(2025.5.14 Vatican News Christopher Wells)
米国のカトリック歴史学者のドナルド・プルドロ教授が、Vatican Newsの取材に応じ、教皇レオ14世の名前選択について、19世紀のレオ13世が直面した課題と、現代の私たちが置かれている世界との類似点に焦点を当てて語った。
教皇レオ14世は、選出後初めての枢機卿団との正式の面談で、教皇名として「レオ」を選ばれた理由について、「さまざまな理由がありますが、主に教皇レオ13世がその歴史的な回勅『Rerum novarum(新しい事柄について)』の中で、第一次産業革命の文脈で社会問題を取り上げことによります」と説明された。
そして、「現代において、教会は、人間の尊厳、正義、労働を守るための新たな挑戦となる、もうひとつの産業革命とAI(人工知能)の分野の発展に対して、その社会教説の宝庫がすべての人に提供されているのです 」と語られた。
米オクラホマ州タルサ大学のカトリック研究ウォーレン講座のドナルド・プルドロ博士は「教皇レオ13世は、教会が当時の差し迫った社会問題の多くに対する答えを必要としていた、深刻な社会変化の時代に生きた」と述べた。
そして、レオ13世がそうであったように、「私たちもまた、教会とその教えだけでなく、人間の尊厳そのもの」に挑戦する 巨大な社会変化の時代に生きています。新教皇がご自分の名前として『レオ14世』を選ばれたのは、教会が人類と人間の尊厳への挑戦、とりわけ人工知能がもたらす問題によって特徴づけられる 、非常に深刻な問題に取り組んでいく決意を示している」と説明。「教皇レオ13世の時代と同様、教会と世界は、故教皇フランシスコが言われていたように、『単なる”変化の時代”ではなく、”時代の変化”を経験しているのです」と強調した。
Vatican Nrews とのインタビューで、プルドロ博士は、教皇レオ13世の時代と私たちの時代との類似点、そしてレオ14世の教皇職の始まりにあたって、今日の教会が直面する課題について、次のように語った。
問:教皇レオ14世が10日、枢機卿たちとの初の面談で、「レオ」という名前を選んだいくつかの理由について説明され、特にレオ13世に言及されました。レオ13世は、「レオ」の名を冠した最後の教皇であり、19世紀後半の偉大な社会改革者でした。教皇がレオ13世の時代と私たちの時代とのつながりについて語ったことについてお話しください。
答: 教皇レオ13世は1878年から1903年まで在位された、20世紀最初の教皇です。彼が生きた時代は社会が大きく変化した時代であり、教会は当時の差し迫った社会問題の多くに対する答えを必要としていました。教皇レオ14世は、特に彼の偉大な、カトリック教会の社会教説のもととなった1891年の回勅『Rerum novarum)』に言及され、なぜ「レオ」を選んだのか語っておられます。
新教皇は、13世が、社会が大きく変化する時代に生きていたこと、その変化は、教会や教会の教義だけでなく、人間の尊厳そのものへの挑戦であったことを、認識されている。教皇が「レオ』を名乗られたのは、教皇レオ13世がちょうど新たな時代への移行の時代に生きたように、私たちも、そうした時代に生きていることを理解しておられることを意味しています。レオ13世は、社会主義と自由放任の自由資本主義という二つの危険の間に、カトリックの道、カトリックの解釈を織り込もうとしたのです。
実際、教皇レオ14世は、「今日の人類への挑戦と人間の尊厳への挑戦、特に人工知能の問題のために、教会がこれらの非常に深刻な問題に取り組む新しい時代を示すために、この名前をつけた」と語っておられます。
問:教皇はまた、新たな産業革命についても語られていますが、レオ13世は第一次産業革命がもたらした課題に取り組まれました。それについて少し説明していただけますか。
答:教皇レオ13世の時代には、大規模な都市化が進んでいました。人々は欧州と北米の農村から都市に移り住み、それによって劣悪な生活環境、劣悪な労働条件に遭遇しました。彼らは企業経営者たちによって労働組合の結成を妨げられ、既存のシステムを転覆させようとする新しい政治イデオロギーに惹かれました。
そうした中で、レオ13世は労働者の権利を強化しようとされました。労働者の仕事への尊厳と人間の尊厳、特に家族という重要な社会的単位における人間の尊厳を強化することを望まれたのです。
教皇レオ14世は今日、新たな転換期を見ておられます。その転換期とは、AI(人工知能)の台頭、ロボット工学の台頭がもたらすものであり、今後10年、20年、もしかしたらそれよりも早く、労働の尊厳、特にレオ13世が直面された”ブルーカラー”、つまり工場労働者ではなく、”ホワイトカラー”、つまりオフィスワーカー、コンピュータ・プログラマー、それを教える人の労働に対する挑戦が起きる。新教皇は、レオ13世同様、人類のこの重要な転換期を確実にする最前線に立ちたいと願っておられます。
