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お問い合わせ」への31件のフィードバック

  1. 主の平安!
    山内様、お久しぶりです。どうぞお元気で、頑張ってください。名古屋教区司祭 石脇慶總拝

  2. 毎日拝見させていただいてます。南條俊二様、翻訳ありがとうございます。今日(21日)から始まる「性的虐待サミット」についての「リアルタイム!」の翻訳に感謝します。先日の文藝春秋のも関連記事が載りましたが、この件について関心と正しい認識を持つことが今求められていると思います。そういう意味で先生の翻訳は大へん貴重なものです。感謝いたします。今回のサミットが神の前で素直なものであり、神の真のみ心がこの世界に示すものとなりますように。今後ともよろしくお願いいたします。(福岡教区 山元眞しんぷ)

  3. 南條様、いつも貴重な翻訳に感謝しております。 こちらでも、重要な二つの文書に関して、全文を翻訳してみました。

    ■主要な男女諸修道会の総長連合(伝統的修道会および近代以降の修道団体;USIG / USG)による会議における声明文;全文 [2019年2月19日]

    1.はじめに
     これから2月21日から24日にかけて教皇庁で開催される「未成年者の保護に関する会議」が始まるに際して、私たち世界中の伝統的修道会および近代以降の修道団体の主要な上長および修道者各人は、教皇フランシスコの主導的な姿勢を支持し、団結します。
    私たちは修道者としての使徒職のさなかに、子どもたちが虐待され、ぞんざいに扱われ、いじめられるという、望まれない数多くの状況に出くわします。たしかに私たちは直面しているのです。子どもの兵士、未成年者の人身売買、未成年者の性的虐待、未成年者の肉体的および精神的虐待がはびこっており、彼らは私たちに対して叫びをあげているのです。だからこそ、いま、私たちは大人として、キリスト者として、修道者として、彼らの生活が変えられ、彼らが育まれる状況が改善されるように働きかけたいのです
     これらすべての問題に共通するテーマは脆弱性です。子どもたちは私たちの社会で最も弱い立場にあります。貧困状態にさらされている子ども、身体障害のある子ども、あるいは成長を阻害されている子ども、限界に突き当たっている子ども、より低い社会階級またはカーストに属している子どもは、どうにも解決策のない脆弱性を持つ可能性があります。そのような状態に置かれている子どもが、大人たちから消費され(都合よく使用人扱いされて利用され)、虐待されることになるのです。

    2.教会における性的虐待
     今回の特別集会は、子どもたちに対する性的虐待、そして教会の権威者、特に司教、司祭、そして修道者による権限および良心の濫用に焦点を当てています。それは何十年にもわたって積み重ねられてきた現実であり、この状況において虐待を受けた人びとにとっては計り知れないほどの痛みの物語をつむぎだしています。
     そのような虐待が、私たちの伝統的な修道会や近代以降の修道団体も含めて、そして何よりも教会全体で起こったという事実を認識するにつけて、まことに申し訳なく感じます。私たちは、すでに、虐待する人たち(加害者たち)が意図的に自分たちの行動を隠し、操作していることを学びました。このような悪意にみちた行動の仕方を定義づけて明らかにすることは、まことに困難です。私たちの申し訳なさは、私たち自身もいったい何が起こっているのかを理解していないことによって、ますます増大します。世界中の伝統的な修道会および近代以降の修道団体をみわたすにつけて、権威ある立場にある者たちの反応が本来あるべき姿ではなかったことを、私たちは認めます。彼らは警告のサインを見なかったか、あるいは真剣にとらえていなかったのです。

    3.来たるべき会議(「未成年者の保護に関する司教会議」2019年2月21-24日)への期待
     来たる2月21日から24日にかけて、教皇フランシスコが世界中の司教協議会の会長を招集して開催する会議に対して、私たちが願うのは、この3日間に聖霊が力強く働くことです。 3日間の会議は短い時間です。しかし、教会を通して新たな風が吹いていて、すべての参加者に善意があれば、説明責任の重要なプロセスと構造を始め、すでにあるものを変革することができると、私たちは確信しています。さまざまな文化を適切に尊重しながら、具体策を迅速かつ普遍的なかたちで進めることができるように、新たな前進のステップをイメージし、決定を下すことができるようになります。子どもの虐待は、いつでもどこでも決して行われてはなりません。この点については、一切の妥協の余地はありません。

    4.教皇の指導力
     教皇の指導力が、鍵です。彼は、これまで、さまざまな分野で、その手腕を発揮してきました。彼は、虐待を受けた子どもたちの痛みを認め、謝罪の念を深めました。彼は被害者たちと面会しました。彼は自分の過ちに気づくと同時に、これらの被害者たちから学ぶ必要があることを認めました。私たちも、教皇の責務に協力し、これまでなされた過ちを謙虚に認め、告白します。被害者たちに手を差し伸べるために。虐待された人びとに寄り添う方法を、私たちは被害者たちから学びます。そして、彼らが自分たちの痛みの物語を私たちに聞かせたいと望んでいるという事実からも学ぶことが欠かせません。
     私たち自身の成熟のためにも、私たちは被害者によりよく耳を傾けるために最善を尽くすことを約束すると同時に、それがいつもそうであるとは限らないことを謙虚に認めます。今回の会議で決めたことを着実に実施します。

