(2026.10.7 Vatican News Christopher Wells)
教皇レオ14世は7日の水曜恒例一般謁見で連続講話「第二バチカン公会議を学び直す」を続けられ、今回は「現代世界憲章」の第4章「現代世界における教会の任務」について考察。教会の任務は「『個人の聖性と兄弟愛』を通じて、神の国と全人類の救いの実現に努めること」と強調された。
講話で教皇は、「現代世界における教会の第一の使命は、人々が人生の深遠な問い―私たちの起源や運命、そして愛や苦しみの意味に関する問い―に注意を向けるよう助けることです」とされ、教会の使命を、現代社会で感じられる「物質的財の消費を中心とした生活様式に順応するよう迫られる圧力」と対比、だが、「私たちの心は、上を見上げるように造られているのです」と説かれた。
*「地上の都」の建設
そして、「教会は、『地上の都の建設』に貢献することによっても、その使命を果たしています。それは主に、政治的行動を通じてではなく、信仰と愛の証し、そして正義、平和、兄弟愛への献身を通じてです」と強調。
さらに、「教会は、弱者や貧しい人々への抑圧、また依存や不正義の状態を永続させる不公正な構造を受け入れることはできない。教会の教義に導かれ、キリスト教徒は共通の善を追求するために、善意を持つすべての人々と協力するのです」と語られた。
*信仰と日々の生活の一貫性
教皇はまた、第二バチカン公会議の教父たちに倣い、「キリスト教徒が、信仰と一貫した日々の生活を送る必要性」を強調。「『公言する信仰』と『日々の生活』との不一致は『現代の最も深刻な過ち』の一つに数えられるべきです」と指摘された。
そして、現代世界憲章が、「家庭や職場だけでなく、生活のあらゆる分野において、福音的価値観をもたらすよう求められている信徒の使命」を強調している点にも言及された。
*個人の聖性と兄弟愛
教皇はさらに、「神の民全体、とりわけ司牧者や神学者たちは、神の言葉と教会の伝統に照らして、現代の文化を検討し評価するよう求められています」とされ、「文化的潮流に左右されず、福音を全体として揺るぎなく提示しつつ、世界を肯定的な視点で捉えることのできる、バランスの取れた心が必要です… その際、福音のメッセージを薄めたり、その要求を和らげたりしてはなりません」と忠告された。
そして講話の最後に、教皇は、「『神の国をもたらし、全人類の救いを実現する』という教会の使命は、何よりもまず、個人の聖性と兄弟愛を通じて達成されるのです」と言明され、「そのために、聖霊の働きに心を開きましょう。そうすれば、聖霊は、私たちが聖性と愛をもって生き、世界が信じ、希望を抱けるよう、助けてくださる」と締めくくられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
(2026.10.4 Vatican News Francesca Merlo)
教皇レオ14世は年間第27主日の4日の正午の祈りに先立つ説教で、「 神の慈悲」について考察され、帰天800周年を迎えるアッシジの聖フランシスコを偲び、信徒たちに平和を祈り、人々の間に調和を築くよう呼びかけられた。
そして、「神は決して私たちの命を見捨てません!」—教皇は信徒たちに断言され、「拒絶や暴力でさえも神の救いの御心を阻むことはできないのです」と強調された。
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説教で教皇は、この日のミサで読まれたマタイ福音書の、イエスの生涯と使命を照らし出す「ぶどう園と農夫のたとえ」を取り上げ、また、アッシジの聖フランシスコの信仰と兄弟愛の証しを、「教会の刷新と平和構築への道」として掲げられた。
*神の慈悲は悪よりも偉大だ
そして、「イエスは、世に遣わされた神の御子であるにもかかわらず、両手を広げて迎えるべきだった人々によって拒絶されました… 救いをもたらすために来られた方が非難され、命を与えようとする方が殺される。この拒絶は、世界や人々の歴史を苦しめる多くの残酷さについて考えさせるものですが、キリストの教えは、父なる神のさらに大きな慈悲を明らかにしています」と言明。
教皇はさらに、「暴力に最終的な決定権はありません。神は、無限の正義をもって、悪を『贖い』に変えます。それは、イエスが語られた『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった』(マタイ福音書21章42節)という言葉にも表れている。捨てられたものが、すべてを支えるまさにその土台となるのです… そのようにして、神は歴史を導き、私たちが倒れるたびに助けに来てくださるのです」と説かれた。
*フランシスコは、兄弟愛を通じて、教会の不破による亀裂を癒した
また教皇は、このたとえ話のぶどう園について、「教会を表しており、私たちの選択によって教会は築き上げられることもあれば、傷つけられることもある」とされたうえで、帰天800年を迎えたアッシジの聖フランシスコを「主のぶどう園で実りある働きをし、『教会を修復せよ』というイエスの呼びかけに応えた労働者として回想して語られた。
