回勅 「Populorum Progressio(諸民族の進歩)」から50年ーパウロ六世は「人類全体の進歩」をカトリックの一つの標準にした(CRUX)

Paul VI made ‘integral human development’ a Catholic touchstone

Richard M. Nixon at a Vatican meeting with Pope Paul VI, on Sept. 29, 1970. (Credit: Wikimedia Commons.)

(2017.6.11       Thomas D. Williams  )

   カトリック教会の社会問題への考え方を示した20世紀で最も重要な文書、福者・教皇パウロ6世の回勅「Populorum Progressio(諸民族の進歩)」が今年、公布から50年を迎えた。教皇フランシスコがこのほど、同回勅に触れ、「人間1人1人と人間全体の進歩」として欠かすことのできない進歩についての‶当を得た〟解説、と称賛するなど、その歴史的意味、普遍的な意味が再び脚光を浴びている。

 パウロ六世のこの文書はしばしば、経済について、富と貧困の原因について1960年代に西欧でもてはやされた左翼の言説を無批判に受け入れた、長くて回りくどい文書として片付けられてきた。その典型は、米証券会社、ゴールドマンサックス副会長のグリフィス氏で、からは、この回勅を「欧州で反資本主義が盛んだった1967年に出されたもので、自由資本主義を批判し、経済的な成長について相矛盾する立場をとり、活用されていない土地の没収を推奨し、計画経済に執心するものだった」と批判していた。

 だが、回勅は応分の批判を受けたものの、不確かな経済の現実について慎重な判断ではなく、発展と進歩のついての教会の理解に貢献し続ける、カトリックの社会問題に対する考え方の見本として支持を得てきたのも事実である。

 回勅は、教皇レオ13世の「Rerum Novarum (新しいものの-労働者の境遇について)」(注・1851年に発出。19世紀の産業革命に端を発する労働問題にカトリックの伝統教義の立場から教皇が初めて公に発言したものとして、カトリックの社会教説の分岐点を形成。階級闘争を拒否し、労働者と雇用者の協力を提言した=「岩波・キリスト教辞典」より)以来の社会教説の回勅としての独特の特徴を持っている。言い換えれば、何十年にもわたって、教会の社会的な教導職にとっても恒久的な参照事項となったのである。

 Populorum Progressioが出されて20年後の1987年、聖ヨハネ・パウロ2世は、同回勅を記念するものとして最初の回勅「Sollicitudo Rei Socialis(社会的な関心)」を出し、その中で、パウロ六世の文書を「恒久的な妥当性」をもつ「傑出した回勅」と称賛し、Rerum Novarumに並ぶ、カトリックの社会教説のための新たな参照事項、と指摘。そして、自身のこの回勅の狙いは、「パウロ六世の歴史的な回勅とその教えに敬意を表明」し、「その常なる刷新とともに、その社会教説の継続を確認する」こと、と説明した。

 教皇ベネディクト16世はPopulorum Progressioを記念する2009年の「Caritas in Veritate(真理における慈しみ)」で、さらに一歩踏み込んだ評価をし、「この回勅は現代のRerum Novarumと受け止めるに値する」との確信を表明した。この表明は極めて重要な意味を持っている。なぜなら、Rerum Novarumは何十年にわたって、カトリックの社会教説の「マグナカルタ」とされ、ヨハネ・パウロ2世は、レオ13世が「教会にっとっての恒久的な理論的枠組み」を作った、としていたからだ。ベネディクト16世はPopulorum Progressioを新たな Rerum Novarumとする一方で、すべてのカトリックの社会教説の一致と連続性を強調し、Populorum Progressioと自身の Caritas in Veritateを、先人たちの業績を並ぶ位置に置いた。Populorum Progressioを圧倒的に優れたものとしようとはせず、パウロ6世の回勅は、使徒的信仰の伝統の外から見るなら「根拠のない文書になるだろう」とした。それでも、Populorum Progressioを「現代の Rerum Novarum 」と敬意を表することで、20世紀を通じてRerum Novarumによって享受されたものと異なることのない模範としての地位を与えた。

 Populorum Progressioは、Rerum Novarumの労働者の問題(正当な給与、私有財産、労働環境、労働者協会などへの付随した配慮)から、人類総体の進歩についての、より幅広く、内容のある社会的基準へ進化させることで、カトリックの社会問題に対する考え方に概念的な変化をもたらした。カトリックの社会問題に対する考え方の標準として、人類総体の進歩が、労働問題よりも、もっと中心的で包括的な課題となったのだ。そして、実際には、労働問題も含んでいる。

 ベネディクト16世は、我々の世代にとっての重要性を強調するように彼を導いたものとして、具体的な進歩の問題点、ないしは、我々の世代にとってのPopulorum Progressioの重要性を強調するようにさせた諸問題に対する実際的な解答についてパウロ6世を評価するよりも、このような変化を支持した。人類総体の進歩についての概念を熟考するものとしてPopulorum Progressioの実質的で恒久的な貢献を手短に述べる一方で、「今日提起されている進歩の問題に対する違った言葉を、40年前と比べる形での評価が必要だ」という言い方で、パウロ6世の予測できない判断を過小評価している。

 人類の進歩は教会の使命のまさに中心に置かれており、教会のすることはどれもこの進歩への奉仕としてみることができる。さらに、ベネディクト16世は、人類の進歩は「それぞれの局面における個人の全体に関わるもの」だ。進歩の真理は、「その完全さにあり、それが人間全体と人間一人一人を包まないなら、真の進歩ではない」と強調し、このことが「Populorum Progressioの中心に置かれた今日も、そしていつも正しいメッセージだ」と述べた。

  2013年の使徒的勧告「 Evangelii Gaudium(福音の喜び)」で、教皇フランシスコも、Populorum Progressioで示された真の進歩についての普遍的な考え方を「パウロ6世の識別の原理」という表現で支持している。さらに最近、彼は、この不可欠な進歩は「経済、金融、仕事、文化、家庭生活、宗教」など、さまざまな分野を統合することを意味し、それぞれが「この成長の基本的な状況を構成している」とし、「そのうちのどれも、一番重要だとは言えず、どれも、人類の進歩にとって除外することはできない」と語っている。

 レオ13世の労働問題についての重要な分析-私有財産に対する冗長な擁護の言葉を伴った-が今日においても妥当性を保つ一方、Populorum Progressioはカトリックの社会問題に対する考え方の焦点を、不可欠な人類の進歩についてのより中心的で包括的な考え方に移した。そうする中で、福者パウロ6世は、50年にわたる試練に耐えて、その教皇文書の集大成に重要な貢献をし、さらに多くのために実際的な価値あることを約束している。

 (Thomas D. William Ph. Dは、ローマ在住の道徳神学者、著作家で聖トマス大学・倫理学教授、最近の二度にわたるシノドス=全世界司教会議=でバチカンの公式スポークスマンを務めた)

・(翻訳・「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

 

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2017年6月13日