apostolic zeal: we have spoken about Saint Francis Xavier, Saint Paul, the apostolic zeal of the great zealots; today we will talk about one – Italian, but who went to China: Matteo Ricci.

Originally from Macerata, in the Marches, after studying in the Jesuit schools and entering Society of Jesus in Rome, he was enthused by the reports of missionaries whom he had listened to and he grew enthusiastic, like so many other young people who felt the same, and he asked to be sent to the missions in the Far East. After the attempt by Francis Xavier, another twenty-five Jesuits had tried to enter China, without success. But Ricci and one of his confrères prepared themselves very well, carefully studying the Chinese language and customs, and in the end, they managed to settle in the south of the country. It took eighteen years, with four stages through four different cities, to arrive in Peking, which was the centre. With perseverance and patience, inspired by unshakeable faith, Matteo Ricci was able to overcome difficulties and dangers, mistrust and opposition. Think that, in that time, on foot or riding a horse, such distances… and he went on. But what was Matteo Ricci’s secret? By what road did his zeal drive him?

He always followed the way of dialogue and friendship with all the people he encountered, and this opened many doors to him for the proclamation of the Christian faith. His first work in Chinese was indeed a treatise On friendship, which had great resonance. To enter into Chinese culture and life, he first dressed like the Buddhist bonzes, according to the customs of the country, but then he understood that the best way was to assume the lifestyle and robes of the literati. The intellectuals dressed like university professors, and he dressed that way. He studied their classical texts in depth, so that he could present Christianity in positive dialogue with their Confucian wisdom and the customs of Chinese society. And this is called an attitude of inculturation. [In the early centuries of the Church] This missionary was able to “inculturate” the Christian faith, as the ancient fathers had done in dialogue with Greek culture.

His excellent scientific knowledge stirred interest and admiration on the part of cultured men, starting from his famous map of the entire world as it was known at the time, with the different continents, which revealed to the Chinese for the first time a reality outside China far more extensive than they had thought. He showed them that the world was even larger than China, and they understood, becaue they were intelligent. But the mathematical and astronomical knowledge of Ricci and his missionary followers also contributed to a fruitful encounter between the culture and science of the West and the East, which went on to experience one of its happiest times, characterized by dialogue and friendship. Indeed, Matteo Ricci’s work would never have been possible without the collaboration of his great Chinese friends, such as the famous “Doctor Paul” (Xu Guangqi) and “Doctor Leon” (Li Zhizao).

However, Ricci’s fame as a man of science should not obscure the deepest motivation of all his efforts: namely, the proclamation of the Gospel. With scientific dialogue, with scientists, he went ahead but he bore witness to his faith, to the Gospel. The credibility obtained through scientific dialogue gave him the authority to propose the truth of Christian faith and morality, of which he spoke in depth in his principal Chinese works, such as The true meaning of the Lord of Heaven – as the book was called. Besides doctrine, his witness of religious life, virtue and prayer: these missionaries prayed. They went to preach, they were active, they made political moves, all of that; but they prayed. It is what nourished the missionary life, a life of charity; they helped others, humbly, with total disinterest in honours and riches, which led many of his disciples and friends to embrace the Catholic faith. Because they saw a man who was so intelligent, so wise, so astute – in the good sense of the word – in getting things done, and so devout, that they said, “But what he preaches is true, because it is part of a personality that witnesses, he bears witnesses to what he preaches with his own life”. This is the coherence of the evangelizers. And this applies to all of us Christians who are evangelizers. We can recite the Creed by heart, we can say all the things we believe, but if our life is not consistent with this, it is of no use. What attracts people is the witness of consistency: we Christians must live as we say, and not pretend to live as Christians but to live in a worldly way. Be careful of this, look at this great missionary – and he was an Italian, wasn’t he – looking at these great missionaries, see that the greatest strength is consistency: they were consistent.

In the last days of his life, to those who were closest to him and asked him how he felt, “he replied that he was thinking at that moment whether it was greater the joy and gladness he felt inwardly at the idea that he was close to his journey to go and savour God, or the sadness that leaving his companions of the whole mission that he loved so much, and the service that he could still do to God Our Lord in this mission,” (S. De Ursis, Report on M. Ricci, Roman Historical Archive S.J.). This is the same attitude of the Apostle Paul (cf. Phil 1:22-24), who wanted to go to the Lord, to find the Lord, but to stay “to serve you”.

