【2025年10月の巻頭言】 10月1日で11回目となる東京地裁「神言会裁判」にみる被告側のあまりにも不誠実な対応

【2025年10月の巻頭言】 10月1日で11回目となる東京地裁「神言会裁判」にみる被告側のあまりにも不誠実な対応

  教皇レオ14世は9月18日に公開された米有力カトリック・サイトCruxとのインタビューで次のように語られている。

  「性的虐待被害者は深い敬意をもって扱われねばならない。虐待によって非常に深い傷を負った人々は、その傷を一生背負い続けることもあるのです… 教会は、何よりもまず、司祭、司教、信徒、修道者、男性・女性、カテキスタなど教会関係者によって人々が被った痛みや苦しみに、真摯で深い感受性と慈愛を育まねばなりません」。

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 聖職者による性的虐待で深い傷を負った女性信者が、加害者が属していたカトリック修道会・神言会に対して起こしている損害賠償訴訟の11回目の裁判が、10月1日午後4時から東京地方裁判所第615法廷で開かれた。だが、被告神言会から出された準備書面も相変わらず、会の責任を回避するような文言が目立ち、次回は12月1日、次々回は来年2月9日と、3年目に持ち越されることが確定した。

 裁判は、神言会に所属し、当時、長崎大司教区内の小教区司牧を委嘱されていた会員司祭が女性信徒に対し不同意性交を強いていたとして、被害信徒が神言会日本管区の監督責任を問い損害賠償を求める訴えを起こしたことから、2024年1月23日から始まった。

 被害者の主婦・田中時枝さんが裁判所に提出した訴状によれば、長崎・西町教会で助任司祭を務めていた神父は2012年、「ゆるしの秘跡」を受けた田中さんの告解内容を聴くと「やり直さなければだめだ」と性交を迫り、以後約4年間にわたり被害者女性をマインドコントロール下に置いて、不同意強制性交を重ねていた。

 心の平静を取り戻した田中さんは、加害司祭を「不同意強制性交の罪」で刑事告訴したいと考え、まずその司祭を監督・指導する立場にある神言修道会の上長に事情を打ち明け相談した。修道会側では加害者とされる神父から事情を聴き、本人を派遣先の長崎から引き上げさせた後、母国に送還したものの、「被害者には謝罪など誠意のある対応を見せず、何の救済措置も取らなかった」ため、裁判に至った。

 これまで10回の裁判を振り返ると、この修道会の対応は、上記の教皇の言葉とはまさに真逆だった、と言わざるを得ない。 被告の神言会は、一度として会を代表する者が出席せず、代理人弁護士に任せ続け、 第1回から10回までの、被告代理人弁護団の対応を、傍聴人の立場から見ても、元司祭(加害後に司祭を辞めた)が所属していた神言会の責任を回避しようとする姿勢ばかりが目立ち、被害者に対する誠意や思いやりが全く感じられないのだ。

 まず、原告被害者は本人が毎回裁判に出席しているのと対照的に、被告の神言会は、一度として会を代表する者が出席しなかった。すべてを代理人弁護士に任せ続けている。

 そして、その代理人弁護士の対応は当初、原告の訴えの内容に対して、『不知』(「知らない」の意味)と答え、裁判長から「不知ばかりですが、どういうことか」と問われて、『否認』、そして『虚偽』との言い方を変えていった。当初は「どこにいるか知らない」としていた加害司祭を「補助参加人」として裁判に参加させ、あわせて代理人弁護士3人の強力な体制をとった(原告側は代理人弁護士1人だ)。

 二年目に入ると、被告とされている司祭(当時)がしたとされる教会外での『行為』について、「神言会に責任を問うことはできない」と会の責任を否定。さらに準備書面で、「司祭としての『業務』か、読書や散歩など『私生活』は除外される(この司祭=当時=について原告側が性的虐待を働いたとしている行為があろうとなかろうと責任は神言会にない、と言う意味)という”珍説“を展開している。

