【2025年12月の巻頭言】3年目に入る「神言会裁判」—この修道会に、カトリック教会に「自己修正メカニズム」は働かないのか

▷聖職者による性的虐待で深い傷を負った女性信者が、所属(当時)修道会・神言会に損害賠償を求める裁判の12回目が、12月1日、午後3時から、東京地方裁判所第606法廷で開かれる。

 裁判は2024年1月から始まっているから、間もなく3年目に入る。この間、被告の神言会側は、当初は「(原告が指摘するようなことは)知らない」と言い、その後、「(原告側の主張は)虚偽だ」と言い直し、さらに、最近では「(読書や散歩など)司祭の業務外のことは修道会は関知しない」と言う詭弁とも思われる主張に変えてきている。

 

▷原告被害者に二重三重の苦しみを味あわせ続けるばかりか、支援者の司祭、シスター、そして多くの信徒を落胆させ、それが、修道会、司教団への信頼に失墜、教会から離れていく原因を作っているように思われる。

 何のために多額の弁護費用を払って責任を回避し続けるのか。何を守ろうとしているのか。速やかに非を認め、原告被害者に謝罪し、精神的ケアに費用を投じるほうが、よほど”効果”が高い、と思われるのだが、社会的常識は通用しないようだ。

 

▷教皇庁未成年・弱者保護委員会は10月16日に「世界の教会における聖職者の性的虐待に関する第二回年次報告」を発表。欧州、アジア、アフリカから最近司教団のバチカン定期訪問があった18か国・地域、男女各1の修道会に対して、現状、課題、それをもとにした勧告・要請がされている。

 日本の司教団に対しても「保護対策に特化した5年ごとの実態調査の完全実施」「司教と修道者合同委員会の活用検討」「教会の保護体制に対し強固な監査メカニズムを構築」「教会における賠償の実践事例について、バチカンの未成年者・弱者保護委員会への報告」など、17項目に上る具体的な勧告・要請が明記されている。

 だが、今のところ、日本の司教団がこれを真剣に受け止め、対応の検討を始めた、とは聞いていないし、中央協議会のホームページなどにも全く掲載されていない。

 

▷委員会の日本の司教団に対する勧告・要請をもう少し具体的にみていくと、「保護対策に特化した5年ごとの実態調査の完全実施」。性的虐待被害への対処について、司教たちと修道会の上級責任者との連携不足があることを前提に、その克服のため、(教会が性的虐待の被害者にとって安全な避難所となれるように支援する活動である)「『Memorare initiative』の導入」、保護対策における「一つの教会」アプローチのための協力を促進する基盤として「司教と修道者合同委員会」の活用検討、「性的虐待被害者のための祈りと償いの日、各教区が安全確保への取り組み声明を発表する提案の実行を勧告。

 関連して、外国人司祭や他教区から来た司祭による性的虐待への対処に問題がある、との認識をもとに、海外から来て日本で活動、あるいは教区間で異動する修道会、教区の聖職者、司牧担当者についての審査手順を厳格化する方向での見直しと公表、教区の青年司牧担当、司祭継続養成担当、および女性・児童の人権保護デスク間の緊密な連携を提起。

 未成年者及び脆弱な成人保護の全国ガイドラインへの、「被害者への支援の提供、行政当局との連携」に関する規定の追加」、「同ガイドライン実施を監督する委員会の構成員、権限範囲、定款に関する情報の公表」、 「聖職者及び司牧者に関する行動規範の策定」、聖職者向けに「『Vos estis lux mundi』の具体的な内容を網羅した啓発活動の実施」、「教会の保護体制に対し強固な監査メカニズムを構築」なとが必要としている。

 さらに、性的虐待被害者への「賠償」が金銭的損害賠償の提供を超えた幅広い実践(心身のケア、教会への歓迎など)を含むことを念頭に、教会における賠償の実践事例について同委員会に報告することを司教協議会に要請している。

 最後に、国連児童の権利条約市民社会組織連合による指摘を引用して、「日本では性的虐待は、欧米よりもはるかに少ないと考えられているが、統計的な証拠はない… 欧米でも以前は同様の見方がされていたが、実際は多数に上っており、このことは日本の性的虐待の件数が実際には、はるかに多い可能性を示唆している」とし、日本の教会が、自己の調査による件数が少ないことをもって、誤った安心感を持ち、対応に手を抜いていることについて、間接的に警告している。

 

▷11月の「カトリック・あい」の月間閲覧件数を記事別にみると、コラムや巻頭言が圧倒的に上位を占め、「教会には自己修正システムが存在しない」とする東京教区の信徒からの読者投稿が170件近く読まれている。

 これとまさに同じ見方を、著名な歴史学者で哲学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏が今春、日本語版を刊行した「NEXUS-情報の人類史」に書いている。

 「人体だけでなく、様々な機関も、自己修正メカニズムが無いと破綻する…カトリック教会は自己修正メカニズムが比較的弱い機関だ。不可謬性を誇っているため、自らの間違いを認めることができない… 内部の人間が誤ったり、罪を犯したりしたことを、時折認める場合もあるが、教会自体はあくまで完璧なまま、という建前になっている」と。『神言会裁判』の行方を追っていると、実にその指摘がぴったりくるように思われる。

 

▷自己修正メカニズムが働いていないのは、「神言会裁判」だけではない、既に結審している長崎地裁、仙台地裁では、それぞれの教区の司祭が女性信徒を性的虐待したことに対して、被害者原告と被告の両教区に和解勧告が出されたが、いずれも教区がわずかな賠償をしただけで、被害者への謝罪も、精神的ケアや教会に迎え入れるような措置を取ったとは聞かない。

 

▷教会は11月30日から待降節で、教会暦的には、新しい年に入った。修道会も、司教団も、御子をこの世界に送られた主の強い思いを改めてかみしめ、被害者と誠実に向き合い、「自己修正メカニズム」を働かせる契機とすべきではなかろうか。

 

(「カトリック・あい」代表・南條俊二)

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2025年11月29日