・笹川平和財団 <論考>ウクライナ侵攻ーロシアの核兵器使用の可能性を排除できない理由

【2022.3.30 笹川平和財団 <論考>】

 笹川平和財団客員研究員 山口昇・国際大学教授

 2月24日にロシアのウクライナ侵攻が始まって以来、核の脅威が急激に色濃くなっている。プーチン大統領は27日、核戦力を含む軍の核抑止部隊に任務遂行のための高度な警戒態勢に以降するよう指示した。同日ベラルーシは憲法から核兵器の自国内配備を禁ずる条項を廃止して、ロシアの核兵器がベラルーシに前進配備される可能性を示唆した[1]。

 まさに「核威嚇下の侵略」の様相を呈している[2]。ロシアがウクライナに侵攻する狙いは、ウクライナ全土を占領して統治することにあるのではなく、ウクライナに軍事的圧力を与えて、ロシアの意思を強制的に受け入れさせることにあるように見える。

 一方、ロシアが核戦力を持ち出して恫喝したのは、ウクライナではなく、むしろNATO諸国をはじめとする国際社会に対するシグナルであろう。親ロシア政権を望むロシアにとってウクライナ国民の憎悪を掻き立てるのは本意ではなかろうし、ロシアが核戦力に言及したのは欧米の行動を制約するためだからだ。

 実際プーチン大統領は27日、「西側は我々に対して経済的に非友好的な行動をとっているだけでなく、NATOからは攻撃的な発言がなされている」としているし、これに先立つ24日にはロシアの侵攻を妨害する国々に対しては「歴史で経験したことがない重大な結果」に直面すると警告している[3]。ロシアが核兵器を使用する可能性はどれぐらいあるのだろうか?

*戦略核と戦術核

 ここで重要な点は、大陸間弾道ミサイルをはじめとする長射程の戦略核と射程の短い戦術核の間には大きな違いがあるということだ。米ロ両国は1988年から2019年までの間、中距離核戦力全廃条約(Intermediate-Range Nuclear Forces Treaty:INF条約)によって射程500km〜5,500kmのミサイル保有を禁止してきた。

 このため、現在両国が保有する核弾頭搭載可能なミサイルは、共に、ロシアの北岸から米国とカナダの国境までの距離にあたる5,500km以上の射程を持つもの(戦略核)か、逆に500km以下の射程でNATO諸国領域からモスクワに、あるいはロシア領域からロンドン、パリなどNATO域内の主要都市に到達できない短射程のもの(戦術核)に限られる[4]。

 前者の戦略核に関しては、冷戦期の米ソ2局構造の下で精緻な抑止理論が組み立てられ、これが機能してきたと考えられる。いずれが戦端を開いた場合でも、最初の攻撃から生き残った核兵力の反撃によって両者ともに耐えられない損害(人口の20〜25%と産業基盤の50%)損害を被ることを確実にする相互確証破壊(Mutual Assured Destruction: MAD)という構造だ。

 これに対して後者の戦術核は、都市や産業基盤といったソフトターゲットに対する攻撃ではなく、軍と軍との衝突を念頭においたものだ。しかも射程を500km以下に制限しているために、欧州戦域内で自国領から相手方の主要都市などを破壊する能力はない。破壊力も比較的小さく、副次的な損害も戦略核に比べれば小さいことから、戦場での使用を想定したものとして扱われてきた。

*弱者の兵器としての戦術核の恐怖

 あまり議論されないが、戦術核は弱者の兵器だ。冷戦の間、ワルシャワ条約機構軍の通常兵力はNATOに対して圧倒的な数的優位にあり、その攻撃を西側の通常兵力だけで撃退するのは困難と考えられていた。このため西側としては、自陣営の領域内、例えば旧西ドイツ領内で核兵器を使用して攻撃を阻止すること含め、戦術核の使用はNATO防衛の重要な要素であった。このため、西側は戦術核を相手に先立って使用する選択肢を放棄することはなかった。

 冷戦終焉後、この構造が逆になり、ロシア側が防衛のために止むを得ない場合には核兵器を使用することを示唆するようになる。1990年代以降のロシアの安全保障政策は、通常戦力は相対的に劣勢にあるという前提にたっており、2000年に公開された軍事ドクトリンでは、ロシアの「国家安全保障に危機的な通常兵器による大規模侵略に対抗して核兵器を使用する権利を留保する」としている[5]。通常戦力の劣勢を核で補完することを宣言政策としてきたと言える。

 弱者が核に依存することは一見合理的に見える。ただし、ウクライナに対する侵攻との関連で言えば、ロシアの宣言政策にある「国家安全保障に危機的な」という核使用の条件は、かなり広く攻撃的に解釈されているようだ。つまり、ウクライナに対して武力を行使して親ロシアな国家にするために、必要ならば核使用に訴えるとさえ聞こえる。言い換えれば、力によって現状を変更するロシアに対して通常兵力で優勢なNATOが抵抗するのであれば核を使うという脅しに他ならない。国際社会として、このような「居直り強盗」に近い論理を許容すれば、将来に大きな禍根を残す。