Matteo Ricci died in Peking in 1610, at 57, a man who had given all his life for the mission. The missionary spirit of Matteo Ricci constitutes a relevant living model. His love for the Chinese people is a model; but the truly timely path is coherence of life, of the witness of his Christian belief. He took Christianity to China; he is great, yes, because he is a great scientist, he is great because he is courageous, he is great because he wrote many books – but above all, he is great because he was consistent in his vocation, consistent in his desire to follow Jesus Christ. Brothers and sisters, today we, each one of us, let us ask ourselves inwardly, “Am I consistent, or am I a bit ‘so-so’?”. Thank you.

2023年5月31日

☩「神はいつもあなた方のそばにいて、『前に進め』と励ましてくださる」-ポーランドのがん患者の子供たちに

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(2023.5.29 Vatican News   Lisa Zengarini)

 教皇フランシスコは29日、バチカンのパウロ6世ホールで、ポーランドのヴロツワフ腫瘍病院でがんと闘っている子供たち53人のグループとお会いになり、「イエスはいつも私たちのそばにいて、私たちに希望を与えてくれます。 いつでも、病気の時、強い痛みを伴う瞬間、最も辛い瞬間でも、主はそばにおられます」と励まされた。

 教皇は彼らに、病気と共に生き、苦しみを克服することの難しさを認めたうえで、 「私たちは人生で、生きていく力がないという状況に何度遭遇するでしょうか。 しかし、イエスはいつも近くにいて、あなたにこう言います、『行きなさい、前に進みなさい。 私がそばにいるから』と語られた。

 さらに、彼らが教会と世界において「神の愛の使徒」となるよう促され、 「イエスもこの証しのために、あなた方を必要としておられます」と強調された。

 そして最後に、教皇は、「私たちが孤独を感じ、見捨てられたと感じるとき、特に病いの苦しみとあらゆる問題を抱えているとき、マリアは、母のもつ優しさをもって、いつも私たちの隣にいてくださいます」と励まされた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2023年5月30日

☩「多くの課題を前に未来に不安を感じても、決して夢をあきらめるな」-教皇、アフリカの子供たちに

教皇フランシスコは、アフリカ諸国の子どもたちとの出会いを持たれた。

(2023.5.29 バチカン放送)

 教皇フランシスコは、5月29日、バチカンでアフリカの子供たちとお会いになった。5月25日に記念された「アフリカの日」を機会にもたれたもので、会場のパウロ6世ホールには、アフリカ大陸のすべての国々の子供たちが、各国大使や保護者に引率されて参加した。

 教皇は子供たちに、1963年5月25日のアフリカ統一機構の設立を記念して設けられた「アフリカの日」を、「全アフリカ大陸の自由と発展と文化遺産の高揚のための闘いのシンボル」として示しつつ、「皆さんはこの豊かな文化の多様性のしるしです」と語りかけた。

 そして、「自分たちの多様性を大切にしながら、寛大さ、奉仕、清廉、勇気、赦し、正義のための努力、貧しい人々への愛を証ししてください」と願われ、テロリズムや、政情不安、汚職、若者の失業、移民、気候変動、食糧危機など、アフリカ大陸が直面している多くの課題を挙げながら、「これらの問題を前に無力感や未来の不安を感じることがあっても、若く才能にあふれた皆さんは、決して夢を諦めてはいけません」と励まされた。

 さらに、「自分の真の召命を探し続けるように。勉学を通して社会の発展に貢献し、お年寄りたちの助言と証しに照らされ、ルーツを大切にしながら、前に進むように」と説かれ、「人生の最も偉大な挑戦は、平和のために努力すること。今日、人類が大きな危険にさらされる中で、皆さんは自分の周りと自分自身の中で平和を生き、平和の大使となって欲しい」と子供たちに望まれた。

 そして集いの最後に、教皇は参加者と、アフリカのすべての子供たちに祝福をおくられた。

(編集「カトリック・あい」)

2023年5月30日

☩「聖霊は私たちを恐れから解放し、心の扉を開けてくれる」-聖霊降臨の主日の正午の祈りで

(2023.5.29 Vatican News  Linda Bordoni)

