・高松教区管理者名で教区の司祭、信徒に”新教区設立、新教区長任命”のお知らせ

(2023.8.17 カトリック・あい)

 バチカンが16日発表した大阪、高松教区の”統合”について、高松教区は17日、教区ホームページで、教区の司祭、信徒などに対する教区管理者名の以下のような通知を掲載した。

 その中で、今回の発表は「新しい教区の設立であり、既存の大阪大司教区と高松司教区との合併ではありません」と強調している。バチカンの公式発表では「incorporazione(統合、合併)」によって大阪・高松大司教区が新たに作られた、とされており、一般常識的には誰が見ても「合併」、むしろ大司教区による小規模な教区の「吸収合併」以外の何物でもない。

 「新しい教区」というような抽象的な美辞麗句よりも、教区信徒、司祭にとって重要なのは、合併、統合をどのように進めていくのか、合併、統合後の四国の教会はどのように運営されていくのか、自分たちはどう受け止め、対応すればいいのか、など具体的な説明だろう。今回の発表は、教皇が突然、決定したものではなく、かなりの期間にわたって、バチカンと関係教区責任者と話し合いがされてきた結果だと言われている。そうであれば、教区関係者にそうした説明をする準備の時間はあったはずではなかろうか。

 なお、大阪教区のホームページは、17日午前10時現在、7月31日更新のままであり、教区合併に関する「おしらせ」は掲載されていない。

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カトリック高松司教区の皆様

カトリック高松司教区 教区管理者 イスマエル.ゴンザレス神父

新教区設立と新教区長任命のお知らせ

主の平和

 かねてより新しい司教さまの任命に向けてお祈りをお願いしておりましたが、 このたび、8月15日バチカン時間12時(日本時間19時)に、教皇庁は以下の発表をいたしました。

 教皇フランシスコは、大阪と高松の両教区を統合し、新たに大阪高松大司教区を設立した。また、教皇フランシスコは、現大阪大司教区大司教のトマス アクイナス前田万葉枢機卿を新大司教区の初代大司教に任命した。

 この度の発表は、新しい教区の設立であり、既存の大阪大司教区と高松司教区との合併ではありません。これから、それぞれの教区の担当者によって意見交換を重ねて、神さまが新大司教区に求められていることを識別し、新体制を整えていきます。私たちの祈りに応えて示された神さまのみ旨に信頼し、み旨を理解し、 み旨のより豊かな実現に向け、教区一丸となって努力しましよう。予想外のことであり、様々な面でご不安やお手間をおかけするかもしれませんが、皆さまのさらなるお祈りとご理解•ご協力をよろしくお願いいたします。

 なお、新大司教区の設立記念ミサや着座に関しては、今後、改めてお知らせいたします。感謝と祈りのうちに

2023年8月17日

(特集)教皇、大阪大司教区と高松教区を合併し「大阪・高松大司教区」にー教区の再編・統合含む抜本改革が司教団の緊急課題(8月25日追加)

(2023.8.16 カトリック・あい=17、19、25日に追加、修正)

 教皇フランシスコはローマ時間8月15日正午、大阪教区と高松教区を合併し、新たに大阪高松大司教区を設立、その初代大司教として前田万葉・枢機卿を任命することを発表された。大阪高松大司教区の設立式と前田・新大司教着座式は10月9日、大阪カテドラル聖マリア大聖堂で行われる。新宗教法人としての開始日は、今後関係省庁と協議の上進めていく予定という。なお、これまでのところ、大阪教区の補佐司教である酒井敏弘師の扱いは明らかにされていない。

 日本の教会は、戦後になって1947年に琉球使徒座管理区(後に那覇教区)、1961年に宮崎知牧区改編される形で大分教区が誕生したのを除くと、第二次世界大戦前の1936年までに出来た教区体制が事実上、この90年以上にわたる教会内外の大きな変化の中で、変わらずに続いてきた。教区が削減されるのは、日本の教会が始まって以来、初めてである。

 今、日本の教会は、信徒の教会離れ、信徒数の減少・高齢化、司祭の減少・高齢化などが深刻化しており、希望ある将来につなげるための、教区の再編・統合も含めて、抜本的な体制改革が緊急の課題となっている。司教団が、今回の大阪、高松の教区合併を”一過性の現象”に終わらせず、この課題に真剣に取り組む契機とすることが求められる。

 この「カトリック・あい」の記事の閲覧件数は、16日に掲載を始めてわずか3日足らずで200件を大きく上回る、教皇訪日以来の記録的水準に達しており、日本全国の教会関係者がこの問題に強い関心を持っていることを示している。それはとりもなおさず、日本の司教団が教区の再編を含めた教会の抜本改革にどのように対応していくかに、多くの信者が注目していることの証左でもある。

 なお、この合併について、高松教区のホームページには17日になって、教区管理者(司教は空位)の名前で、教区の司祭、信徒あてに「お知らせ」が掲載された。大阪教区の公式ホームページにも「16日」の日付けで同様の内容が前田大司教名で掲載されたのが確認された。

 ただその内容は、バチカンの公式発表の短い、事実のみを伝えることに限られている。バチカンの15日付けのバチカンの公式発表を、直接関係する小教区、司祭、信徒たちに真っ先に、しかも今後の対応も含めて具体的に、ていねいに、理解を得られるよう伝えるべきだと思われるが、そうなっていないようだ。ここにも、教皇フランシスコが繰り返し訴えておられる「Synodal(共に歩む、共働的)教会」の理念からほど遠い高位聖職者の意識が見て取れ、日本の教会改革にはまず、高位聖職者の意識改革から始めねばならないことを、図らずも示している、と言えるだろう。

 

*信徒数4位の大阪教区が最少の高松教区を”吸収合併”したが、日本にはまだ教区が15も

 

 事実上”吸収合併”されることになった高松教区は、1904年、徳島、香川、愛媛、高知の四国4県は、大阪教区から分離されて四国使徒座知牧区となったのが始まりで119年の歴史を持つ。1949年に知牧区長館が徳島市から高松市に移され、1963年9月に司教区に昇格して高松教区となった。

 カトリック中央協議会が公表している「カトリック教会現勢」の最新版(2022年)によると、大阪教区の信徒数は東京教区、長崎教区、横浜教区に次いで第4位の4万6817人、司祭数は東京教区に次いで2位の148人。高松教区の信徒数は全国16教区の中で最も少ない4208人、日本最大の小教区、東京・麹町教会の4分の1にも満たず、司祭数は13位の34人。合併後の大阪・高松教区ではそれぞれ、5万1015人、182人となるが、順位に変化はない。

 なお大阪教区は大阪、兵庫、和歌山の3府県、高松教区は徳島、香川、愛媛、高知の四国4県を管轄しており、合併により新教区の管轄は7府県、、管轄都道府県数では日本最大の教区となる。

 また大阪教区は教区長の前田大司教・枢機卿と酒井補佐司教で、高松教区は教区長の諏訪司教が2022年9月に定年で退任し、空位。このため、司教職に関係する人事は、前田・大阪大司教がそのまま、大阪・高松大司教となる以外に変わりはない。

 今回の合併で、日本のカトリック教会の教区数は16教区(3大司教区・13教区)から15教区(3大司教区・12教区)に一つ減る。

 

*15の教区の中に、東京・麹町教会の信徒数よりも少ない教区が7つもある

 ちなみに、日本の小教区で信徒数が最も多いのは東京教区の麹町教会で1万7152人(2019年12月末現在。次が長崎教区の浦上教会で約7000人と言われている=公表データが見つからない)。麹町教会一つよりも信徒数の少ない教区は、札幌(1万4958人)、仙台(9196人)、鹿児島(8420人)、新潟(6676人)、那覇(6132人)、大分(5607人)、高松(4208人)と7つ。今回の合併で、一つ減るが、麹町教会よりも信徒数が少ない教区が高松を除いでも6つもある現状は、信徒数も、司祭の数も減り続ける中で考え直す必要があるようだ。

 

*ミサ参加者、受洗者、司祭数など激減の中で、教区によってばらつきも

 

 先ごろカトリック中央協議会が公表した「カトリック教会現勢」を10年前に公表された「現勢」と合わせて算定した結果は、別掲しているが、ここで改めて説明すると、2022 年 12 月末現在の日本の聖職者、一般信徒などを合わせた「信者数」は」42 万 2450 人で、10 年前の 2012 年の 44 万 4441人より 2万1991人、 4.95%減った。日本の総人口に占める割合は2022年が 0.335 %、2012 年は 0.351 %で、毎年、小幅ながら日本の総人口の減少を上回る減り方を続けている。またミサ参加者は、日本でコロナ大感染が始まる直前の2019年と比べて、主日、復活祭、クリスマスともに4割前後も激減しており、信者減少に対する長期的な取り組みと共に、コロナ禍で激減したミサ参加者、教会を離れた信徒を、どのように回復するのかも、教会にとって大きな課題となっていることが明瞭に浮かび上がっている。

 全国で16ある教区別に見ると、信徒数が最も多いのは東京で9万2001人、これに長崎の5万6826人、横浜の5万2929人、大阪の4万6817人が続き、最も少ないのは高松の4208人など、1万人未満が大分、那覇、新潟、仙台、鹿児島をあわせて6教区もある。2012年から10年間で減り方が最も大きいのは仙台の11.04%で、これに札幌9.70%、大阪9.20%、鹿児島8.22%、それに長崎の7.80%が次いでおり、減少数では長崎が4808人と最も多くなっている。

 ちなみに東京は2.38%の減少にとどまり、那覇とさいたまは、それぞれ4.16%、2.43%の増加。特に後者は、外国人の顕著な流入が影響していると見られる。

 

*”中心教会”の一つであるはずの長崎教区が…

 

 聖職者・修道者・神学生の減り方を教区別に見ると、大幅な減少率の中で、教区によるばらつきがみられ、最も大幅な減少率を示したのは仙台で44.03%、ついで、新潟、福岡、鹿児島、高松が30%を超えている。大きく落ち込むなかでもばらつきがみられるのは、2022年までの十年間の主日のミサ参加者の減り方で、東京が51.92%と半減しているほか、札幌が48.15%、横浜が46.17%、鹿児島が41.87%、長崎が41.58%を4割を上回る減少。対して、大阪は12.17%の減少にとどまっている。

 年間の受洗者数を見ると、2022年の全国総数4089人のうち、トップは東京の996人、ついで横浜527人、名古屋503人、大阪419人で、信徒数で2位の長崎は237人で東京の4分の1、横浜、名古屋の半分以下だ。2012年に比べた受洗者の減り方もっとも大幅なのは鹿児島で64%、次いで新潟60.52%、長崎が52.88%で三番目に大きい落ち込み。対して、広島2.75%、名古屋2.90%、さいたま3.85%と小幅の落ち込みにとどまる教区もある。

 以上の教区別の動きを見ると、特に日本のカトリック教会の中心教区の一つとされてきた長崎が、信徒数の減少、主日のミサ参加者の減少、新規受洗者の減少率がそろって大幅になっているのが目立つ。その原因として考えられることについて、ここでは明らかにすることは避けるが、当事者も含めて心当たりの方も少なくないだろう。一言で言えば、信頼回復の努力、体制の見直しも含めた抜本的な教会改革、その前提として高位聖職者の意識改革が必要、ということではなかろうか。

 

*戦前、20年余りの間に11の教区が新たに作られたが、戦後78年で減る教区はただ一つ

 日本の現在のカトリック教会は1846年(弘化3年)に日本代牧区が設置されたことに始まり、1876年(明治9年)に、近畿、中国、四国、九州を管轄する「南緯代理区」と、中部、関東、東北、北海道を管轄する「北緯代理区」の”2教区体制”に分けられ、前者は1888年に「南緯代理区」(九州管轄、1891年に長崎教区に名称変更)と「中部代理区」(近畿、中国、四国管轄、1891年に「中部教区」)に、後者は1891年に「東京大司教区」(関東7県、中部9県管轄)と「函館教区」(北海道、東北管轄)の”4教区体制”となった。

