・シノドス6日目:教会の使命の中心にあるキリスト-既婚者の司祭叙階、女性の役割、”環境的回心”

 

Pope Francis with a group of women religious and laywomen attending the SynodPope Francis with a group of women religious and laywomen attending the Synod 

(2019.10.12 VaticanNews)

 アマゾン地域シノドスは12日の土曜日、最初の週の討議を終えた。

 同日午後の8回目の全体会議の主要テーマの一つは、教会の使命の中心を占めるキリストの存在だった。

*福音が十分に伝えられていない-チームでの対応の必要

 会議出席者の一人が「どれほど多くの人が福音を知っているでしょうか?」と問いかけ、さらに、”良き知らせ”はアマゾン地域だけでなく、全世界に知らせるべきものだ、ことを確認した。福音宣教は単独で行ってはならず、チームとして行う必要性が提起され、こうしたチームは、この地域が抱える多様な司牧上の課題に十分に対応し、宣教の喜びを証しすることを可能にする、との期待が表明された。

*改めて「既婚男性の司祭叙階の是非」を議論

 この日の会議でも、あらためて、「viri probati(既婚男性)」の司祭叙階の是非をめぐる問題が、複数の参加者から提起された。何人かが「照明の不足はアマゾン地域に特異な現状ではない…そうであるなら、なぜ、この地域だけを特別扱いするのか?」という疑問を投げかけ、この問題を今後開かれるシノドスの議題にする、という提案も出た。

 一方で、「原住民の人々の中には、独身だからという理由で司祭を歓迎するケースもある」という意見や、「今日の世界は、司祭の独身制を『快楽主義と世俗主義の文化の圧力によって破壊すべき最後の砦』とみている… だから、司祭の独身制が持つ価値について注意深く考える必要がある」との意見もあった。

 また、他の複数の出席者は「司祭職の新しいモデルに関する議論は避けることができず、望ましいもの」としたうえで、「司祭を他の教区や地方に送り出すことが奨励されるなら、信仰が証明された賢明な(注:既婚の)男性を叙階することもまた、推奨される必要がある… このような考え方は教会の共同体を傷つけることも、司祭の独身制を覆すことにもならない。それよりも、この考え方は、『地域をちょっと訪問するのでなく、そこにとどまる』司祭職を実現する決定的な第一歩となるかも知れない」と述べた。

 さらに、「このような対応は、召命の不足を解決する方策として進めるのではなく、教会が、真のアマゾン地域のアイデンティティを持てるようにするものだ」「このシノドスは、聖霊を信じて新たな一歩を踏み出すための土台を置けるだろう… 聖霊を信じることは、過ちを犯す恐れに勝るのだ」との考えも、参加者から表明された。

*女性の役割の増大-聖職者主義の解毒剤

 教会における女性の役割も再び、討議のテーマとなった。ここでは、女性たちにもっと司牧上の責任を与えること、効果的な参加、さらに教会の政策決定のレベルにまで女性の関与を求める意見が出された。アマゾン地域で女性の助祭制度を明確に認めるように、との要求も出た。

 現在のキリスト教共同体の活動で、女性は、カテキスタや修道会総長だけでなく、新たな任務を引き受けることのできる人として既に大きな役割を果たしている。和解の契約への署名をもとに、「女性の教会活動への関与は、世俗的でない教会のための基礎を置くことになりうる… 聖職者主義は今だに教会に存在し、教会の奉仕、友愛、連帯の妨げとなっている」との指摘もされた。

*聖霊を聴く-「環境破壊の流れを変えねば」と現地の人々が訴え

 シノドスは、聖霊をいつも聴くために存在する。”聴く”という態度は、私たちの星を脅かす環境破壊に対抗するために必要な「環境的な回心」を導き、励ますものとして、参加者から提起された。

 会議参加者たちは、創造主がアマゾン地域を私たちの管理に委ねられていることを思い起こした。「この地域は、地球上で最も美しく、生命維持に必要な”庭”だが、残念なことに我々は、この”地上の天国”を”地獄”ー原住民の人々から、彼らのかけがえのない歴史的財産を奪う”荒れ狂う炎”-に変えるリスクを冒している」「共に歩むことは、”母なる大地”の声を聴き、”資源搾取による民族殺戮の裏にある暴力”の存在を認識するようになることを意味する」などの警告も出た。アマゾン原住民の諸団体からは「これ以上の大きな危険に落ち込まないように、現在の潮流を変えねばならない」とのアピールが出された。

 

*私たちは互いに、そして大地に結び付けられている-”環境的回心”を求める

 「私たちは皆、互いに結び付けられている。”良く生きること”は、”満足度の高い豊かな暮らし”というよりも、”私たちが互いに、そして大地に結び付けられている”ことを意味する」との主張も出た。

 社会的な条件の不均衡につながる人の存在の分裂は、否定、断罪されねばならない。グローバリゼーションは、私たちの生活に否定することのできな便益をもたらしてはいるが、それはまた”野蛮な資本主義”と消費者主義の極めて有害な形を生み出す物質主義への扉を開いてしまった。先進国は安価な産品を求め、それを生産する原住民の人々はしばしば、血で対価を払っている。-このような現実から、質素な生活、正義と平和の名において公正貿易を含めた”環境的な回心”の実現を求めるアピールが出された。

*”原住民の人々の顔”をもった教会へ、新たな地域的枠組みを

 この会議では、アマゾンで生きる主権を持つ原住民の人々の苦しみを常に頭に入れておくように、との要請が再度なされた。

 この地域の文化と伝統の中に神の言葉の種を見つけることは、「キリストがまだ福音を聞いたことのない人々の中に、すでに生きておられる」のを確認するのことを意味する。「福音は一つの文化の独占物ではない。これが、原住民の人々とアマゾン地域の教会の存在を尊重した対応の仕方だ」と出席者の一人が発言した。

 そして一つの提案として「シノドスの準備過程で作られたネットワークの前向きな経験と今シノドスの開催中に受けた聖霊のインスピレーションによって出来た勢いを持続させる『新たなアマゾン地域の枠組み』の形成」が出された。

*アマゾン地域での宗教的生活の賜物

 また、この会議では、宗教的生活を通して自身の人生を神にささげ、教会が”原住民の人々の顔”をもつのを助けた原住民の人の価値のある模範についても、耳を傾けた。

 修道士と修道女は、人々の権利のために、共に戦っている。また、自分自身の成長の中で、自身の伝統的な遺産をキリスト教徒としての霊性をつなぐことに努めるように求められているのを感じ、そうした努力をする中で、人類と自然をともに守るのに欠かすことのできない環境面での対応に寄与することを願っている、との希望が表明された。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2019年10月15日