     28日の聖霊降臨の主日・正午の祈りの説教で、教皇フランシスコは、世界中の信徒たちに、「恐れを追い払い、神の愛の炎を復活させるように」と呼びかけられた。

  説教で教皇はまず、聖霊降臨を祝うこの日、「福音は私たちを、イエスが亡くなられた後、弟子たちが隠れていた家の二階に連れて行きます」とされ、過越の祭りの夜に、恐怖と苦痛のどん底にあった弟子たちに、復活されたイエスがどのようにして、ご自身を現されたかに、信徒たちの注意を向けられた。

 そして、「イエスは、彼らに息を吹きかけながら、『聖霊を受けなさい』と言われた… イエスは聖霊の賜物によって、弟子たちを恐怖から解放され、『外に出て福音の証人となり、宣べ伝える者になることができるように』と願われました」と説明。

 この日のミサで読まれたヨハネ福音書の箇所(20章19節)に触れて、「弟子たちは、ユダヤ人たちを『恐れて』、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていました。イエスの死にショックを受け、希望を失い、『自分の中に閉じこもって』いたのです」とされ、「私たちもどれくらいの頻度で、家に閉じこもるでしょうか?  困難な状況や個人的な問題、あるいは、苦しみ、周りから吸い込む悪のせいで、私たちは絶望に陥り、前に進む勇気を失うことがある… 私たちも、弟子たちと同じように、”悩みの迷宮”に、自分自身の中に閉じこもることがあります」と指摘された。

 そして、この「自分自身を閉じこめる」動作は、最も困難な状況の中で、「恐怖が優勢になることを許したときに起きます… 建物の中で警報が鳴った時のように、心の扉が閉まるのです」と語られ、「対処できないこと、一人で困難に直面しなければならないこと、失望すること、間違った決断を下すこと、への恐怖が、どれほど私たちの歩みを妨げ、麻痺させているでしょう…それが私たちを孤立させるのです」と注意された。

 続けて、「他人、外国人、自分と違う人、自分とは違う考え方をする人に対する恐怖を考えてみましょう。 そして、神に対する恐れさえも、あるかもしれません-『神は私を罰するだろう』『神は私に怒るだろう』… 私たちがこのような”間違った恐れ”を抱くと、心の扉、社会の扉、そして教会の扉さえも閉まってしまいます。『恐怖』のあるところに『閉鎖』が存在します。そのようにしてはなりません」と強く警告された。

 そのうえで教皇は「福音は復活された方による救いを、私たちに提示しています。それが聖霊です… 神は私たちを恐怖の牢獄から解放してくださいます」と勇気づけられ、「私たちが今日祝う聖霊降臨の主日がそのことを教えてくれます-聖霊を受けた時、弟子たちは(それまで閉じこもっていた)家の二階の部屋から出て、罪を赦し、良い便りを宣べ伝えるために世界に出かけて行った、と… 聖霊によって、恐怖は克服され、扉が開かれたのです」と強調。

 さらに、「私たちに神の近さを感じさせてくれるのは、聖霊です。神の愛は(私たちの心から)恐怖を追い払い、進むべき道を照らし、慰め、逆境の時に私たちを支えてくれます」と述べられた。

 最後に教皇は信徒たちに、「私たち、教会、そして全世界」のために、聖霊を呼び起こすよう求め、「新たな聖霊降臨が、私たちを襲う恐れを追い払い、神の愛の炎を復活させましょう」と呼び掛けて説教を締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2023年5月29日

☩「私たちの分裂を克服するため、日々、聖霊を呼び起こそう」教皇の聖霊降臨の主日ミサ説教

Solemnity of PentecostSolemnity of Pentecost

(2023.5.28 Vatican News  Thaddeus Jones)

 教皇フランシスコは28日、バチカンの聖ペトロ大聖堂で行われた「聖霊降臨の主日」の荘厳ミサの説教で、「世界に調和を与え、時の流れを導き、地球の顔を新しくする聖霊」を日々呼び起こすように、と呼び掛けられた。

 説教で教皇は、「主の創造された世界、教会、そして私たちの心に、聖霊が働き、あらゆる領域に秩序と調和をもたらしています」とされ、「それこそが、聖霊の役割。聖霊は、創造の始めから常に、創造された現実を、無秩序から秩序へ、分散から凝集へ、混乱から調和へと、移行させています」と述べられた。