 1900年代に入って、1904年に中部教区から「四国知牧区」が分かれた。その後、函館教区から1912年に「新潟知牧区」、1915年に「札幌知牧区」が分かれ、1923年に中部教区から「広島代理区」が分かれ、それより一年前の1922年に東京教区から「名古屋知牧区」が分かれ、さらに長崎教区から1927年に「鹿児島教区」と「福岡教区」が分かれ、1935年に「宮崎知牧区」(後に再編されて「大分教区」に)が分かれた。

 1937年に中部教区から「京都知牧区」が、東京教区から「横浜教区」が、1939年にはさらに、横浜教区から「浦和知牧区(現在のさいたま教区)」が分かれた。1936年に函館から仙台に函館教区の司教座が移され、事実上の「仙台教区」が生まれるといった具合に、第二次世界大戦前の20年余りの間に異常とも言える速さで11教区が新たに誕生した。

 戦後になって、1947年に琉球使徒座管理区(後に「那覇教区」)、1961年に長崎教区から「大分教区」が分かれて誕生したが、現在の教区の体制は、戦前、1936年までに事実上、出来上がっていたわけで、逆に、大分教区誕生以来、教会内外の環境激変の中で、60年以上も、新たな再編統合に全く手を付けてこなかったことが奇異に感じられる。

 

*半世紀前、教会改革の目玉、”首都圏教区”構想が潰されたのは…

 今から半世紀前、第二バチカン公会議での、世界に開かれ、共に歩む教会を目指す改革の方針決定を受けて、日本の司教団の中にも積極的な取り組みの動きがあり、具体的には、東京教区と横浜、さいたま教区を再編・合併して「首都圏教区」とし、日本の教会改革の推進力とするアイデアが浮上した。だが、多くの司教たちの反対で日の目を見ることができなかった。

 「再編統合の動きが、自分たちの関係する教区にも広がり、教区が削減、教区長である司教ポストも削減されるのは困る、自分の任期中にそのようなことがあっては困る」というのが、反対者たちの”本音”との見方もあったが、それが真実とすれば、誠に低レベル、目先の自分の利害しか考えない、聖職者にあるまじき対応だったといえよう。このようなことが、繰り返されないよう願いたい。

 

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 なお、日本時間8月16日午前9時過ぎにバチカンのホームページに掲載された内容、公式英語訳は以下の通り。上記の信徒数などに若干の違いがあるが、これは定義の違い、日本からの報告の時期の違いなどによるものと思われるが、大きな差はない。

Erection of the metropolitan archdiocese of Osaka-Takamatsu, Japan, and appointment of first metropolitan archbishop

The Holy Father has erected the new metropolitan archdiocese of Osaka-Takamatsu, Japan, by incorporating the archdiocese of Osaka and the diocese of Takamatsu.

The Holy Father has appointed His Eminence Cardinal Thomas Aquino Manyo Maeda, until now archbishop of the archdiocese of Osaka, as first metropolitan archbishop of the new archdiocese of Osaka-Takamatsu.

Curriculum Vitae

His Eminence Thomas Aquino Manyo Maeda was born on 3 March 1949 in Tsuwasaki, Kami Goto, Prefecture of Nagasaki, in the archdiocese of the same name. After completing his studies at the Nanzan High School of Nagasaki, he entered the Saint Sulpice Major Seminary of Fukuoka.

He was ordained a priest on 19 March 1975 and incardinated in the archdiocese of Nagasaki.

On 13 June 2011 he was appointed bishop of the diocese of Hiroshima, and received episcopal consecration on the following 23 September. Since 2014 he has served as metropolitan archbishop of Osaka, and was created a cardinal on 28 June 2018, of the Title of San Pudenziana.

Statistical data

Osaka Takamatsu Osaka-Takamatsu
Area (km sq) 15,031 18,804 33,835
Inhabitants 15,307,909 3,766,866 19,074,755
Catholics 47,170 (0.31%) 4,243 (0.11%) 51,413 (0.27%)
Parishes 77 28 105
Diocesan priests 48 19 67
Religious priests 90 16 106
Permanent deacons 1 3 4
Major seminarians 3 0 3
Men religious 17 1 18
Women religious 543 49 592
Educational institutes 91 27 118
Charitable institutes 89 24 113

 

2023年8月16日

(特集)教皇、大阪大司教区と高松教区を合併し「大阪・高松大司教区」にー教区の再編・統合含む抜本改革が司教団の緊急課題

(2023.8.16 カトリック・あい)

 教皇フランシスコはローマ時間8月15日正午、大阪教区と高松教区を合併し、新たに大阪・高松大司教区を設立、その初代大司教として前田万葉枢機卿を任命することを発表された。新しい教区の日本語における正式名称は、後日、大阪教区より発表される予定。

 日本の教会は、戦後になって1947年に琉球使徒座管理区(後に那覇教区)、1961年に宮崎知牧区改編される形で大分教区が誕生したのを除くと、第二次世界大戦前の1936年までに出来た教区体制が事実上、この90年以上にわたる教会内外の大きな変化の中で、変わらずに続いてきた。

 今、日本の教会は、信徒の教会離れ、信徒数の減少・高齢化、司祭の減少・高齢化などが深刻化しており、希望ある将来につなげるための、教区の再編・統合も含めて、抜本的な体制改革が緊急の課題となっている。司教団が、今回の大阪、高松の教区合併を”一過性の現象”に終わらせず、この課題に真剣に取り組む契機とすることが求められる。

 なお、16日午前10時時点で、この合併について、大阪、高松いずれの教区の公式ホームページには一言も掲載されておらず、まず情報が提供されるべき小教区、信徒たちには知らされていないようだ。ここにも、教皇フランシスコが繰り返し訴えておられる「Synodal(共に歩む、共働的)教会」の理念からかけ離れた高位聖職者の意識が見て取れ、日本の教会改革にはまず、高位聖職者の意識改革から始めねばならないことを、図らずも示しているようだ。

 

*信徒数4位の大阪教区が最少の高松教区を”吸収合併”したが、日本にはまだ15の教区

 

 事実上”吸収合併”されることになった高松教区は、1904年、徳島、香川、愛媛、高知の四国4県は、大阪教区から分離されて四国使徒座知牧区となったのが始まりで119年の歴史を持つ。1949年に知牧区長館が徳島市から高松市に移され、1963年9月に司教区に昇格して高松教区となった。

 カトリック中央協議会が公表している「カトリック教会現勢」の最新版(2022年)によると、大阪教区の信徒数は東京教区、長崎教区、横浜教区に次いで第4位の4万6817人、司祭数は東京教区に次いで2位の148人。高松教区の信徒数は全国16教区の中で最も少ない4208人、日本最大の小教区、東京・麹町教会の4分の1にも満たず、司祭数は13位の34人。合併後の大阪・高松教区ではそれぞれ、5万1015人、182人となるが、順位に変化はない。

 なお大阪教区は大阪、兵庫、和歌山の3府県、高松教区は徳島、香川、愛媛、高知の四国4県を管轄しており、合併により新教区の管轄は7府県、、管轄都道府県数では日本最大の教区となる。

 また大阪教区は教区長の前田大司教・枢機卿と酒井補佐司教で、高松教区は教区長の諏訪司教が2022年9月に定年で退任し、空位。このため、司教職に関係する人事は、前田・大阪大司教がそのまま、大阪・高松大司教となる以外に変わりはない。

 今回の合併で、日本のカトリック教会の教区数は16教区(3大司教区・13教区)から15教区(3大司教区・12教区)に一つ減る。

 

*東京・麹町教会の信徒数よりも少ない教区が7つもある

 ちなみに、日本の小教区で信徒数が最も多いのは東京教区の麹町教会で1万7152人(2019年12月末現在。次が長崎教区の浦上教会で約7000人と言われている=公表データが見つからない)。麹町教会一つよりも信徒数の少ない教区は、札幌(1万4958人)、仙台(9196人)、鹿児島(8420人)、新潟(6676人)、那覇(6132人)、大分(5607人)、高松(4208人)と7つ。今回の合併で、一つ減るが、麹町教会よりも信徒数が少ない教区が高松を除いでも6つもある現状は、信徒数も、司祭の数も減り続ける中で考え直す必要があるようだ。

 

*ミサ参加者、受洗者、司祭数など激減の中で、教区によってばらつきも

 

 先ごろカトリック中央協議会が公表した「カトリック教会現勢」を10年前に公表された「現勢」と合わせて算定した結果は、別掲しているが、ここで改めて説明すると、2022 年 12 月末現在の日本の聖職者、一般信徒などを合わせた「信者数」は」42 万 2450 人で、10 年前の 2012 年の 44 万 4441人より 2万1991人、 4.95%減った。日本の総人口に占める割合は2022年が 0.335 %、2012 年は 0.351 %で、毎年、小幅ながら日本の総人口の減少を上回る減り方を続けている。またミサ参加者は、日本でコロナ大感染が始まる直前の2019年と比べて、主日、復活祭、クリスマスともに4割前後も激減しており、信者減少に対する長期的な取り組みと共に、コロナ禍で激減したミサ参加者、教会を離れた信徒を、どのように回復するのかも、教会にとって大きな課題となっていることが明瞭に浮かび上がっている。

 全国で16ある教区別に見ると、信徒数が最も多いのは東京で9万2001人、これに長崎の5万6826人、横浜の5万2929人、大阪の4万6817人が続き、最も少ないのは高松の4208人など、1万人未満が大分、那覇、新潟、仙台、鹿児島をあわせて6教区もある。2012年から10年間で減り方が最も大きいのは仙台の11.04%で、これに札幌9.70%、大阪9.20%、鹿児島8.22%、それに長崎の7.80%が次いでおり、減少数では長崎が4808人と最も多くなっている。

 ちなみに東京は2.38%の減少にとどまり、那覇とさいたまは、それぞれ4.16%、2.43%の増加。特に後者は、外国人の顕著な流入が影響していると見られる。

 

*”中心教会”の一つであるはずの長崎教区が…

 

 聖職者・修道者・神学生の減り方を教区別に見ると、大幅な減少率の中で、教区によるばらつきがみられ、最も大幅な減少率を示したのは仙台で44.03%、ついで、新潟、福岡、鹿児島、高松が30%を超えている。大きく落ち込むなかでもばらつきがみられるのは、2022年までの十年間の主日のミサ参加者の減り方で、東京が51.92%と半減しているほか、札幌が48.15%、横浜が46.17%、鹿児島が41.87%、長崎が41.58%を4割を上回る減少。対して、大阪は12.17%の減少にとどまっている。

 年間の受洗者数を見ると、2022年の全国総数4089人のうち、トップは東京の996人、ついで横浜527人、名古屋503人、大阪419人で、信徒数で2位の長崎は237人にとどまっている。2012年に比べた受洗者の減り方もっとも大幅なのは鹿児島で64%、次いで新潟60.52%、長崎が52.88%で三番目に大きい落ち込み。対して、広島2.75%、名古屋2.90%、さいたま3.85%と小幅の落ち込みにとどまる教区もある。

 以上の教区別の動きを見ると、特に日本のカトリック教会の中心教区の一つとされてきた長崎が、信徒数の減少、主日のミサ参加者の減少、新規受洗者の減少率がそろって大幅になっているのが目立つ。その原因として考えられることについて、ここでは明らかにすることは避けるが、当事者も含めて心当たりの方も少なくないだろう。一言で言えば、信頼回復の努力、体制の見直しも含めた抜本的な教会改革、その前提として高位聖職者の意識改革が必要、ということではなかろうか。

 

*戦前、20年余りの間に11の教区が新たに作られたが、戦後78年で減る教区はただ一つ

 日本の現在のカトリック教会は1846年(弘化3年)に日本代牧区が設置されたことに始まり、1876年(明治9年)に、近畿、中国、四国、九州を管轄する「南緯代理区」と、中部、関東、東北、北海道を管轄する「北緯代理区」の”2教区体制”に分けられ、前者は1888年に「南緯代理区」(九州管轄、1891年に長崎教区に名称変更)と「中部代理区」(近畿、中国、四国管轄、1891年に「中部教区」)に、後者は1891年に「東京大司教区」(関東7県、中部9県管轄)と「函館教区」(北海道、東北管轄)の”4教区体制”となった。

