(2025.1.31 La Croix Massimo Faggioli)
*聖公会の女性主教はトランプの政策に異議を唱えたが…
トランプ大統領の2度目の就任式は、米国のキリスト教界に深い亀裂があることを露わにした。彼のビジョンを受け入れる聖職者もいれば、聖公会ワシントン教区のマリアン・ブッディ主教のように異議を唱える聖職者もいる。カトリック教会の権力との関わりは、今、清算の時を迎えている。
トランプ米大統領の就任式で興味深かったのは、慈悲に根ざした最もフランシスコらしい言葉が、カトリック教会の指導者ではなく、プロテスタントの女性司教から発せられたことだった。
トランプ大統領の2期目の就任式で、儀式に参加した聖職者たちのさまざまな対応が目についた。カトリックのニューヨーク大司教、ティモシー・ドラン枢機卿、ブルックリン教区のフランク・マン神父、そしてプロテスタントの男性牧師たちが祈りを捧げたことと、聖公会のワシントン教区初の女性主教、マリアン・ブッディ師が新大統領の前で説教をしたことの間には、際立った対照があった。
ブッディ主教は、米国大統領に呼びかけを行う聖職者たちの長い歴史の一部となり、他の男性聖職者たちは、キリスト教指導者としての役割をまったく異なる観点から捉えるという、別の歴史の一部となった。私たちは、個人的な知恵と勇気の異なる例を目撃したが、同時に、”トランプ現象”の意味についての解釈も分かれることとなった。
また、異なる教会と米国との関係にも違いが見られた。米国聖公会(世界的な聖公会の一員)は、カトリック教会を含む他の教会がもはやできなくなったり、あるいはする気がなくなったりしているような方法で、米国を批判することができる。ある意味で、米国聖公会は250年前まで北米を支配していた大英帝国の最後の名残りの一つであり、英国国教会の伝統の中で、国教または国家教会としての地位から与えられた独特な”預言的自由”を保持している。
*カトリック教会とアメリカの権力構造の有機的結びつき
それとは対照的に、米国のカトリック教会は、そのメンバーの多く、さらには司教や枢機卿さえも盲目にするような形で、米国の権力構造とより有機的に結びついている。これは、既成教会のジレンマだ。 逆説的ではあるが、バチカンに存在する教皇庁に象徴される既成教会は、今日における米国の「ターボ資本主義」、急進的な個人主義、そして新帝国主義に対抗する、政府と国家のあるべき姿を侵食から守る数少ない砦のひとつである。
米国の歴史における現在のこの瞬間は、キリスト教と”アメリカンドリーム”の関係を再考することを私たちに迫っている。トランプ支持派のキリスト教徒はもはや「保守派」とは呼べない。彼らは”超近代的”である。それは、ファシズムとナチズムが神話上のローマ帝国の過去への郷愁を織り交ぜ、未来主義とテクノロジー、社会の近代性と生政治を受け入れた1920年代と1930年代との類似点のひとつである。今日、新しい米国の”寡頭制”がもたらした疑いのない革新的な特徴がある。そして、トランプ主義は、技術的進歩と”post-democratic authoritarianism(超民主主義的独裁主義)”を混ぜ合わせた新たな近代化プロセスを開始しようとしている。
*米国カトリック教会指導部が見せるトランプの世界観に対する恐怖心、軽率さ、日和見主義的態度
2024年11月から2025年1月の間に米国で起こったことは、単なる政権交代ではなく、体制の転換であり、それによって民主主義が危機に瀕している。
欧州のカトリック教徒は20世紀に、米国のカトリック教徒にはない経験をした。憲法体制と法の支配を守ることが、保守的な姿勢となった。皮肉なことに、今日の米国司教協議会の指導部は保守的とは言えない。ポピュリズムがもたらす言葉の破壊に魅了され、トランプ主義の最も破壊的な側面に対して感覚が鈍くなっている。一部の聖職者が言うこと、そしてさらに重要なのは、彼らがトランプについて言わないことについて、私が最も驚くのは、特定の政策に対する彼らの立場ではなく、トランプによる組織的な言葉の腐敗や歪曲に対する彼らの沈黙である。
人々の魂の世話をするのが役割である聖職者にとって、これは重大な懸念事項であるべきだ。多くの教会指導者は、トランプ氏のマーケティング的な言葉遣いに慣れてしまっている。彼のレトリックは、「偉大さを取り戻す」という約束の裏に隠された恐怖政治の手段となっている。反動的な世界観やトランプ氏への恐怖に駆り立てられている、というよりも、今日の多くのキリスト教徒は、私たちの言説文化に何が起こっているのかを、哲学的にも解釈学的にも理解できていない。
「カトリックの異なる世界観とアメリカンドリームの間には創造的な緊張関係があり、それが20世紀のアメリカ・カトリシズムにおける統合を生み出した。しかし、その総合は今、トランプの世界観に対する恐怖心、軽率さ、日和見主義的態度(あるいはそれ以上のもの)によって消し去られてしまった。
