(評論)教皇フランシスコは、女性の役割問題などで「リベラル」か「保守」か―”カトリックの尺度”を使うかどうかによる(Crux)

(2024.10.6 Crux  Editor John L. Allen Jr.)

 ローマ – 数日前、教皇フランシスコは皮肉にも、カトリック極右の最も猛烈な批判者たちが真っ先に支持するであろう発言をした。ベルギー訪問中に女性に対する自身の発言が批判されたことに対し、教皇は、その発言が「保守的」な考え方を反映している、という考えに憤慨した。

 「もしこれが女性たちにとって保守的に見えるなら、私はカルロ・ガルデル*だ」と教皇は有名なフランス系アルゼンチンタンゴミュージシャンの名を挙げた。これはアルゼンチン流の言い方で、教皇がその考えを「馬鹿げている」と表現したものだ。

 カトリックの最も熱心な保守派はほぼ間違いなく同意するだろう。彼らは長々と、そして深い熱意と確信をもって、「教皇は自分たちの仲間の一人ではない」と断言するだろう。

 (皮肉なことに、教皇は、同じ機中会見で、自分が「保守派」であるという考えに憤慨し、そこで再び中絶を「殺人」、中絶を行う医師を「ヒットマン」と定義した。これは、ほとんどの一般人にとっては「かなり保守的」と受け止められる言葉だが、これについては後ほど詳しく説明する。)

 例を挙げるのはほとんど不必要だが、この教皇に対する保守派の評価で最も称賛されている点として、離婚して民事婚をしたカトリック教徒に聖体拝領への慎重な扉を開いた2016年の使徒的勧告「愛の喜び」、そして最近では、同性婚の人々に祝福を与えることを認めるバチカン教理省の文書「Fiducia Supplicans」が挙げられる。これに、ほぼ全員が「左派」とみなされていた司教を高位に任命し、伝統的なラテン語ミサの聴衆を軽蔑しながら左派のポピュリスト運動を支持していることが加わった。

 では、教皇はどうして、自分が保守派だという考えを否定しなければならないという、一見奇妙な立場に立たされたのだろうか。簡単に言えば、それは「リベラル」と見なされる人物には「世俗版」と「カトリック版」があり、そのことが、メディアの論評や”井戸端会議”で常に混乱の種となっている、ということだ。

 典型的な世俗主義者にとって、「リベラル」とは、とりわけ、西洋で「文化戦争」と呼ばれるものに対して寛容な立場をとる人を意味する。世俗的な見方では、「リベラル」とは、中絶賛成派、同性婚支持を含むLGBTQ+賛成派、女性の聖職を禁じる宗教団体を「時代遅れで家父長的」と見なすなど、女性の権利賛成派である。

 これまで女性司祭の考えを支持してきたカトリック司教は何人かいたが、世界の司教全体のほんの一部に過ぎない。進歩主義に傾倒する高位聖職者のほとんどは、司祭職を男性の聖職として受け入れながら、聖職者主義と闘い、女性に力を与える他の方法を見つけることに力を注いでいる。

 言い換えれば、「リベラル」と「保守」という世俗的な対比は、カトリック教会の、少なくともその最上級階級においては機能しない。なぜなら、結局は区別がつかない区別は、愚かだからである。

 しかし、世俗的な方法ではなくカトリック的な方法で違いを数える限り、教会内で「リベラル」と「保守」の間には確かに意味のある区別がある。たとえば、リベラルな高位聖職者は、「教会が中絶問題に重点を置きすぎている」と主張し、中絶の法的禁止を求めて闘うよりも、「妊娠している女性や家族を支援する新しい方法を見つけることのほうが、資源のより建設的で思いやりのある使い方だ」と主張するかもしれない。

 リベラルな司教は、同性結婚を擁護するのではなく、同性婚の祝福を支持し、カトリック右派の批判者から「Fiducia Supplicans」を守ろうとするかもしれない。女性司祭の叙階を推進するのではなく、女性を権力の座に就かせる他の方法を探すかもし​​れない。

 より広い意味では、リベラルなカトリック司教は、教義の発展という考えを受け入れ、「教会が関連性を保つためには、ある程度、状況に適応しなければならない」と信じている人である。一方、保守派は、適応よりも保存に重点を置き、「関連性が忠実さに取って代わった場合、それが信仰を弱める処方箋になること」を懸念する人である。

 言い換えれば、「左」と「右」の理解は、結局のところ、中心をどこに置くかによって決まる。世俗文化では中心は主に特定の瞬間の世論によって定義されるが、カトリックでは中心は教理問答によって定義され、その教えをどのように解釈し適用するかが議論されるのだ。

 世俗メディアの同僚に私が説明しようとしているのは、次のような質問にいつも電話してくることに対してだ―「フランシスコはリベラル派だと思っていたのですが…では、x はどうなっているのですか?」。私の通常の答えは、「ええ、確かにリベラル派です。米国や欧州でなく、カトリックについて話している限りは…」。

「カトリックについて話す能力」は、教会に関する多くのことを正しく理解するための鍵だ… 教皇も当てはまる。そして、それが真実でなければ、私はカルロ・ガルデルです。

  *カルロス・ガルデル(Carlos Gardel, 1890年12月11日? – 1935年6月24日)=不世出のタンゴの名手として知られるアルゼンチンの歌手・俳優。45歳と若く、人気の絶頂期に飛行機事故で亡くなったことと相まって、現在もなお、アルゼンチンの国民的英雄としての名声を不動のものにしている。

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2024年10月7日