 1900年代に入って、1904年に中部教区から「四国知牧区」が分かれた。その後、函館教区から1912年に「新潟知牧区」、1915年に「札幌知牧区」が分かれ、1923年に中部教区から「広島代理区」が分かれ、それより一年前の1922年に東京教区から「名古屋知牧区」が分かれ、さらに長崎教区から1927年に「鹿児島教区」と「福岡教区」が分かれ、1935年に「宮崎知牧区」(後に再編されて「大分教区」に)が分かれた。1937年に中部教区から「京都知牧区」が、東京教区から「横浜教区」が分かれ、1939年にはさらに、横浜教区から「浦和知牧区(現在のさいたま教区)」が分かれた。1936年に函館から仙台に司教座が移され、事実上の「仙台教区」が生まれるといった具合に、20年余りの間に11教区というm「異常ともいえる速さで速い分離・独立が繰り返された。

 戦後になって、1947年に琉球使徒座管理区(後に「那覇教区」)、1961年に長崎教区から「大分教区」が分かれて誕生したが、現在の教区の体制は、戦前、1936年までに事実上、出来上がっていたわけで、逆に、大分教区誕生以来、教会内外の環境激変の中で、60年以上も、新たな再編統合に全く手を付けてこなかったことが奇異に感じられる。

*教会改革の目玉、”首都圏教区”構想をつぶしたのは誰か

 ちなみに、第二バチカン公会議での、世界に開かれ、共に歩む教会を目指す改革の方針決定を受けて、今から半世紀前、日本の司教団の中にも積極的な取り組みの動きがあり、具体的には、東京教区と横浜教区を再編・合併して「首都圏教区」とし、日本の教会改革の推進力とするアイデアが浮上したが、多くの司教たちの反対で日の目を見ることができなかった。

 再編統合の動きが、自分たちの関係する教区にも広がり、教区が削減、教区長である司教ポストも削減されるのは困る、自分の任期中にそのようなことがあっては困る、というのが、反対者たちの”本音”との見方もあったが、それが真実とすれば、誠に低レベル、目先の自分の利害しか考えない、聖職者にあるまじき対応だったといえよう。このようなことが、繰り返されないよう願いたい。

 

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 なお、日本時間8月16日午前9時過ぎにバチカンのホームページに掲載された内容、公式英語訳は以下の通り。上記の信徒数などに若干の違いがあるが、これは定義の違い、日本からの報告の時期の違いなどによるものと思われるが、大きな差はない。

Erection of the metropolitan archdiocese of Osaka-Takamatsu, Japan, and appointment of first metropolitan archbishop

The Holy Father has erected the new metropolitan archdiocese of Osaka-Takamatsu, Japan, by incorporating the archdiocese of Osaka and the diocese of Takamatsu.

The Holy Father has appointed His Eminence Cardinal Thomas Aquino Manyo Maeda, until now archbishop of the archdiocese of Osaka, as first metropolitan archbishop of the new archdiocese of Osaka-Takamatsu.

Curriculum Vitae

His Eminence Thomas Aquino Manyo Maeda was born on 3 March 1949 in Tsuwasaki, Kami Goto, Prefecture of Nagasaki, in the archdiocese of the same name. After completing his studies at the Nanzan High School of Nagasaki, he entered the Saint Sulpice Major Seminary of Fukuoka.

He was ordained a priest on 19 March 1975 and incardinated in the archdiocese of Nagasaki.

On 13 June 2011 he was appointed bishop of the diocese of Hiroshima, and received episcopal consecration on the following 23 September. Since 2014 he has served as metropolitan archbishop of Osaka, and was created a cardinal on 28 June 2018, of the Title of San Pudenziana.

Statistical data

Osaka Takamatsu Osaka-Takamatsu
Area (km sq) 15,031 18,804 33,835
Inhabitants 15,307,909 3,766,866 19,074,755
Catholics 47,170 (0.31%) 4,243 (0.11%) 51,413 (0.27%)
Parishes 77 28 105
Diocesan priests 48 19 67
Religious priests 90 16 106
Permanent deacons 1 3 4
Major seminarians 3 0 3
Men religious 17 1 18
Women religious 543 49 592
Educational institutes 91 27 118
Charitable institutes 89 24 113

 

2023年8月16日

・「皆に開かれた場となったいたのか」-WYDリスボン大会に参加したアフリカ系ブラジル人の若者たちが、差別的言動を受けたと訴え

Educafro activists attenting World Youth Day in Lisbon, Portugal, Aug. 1-6, 2023. (Credit: Photo courtesy Educafro.)

(2023.8.9 Crux  Contributor  Eduardo Campos Lima)

Black Brazilian group reports racist incidents during World Youth Day

 サンパウロ 発– 8月1日から6日までポルトガルのリスボンで開かれた世界青年の日(WYD)大会に(ポルトガルの植民地にされていた)ブラジルから参加した黒人のグループが帰国後の9日、大会に参加していた若者たちから人種差別的な攻撃を受けことを明らかにした。

 彼らが8月4日に撮影したビデオには、ブラジルの国旗を掲げたマルコリーノ・ビエイラ氏とすれ違う際に、白人の若者たちが猿の鳴き声を真似して、彼を揶揄している様子が映っている。

 ビエイラ氏は語る。「町の中を私たちのグループと歩いていたのですが、道に迷い、グループからはぐれてしまった。気が付くと、白人の若者たちに囲まれており、私を見て笑い、猿の鳴き声を真似したのです。スペインでの試合中に様々な人種差別的攻撃を受けたブラジルの黒人サッカー選手、ビニ・ジュニアとミリトンの名前を叫ぶ人もいました」。

 「私はポルトガル語以外の言語を話せないので、手振りで、彼らの振る舞いが何を意味するのか尋ねようとしました。すると、 彼らはすぐに私を取り囲みました。身の危険を感じ、近くの店に逃げ込んだのです」。 

 「このことを私は警察に届けようとしました。WYDのボランティアに相談しましたが、警察に届けるのを助けようとはしてくれなかった。むしろ、届けるのを思いとどまらせようとしている、と感じました。警察も届を受け付けてくれはしましたが、ビデオのコピーを提出することは求められず、この問題がどのように扱われたのか分からないままです」。

 29歳のビエイラ氏は、ブラジルがポルトガルの植民地だった時代にアフリカから奴隷として連れて来られ、逃亡した人々の共同体の流れをくむ”quilombola community”のメンバー。WTDリスボン大会には、フランシスコ会修道士のデビッド・サントス神父が設立したブラジルでの黒人の教育の権利を求める非政府組織Educafroの活動家たちと参加した。

 両親はカトリック教徒だが、自身はアフリカの伝統宗教を基礎にしたブラジルの民間信仰、Candombleの信奉者だ。リスボン滞在中は、郊外の小教区で受け入れられ、自分の人生と霊性について語ることができた。「ほとんどが、地元の人たちで、私の話を、敬意を持って聴いてくれました。彼らに歓迎されていると感じました」と語るビエイラ氏だが、大会そのものの場では、外国のグループから、たくさんの敵意にさらされた、という。

 ブラジルからの彼のグループは、 quilombolasのメンバーや黒人活動家、性同一障害者などで構成されていたが、メンバーの医師、ギルマー・サントス氏によると、大会初日の1日、グループが欧州の参加者たちに取り囲まれ、『泥棒』と罵声を浴びせられた。「その場所はとても混雑していて、歩くのに苦労していたのですが、突然、『お前たちの中にスリがいる』と叫んだのです。集団暴行を受けるのでは、と不安を感じました」。性同一障害の友人も、大会中、毎日のように嫌がらせを受けていた。「ある時、若い男性のグループがそばに来て、『お前は男だ。ここには居場所がないぞ』と言って、暴力を振るいそうになり、逃げざるを得なかった」という。 
 

 5日に、リスボンのテージョ公園で教皇フランシスコが主宰された「世界青年の日(WYD)」大会の夕の祈りの後、徹夜で過ごすことになった時にも問題が起きた。

  広場はさまざまな各グループごとに区画が割り当てられ、その区画にいることが求められたが、会場は多くの参加者で非常に混雑しており、彼らのグループは一つにまとまれず、バラバラになってしまった。

 「それで、私たちが欧州から来た若者たちのグループの近くで、横たわっていると、彼らは露骨に不快感を示し、私たちが割り当てられた場所はどこなのか聞いてきました。まわりには他の地域から来た人たちもたくさんいましたが、私たちだけが、立ち退くよう求められた。彼らはWYDのボランティアを呼び、移動するよう強制され、割り当てられた区画がとても遠かったので、やむなく、公園近くの歩道で寝ることにした」という。

  ビエイラ氏はリスボン大会を振り返って、「私たちは、WYD 大会に参加した全員と共に、自分たちの大会の主人公になれると期待して参加しました。でも、大会は、白人主体のイベントでした。カトリック教会は、人種差別に対する教皇フランシスコの思いを受け止め、それを実行する必要があります」と述べた。

 また、グループのメンバーたちがこのような、様々な不快の経験をしたことについて、サントス神父は「カトリック教会が、すべての人を歓迎したいのであれば、多くの内部変革が必要です。福音宣教とは、世界中のあらゆる差別と闘うこと、と理解すべきだ。(ブラジルについて言えば)カトリック校に入学する際の民族差別をなくすことや、黒人や先住民の司教や司祭を増やすことなど、広範な行動が求められます。初聖体や堅信の秘跡の際に、若い信徒たちに差別はいけないことを教えることも必要です」と述べたうえで、WYD大会で人種差別的な言動をした若者たちに責任を問らせる措置を求め、「彼らの身元を特定し、侮辱したブラジルの若者たちに謝罪させ、司教も人種差別を罪として非難する書簡を出す必要があります」と強調した。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2023年8月12日

・カトリック長崎教区は9日の平和祈願祭を台風接近で中止、浦上天主堂でのミサは9日午前11時過ぎから

(2023.8.8 カトリック長崎教区)

平和祈願祭中止のお知らせ

 台風6号の接近に伴い、参列者の安全確保のため、2023年8月9日(水)18時開催予定であった長崎教区主催「平和祈願祭」(平和祈願ミサおよびたいまつ行列)は中止いたします。

 なお、浦上教会では、8月9日(水)11時02分から、原爆により亡くなられた方々の追悼に合わせて、平和祈願の意向によるミサが行われます。このミサには、駐日バチカン大使のボッカルディ大司教様、そしてアメリカ合衆国から来られているニューメキシコ州のサンタフェ大司教区のウェスタ―大司教様、並びにワシントン州のシアトル大司教区のエチエンヌ大司教様も共にミサをささげます。

 ミサに参加できない方々におかれましても、原爆や戦争で亡くなられた方々のため、また平和への願いを込めてささげられるミサに心を合わせ、ともに祈っていただければ幸いに存じます。

2023年8月8日 カトリック長崎大司教区 大司教 ペトロ中村倫明

2023年8月9日

・カトリック広島教区の原爆投下8月6日のすべての戦争犠牲者追悼ミサなど行事

8月6日(日)

○ 6:15~ 7:15 宗教者平和の祈り 原爆供養塔前(平和記念公園内): 仏教・神道・キリスト教などの宗教者がともにより集い、原爆犠牲者を思い起こし平和を祈ります。
○ 8:00~ 9:00 原爆・すべての戦争犠牲者追悼ミサ *ライブ配信 *手話通訳付き 世界平和記念聖堂:原爆や戦争で犠牲になられた方々の永遠の安息と地上の平和を祈りましょう。

○ 10:00~ 主日ミサ
○ 11:15~13:15 特別講演 *ライブ配信 *手話通訳付き 世界平和記念聖堂
「忘れられた叫びが聞こえますかー戦火に生きる母子たちを支援してー」兵頭 博さん(ポーランド クラクフ サンスター日本語学校校長):ポーランドでウクライナ避難民を支援されている現場の声を伺い、ZOOMを繋ぎ現地の声を届けていただきます。

〇14:00~16:00 8・6キリスト者平和の祈り
○18:00~ 原爆犠牲者のためのスピリチュアルコンサート  世界平和記念聖堂 REQUIEM(フォーレ作曲)*エリザベト音楽大学同窓会
◆ノートルダム清心中高等学校ボランティアによる聖堂案内  集合場所 大聖堂入口  ①8/5 11:30~12:00 ②8/5 15:00~15:30 ③8/6 9:30~9:30
◆ウクライナ避難民の子供たちの絵画展 2023/7/30~8/6 世界平和記念聖堂