「十字架にかけられた方に触発され、フランシスコはまず自らの生涯をキリストの上に築き、その貧しさ、喜び、そして苦しみをも分かち合い、さらには聖痕を受けるに至りました。彼の熱烈な祈りとすべての人への慈愛は、教会改革の真の条件として彼の禁欲主義を共有した最初の修道士たちにとっての模範となりました。聖フランシスコは、主イエスへの信仰によって、教会を修復した。兄弟愛の証しを通じて、不和による亀裂を癒やしたのです」。
*今も実を結び続けるフランシスコの遺産
教皇は、 「それから8世紀を経た今も、聖フランシスコのカリスマは実を結び続けています。偉大で活気あふれるフランシスコ会という大家族の中にも、また、その霊的遺産が神の民に与える多くの賜物の中にも、はっきりと表れています」と強調。
アッシジの聖フランシスコの帰天800周年を記念して宣言された、特別な信仰の記念年「フランシスコ会の聖年」 を祝うにあたり、教皇は信徒に対し、「平和の賜物を粘り強く願い求め、民族間の調和を築くことに誠実に尽力するように」と呼びかけられ、この働きをマリアの取り次ぎに委ね、ポンペイの聖堂に集まった信徒たちと霊的に結ばれながら、聖ロザリオの聖母への祈願のために正午の祈りを唱えられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
Pope Leo receives a rosary from a family in the Vatican Gardens (VATICAN MEDIA)
(2026.10.1 Vatican News Kielce Gussie)
ロザリオに捧げられた月である10月の初日、教皇レオ14世がバチカン庭園内のルルドの洞窟で、1300人の信徒(うち700人が子供たち)と共に5か国語でロザリオを唱え、世界中の暴力の終結を願って聖母への祈りを捧げられた。
ローマ近郊の教区や学校から集まった子供たちは、教皇と共にルルドの洞窟の前で、「教会支援協会(Aid to the Church in Need)」の取り組み「100万人の子どもたちがロザリオを祈る」の幕開けを飾った
10月1日から7日までの1週間、言語や距離によって隔てられた世界中の共同体が、平和への祈りによって一つになる。
「教会支援協会」のレジーナ・リンチ会長は「100万人の子どもたちがロザリオを祈る」というこの取り組みが、家庭での祈りを促進することを目指している、と語った。
この取り組みの世界的な広がりを象徴するように、ロザリオの祈りの5つの十連はそれぞれ異なる言語―イタリア語、スペイン語、ウルドゥー語、ドイツ語、アラビア語―で唱えられ、これを皮切りに、世界中の「人々の傷と希望」―ウクライナの子供たちや戦争のすべての犠牲者、レバノン、シリア、聖地の家族、パキスタンや世界各地で迫害を受けるキリスト教徒、南スーダンの和解、そしてキューバやベネズエラの家族―に注目を集める1週間にわたる取り組みが始まった。
聖母マリアへの祈りを唱える前に、バチカンのキリスト教一致推進省長官のクルト・コッホ枢機卿が、「この取り組みは『マリアと共に、世界の苦しみをイエスに捧げることができる』ことを、子供たちに気づかせるためのもの」と説明。「信頼をもって御自身に身を委ねる最も幼い者たちの声こそが、神の心の中で特別な歓迎を受けるのです」と強調し、「復活されたキリストを仰ぎ見ながら、恐怖や憎しみが最終的な決定権を持たないよう願いましょう」と述べた。
*世界の全ての子供たち、とくに戦争で苦しむ子供たちへの特別な贈り物
教皇はメッセージで、この取り組みの重要性を強調するとともに、子供たちや保護者、司祭たちと共に過ごせる喜びを語られ、子供たちを励まし、彼らが「イエスとマリアに、特別な贈り物―世界中のすべての子どもたち、とりわけ世界中の多くの国々で戦争の続く地域に住む子どもたちへの平和」を求めていることを思い起させた。
そして、ロザリオを「誰もが祈ることができるシンプルな祈り」とされ、各十連の冒頭で子供たちが捧げた花を「愛のしるし」と呼ばれ、祈りに参加した全員に、「ヨルダン川での洗礼、カナの婚礼での水をワインに変えた奇跡、神の国の宣教、変容、そして最後の晩餐の部屋での聖体の制定など、イエスが多くの人々に光と平和をもたらした人生の重要な瞬間について考えるように」と促された。
*「世界中のすべての子供たちのための平和」を願うバチカンでのロザリオ
教皇は、祈りに参加した子供たちに、「イエスが私たちに素晴らしい贈り物を与えてくださった瞬間を決して忘れず、感謝するように。皆が心を一つにして、自信を持ってイエスに『平和をください』と願い求めましょう」と呼びかけられた。
*5000万回の「アヴェ・マリア」が世界の人々、国々を包み込む
メッセージを締めくくるにあたり、教皇は、今週(10月1日~7日)を通じて「ここバチカン庭園に集まっている人々だけが祈っているわけではありません。世界中の約100万人の声が、この祈りに加わっているのです」と指摘。
「考えてみてください… 世界中のあらゆる場所から、あらゆる言語で、平和を願いながら天へと昇る5000万回の『アヴェ・マリア』。それはまるで一つの巨大なロザリオのように結ばれ、世界中のすべての大陸、人々、国家を包み込むのです」と強調された。
