・「復活されたキリストは、苦難にある私たちの希望だ」ウクライナのギリシャ・カトリック教会指導者

Pope Francis with His Beatitudine Sviatoslav ShevchukPope Francis with His Beatitudine Sviatoslav Shevchuk 

 一問一答は次の通り。

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問:ウクライナの復活祭では、信者たちが「キリストが復活された。本当に復活された」と挨拶を交わします。1 年以上続いているロシアの軍事侵略の中で、この挨拶はどのような意味を持つのでしょうか?

総大主教:私たちにとって、この挨拶は単純な挨拶ではなく、信仰宣言であり、キリスト教徒としての私たちの存在を表明するものでもあるのです。 ウクライナがソビエト連邦に組み入れられていた時代、私が子供の頃は、この挨拶の意味を知らずに、共産党の代表に向けて挨拶していたことを覚えています。 私がその代表に「キリストが復活された」と挨拶すると、「はい、ありがとう。 私はとっくに知らされているよ」という言葉が返ってきました。 しかし、「知らされている」と「『本当に復活されたのだ』と宣言する権利を持っている」ことでは、意味が違います。私たちは今、悲劇的な状況を共有しています。 キリストは確かに復活され、私たちと共におられます。キリストは、私たちの回復力の源であり、私たちの希望、未来への希望、いつの日かこの戦争が終結するという希望の源であり、平和、命、そして復活が、私たちの歴史の中で、最後の言葉となるでしょう。

 

問:教皇は、ウクライナとそこで苦しんでいる人々を助けるために、限りない訴えをなさってきました。 これはあなたにとってどのような意味があり、どのような価値がありましたか?

総大主教:大きな苦しみの中にあって、見捨てられないこと、一人ではないと確信することは、私たちにとって非常に重要です。 そして教皇は、ウクライナの人々に対してだけでなく、ウクライナ人を代表して世界に語りかけてくださいます。教皇がウクライナで起きている悲劇を世界に向けて発表されるたびに、その言葉は、私たちにとって生き生きとしたものに感じます。 世界的な連帯のおかげで、私たちはこの軍事侵攻がもたらしている苦しみに耐えることができます。 神の、そして教皇のおかげで、戦争によって引き起こされたこの人道的危機、人道的悲劇は破滅をもたらすに至っていない。 ウクライナで、飢え、渇き、寒さで亡くなった人はいません。 ロシアの侵略の犠牲者に援助することもできています。教皇が世界に向けて祈るたびに、私たちのために祈るたびに、それは命を与えるメッセージとなっています。

問:教皇は、戦争の平和的解決策を見つけるように訴えておられます。 武器や暴力よりも調停や平和構築の努力に重点を置いた平和への道を、あなたは思い描いていますか? そうだとすれば、それはどのようなものですか?

総大主教:私たちは平和を祈ります。 平和のために闘います。 もちろん、今のような状況の中では、「平和」の実現は、奇跡のように、あるいはそれが起きるように聞こえますが、いつ起こるか私たちには分かりません。即時停戦が実現すると見る人は誰もいない。それでも、私たちは奇跡が起きると信じています。 いつの日か、ウクライナの地で、私たちは平和を享受できるでしょう。

問:教皇は、10年前に着座されて以来、核兵器の危険性について常に警告してきました。 現時点で、教皇のメッセージが特に重みをもっているのはなぜでしょう?

総大主教:世界は今、再び核戦争の瀬戸際に立っているからです。 国際法が機能しなくなったとき、世界の誰も安心できません。 そして、今日、世界の安全のカギを握っているのは核保有国だけ。 核保有国間の軍事的緊張の高まりを私たちは目撃している。それは非常に悲しいことです。 そして教皇は「やめてください。交渉の道具にに使わないでください。核兵器による恫喝や使用は、全世界に破壊をもたらします」と警告を繰り返されているのです。

問:復活されたキリストは、最初に女性たちに出現なさいました。 ウクライナの女性たちは、この困難な時期に、特に教会内で、どのような役割を果たしていますか?

総大主教:ウクライナの女性たちは、私たちの社会の礎石です。 「ウクライナの文化は母系」とよく言われます。 ウクライナの母親、女性は、ほとんどがキリスト教の信仰を表明しています。そして、復活節第二主日を、復活されたキリストに最初に出会った女性たちに捧げます。

 今日のウクライナで、教会が福音宣教の使命を果たす上で、女性の役割は極めて重要です。 私たちの教会共同体のカテキスタの 99% は女性。聖職者もほとんどが既婚者です。 非常に多くの場合、とくに女性にとってデリケートな問題がある場合、信徒たちはまず、司祭の妻に話し、それから次に司祭に話します。「 母親」は、今日のウクライナのイメージです。 母なる教会は、極めて重要であり、特に、今日のウクライナの人々に対して雄弁です。 母なる教会-母であり教師、母であり保護者-は、今日の私たちの教会の象徴です。

問:ロシアの軍事侵攻が続く中で、国の至る所に苦しみと死がある今、信仰を伝えることはとても難しい、と思います。 そうした中で、どのように希望と信仰のメッセージを伝えることができるでしょう?

総大主教:今、私たちは、キリスト教のメッセージは「観念ではなく、生気を受ける経験だ」ということを実感しています。 メッセージを共にすることで、経験を共有します。希望の源、回復力の源を共有しています。 ですから、人々は、私たちの言うことに耳を傾け、私たちに目を向けます。 今日、ウクライナの私たちは、非常に多くの人々がキリスト教に回心するのを目の当たりにしています。それは、ウクライナの人々が、自分の周りで起きている極めて困難な状況の深い意味を探し求めているからです。「自分は何をすべきか?」「自分たちがしていることは正しいのか?」… そして非常に多くの場合、それらの問いに答えることができるのは、神の言葉に耳を傾けることによって、そして私たちが伝える「よい便り」を実践する教会共同体の一員であることによってだからです。

問:改めて、世界の人々へのメッセージは?

総大主教:私たちは心の底から、ウクライナから、ウクライナの首都キエフから、キリスト復活のメッセージが真実であることを伝えたいと思います。主は 確かに復活されました!キリストは私たちと共におられます。 私たちは主の復活に参加しているので、希望があります。 「キリストは復活された」というメッセージは、キリストについてだけでなく、私たちについてでもあり、今日のキリスト教徒の希望の宣言なのです。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2023年4月16日