2023年8月6日

・8月1日からWYDリスボン大会-豪、加から若者の大巡礼団が参加

Portuguese pilgrims dance ahead of the World Youth Day celebrations in Lisbon, PortugalPortuguese pilgrims dance ahead of the World Youth Day celebrations in Lisbon, Portugal  (AFP or licensors)

    カナダとオーストラリアからの大勢の若い巡礼者たちが、8月1日から6日までポルトガルの首都リスボンで開かれる「世界青年の日(WYD」大会に向けた旅を開始した。世界各国の教区から参加予定の多くの若者たちも、1週間にわたる総会行事を心待ちにしている。

 オーストラリアからは20日、3000人を超える若者たちが、WYD大会が開かれるポルトガルに向けて出発した。活気に満ちた派遣団の中心になるのは、シドニー、メルボルン両大司教区の若者たちで、それぞれ500人以上が参加。教会関係の国際的な行事への参加規模としては最大級という。この大巡礼団には、18人の司教も参加しており、若者たちの霊的な成長を助け、導く役割を果たそうとしている。

 同国司教協議会の担当委員長を務めるプラウズ大司教は、教皇フランシスコの大会への招きに対する若者たちの熱狂的な反応に喜びを表明。 「聖ヨハネ・パウロ二世がこの素晴らしい大会を始められてから約40年が経過したが、今も世界中の若いカトリック教徒に霊的刺激を与え続けています。新型コロナウイルスの世界的大感染で中止され、2019年以来となる今大会を前に、若者たちの熱気が絶えずに続いているのは心強い」と語った。

  オーストラリアを上回る大巡礼団を準備しているのがカナダだ。同行の司教協議会によると、5000人を超える若者たちが、大会に参加する準備を熱心に進めているという。 WYD大会は 1986 年に始まったが、2002 年にはカナダが主催国となり、聖ヨハネ・パウロ 2 世教皇をトロントに迎えている。

 オンタリオ、ケベックなどの州などの若者を中心とするカナダ代表団は、リスボンでの大会で講演会、祈祷会、礼拝、世界中の才能ある若者を紹介する文化祭など、さまざまな行事に参加する予定。 また、先住民の若者たちにとって、大会参加は、昨年の教皇フランシスコの歴史的なカナダ訪問、カトリック教会関係者による先住民の子弟虐待への謝罪、癒しと和解の後を受ける、特別な意味を持つ。

 今回のWYDリスボン大会は、若い巡礼者の信仰の旅に後々まで影響を与える、重大かつ感動的なイベントになることになる、と期待される。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2023年7月21日

・ピオ12世の第二次大戦下の対応に焦点―10月にグレゴリアン大学主催の国際学術会議(Crux)

Undated file photo of Pope Pius XII. Pope Francis has ordered the online publication of 170 volumes of its “Jews” files from the recently opened Pope Pius XII archives, the Vatican announced Thursday, June 23, 2022, amid renewed debate about the legacy of its World War II-era pope. (Credit: AP.) 

(2023.7.13   Crux Staff)

   ローマ 発– 教皇ピオ12世とホロコースト(ナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺)に関する彼の「沈黙」を巡る論争「Pius Wars」が、新たに公開された資料によって再燃して1年、イエズス会が運営する教皇庁立グレゴリアン大学が主催する大規模な国際学術会議が、10月に開かれることになった。

 この会議は、「教皇ピオ12世に関係する新資料と、ユダヤ人とキリスト教の関係にとってのその意味」と題され、10月9日から11日までローマで開かれる。共催者として、バチカン公文書館のほか、バチカン文化教育省、ユダヤ人との宗教関係委員会も名を連ね、イスラエルと米国の在バチカン大使館や米国の特使も協力者となっている。

 グレゴリアン大学がVaticanNewsを通して発表した資料によると、この会議には歴史学者と神学者の両方が参加し、ホロコースト中の教皇ピオ12世の役割だけでなく、より広範に「複数のレベルでの」カトリックとユダヤ人の関係に焦点を当てる予定という。

その他、会議では、反ユダヤ主義を非難し、カトリックの新時代の到来を告げた第二バチカン公会議の宣言「Nostra Aetate(キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度について)」の取りまとめに貢献した歴史的運動について、最近公開された資料で明らかにされたものすべて検討する予定。参加者名や具体的な議題などの詳細は、9月に明らかにするという。

*教皇フランシスコが命じたピオ12世下の資料公開を機に起きた論争

 

 教皇フランシスコは2020年3月、第二次世界大戦期を含め1939年から1958年まで続いたピオ12世の治世に関する約1600万ページに上る資料を研究者に公開するよう命じていた。

 この新資料に部分的に基づいて、おそらく19世紀と20世紀のイタリアの歴史に関する米国の第一人者とされているブラウン大学の歴史学者、デイビッド・ケルツァー教授は、著書『戦争中の教皇』の中で、1939年に教皇に選出された直後のピオ12世とアドルフ・ヒトラーの間で、これまで知られていなかった交渉があったことを明らかにした。

 著書の中で教授は、この交渉は、「ナチス支配地域におけるバチカンとカトリック教会の制度上の利益」を守るのと引き換えに、「ヒトラーやナチスに対する公の非難を避ける」というピウス12世治世下の”一般的なパターン”の予兆となった、と主張。ピオ12世の擁護者たちがしばしば主張しているように、教皇が舞台裏でユダヤ人の命を救うために働いていたのは事実」と認めつつ、「一般的にそうした努力は、主にカトリックに改宗したユダヤ人、あるいはカトリック教徒として生まれたユダヤ人に向けられたものだった」と指摘している。

 さらに、ピオ12世のこの問題に対する慎重な姿勢の例として、「1943年10月16日のナチス占領軍によるローマのユダヤ人一斉検挙に対してバチカンがより積極的に反応しなかったこと」を挙げた。

  バチカン当局はこれらの指摘に激しく反応、バチカンの日刊紙新聞「オッセルヴァトーレ・ロマーノ」はイタリアのモリーゼ大学の歴史家で国際関係の専門家のマッテオ・ルイージ・ナポリターノ教授の批判的論考を掲載。ケルツァー教授は、1939年のピウス12世とナチス当局との接触に関する自身の主張する”発見”の重要性を誇張しているが、このようなやり取りは外交書簡の交換は日常的に行われており、秘密ではなかった」と批判し、その内容も「カトリック教会とドイツ政府の1933年協定が、当時のチェコスロバキアやオーストラリアなどナチス・ドイツ占領地域まで対象として含むか否か、という専門的な協定解釈に関する問題だったが、占領地域での信教の自由に関してヒトラーが譲歩を求めたのに対し、ピオ12世は受け入れを拒み、交渉は決裂したのだ」と反論した。

 また、1943年のローマのユダヤ人追放に関しても、ナポリターノ教授は「ケルツァー教授の指摘は事実と違う」と批判。ケルツァー教授が著書で「ピオ12世はユダヤ人追放の三日後に駐バチカン米国大使と会見したが、このことについて何も語らず、懸念の欠如を示していた」と書いているのに対しても、「会見が行われたのは、ユダヤ人が一斉検挙された2日前だった」と主張した。

 *2020年時点でのバチカンの「ピオ12世擁護」は、教皇フランシスコの「ウクライナ問題中立姿勢」への批判対策?

 おそらく偶然ではないだろうが、ケルツァー教授の著書が出版されたのとほぼ同じ時期、2020年にバチカンは資料の一部を研究者が利用できるようにデジタル版にして公開した。内容は、スペインのあるユダヤ人難民がピオ12世に訴え、 強制収容所から脱出できるように助けを受け、母親のいる米国に渡り、化学者としてのキャリアを続けることができた、というものだった。

 バチカン関係筋の中には、バチカンがピオ12世を批判から守ることに異常に積極的な姿勢を示したのは、ウクライナ危機に対して、侵略者(この場合はロシア)に公の場で強い非難を控え、舞台裏の人道的取り組みを好む教皇フランシスコの外交的中立を維持する姿勢に非難の声が上がっていた時期と符合していた、と指摘する声もあった。言い換えれば、関係筋の中に、「ピオ12世を擁護することで、間接的にフランシスコを擁護している」との見方だ。

  10月の国際学術会議の発表資料は、会議が「Pius Wars」の泥沼にはまるのを避ける努力を示唆しているが、(ピオ12世の第二次大戦中の対応をめぐって)緊張が表面化するのはおそらく避けられないだろう。バチカン関係者たちは、戦時下の教皇の中の”栄光の道”を妨げていると認識されている問題に関するヒントを含め、この会議で何が明らかになるか、に細心の注意を払うことになるだろう。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2023年7月13日

(評論)教皇フランシスコの健康を案じるなら、改革派教皇レオ13世の”術後”を振り返ろう(Crux)

 

教皇レオ13世 作: イタリアの写真家(2023.6.8 Crux  Editor  John L. Allen Jr.)

   健康上の問題を抱えた新教皇が選出された。彼は着座の当初から「教皇職に長くとどまるつもりはない」と周囲の人々に語っていた。だが、誰もが予想していたよりも長く教皇職を務め、深刻な手術を必要とする健康上の危機に直面し、多くの人々が終わりが近づいていると考えるようになった。だが、手術が成功し、彼はそれからさらに4年間、つまり米国の大統領の任期に相当する期間、聖ペトロの座に留まることになる。彼の長寿は驚くべきもので、バチカン内部の関係者たちが「我々は教皇を選んだと思っていたが、実際は“永遠の父”を選んだのだ!」と冗談を言うほどだ…

 この教皇は、ローマのジェメッリ病院での2年ぶり2回目の手術から回復中の教皇フランシスコを指すことになるかも知れない。だが、実際には、レオ13世教皇— 1878 年に選出され、1903 年に 93 歳で亡くなるまで教皇職を務め、聖ペテロ、ピウス 9 世、ヨハネ・パウロ2世に次いで史上 4 番目に長い在任記録を作った教皇—を指しているのだ。(ちなみに、現在、86歳の教皇フランシスコは、120年前にレオ13世が亡くなって以来、在位中の最高齢の教皇となっている。)

 つまり、この「レオ13世の生涯」は、教皇フランシスコの現在の闘病に過度に“関心”を持つ人への“警告”と言えるかもしれない。

 レオ 13 世とフランシスコの類似点は、健康上の難題に直面した際の回復力にとどまらない。2人とも「政治的急進派」ではないが、教皇在任時のカトリック教会の標準から見れば「改革者」、穏健派からは「進歩派」である。

 1891 年に回勅『Rerum Novarum(新しい事柄について)-資本と労働の権利と義務』によって、カトリック教会が社会問題について取り組むことを明確にしたのがレオ 13 世だったことは、よく知られている。また、近代民主主義の台頭と政教分離に対してカトリック教会の位置づけを変えたのも教皇レオ 13 世だった。ピオ9世の下での“絶対的な拒否”から”慎重な開始”へと移行し、それは、1929年のラテラノ協定、そして最終的には信教の自由に関する第2バチカン公会議の宣言『Dignitatis humanae(人間の尊厳)』につながった。

 1899 年の手術成功から 4 年後の教皇職の終わりまでの間に、レオ 13 世が何を達成したかを列挙すると以下のようになる。

 ・1899年、ローマで第1回ラテンアメリカ会議を主宰した。この会議は、ラテンアメリカの現地のさまざまな教会の大陸的な連帯意識を促進する会議であり、これは第2バチカン公会議後にCELAM(ラテンアメリカ司教評議会)の創設で開花した。
・イエスの聖心への人類の奉献に関する回勅『Annum Sacrum 』を公布した。カトリックの精神性の特徴となっている「初金(月の最初の金曜日)の信心」を促進した。
ジャン=バティスト・ド・ラ・サールを列聖した。ラ・サールは近代教育の先駆者。当時、西欧では上流階級の子女だけが家庭教師からラテン語による教育をうけるのが一般的だったが、彼は、平民の子供を集め、日常用語であるフランス語で教育を行う、現代の学校教育のシステムに通じる革新的な教育法を実践した。レオ13世は、このような教育法を危険視した伝統主義者たちからの強い抵抗を押し切り、彼を列聖した。