米国のカトリックは、常にアメリカン・ドリームと相反する関係にあり、この新しい政治的・宗教的プロジェクトに対しては、保守派とリベラル派の両方から弁証法的見解が示されてきた。すなわち、ヨセフ・フェントンの第二バチカン公会議以前のトミズム、ジョン・コートニー・マレーの宗教的自由の神学、フランシス・スペルマン枢機卿の冷戦下の愛国主義とドロシー・デイの平和主義、フルトン・シーン司教のマルチメディアによる伝道活動とトーマス・マートンの郊外住民のための知的霊性などである。
カトリック内部の原理主義的な傾向は、アメリカ文化の近代化の傾向に抵抗し、より穏健で対話的な新しい時代への動きと共闘した。それは、カトリックの典型であるet et、つまり「両方」を体現する不安定な均衡だった。カトリック的世界観とアメリカンドリームの間には「創造的な緊張関係」があり、それが20世紀の米国のカトリックにおける統合を生み出したが、それは、トランプの世界観に対する恐れ、軽率さ、日和見主義的な態度(あるいはそれ以上のもの)によって、今や消し去られてしまった。
*”トランプ2”に直面した米国カトリックはバランスを欠いた状態
今という時代は、単なる一時的な混乱ではなく、少なくとも過去30年間にわたってその兆候が現れていた病であり、トランプの二度目の大統領就任に直面した米国カトリシズム内部のバランスを欠いた状態の危険性を露わにしている。
その原因の一部は構造的な問題である。移民で構成され続けているこの教会において、移民が追い求めるアメリカンドリームを批判することは常に複雑な問題だったが、一部には、本来なら起こるはずのない知的・道徳的な崩壊もある。かつては、アメリカ・カトリシズムのなかのアメリカン・ドリームにも、その道徳的・文化的欠陥を認識しようとする声があった。
そうした声のひとつは、宗教の自由と民主的機関の関係に関する研究で知られる、アメリカ人イエズス会の神父、ジョン・コートニー・マレー(1904~1967)によるものだった。1950年代には、彼は共有された意味の浸食に寄与していると見なした「技術的世俗主義」「実用的唯物論」「哲学的多元主義」といった主要な問題を指摘した。3月にワシントン大司教に就任するサンディエゴ教区長のロバート・マクエルロイ枢機卿は、1989年に出版したマレーに関する著書で次のように書いている。
「技術的世俗主義と同様に、実用主義的唯物論は常に、米国における文化の明確に表現されない原理として機能してきた。しかし、技術的世俗主義が『核の冬』や『温室効果』の恐怖によって抑制されてきたのとは異なり、実用主義的唯物論は、米国人の文化的生活の形成原理としてますます強固になっているように見える」
*カトリックの社会思想と政治思想の新たな世代の出番が来た
トランプの世界観の政治的・文化的台頭は、高度な「技術的世俗主義(AI、火星の征服、イーロン・マスクの「地球外での生活」プロジェクト)」、「実用主義的唯物論「ドリル・ベイビー・ドリル)」、そして抑制の効かない「哲学的多元主義(”オルタナティブ・ファクト”という表現は、トランプ支持派のメディア複合体が生み出した造語)」の勝利である。それは、無限の成長、成功が意味の尺度であること、「決して十分ではない」こと、「消費文化における商品としての宗教」といった既存のイデオロギーの延長線上にある。
この世界観は、トランプ氏やマスク氏、J.D.ヴァンス米副大統領、そしてトランプ大統領の宮廷入りを狙う新興の”寡頭政治家”たちだけから生まれているわけではない。異なる政党やイデオロギーの対立を超えて、このバージョンのアメリカンドリームの側面を受け入れたり、アメリカ文化の問題点を見たくなくなったりしているカトリック教徒やその他の人々からも生まれているのだ。
トランプは、アメリカンドリームの最新かつ極端で、ゆがんだバージョンである。ジレンマは、今日、アメリカンドリームへの無条件の憧れを擁護するか、あるいは民主主義、法の支配、人権を擁護するか、どちらかしか選べないことだ。
しかし、両方を同時に守ることは不可能である。これはしばらく前から明らかであった。今では、より多くのアメリカ人とアメリカ人カトリック教徒にも明らかになっているはずだ。21世紀のカトリックの社会思想と政治思想の新たな世代の出番が来たのである。米国のカトリシズムと米国の関係は、トランプ主義によって、私たちの目の前で変化しつつある。トランプ主義をアメリカンドリームの繰り返しうる一つの形として認識するアメリカンドリーム批判は、どこで見出せるかが、今問われている。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二=聖書の邦訳は「聖書協会・共同訳」による)
(注:LA CROIX internationalは、1883年に創刊された世界的に権威のある独立系のカトリック日刊紙LA CROIXのオンライン版。急激に変化する世界と教会の動きを適切な報道と解説で追い続けていることに定評があります。「カトリック・あい」は翻訳・転載の許可を得て、逐次、掲載していきます。原文はhttps://international.la-croix.comでご覧になれます。
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