    5.子どもたちの安全を守る文化(セーフガードの文化)
     私たちは、教会と教会外のより広い社会において、これまでとは異なる文化の在り方を必要としています。つまり、私たちは子どもたちが大切にされ、子どもたちの保護が促進される文化を必要としています。新たな文化の在り方を創り出すためのステップは、以下のとおりです。
     (1)教育と医療:私たちが運営するカトリック学校や病院を通して、私たちは新たな価値観を生み出すことができます。これらの機関は現在、虐待の問題に対する認識が高まり、よりよい運営方針とより高い水準の保護のための対策が導入されています。これらの場所の子どもたちは、これまで以上に安全です。たしかに、すべての場合に当てはまるわけではありませんが、私たちの実践は他の人にとってのモデルになることがあります。
     (2)養成:私たちは未成年者や弱い立場にある成人の保護を修道会の養成プログラムに統合し、あらゆる段階で、養成者と養成を受けている人びとの両方にとって適切な指導および教育を確実に与えます。文化的な現状に挑戦する必要があります。先に述べたように、文化や背景がどうであれ、子どもの虐待は決して許されない、または容認できるものではないからです。
     (3)霊性(スピリチュアリティ):私たちは霊的指導の専門機関(スピリチュアリティ・センター)に、信仰を深め、人生の意味を問う姿勢で闘い、生きるうえでの助けを求めたいと切望するいかなる被害者に対しても特別な働きかけをするよう求めます。個人的な方法でイエスと出会うことが、私たち全員をいやすことができるものなのです。しかし、私たちはまた、聖職者および修道者に虐待されたことのある人は、教会そのものや教会を代表する人からも遠く離れたままでいたいと願うかもしれない、という事実をも理解しています。しかし、私たちは、それでも、いやしの旅を歩み始めたいという被害者がいることを知っています。そして、彼らと一緒に旅をするために謙虚に努力します。個人の成長といやしを強調する精神性があることそのものが、数多くの被害者たちにとって特別な贈りものとなり恵みとなるのです。その際に、これまで伝統的になされてきたような罪についての語り方には、特に注意が必要です。虐待された人びとは、しばしば罪悪感や恥や罪意識さえも持ってしまっており、自分を責めています。しかし、実際には、彼らにはまったく罪がありません。むしろ、彼らは「加害者によって被害をこうむった者」なのです。

     これらのステップを、私たちの修道生活をとおして展開される使徒職のなかで洗練させることで、教会全体の歩みを助けることができるようになります。

    6.回心
     教皇フランシスコは、虐待との戦いを妨げてきた聖職者中心主義の発想を厳しく戒めています。まさしく、虐待の根本的な原因の一つが聖職者中心主義なのです。それに加えて、伝統的な修道会および近代以降の修道団体における家族的な強い連帯意識が――このような家族意識は通常はとてもポジティブなことではあるのですが――虐待の事実を認めずに隠し、明るみに出すことを、より困難にする危険性をはらんでいます。修道会内の家族的な連帯意識が、誤った忠誠心、判断ミス、行動の遅れ、否認、時には隠蔽すら、もたらしました。私たちは、いまこそ転換すべきことを痛感しており、回心したいのです。私たちは謙虚に行動したいのです。だからこそ、これまでは死角にかくれていたことを直視すべきです。まず、権威の濫用を見直さなければなりません。私たちは、私たちが奉仕する人びとといっしょに旅をし、透明性と信頼を心がけ、誠実さを取り戻し、真摯な悔い改めをもって前進することを、ここに約束します。

    7.具体的な対策(リソース)
     ところで、具体的な対策(リソース)は常に緊急課題です。児童保護の実践を実施している社会を一目見ただけでも、政府の保健サービスでさえも十全たる具体的な対策(リソース)の提供に苦労していることがわかります。あらゆる資源(援助機関、人材など)が効果的かつ効率的に活用されるように、この分野で互いに協力する必要があります。伝統的な修道会および近代以降の修道団体は、被害者たちがいやされてゆくような人生の過ごし方をつづけてゆけるように、最も効果的な方法で手を差し伸べるように、修道者各人が被害者の方々に対して協力することを確実にできるように働きます。初期養成ばかりではなく、その後もつづく継続的な生涯養成は、おそらく私たちが一緒に働くことができる最も意味のある分野になり得ます。こうして、修道生活に新たに加わる候補者の選別の際にも、虐待問題を真摯に見つめるうえでのよりよい実践を目指しながら協力することができるようになります。このような識別は決しておろそかにできるようなものではなく、確実に実施されなければならないし、最高の品性を目指さねばならないものなのです。

    8.両親および女性が関わってくれるような体制づくりへの切なる願い
     私たちは虐待との闘いにおいて、何よりも両親たちの助けを求めます。彼らには、子どもの保護のために全力を尽くすという自然な本能が備わっています。親としての資質が彼らにはあります。それゆえ、彼らのアドバイスやサポートや専門知識が必要になります。修道者に対する親からの提言は特に歓迎されます。特に、私たちは母親の役割を強調します。女性こそが、虐待の症例を評価する際に、助言と援助を求められたならば、より強く、より速く、より効果的な行動を起こすことができるからです。もしも、女性の方々が支えていてくれたのならば、虐待の出来事の際の被害者からの申し立てに対する扱い方は異なっていたでしょうし、被害者とその御家族は多大な苦しみを免れていたことでしょう。

    9.被害者の方々へのメッセージ
     最後に、最も重要なことではありますが、私たち修道者は被害者の方々とその御家族に心からのメッセージを贈りたいのです。私たちは、これまで、虐待の問題に対処するための努力が足りず、不適切な対処しかしてきませんでした。そして、あなたの苦痛を理解する能力を鍛え上げてはきませんでした。まことに恥ずべき欠如があったことを認めます。心からおわびをいたします。申し訳ありません。私たち修道者は伝統的に善きわざを行ってもきましたが、不充分でした。どうか今後も私たち諸修道会の誠意を信じてくださるように御願いいたします。虐待がおよぼす悪影響を最小限に抑えるためにも、どうか私たちと協力して新しい体制を整えてください。
     これから教皇が開催する会議は未成年者の保護に焦点を当てます。しかし、最近のメディアの注目は、修道会の兄弟姉妹同士、神学校の神学生や叙階候補者や指導司祭のあいだでも起こっている虐待や搾取にも焦点を当てています。これは重大で衝撃的な問題です。私たちは、効果的な対応策を見つけるために、全力で取り組むことを、ここに誓います。私たちは、修道会への入会を寛大に申し込む人、あるいは神学校で訓練を受ける人が、よりよき養成上の配慮を与えられ、神や隣人を愛したいというまごころを養えるような安全な場所に住めるように心がけます。 [2019年2月20日 阿部仲麻呂 試訳]

    ■教皇フランシスコ「未成年者の保護に向けて;反省すべき21箇条のポイント」
     教皇フランシスコは「教会における未成年者の保護」に関する司教会議の作業を支援するために共有したいと願う「反省すべき21箇条のポイント」を木曜日(2019年2月21日)に参加者に対して提示しました。
                                             
     バチカンで開催されている「教会における未成年者の保護」に関する司教会議の冒頭部で、教皇フランシスコは参加者といくつかの「ガイドライン」を共有しました。これから数日間にわたって参加者の仕事を助けるために。その「ガイドライン」には、様々な委員会や司教会議によってあらかじめ策定されていた反省点が反映されたうえで、「21箇条のポイント」に集約されています。
    教皇は「これらの21箇条を会議の出発点として素直に受け入れたうえで、しかも絶えず念頭に置いて、創造的な話し合いを心がけるように」と、参加者に切に求めました。
                                              