 ・”アメリカ主義”に警告を発した。同主義は、欧州の一部のカトリック思想家が 19 世紀後半の米国で指摘した個人主義と組合教会主義(独立自治の原則に立ち,上からの支配を否定する教会を肯定する主義)を基礎にし、異端と見なされた思想。その中身の多くは作り話だったが、それが元で起きた論争は、バチカンと普遍教会とつながったアメリカ・カトリックを思い起こさせた。

 ・1899年から1903年の間に32人の新しい枢機卿を任命し、教皇選挙権を持つ枢機卿の過半数を確保した。(だが、レオ13世に選ばれた枢機卿たちは、後継の教皇にピオ10世を選び、新教皇は、レオ13世が解放した教会改革のエネルギーを抑圧する「反近代主義」の強硬策に手を付けた)

 ・手術後の1900年の大聖年を主宰し、イタリアにおける民主主義擁護者とその反対者を和解させる回勅を出し、東方カトリック教会内の団結を促進し、録画と録音の両方を活用した最初の教皇となった。 これにより、教皇の「大衆文化の名士」としての伝統が始まった。

・・・・・・・・・・・・・

 このようなレオ13世と同じように、教皇フランシスコが手術後に大きな業績を残す可能性は十分にある。8月初めの、「世界青年の日」世界大会出席のためのポルトガル訪問、そしてモンゴル、マルセイユへの訪問がすでに計画されていることに加えて、今年と来年の10月の2回にわたる世界代表司教会議総会を主宰、さらに2025年には大聖年を予定している。

 もちろん、人の命には何の保証もないし、予定外の何かが起こる可能性がある。だが、フランシスコのこれまでの実績を考えると、現時点で彼をこのような予定から除くことが賢明な賭けであるかどうかは疑わしい。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載しています。Crux is dedicated to smart, wired and independent reporting on the Vatican and worldwide Catholic Church. That kind of reporting doesn’t come cheap, and we need your support. You can help Crux by giving a small amount monthly, or with a onetime gift. Please remember, Crux is a for-profit organization, so contributions are not tax-deductible.

2023年6月9日

・(論考)現在の世界的な危機の中で、神は「沈黙」しているのか (La Civiltà Cattolica)

(2023.4.19 La Civiltà Cattolica Joseph Lobo, SJ)

(このエッセイの狙い)

 原理主義の台頭、欺瞞的なポピュリズム、悪意に満ちた多数派主義、暴力的な右翼政治とその愛国主義的政策、大衆の極度の貧困、人々の強制退去、戦争によって解き放たれた悲惨さなど、多くの人々が私たちの今の時代に起きていることに圧倒されている。

 そして、新型コロナの世界的大感染、搾取された人々の”骨格”の上に帝国を築く”全能”の企業、拡大する生態学的災害…。

 何よりも、人々はしばしば知覚し、人を恐ろしい死に至らしめる神の「沈黙」に呆然とし、預言者ハバククの次のような叫びを現代の人間の苦悩の叫びに重ね合わせる。

 「主よ、いつまで助けを求めて叫べばよいのですか。あなたは耳を傾けてくださらない… なぜ黙ったおられるのですか。悪しき者が自分より正しい者を呑み込んでいるのに」 (旧約聖書ハバクク書1章2節、13節)。 これが何を意味するのか疑問に思う。

 以下の記事で、三つの極の間を無益に往復する典型的で伝統的な神学の問題に厳密に対処するつもりはない―三つの極とは① 神は善だが、全能ではない。 したがって、悪が存在する② 神は全能だが、善ではない。 したがって、悪が存在する③ 客観的な悪は存在しない。 それは善の剥奪であるか、主観的な認識のみだ―である。

 さらに第四の立場は、「悪と苦しみを引き起こす人間の自由の悪用を神が許す」というものです。申命記 11章13-17節 などのテキストに基づいて、「悪と苦しみを人間の不従順に対する神の報復行為」として解釈する 5 番目の位置さえありうる。

 だが、ヨハネ 福音書9章2-3 節(「弟子たちがイエスに尋ねた…『この人が生まれつき目が見えないのは誰が罪を犯したからですか。本人ですか。それとも両親ですか』。イエスはお応えになった。『本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである』」)は、そのような解釈に断固として反論している。 これらすべてを念頭に置いて、私は、私たちの時代に感じられた「神の沈黙」について考察し、それについて推測するのではなく、それに対応するための実りある方法を提案しようと思う。

(この記事は有料購読者専用です。 この記事を読み続けるには、La Civiltà Cattolicaを購読する必要があります)⇒https://www.laciviltacattolica.com/newsletterへどうぞ。)

 

 

 

2023年4月20日

・言論NPOなど世界10か国のシンクタンクによる東京会議、G7首脳会議へメッセージ

(2023.3.24 言論NPOニュース)

 アメリカ、イギリス、イタリア、カナダ、ドイツ、フランス、日本の G7加盟国にインド、シンガポール、ブラジルを加えた世界10カ国のシンクタンクの代表者による「東京会議2023」が24日、東京都内のホテルで開かれ、「日本でのG7首脳会議に向けたメッセージ」を採択、同日夕の歓迎夕食会に出席した岸田首相に手渡された。

 今回のG7首脳会議に向けた共同声明は七つのセッションで議論を深め、共通の理解の元に集約した。特に民主主義制度を鍛え直し、世界課題の解決のために努力することを目的に、五つの諸課題に焦点を当てている。

 具体的には①ロシアのウクライナ侵略の和平交渉に実現のため、G7各国は関係国との対話を急ぐべきだ。②厳しい世界経済の状況下にあって、G7各国は気候変動の危機的状況に高い優先順位を持ち、公平に対処すべきだ。③新興国や途上国の経済悪化が懸念される中、G7各国は危機管理と債務問題の解決に向けて一層努力を払うべきだ。同時に中国に対しても、国際協力の姿勢を示すよう求めよ。④G7各国は省エネなど新しい技術開発、情報共有など資源外交を拡大すべきだ。⑤自由と法の支配を守る民主主義の修復のため、G7各国は中間層を再構築し、社会基盤を安定化させるべきだ──などと記し、世界的な喫緊の課題を踏まえた内容となった。

 メッセージの全文は以下の通り。

  「日本でのG7首脳会議に向けたメッセージ」 東京会議 2023年3月24日

 私たちは3月24日、アメリカ、イギリス、イタリア、カナダ、ドイツ、フランス、日本の G7加盟国に、インド、シンガポール、ブラジルを加えた世界10カ国のシンクタンクからの参加者が東京に集まり、今回で7回目の「東京会議2023」を開催した。メアリー・ロビンソン元アイルランド大統領、ウィリアム・ヘイグ元英外相、その他のゲストにも参加いただいた。

 自由と民主主義の価値を共有する10カ国の参加者が、東京で対面の会議に参加するのは、コロナ禍でオンライン会議となった過去二回を経て、3年ぶりである。

 ロシアのウクライナ侵略で始まった戦争は一年を経過しても収まらず、世界の平和秩序は依然、壊れたままである。その影響は世界経済の一層の不安定化や資源エネルギーの高騰などに波及し、多くの国際課題への多国間協力が暗礁に乗り上げている。

 また、米中の競争激化は、世界が分断に向かう危険性をさらに高めている。全てを安全保障の側面から考える傾向が強まっており、21世紀は民主主義国と権威主義体制との対立の時代となるとの見方が広がっている。

 この歴史的に重大な局面で、10ヵ国の参加者のリーダーが東京に集まったのは、今がまさに、世界の対立をこれ以上悪化させず、世界の課題で多くの国が力を合わせる、その局面だと考えるからである。この点について、私たちは議論を行い、今年のG7議長である日本政府に提案しようと考えた。そして、日本の岸田文雄首相は、2017年の「東京会議」の設立時に参加・協力した政治リーダーの一人である。

 この二日間、私たちは7つのセッションで議論を深め、特に二つの点で共通の理解を得た。

 まず、私たちが目指すべきことは、世界の分断をこれ以上悪化させないことであり、法の支配や自由、領土の一体性と人権を基本とするルールに基づく世界を守るために多くの国が結束することである。そして、より強靭性と持続性のある世界に発展させる努力を始める、ことである。

 そのためにも、世界は、ロシアのウクライナ侵略に基づく戦争を領土の一体性の原則を維持する形で正当かつ公平に一刻も早く終結させ、混乱した国際秩序を修復させると同時に、国際課題への協力に向けこれまで以上の努力を行わなくてはならない。

 二点目は、私たち民主主義国に問われた特別の責任である。自由や平等、基本的人権は、先人の長い努力で獲得した人類の共通の財産である。民主主義の国際社会での正統性をより高めるためには、民主主義国自体が国際政治の場や市民の強い信頼に支えられる必要がある。

 そのためにも民主主義国は自国の民主制度を鍛え直し、その有用性を高めないといけない。過度に対立を拡大するのではなく、世界課題の解決のため率先して努力し、国内の政治体制の如何に関わらず、世界が抱える問題を解決しようとする国々と連携しなくてはならない。

この問題意識から、私たちは以下の5点に焦点をあてた。

  • 1.国際社会にとっての最優先課題は、ロシアのウクライナ侵略に基づく戦争を正当かつ公平な形での終結を可能な限り早く実現し、平和の秩序を再建することである。侵略を受けているウクライナへの軍事や人道支援、さらに国際経済への影響は配慮しながらも実効性のあるロシア制裁により多くの国が参加する努力は今後も必要である。しかし、一刻も早く和平交渉に持ち込むためには、より多くの国が力を合わせなくてはいけない。その目的の達成のためにも、G7各国は関係国との対話を急ぐべきである。

  • 2.世界経済は厳しい状況にあり、米中のデカップリングも進んでいるが、経済のイノベーションと世界経済の成長のためには、健全で公平な競争に基づく開かれた自由貿易こそ、守らなくてはならない。私たちは法の支配、自由、人権を守るために結束するべきであり、今後も自由経済の発展のために力を合わせ続けなくてはならない。私たちが取り組むべきことは、グローバルあるいは地域における自由貿易の再構築であり、そのためのルール作りに取り組むことである。分断の先鋭化や保護主義に陥ることは避けなくてはならない。G7各国は、気候変動の危機的状況に高い優先順位を持ち、公平な方法で緊急にこの問題に対処しなければならない。

  • 3 世界的なインフレによる利上げや資源価格の高騰は世界の経済や金融を不安定化させ、新興国や途上国の経済悪化から、途上国の債務問題を拡大させている。G7各国は世界経済で懸念される危機を管理すると同時に、債務問題の解決のためのコモン・フレームワークが実効的に稼働できるように一層の努力を行う。この債務問題では、債権国中国にも貸し手としての責任を遂行し、国際協力の姿勢を世界に示すことを求める。

  • 4.ウクライナ侵略を受けて発動されたロシア制裁を受け、石油、天然ガスなどの資源価格の高騰から、資源ナショナリズムの傾向が世界的に強まり、資源争奪や生活に必要な資源を確保できない国が出ている。G7各国は、途上国などへの省エネ技術、調達先の紹介や、代替資源の開発に向けた一体的な支援など、需要・供給両面からの取り組みをさらに強化するべきである。また、G7国間でも新しい技術の共同開発や情報共有、緊急時の資金供与など資源外交を拡大すべきである。

  • 5.民主主義の修復のためには、G7各国で中間層を再構築し、民主主義の社会基盤を安定化させることが必要である。そのためには賃上げだけではなく、新しい変化や多様な価値に対応する人的投資を行い、民主主義国自体の強靭性を高めなくてはならない。また、民主主義国は、共通の基盤を持つ多くの国と、民主的な政治制度における違いを認めたうえで連携する必要がある。こうした連携こそが、私たちが信じる民主主義、自由と法の支配を守るための砦となるからである。

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・G7の一つの目標は「法の支配に基づく国際秩序を守り抜くというG7の決意を力強く示すこと」と岸田首相

 3月24日の「東京会議2023」の公開フォーラムで採択された「日本でのG7首脳会議に向けたメッセージ」(共同声明)は、その後、開かれた歓迎夕食会で言論NPO代表の工藤泰志から、「東京会議」の生みの親の一人でもある岸田首相に手渡され、首相からG7に向けた決意が表明された。

