・戦闘が終結したイラク、コンテナ病院で日本人外科医が見たものは…(国境なき医師団ニュース)

(2019.3.29 国境なき医師団・日本ニュース https://www.msf.or.jp/)

同僚らとイラクのマストで働く村上大樹医師(右) © MSF同僚らとイラクのマストで働く村上大樹医師(右) © MSF

 国境なき医師団(MSF)は2016 年12月、イラク北部カイヤラにコンテナ病院を設置した。手術室や、集中治療室、薬局など、患者の治療とケアに必要な設備を備えている。外科医の村上大樹医師は、2018年12月から1ヵ月間、このコンテナ病院で活動した。国内避難民キャンプで生活する多くの人の医療ニーズに応えている。村上医師が見たものとは。

戦闘の爪あと…コンテナ病院

いくつものコンテナがつながっている病院(2017年撮影)© Javier Rius Trigueros/MSFいくつものコンテナがつながっている病院(2017年撮影)© Javier Rius Trigueros/MSF

 過激派組織「イスラム国(IS)」が占領していたイラクでは、今も不安定な情勢が続いている。イラク第2の都市・北部の町モスルでは、ISからの奪還を目指すイラク軍との激しい戦闘が勃発。激しい市街戦が展開されたが、2017年7月にイラク軍がモスルを奪還し、戦闘が終結した

 だが、今も多くの地域で、戦闘の爪あとが至るところに残ってカイヤラは、モスルから南に約30キロメートルの場所にある。すぐ側をチグリス川が流れる。カイヤラでも、戦闘で壊れた建物がそのままにされ、廃墟になっている場所が多い。この地域には公立の総合病院があり、ISの戦闘が激しくなる以前は、重症患者などを受け入れる医療施設として機能していた。だが、村上医師によると戦闘で破壊され、現在は復旧作業中だという。周辺には、多くの国内避難民キャンプがあり、それらのキャンプに15万人が住んでいるとも言われている。

 「今、彼らの医療ニーズを満たしているのは、このMSFの病院しかありません。重軽傷など、あらゆる症状の患者に対応しています」と村上医師。MSFはここで、国内避難民を含む人口約20万人を対象にして活動している。

 コンテナ病院は、全てを計算して作られている。とても衛生的な病院で、「働きやすかった」と村上医師。病院内の2つの手術室を交互に使い、1日10件ほどの手術に携わった。

コンテナ病院で産まれた命

 イラクで新年を迎えた村上医師。2019年最初の手術は、帝王切開だった。患者は、国内避難民キャンプに住む20代の母親。間もなく、出産を迎える時期だった。「2人目の子の出産でしたが、母親は妊娠高血圧の症状があり、それによって既に意識障害があり、体がけいれんしていました。緊急に帝王切開をすることになりました」。

 産まれたのは、元気な男の子!母子共に健康で、無事に退院していったという。日本でいう「元旦ベビー」となった。「とにかく元気で安心しました。無事に、すくすくと大きく育ってほしいです」

やけどに苦しむ子どもたち

 コンテナ病院には、毎日たくさんのやけど患者も運ばれてきた。幼い子どもが多かったという。

「やけどが多い理由は、地べたで煮炊きをしている人たちが多いから。避難民キャンプではそれが日常です。子どもの手の届くところに火があるので、子どもが誤って熱い鍋をひっくり返したりするケースも。また、冬は灯油ストーブを使っている人が多いのですが、火をつけたまま給油してしまう人が多くて。それが原因で、ストーブが引火して全身やけど、というケースもありました」

MSFの医師らがやけどの子どもを、コンテナ病院内の手術室で手術する様子(2017年撮影) © Brigitte Breuillac/MSF MSFの医師らがやけどの子どもを、コンテナ病院内の手術室で手術する様子(2017年撮影) © Brigitte Breuillac/MSF

 ある1歳の男の子は、お湯をひっくり返してしまい、上半身の大部分にひどいやけどを負った状態で来院した。

「深部までの熱傷だったので、重症でした。気道熱傷もあり、呼吸も辛そうで。入院してもらい集中治療室でケアをしました。1ヵ月くらい入院していたと思います。栄養状態も悪かったのですが、体力も回復の兆しが見えてきました」

いよいよ皮膚移植をと準備を進めていた矢先、男の子の家族から、思いがけないことを言われた。

「家族から、現地の伝統的な方法で男の子を治療したい、という申し出があったのです。家族が希望する治療とは、チグリス川で取れた大きな魚の皮をやけどの部分につけて、軟膏を塗るというものでした。それを家族はやってみたいと。こちらは皮膚移植を考えていたのですが、どうしても家族の意志が固くて。いろいろと話し合って、家族の思いを尊重することにしました」

退院した男の子。だがその2週間後、村上医師は悲しい知らせを聞くことになる。

「男の子のその後が気になって、病院で働くスタッフに『男の子はどうしているか』と聞いてみました。スタッフは、男の子の家族に電話で連絡をしていたのですが、その時に、男の子が亡くなったことを教えられたそうで

今も街は混沌としている…す。家族も男の子のために、良かれと思ってやったことだと思うのです。これはいつも心がけていることですが、僕たちが信じる西洋医学を押し付けるわけにはいかないと思っています。彼らの選択は、尊重されるべきだと。でも、やっぱり皮膚移植をして、男の子を治してあげたかったです」

 ある時、国内避難民キャンプで大きな爆発が起こり、両手を失った男性が搬送されてきた。「彼は最初、テレビが爆発したのに巻き込まれた、と話していました」と村上医師。でも実際は、爆弾を作っている最中に誤爆し、けがをした男性だったという。

 「どんな状況であれ、負傷して病院にやってきたら、その人は『患者』です。それがMSFの『医の倫理』です。こうした難しいケースに出合うことは少なくありません。医療を必要とする人に平等に、公平に医療を提供するのがMSFの役割。MSFの医師として、やるべきことをやる。それが僕たちの仕事です」

 同僚たちとコンテナ病院の前で。村上医師の他にも日本人医師らが活動している © MSF

 MSFのコンテナ病院で活動して1ヵ月。村上医師は、「イラクには、これからもMSFの助けを必要としている人たちがたくさんいます。コンテナ病院ももちろん、今後も活躍を続けていきます。私たちも活動を続けていきます」 と話している。

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2019年3月30日