*改【評論】原爆投下75周年、司教団のメッセージもない唯一の被爆国・日本の教会は?

(2020.8.5 カトリック・あい 南條俊二)

WEIRD. An 8” x 10” black-and-white photograph of the mushroom cloud from the dropping of the atomic bomb on Hiroshima, Japan, boldly signed by four Enola Gay crew members, Paul Tibbets, Pilot; Dutch Van Kirk / Navigator; Tom Ferebee / Bombadier; and Dick Nelson / Radio.

 「1945年8月6日午前8時14分、私は広島のイエズス会長束修練院の庭で政務日課を唱えていた…岩国から爆音が聞こえた。警戒警報も空襲警報もなく、だから飛行機を見ていた。突然、黄、紫、赤…太陽よりも明るい、丸い形のようなものが炸裂。爆発の音がない。破片も飛び込んで来ない。とっさに、地下に入る階段を飛び降りた。それから14秒くらい… 熱い空気が家屋を総なめにした」

 「裏山に登ったら,広島の全景が見えた。火の海だ。明るい8月の青空が、急に黒雲に覆われ、黒い雨が降り出した… ラウレス神父様と私は、広島から可部への道で、全身やけどの怪我人を救護所までリヤカーで何度も往復して運んだ… 夕方、幟町教会のラサール神父を救助するように、との指示を受け、市内に入った。ラサール神父を見つけ、3人の神父と私で担架に乗せて、真夜中の1時過ぎに修道院に戻った。翌7日朝、再び市内に入った。浅野泉邸(広島藩主浅野氏の別邸だった)の角を曲がった時、横転したバスがあり、裸の、ピンク色になった遺体が17人…ほとんどが子どもだった…」

 「原爆の脅威に対して、人類は全く鈍感で、のんきなのに驚かされる。誰がが間違ってボタンを押したら、広島の原爆の数千、数万倍の破壊力が、私たちを襲うかもしれないのに。そのような現状でも、原爆排斥の運動が全然広がっていない… この悲惨が繰り返されないように、是非、皆で祈ってほしい」

(「被爆者として世界に訴えたいこと」故クラウス・ルーメル元上智大学理事長=聖イグナチオ教会報2008年8・9月号=編集「カトリック・あい」)

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 1945年8月6日に広島、9日に長崎に原爆が投下されて、今年で75周年。だが、当事者である日本の司教団としての世界、日本、そして何よりも信徒に対するメッセージも、後に述べる米国の司教団のような、全米の信徒への一致した祈りとミサの呼び掛けも、何もない。

 確かに日本の司教団は6月23日付けで「戦後75年司教団メッセージ すべての命を守るため-平和は希望の道のり」という文書を出してはいる。わざわざ原爆投下75周年の日に改めてメッセージを出す必要はない、と考えているのかもしれない。

 だがその内容に目を通す限り、従来の繰り返しに、昨年11月に訪日された教皇の講話をなぞっているだけのようにしか読めない。教皇のメッセージを踏まえて、唯一の被爆国の立場から、現在の世界、アジア、日本の状況を具体的に踏まえて、平和実現に何ができるか、説得力のある中身に乏しい。人々の心を打つような言葉が全くない。

 考えてみれば、冒頭のルーメル神父のように、自身も被爆し、ダメージを受けながら、それでもその日のうちに何度も現場に救援に行き、”地獄”を経験した人は、現役の司教団の中には誰もいないのだろう… だからと言って、現地の教区に任せて済むことではないはずだ。

*米国のニュース・サイトのインタビューと大学のオンライン・イベントへの参加だけ?

 強いて言えば、司教団の代表である高見・長崎大司教が、米国司教協議会の財政支援を受けたカトリック・ニュースサイトCNSの質問に回答し、それを中央協議会のニュースサイトに「転載禁止」で転載したこと(中央協議会ニュースには「髙見三明大司教 広島と長崎への米軍による原爆投下75周年に当たって」というタイトルがついていたが、CNSの質問への答で、自らの意思で、日本と世界に発するメッセージには程遠い)と、これも米国のジョージタウン大学バークレイ宗教・平和・国際情勢研究センターが制作したオンライン・イベントに参加したことだろう。

 だが、失礼ながらその中身は大方がこれまでの繰り返しで、具体性も新味もなく、対外的な説得力もない。後者は、中央協議会ニュースで「広島・長崎原爆75周年カトリック平和祈念行事」と銘打って入るものの、いずれも米国側の企画に”便乗”させてもらったに過ぎない。当然ながら、バチカン放送の英語版にもほとんど掲載されていない。

 新型コロナウイルスの世界的大感染で、日本のカトリック司教団は、教皇フランシスコが繰り返し訴える「識別力」ー今、何をすべきかを判断し、行動に表す力ーを失ってしまったのだろうか。昨年11月に訪日された教皇の広島、長崎でのメッセージを受け止め、当事者としてさらに具体的に前に進める努力はどうしたのだろうか。

 団結力を喪失して久しい司教団が、結束を取り戻す機会だったウイルス感染に対して一致した対応をいまだに示すことができていない。原爆75周年のこの機会に、今からでも、口先だけで「平和」を説くのではなく、日本の教会の代表であるはずの司教団が結束して、「識別」の力を込めた、説得力のあるメッセージと行動を示してもらいたい。

Bernard Hoffman via Getty Images原爆で破壊された浦上天主堂(1945年9月撮影)