 岸田首相は講演の冒頭、「世界は今、歴史の転換期を迎えている。ロシアによるウクライナ侵略は、国際社会のルール・原則そのものへの挑戦だ」と強く非難した上で、日本の首相として戦後初めて戦地に入るという、ウクライナへの歴史的な電撃訪問を回顧。「ロシアによる侵略を一刻も早く止めなければならないとの決意を新たにした」と語った。

 その上で、今年5月の広島サミットにおいて、日本がG7議長として達成しようとしている目標について説明した。

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 その第一の目標は、「法の支配に基づく国際秩序を守り抜くというG7の決意を力強く示すこと」とし、ロシアによるウクライナ侵略に限らず「力による一方的な現状変更の試みは、東シナ海や南シナ海においても続いている。さらに、経済的威圧もまた、看過することのできない課題」であると指摘。

 「大小問わず、すべての国は、法の支配の下でこそ、平和と安全を確保することができ、また、自由で開かれた国際秩序の恩恵を享受することができる」とし、広島サミットでは、「いかなる地域においても力や威圧による一方的な現状変更を認めず、法の支配に基づく国際秩序を守り抜く、というG7の結束とその意思を、国際社会に示す」と意気込みを語った。

 同時に、「ロシアが行っている核兵器による威嚇もまた国際社会の平和と安全に対する深刻な脅威」とし、被爆地・広島で行われるサミットでは核兵器による惨禍を再来させないための「G7として現実的かつ実践的な取組を進めていくとの力強いメッセージを発信したい」と述べた。

 続いて、G7議長国としてのもう一つの優先課題として、「いわゆる『グローバル・サウス』への関与の強化」を提示。その理由として、多様化する世界の中で「様々な特色を持った国のパワーが相対的に増してきている」との認識を表明しつつ、こうした新たな勢力との対話と協力を進めていく必要があるとした。

 特に、気候変動を始めとする地球規模の課題深刻な問題については、G7間で議論するだけではなく、グローバルサウスを含めた国際社会と広く連携していく姿勢が大事であり、ウクライナ訪問に先立つインド訪問もその戦略の一環だったと説明。

 「モディ首相との間ではG7とG20で連携して、国際社会の重要課題に取り組むことを確認した」と振り返りました。また、インド滞在中に「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」の新プランを発表したことについても、「国際社会を分断と対立ではなく協調に導くとの決意を示したもの」としつつ、FOIPのビジョンを共有する国々との連携・協力の輪を広げていくとの意向を示した。

 最後に、「我々の目の前にある挑戦は、G7にとってのみならず、国際社会の基本原則を共有し、人類の平和と繁栄を願う全ての国々にとっての挑戦である」とし、こうした認識の下、「この時代に何が求められているのか、現実的な外交を通じて、G7議長国としての目標達成に取り組み、グローバル・サウスを含む、国際社会のあらゆる国々と共に新たな時代を築いていく」と決意表明し、講演を締めくくった。

(編集「カトリック・あい」)

2023年3月25日

・教区司祭2人含めて6人の新司祭が東京カテドラルで叙階(菊地大司教の日記)

(2023年3月22日 (水) 菊地大司教の日記 「司祭叙階式@東京カテドラル」

2023_03_21_023 3月は卒業シーズンですから、各地の教育機関では卒業式が行われています。司祭を養成する学校である神学校も、この時期、神学生が巣立っていきます。厳密な意味では違うのですが(司祭の養成そのものは生涯養成で卒業がないので)、その卒業式にあたるのは司祭叙階式ですが、3月21日には、全国各地で叙階式が行われました。

2023_03_21_027 東京カテドラル聖マリア大聖堂では、久しぶりに多くの方に参加していただき、また内陣に司祭団もあげて、司祭叙階式を執り行い、六名の新しい司祭が誕生しました。

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 この六名の新しい司祭とは、東京教区のフランシスコ・アシジ 熊坂 直樹(くまさか なおき)師、フランシスコ・アシジ 冨田 聡(とみた さとし)師、コンベンツアル聖フランシスコ修道会の大天使ミカエル 外山 祈(とやま あきら)師、テモテ・マリア 中野里 晃祐(なかのり こうすけ)師、聖パウロ修道会のレオ 大西 德明(おおにし とくあき)師、そしてレデンプトール会のフランシスコ・アシジ 下瀬 智久(しもせ としひさ)師の六名です。みなさんおめでとうございます。

 神様からの呼びかけに応え、御父から司祭職を授けられました。この道を生涯歩み続けることができるように、共に祈りを続けたいと思います。

 なおこの日のミサには、先日叙階されたイエズス会の森・渡辺の二人の助祭も参加してくださいました。

 それぞれの修道会での喜びであり、個別にお祝いも考えられたかと思いますが、こうして教区の中心にあるカテドラルで一緒に叙階されることで、司祭誕生の喜びを修道会に留めることなく、教区全体の喜びをして祈りの時を共有できたかと思います。ご一緒にと言う教区からのお誘いに快く応じてくださった修道会の皆様に感謝します。昨日誕生したこの六名の司祭をはじめ、この時期に各地で誕生している新しい司祭たちの、これからの協会での活躍に期待しながら、司祭の召命のために祈り続けます。

 なお、熊坂新司祭は北町教会・豊島教会の助任司祭として、また冨田新司祭は松戸・市川教会の助任司祭として、それぞれ、復活祭後から派遣いたします。

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2023_03_21_073 以下、叙階式ミサの最中、呼び出しと養成担当者からの適格性の確認の対話後におこなった、説教の原稿です。

【東京教区、レデンプトール会、パウロ会、コンベンツアル会 司祭叙階式ミサ 東京カテドラル聖マリア大聖堂 2023年3月21日】

この三年間、感染症による危機的な状況の中で、私たちは、世界中のすべての人たちと一緒になって、どこに光があるのか分からないまま、暗闇の中を彷徨い続けてきました。

命は神の似姿として創造された尊厳ある存在であり、すべての命は例外なく神からの賜物として与えられたと信じる私たちには、この現実の中でとりわけ命の意味について深く考え、責任を持って命の尊厳を語り、そのために行動する務めがあります。

東日本を襲った巨大地震と津波の発生から、数日前に12年となりましたが、あの時、私たちは、自然の驚異的な力の前に、人間の知恵や知識のはかなさを痛感し、命の創造主の前で謙遜に生きなければならないことを、実感させられました。12年におよぶ復興の時にあっては、互いに支え合い、連帯のうちに歩むことこそが、命を生きる希望を生み出すことを学んだはずでした。しかし残念ながら、私たちは時の流れとともに教訓を忘れ去ってしまいます。忘れ去ったところに襲いかかったのが、この感染症でありました。

私たちはこの一連の時の流れの中で、私たちを巻き込む様々な出来事のただ中に身を置きながら、どこに向かって歩むように、と導かれているのかを考えてみる必要があります。

2023_03_21_159 感染症によってもたらされた危機は、私たちを疑心暗鬼の闇に引きずり込みました。先行きが分からない中で、人は自分の身を守ることに躍起になり、心は利己的になりました。利己的になった心は余裕を失い、社会全体は寛容さを失いました。寛容さを失った社会は、暴力的、攻撃的になり、異質な存在を排除して心の安定を求めるようになりました。深まる排他的感情の行き着く先は、命への暴力であり、さらには戦争の勃発です。

この感染症の危機の中で、皆で光を求め、共に歩まなくてはならないときであるにもかかわらず、ミャンマーではクーデターが起き、一年前にはウクライナで戦争まで始まり、いまだ終結の気配さえ見せていません。

ちょうどこの困難な時期に教皇様は、シノドスの道を共に歩むようにと呼びかけておられます。そのテーマは、「共に歩む教会のため-交わり、参加、そして宣教-」と定められました。私たちは今その道程を、全世界の教会とともに歩んでいます。各国が報告書を作成し、提出したらそれで終わりではないのです。私たちには、教会のあり方そのものを見つめ直し、新たに生まれ変わることが求められています。道程は、まだまだ続いていきます。

2023_03_21_274 私たちは一人で生きていくことは出来ません。孤独のうちに孤立して命をつなぐことはできません。神からの賜物である私たちの命は、互いに助けるものとなるために与えられています。互いに支え合って、共に道を歩むことで、私たちは命を生きる希望を見いだします。

人間関係が希薄になり、正義の名の下に暴力が横行し、排除や排斥の力が強まる陰で孤独や孤立による命への絶望が深まる今だからこそ、命の尊厳を守り抜き、そのために互いに連帯し、支え合いながら、道を歩むことが不可欠です。

命の与え主である神に向かってまっすぐと歩みを進めるために、聖霊の導きをともに見出さなくてはなりません。そのためにも、互いのうちに働かれる聖霊の声に耳を傾け、共に祈る中で、神の導きを見出していかなくてはなりません。教会共同体がともに歩むことは、命を生きる希望を生み出す源です。

交わりによって深められた私たちの信仰は、私たち一人ひとりを共同体のうちにあってふさわしい役割を果たすようにと招きます。交わりは参加を生み出します。一人ひとりが共同体の交わりにあって、与えられた賜物にふさわしい働きを十全に果たしていくとき、神の民は福音を証しする宣教する共同体となっていきます。果たして今、私たちの教会共同体は、何を証ししているでしょうか。

さて皆さん、この兄弟たちは間もなく司祭団に加えられます。・・・

(以下、叙階式定式文に続く)

ビデオでは、2:48:00から、叙階をうけた新司祭のインタビューをご覧いただけます。当日のライブ配信そのままの録画ですので、いろいろと周囲ががたがたしていますが、ご覧いただければと思います。またインタビュー前には、記念撮影の状況もご覧いただけます。

2023年3月22日

・(評論)劇的な10年を経て…”ゴルバチョフ・ジレンマ”に直面する教皇フランシスコ(Crux)

(Credit: Both images by Associated Press.)

(2023.3.12 Crux Editor  John L. Allen Jr.)

 ”彼”が権力の頂点に立って10 周年を迎える頃には、この”異端児”の指導者の下では何も変わらないことが明らかになった。 彼の開放性、改革への情熱、可能性への感覚は、世界の想像力を捉え、彼が率いる組織を未知の領域へと駆り立てたが、やがて制御不能に…。

 海外での絶大な人気にもかかわらず、国内では、左右両陣営からの断固たる攻撃を受け、彼自身の組織は引き裂かれ、二極化し、ますます脆弱になっていく。

After a dramatic decade in power, Pope Francis faces a Gorbachev dilemma

 これまで考えられなかった 10 年間の変化は、伝統的な確信を打ち砕き、ほぼすべてのことが可能に見える状況を作り出した。その中には、”指導者”が考えも、望みもしなかったものも含まれている。

 このように、聖ペトロの後継者に選ばれて 10 周年を迎えた教皇フランシスコを説明できるかもしれない。しかし実際には、それは1991年初頭、トップとして懸命に内部から革新しようとしていた「帝国」が崩壊する直前のソ連大統領、ミハイル・ゴルバチョフの姿だ。

   そして今、教皇フランシスコが”ゴルバチョフ問題”を抱えていることは明らかなようだ。

 

*教会外での絶大な称賛、内における左右双方からの攻撃…

 カトリック教会の外では絶大な称賛を得ているが、内においては、批判的な声がますます高まりを見せている。ゴルバチョフのように、フランシスコは、進歩的な姿勢に不満を持つ伝統主義の右派と、単なる”改革”ではない、実のある”改革”を渇望する性急な左派の両方から攻め立てられている。

 同じようにフランシスコも、前の教皇の下で過小評価されていた人々―ウォルター・カスパー枢機卿、オスカー・ロドリゲス・マラディアガ枢機卿など―を復権させ、離婚して民法上の再婚をしているカトリック教徒に聖体拝領を認めることや、ラテン語のローマ典礼ミサの規制など、教会の方針を逆転させた。

 

*制御不能の地滑りを起こしたゴルバチョフの二の舞となるか、それとも…

 

 今から見て、ゴルバチョフが何を目指していたかは明らか―社会正義と世界的連帯を約束するソ連の政治システムをその約束通り実現させたかったのだ。彼のビジョンは、素晴らしい未来を約束するに十分強力なソ連の政治機構だった。

