・新型ウイルスの感染は、ミサ聖祭について教会が真摯に自省する機会だ(LaCroix)

(2020.4.3 LaCroix Robert Mickens

The Mass has ended… but the clerical abuse continues

 バチカン発ー今、全世界が感染している。新型コロナウイルスは地球を周回し続け、通常なされている生活と商業のリズムをほぼ完全に停止させている。

 今回の新型ウイルスの感染に対して、ほとんどの国と人々は完全に油断し、準備ができていなかった。

 そして、今回の世界的危機は、私たち全員が自分の生き方、社会のまとめ方、ビジネスの進め方、互いの関係のあり方について多くのことを劇的に考え直させる契機となるだろう、と多くの人々が言っている。物事はこれまでと同じではなくなる、我々は変えねばならなくなるだろう、と。

 我々の教会も例外ではない。我々の信仰共同体は、他の共同体と同じように、弱点を突かれた。そして、宗教指導者-特に我がカトリック教会の司祭と司教たちーの大半が、不意打ちをくらわされて仰天し、ミサ典礼の”ロックダウン(封鎖)”に走った。

*”仮想ミサ”を再考する必要があるが…

  そして、司祭や司教たちは、対応策についてアイデアがないー一人でミサを捧げ、それをテレビやインターネットで配信し、信徒たちはそれをただ見ている、ということ以外には。

 何かを見るー必ずしもそれが全く悪いというわけではないが、確かなことは、ミサ聖祭への本来の形の参加にはならない、ということだ。

 テレビやラジオ放送によるミサへの参加は何十年にもわたって閉じられてきたが、公開ミサが中止されたここ数週間、インターネットの動画中継などによるミサへの”仮想参加”を再考する必要がはっきりしてきた。

 ミサへの”仮想参加”が感謝祭の食事への仮想参加と同様であることはできない。前者が公開ミサが中止されている間の多くの信徒の為のものであると、後になって分かるように、後者は非常に奇妙で不条理なもであるだろう。

 考えてもらいたい。両親が家で大掛かりな感謝祭の御馳走を準備し、それを外にいる子供たちが、テレビあるいはインターネットの自動配信を受けて”食事”を共にする、としたらどうなるか。

 

*”馬鹿げた”を通り越して”残酷”に

 この仮想の”御馳走”を共にしている子供たち、あるいは親類が、自分の食事を用意する可能性がないとしよう。とすると、彼らは両親の感謝祭の”儀式”を見ることができるだけ。何も食べずに、良心が食べるのを見守るのだ。さらに、両親が、子供たちにジェスチャー・ゲームを一緒にやろうと強くせがむとする―それは馬鹿げている、を通り越して、残酷でさえある。

 真心のある愛情深い両親は、子供たちにそのようなことはしないだろう。仮にそのようなことをしたとしても、虐待されて育った子供たちだけは、ひどい仕打ちに耐えるかも知れないが。

 良い親は自分の子供たちをないがしろにはしない。子供たちが食べられないなら、自分たちも食べないだろう。

 

*食べる人だけが養われる

 当然ながら、私たちがミサ聖祭について話す場合、通常の食事について話しているわけではない。だから、以上のような比喩は真実を正確に反映しているわけではない。

 ミサは”生贄の食事”であり、それは食卓である祭壇を囲んで、キリストの十字架上の死と復活を記念するものだ。ミサ典礼の”食事”は”犠牲”とは切り離すことができないが、”仮想ミサ”がされている間、それは教会の信徒の99㌫以上の為のものであるから、そのことを排除するところまで過小評価すべきではない。

 食べる人だけが栄養を与えられる-そのように教会は、「あなた方全員がこれを取って、食べなさい」というイエスの言葉を理解してきた。

 聖体拝領がひんぱんに行われなかった場合でも、第四ラテラノ公会議(1215年)は、「イースターの義務」として知られるようになったことー少なくとも年に1度は告解し、復活節中に聖体を拝領することーを信徒に義務付けた。

 復活節は5月31日まで続く。うまくいけば、それまでにほとんどの地域の信徒が再び、本物のミサに参加できるようになるだろう。だが、ミサが再開されるまでの間、”仮想ミサ”が本当に必要か、あるいは助けになるのか?