*世界、アジア、日本の現在の危機的状況をどのように見、どうすべきか、結束した姿勢が見えない

 現在の多様で拡大を続ける世界、アジア、そして日本の危機ー新型コロナウイルス感染、中国政府・共産党による香港、新疆ウイグルでの人権弾圧、日本の領土侵犯、中国と北朝鮮の核軍拡、来年に迫った米露戦略核削減条約の期限、国内では長崎教区の聖職者の不祥事と”隠蔽”など)の最中に、7月半ばに久しぶり(!)に開かれた司教総会もインターネット会議に慣れていない司教が多かったこともあってか、一言の発言もない司教も少なくなかったといわれ、司教団としての新型ウイルス対応も含めて何ら新たなメッセージも、協調した行動もまとめるには、程遠いありさまだった、と聞く。

 しかも、説明責任の重要性が叫ばれる今の時代に、日本のカトリック教会の代表とされる司教たちが集まったこの会議の内容はもちろんのこと、会議があったことさえも公けにされていない。まともな信徒の支持も、日本社会の共感も得られるわけがないだろう。

 そして、広島・長崎への原爆投下75周年という歴史的な時に当たっても、日本の教会、司教団としてのまともなメッセージを出すことができなかった。まことに情けない、というほかない。

*日本の司教団とは対照的な米国司教団の対応ー「原爆投下75周年に祈りとミサで団結呼びかけ」

 日本の司教団と際立った対照を見せるのは、一方の当事者である米国の司教団だ。広島・長崎原爆投下から75年を前にして、7月13日に、全米カトリック司教協議会の国際正義と平和委員会が声明を発表し、全米のカトリック教徒と善意の人々に「8月9日の日曜日、個人的な祈りとミサで団結する」ように呼び掛けた。

 声明は「8月6日と9日は広島と長崎の原爆投下75周年を記念する日。戦争で核兵器が使用された最初の、そして最後となることを希望する日です」とし、「21世紀は、国家および非国家主体の地政学的な対立、兵器の高度化が進み、国際的な軍縮の取り決めが侵食され続けています。米国の司教団は、核軍縮の進展を求める切迫した呼びかけを、改めて行います」と言明。

 「米国の教会は、キリスト・イエスの救いの犠牲による神の賜物である、私たちの世界の平和への明確な呼びかけと謙虚な祈りを宣言します… 恐れと不信と紛争は、『平和と正義が永遠に君臨する』という信仰と祈りによる、私たちの共同の取り組みによって、取って代わられなければならない」と訴えた。

*米国を批判、注文を付けるが、日本はどうなのか

 これを日本の司教団の代表としてCNSのインタビューで語った高見大司教の言葉と比べれば、その差は歴然としている。中央協議会ニュースに7月29日付で掲載した内容によれば、大司教は「アメリカは、キリストの教える平和の真髄を正しく理解し、実践する必要があります」と言わずもがなの説教。

 「アメリカ国民のほとんどの人は、自分や家族のいのち、あるいは国を守る為には、武器が『是非必要である』と確信しているように思えます」と決めつけ、「武器の所有ではない方法で平和を作ることをぜひ模索してほしいです」と、何の具体策も示さずに”お願い”。

 「平和は、一人ひとりの心の問題とは言え、神への信仰、人間関係、社会環境、地球環境など、生活環境全体が、より充実したものになることが必要条件」と結んでいる。

 米国や米国民への批判や注文はしたものの、日本の教会としての世界やアジア、日本を巡る具体的な現状の把握もなく、具体的な平和への道筋も示さず、きれいごとの羅列だけで、何の説得力もない。当然ながら、米国司教団の先のメッセージは伝えたバチカン放送の英語版にも、日本語版にも(「CNSがいかなる形の転載も禁じている、と中央協議会ニュースが書いているからか)掲載されていない。

*日本の各教区の取り組みは…

 東京、広島、長崎の教区ホームページをみたところ、。広島教区は「平和の糸をつむぐⅡ~すべてのいのちを守るため~」というテーマで、5日午後からビデオ・メッセージによる基調講演、分科会、平和祈願ミサなどを世界平和記念聖堂で予定。ウイルス感染拡大防止のために、平和行事は規模を縮小し、一般の参加者は教区内に限定し、Youtubeなどで動画配信する一方、平和発信を強めるために、他教区を代表する枢機卿、大司教、司教たちの参加を求めている。

 東京教区は、今年度の平和旬間は、新型コロナウイルス感染症の拡大防止のために、講演会、平和巡礼ウォーク、祈りのリレー等の例年の行事は中止するが、「平和を願う」ミサは8日に非公開・動画配信の形でを菊地・大司教司式で行う予定だ。

 だが、長崎教区は、ホームページを見る限り、「広島・長崎原爆75周年カトリック平和祈念行事」として、先に述べたジョージタウン大学バークレイ宗教・平和・国際情勢研究センターが3日に行った高見大司教の発言も2分ほど放送されたオンライン・イベントの紹介だけしか案内がない。これは長崎教区が原爆投下75周年を迎えての「平和記念行事」とは、とてもいえまい。

【資料】

*原爆投下の米科学者、投下から60年ぶりに現地広島訪問・被爆者との対話

*米国・ジョージタウン大学バークレイ宗教・平和・国際情勢研究センター3日行った平和構築について考えるオンラインイベント(放送時間は全体で30分足らず、高見大司教の話は2分余り。締めくくりは、長崎純心女子高等学校の生徒による「千羽鶴」の合唱、日米二人の司教が平和のための祈りを唱えた)

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2020年8月4日