そして、「ルルドの聖洞で共にロザリオを唱えることで、自宅でも、学校でも、カテキズムの授業でも、両親といる時でも、遊ぶ時でも、どこにいても善行を尽くすことを誓っていること」を参加者たちに念を押され、「祈りには、善行と愛の行為も伴わねばなりません。そうしてこそ、平和は育まれるのです」と締めくくられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
教皇レオ14世、ルルドでのミサで 2026年9月27日 (@Vatican Media)
(2026.9.27 バチカン放送)
教皇レオ14世は27日、フランス南西部の巡礼地ルルドで捧げたミサの終わりに、お告げの祈りを唱えられた。
教皇は「お告げの祈り」について、「この単純にして美しい祈りは、私たちが乙女マリアの模範に倣い、日々神の御心に従って生きることを助けてくれます」とされた。
そして、祈りを唱える前に、「今この場所にいることで、心の底から強く感じていることを訴えたい」と前置きして、「ここルルドで、無原罪の御宿りである方がロザリオと共に聖ベルナデッタに現れ、その祈りを導いた時のこと」を思いつつ、すべての信者とすべてのキリスト教共同体に対し、「戦争の終結と、紛争地の人々への平和の訪れを願い、来る10月中、ロザリオの祈りを唱えましょう」と呼びかけられた。
そして、そのロザリオの祈りに、具体的な償いといつくしみある行い、対話と和解を常に促進する決意を添えることを願われた。教皇はこの意向をもって、聖母の取り次ぎを祈られた。
(編集「カトリック・あい」)
Pope Leo XIV delivers Sunday Angelus address (@Vatican Media)
(2026.9.20 Vatican News Deborah Castellano Lubov)
教皇レオ14世は年間第25主日、20日の正午の祈りに先立つ説教で、この日のミサで読まれたマタイ福音書20章1₋16節のブドウ園の労働者についてのイエスのたとえ話を取り上げ、そこで示唆されている神の計画について、「罪に染まった私たち人間が思い描いたり実現させたりできるものよりも、無限に偉大であり、そして、『人間的』です」と強調された。
説教で教皇はまず、ミサの第一朗読で読まれたイザヤ書で、預言者イザヤの言葉を通じて、「主が私たちに大きな希望の根拠を与えてくださっていること」を指摘され、「主は、御自身の思いが私たちの思いとは異なり、御自身の道は私たちの道とは異なると告げておられるのです」と語られた。
そして、「預言者が私たちに、『歪んだ道を捨て、”憐れみと赦し”である主のもとへ立ち返れ』と呼びかけていることが今、かつてないほど重要になっています」と述べられた。
*神が私たちのために用意してくださっているもの
教皇はまた、マタイ福音書の今日の箇所のイエスのたとえ話で、「神が私たちのために用意してくださっているものの新しさを明らかにしている一方で、より寛大な正義やより大きな愛に対して、私たちが一般的に示す抵抗も明らかにしています」と指摘。
ぶどう畑で働くよう招かれた労働者たちの中には、一日中働いた者もいれば、ほんの数時間しか働かなかった者もおり、日没間際に働き始めた者さえいたが、ブドウ園の主人は、最後に雇われた者たちを一日中働いた者たちと同じように扱ったこと、そして特に注目すべきは、管理人に、「最後の人から始めて、最初の人へと順に労働者に賃金を支払うように」と具体的な指示を出している点だ。
*不満は簡単に避けられたはずだ
そして教皇は、「一日中働いた者たちの否定的な反応を避けることが、容易でしたが、このたとえでイエスは『神の善の啓示が、ごく一部の人々だけでなく、すべての人々のためのものであること』を示すために、意図的にこのように話された」とされ、「自らを第一と見なし、自分の持ちものを自力で得た、と信じたり、達成した成果は当然の報いだと信じたりしている人々に対して、神には、異なる方法と斬新な考えがあることを示された」と指摘。
「愛の法則が計算の法則を打ち破り、慈悲の体験が功績の概念を広げ、平和の賜物が対立を一時停止させ、感謝の心で私たちを互いに近づけるとき、私たちは皆、喜びと知恵、そしてより良い未来を得るのです」と強調された。
*神の新たな御業が現れる場所には、嫉妬の余地はない
教皇さらに、「神のぶどう畑で働き、神の御国に仕えることで、神の協力者となることは『恵み』、神の新たな御業が吹き出す場所には、嫉妬や分裂の余地はありません」とされ、「主が私たちを見出されるうちに、主を求めましょう。主が近くにおられるうちに、主を呼び求めましょう。曲がりくねった道と邪悪な思いから離れましょう」と信者たちに促された。
最後に教皇は、「私たちと同じ被造物でありながら、汚れのない聖母マリアに目を向けるように」と信者たちに勧められ、「聖母は、私たちが神に希望を置き、神の慈悲に身を委ねるのを助けてくれます。そうして、神の道が私たちの道となり、神の思いが私たちの思いとなるように、です」と説教を締めくくられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)