 だが、聖霊が、世界に調和をもたらすように、時の経過を導き、地球の表面を一新する働きをしているにもかかわらず、「『不和と分裂』に彩られた今日の世界は、切実に必要とされている『調和』に歯向かっているのです」と慨嘆された。

 そして、「 私たちは以前よりも『互いにつながっている』ように見えて、実際には『無関心によって感覚が麻痺するほど、互いに切り離されてしまっている」とされ、そうした状態の中で、「今日、私たちが目撃している多くの戦争や紛争が、いかに邪悪な行為を個人がなし得るか示しています。 分裂の心、分断者である悪魔によって煽られた敵対行為になっているのです」と指摘。

 このような「不和の悪」に対抗するために、主がどのようにして、私たちに聖霊を注がれ、真の平和に必要な調和を私たちに与えようとしてくださっているか、を語られ、「 聖霊は一致の霊として、平和と調和をもたらす存在です」と強調。「私たちの住むこの全世界に日々、聖霊を呼び起こしましょう!」と訴えられた。

 また教皇は、聖霊が、聖霊降臨の日からこれまで教会の中でずっと働いてきたことに注目され、聖霊がどのように各使徒の上に降り、一人一人に特別な恵みと独特のカリスマを与えたかを説明された。 そして、「異なる賜物が与えられたことで混乱が起きてしまわないか、と心配することがあるかも知れないが、そうはなりません。主が創造された世界と同じように、聖霊は、多様性から調和を生み出します… そして『調和』は、画一的で強制的な命令ではない。教会には秩序がありますが、多様性を持つ者で構成されているのです」と説かれた。

 さらに、聖霊が火の舌の形で使徒たちに降り、彼らが様々な言葉を語り、様々な言葉を聞いて理解できるようにした、と聖書に記されていることを挙げ、多くの言語、文化の違いを無くすのではなく、すべてを調和させる聖霊の働きに注目。

 「聖書が強調しているように、聖霊降臨の日、すべての人が聖霊に満たされ、神の愛を共有することから、教会の活動が始まった。 それが聖霊の、調和を生み出す業なのです。聖霊は、私たちに、主の他者への愛と与えられた賜物に対する驚きを経験するよう勧めています」とも語られた。

 現在、世界の教会で行われている”シノドスの道”の歩みを思い起こされ、この歩みは、「聖霊に従う旅、聖霊の息吹に素直に従う機会を提供する歩みでなければなりません。なぜなら、聖霊こそ、シノドスの核心であり、福音宣教の推進力であるからです」と述べられた。

 そして、「(聖霊が)なければ、教会は活気がなく、信仰は単なる教義、道徳は単なる義務、司牧活動は単なる労苦に過ぎない。信仰は命であり、主の愛が私たちに確信を与え、希望が生まれます。 聖霊を教会の中心に戻しましょう」と呼び掛けられ、”シノドスの道”の歩みは「神の民に、聖霊に満たされて共に旅をし、教会に調和を築き、新しくされる、またとない機会を提供します」と強調された。

 説教の最後に教皇は、聖霊が「神との親密さ」を生み出す際に、どのようにして「心の調和を取り戻してくれるのか」について説明された。

 教皇はまず、「主は聖霊に、私たちの罪を赦し、心を和解させ、悪によって傷つき、傷によって壊され、罪悪感によって迷わされ心に調和をもたらすようになさいました… 私たちが調和を望むなら、世俗的な代替物ではなく、聖霊を求めましょう。 日々、聖霊を呼び求めましょう。 聖霊に祈ることから一日を始めましょう。 聖霊に従順になりましょう!」とされ、次に、「私たち自身の人生を振り返り、聖霊の調和を受け入れているか、それとも自分自身の関心や考えに固執し、変えられることに抵抗しているかを問うこと」を勧められた。

 「私たちは、何かというとすぐに他人を批判し、自分自身の弱さを見逃していないでしょうか。他者との間で和解に努め、交わりを築こうとしているでしょうか」と問いかけられ、「 私たち自身の分裂を克服するために、聖霊を呼び起こしましょう」とされ、「聖霊、イエスと御父の霊、調和の無尽蔵の泉、私たちはあなたに世界を委ね、あなたに教会と私たちの心を捧げます」。

