(解説)教皇フランシスコの現代社会への思い ー就任から六年半の数々のメッセージを通して

 2013年3月に聖ペトロの後継者の座に就かれて6年半。この12月17日で83歳になられる教皇フランシスコは、今も、年齢を感じさせない、目覚ましい働きを続けておられます。

 2019年の5月初めの外国訪問の帰途、同行記者たちから「活発な内外の司牧訪問、精力的に活動されるエネルギーと力」の源を問われた教皇の答えは「神からの賜物」でした。

 菊地・東京大司教は、教皇について「現代社会を支配する様々な価値観のただ中に生きながら、神の望まれる世界を実現する道とは異なった道へと誘う価値観に対し、厳しく対峙する姿勢を堅持してこられた。 同時に、使徒の頭(かしら)の後継者として、イエスの福音宣教命令をより積極的に果たしていく姿勢をとることで、世界の教会共同体にキリスト者として生きる道を明確に示しておられる」と語っています。その教皇の振る舞い一つ一つに、「賜物」が生かされているのです。

*使徒的勧告、回勅など文書の精力的な発出 

 具体的には、11月下旬のタイ、日本訪問で32回目となる海外訪問はもちろんのこと、バチカンでの内外要人や様々な団体との個別会見、毎週日曜正午のお告げの祈り、水曜日の一般謁見…。

 そうした“日常活動”にもまして驚嘆させられるのは、教皇の行動規範の柱、「シノダリティ(共働)」と「識別」の表現でもある世界代表司教会議(シノドス)を3回、全世界司教協議会会長会議を一回を招集・主宰され、それらの議論などを基にした使徒的勧告、回勅など文書の精力的な発出です。

 現代の教会が抱える命題に対する具体的なメッセージを込めた『信仰の光』と世界の環境問題という緊急の課題を取り上げた「ラウダート・シ」の二つの回勅、福音宣教についての基本的立場を明確にされた『福音の喜び』、世界の家庭が抱える多様な現実と対応について二回のシノドスで議論を重ねた『(家庭における)愛の喜び』、「若者、信仰そして召命の識別」をテーマのシノドスを受けた『キリストは生きておられる』、そして「今の時が求める『新たな聖性』」のあり方を示した『喜びなさい、大いに喜びなさい)』の四つの使徒的勧告・・・。

 教会の典礼の在り方でも典礼文の各国語訳について現地司教へ大幅に権限をゆだねる自発教令を出されたほか、『主の祈り』の表現を見直す必要性を繰り返し言明。さらに、教会の現状に合う教区の合併・再編成も、イタリア司教協議会総会で明確に求められています。

 

*数えきれないメッセージ 

 このような数々の文書などと同じように、あるいはそれ以上に注目されるのは、毎週の日曜正午の祈り、水曜一般謁見はもとより、教会内外の記念日、国際的会合などに際して、教会内外に表明される、数多くのメッセージ、そしてその“実践”です。

 それは「現在の教会、世界で起きている深刻な問題から顔を背けず、識別力を働かせ、野戦病院たる教会として、考え、行動する」という教皇の信念から出ています。

 世界中で平和と正義が大きく揺らぎ、紛争、核兵器、難民、人身売買、そして、AI(人工知能)、ソーシャル・ネットワークの”兵器化“など負の側面の増大… その中で、教皇がご自身の行動とともに発せられたメッセージの中でも重要と思われるものを整理してみましょう。

 

「核兵器と戦争」

 まず、今回の教皇の来日でも大きなテーマとなるとみられる核兵器と戦争。

 広島と長崎への原爆投下から七十年を迎えた二〇一五年八月九日の日曜正午の祈りで、教皇は「この出来事は、戦争を永久に放棄し、核兵器とあらゆる大量破壊兵器を廃絶するようにとの、人類への永続的な警告」と訴えられました。

 2017年3月下旬の核兵器禁止条約交渉会議に送られたメッセージでは「核拡散防止条約の完全な履行を通し、核兵器のない世界のために取り組まなくてはならない」と述べ、核保有国、非保有国、軍事関係者、宗教者、市民関係者、国際組織などに対して、互いを非難し合うのではなく、励まし合う対話を要請。

 さらに、今年元旦の第52回「世界平和の日」教皇メッセージで「よい政治は平和に寄与する」。8月のジュネーブ諸条約締結70周年に当たっては「戦争とテロは、常に全人類に対する大きな損失、敗北」と訴え、9月1日の第二次世界大戦勃発80周年の日には「戦争の悲惨を改めて思い起こそう」と訴えられています。

 腹立たしいことに、教皇の努力をあざ笑うかのような動きが、「福音宣教の特別月間」の初日、10月1日にいくつも重なりました。

 中国が建国七十周年祝賀で史上最大の軍事パレードを行い、広島・長崎に投下された原爆の何倍もの破壊力を持つ核弾頭を十発も搭載する新型大陸間弾道ミサイルを誇らしげに見せつけました。

  香港では、中国の意向を受けた警官隊が人権抑圧の動きに反対する民主デモへの規制を強め、デモに参加した高校生の胸に弾丸を打ち込みました。日本の拉致被害者家族の叫びを無視する北朝鮮はこの日、潜水艦発射の核弾頭搭載可能なミサイルを予告なしに、日本の排他的経済水域に打ち込んでいます。

  翌日の2日、教皇はバチカンの広報の部署の総会に参加した日本人記者団との会見で、日本のカトリック殉教者たちが、信仰と信教の自由を守ったことに敬意を表するとともに、原爆被爆という「もう一つの殉教」に触れ、地獄の試練に屈しなかった日本人をたたえ、「原爆投下は“極悪非道”な行為。原子力エネルギーを戦争に使うのは道徳に反する」と言明されました。1日の出来事も、念頭に置かれていたに違いありません。

