・教皇の 2018年-”性的虐待”から”資金”まで、改革に手を付けた(Crux)

 2013年3月に教皇に選出された時、ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿はご自分が「改革」という使命のために選ばれたことをご存じだった。だが、教皇フランシスコにとって、「改革」が何を意味するのか、明確ではなかった-カトリック教会の一般的なイメージの再活性化か、聖職者による性的虐待が引き起こした危機への対応のか、バチカンそのものの改革か、それとも、世界中のカトリック教徒を”回心”に導くことか…。過去12か月の間、フランシスコは多様な分野で改革に対応することを否応なく求められ、異なったやり方で試された。

*性的虐待問題

 世界の主要メディアでその年を代表する人物として選ばれたのは、”遠い昔”のこと。教皇フランシスコは2013年に就任以来、毎年恒例のノーベル平和賞の受賞者決定が近づく中で、今年初めて、その名がうわさされることがなかった。その理由としてまず挙げられるのは、今年の世界のメディアで、カトリック教会が沢山の不幸な出来事をにぎわせたことがある。

 その多くは、聖職者の性的虐待がもたらした危機、その代表的なものが、ペンシルバニア州の大陪審報告、セオド-ル・マカリック前枢機卿が何十人もの神学生に加え、少なくとも3人の少年に性的虐待を働いたとして訴えられた事件、チリの司教全員が性的虐待問題の責任を取って辞表を提出したこと、そして、教皇の枢機卿顧問団の1人だったオーストラリアのジョージ・ペル枢機卿が長期にわたる性的虐待に関係して二つの裁判にかけられたことだ。

 これらのスキャンダルは、教皇が就任以来4年の間に積み重ねてきた”資産”の多くを台無しにしたことを意味する。移民・難民を守ろう、環境を保護しよう、といった教皇の世界への訴えは、ほとんど聞き入れられることがなかった。

 このことは、教皇がアイルランドを訪問された時によく見て取ることができた。メディアの関心が、多くの人が考える性的虐待問題への教皇の対応の遅さに集中したのだ。訪問最終日に、前駐米バチカン大使のカルロ・マリア・ビガーノ大司教が「2013年にマカリック枢機卿(当時)の性的虐待行為を報告したにもかかわらず、教皇は何も対応しないどころか、前教皇がマカリックにとっていた制裁を解除した」と訴えたのが明らかになったことも、真偽はともかく、火に油を注いだ。

 今年のカトリック教会の主要な諸行事は互いに関係をもってなされたが、チリの教会のこと(注:司教全員が辞表を出したこと)以外には、教皇の教会改革を前進させる内容は出てこなかった。

 チリの教会について、教皇は、性的虐待隠ぺいで訴えられていたチリの司教たちを3年にわたって支持してきたが、今年1月にチリを訪れ、これまで”罪人”呼ばわりされてきた虐待被害者に被害の訴えを出すように求めたのを機に、姿勢を一変させ、悪名高い元司祭、フェルナンド・カラディマから性的虐待を受けた人々の側に立った。そして、司教たちをローマに召喚し、性的虐待、隠蔽、証拠とその他の過ちの記録を破棄したとして告発した。

 チリの司教たちは5月にローマで3日間の協議をした後、38人全員が教皇に辞表を提出した。教皇はこれまでに、このうち7人の辞表を受理したが、さらに隠蔽の罪で地方検事から訴追されている首都サンチャゴの大司教、リカルド・エザッティ枢機卿を含む数人を止めおきにしている。

 チリは、性的虐待危機に対する教皇の視野を広め、いかにそれが世界的な問題になっているかを知らしめる先導役になり、全世界的なレベルでの性的虐待への対応が、優先課題となった。それが、2019年の2月21日から24日まで全世界の司教協議会長を教皇が招集した理由だ。その準備のため、高位聖職者に世界各地を巡って性的虐待の被害者から話を聴くよう指示した。