教会は、過去二千年以上にわたって、このような根本的な転換期を通して常に人類に寄り添ってきました。教会は、人々が正義において、仕事の尊厳において、そして人間としての尊厳を保つために、自分たちの立場や生活を維持するのを助けることができる、真の、そして決定的な対応力を持っているのです。
問: あなたがおっしゃったことの中から2つ取り上げたい。ひとつは、労働者の尊厳だけでなく、仕事の尊厳についても言及され。また、レオ13世は労働者の苦境に対処されようとしたが、今は”ブルーカラー”の労働者よりも、”ホワイトカラー”の労働者が増えている。一方で、私たちはまた、モノづくりの仕事、発展途上国の人々によって先進国向けの製品を生産するような仕事で、人々が搾取されている世界の多くの地域を目の当たりにしています。そして、この2つのテーマは故教皇フランシスコにとっても非常に重要なものでした。レオ14世はそれを認識されていると思うが。
答:レオ14世は南米で司教を務めた経験から、搾取される労働者の問題に非常に敏感だと思います。世界各国の安価な労働力や、時には不幸にも奴隷労働に依存している世界的な経済システムの状況を知っておられます。ですから、レオ13世が第一次産業革命において声なき人々の代弁者であったように、レオ14世は、そのような人々の代弁者となるでしょう。レオ14世は13世の伝統を引き継ぎ、この世界におけるさまざまな不当な形態の搾取によって脅かされている人々の代弁者となるでしょう。その意味で、彼は故フランシスコの取り組みを受け継いでいくことにもなります。
問: レオ14世は、13世の回勅「Rerum novarum」について言及されましたが、歴史を遡り、その回勅にまつわる文脈を少し教えてください。レオ13世による非常に広範な教えの一部だったのですね。
答:レオ13世の在位は長く続きました。彼の治世には安定性があり、その間に非常に多くの問題に取り組まれた。そして、「Rerum novarum」は、彼が教会に残した社会教説の一つのしるしであり、より広範で包括的な、霊的なものへの回帰、人間への回帰の一部であり、単に水平的な政治的原則を考慮することなく、神と人間との適切な関係とは何かを考察されました。
人間性を神との関係に直接置くことで、レオ13世が強調したようなこと、たとえば、生活できる賃金を求める権利、労働組合を結成する権利、労働の担い手に対する尊厳や彼らが家族を養う必要性からくる当然の、尊厳ある労働の権利などの重要性が見えてきます。そして、教皇レオ14世は、ご自分の仕事の中でそれを継続しようとされています。
レオ13世が直面された教会と社会の状況は、ひどく残酷なものでした。教会が多くの革命を経験し、教会の権威に多くの挑戦があった世紀でしたが、教会の権威だけでなく、社会の標準的な安定柱、国家、家族、そして私たちの生活のさまざまな側面すべてに、対処すべき課題があった。
その中でレオ13世は確信されていました—教会の知恵、彼が強く支持した聖トマス・アクィナスの知恵、彼が多くの回勅で述べたロザリオの実践、神への焦点、人間の尊厳への焦点を通して、カトリック教会の社会教説とカトリックの社会正義の新しく包括的なビジョンを明確にし、それが20世紀まで続き、後の教皇の教導権の多くの基礎となることを。
問: 「Rerum novarum」に関しては、おっしゃったように、カトリック教会の社会教説の包括的な見解の文脈の一部でしたが、その後の教皇たちも「Rerum novarum」を取り上げています。教皇ピオ11世はそれから40年後、パウロ6世は80年後、ヨハネ・パウロ2世は回勅公布100周年を祈念され、ベネディクト16世とフランシスコの教導権の中でも取り上げられていますが、教皇に財政問題を取り上げる権利があるのでしょうか? 最低賃金について、労働者の基準について、政府、経営者、労働者がどのように対応すべきかについて語る権利があるのでしょうか。教皇と教会がこのような問題について語ることができる理由についてご説明いただきたい。
答:教皇に率いられる教会全体には、信仰と道徳の問題について発言する責任があります。今、多くの慎重な決定、純粋に慎重な決定において、人々は問題にアプローチするさまざまな異なる方法を持つことが可能です。人間の尊厳、家族を養える賃金を得る権利、社会的領域における家族の擁護、労働者の権利の擁護など、一定の道徳的確証がある。教会がこれらのことについて発言するのは、特定の政治的プログラムを提供するためではなく、「誰かが超えてはならない境界線」を示すためです。
不当に安い賃金を支払うことで、労働者の人間としての尊厳を否定することはできません。これは聖書的なものです。教皇が歴史を通じて強化してきたことでもあります。おっしゃる取り、レオ13世はこの共通の試金石を教皇たちに提供してこられました。そして、新教皇がその名を引き継ぎ、教会の社会教説を深く尊重し、自らの信者だけでなく、すべての人間の尊厳を守るために介入する教会の権利を尊重することを明らかにされたことで、レオ13世が始まられた取り組みは、本当に”一周”したのです。