 

「移民・難民問題の深刻化に対して」

 子供やお年寄りなど弱い人々が犠牲にされている移民・難民問題では、世界の問題地域に自ら出かけられて、人々を励ます一方で、この問題への真剣な取り組みを繰り返し訴えておられます。

 9月29日の「世界難民移住移動者の日」のメッセージで、「世界で起きている紛争とは別の地域で、武器の製造と販売が行われ、関係する国々は紛争が原因の難民を受け入れることを望まない…平和を語る一方で武器を売るのは、偽善ではないか。苦しむのはいつも、小さく、貧しく、弱い立場にある人々だ」と糾弾、当日のミサの説教で「社会的不正義に苦しむ人々への感性を、私たちは失っている」と強く自省を求めました。

 

「地球的な環境破壊に対して」

 地球温暖化に象徴される地球環境の悪化に対しては、回勅「ラウダート・シ」で、緊急の課題として取り上げ、その後も、機会あるごとに、速やかで具体的な対応を国際社会に訴えておられます。

 今年9月の国連気候行動サミットへのビデオ・メッセージでは、「気候変動に関する国連枠組み条約に基づくパリ協定で、国際社会はその緊急性と集団的な対応の必要性を知るようになりましたが、四年経った今も、各国の約束は、まだまだ、とても“弱く”、目標の達成には程遠い…現在の状況は、私たちの人間的、倫理的、社会的な劣化と関係している」と警告。そのうえで、「チャンスはまだある…私たちが個人と社会のレベルで正直、勇気、責任を具体化するライフスタイルを採るなら、解決が私たちの手の中にある」と強調されました。

 

「AI、ソーシャル・ネットワークの負の側面に対して」

 そして、急速に深刻化しているAI(人工知能)とソーシャル・ネットワークの負の側面への対応。

 一国主義化を急速に進める米国、米国に次ぐ第二の経済大国、軍事大国に浮上した中国、そしてロシア、北朝鮮の独裁専制国家が、国内外の情報操作、さらには世界の社会インフラ破壊を可能にする”兵器化“の道をひた走り、中国は国民の自由と人権を損なう監視国家の様相を呈しつつある・・・“周回遅れ”の欧州や日本社会でも、個人や社会のレベルで問題が起きています。

 教皇は、使徒的勧告『キリストは生きておられる』で、「ネット社会」の功罪、とくに負の側面への警戒を若者たちに呼びかけられました。

 今年5月の「世界広報の日」に当てたメッセージは『ソーシャル・ネットワーク・コミュニティから人間共同体へ』と題し、「インターネットは、知識にアクセスする途方もない可能性を示す一方で、事実や人間関係に関する偽情報や、ある目的に基づく意図的な曲解に最もさらされる場の一つ… 政治的、経済的な利益のために、個人とその権利を尊重しない個人情報の不正操作に利用されていることも認識すべきです」と訴え、「相手の肉体、心、目、視線、息を通してなされる生身の本人との出会いを補完するために用いるように」と説かれました。

 9月下旬のバチカンでのセミナー『デジタル時代の共通善』の参加者へのあいさつで、「AIやロボットが、人の考えを操作し、人の尊厳と自由、平和的共存を脅かす可能性」を警告されています。

 

*教皇の訪日のテーマにかける思いは・・・

 そして教皇フランシスコの初の訪日。教皇側近のアントニオ・スパダロCivilita Cattolica編集長は九月初めの上智大学での講演で、今回の教皇訪日のテーマ『すべてのいのちを守る』に込められた教皇の願いは、「環境問題、津波や地震など自然災害、原発事故など、さまざまな課題を抱える日本に、キリストが伝えようとした『命の福音』を伝えたい、ということ」と説明しました。

 特に、核不拡散への戦いー広島、長崎訪問では、原爆犠牲者たちのために祈り、所有も含めた核兵器の廃絶を改めて訴えられる予定で、「来年に予定する国連での核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議での前向きの議論を促すことが期待される」とも語っています。

*“スーパースターの大イベント”に終わらせるな

 しかし、このような教皇の思いに、日本の教会、司教、司祭、信徒はどのように応えることができるのでしょうか。心の準備は出来ているのでしょうか。日本の司教団が一致して、感謝と喜びのうちにお迎えし、今後の日本の教会に生かす体制は整っているのでしょうか。

 教皇フランシスコの訪日は、日本の教会にとって、「福音に従って生きることの大切さを繰り返し教える教皇の姿勢に学び、倣う機会」「社会のただ中にある教会共同体が福音にふさわしい生きる姿勢を見いだす機会」「『働き手を送ってくれるように祈れ』とされた主の言葉を思い起こし、『福音宣教のために奉仕せよ』との呼びかけに多くの人が応える機会」になる・・・

 菊地大司教は自身のブログで、そうした機会をしっかりと生かすよう訴え、十月の福音宣教の特別月間をその準備にあてるように呼び掛けました。

 教皇来日まで残された時間はわずか。間違っても、「スーパースターの一大イベント」に終わらせないように…。

(なんじょう・しゅんじ= ニュースサイト「カトリック・あい」代表、中曽根康弘平和研究所研究顧問、元読売新聞論説副委員長、「教皇フランシスコの挑戦」(ポール・バレリー著、春秋社から新装版を近日再版予定)など訳書、著書多数。)

(11月上旬発行の「カトリック生活」特集号に掲載しています)

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2019年10月31日