     それでは、以下に、「反省すべき21箇条のポイント」を掲げておきましょう。

    1.一つの案件が生じた場合に、当局の管理下で、しなければならない事について順序立てて説明する実用的なマニュアルを作成すること。

    2.訓練を積んだ有識者や専門家をも含めて構成されたチームを任命し、被害者に対してじゅうぶんに耳を傾け、その案件に関する最初の識別を行う場を設けること。

    3.生じた案件に対して司教および修道会の長上がじかに関与するための規範を定めること。

    4.訴えられた事柄に関する調査、被害者の保護、被害者と加害者の双方がそれぞれ弁護されるための共通の権利を確保すること。

    5.民法と教会法の両者を尊重し、市民社会における当局と教会の責任者の双方に通報すること。

    6.あらゆる司牧現場において、未成年者のために安全な環境を保つために、定期的に諸規則を点検すること。その際に、教会の使命において、この案件が教会の基本姿勢に沿うかたちで、あらゆる規範や規則は何よりも正義と慈愛の原則にもとづいて統合されていなければならない。

    7.司教が告訴された場合に特化した対処の仕方や手続きを整えること。

    8.被害者がじゅうぶんにいやされるために必要な、あらゆる支援を提供しつつも彼らに同伴し、彼らの保護および配慮(ケア)を心がけ、彼らのじゅうぶんな回復を目指すこと。

    9.司教・修道会の長上・司祭・司牧現場の協働者(信徒)の生涯養成に努めることで、性的虐待の原因および性的虐待がもたらす結果に関しての認識を継続的に深めさせること。

    10.被害者が共同体に戻れるような司牧的配慮(ケア)のプロセスを気遣うとともに、加害者の回心と更生のためのプロセスをも整えること。

    11.真正なる場合なのか虚偽の場合なのかを峻別し、告訴なのか中傷なのかを適正に区別するために、善意のあるあらゆる人びとやマスメディア関係者との協力を緊密なものとすること。その際に、侮辱や噂や名誉毀損につながるような中傷を避ける必要がある(具体例として、2018年12月21日になされた教皇フランシスコによる教皇庁における訓話を参照すること)。

    12.結婚ができるようになる最低年齢を16歳まで引き上げること。

    13.性的搾取あるいはパワーハラスメントをめぐる調査や教会裁判上のさまざまな段階においてなされる審議の際に、信徒身分の専門家の参加をも認め、彼らの参加が容易になるようにする規定を設けること。

    14.被告人にとっての防御の権利を認めること。つまり、最終的に有罪が立証されるまでのあいだ、自然法および教会法上の無罪を仮定する原則を保つようにすること。それゆえに、告訴されるより以前に、被告人のリストが公になるのを防ぐために留意する必要がある。慎重な予備調査を心がけることによって、被告人が必要以上の非難を受けないように努め、冤罪を生まないようにするべきである。

    15.未成年者に対する性的虐待を犯した司祭や司教は、犯した罪に対応するかたちで罰を受けるという伝統上の原則を遵守し、公共の場で聖職者としての職務を遂行させないこと。

    16.教区神学生や司祭および修道候補者に対して、人間的・霊的・性心理学的な成熟度を査定すると同時に、それ以上に人間関係の人格的な取り結び方や適切な態度の取り方を深めさせるための初期養成および生涯養成のプログラムを導入すること。

    17.司祭候補者や修道候補者に対して、専門家による心理的な鑑定を施すべきこと。

    18.教区神学生や修道志願者を、ある神学校から別の神学校へと異動させたり、あるいは司祭や修道者を、ある教区から別の教区や修道院へと異動させる際の規定を公開すること。

    19.聖職者・修道者・教会の奉仕者・ボランティアのために、相手との関わりを正常に保つうえでの適切な態度のとりかたの基準を文書化し、適切な人間関係の保ち方に資する許容範囲を説明すること。そして、関係者やボランティアに対して必要な資格要件を明確に示し、彼らの犯罪歴の記録を確認しておくこと。

    20.虐待が生じそうな危険性や発生状況に関して、虐待の証拠をどのようにそろえるのかに関して、性的虐待の嫌疑がある場合にどのように見究めて訴えればよいのかに関して、すべての情報やデータを社会的に公開すること。その際に、両親・教員・専門家・市民社会の当局の連携協力が不可欠である。

    21.まだ相談窓口が整っていない場合に、虐待をこうむった被害者が実情を訴えやすいように、気軽に連絡しやすい機関を早急に開設すべきであること。つまり、あらゆる犯罪を報告できるような窓口を設けるべきである。そのような機関は、他の機関に従属することのないように独自の自治権を備えておかなければならない。しかも、必要に応じて、それぞれの地域の教区の責任者や専門家(聖職者や信徒)との連携もとらなければならない。
    さらに、聖職者による不適切な態度によって気分を害した人びとに対して、教会は細心の注意を払って関わらなければならない。 [2019年2月22日(金) 阿部仲麻呂 試訳]

    • 高橋様
       アイメイト、よろしくお願いします。コメント歓迎します。お待ちしています。  カトリック・あい 南條

      • 高橋様
         先日アイメイトに登録させていただきました。引き続きコメント、できれば、コラム用に投稿お願いします(僭越ながら、本誌の趣旨と反することの無いように、事前チェックさせていただくこともありますので、ご承知おきください)。それとアンケートもよろしく。締め切りは10月15日です。 カトリック・あい 南條

  4. 元イラン大使を刑事告訴 テヘラン公邸で強制わいせつの疑い(産経新聞)
    2019.4.13 19:10|社会|事件

     駐イラン大使を務めた駒野欽一氏(72)に平成24年、テヘランの大使公邸でキスなどをされたとして、元部下の女性が強制わいせつ容疑で警視庁に刑事告訴し受理されたことが13日、女性の代理人弁護士への取材で分かった。
     平岩佑彦弁護士によると、駒野氏はイラン大使離任前日の24年10月14日、公邸で女性と夕食会を開いた。終了後に「コーヒーを飲もう」と自分の執務室に誘い入れ、女性を抱き寄せて頬にキスしたとされる。外務省官房長は25年2月、セクハラ行為に当たるとして口頭注意したという。
     女性が外務省に詳細な調査を求め、今年3月に告訴状を提出。告訴状ではキスされただけではなく、胸や太ももを触られたと主張している。女性は「急性ストレス反応」との診断を受け一時休職した。
     駒野氏は昭和45年に外務省入省。駐アフガニスタン大使などを経て、平成22年から駐イラン大使を務めた。