 感じられるのは、何とか責任を逃れよう、という姿勢のみ。当然、代理人弁護士は自身の判断で動くわけではなく、神言会の意向に従って対応しているわけだ。そうだとすれば、この修道会は、教皇の意向とも、日本の司教団が毎年出しているメッセージとも全く乖離し、被害者に対する謝罪も、反省も、いたわりも全く欠いたイエス・キリストの説く愛の行為とは真逆、ということになる。

 3月の「性的被害者の日」のメッセージで、日本司教協議会会長で神言会員でもある菊地・枢機卿、東京大司教は、不特定の被害者に謝罪し、対応を約束している。 だが、Cruxとのインタビューで、この裁判について聞かれ、「修道会の問題は会の本部が判断することで、教区長は口をはさめない」と世間一般の常識から判断して理解できない発言をしている。これでは、上記のメッセージの言葉は全く説得力をもたない。

 東京教区で言えば、信徒数の半分近くは、現在入手可能な不完全なデータをもとにすると様々な修道会が会員司祭が運営する教会に所属しているはずだ。そうだとすれば、教区の信徒の半分近くは、司祭たちから問題行為をされ、修道会が対応してくれないからといって、教区に訴えてもどうにもならない、ということになる。

 菊地師は、神言会で世界で二人しかいない枢機卿の一人だ。組織上はともかく、事実上、会を代表する人物の一人と一般社会では誰もが判断するだろうし、この問題についても「助言」は可能、という見方が専門家の間にもある。英語には「peer pressure」という言葉がある。日本語で言えばこの場合は、「友情ある説得」「同じ会の仲間への説得」。どうして、そのことに考えが及ばないのだろうか。

 日本でも信徒が少ない分、表面化した虐待をめぐる訴訟件数は欧米に比べれば少ないが、既に司祭による性的虐待裁判が結審した長崎、仙台両教区では、加害司祭が属していた教区側は裁判所の指示で和解に応じたものの、若干の賠償金を原告被害者に支払っただけで、公式の謝罪は聞かれず、心身のケアも、教会に復帰できるような支援をしているとは聞かない。

 そればかりか、仙台の場合は、「あの人はお金をもらいたくて裁判をした」という心無い教会関係者の声がさらに被害者の心に傷を大きくし、教会に戻ることができずにいる。そうした中で、広島教区でも教区の不誠実な対応に失望した信徒が同様の訴えを裁判所に起こし、裁判が始まっていると聞く。

 ドイツなどでは、聖職者による性的虐待の隠ぺいや被害者への不誠実な高位聖職者の態度が、信徒たちを失望させ、教会離れを加速している要因になっている。

 日本でも、今のような事態を事実上放置したまま、”シノドスの道“を司教、司祭、修道者、そして何よりも一般信徒が、心から共に歩むことができるとは、とても思えないし、ドイツの教会の二の舞になる恐れもある。

 田中時枝さんは11回目の裁判の前に、支援者への感謝を込めた手紙にこう書いている。「私の、失った尊厳は取り戻す方策もなく絶望の日々がさらに鮮明に蘇ります。皆様に送る手紙に切手を貼りながら、はらはらと涙がこぼれ落ちてしまいます。性暴力によりもぎ取られた人生は、失われてしまったまま、返りません… カトリックの赦しの秘跡の秘密を利用した神父によって、今も私は苦しんでいます。修道会に相談しても加害神父の行為を認めず、何も対応してくれなかった。隠蔽され、無いものにされてしまった。その不誠実さに、私は毎日、絶望と地獄のような苦しみを味わっています」。

 このような悲痛な訴えを前に、「私の所に言って来ない」「修道会の問題だから、教区長としてはどうしようもない」といつまで言い続けるつもりなのだろうか。

 菊地枢機卿も、日本の司教団も、そして修道会の幹部も、真剣にこの問題と向き合い、真摯に体勢を立て直し、被害者への誠実な対応、謝罪、補償、心身のケア、そして教会へ復帰できる支援へ具体的行動をする必要がある。 来年には結審する神言会裁判へのこれからの対応が、一つの試金石になる。

(2025年10月1日記「カトリック・あい」代表・南條俊二)

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2025年9月28日