(2021.7.1 La Croix Fr. Antonio Spadaro, SJ=Editor-in-Chief for La Civiltà Cattolica)
自分たちを休眠状態から覚めさせるためにも、聖霊から刺激を受ける必要を感じないのか?
イタリア司教協議会が5月24日から27日にかけて定例総会を開いた。教皇が祈りと司教たちとの対話で始まった総会のテーマは「再生の時に福音を宣言し、”シノドス(協働)の旅”を始める」だった。総会議長のバセッティ枢機卿は開会あいさつで、この”旅”を「イタリアの我々の教会が、歴史の中で信頼のおける、頼ることのできる存在としてより良い形を採り続けることができるためのに必要なプロセス」と規定した。
教皇は、2015年11月に開かれた総会で提起された課題を取り上げ、”旅”を“下”から始まる、”神の民”を中心に置いたものに改善するように強く求められた。教皇は、2015年の総会での司教たちに対する講話で示した方向に関する”ある種の記憶喪失”をいつも咎めてこられた。教皇による再来年の全世界代表司教会議開催の告示と、イタリアの教会のシノドスの道の開始が重なったことは、こうした道を調和させる素晴らしい機会となるだろう。
5月27日に閉幕した総会は、次のような動議について採決したー「イタリアの司教たちは、この総会をもって、教皇が指示され、教皇に提出されたCharter of Intent の初稿で提案された”シノドスの旅”を開始することとする」。
イタリア司教会議の常任委員会は、そのテーマ、日程、形式をまとめる作業部会を設けることになっている。2015年の総会で、シノドス方式を取り上げ、議論を始められたのは教皇だった。教皇は、「国家は美術館ではなく、政治的あるいは宗教的な機関を含め、分けられたものを共有する恒久的な構造のもとでの共同作業です」とされ、「私は、”落ち着きのない”イタリアの教会ー捨てられ、忘れられ、欠点のある人々に、いつも寄り添おうとする教会ーが好きです」と語られた。
すべてが気付かれないままだった。2019年の初め、私が編集長を務める「La Civiltà Cattolica」がイタリア教会会議の開催を提唱した。私たちにとって、それが全ての信徒に示す一番確実な道ー今日の歴史を深く読むのを助けることにできる最良の道ーと思えたからだ。
シノドスのプロセスは、実際のところ、識別の特権的な場になる。そこでは、聖霊が働いているならーフランシスコが言われたようにー「机を蹴り、放り投げ、再び始める」のだ。自らに問おうー今日、私たちは、冬眠状態から覚めるために、聖霊から蹴られる必要を感じているのか?私たちの提唱は、 L’Osservatore Romanoなど様々な新聞、雑誌で、幾人もの司教たち、そして神学者と学者たち、その他のカトリックの団体などが取り上げ、議論を呼んだ。バルトロメオ・ソルジェ神父と社会学者のジュゼッペ・デ・リタ氏も「La Civiltà Cattolica」に寄稿した。
バセッティ枢機卿は2019年4月1日、「シノダリティ(協働制)は、私たちができると感じ、私たちの社会のような壊れた社会に是非とも必要なものだ」と指摘。同年5月20日に開かれたイタリア司教協議会総会で、参加した司教たちに、イタリアの教会にとってのシノドスの道を示した。そして、1月21日にその指示は更新され、枢機卿は「イタリアは、緊急事態を越えて、根本的な『和解の作業』とともに、四つの『ひび割れ』ー健康、社会問題、教育、そして新たな貧困ーに対処せねばならない」と訴えた。
教皇フランシスコは1月30日、第二バチカン公会議の成果を強く堅持する説教(「この公会議に倣わない者は、教会の部外者だ」)の中で、決意を込めて、改めて提唱したー「イタリアの教会は、”フィレンツェ憲章”に戻らねばならない。そして、イタリア・シノドスを包含するプロセスを、教会共同体ごとに、教区ごとに、始めねばなりません。これは教理教育にもなるものです」。
教皇が言わんとすることは明確だーイタリアの教会は、全国でシノドス・プロセスを始めなければならない、ということ。進め方もはっきりしている。教会共同体ごとに、教区ごとに、基礎から積み上げていくのだ。教皇は言明したー「今がその時です」。わが国の現実と歴史ー最近の歴史も含めてーとともに、”和解の作業”が求められている。そして、そのためには、「教会は、歴史の中に鼓動する神の心臓」(アルド・デル・モンテ司教)であることを認識し、この国の歴史と生きざまにおける教会の”存在の形”を考え直す、ことも必要だ。
2019年12月21日にバチカンの人々に対して、教皇はこう語ったー「私たちはキリスト教が支配する国にいない。そのような国はもうありません!今日、私たちは、文化を生み出す唯一の存在でもなく、一番に耳を傾けられる存在でもない。ですから、私たちは、司牧のメンタリティを変えねばならない」。したがって、イタリアの教会自身の、特に”聖職者主義”の内的な力を見分けることも必要だ。
教皇は、新型ウイルス大感染の最中に、こう言われたー「イタリア・シノドスは”外洋”。そこで、私たちは皆、同じ舟に乗っているのです」。
今日、キリスト者は皆で、他の人々もまた市民であるという自覚を持って、舟をこぐように求められている。それは、一つのプロジェクトをはるかに超える真の文化的な挑戦でもある。だから、新型コロナウイルスの大感染によって、携帯電話、流動、急速な変化によって、ソーシャル・ネットワークによる”成り代わり”の真実によって、そして、その他の数多い変化によって変貌する世界の中で、福音の宣言とその難しさについて、話すことが必要なのだ。
教会の刷新プロセスは、協働制であり、その主人公は”神の民”だ。イタリアの教会は、自らを「協働」の状態に置く必要がある。 「下からの教会会議」への対応は、すでに、反省、議論、そして小教区会共同体といくつかの教区が関わるかたちで、始まっている。
イタリア・シノドスの方式は、まさに教会の存在の仕方以上でも、以下でもない。その意味で、バルトロメオ・ソルジェ神父が1976年の教会大会で表明した最終考察に立ち帰る必要があるだろう。神父は「イタリア教会の司牧的対応は、もはや文書の作成に委ねることができない」と断言し、「イタリアの司教たちとさまざまな教会関係の共同体の代表、運動の専門家たちによる、協議と協力の恒久的な組織を誕生させる必要がある」と訴えた。神父は、今、まさに教皇が「人々と司牧者が共に」と規定している「取り組みのあり方」を示そうとしたのだ。
ソルジェ神父は、続て言うー「教会が緊急にすべきことは、出会い、対話、分析、そして”制度としての教会”と”実存する教会”の受け入れがたい分裂の危機を根底から解消する取り組みの場を、私たちの教会共同体に提供することだ」と。
当時は、この提案は実行に移されなかった。今、このアイデアを取り上げる条件は整っている。そして、私たちは知っているー「”シノドスの旅”は、聖霊の恵みを通して、成果を生む」ことを。ついに、シノドスの時が来たのだ!
This article first appeared in La Civiltà Cattolica