  5. 「カトリック・あい」代表 南條俊二様

    主の平和

    わたくしキリスト教放送局日本FEBCの制作部・丸山と申します。
    実は今日は南條様に、是非とも私どものインタビュー番組にご出演頂きたく願い、こちらのフォームをお借りしてご出演依頼をさせて頂きました次第です。

    私どもFEBCは、既にご存知でいらっしゃるかも知れませんが、ラジオとインターネットでキリスト教の放送をしている超教派の伝道団体です。
    日本語放送も65年も超える歴史を数えました。カトリック・プロテスタントの垣根を超え、多くの優れた神父様や牧師先生が番組を担当して下さっております。
    特にカトリック教会からは、百瀬神父様、岩島神父様、雨宮神父様、幸田(元)補佐司教様など、本当に深い霊的導きを番組ご出演の形でご指導頂き、現在に至っております。
    また、主日礼拝(プロテスタント)の番組や、信徒の方へのインタビュー番組など、20を超える多彩な番組を放送しております。
    (ラジオは、毎夜9:30〜10:45、 AM1566kHzにて、また、インターネット放送はwww.febcjp.com で毎日更新しており、webからも放送をお聴きいただけます。)

    私どもFEBCの願いは、ただ主イエス・キリストの良きおとずれ<福音>を、まだご存知のない方にお伝えすること、また、信仰に生きることの真の一致と喜びを分かち合いたい、ということでございます。
    バックに財団や企業などは全く無く、ただ「キリストを伝えたい」と願う方々の献金のみによって65年を超えて運営出来ていることは、神様の奇跡であり、私どもの誇りでもございます。

    私ども、「カトリック・愛」の御ホームページを拝見させて頂き、常に神ご自身の憐れみの視点から展開されていることに、大切なことを学ばされています。
    この度のスリランカの痛ましい事件についても、早々とフランシスコ教皇の声明などをご紹介下さり、この現代にあって、全世界の教会の一致のための尊いお働きでいらっしゃることを強く思わされております。
    そこで、この「カトリック・愛」の代表者でいらっしゃいます南條様に、「カトリック・あい」のことももちろんなのですが、それと共に、
    南條様ご本人のことについてもインタビューでお話を伺わせて頂きたいのです。
    これまでずっと尊いお働きを続けて来られている南條様に失礼になってはいけませんが、南條様がこれまでどのように神様に導かれて歩まれていらっしゃったのか、
    また、今、教皇様のメッセージを私どもに届かせようとして下さっている(「創刊の趣旨」)その思いなどについても伺わせて頂けましたら大変に感謝でございます。
    この秋に来日されることに伴い、私どものホームページでも何か出来ないものかと考えておりますので、何かご教示頂ければ嬉しくも思っております。
    (余談ですが、南條様のご本は、エレミアスの『イエスのたとえ話の再発見』も拝読させて頂き、とても現代人に読みやすく、理解を深めさせて頂き、感謝しております)。

    本来でしたら、封書にて「インタビュー番組ご出演依頼書」をお送りすべきだと思いますが、この「お問い合わせ」のフォームをお借りして、私どもの思いをまず伝えさせて頂きました。
    (送り先をお教え下さいましたら、封書で私どものパンフレットやご出演依頼書をお送りさせて頂きたく存じます)。

    なおこのインタビュー番組は、いわゆる生放送ではございませんで、一時間ほどお話を伺い、それを後から25分ほどに編集させて頂くものでございます。
    FEBCのオフィスとスタジオは、武蔵野市にございますので(最寄り駅・三鷹)、いつか平日でご都合の良いお時間、スタジオまでご足労頂けませんでしょうか?
    http://www.febcjp.com/about_febc/febc_towa/map_info/
    インタビューは、経験豊富なキリスト者のスタッフが担当させて頂きますのでどうぞご安心下さい。
    スケジュールにつきましては、ご相談させて頂ければ幸いに存じます。

    また、このことでご不明な点がございましたら、わたくし丸山までお尋ね下さればと思います。

    唐突なお願いで誠に恐縮でございますが、
    ぜひ前向きにご検下されば幸いに存じます。

    南條様の上に、ご復活の主の恵みが豊かにございますよう、お祈りしております。

    キリスト教放送局日本FEBC
    制作部・丸山 勉
    maruyama@febcjp.biz

  6. 三位一体の御交の命に感謝
    拝読いたしております.私はLGBTCJの共同代表です.
    講演にございます「キリスト者のあかしとつまずき――虐待の原因・解決策」(阿倍仲麻呂師)の,タイトルとURLだけLGBTCJのFACEBOOKコラムにて紹介してもよろしいでしょうか.
    先日の竹中氏と高見大司教の握手の現場を最前列でみとめておりました.
    何卒ご検討くださいますよう宜しくお願い致します.

      

  7. 下記の事柄をコメントとして、記します。

    司祭の幼児性的虐待については、今年の2月、ローマで司教会議が開催されたが、何ら解決らしきものは見出せなかった。
    まあ、私は一信徒にすぎませんが、このまま、物事をいい加減に扱うなら、益々、教会から離れる人が増加するでしょう。
    否、若い人は、もう、「カトリック教会」を相手にしないでしょう。
    何時までも、訳も分からない「権威」の上に胡坐をかいておれば、結果は、もう、見えています。
    まだ記したい事はありますが、今回はこの辺で止めておきます。

  8. 教皇様が来日されますが、日本の教会として、どういうテーマでお迎えするのか?司教団が教皇来日を招請した目的は何なのか?日本の教会の将来を展望した何かのテーマがあるのか?知りたい。今更、おそいかもしれませんが。