エスカレーションの恐怖

 もう一つの問題はエスカレーションだ。いかに小規模なものといえ核兵器を実際に使用すれば広島・長崎以来のことになる。核兵器が使用されれば、相手側に深刻な衝撃を与えてより熾烈な核使用を惹起し、急激に米ロ両国間の戦略核の応酬に拡大する危険性は高い。かつては、ロシアとしてもこの危険性を認識していた模様だ。1993年に公表されたロシアの軍事ドクトリンでは「限定的なものを含め、一方の側が戦争において核兵器を使用すれば核兵器の大量使用を引き起こし、破滅的な結果につながる」としている[6]。

 怖いのは、最近のロシアがエスカレーション・ラダーの一段一段の幅を小さくして、エスカレーションをコントロールしようと考えている節があることだ。しかも、小さなエスカレーションによって相手側の恐怖を掻き立てて自らの意思に従わせようとしている。米国のシンクタンク、海軍分析センター(Center for Naval Analysis: CNA)の最近の研究によれば、ロシアは、平時から核戦争に至るフェーズの比較的初期、すなわち危機に際して相手の軍事行動を抑止する段階から核を含む手段による重要目標破壊の脅しを選択肢として挙げており、局地戦以上の段階では、核兵器使用の脅しから戦術核の大規模な使用までのエスカレーションを想定している[7]。このような選択肢に人口希薄な地域に対する「デモンストレーション的な攻撃」が含まれていることを勘案すれば、現下の状況を楽観することはできない[8]。

ウクライナ侵攻の動機に潜む恐怖

 戦術核の影をさらに陰鬱なものとする事情がある。今次侵攻の目的がウクライナのNATOへの接近を阻止することにあり、その背景にプーチン大統領のパラノイアとも言える脅威認識があるとすれば、問題は深刻だ。ロシア側から見れば、ウクライナはNATO諸国とロシアの間に位置する。キエフとモスクワの距離は約500km、INF条約上戦術核兵器として扱われてきた射程にあたる。

 そのウクライナにNATOの戦術核が配備され、モスクワがその射程に入ることをプーチン大統領が真剣に懸念しているとすれば出口はなく、実は理にかなわないことでもあり、また、ロシアにとってもNATOにとっても安全保障上の利益を損なう結果となる。

 純粋に自らの安全を目的とする行動が結果としてより不安全な状態を招く、いわゆる「安全保障のジレンマ[9]」のダイナミズムそのものだ。

 まず、INF条約の縛りがなく、ロシアもNATOも中距離ミサイルを保有できることを考えれば、ロシアとNATOの間にバッファーを設けることの意味は小さい。少なくとも中距離ミサイルの脅威を取り除くことはできないからだ。だとすれば、この分野における軍拡競争が懸念される。

 さらに、ロシアのウクライナ侵攻とこれに対する国際社会の強い反発によって、相互の関係が険悪になり猜疑心が極大化している今、エスカレーションを止める壁は極めて薄い。プーチン大統領がすでに核の脅しのレベルまでエスカレートさせているからだ。ロシアの軍事ドクトリンは、その次の段階にデモンストレーションを目的とした核使用や敵軍事力に対する限定的な核使用を選択肢として挙げている[10]。そのような核使用という事態を度外視してはいられない。

(2022/03/30)

脚注

  1. 1 “Belarus referendum approves proposal to renounce non-nuclear status – agencies,” Reuters, February 28, 2022.

  2. 2 戸崎洋史「ロシアのウクライナ侵略と核威嚇」日本国際問題研究所『国問研戦略コメント(2022-02)』2022年3月2日

  3. 3 Michael O’Hanlon, “Putin is angry, but he isn’t mad,” The Wall Street Journal, March 9, 2022.

  4. 4 INF条約が失効したことにより、両国に対する中距離ミサイル保有禁止という制約は無くなった。このため、今後は両国とも中間的な射程のミサイルを導入することは可能である。なお、米国はかねてから、ロシアがこの義務に反して射程500km以上のミサイルを開発していること、また、中国や北朝鮮がこの制約を受けていないことを繰り返し指摘してきた。

  5. 5 小泉悠「ロシアの核・非核エスカレーション抑止概念を巡る議論の動向」、日本国際問題研究所『大国間競争時代のロシア』(令和2年度外務省外交・安全保障調査研究事業;研究報告)2021年3月96頁:表2

  6. 6 同上。

  7. 7 C N Aの研究は、平和時の次の段階にあたる「軍事的脅威の抑止(Deterrence of military threat)」のフェーズにおける選択肢として“threat of damage infliction to vitally-important objects with non-nuclear means and nuclear weapons”を挙げている。Michael Kofman, Anya Fink and Jeffrey Edmonds, Russian Strategy for Escalation Management: Evolution of Key Concepts, Center for Naval Analysis, April 2020, Figure 5, p.26.

  8. 8 小泉 前掲書。

  9. 9 「安全保障のジレンマ」とは、国家が純粋に防衛態勢強化のために行った施策が他国の猜疑心を呼び、その国に軍備増強という選択肢をとらせてしまうことに端を発する連鎖をいう。その結果、最初に行動に出た方も更なる軍備増強を余儀なくされ、さらに相手方の反応を呼ぶといった悪循環に陥り、最終的に紛争が不可避になる、あるいは、結果的に自衛が必要と考えて行動を起こした時以上に危険な状態を招くというダイナミズムである。

  10. 10 Michael Kofman, Anya Fink and Jeffrey Edmonds, 前掲書。

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2022年3月31日