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以上
教会の司祭による不祥事等、いまだに後を絶たない。何故なのか?現実社会に於ける如何なる組織も必ず、不祥事を犯した本人は何等かの処分を当然受ける。が、問題はそれだけであろうか。優れた組織には必ず「自己修正プログラム」を有している。これを解り易く言えば「自己点検・自己内的批判・反省」であろう。が、残念ながら、カトリック教会にはそれらを有していない。確かに、教会で不祥事を犯した者を処罰はするが、何故その様な事柄が出現するのか、と言った事にはほとんど、考慮されていなし、言及さえされていない。
この際、カトリック教会は長きにわたり、「司祭至上主義・司祭中心主義」を守ってきたと言えるだろう。もうこうした事は止めた方がいいのに決まっている。
じゃあ、プロテスタン教会はどうか、と言った事が出てくる。プロテスタン教会は大まかに言えば「M・ルターの宗教改革」にその本質的な事柄は彼から答えを見出す事が可能である。
結論を言えば、司祭がどんな不祥事を犯そうが、「教会」は正しく進んいると考えているのだろう。これを突き詰めれば「教会は常に正しい」と言えるのだろう。これらの事柄は不味い事に「ピオ10世」による「教皇不可謬権」が教会の教理・信条になった。従って、不可謬の教会は正しく歩むと言いたいのであろう。
が、その組織の内に「自己点検・自己批判」を有さない組織は当然「腐敗」する。要するに、カトリック教会には「自己修正メカニズム」が存在しない、と言いたい。
教会は「希望」云々を言うが、「改革」無ければ、それは「絵に描いた餅」に過ぎない。カトリック教会に改革を希望するなら、第二ヴァチカン公会議を開催したヨハネ23世教皇、はたまたフランシスコ教皇と言った人達の10倍、否、20倍、30倍の人間力を持った人が必要とされるであろう。