 そして次のように願われた。

 「来たり給え、創造主なる聖霊よ。人類の調和よ、地球の顔を新しくしてください。賜物の中の賜物、教会の調和よ、私たちをあなたの中で一つにしてください。 赦しと心の調和の聖霊よ、聖母マリアのとりなしによって、あなたにしかできない私たちを変えることをしてください」。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2023年5月28日

☩「皆が喜びと責任を共有できる環境を育んで」教皇、イタリアの”シノドスの道”担当司教、司祭、信徒たちに注文

教皇フランシスコ、イタリアの教会のシノドス担当者らと 2023年5月25日 バチカン・パウロ6世ホール教皇フランシスコ、イタリアの教会のシノドス担当者らと 2023年5月25日 バチカン・パウロ6世ホール  (Vatican Media)

 教皇フランシスコは25日、バチカンのパウロ6世ホールでイタリアの”シノドスの道”の歩みを担当する司教、司祭、修道者、一般信徒との集いを持たれた。

 教皇はあいさつで、「地方教会レベルの”シノドスの道”の歩みで、互いに耳を傾け合うことで得た回心と刷新の道を、これからも勇気をもって進み、小教区やキリスト教共同体が持つ力を引き出していくように」と激励。

 さらに、2015年のフィレンツェでのイタリアの教会会議で示された教会を特徴付けるべき三つの顔-「謙遜」「無私無欲」「真福八端の精神」を改めて強調された。

 そして、「第二バチカン公会議から60年経った今も、『選ばれた人たちだけが司牧活動を率いる』という誘惑が、まだ、教会の中に見られます」と指摘。「すべての人が自分の家と感じられるように、教会共同体を大きく開き、司牧のための組織や方法が小さなグループを生み出すのではなく、『皆が喜びと責任を共有できる環境を育む』ことができるように」と願われた。

 また教皇は、「他者の中に、その人のカリスマと豊かな特性を見出すように」、「特に教会の中で目立たない人々、声を持たない人々、時には困難で複雑な過去のために疎外感を感じている人々に寄り添うように」と求められた。

 さらに、司祭至上主義に陥らないことは当然として、「新しい状況を前にして、恐れから一種の『守りの姿勢』に入ったり、逆に『自分の影響力』をことさらに示そうとすることがないように」と司祭たちに忠告された。

 最後に教皇は、”シノドスの道”は、「私たちが、喜びと謙遜と創造性のうちに歩み、『自分たちが皆弱い存在であり、互いの助けを必要としていること』を自覚するように求めている」と話され、「”シノドスの道”の歩みの主役は、私たちではなく、聖霊です… 聖霊が、私たちに、他者の言葉に耳を傾けさせ、対話させ、識別に導き、そして何よりも、調和を醸し出してくれるのです」と強調された。

(編集「カトリック・あい」)

2023年5月26日

☩「神の義を求めるとき、正義と平和は尽きることのない清流のように流れる」9月1日の「被造物のための祈願日」に向けたメッセージ

ニカラグアの自然保護区でニカラグアの自然保護区で  (ANSA)

 教皇フランシスコは25日、9月1日のカトリック教会「被造物を大切にする世界祈願日」に向けて、メッセージを出された。

 今年のメッセージのテーマは、「正義と平和が流れるように」。旧約聖書・アモス書の「公正を水のように、正義を大河のように、尽きることなく流れさせよ」(5章24節)という言葉からインスピレーションを得たもの。

 教皇はメッセージの中で、「神は、私たちが生きていくために必要な水のように、私たちの生活に不可欠な正義が治めることを望んでおられる。この正義は、深すぎる場所に隠れず、また私たちを支える前に蒸発する水のようであってもならず、必要なところに現れなくてはなりません」と説かれている。

 そして、「神と人類と自然の正しい関係を保ちつつ、何もよりもまず神の義を求めるとき(マタイ福音書6章33節参照)、正義と平和は尽きることない清流のように流れ、人類とすべての被造物を養うことになるでしょう」と述べられている。

