(Photo courtesy vaticanum.com)
(2020(.7.17 La Croix Vatican city Robert Mickens)
*今年は教皇にとって歴史に残る年になるはずだったが…
「ローマ司教としての教皇フランシスコの時代の歴史が後に書かれた時、西暦2020年は『フランシスコの教皇職で最も重要な年と記録される可能性の高い年になる」と。少なくとも今年の1月には、私はそう思っていた。
だが、突然、新型コロナウイルスの世界的大感染が起こり、先行きが全く分からなくなっている… 今年の初めにはそうではなかったのだ。
今年が、実際に(教皇フランシスコの)最後(注:の年)になるのではないかと考える人も、中にはいる。
教皇の最近のいくつかの決断ー枢機卿団の代表だった力のあるイタリア人、アンジェロ・ソダノ枢機卿を代表のポストから降ろし、フィリピンのルイス・アントニオ・タグレ枢機卿をバチカンで最有力のポストの一つである福音宣教省長官の座に就けたことーは、後任教皇の選挙の準備を始めている印だ、という見方だ。
83歳のイエズス会士である教皇は今年、2つの主要な文書を公布しようとしており、おそらく他にもいくつかの文書を出すことになるだろう。彼はこれからも世界中を旅し続けるだろうし、前任者が訪問を希望しながら、入国を拒まれた場所にも行こうとするだろう。そして、次期教皇を選ぶ、栄誉ある赤い帽子をかぶった人々の集団(注:枢機卿団)に、新たに何人かを指名するのは間違いない。
このようにして今年を見ると、ほぼ確実に、極めて重要な年になる、ということだ。どのように見ても、まさにそうなのだ!
*「アマゾニアのために泣かないで…」
新型コロナウイルスの世界的大感染が、教皇をバチカンの中に閉じ込める前に、本人が成し遂げた唯一の主要な仕事は今年2月の、昨年のアマゾン地域シノドス(地域代表司教会議)を受けた使徒的勧告Querida Amazonia(親愛なるアマゾン)の公布だった。だが、十分な基礎固めが出来なかったさまざまな理由のために、その内容は、多くの人々を失望させた。
前任者が入ることを拒否された場所への訪問は、保留にすることもできる。教皇は現時点で、あるいは近い将来も、どこかに出かける予定はない。
大感染がもたらした事態はどれほど深刻なのか?バチカンの枢機卿と大司教がイタリアの国境を越えて他の欧州地域に出かけようとするのは、今、大ニュースになる。実際は1か月以上前の6月3日から出来るようになったことだが…。
新枢機卿たちの任命に関しては、教皇が枢機卿がはめる指輪を15個注文したという話があるが、いつ実際に任命するのか、はっきりしない。それは教皇の判断することなので、次期教皇を選ぶ権利を持つ枢機卿団に誰を新しく加えるのか、予測するのは困難だ。
*「マッカリク報告」はどうしたのか?
また、枢機卿団の元のメンバー、セオドア・マカリックに対する徹底的な調査報告も、それほど些細な問題ではない。これについて、バチカンの駐米大使だったカルロ・マリア・ビガーニ大司教が、マカリックの性的な違法行為に目をつぶっていたとして、教皇に辞任を迫るという事態も起きている。
この調査報告は、どうしたのか?バチカンは速やかに公表すると約束していたのだが、いまだに公表されない。公表の遅れは、マカリックの性的虐待行為が事実であり、それを認めれば、教皇フランシスコの直前の教皇、以前の教皇時代のバチカン幹部官僚たちも、そうした行為を見過ごしていたことで、フランシスコよりも重い責任が生じることになる、という問題と関わりがあるようだ。
教皇フランシスコは確かに、兄をなくしたばかりの、高齢で弱った前任者ベネディクト16世をさらに困惑させるような報告を公表することを望まないだろう。
*活動中断が生んだ異様な状況の中で何が起きる?
バチカンで奇妙な時が起きている。欧州で互いの国への旅行が認められるようになって1か月以上経った今でも、バチカンでは観光客や巡礼者がほとんど見られない。
サンピエトロ広場の周辺の店のほとんどは閉鎖されたままだ。地域全体が、放棄され、空っぽになったような感じがする。このことは、部分的な教会の典礼行事の再開に感じる「動きの止まったままの動画」でいっそう強調される。
私たちは今、異様な時の中にいる。
長い間の全面封鎖状態が終わり、少しづつ活動が再開したが、バチカンには、もどかしさと疲労が感じられる。そして、将来についての不透明感がただよっている。
教皇フランシスコは7月を”自宅待機”の休暇に当てている。活動が制約された状態が続く中で、教皇が2020年の後半に向けて、何を準備しているのか、私たちには思いを巡らすことしかできない。
彼にはいつも、皆がいちばん予想していないタイミングで、大きな決断をする、あるいは大ニュースを打ち出す、という稀有な能力を発揮して来た。
その日も時間も、私たちには分からない。だから、”警戒態勢”を取っていなければならないのだ。