・新型ウイルス大感染は、信者でさえも「何かをするのが自分たちだ」と信じていることを示している

(2020.4.24 LaCroix intl Editor in Chief  Robert Mickens)

A Church (and world) in denial that just can't stop itself

Pope Francis delivering an extraordinary ‘Urbi et Orbi’ blessing from an empty St. Peter’s Square, as a response to the global coronavirus pandemic, 27 March 2020. (Photo VATICAN MEDIA HANDOUT/EPA/MAXPPP)

ローマ発=新型コロナウイルスの世界的感染は、全世界の計画の執行を妨げている。

 問題は、私たちの通常の活動を、特に人々の近くに集まるような活動を停止しなければならないことだ。

 研究者が新型ウイルス感染者の治療法あるいはワクチンを見つけるまで、私たちはこれまでの暮らしを命を止めねばならない。さもなければ、数十万人、さらには数百万人もの人々が亡くなる恐れがあるからだ。

 私がこの記事を書いている時点で、この感染症はすでに世界の20万人近くの人を殺している。米国だけで5万人の死者を出す方向に進んでいる。

*長引く封鎖措置ー「以前に戻そう」とする動きも

 ここイタリアでは、既に2万5000人以上が亡くなり、自宅待機が6週間目に入った。そう、 1か月半の深刻な封鎖が続いている。通りには車がなく、通常混雑している広場には人影がない。ほとんどすべての店やビジネスは閉鎖されたままだ。だが、この厳格な封鎖によって、最北部の3つ、ないし4つの地域を除き、重傷者と死者の増加を抑えることに成功している。そうでなければ、さらに恐ろしい事態になっていただろう。

 フランスとスペインはイタリアとほとんど同じ対策を取っているが、アメリカとイギリスはそうではない。

 トランプ大統領は言う。ほんの数週間の封鎖措置で、大半が庭付きの広々とした戸建て住宅に住んでいる人々が”cabin fever(注*狭い空間で生活することで起きる情緒不安定)”を患っており、この歴史上最大の経済大国での生活を感染発生以前の状態に戻したいと考えている、と。

 また、ある米国の政治家は-彼の父親はイラク侵攻とこの中東の大きな部分を消滅寸前に至らしめたことで大儲けをしたー米国は「この世に存在した最も偉大な国であり、偉大な国は病いで麻痺することはない」と軽率な発言をしている。

*”見えない敵”との戦争

 世界の指導者たちは、新型ウイルスの世界的大感染について、”見えない敵”との戦争のように話す。力は、富裕層や権力者に有利な経済・社会システムも正すかもしれないが、殺人的なウイルスによる感染を食い止めることはできない。

 戦争に例えるとしたら、非武装の住民が立て続けに爆撃されている、ということだ。彼らが出来る唯一つのことは、頭を引っ込め、身を隠す、つまり隠れることしかない。

 新型ウイルスと自分で戦うことはできない。通常の日常生活を続けることはできない。そうすれば、ますます多くの人々が死ぬことになるだろう。

 だが、一部の世界の指導者や各国の政治家は、まさにその方向に進んで進んでいるようだ。たとえば、ラスベガスの市長。彼は、この素晴らしい世界的な大人の娯楽の町であらゆるカジノを再開したいと考えている。

 普通の人々でさえ、世界中のいたるところに起きている新型ウイルスの大感染が意味する現実を、自分のこととして受け止めるのが、難しいと感じている。

 

*受け入れを拒否される旅行者

 世界で何百万もの人が、この春と夏に予定していた海外旅行をキャンセルせねばならなくなった。私の知り合いの何人かは、10月か11月に予約を入れたいと思っているが、どの航空会社も今は予約を受け付けていない。

 そのような状態で、彼らがこれまで通りの生活を続けようとしても、すべてが拒絶されている。新型ウイルスの大感染が始まる前のように生活を続けることはできない。そして、それは、今後もかなり長く続くだろう。

 新型ウイルスは私たち皆を立ち止まらせるはずだったが、実際はそうではなく、「行け、行け、行け!」になっている。世界の「 modus vivendi(生活様式)」はまさに「modus faciend(行動様式)」になっている。そうした中で、私たちのカトリックの霊的指導者は一体、どこにいるのだろう。不幸なことに、そうした人々の多くは、ある種の政治家と役人と変わらない行動をしている。止まるのではなく、止まれないようにあらゆることを試しているのだ。

 そして、これらすべての中で私たちのカトリックの精神的指導者はどこにいますか?残念ながら、彼らの多くは特定の政治家や市民の役人と同じように行動しています。彼らは止めるのではなく、止められないように、すべてのことをしようとしているー聖職者としての活動を倍加している。

*「存在は行為よりも重要」に何か起きたのか?