 そのような試みが、実際にはどう展開したか。過去の復活を目ざす”8人の盗賊”が率いる保守反動分子による1991 年 8 月の反ゴルバチョフ・クーデターの挑戦を受け、それを失敗させた後、 ボリス・エリツィンに政権を譲り、彼の下でソビエト連邦は、12か国による独立国家共同体に移行、連邦は終焉を迎えた。そして… ゴルバチョフは昨年亡くなるまで主張し続けていた―新しいソ連の政治システムというビジョンが勝利を収めていれば、ロシアは、共産主義と経済の崩壊、そして独裁全体主義国家への回帰-プーチン大統領の下での”帝国”には立ち至らなかったろう、と。だが、実際には、ゴルバチョフ自身が制御不能の地滑りを引き起こしてしまったのだった。

 そして今の問題は、フランシスコもまたゴルバチョフと同じ運命をたどるのか、それとも”魔神”を瓶の中に閉じ込めることに成功するのか、である。

 先行したゴルバチョフのように、フランシスコは今、自身のカトリック教会のシステムの内部で強力な”右翼”の動きに直面している。 彼らが実際に”クーデター”を試みる可能性は低いものの、教皇が推進する課題の多くに対して、積極的に、あるいは受動的に抵抗する傾向があるのは確かなことだ。

 その一方で、さらに抜本的な教会改革を実行する許可を待とうとしないリベラル派集団の増加にも直面している。その動きは現在、ドイツやベルギーなどの西欧の一部の国で顕著だ。 バチカンの指針をあからさまに無視して、同性婚に祝福を与えるのを認める方向でのドイツの司教団の採決は、ゴルバチョフの回避の呼びかけを無視してエリツィンたちリベラル派が強行した1990年ロシア連邦人民代議員大会選挙を想起させる。

 

*ソ連を凌駕する持続力を持つ教会、だが穏健な改革が左右両派の攻撃に耐えられるか?

 

 確かに、カトリック教会は、ソ連をはるかに凌駕する持続力を持っている。 ソ連の寿命は70年足らずだったが、 カトリック教会は2000年以上前から存在している。 フランシスの下で対立がどれほど激しくなったとしても、彼が率いる教会が単純に解体されることはまずない。

 にもかかわらず、問題は残っている― フランシスコによって描かれた穏健な改革は左右両派の攻撃に耐えることができるだろうか?  それとも、二極化が進む時代の強力な遠心力の働きで、破断は避けられないのだろうか?

 言い換えれば、フランシスコは、ゴルバチョフの台本に最後まで倣う運命にあるのだろうか? 詩篇で語られているように、この苦杯をなめる運命にあるのだろうか? それとも、カトリック教会の回復力が予想外に強力で、フランシスコ自身も経験から学ぶ機会を与えられているとすれば、ゴルバチョフが失敗したところで成功し、新しいエネルギーと目的意識をもって課題に立ち向かう用意のある組織体制を後に残すことができるだろうか?

 それを判断するのは時期尚早だが、フランシスコが 教皇在位10 周年を迎えた今、少なくとも次のように言うことはできる―教皇職の残りの期間で、”歴史上に実在したゴルバチョフ”となるのか、それとも物事が実際に計画通りになる”ゴルバチョフが歩んだ時空とは別の時空のゴルバチョフ”になるのか、だ。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載しています。Crux is dedicated to smart, wired and independent reporting on the Vatican and worldwide Catholic Church. That kind of reporting doesn’t come cheap, and we need your support. You can help Crux by giving a small amount monthly, or with a onetime gift. Please remember, Crux is a for-profit organization, so contributions are not tax-deductible.

2023年3月14日

(評論)教皇フランシスコ在位10周年:慈しみと平和の願いを込めた宣教の熱意(VN)

(2023.3.12 Vatican News   Isabella Piro )

 教皇フランシスコ、当時のホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿がローマ教皇に選出された日から13日で10年が経つ。福音宣教への情熱と宣教的な意味での絶え間ない教会改革の歩みに特徴づけられた10年の時間の流れは、2つの異なる見方で捉えることができる。一つは「前に進んでいく時間」、もう一つは「他者と出会い、豊かになって戻る、めぐる時間」である。

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*「前進」と「巡回」が重なる形で進むフランシスコの教皇職

 

 「時間は、空間を超える」-教皇は、着座して最初に出された使徒的勧告「福音の喜び」の中でこう述べておられる。この勧告は、教皇着座から今日までの10年を、たくさんの意味とともに包み込んでいる。

  イエズス会士で南米出身の最初の教皇、フランシスコと名乗られ、さらには前任教皇の退位後に選出された近代初の教皇 にとって、「空間は、進行を強固なものにし、時間は、未来に向かって歩みを進め、希望をもって前進するよう私たちを力づける」ものだ。この時間の理解は、フランシスコの教皇職を解釈するうえでの鍵-「前進」と「巡回」が重なる形で展開する。前者は「人を歩み始めさせる時間」であり、後者は「出会いと兄弟姉妹愛の広がりを持つ時間」だ。

 

*使徒憲章「福音の宣教」に象徴される「前進の時間}

 「前進の時間」で第一に挙げられるのは、2022年に発布された使徒憲章「Praedicate Evangelium( 福音の宣教)」だ。この憲章は、教皇庁組織により宣教的な構造をもたらした。新しく導入されたものの中で、支援援助省や、教皇によって直接運営される新生の福音宣教省の設立などが目を引く。さらに、教皇庁における信徒の登用に目を向けるとともに、2015年の財務事務局の創設はじめ教皇のこの10年に経済・財政分野で行ってきた多くの改革の仕上げを目指している。

 教皇フランシスコによって始められた様々な歩みは、エキュメニズム、諸宗教対話、シノドスの中にも見られる。

 教皇は、毎年9月1日に正教会と共にキリスト者に「エコロジー的回心」をアピールする「環境保護のための世界祈願日」を2015年に創設。教皇は、同年に発表されたご自身の2番目の回勅(最初の回勅は、前任教皇ベネディクト16世との共著「信仰の光」)「ラウダート・シ − 共に暮らす家を大切に」の中でも同様の呼びかけを記している。

*地球環境,教会一致、諸宗教対話

 

 同回勅の主軸となるものは、「共に暮らす家を大切にする」ための取り組みを人類が責任をもって負うようにとの、「航路の変更」の勧告である。取り組むべきものの中には、貧困の根絶や、貧しい人々への関心、地球の資源に対するすべての人の平等なアクセスが含まれている。

 2016年2月12日、教皇はキューバで、モスクワおよび全ロシア総主教キリル1世と会見、「慈愛のエキュメニズム」-より兄弟愛に満ちた人類を築くキリスト者の共通の努力-を実践する共同宣言に署名した。この努力は、2022年3月16日、ウクライナにおける戦争のただ中という悲劇的な状況の中でも行われた。教皇フランシスコとキリル1世は電話会談を行い、この中で「和解プロセス」を目指す「停戦」への共通の努力を強調した。(「カトリック・あい」注:残念ながら、この”成果”は、ウクライナ軍事侵攻を止めないプーチン大統領を全面支持するキリル1世の声明や振る舞いによって踏みにじられているが。)

 また、今年2月に教皇が、イングランド国教会のジャスティン・ウェルビー・カンタベリー大主教と、スコットランド国教会の総会議長イアン・グリーンシェルズ牧師と共に行った、南スーダンの平和のためのエキュメニカルな巡礼も忘れがたい。

 諸宗教対話においては、2019年2月4日、アブダビで、教皇とグランド・イマーム、アフマド・アル・タイーブ師によって署名された共同文書「世界平和のための人類の兄弟愛」は、一つの道標となった。同文書は、キリスト教とイスラム教の関係の基礎をなす一歩であり、諸宗教対話を励まし、テロリズムと暴力をはっきりと非難するものだ。

*そして”シノドスの道”の開始、聖職者による性的虐待との戦い

 ”シノドスの道”を開始したことも、教皇フランシスコの教会変革の重要な取り組みの一つだ。耳を傾け、識別し、話し合うことを基本に据えた”シノドスの道”は、教区、大陸、普遍教会の3つのレベルで3年をかけて歩みが続けられており、その歩みを総括する「世界代表司教会議(シノドス)第16回通常総会」は当初、今年10月の一回とされていたが、教皇は、「共に歩む教会のため − 交わり、参加、そして宣教」をテーマに今年と来年の2回にわたって開く、という異例の決定をされた。

 「聖職者などによる未成年者に対する性的虐待との戦い」も、教皇フランシスコが注力されているものの一つだ。未成年者の保護に関する世界の司教協議会会長による会合を2019年2月に開かれ、真実と透明性をもって行動する教会の意志を確認。それをもとに自発教令「Vos estis lux mundi(あなたがたは世の光である)」を発出、被害者たちが虐待や暴力を届け出るための新しい手続きを定め、司教や修道会の長上らにとるべき態度を周知することに努められた。

 

*「 巡回の時間」としての40回の海外司牧訪問、移民・難民問題への対応

 「前進の時間」に対し、教皇フランシスコの「巡回の時間」は、地理的、あるいは実存的な意味での「辺境」への関心を中心に動いている。

 教皇は、「現実は、中心から見るより、隅から見た方がよく見える」と言われる。それを象徴するのは、教皇の40回にわたる海外司牧訪問だ。36回を数えるイタリア国内訪問と同様、ほとんどの訪問地はいわゆる「辺境」だった。2013年7月8日、教皇としての初めての訪問地は、地中海における移民・難民問題の舞台、ランペドゥーサ島だった。

 2016年4月、ギリシャ・レスボス島の難民キャンプ訪問も記憶に残る。訪問の終わりに、教皇はご自分の特別機にシリア難民12名を同乗させ、ローマの支援団体に託された。難民問題は、「巡回の時間」の中のもう一つの重要なテーマだ。教皇はこのテーマを「進んで受け入れる」「保護する」「助ける」「統合する」という4つの動詞に沿って発展させた。このテーマは、「切り捨ての文化」や「無関心のグローバル化」との、継続的な戦いも含んでいる。

*回勅「兄弟の皆さん」と世界平和への努力

 

 教皇フランシスコの「巡回の時間」の中には、平和に対する絶え間ない努力がある。2020年10月4日に発表された回勅「 Fratelli tutti兄弟の皆さん)」は、それを見事に表現している。同回勅は、兄弟姉妹愛と社会的友愛を呼びかけ、断固として戦争に反対している。2年後、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まった時、「連帯のグローバルな倫理」から生まれる「現実的で恒久的平和」を説くこの回勅は、「散発的な第三次世界大戦」を次第に体験しつつある世界において、”預言”的なものとなった。

 教皇によって推進された「平和の外交」の別の例として、2014年6月8日、バチカン庭園で、イスラエルのペレス大統領とパレスチナのアッバース大統領と共に行われた「聖地の平和のための祈り」がある。

 また、同年12月17日発表された、米国とキューバの国交正常化という歴史的な出来事のために、教皇フランシスコは両国の元首、オバマ大統領とカストロ国家評議会議長に親書を送り、「新しい段階を始める」よう呼び掛けてきた。

 教皇庁と中国間の司教任命をめぐる暫定合意も同じ方針の上にある。2018年に署名されたこの暫定合意は、2020年に延長され、さらに2022年さらに2年延長された。

 さらに、ウクライナにおける戦争が大きな影を落としたこの1年、教皇は自ら平和のために取り組んだ。2022年2月25日、教皇は駐バチカン・ロシア大使館に大使を訪問。また、数回にわたりウクライナのゼレンスキー大統領と電話で会談した。教皇は停戦に向け、数多くのアピールを繰り返してきた。

 

*連続講話「使徒的熱意について」に込めた宣教する教会への願い。前任者たちとの絆

 

 一般謁見の連続講話で現在進められている「使徒的熱意について」も、教皇の「巡回の時間」の重要な部分を占めている。2013年に発表された使徒的勧告「Evangelii gaudium(福音の喜び)」以来強調されてきた宣教への情熱は、喜びと、神の救いの愛の美しさ、「外へ出て行く」教会、信者に寄り添う、「優しさの革命」に応える教会に特徴づけられる。

