(2022.9.24 Vatican News Sergio Centofanti)
ウクライナへの軍事侵略の長期化で、ロシアのプーチン政権が窮地に追い詰められる中で、核の脅威がより現実的になり、和平実現か、想像を絶する危機につながる戦いの継続を選ぶのか、関係国は大きな岐路に立っている。
ロシアのウクライナ侵略は短期の電撃戦で”勝利”するはずだったが、ウクライナ側の決死の抵抗で、双方に死、嘆き、そして破壊をもたらしている。
プーチン政権は、この侵略を「一握りのいわゆる『ナチス』の支配から、ウクライナ国民を解放する」という名目で始めた。
だが、ロシア国民の中に「ウクライナの領土は自分たちのものではないし、ロシアに”征服”されるのを望まない土地で命を落としたくない」と声を上げる動きが出てきた。
「国の指導部やその子供たちが戦いの最前線からはるか離れた安全な場所にいる時に、意味のない戦いに出て、砲弾の餌食になるのはごめんだ」と多くのロシア国民は思っている。
そして、自分自身の命を救うために、今起きているのは、プーチン大統領が決定、実施した徴兵から逃れる動きだ。
プーチン政権は、国際的な強い批判に遭っている。「最も近い」と思っていた友好国でさえ、支援の手を実質的に緩めつつある。愚かな侵略戦争を続けようとやっきになればなるほど、国際的な孤立は深まっている。
今、プーチン政権がすべきことは、侵略戦争に勝つことではなく、早期に終結するために勇気を奮うことだ。
侵略戦争を始めた当事者は、勝利を手にしなければ、自分の立場が危険にさらされる、と考える。したがって、現在の状況は極めて危険だ。絶望的な状況に追い込まれた者は、絶望的な振る舞いをする恐れがある。そして、核兵器の使用も辞さない、という脅しが、今や公然となされている。
勇気と絶望の距離は大きい。だが、勇気ある人々が数を増やして団結すれば、歴史を変える可能性がある。歴史は教えているー「不正義が常軌を逸した時に人々は立ち上がる」と。私たちは今、歴史のそうした大きな転換点にいるのだ。
最大の問題は、プーチン政権が、柔軟に使える選択肢を使い果たしていることだ。選択肢は二つしかない。勇気をもって侵略戦争を終わらすか、それとも続行し(注*核の使用を含む)威嚇を現実のものとすることで、すべてを危険にさらすか、である。後者を選べば、致命的な破局がもたらされるだろう。… 神が私たちをお守りくださいますように。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)