    • 八鍬さま
       テーマは、「カトリック・あい」でも載せていますが、明確かつ具体的なメッセージはうかがえません。根本的な問題は、司教団が明確な日本の教会の将来展望を持っていないことに尽きるのですが、この様に言ってしまうと実もふたもないのですが、来日のスケジュールはバチカンと日本の外務省、それと電通、だといってよい状態です。司教団にリーダーシップがあるとは言えないのです。個人的には、この様な状態の中で、教皇を実質2日強という強行日程でお呼びするのは反対でした。おいでになる以上、精いっぱいお迎えしたいと思いますが、誰かさんが懸念して、小生も懸念しているような「スーパースターの一大イベント」に終わることになる可能性が高いように思われます。 南條

  9. 南條俊二さま

    お忙しいところ、大変恐れ入ります
    東京新聞の記者をしております、岩崎ともうします
    法王訪タイの関係で調べているのですが、阿部羊子さまとご連絡をとることはできませんでしょうか
    メール iwasak.k@chunichi.co.jp
    携帯 0818216754 になるのですが

    ご検討いただけませんでしょうか
    よろしくお願い申し上げます

  10. カトリック長崎大司教区で,ある女性信徒が,司祭から猥褻行為を受けた.加害者は職務停止の処分を受けたが,その処分は公表されていない : https://www.jiji.com/jc/article?k=2019112200171&g=soc
    長崎県在住のあるカトリック女性信徒が「神父に体を触られた」などと性的被害を訴えていることが,11月22日、関係者への取材で分かった。長崎大司教区は,問題の司祭を聖職停止にしたが、教区の信徒には処分を公表せず、彼の不在の理由を「病気療養中」とだけ説明。関係者は,「問題行為を明らかにしなければ、再発防止にはつながらない」と懸念している。
    カトリック聖職者による児童や女性に対する性的虐待は世界各地で問題となっており、教会の組織的な隠蔽が批判を浴びている。23日に来日するフランシスコ教皇は,本年5月、信頼回復に向け、事案を把握した場合はバチカンへの報告を求める教令を発出している。
    複数の関係者によると、加害者である司祭は40歳代.2018年5月、彼が司祭を務めていた長崎県内の教会に被害者を呼び出し、抱き付いたり、体を触ったりする猥褻な行為をしたとされる。被害者は PTSD と診断され、長期の入院を余儀なくされた。
    被害届を受理した長崎県警が,強制猥褻容疑で捜査している。
    加害者は,面会した教区幹部に,「被害者や教会に大変な迷惑を掛けた」と話した。時事通信の取材には,「何も申し上げられない」と答えた。
    ******
    日本のカトリック教会にも,あらゆることがらに関して,透明性と説明責任が求められているのに,このような隠蔽は社会的信頼を失わせるだけである.
    高見三明大司教様は,1960年代に起きたドイツ人司祭による児童に対する性的虐待事件の被害者が本年02月に名のり出た際には,とても誠実に対応なさっていたのに,今回の事件に関しては どうしたのだろう?教皇訪日の準備に忙しい彼に,まわりの者たちが事件のことを知らさなかったのだろうか?

    • 纐纈康兵さま
       ご連絡ありがとうございます。ちょうど長崎に教皇が入られる直前。情けない話です。時事報道としてカトリック・あいに掲載させてもらいました。 南條

  11. 雑感として以下の事柄を簡単に明記したい。尚、当方、今年で80歳になり、もう公の書に記す事を最後にしたいと考えています。従いまして、雑感としては少々長文になるかもしれませんが、編集をされる方々には何卒ご寛容をお願いしたい。
    一信徒が、カトリック教会に対して次のような事を述べても、悲しいかな「ごまめの歯軋り」にもならないであろう。カトリック教会の司祭による幼児性的虐待については、多くの報道機関から報道がなされ、もう少なからず多くの人がご承知かもしれませんが、この問題を述べてみます。 
    最近、海外から帰国した友人と色々と話をしたが、その中で、案の定、この司祭の問題が話題になり、友人曰く、「カトリック教会には、もう、神も、イエス・キリストも、聖霊も居ないのではないか」と言われ、当方には返す言葉がなかった。こう言われ、確か、フランスの人類学者、エマニュエル・トッドはこれを「信仰システムの崩壊」と明言したが、勿論、これは狭義の既成宗教の崩壊を意味はしないが、「人々に存在の意義・意味」を与える事が不可能になったと事を言っていると思われる。が、カトリック司祭の「幼児性的虐待」が、現実の社会に於ける他の何等かの組織体の中で同様な事が行われたら、その組織体は破綻するだろうし、又、社会そのものが、その様な組織体の存在を許さないであろう。この忌まわしい事柄は半世紀に渡って行われている。
     教皇ピオ12世は、かって、「教会はキリストの神秘体である」と発言したが、幼児性的虐待を行う司祭が存在する教会が、何故、「キリストの神秘体」なのか?大雑把な言い方をするが、確か、トマス・アクィナスの神学によれば、サクラメントを執行する司祭がどれだけ汚れていようが、神の恩寵は人々にもたらさると説明する。この際、司祭は単なる「道具」、水道の管のようなものと言うのである。この説明は確実に詭弁であり、虚偽であろう。このような言説で人々を納得させる事はもはや、不可能である。知性の犠牲を強いる如何なる教えにも、敢然と「否」と言うべきであろう。
     今年の2月、現教皇、フランシスコは司祭による「幼児性的虐待」問題を集中的に話し会う為に、各国の司教を招集したが、解決らしい結果はなかったと思う。問題をどのように、処理し、又、その対策をどうするのか、その説明は無かった。
     この問題は被害者の「トラウマ」を考えたら、とても安易に考える事は出来ない。カトリック教会は、所謂、「性」の問題をいとも簡単に考えた。人間の実存的生と密接に繋がっている「性」を所謂、肯定的には思考しなかった。この事を、スイスの深層心理学者、C・G・ユングは「キリスト教は性の問題」を解決していないと述べた。けだし、明言であろう。カトリック教会は「性」の問題に対して真正面から対峙しなかった。カトリック教会の司祭が「幼児性的虐待」を行った事は、皮肉を込めて言えば「身から出た錆」とでも言えようか。神からの召命、使命を受けて独身の司祭になる。司祭は、今一度、この自己奉献とも言うべき事柄を謙遜さを持って黙想する必要があろう。
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    上記の文は、今年7月に発行された「南山宗教文化研究所」所報の「旧師旧友」の項に記載されたものです。

                                             