 また教皇は21日のバチカンの幹部、職員に対する年末講話で、「カトリック教会がこうした犯罪を二度と隠ぺいしないことを誓い、加害者たちに、人と神の正義と向き合う用意をするよう警告している。教皇の講話の内容は、性的虐待の被害者たちの間に、さまざまな反響を呼んでいる一方で、こうした犯罪を明るみに出すのを助ける記者たちへの教皇の賛辞は、危機を作り出したとして記者を批判し、メディアを訴える幾人かの高位聖職者の評価と、とても対照的だ。

*バチカン改革への取り組みは

 2013年に教皇に選ばれた時、フランシスコは自身が支持された要因の一つが「バチカン官僚たちの機能不全と対応の遅さ」、そして「布教の現場経験の少ない人々が、どれほど心理状態が内向きになっているか」とを肌身で知っていることだ、と認識していた。

 それで、教皇着任早々、バチカン改革について自身を助けさせるために、枢機卿8名による顧問会議を作った。顧問団が2018年年中に、ヨハネ・パウロ二世の代に決まったものに代わる”新しい”憲法”の第一次草案をまとめた-とされていた。だが、幾人かの関係筋はCruxの取材に「24回以上の会合を重ねたものの、”まとまった文書”というよりは、つぎはぎに留まっている、と語っている。

 教皇顧問団による作業のほかに、教皇はまた、バチカンに数人の幹部を新たに迎えたが、その多数がイタリア人で、任命者の幾人かがスキャンダルに見舞われた。バチカンの部局の中で、最も大きく変わったのは、2015年に設置された広報部門だった。広報評議会、米人のグレッグ・バーク師をトップとする報道局、バチカン・インターネット・サービス、バチカン・ニュース、バチカン・テレビ・センター、そしてバチカン機関紙のL’Osservatore Romanoを含む、聖座とバチカン市国の広報関係部署を束ねる機能を持つように改められた。

 広報部門の改革は、フランシスコの神学に関する著書の収集に関するベネディクト16世の書簡の恥ずべき編纂問題の最中に、ダリオ・エドアルド・ビガーノ長官の更迭から始まった。後任には、バチカンの部局の長官としては初の一般信徒出身となるイタリア人のパオロ・ルッフィーニ氏が選ばれた。

 年末の12月18日、フランシスコはこの部署の幹部としてイタリア人二名を選任した。これまで長年にわたってバチカンを取材してきたアンドレア・トルニエリ氏をL’Osservatore Romanoの編集局長に、アンドレア・モンダ氏を部長のポストに就けた。

*司牧の分野での路線変更とぶれない二つの軸、そして中国との暫定合意

 2018年は、このようにフランシスコにとって激変続きの12か月だったが、二つのことでは軸がぶれなかった-イタリア内外での教皇の現地訪問、それに、平和の手段としての若者たちとの対話と宗教間対話だ。

 教皇が「若者シノドス」の開催を宣言して以来、若者たちへの関心は明白だった。世界中の300名を超える高位聖職者がローマに参集し、カトリック教会がいかにして、若い人々に接し、召命の識別に力を貸すことができるか、について話し合った。

 7月には、フランシスコがカトリック教会とギリシャ教会の通用門であるイタリア南部のバーリー市を訪れ、シリアにある主要なキリスト教共同体の指導者たちを招いて会議を主宰し、平和をともに祈り、過去8年にわたって戦乱に見舞われているこの国の平和回復に宗教がどのように力になることができるか協議した。

 しかし、最大の事件は、政治的に大きな意味合いをもつバチカンの基本的立場の転換となる中国との”暫定合意”-同国内での新司教任命と中国政府が一方的に”叙階”していた司教たちの承認-だった。

 この合意については、共産党政府の意図にフランシスコが譲歩したもの、と多くの批評家が批判するなど、議論を呼ぶことは避けられなかったが、教皇にとって、これはカトリック教会が一億人以上に上る中国の信徒たちの司牧が自由にされるための”入り口”なのだ。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載します。

 

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2018年12月27日