不十分で”統合失調症”の”聖餐神学”

 公開ミサの中止は、教会が私たちの大部分が認めようとしているよりも、はるかに聖職者中心であることを、示している。そして聖餐(注:ミサ聖祭)に関する神学が、不十分で、ある種の統合失調症にさえなっていることを明白にしている。

 この神学は、それは(注:16世紀の)トリエント公会議以後の」「教会法的・機械的な秘跡についての見方」と(注:約半世紀前に開かれた)第二バチカン公会議以後の「人を教会の一員だけでなく、共通の司祭職の一員とする洗礼を主要な秘跡としての理解・回復」の間に挟まれている。

 叙階された聖職者は、より適切には長老と呼ばれる。彼らは、教会共同体の神への賛美・礼拝を組織、指導するために叙階されているが、司祭としての役割は、洗礼を受けた人々の共同体全体で共有され、礼拝の集まりの中に存在する。

 我々の神学者と司牧者は、もっと注意深く識別し、今の現実をもっと深く顧みなければならない。そうすることは、確実に、私たちのミサ聖祭への理解の仕方、参加のあり方に、もっと幅広い、恐らくはもっと賢明な結果をもたらすだろう

 

*”聖職者の舞台”の主題と関係のない小道具

 3月31日にイタリア・ウンブリア州出身の司教たちが3月31日に出した文書をが見て驚いた-司祭が、誰一人の参加もなしにミサを一人で捧げることを、正当化するものだったからだ。

 文書は「信徒たちはミサ聖祭に参加するが、叙階され​​た司祭、教会の長老、あるいは司教のような秘跡を行う際の構成要素ではない」としていた。

 「このような見方は、神の民(注:信徒たち)が耳にすべきことではありません。信徒たちは、聖職者の舞台の主題とは関係のない小道具だ、と考えているのです」と図らずも長老になることになった私の友人が批判した。

 この司教たちが出した文書を誰が執筆したのか不明だが、書いた人間は、ミサ聖祭に関する教会の神学的(および教会論的)”統合失調症”を明確にする、さらに厄介な問題を提起している。いずれにしても、ウンブリア州の13の教区を率いる人々は、この文書の中身に最終責任がある。

*一人の枢機卿と二人のバチカンの元最高幹部たち

 そして、憂慮すべきは、その人々の1人がイタリアの司教協議会会長(グアルティエロ・バセッティ枢機卿)であり、もう1人がバチカンの前典礼秘跡省次官(大司教ドメニコソレンティーノ)だということだ。

 この文書に実際に署名し、公表したのは、ウンブリア州司教協議会会長のレナト・ボカルド大司教だ。彼はバチカンのキャリア外交官で、長い間バチカンで働き、バチカン市国の副首相にまでなった。また、何年にもわたって教皇儀典室にもいた。

 大司教は公表の10日前に自分の教区の司祭に手紙を書き、文書にあるのと同じ心情を吐露していた。「キリストの犠牲である pro populo(人々のために)を捧げるのを怠らないように強くお願いします」と。人々の為である必要はない。司祭は自分たちの為に犠牲を捧げるのだ。そして、自分自身によって聖餐に参加する、同様に…

 

*”それ”は、おそらく後で来るだろう

 カトリック教徒は、自分たちがどのようにして、祈り、この聖週間と主の復活の神秘に与るかについて、自分で決める必要がある。閉鎖的な、決められた手順で在来型のミサをすることを除いて、何か大きな助けになることをしようとする司祭や司教は多くない。

 恐らく、我々は、ユダヤ教からカトリックに改宗してカルメル会の修道女になり、ナチスのユダヤ人絶滅収容所で殺された聖エーディト・シュタインから教訓を得ることができるだろう。彼女は、聖体拝領をせずに生きることの意味を知っていた。アウシュビッツのガス室で殺される5日前、1942年8月4日に、彼女はオランダのナチスの一時収容所から次のように書いている。

「私たちは、とても心穏やかで元気です。もちろん、これまで、ミサも聖体拝領もなかった。おそらく、それは後で来るでしょう。今、私たちは、内面から純粋に生きる方法を少しばかり体験する機会に恵まれています」。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

(注:LA CROIX internationalは、1883年に創刊された世界的に権威のある独立系のカトリック日刊紙LA CROIXのオンライン版。急激に変化する世界と教会の動きを適切な報道と解説で追い続けていることに定評があります。「カトリック・あい」は翻訳・転載の許可を得て、逐次、掲載していきます。原文はhttps://international.la-croix.comでご覧になれます。

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2020年4月5日