  12. キリスト教の所謂「性」について、ことの「是非」は別にして、以下雑感:この事柄を勇気を持って最初に語ったのは、多分、S・フロイドをおいて他にいない。キリスト教と言う「宗教」がかくも「性的」な事柄を「抑圧」した事実を「深心理学」から解明したのは、フロイドと言っても過言ではなかろう。最近の聖職者による「性的幼児虐待」をみるまでもなく、古来からこの事象は「枚挙にいとま」がない。20世紀を代表する「神学者達」も御多分に漏れず「性的逸脱者」であった。そもそも、その原因は何処にあるのか、、、?大まかに言えば、パウロの影響を強く受けたアウグスティヌスは後のキリスト教思想の礎を築いた人であろう。
    が、誤解を恐れずに言えば、新約時代からアウグスティヌスに至る迄に勘案された「性的」な事柄を、人間に根差す「原罪」に置き換え、全ヨーロッパに網をかける如く、宣教がなされ、その基を築いたと言えば、御専門家から批判を浴びるだろうか、、、?が、結果はその「原罪意識」が抑圧され、「潜在意識化」され、人を絶えず束縛してきたのが現状であろう。キリスト教は「性」に関して、全く「真の自由」を与えなかった。この事柄を敷衍すれば、人間そのものを「自由」にしなかったと言っても過言でなかろう。この時代遅れも甚だしく、現状認識に著しくズレているのが、現今のキリスト教ではなかろうか、、、?はたまた、「賞味期限」切れが、昨今のキリスト教なのだろうか、、、?
    賢明な諸氏に一考、願いたいが、まあ、笑って放念して下さって結構ですよ。

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    上記の文は、昨年6月に発行された「南山宗教文化研究所」所報の「旧師旧友」の項に記載されたものです。

  13. 南条俊二様

    突然のメールをご容赦下さい。実は、昨年、南条さんが翻訳された「イエスのたとえ話の再発見」を読みました。が、簡単に読破出来ると思って、読みかけたのですが、この書はそんなに簡単に読める代物ではない事が解り、今も再読しているところです。私の事を述べるのは、僭越なのですが、私の専門は「組織神学」(カトリックでは教理神学でしょう)です。が、私が一番驚いたのは、この様な翻訳の出来るカトリックの信徒が存在する事でした。
    法政・立教・上智、米国(Graduate Theological Union)等で神学の勉強をしました。が、アメリカから帰国して最初に感じた事は「日本のカトリック教会」の進歩のなさでした。多分、それは第二ヴァチカン公会議以前の様でした。
    今回、フランシスコ教皇が日本を訪れ、数々の「話」をしましたが、考えてみれば、あれくらいの「話」は当然だと思います。
    もう、私、この老人の時は終わりを迎えているでしょう。
    南条さんは、未だ未だお若いです。どうか、ご健康に留意され、良き活動をされる事を願っています。
    勿論、この「コメント」は公開しないで下さい。南条さんにメールを差し上げかったのですが、アドレスが解りませんでしたので、この「コメント」欄を利用しました。悪しからずご了承ください。又、何かを報告します。
    では、お身体を大切になさって下さい。

    纐纈康兵拝

    • 纐纈康兵さま
       小生のアドレスはandynanjo@gmail.comです。ご参考までに。 南條

  14. アイメイト登録を希望します。当方、何分にも、老齢の為、Web上の事が解らず、いきなり「コメント」を残し大変失礼いたしました。

    ==========

    氏名:纐纈 康兵(コウケツ コウヘイ)
    メルアド:gnade_grace3600@kih.biglobe.ne.jp
    ☎:0465-60-1074

  15. ネット上で下記の記事を見たので、一応、載せる事にした。尚、真偽の程は各個人で検証されたし。尚、詳細は(カトリックウィーン発『コンフィデンシャル』)を参照の事

    聖職者の性犯罪6000件の「重み」

     バチカン・ニュース独語電子版は12日、「バチカンは2001年以来、聖職者が犯した未成年者への性的件数6000件を調査してきた」と発表した。同数字はバチカン信仰聖省刑法担当、教会法学者、スパインのジョルディ・ベルトメア氏(Jordi Bertomea)がスペインの雑誌「パラブラ」の中で明らかにしたものだ。

     同氏によるとバチカンの調査は過去50年間まで遡ったもので、「カトリック教会聖職者の性犯罪は恐ろしい犯罪だが、性犯罪はカトリック教会の聖職者だけの特有の犯罪ではない。多くの性犯罪は家庭内で行われている。他の宗教団体でも生じている」と弁明している。

     そのうえで、「カトリック教会の場合、世界に約46万人(教区神父、修道僧、助祭など)の聖職者がいるが、その性犯罪発生率は低い」と主張し、「聖職者の性犯罪が教会の独身制と関係があるという主張は実証されていない」と述べているのだ。ちなみに、同氏は2018年、フランシスコ教皇に南米チリ教会の性犯罪の特別調査官に任命されている。

     同記事を読んで少々驚いた。先ず、「バチカンは2001年以来、6000件の聖職者の性犯罪を調査してきた」という。この数字は実際起きた聖職者の未成年者への性的虐待総数の氷山の一角に過ぎない。米カトリック教会だけでも5桁の性犯罪が起きているからだ。

     例えば、独カトリック教会司教会議が昨年まとめた報告書によると、同国で1946年から2014年の68年間で3677人の未成年者が聖職者によって性的虐待を受け、少なくとも1670人の神父、修道院関係者が性犯罪に関与したというショッキングな内容だ(「独教会『聖職者の性犯罪』をもみ消し」2018年9月14日参考)。

     次に「性犯罪はカトリック教会だけで起きているものではない。家庭内で最も多く起き、他の宗教団体でも起きている」と説明する。同氏の発言内容は間違っていないが、その主張には「神の教えを伝え、愛を唱える」世界最大のキリスト教会、ローマ・カトリック教会という看板を下ろすならば納得できるが、実際はそうではない。神の教え、愛を唱える最大のキリスト教会で起きた性犯罪だ。それを恣意的に無視し、性犯罪を相対化し、「性犯罪はどこでも起きている。カトリック教会特有の問題ではない」という論理を展開させている。

     最後に、「聖職者の性犯罪と聖職者の独身制とは関係がない」と述べている点だ。実際は、カトリック教会関係者の間ですら「独身制との関係がある」という声がある。独身制の廃止を訴える聖職者が多くいる。同氏の主張はそれらの現実を無視している(「『独身制』について現場の司教の声」2017年8月13日参考)。

