
問: エルサレムとイスラエルにも行かれたのですね。現地の状況はいかがでしたか?
ダットン:エルサレムそのものは、私が受けた印象では不気味なほど静かでした。以前はイスラエル人とパレスチナ人が行き交い、多数の観光客で溢れかえっているはずの夕方の6時に、まさにその中心地にいたのですが、誰もいなかった。聖墳墓教会に行き、イエスの墓の所に15分ほどいましたが、誰も入って来ませんでした。以前なら、入るために何時間も並ばねばならかなった。今は空っぽで、静かで、エルサレムの人たちは世界の他の地域から隔絶されたように感じ、孤立している。紛争は続いており、多くの人々は戻って来ていない。経済は崩壊し、観光客も皆無です。
そして、ヨルダン川西岸地区の一部やガザ地区の状況は、まさに非人道、残虐そのものです。私が現地に滞在している間、ガザのカトリック教会の主任司祭、ガブリエル神父と、そこで働くソーシャルワーカーの一人と話をしました。彼らが日々、活動を続けているのは信じがたいことです。彼らは、自分たちの家族の世話もする必要がありますが、人々への奉仕とケアに対する信じられないほどの意識があり、できることは何でもしようとしている。しかし、現時点ではそれも、非常に難しい。ガザ地区に支援物資などを持ち込むことは、ほぼ不可能です。
それでも、熱心に活動しているチームがあります。カリタス・エルサレムとカトリック救援サービスのチームです。しかし、彼らの努力にもかかわらず、私が現地入りする前の1か月間に、米軍とイスラエル軍の協力で、トラック6台分の物資ををガザ地区に運び入れたにとどまっている。2023年10月7日に攻撃が始まる前には、毎日500台のトラックが物資を運んでいたのに、この1か月間は6台分しか運び入れることができず、被災者住民が夜寝れて、食事を作ることができるようにするのが精いっぱいです。
問: このような状況下でクリスマスはどのように祝われるのでしょうか?
ダットン:正直なところ、私には分かりません。私が現場で感じたことのひとつに、特にヨルダン川西岸地区のキリスト教徒のパレスチナ人が、自分たちの土地で生活を維持し、希望を持ち続けるという強い必要性と渇望を持っていることが挙げられます。そして、彼らが聖書の物語から自分たちの信仰に大きな力を得ていました。彼らにとって素晴らしいことのひとつは、もちろん、「自分たちのいるところがキリストの誕生、そして死と復活に至るすべてことが起こった場所だ」ということです。
私が現地にいたある日、彼らに「あなたに驚きがあるのか」と問いかけられた。ある教会の建物に入ると、そこは10人のらい病人が介護されていました。彼らの家のすぐ近くにありました。
カリタスにはベツレヘム、キリストが生まれた場所に、最大のチームのひとつがある。彼らは、物語そのものと希望の福音が物理的に近いという事実から、非常に大きな力を得ていると思います。そして、彼らはそのことを話し続けています。
希望について言えば、アンマンでピザバラ枢機卿(エルサレムのラテン総大司教)にお会いしたことは、大きな収穫でした。彼は、ヨルダンを訪問中で、「今、希望を持つことがどれほど難しいか」について話しました。彼やレバノン・カリタスの代表であるミシェル・アブード神父との会話で、私たちは、「アラビア語やフランス語には『希望』を表す言葉が2つあるが、英語には1つしかない」という話をしました。フランス語にはespéranceとespoirがある。espéranceという言葉には、「神聖なものや、彼らが今感じている苦難よりも大きなものとのつながり」という意味がある。これは、彼らが力強さと未来への希望を維持していく上で、非常に重要な意味を持っているのです。
問: 私たちは「希望の巡礼者」というモットーを掲げ、間もなく聖年を迎えようとしています。
ダットン:私たちは「希望」という言葉を、表面的な意味で使わないよう注意せねばならないと思います。希望とは、「自分たちの内奥にある、本当に私たちを力づける何か」を発見するための旅です。ですから、「希望」という感覚を持つことは、非常に重要です。
問: このような状況下で、カリタスはどのような対応、活動をしていますか?