 教皇フランシスコは、前任の教皇たちと強い絆で結ばれている。それは、2014年4月17日の、ヨハネ23世とヨハネ・パウロ2世の列聖にも、よくしるされている。さらに、2018年10月14日にパウロ6世、 2022年9月4日にはヨハネ・パウロ1世の列福が加わった。現教皇は、ヨハネ・パウロ1世の微笑みを「喜びの顔を持つ教会」の象徴、として思い起こしておられる。

 また、教皇フランシスコの中で特別な位置を占めているのは、2022年12月31日に帰天した名誉教皇ベネディクト16世だろう。この10年、教皇フランシスコは、ヨセフ ・ラッツィンガーへの大きな尊敬を隠されることがなかった。様々な機会に、その神学的な洗練、優しさ、献身を称えてきた。今年1月5日、教皇フランシスコは、前任者の葬儀を主宰する近年初の教皇として、ベネディクト16世の葬儀をなさった。

 今、教皇フランシスコは在位11年目に入ろうとしておられる。教皇はそれを希望と共に始められる。「希望する者は、決して失望することがない」と教皇は言われる。なぜなら、「希望は、復活の主の御顔を持っている」からだ。

(翻訳・編集「カトリック・あい」)

2023年3月13日

・教皇フランシスコ在位10年ー物議を醸した5つのポイント(Crux)

(2023.3.8 Crux  Senior Correspondent  Elise Ann Allen

 ローマ発 – カトリック教会の舵取りを 10 年間務めた教皇フランシスコは、世界的に愛され、尊敬される人物になったが、その一方で、公正な役割を越えた論争を生み出した。その多くは、ソーシャル メディアの”おかげ”で、 リアルタイムで目に見える形で再生されている。

 教皇に選出された後の最初の”ハネムーン”の期間が終わった後、真剣な意思決定を始めたとき、ゆっくりと批判の小滝が流れ落ち始め、前任の二人の教皇との大きなトーンの違いが明らかになってきた。

 在位 10 周年を前に、これまでにフランシスコが下した決定の中でおそらく最も物議をかもした5つの点を振り返ってみよう。

 

 

*最大の議論を呼んだ使徒的勧告「愛の喜び」の脚注

 おそらく、教皇フランシスコの 10 年間の統治全体で、2014,2015年の家庭に関する世界代表司教会議の結論を基に2016年に出された使徒的勧告「Amoris Laetitia(愛の喜び)」ほど、大きな議論を呼んだものはなかったろう。

 具体的に言えば、騒ぎは、この勧告の本文そのものよりも、第8章「弱さに寄り添い、識別し、受け入れる」の305項の脚注351によって起きた。そのような表現で、離婚して再婚したカップルがケースバイケースで秘跡を受けることができるように、慎重な扉を開いたのだった。

 305項は「司牧者は、人の人生に向かって石を投げるかのように、『例外的な』事情にある人に道徳法をあてはめることで、務めを果たした、と思ってはなりません…」で始まり、「酌量の予備のある条件や要因から、客観的に見て罪の状態にある… 人は、神の恵みを味わい、愛し、恵みと愛ある命を育めるようになります。それは、そうなるように、との教会の支援を受けながらのことです」とあり、その個所の脚注として352で、「場合によって、それは諸秘跡の助けを含む… 聖体は『完璧な人のための褒美ではなく、弱い者のための良質な薬であり栄養』…」と述べている。

 離婚して再婚したカップルが聖体拝領を受けられるか否かは、使徒的勧告のもとになった家庭に関する世界代表司教会議で最も激しく争われた問題の 1 つであり、「聖体拝領を認めれば、カトリック教会の公式の教えに違反し、結婚観の変更を意味することになる」と多くの参加者が主張した。

 教皇フランシスコの判断は、「すべてのカップルが同じ、というわけではなく、白黒明瞭な区別はない。したがって、教会の教えは、そのようなカップルに寄り添い、聖体を拝領できるか、出来るとしたらいつかについて、適切な識別ができるような余地を、司牧者たちに認めている」ということだった。

 この使徒的勧告を受けて、世界の多くの国の司教協議会が、離婚して再婚したカップルに聖体拝領をケース・バイ・ケースで認めることを含む適用指針を出したが、それは、彼らに聖体拝領の扉を開いた教皇への反発をさらに大きいものにした。

 米国のレイモンド・バーク枢機卿を含む 4 人の保守派の有力枢機卿が教皇に対して、使徒的勧告にある脚注 351 の有効性について 5 つの疑念を表明したが、教皇から回答がないとして、その内容を 保守的なカトリックのメディアを使って公けにして、騒ぎを大きくし、その後の論争のもとを作った。

 教皇のこの決断は、ルビコン川を渡る―二度と戻ることのできない―決断であり、自身と批判勢力の者の間の対立を決定的なものにした瞬間と言えた。

 その時点まで、カトリック教会の保守勢力は教皇を擁護することができると考えており、教皇の決定のいくつかに反対しながらも、教皇は自分たちの側にあると主張できた。だが、使徒的勧告「愛の喜び」が出された後、保守勢力の多くが、教皇に、裏切られ、亀裂は決定的になったと感じ、彼のもとを去っていった。

 余談だが、フランシスコは、「中絶権利擁護派」の政治家が聖体拝領を受けることを認めるか否かの論争にも、この論理を適用。「聖体拝領を政争の武器にすることはできない」とし、担当教区にそのような政治家のいる司教たちに、「警官」ではなく「司牧者」として対応するように、強く勧めている。

 

*ヨハネ・パウロ2世研究所の再設立

 教皇フランシスコをめぐるもう 1 つの主要な論争点は、2017年の「結婚と家庭の科学のための教皇庁立神学研究所ヨハネ・パウロ2世」の再設立だ。

 この研究所の前身はヨハネ・パウロ2世教皇が1981年に設立した「結婚と家庭の研究のための教皇庁立研究所ヨハネ・パウロ2世」。命と結婚についての教会の教えを推進するために作られ、堕胎、避妊、安楽死に明確な反対を表明するものだったが、新研究所はそれに取って代わり、家庭生活の日常の現実についての学際的な研究と、カトリック以外の団体との交流に重点を置いている。

 新研究所の設立当初、多くのカトリック関係者は、設立の意味をよく理解していなかった。そして、教皇に批判的立場をとる何人かは、「”敵対的”と思われる研究員を解雇するのか目的」と非難し、教皇の新研究所設立の狙いにも反対した。

 新研究所の設立は、使徒的勧告「愛の喜び」で示された教皇フランシスコの意向、より一般的には「結婚と家庭」に関する論争を再燃させた。その中には、教皇の立場が「カトリック教会の教え」と整合性があるのかどうか、また教皇の本当の狙いが教会の倫理神学を完全に変えることにあったのではないか、と疑問を呈する人も含まれていた。

 論争は最終的に収まったが、多くの批評家の口にいやな後味を残している。

 

 

*南米アマゾン地域シノドス(代表司教会議)と「パチャママ」の像

 教皇フランシスコのこれまでの在位の中で論争になったことがもう一つある。それは、2019 年に開かれたアマゾン地域シノドス(代表司教会議)で、先住民族の霊性をめぐる議論が噴出し、教皇を批判する人々が「教皇は異教崇拝を公然と容認している、と受け止めたことだ。

 議論の象徴になったのは、「パチャママ」―先住民族の豊穣と母なる大地の女神―の像だった。それは、ひざまずいて妊娠したおなかを抱きしめる裸の先住民族の女性の姿をかたどっている。

 議論が激しさを増したのは、バチカン庭園でのアマゾン地域シノドスの開会に当たって、先住民文化の要素を取り入れ、カトリックの典礼に先住民の霊性を反映させることを象徴する祈りがなされてからだ。

 批判的な人々は、その場に、パチャママの彫像を含む、アマゾンの先住民にとって文化的および精神的に重要な多くのものが目立つように置かれていたこともあり、その典礼は「カトリック教会の主を讃える祈りからはほど遠い、異教の儀式や偶像崇拝に類似したものだ」と異議を申し立てた。

 こうした異議が出るのを事前に察知したのか、教皇フランシスコはバチカンの担当者が事前に準備したあいさつ文を暗唱せず、代わりに、主の祈りを唱えるように会議出席者に求める配慮をしたが、地域シノドスの開催中にバチカン近くのローマの教会にアマゾン地域に関係する他の品々と共に展示されていたパチャママ像が盗まれ、そばのテベレ川に投げ込まれるという”事件”が起き、議論は先鋭化。教皇が、像を含む置物が置かれたのは”偶像崇拝”を意図したものでない、としたうえで、不快に感じた人たちに謝罪文を出す、と言う事態になった。

 アマゾン地域シノドスでの議論で他に注目されたのは、月に一回もミサを捧げることができなくなっている現地の司祭不足に対処するための女性助祭、そして、既婚男性の司祭叙階の是非だった。

 関係者が関心を持ったのは、アマゾン地域の幾人かの司教たちが出してきたこの提案を、教皇フランシスコが認めるかどうかだったが、この地域シノドスを受けて2020 年に教皇が出した使徒的勧告「 Querida Amazonia(愛するアマゾン)」で、女性助祭も既婚男性司祭の叙階も認められることはなかった。

 女性助祭について、教皇は議論することを認めたものの、「さらに研究する必要がある」とし、すでに2016年に設置している「女性助祭について研究する委員会」に”研究”を委ねたが、いまだに明確な判断は出されていない。既婚男性の司祭叙階については、教皇は正式に認める決定を避け、地元の信者たちの召命を促進するために現地に神学校を設立する必要を強調するにとどまった。

 全体として、アマゾン地域シノドスは教皇フランシスコにとって、大きな論争の的となった出来事の 1 つであり、異教崇拝、女性助祭の叙階、既婚男性の司祭叙階の是非に関する議論だけでなく、カトリックの典礼と第二バチカン公会議の適切な解釈に関する内部対立も復活させた。

 

 

*伝統的なラテン語ローマ典礼ミサの制限

 最近になって始まり、世界のカトリック教会に大きな波紋を巻き起こし続けているのが、伝統的なラテン語のミサへのアクセスを制限する、という2021年の決定だ。

 第二バチカン公会議による典礼改革以前に世界中で行われていたラテン語によるローマ典礼ミサは、公会議以後、現地の司教の認可を条件とするなど厳格な枠がはめられてきたが、これを前任者のベネディクト16世が主任司祭の自由な判断で出来るようにしていた。これをフランシスコは自主教令の形で、「ミサは世界のそれぞれの現地の言葉で捧げる」という公会議の方針に沿って、ベネディクト16世による”自由化”以前に戻した。

 自主教令によるミサ典礼に関する新規範では、すでにラテン語のローマ典礼ミサを捧げている司祭が、それを続けようとする場合には、所属教区の司教から許可を得る必要があるとした。また 新規範の公布後に叙階された司祭がラテン語のローマ典礼ミサを捧げることを希望する場合、司教に正式な申請が必要で、司教は許可を与える前にバチカンと協議することが義務つけられた。さらに、世界の司教たちに、ラテン語のローマ典礼ミサを捧げることのできる特定の時間と場所を決めるよう求め、伝統的なラテン語のローマ典礼ミサのみを捧げる小教区の新規設立や、小教区のミサの通常の日程にラテン語のローマ典礼ミサを入れることを禁じた。

 この決定は、たちまち賛否の論争を呼び、ラテン語によるローマ典礼ミサに固執する人々は「教皇は”残酷”。我々は誤解され、”虐待”されている」と述べ、「難しい問題ではあるが、地域の教会共同体に分裂が根付くのを防ぐための必要なこと」と支持する人々との間で対立が起きた。

 教皇はさらに2月末、世界の司教に対して、担当教区の司祭たちにラテン語のローマ典礼ミサを認める権限を制限する教令を出し、これがさらに論争をあおる形になっている。

 特定の教会関係者の中での伝統的なラテン語ローマ典礼ミサに対する人気と、第二バチカン公会議から始まった改革を否定する動きが繋がっていることを考えると、これは教皇フランシスコと前任者ベネディクト16世にとって極めてデリケートな問題であり、伝統的な典礼へのアクセスを制限するというフランシスコの決定は、彼が次世代に引き継がせる問題で最も物議を醸すものの一つであり続けるだろう。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

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2023年3月10日