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ROME -教皇が新たな枢機卿を作るイベントとなる枢機卿会議は、カトリック教会のアイオワ州の新役員決定の幹部会と少しばかり似ている。それは、ローマに教会の新しい王子たちが集まる機会であるだけでなく、すでに王子になっている人々も同じ時に同じ場にいる。その集まりを目にしないわけにはいかないし、その中で、誰が将来の教皇になるかを考えないわけにはいかない。
そして、その誘惑は、大半の枢機卿にとって最重要の責任は、自分たちの新しいボスを選ぶために、システィナ礼拝堂に列をなして入っていくことだと思う時、とても大きなものになる。
過去においては、将来の教皇選挙に及ぼす教会会議の影響力を予想するのが相当に容易なことが、しばしばあった-その教皇が保守派あるいは進歩派に不正工作を仕掛けた場合、その側から教皇が選ばれる前兆となり、教皇がバチカン官僚の司教を宣教地にいる司教よりも多く選んだ場合、バチカンを基盤に持つ者を教皇に選ばれる、という具合に。
実際に、このように一方を不利にするようなシステムがそのとおりに機能することは、決してなかった。1978年の教皇選挙に先立って、ヨハネス23世とパウロ6世の二人の教皇は、第二バチカン公会議の改革の精神に駆り立てられた中道-進歩派を大量に任命していたが、その運命的な年の(注・一度目で選ばれたヨハネ・パウロ1世が進歩派の旗手として期待されながら就任後わずか44日で病死され)二度目の教皇選挙で選ばれたのは、ヨハネ・パウロ2世であり、(注・保守的な)「福音的カトリック」が彼のトレードマークだった。
同じように、ヨハネ・パウロ2世とベネディクト16世の次の教皇について、進歩派の多くはこの二人が重要課題とするものに共感する人物になるだろうと落胆していたが、2013年の教皇選挙はフランシスコをもたらした。
イタリアの古いことわざに、「 “You always follow a fat pope with a thin one”(やせた教皇と太った教皇をいつも追い求めている)」というのがある―意味するところは、教皇選挙はしばしば振り子のような動きをする、前任者に欠けていると思われるものを修正するように、違うたぐいの教皇が選ばれる、あるいは単純に、人々が教会運営の一つのやり方に飽きて、変化を求める、という理由でそうなる―だ。
最近行われた6回の教皇選挙を振り返ると、最有力候補者が教皇に選ばれたのは2回(1963年のパウロ6世と2005年のベネディクト16世)だけで、あとの4回は予想外の候補が教皇に選ばれた-1958年のヨハネス23世、1978年のヨハネ・パウロ1世とヨハネ・パウロ2世、そして2013年のフランシスコである。
だが、もしも教皇選挙の結果がめったに予想できないものならば、教皇フランシスコがこれまでに5回、新たな枢機卿を合計で61人任命し、そのうち15人はこれまで一度も枢機卿を出したことのない国の出身者であることから、次の教皇選挙がどうなるか期待するのは形而上学的に不可能ということになる。
教皇フランシスコによる教皇選挙権を持つ枢機卿団の刷新の結果、次に何が起こるのか誰にも分からなくなった。何が起きるか自信をもって言える者がいたらそれは出鱈目である。
ヨハネ・パウロ2世とベネディクト16世のもとで、枢機卿団に入れらえた高位聖職者の多数派は、人数が知られており、彼らが待望する教皇について知的な予測作業をすることは、すくなくとも可能だった。例えば、2003年にヨハネ・パウロ2世が(注・オーストラリアの裁判所で先月、性的虐待の罪で有罪判決を受けた)ジョージ・ペルを枢機卿に指名した時、ヨハネ・パウロ2世は教皇座に強烈な進歩派が就くことを支持しない、とみるのは全く不合理ではなかった。ベネディクト16世が2007年に新任の18人の枢機卿のうち、7人をバチカン官僚から選んだ時、次の教皇がバチカン官僚から選ばれるという考え方に敵意を持たないように振る舞うのが安全だった。
だが、もし、ブルキナファソのフィリップ・ナケレンツバ・ケラオゴ枢機卿、あるいはモーリシャスのモーリス・エバノール・ピアット枢機卿、エチオピアのベルハネイエサス・デメレウ・ソウラフィエル枢機卿、ラオスのルイ‐マリー・リン・マンカネコウン枢機卿、そのほか、あまり世界的に知られていない枢機卿たちがどのようなカテゴリーに入るのか、知っている、という人がいたら、聞きたいのものだ。
実際のところ、教皇フランシスコが、これまであまり知られていなかった人々を枢機卿団にかなりの割合で招き入れた、というのは正しくない。次の教皇選挙を通常よりも不可解なものとするのに、それだけで十分であるにもかかわらず、である。
これらの人々は、それぞれの文化、経験-西欧カトリックの議論の対象となっている通常のテーマが全く考慮に入れていない、あるいは重視していないこと-を代表している。例えばイラクでは、ルイス・ラファエル・サコ枢機卿がカルデア教会を率いているが、目の前の教会共同体の命を長らえることに精一杯で、使徒的勧告「(家庭における)愛の喜び」や多宗派との連携を巡る議論に多くのエネルギーを費やすことはできない。中央アフリカ共和国には、ドゥードンネ・ナパラインガ枢機卿がいるが、イスラム教徒とキリスト教徒の過酷な争いの現実が、「女性助祭」の問題を後回しにせざるを得なくしている。
このように、次の教皇選挙は複雑さと魅力が共存するものとなるだろう。ヨハネ・パウロ2世を選んだ1978年の教皇選挙がイタリア人による教皇職独占を、そして、2013年の教皇選挙が欧州の人々による教皇職独占を打ち破ったとすれば、次の選挙は西欧の心理と政治による教皇職の独占を打ち破ることになるかもしれない。
言葉を変えれば、カトリック教会の歴史で初の、真の「普遍的」な教皇選挙になるだろう。弱者に有利な持ち点を与えることは不可能だろうが、誰もが注目するテレビ番組となるのは必至だ。
(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)
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(2018.6.30 Crux Editor John L. Allen Jr. )