・シノドス二日目:アマゾン地域の人々への人権侵害に立ち向かい、「環境的回心」を

(2019.10.8 Vatican News

 アマゾン地域シノドスは8日、実質討議二日目に入り、午後の四回目の全体会議には教皇フランシスコと182人の司教が参加した。 同会議での討議の主題は「アマゾン地域の原住民の人々に対する組織的な権利侵害とそれによる地域全体の生命に対する危機」だった。

 

*無関心の態度を捨て、責任を引き受ける

 討議で強く指摘されたのは、教会がその道徳的、霊的な権威をもって、常に生命を守り、命を脅かす数多くの死の仕組みを弾劾すべきだ、ということだった。私たちが”見物人”として現実を見てしまう個人主義と無関心を否定し、人間の尊厳を優先する責任と欠くことのできない環境を中心に置く「環境的回心」の必要性が強調された。

*人権侵害に立ち向かうよう国際社会に求める

 司教たちはまた、国際社会全体に対して、罪のない人々の血が流されることへの無関心を捨て、アマゾン地域の環境破壊を真剣に受け止めるよう強く求めた。そして、原住民の人々、自然保護区の監視員たち、キリストの十字架によって福音伝道をする人々を気候変動と戦う盟友と見なければならない、とした。また、この問題で、原住民の代表から、対話の中で力を合わせる必要が強調されたー「友情は敬意を払い、守り、世話をすることです」。また、多くの教会関係者から求められたのは、草の根の社会運動と同盟し、アマゾン地域の人々の世界観に謙虚に耳を傾け、受け入れ、現地の文化が”西洋”の伝統としばしば異なる宗教的儀式の象徴的な意味をもっと深く理解するようになることだった。

*”環境的な罪”をもっと理解するように

 持続的な成長のために必要なのは、社会的に適合し包括的で、科学と伝統的な知識を合わせること、なぜなら、生きた現実であった”博物館”ではない「アマゾン地域の将来」は我々の手に委ねられているからだーという意見も多く出された。また、環境に対する罪の重大さを、神に対する罪、隣人に背き、将来の世代に背くもの、と人々が理解するような「環境的な回心」の必要性も提起された。これは、”環境的な罪”を伝統的な罪の概念に含む神学的な書物を著わし、幅広く流布することも意味している。

*原住民の終身助祭の推進

 一般信徒と聖職者の原住民宣教師の育成に力を合わせることも提起された。使徒職にもっと多くの原住民の人々が関与すること、終身助祭の推進、一般信徒の関与の拡大、聖霊の真の顕現と理解される対応が主張された。また、教会の活動における女性の役割の拡大を求めることも出された。

*司祭の召命について、真剣な反省が必要

 また、会議参加者の何人かから、司祭叙階の条件に関する課題が取り上げられた。その中には、召命を求める祈りーアマゾン地域を偉大な霊的聖域に変容されるように、福音のための新たな働き手を送ってくださるように、と祈ることを強く求める意見や、司祭の不足はアマゾン地域だけの問題ではなく、世界全体問題となっている、との指摘が出された。

 さらに、司祭の召命に関わる現状ー聖性の欠如が福音宣教の証しを、と障害となり、司牧者たちが、キリストのような嗅覚をもたず、導くように求められている羊たちを追い払う結果となっていることーについて真剣に良心を究明すべきだ、との主張があった。

*若者たちと神聖のかぐわしさ

 こうした深刻な意見に対して、1976年にブラジルのマトグロッソ州で殺害されたルドルフ・ランケンベイン神父とシマオ・クリスチノ・コゲ・クズゴズ氏のように、アマゾン地域の殉教者の鑑だ、という指摘も出た。

 複数の発言者は、環境的回心は、何よりも聖性への回心である、とし、聖性は、刷新され、躍動的で、気配りのきいた信徒司牧を求めている若者たちの心を強く惹きつける、と語った。また、多くの司祭たちの善良で聖性に満ちた生き方に着目し、多くのメディアで取り上げられているスキャンダルだけに関心をもつべきではない、との意見や、若者世代を脅かす暴力、麻薬、売春、失業、空虚感などの問題にもかかわらず、多くのカトリックの若者たちは彼らの仲間に前向きの見本を示している、との意見もあった。

 午後の会議では、移民・難民問題が議論の中心となった。この問題はアマゾン地域では多くの側面を持っているが、歓迎し、守り、進め、移り住むことを基礎においた教会の協調行動が常に求められる。

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 この全体会議を主宰された教皇フランシスコは、冒頭の祈りを、ブラジルのベロ・ホリゾンテで8日に亡くなったセラフィム・フェルナンデス・デ・アラウヨ枢機卿のために捧げた。枢機卿は1986年から2004年まで首都大司教を務めていた。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2019年10月9日