・”ほほえみの教皇”ヨハネ・パウロ1世教皇選出から42年、列聖の準備進む

*公会議に”普遍教会”の息吹を感じた

 第二バチカン公会議の分科会で、未来の教皇は”普遍教会”を強く体験した。1963年に自分の教区の信徒たちにあてた手紙にこう書いていた。「公会議の議場で、私の目の前の階段に目を上げるだけで十分です… そこには、現地で宣教する司教たちのひげ、アフリカ人の黒い顔、突き出たアジア人の頬骨… そして、彼らといくつかの言葉を交わすことで十分。将来への展望と今求められていることが、明らかになります… 私たちはそれについて名案がないことも」。

 言い換えれば、彼は、公会議に”キリスト教的楽観主義”の息吹を感じ、それが、相対主義的な文化についての”広範な悲観主義”に対して、公会議の果実となることを約束するものだったのだ。

*列聖調査の最終段階、奇跡の有無の判断

 ヨハネ・パウロ1世を列聖する動きは2003年に始まっている。ベニス大司教区での3年間の調査を経て、報告書が2006年にバチカンに提出され、担当の列聖省による関係者の証言と関係書類の綿密な調査・検討で、2017年11月に結論が出された。現在は、聖人と認めるのに必要な「奇跡」についての調査が行われている。具体的には、アルゼンチンのブエノスアイレス大司教区で起きた「ヨハネ・パウロ1世の執り成しによる特別の癒し」についてだ。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2020年8月27日