     同氏は聖職者の6000件の性犯罪の重みを他の社会層と比較することで相対化している。実数は6000件以上だが、6000件としても、その件数は驚くべき数字だ。

     聖職者によって性的虐待を受けた未成年者の「その後の人生」を考えるべきだ。その中には自殺した者もいる。トラウマを払しょくできずに日々、苦しい生活をしている犠牲者の証をどのように受け止めているのか。

     バチカンが17日明らかにしたところによると、フランシスコ教皇は聖職者の未成年者への性的犯罪を今後、教会内で留めず、隠ぺいを認めないという。聖職者に課せられた「守秘義務」の放棄を意味する。同教皇の決定は評価すべきだが、「何をいまさら」といった批判的な声が多い。当然だろう。教皇の「守秘義務放棄」宣言は6000件の聖職者の未成年者への性的虐待事件後にようやく出てきた決定だからだ。

     問題は深刻だ。フランシスコ教皇の周辺を振り返ればよくわかる。フランシスコ教皇の信頼を得て財務省長官を務め、バチカン・ナンバー3の地位を享受してきたオーストラリア出身のジョージ・ぺル枢機卿(78)は現在、2人の未成年者への性犯罪で6年の有罪判決を受けている。同教皇の友人、米ワシントン大司教区のテオドール・マカーリック前枢機卿(88)に対し、バチカン教理省は今年2月16日、未成年者への性的虐待容疑が明確になったとして、教会法に基づき還俗させる除名処分を決定した。

     バチカンは今年2月、世界の司教会議議長らを集めて聖職者の性犯罪への対策について協議した。聖職者の性犯罪の多発で教会への信頼性はガタ落ちだ。様々な対応策が出てきたが、決定打はなく、状況に大きな変化はない。

     駐仏のバチカン大使、ルイジ・ベントゥ―ラ大司教(75)は2人の男性に性的行為をした容疑でフランス検察当局に調査を受けている、という情報が流れたばかりだ。フランシスコ教皇は今月17日、同大司教の辞任を受理している(バチカン・ニュース12月17日)。

     世界に約13億人の信者を抱える組織の大きさは別として、6000件の性犯罪を犯したメンバー、職員、聖職者を抱える団体は存続できるだろうか。ローマ・カトリック教会でなければ、そのような団体はとっくに組織犯罪グループとみられ、解散命令を受けているだろう。

     厳しい表現となったが、教皇の「守秘義務放棄」の表明は教会が過去、聖職者の性犯罪を隠蔽してきたことを裏付けるだけだ。ただし、明確にしなければならない点は、ローマ・カトリック教会の実態から「神の存在」を論じてはならないことだ。残念ながら、「神」はもはや「教会」という組織から離れてしまっているからだ。

    • 本日いきなり、住所とアドレスを抹消する、しなければ関係組織に相談する、というおかしな連絡が入ってきましたが、これは何でしょうか。とりあえずスパムの処理をしましたが。  南條

      • 南條俊二様、

        私はその様な変な文章を送信していませんが、ただ、当方に一つ心当たりがあります。私のPCを勝手に操作した人物がいますので、原因はその人物だと思います。当方の完全な不注意でした。今回の事は何卒、ご寛容にお願いします。今後、かような事が起きない様に重々注意して参りますので、宜しく、お願い致します。南條さんの方には大変ご多忙の所、真にすみませんでした。心からお詫び致します。
        何時か、南條さんとお会いしたく思います。では、くれぐれもお身体大切になさって下さい。

        纐纈康兵拝

  16. 聖職者の性虐待、被害深刻 国内調査、実効性に疑問も 解明進まず・カトリック教会
    12/28(土) 14:34配信

    聖職者による児童性虐待の被害を訴える竹中勝美さん=6日、東京都内
     世界各地のカトリック教会で深刻化する神父による児童性虐待が、国内にも飛び火している。

     被害者が実名で名乗り出る中、日本カトリック司教協議会は6月、全国調査を開始。ただ、第三者を入れない閉鎖的な調べ方に批判も多く、実態解明につながるかは不透明だ。

     「協議会は性虐待問題に消極的だ」といらだちを強めるのは、国内で唯一、実名で被害を訴える竹中勝美さん(63)。東京都内の児童養護施設で暮らしていた10代の初め、ドイツ人神父(故人)から日常的に呼び出され、下半身を触らせられるなどしたという。

     当時は性虐待との認識がなく、「親の愛情を知らずに育った私にとって、ぬくもりすら感じた」と話す。忌まわしい記憶は脳裏に封印されたが、34歳だった1991年、1歳の子どもを風呂に入れている時、被害状況が鮮明によみがえるフラッシュバックに見舞われた。以来、突然大声が出たり、死ぬことを考えたりするなどの後遺症に苦しみ続けた。

     「沈黙は許されない。加害者を守ることにつながるから」。2018年、定年退職などをきっかけに実名で被害を告白した。「神の道を説く聖職者が子どもを地獄に落とした」と訴え、同協議会などに児童性虐待の実態調査を働き掛けてきた。

     同協議会は02年と12年に聖職者の性虐待を調査したが、再発防止に向け加害神父の情報を教会幹部間で引き継ぐなどの対応は取られなかったという。 

    最終更新:12/28(土) 16:46
    時事通信

    • 返信
      纐纈康兵 どの
       年末から年始と子供たちと孫たちが入れ替わりに来て大変な騒ぎで・・ 返信が遅れました。いただいた時事のことですが、昨年秋までに司教協議会の担当部署に全国から21件の被害申し出があったようですが、なさけないことにいまだに情報の精査も、対応もまとめることができないでいるようです。しかも、「カトリック・あい」で載せましたが、「教皇来日に合わせるようなことはしない」というような、言わずもがなの、意味不明の“声明”だけは出している、という、あほらしい、というしかない対応です。このまま放っておくようであれば、対応を考える方針です。編集会議では毎月、この問題をチェックしています。今年もよろしくお願いします。南條

      • 南条俊二様

        態々、返信メールを下さり、恐縮致しております。そちら、色々と御多忙と思います。
        どうかお身体大切になさって下さい。
        本年もよろしくお願いします。