ダットン:カリタスは、昨年のテロ事件が起こるずっと前から、そして事件後も活動を続けています。言うまでもなく、ガザ地区やヨルダン川西岸地区の状況は非常に厳しい状況です。物を移動させることさえほぼ不可能です。支援トラックがガザ地区に入ることがいかに難しいかについて先ほど申し上げましたが、ガザ地区への物資搬入はほぼゼロの状態です。
にもかかわらず、私たちの医療チームは、人々を助けようと、今も活動を続けています。当然ながら、医療品の不足は大きな懸念事項ですが、活動を続け、物資や現金などの支援を得ようともしています。物資が手に入らなければ、現金も使いにくいのですが。
私たちは、ガザ地区、エルサレム、ヨルダン川西岸地区など、パレスチナ全体で、緊急対応活動を通じて、攻撃以来の13か月間に160万人以上の人々に支援を届けてきた。これには、健康、食糧支援、寝具や鍋、調理器具、食事など基本的な設備の提供、精神衛生や心理面のサポート、避難所、衛生キットや水の供給などが含まれます。私たちのチームを通じて、できる限りのことをしているのです。
しかし、今は、人道支援を続けることが非常に困難になっており、国際人道法の下、世界の国々、関係者は、人々がひどい苦しみを味わい続けないように、真剣に圧力をかける必要があります。
問: 教皇フランシスコは、人道支援を保証するよう、人質を解放するよう呼びかけておられます。
ダットン:その通りですが、絶対に停戦を実現する必要があります。この戦争は、すべての人々を傷つけ、イスラエルの経済を疲弊させています。苦しんでいるのはパレスチナ人だけではありません。この戦争は、次世代の戦士を生み出すことになる、世代を超えた心理的混乱を生み出しています。私たちは、さらなる死につながるだけの武器供給を止めなければなりません。今日、イスラエルに武器を供給している人々は、停戦を遠ざけているだけなのです。
イスラエルの人質や双方で拘束されている人々についても言及しなければならない。なぜなら、パレスチナ人の多くもまた恣意的に拘束されているからだ。だから、人質は絶対に解放されなければならない。また、国際法や国際法規範を尊重しなければならない。私たちは国際刑事裁判所を持っているし、国際人道法では人々は援助を受ける権利があるとしている。
しかし、援助を提供しようとする私たちにとっては、それはほとんど不可能であり、また安全とは程遠い。今年、スタッフ2名が命を落とし、その家族の多くも犠牲となった。私が現地を訪れた前の週には、2名の医師が負傷し、家族全員とともに病院に入院していた。教会への直撃弾により、12名ほどが殺害されたばかりだった。人道支援をしようとしている人々が、この戦争の標的となっているのだ。
問: レバノンではイスラエルとヒズボラの間で停戦が成立しました。 国際カリタスの活動にとって、これは何を意味するのでしょうか?
ダットン:レバノンの同僚たちと連絡を取り合っています。彼らの希望と、教皇フランシスコの希望を私も共有しています。それは、この停戦が、何らかの形で中東の平和に向けた動きのきっかけになるかもしれない、という希望です 。
でも、まず最初に言っておかねばならないのは、停戦は極めて不安定な状態にあるということです。停戦後もレバノン南部では攻撃があり、人々が殺されています。停戦がいつまで続くのか、疑問に思わざるを得ません。停戦が継続し、攻撃してきた人々が一歩退くことを心から願っていますが、笛を吹けば、戦いが瞬間的に終わるほど、事態は簡単でないのも事実です。
また、これがそのままガザ地区の平和に直結するとは思えません。私たちは今、シリアで攻撃が開始されたのを目撃しています。このタイミングが偶然の一致であるとはどうしても思えないのです。アレッポへの攻撃が始まったのは、まさに停戦が発表されたその日でした。シリアは14年間にわたって戦争に苦しみ、さらに最近では地震にも見舞われました。人々はアレッポやハマから安全な場所へ逃れようとしています。
私は今年1月に現地を訪れましたが、経済制裁によって、人々は文字通り瓦礫の間に住むことしかできず、国の経済は完全に疲弊しています。私は8年前に歩いた同じ道を1月に歩きました。その道は、可能な限り清潔に保たれてはいますが、瓦礫が脇に積み上げられ、その周りを掃くことしかできていない。シリアはここ数年、経済制裁で人々が非人道的な状態に置かれており、さらに今、このような攻撃を受けることになっている。中東をはるかに超えた規模の権力が、今、力を誇示し、地位と覇権を争っているのです。「象が戦えば、草が苦しむ」のです。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)