4月5日は主の復活を祝う主日。だが、カトリック教会の”復活”を心から祝うことのできる日は来るのだろうか。
教皇は4月の祈りの意向として、「危機に瀕する司祭のために」を選ばれ、「召命の危機にある司祭が、必要な霊的同伴を見出しますように。そして、教会共同体が理解と祈りをもって司祭を支えることができますように」と願われている。
20年前のことだ。数年の海外勤務を終えて帰国し、久しぶりに大船の母校を尋ねた時のことだ。校門から入って左手の小高い丘に立つ4階建ての修道院を見上げて愕然とした。校舎が横須賀から移って最初の卒業生となった頃は確か10人近い教員の司祭がいて、活気に満ちていたのが、人影さえ見ることができない“廃墟”同然の姿…。
すでに「召命の危機」を迎えていた日本の教会。それから20年経ち、学校を運営する修道会も、そして教区も、司祭の減少は当時よりもさらに深刻の度を深めている。
中央協議会(司教団)の最新の2024年版「カトリック教会現勢」によると、2024 年 12 月末現在の日本の聖職者・修道者・神学生合わせて5613人、20年間で34.8%も減っている。信徒の減り方の4倍以上だ。司祭でない神学生、修道者の減り方はさらに大幅である。「現勢」にはデータが無いが、小教区の現場での実感として、司祭減少と共に高齢化、病弱化も急速に進んでいる。教皇が示されているように「危機に瀕する司祭」をめぐる厳しさは増すばかりだ。
欧米などでも、司祭の減少、高齢化は深刻だ。 聖職者による性的虐待や高位聖職者の対応の不手際などが、信徒をさらに教会から遠のかせ、賠償負担が重くのしかかり、若者が司祭職を選ぶ意欲を失わせている。バチカン国務省の教会統計中央事務局の『2023年教会統計年鑑』によると、 司祭数は、2023年末時点で、世界全体で40万6996人で前年末比で0.2%減。地域別では欧州が1.6%減、オセアニア1.0%減、南北アメリカ0.7%減。司祭候補である神学生数も、全世界合計で2023年末の前年末比1.8%減、欧州が4.9%減、アジア4.2%減。減少傾向は2012年以降止まらない。
こうした結果どのようなことが起きているか。日本の場合、1人の司祭が二つの小教区掛け持ちは当たり前、三つ、教区によっては四つ、五つも持たされる。高齢・病弱の司祭も小教区の現場に出されるケースが散見され、特に司祭が少ない教区では、信徒が主日のミサに与れるのは月に一回という小教区も増えている。
日本人の若者の司祭志願者減少が常態になる中で、司祭叙階の条件を”緩和“したためか、「主任司祭が、日本語での信徒との対話が満足にできない」「ミサ中の説教がよく分からない」など困惑する小教区信徒の声が、巻頭言子の耳にも入るようになっている。例外と思いたいが、叙階されて何年も経っていない司祭が、組織的な麻薬密輸が問題になっている母国の人に頼まれて(それと知らずに?)麻薬を教会で受け取り、警察当局に逮捕され、一か月も拘留、取り調べを受ける(後に処分保留のまま釈放)という事態も発生している。
日本の教会は、そのリーダーである司教団は、教皇が「危機に瀕する」と言われるこのような事態にどのように対応しているのか。残念ながら、「全く見えない」と言うのが正直なところだ。
それを象徴するのが、4月の日本の教会の祈りの意向「すべての人の召命のために」だ。「すべての人の召命のために祈ります。私たち一人ひとりが自分が何に召されているかを識別し、神とのかかわりの中で歩むことができますように」と全く他人事のような文言が並ぶ。教皇の祈りの意向のような、危機感も、司教たちが力を合わせて、危機を乗り越えようとする真摯な姿勢も感じられない。
2月に5日間もかけて日本の全司教を集めて開かれた臨時司教総会でも、”公開情報”によれば、議題にも載っておらず、この問題を取り上げ、真剣な意見交換が行われたという”痕跡“も見られない。
召命の危機への対処が容易でないのは当然だ。20年以上、いや30年以上も前向きな手を打って来なかったのだから。だが、これ以上、手をこまぬいていてはならない。まず求められるのは教会のリーダーであるはずの司教たちが、召命の危機を共有し、連帯して、現状を正確に把握するためのデータをそろえたうえで、危機を乗り越えるロードマップを作成し、具体的に踏み出すことだ。
具体的には、全日本レベルでの教区と修道会の司祭育成から小教区司牧に至る連携強化、制度化だ。そのうえで、神学校など司祭育成体制の若者にとって魅力ある抜本的見直し、大学の神学部などの全面協力を得て、霊的にも、司牧、学問面でも優れた講師陣をそろえ、外国人神学生にはまず日本語、日本文化を徹底的に学ばせ、学士号、博士号を取得できるレベルにする。仮に司祭叙階をしなくても、社会で働ける力をつけさせる。終身助祭の司牧における役割、位置づけの明確化、制度化と育成体制を全教区協力して整備するなど。具体的にやるべきことはいくらでもある。司祭、信徒の声を吸い上げ、対応することが、まさに、教皇フランシスコが始められ、教皇レオ14世が引き継がれた”シノドスの道”の実践につながる。
3月6日は司教団自身が決めた「性的虐待被害者のための祈りと償いの日」だった。そして、3月の日本の教会の祈りの意向が「(聖職者による)性的虐待被害者のために」だったが、担当司教が全日本の信者向けに、司教協議会会長の東京大司教が東京教区の信者向けにメッセージ出した以外は、具体的な被害者への祈りも償いもなかった。だが、3月の「カトリック・あい」の記事別閲覧件数を見ると、上位20件のうち7件が聖職者による性的虐待関連で占められている。この問題にまともに向き合おうとしない多くの司教たちに対して、一般の信徒や司祭は強い関心と問題意識を持ち続けているのだ。
このような事態が、4月の教皇の祈りの意向「危機に瀕する司祭のために」と日本の教会の「すべての人の召命のために」の大きな落差と共に、繰り返されることのないよう、祈りたい。
(「カトリック・あい」代表・南條俊二)