        纐纈康兵拝

        追記:南條さんのFacebookに「友達希望」を書きました。

  17. 日本司教団は中村哲氏の「追悼ミサ」を行うべきだったと思う。日本カトリック司教団は何を考えているのだろうか?
    この集団は無為無策の集団なのか。

  18. 返信
    纐纈康兵 どの
     年末から年始と子供たちと孫たちが入れ替わりに来て大変な騒ぎで・・ 返信が遅れました。いただいた時事のことですが、昨年秋までに司教協議会の担当部署に全国から21件の被害申し出があったようですが、なさけないことにいまだに情報の精査も、対応もまとめることができないでいるようです。しかも、「カトリック・あい」で載せましたが、「教皇来日に合わせるようなことはしない」というような、言わずもがなの、意味不明の“声明”だけは出している、という、あほらしい、というしかない対応です。このまま放っておくようであれば、対応を考える方針です。編集会議では毎月、この問題をチェックしています。今年もよろしくお願いします。南條

  19. ネット上で下記の記事を見たので、一応、載せる事にした。尚、真偽の程は各個人で検証されたし。尚、詳細は(カトリックウィーン発『コンフィデンシャル』)を参照の事。
    2020年01月16日06:00
    独身制の是非で新旧教皇の不協和音
     近代教皇の中で最高峰の神学者といわれた前教皇、べネディクト16世がギニア出身の保守派代表ロバール・サラ枢機卿(典礼秘跡省長官)と共に独身制に関する本「Des profondeurs de nos coeurs」(仮題「私たちの心の底から」)を書いたが、出版前から大きな話題を呼んでいる。
     
     具体的には、2013年に生前退位した前教皇は本の中で聖職者の独身制を擁護するだけではなく、独身制廃止に迎合する一部の高位聖職者の姿勢を厳しく咤していることが明らかになり、バチカン関係者はショックを受けている。独身制の廃止を考えるフランシスコ教皇への警告ではないか、といった憶測すら飛び出している。仏語の原本は15日、発表され、イタリア語版、英語版などがそれに続く予定という。

     問題の発端は、昨年10月 ローマ・カトリック教会総本山、バチカンで開催されてきたアマゾン公会議で最終文書〈30頁)が採択されたが、その中で「遠隔地やアマゾン地域のように聖職者不足で教会の儀式が実施できない教会では、司教たちが(相応しい)既婚男性の聖職叙階を認めることを提言する」と明記されていることにある。

     同提言は聖職者の独身制廃止を目指すものではなく、聖職者不足を解消するための現実的な対策だが、聖職者の独身制廃止への一歩と受け取られている。欧米教会の改革派を鼓舞し、独身制廃止への要求が一層高まることは必至だ(欧米教会では家庭を持っている常任助祭が聖職を代理行使する場合があるが、アマゾン地域の教会では助祭制度が定着していない)。

     べネディクト16世は本の中で、「神父の独身制の価値をおとしめる悪い嘆願や、芝居がかった悪魔のような虚言、時のはやりに押されて教会は揺さぶられている」と警告し、「私個人の立場から言えば、独身制は教会への神の贈物だ」と述べている。

     同16世によると、「聖職と独身制は最初から神と人間の新しい結合であり、イエスがもたらしたものだ。西暦1000年頃のキリスト教会では既に聖職に従事するためには男性は独身を義務付けられていた」という。

     独身制問題ではべネディクト16世の発言内容は現教皇フランシスコのそれとは明らかに違う。同16世の個人秘書であり、フランシスコ法王の秘書(法王公邸管理部室長)を務めるゲオルグ・ゲンスヴァイン大司教は14日、「前法王はサラ枢機卿と出版先に対し、自分の名前と写真を掲載しないように強く要請した。べネディクト16世は出版された新著のような形式(共著)で公開する考えはなかった」と説明、「誤解があった」と語っている(バチカン・ニュース)。

     ちなみに、仏日刊紙フィガロとのインタビューでサラ枢機卿はアマゾン公会議の最終文書の内容について、「アマゾン地域の特殊性を利用して独身制をなし崩しにしようとしている」と批判したうえで、「聖職と独身制には聖礼典的繋がりがある。その繋がりを弱めようとする試みはパウロ6世(在位1963~78年)、ヨハネ・パウロ2世(1978~2005年)、べネディクト16世(2005~13年2月)の教えに反する。フランシスコ教皇にはそのような試みから私たちを守るようにお願いしたい」と述べ、「既婚男性の聖職叙階は牧会上のカタストロフィーだ」と語っている。

     独身制問題では高位聖職者で意見が分かれていることは周知の事実だ。バチカン法王庁のナンバー2、国務長官のピエトロ・パロリン枢機卿は、「聖職者の独身制について疑問を呈することはできるが、独身制の急激な変化は期待すべきではない。教会の教義は生き生きとしたオルガニズムだ。成長し、発展するものだ」と述べ、「教会の独身制は使徒時代の伝統だ」と指摘、独身制の早急な廃止論には釘を刺したことがある。

     明確な点は、ローマ・カトリック教会の聖職者の独身制は教義(ドグマ)ではないことだ。「イエスがそうあったように」、イエスの弟子たちは結婚せずに聖職に励むことが教会の伝統と受け取られてきた。

     キリスト教史を振り返ると、1651年のオスナブリュクの公会議の報告の中で、当時の多くの聖職者たちは特定の女性と内縁関係を結んでいたことが明らかになっている。カトリック教会の現行の独身制は1139年の第2ラテラン公会議に遡る。聖職者に子供が生まれれば、遺産相続問題が生じる。それを回避し、教会の財産を保護する経済的理由があったという。

     南米出身のフランシスコ教皇は就任以来、独身制の見直しを機会ある度に示唆してきたが、バチカン内の保守派の抵抗もあって貫徹できずにきた。アマゾン公会議で採択された最終文書の扱いについては、フランシスコ教皇に一任されている。そのため、バチカン内の保守派は独身制を擁護する前教皇を動員してフランシスコ教皇に圧力を行使しているわけだ。

     なお、生前退位を表明した当時、べネディクト16世はバチカン内のマーテル・エクレジエ修道院で静かに祈りの生活をすると述べてきたが、ここにきて外に向かって発言する機会が増えてきた。というより、92歳の高齢のべネディクト16世は保守派の改革派批判への武器として利用されている面がある。独身制を巡って、2人の教皇の意見の相違が改めて明らかになったことで、教会の保守派と改革派の対立が一層エスカレートする危険性が出てきた。

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