 この現実について衝撃的なのは、多くのカトリックの信徒がショックを受けていない、ということだ。きわめて多くの信徒も、同じように対応している-”サイバー教会”の仮想現実の中で、以前と同じことを、全て続けようとしているのだ。

 教皇や司祭たちは非常に長い間、信徒たちに消費主義の生活様式の持つ危険を警告し続け、「存在していること」が「すること」や「持つこと」よりも、はるかに重要だ、と説得しようとしてきた。

 だが、聖職者の多くが新型ウイルスの大感染に対してとってきた方法は、信徒たちにとって、重要な真実を馬鹿げた響きのスローガンに変える通俗心理学者のように見えるー「あなたは、あなたであることだ。あなたがすることではない」というような。

 強制封鎖は、霊的指導者にとって、立ち上がり、冷静に、しかし決然として、これが「すること」を止める機会、呼び出しであることを、信徒たちに気付かせる時であるべきだった。そして、現在の封鎖措置がこらからも長く続くのであれば、説教でそうするチャンスがある。

 そうすることの代わりに、多くの司祭たち、そして教皇さえも、止まらないような方法を見つけようとしてきたーミサを捧げ、説教をし、講話をし、信徒たちにどのように霊的な(そして物質的な)生活をおくるべきかを語る… たとえそれが、テレビ画面やコンピューターのモニターの映像を通してでも、続けたい、と。

 

*「未来のキリスト教徒は、神秘主義者に…」

 だが、霊的指導者たちがすべきことは、今現在は「すること」が不可能だということを信徒たちが受け入れるのを助けることではないだろうか。しないことの時間を過ごす方法を信徒たちが見つける助けとなる霊的な形成がされることが望まれる。

 はっきり言って、私たちは仮想現実のミサに、仮想現実の握手や肩の抱き合い、接吻以上には、臨場感をもって”参加”することができない。”real presence(注:実存-キリストの体が聖体において実際に存在すること)には、いくつかのことが必要だ。それを、多くのカトリック司祭と信徒たちが忘れているように見えるのは、驚くべきことだ。

 第二バチカン公会議(1962-65)直後の数年間、最も重要な神学者の一人だったカール・ラーナー師は、告解年令に達した者が信仰者であることの意味について、はっきりとした認識を持っていた。「未来のキリスト教徒は、神秘主義者になるか、それともまったく存在しなくなるか、のいずれかだろう」と、このドイツ人イエズス会士は語っている。

 神学者たちは、以来これまで、彼の認識が正しいかどうかについて議論してきた。そして、彼が意味したことについてさえも議論をした。

 だが、彼の言わんとすることは、大部分の人々が非キリスト教化された世界におけるキリスト教徒は、原始宗教が”神聖”なものとした場所や事象の中にではなく、”俗世”としてひどく嫌うものの中に、神との融和を見つけねばならなくなるだろう、ということのように思われる。

 

*カール・ラーナーは新型ウイルスの大感染に対する教会の対応について、何と言うだろうか?

 ラーナーは、人間の姿になってこの世に来られた(そして肉体化した)神について、幅広く書いており、このような神は、私たちの周りで生きた現実の中で”体験”することができ、されなければならない、と語っている。

 このような創造された現実は、超越で満たされている。それはまさに、イエス・キリストという人において、神が人間の姿になられたことによる。

 このような認識を受け入れない司祭を含むカトリック教徒が多く存在するのは、間違いない。彼らにとって、いわゆる”寺院崇拝”が、最も重要ー彼らの霊性(あるいは宗教的義務)は、神聖な空間の領域の中で、神聖な事物と共にある場合に限って、果たすことができるのだ。

 それは確かに、ラーナーの見方ではない。彼は80歳を迎えた直後、1984年に一生を終えている。したがって、現在の新型ウイルスの感染拡大を防止する対策の一つとしての公開ミサなど一般信徒が参加しての典礼行事の中止などの対応について、彼がどう考えるか、正確に知ることはできない。だが、彼はおそらく、そうした対応に賛成しなかっただろう。彼の進歩的な考えの信奉者は、彼がミサのテレビ中継に反対だとしたら、驚くかも知れない。

 

 「『現代的になりたい』という熱望は、あっという間に、非常に非現代的なものに変わるかも知れない」と、ラーナーは1950年頃、語っている。「テレビが、日常的な家具の一部となり、無差別に好奇心旺盛なカメラの餌食にされる天と地の間のあらゆる事象を見物することに慣れてしまえば、 21世紀のペリシテ人(聖書に古代ユダヤの主要な敵として登場する民族、転じて「芸術や文学などに関心のない無趣味な人、俗物」の例えに使われる)にとって、例えようもなく刺激的なことになるだろう。だが、その時代にあっても、安楽椅子に座って、ハンバーガーをかじりながら、人が見ることのできないものが、まだあるのだ」。

Robert Mickens

(筆者、Robert Mickensは、過去30年にわたって、ローマで学び、働いてきたカトリック・ジャーナリスト。教皇庁立グレゴリアン大学を卒業した後、バチカン放送で勤務し、ロンドンのカトリック誌Tabletのローマ特派員も。米CNN、英BBC、オーストラリア放送でコメンテーターを務めている)

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

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2020年4月28日