・シノドスの旅-が始まる:教皇の歴史的評価は、シノダリティへの努力が実るか否かで決まる(LaCroix)

(2021.9.7 La Croix By Massimo Faggioli | United States)

  バチカンのシノドス事務局が、2023年10月のシノドス(世界代表司教会議)総会に向けたシノダル(共働性の)プロセスーおそらく教皇フランシスコにとって最も大胆なプロジェクトだーの準備文書とVademecum(手引書)をまとめ、7日発表した。

 シノダル・プロセスはローマで10月9-10日に、世界の教区教会は17日にそれぞれ行われる開始の行事によって始まるが、その目的は、2023年のシノドス総会の準備過程に世界の全教会を巻き込むことで、シノダリティ(共働性)そのものに焦点を当てることにある。

*独、豪などは既に始めているが、米国の教会指導者は沈黙

 準備文書などによれば、世界の教区の開始行事は、開会式と黙想、ミサ典礼と祈り、祝いの式などを含むことになっているが、実際に具体的にどのような内容でされるかは、まだ明らかではない。筆者は、世界中の何人かの友人や同僚から「何も起きていない」と聞いているー司教協議会からも、司教からも、司祭たちからも、開始の式の準備について何も聞いていない、という。

 ドイツとオーストラリアの教会は、教皇がシノドス・プロセスを全世界の教会参加で行うことを発表する前に、先行してシノダル・プロセスを始めている。イタリアやアイルランドなどでは、国内の司教たちが準備を始めている。

 ラテンアメリカ諸国には、アルゼンチン出身の教皇が誕生する前から、”シノダル文化”があり、今回のシノダル・プロセスも、多くの現地教区の教会生活の中で自然に入っていくことが可能だ。

 だが、例えば米国の場合、全米司教協議会連盟(USCCB)による国レベルの取り組みの発表はされず、”完黙”状態だ。USCCBが立てた「2021-2024 USCCB戦略計画」では、シノダル・プロセスについて言及されていない。教区レベルでもほとんど同じことが言える。教区レベルでのシノダリティの経験は、米国では非常にまれだ。

*教皇フランシスコに関わる投票

 教皇のシノダリティへの意欲は、2021年5月よりもはるか以前、2015年10月のシノドス通常総会から始まっている。

 教皇は今月9月初めにスペインのカトリック・ラジオ局COPEが放送したインタビューで、「教皇が病気になるたびに、いつも”そよ風”や”危機のハリケーン”が起きます」と語る一方、「辞任の考えは、決して自分の心をよぎりませんでした」と述べている。

 現時点での教皇の危険は、次の教皇選挙に関するうわさではなく、ここ数ヶ月の自身の呼びかけに対する、ある種の”司教たちによる投票”である。

*慎重で、熱意を欠く司教たち

 その一つは、教皇が7月16日に発出した自発教令ー第二バチカン公会議が決めた典礼改革の一環として原則中止の方針が示されていたにもかかわらず、守られず、小教区司祭の判断で行われているラテン語による旧ローマ典礼ミサに規制をかけ、世界の司教たちに実施の是非の判断を委ねる、という方針だ。だが、公会議の方針を熱心に守って来た司教も含め、大半の司教たちが、このフランシスコの方針を受け入れることに非常に慎重になっているようだ。

 もう一つは、今後数週間と数ヶ月で、個々の司教に”投票権限”を与えるような”行事”があるーつまり、シノダルプロセスに参加するか否か、参加する場合はどのような形で参加するのか、についての”投票”である。

 私たちは、いくつかの地域、国の教会では、シノダリティが決して定着しない、あるいは少なくとも現教皇の在位の間には定着しない、という可能性に備えねばならない。これは、現地の教会の客観的な条件はまだ整っていないためだ。聖職者、司教、その他影響力のある人々の中に、シノドス・プロセスは時間の無駄、あるいは宣教活動の”代用品”、と考える者もいる。

 

*シノドスの定期開催は教区レベルでも定着して来なかった

 シノダルのプロセスは「教会のシノダリティへの転換を助ける」と、シノドス事務局のベカー次長が、バチカンでの9月7日の記者会見で語った。世界のカトリック教会で、教皇のシノダル・プロセスへの招きに、多種多様な受け止め、あるいは拒否があると予想される。これは新しいものではない。シノドスの歴史は、制度的な観点から、失敗の歴史でもあることが、歴史家の間でよく知られている。

 トレント公会議(1545年3月15日ー1563年12月4日)は、司教たちに、教区レベルと大都市レベルの”シノドス”ー教会会議ーの定期的な開催を義務付けた。同様の規範は、1917年教会法にあり、教区レベルの教会会議を10年ごとに開くことを義務付けた。当然ながら、トレント公会議と1917年教会法が念頭に置いていたシノドスは、教皇フランシスコが考えているものとは異なっていたー参加者は限られ、一般信徒の参加は認められなかった。

 いずれにせよ、教区レベルなどの教会会議の定期開催は定着しなかった。最近ではヨハネ・パウロ2世教皇が、「シノドスの頻繁な開催を放棄」している事にも、注意が必要だ。教皇が1983年に公布した改正教会法は、教区レベルの教会会議は、彼が司教会議の意見を聴いたうえで、教区司教の判断で個々に開催する、としていた。

 

*可視性と検証可能性

 トレント公会議後、1917年教会法によって教会会議を開くことができなかったことと、世界の教区で今回のシノドスの旅への参加についての教皇フランシスコの招待を受け入れないことがあり得る、ということには、大きな違いがある。それは「可視性」と「検証可能性」の違いだ。

  現在では、カトリック教徒なら誰でも、たとえばドイツと米国の教区の間に、同じ国の教区の間に、あるいはサンディエゴやサンフランシスコなどの同じ州の教区の間に存在するギャップを瞬時に知ることができる。それぞれの教区教会のシノダル・プロセスへの取り組みが本物であるか、それとも単なる”見世物”なのか確認することもできる。教会の序列にも違いがある。

 トレント公会議の教会、そして1917年教会法の教会では、あらゆる罪を覆い隠す制度的、位階的な要素が働いていた。現代のカトリック教会も、少なくとも最近までは、持続不可能なものに直面した場合、カリスマ的な指導者が、教会の信頼性を維持することになっていた。だが、その制度的、カリスマ的な教会の秩序は、聖職者による性的虐待、教会のグローバル化、そしてニューメディアなど、圧倒的な力によって、一掃されてしまった。

 教皇フランシスコはこれまでと異なる教会の秩序を体現している。そして、彼の教皇職の成否は、このシノドス・プロセスの成否にかかっているようだ。

 教会のシノダリティ(共働性)は、制度的なものとカリスマ的なものの両方に依っている。シノドスを呼び掛け、導くのは、教会の位階的な構成要素である教皇と司教たちだ。そして、位階制への単純な従順よりも、もっと強力なのは、霊性であり、それ無しには、真の「シノドス」は存在しない。

 成功しようとしまいと、このシノドス・プロセスは、カリスマの名の下に、制度的な見せかけと欺瞞の教会の言説をはぎ取るのに貢献するだろう。だが、フランシスコの教皇職の成否は、このシノドス・プロセスの成否によって定まりそうだ。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

(注:LA CROIX internationalは、1883年に創刊された世界的に権威のある独立系のカトリック日刊紙LA CROIXのオンライン版。急激に変化する世界と教会の動きを適切な報道と解説で追い続けていることに定評があります。「カトリック・あい」は翻訳・転載の許可を得て、逐次、掲載していきます。原文はhttps://international.la-croix.comでご覧になれます。

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2021年9月17日