 教皇は、2022年7月、カナダ・アルバータ州で先住民たちの巡礼地の湖、ラック・サンタンヌを訪問された際、「自然の懐に包まれ、大地の鼓動に耳を傾けるよう招かれた」ことを思い起こされ、「私たち、被造物、神の、それぞれの心の鼓動は、今日、調和を失い、正義と平和において共に鼓動することがありません」と語れれ、「環境と気候上の不正義の犠牲者たちに寄り添い、被造物に対するこの戦争を終わらせなくてはなりません」と訴えられた。

 さらに、多くの川が干上がっている状況に、「世界に外的な砂漠が広がっているのは、”内的砂漠”がこれほどまでに広いからです」というベネディクト16世の言葉を引用され、「利己的な心によってかき立てられた貪欲な消費主義が、地球の水のサイクルを乱し、際限のない化石燃料の利用と森林の伐採が気温上昇を招きながら、深刻な干魃をもたらしている状況」を注視。

 アッシジの聖フランシスコが「姉妹なる水」と呼んだものが搾取され、「市場の法則に左右される商品となっている」ことに対し、「正義と平和を力強い川の流れにするためには、『私たちの心』と『ライフスタイル』、そして『公共の政策』を改めなくてはなりません」と強調された。

 また教皇は、聖ヨハネ・パウロ2世が唱えた「エコロジー的回心」の必要を改めて指摘され、ベネディクト16世の「『創造』と『贖い』が切り離せないものであること、を理解する急務の課題… 贖い主は創造主。私たちが神を、贖い主=創造主という、この完全な偉大さにおいて告げ知らせないなら、贖いの価値をも取り去ることになる」という言葉と共に示された。

 メッセージの終わりに、教皇は、キリスト教諸教会が参加する被造物保護のための祈りと行動の月間である「被造物の季節」の最終日でアッシジの聖フランシスコの祝日でもある10月4日に、カトリック教会の「共働性(シノドス性)」をテーマにした世界代表司教会議(シノドス)が始まることを念頭に置きながら、「無数の小川や水流が合流した大河のように、教会を構成する世界の様々な共同体や個人の意見を集めて行われるこの会議」に言及され、「『普遍の教会』とは、同じ水で育まれた数多くの地方教会や修道会や組織の交わりであり、それぞれの水源がかけがえのない貢献をもたらしながら、やがてはすべてが合流し、神の慈しみ深い愛の大海に注ぎ込んでいくものです」と語られた。

 そして最後に教皇は、「一つの川があらゆる動植物に命を与えるように、共に歩む教会がたどり着くすべての場所に、正義と平和の種をまくことができるように」と願われた。

(編集「カトリック・あい」=聖書の引用の日本語訳は「聖書協会・共同訳」を使用)

2023年5月26日

☩「苦しむ中国のカトリック教徒が、普遍教会の連帯で慰めと勇気を感じられるように」-教皇、24日「中国のカトリック教会のための世界祈願日」

教皇フランシスコ、「扶助者聖母マリア」の日に、中国のカトリック信者にメッセージ 教皇フランシスコ、「扶助者聖母マリア」の日に、中国のカトリック信者にメッセージ  

 「中国のカトリック教会のための世界祈願日」の24日、教皇フランシスコは一般謁見で、中国のカトリック信者たちにメッセージをおくられた。

 カトリック教会の典礼暦で24日は「扶助者(キリストの助け手)聖母マリア」の日だが、中国・上海の余山(シェシャン)の聖母巡礼聖堂が「扶助者聖母マリア」に捧げられたいることから、教会ではこの日を「中国のカトリック教会のための世界祈願日」としている。

教皇が中国のカトリック信者たちにあてたメッセージは次の通り。

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 24日は「中国のカトリック教会のための世界祈願日」を記念します。 この祈願日は、上海の余山(シェシャン)の聖母巡礼聖堂において崇敬されている「キリスト者の助け手、聖母マリア」の祝日でもあります。

 この機会に、中国における私たちの兄弟姉妹を思い起こし、その喜びと希望を分かち合いながら、彼らへの寄り添いを表明したいと思います。特に、苦しむすべての人々、司牧者、信者たちに思いを向けます。普遍の教会の交わりと連帯において、彼らが慰めと勇気を感じることができますように。十字架上で死に、復活したキリストの福音が、その完全さと、美しさ、自由のうちに告知され、中国のカトリック教会と社会のために実りをもたらすように、すべての人に神への祈りをお願いしたいと思います。(編集「カトリック・あい」)

2023年5月25日