(2024.1.19 La Croix By Arnaud Alibert AA (in Paris) )
世界のさまざまな教会や教会共同体は、1月18日から25日をキリスト教一致祈願週間と定めている。
この8日間の行事は、フランスのカトリック司祭で神学者のポール・クチュリエ(1881-1953)から大きな影響を受けたもので、イエスが地上での生涯の終わりに、父なる神に願われた「父よ、あなたが私の内におられ、私があなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください」(ヨハネ福音書 17章21節)という祈りに基づいている。キリスト教の教会関係者だけでなくすべての人々の一致を促進することを目的としているのだ。
イエスは弟子たちのためだけでなく、おそらく全人類のためにこれを求められた。だが、今日の団結の呼びかけは、苦悩と痛みの中にあり、 悲劇的な法則が働いているように見える。その法則というのは、個人であれ、集団であれ、国家であれ、主と距離を置くことで、自分の存立基盤を他者とは異なるものとして主張したい、という欲求。「自分は他人とは違う」ことを強調しながら、「自分らしく」あろうとすることだ。
現在の世界的な混乱と激しいナショナリズムの高まりを深堀せず、単純にEuropean Union(欧州連合)について見てみよう。 それは「Union」と呼ばれるが、この用語に異議を唱える政治的命題が、この大陸でどれだけあるのだろうか?
不信感、あるいは被害妄想さえ増大しているように見えるフランス社会はどうか。 社会学者のジェローム・フルケは、フランスを「archipelago(群島)」、つまり「自己認識に基づいたさまざまなコミュニティが断片化した国」と表現している。
たとえ一致の原則がEUやフランスより強く維持されているとしても、教会にも脆弱性がある。 たとえば、同性愛者を含む”不規則な状況”にあるカップルの祝福に関する昨年12月のバチカンの声明をめぐって噴出しているカトリックの司教たちの間の論争だ。
アフリカ・マダガスカル司教協議会連盟(SECAM)は1月11日の声明で、「アフリカ大陸のすべての教会指導者が声を合わせてそのような祝福を拒否している」と主張した。ところが、そのわずか数日後、SECAMのメンバーである北アフリカ地域司教協議会(CERNA)は全く逆、 このような祝福を支持する声明を発表した。
同様の不協和音が欧州大陸にも蔓延している。 たとえば、フランスのカトリック司教たちは、関係者を困惑させる”共通の公式”を打ち出した。 ”不規則な状況”にあるカップルの「個人」に祝福を与えることには反対しないが、「カップルそのもの」を祝福することについては沈黙する、というものだ。
確かに、これは主にキリスト教一致運動への精神的な支援を目的としたキリスト教一致祈願週間とはほとんど関係が無いかも知れない。だが、これは、教会の完全な一致が「単なる目標」ではないことを示す証拠だ。 それはまた、すべてのキリスト教共同体が共通の利益のために世界に示さなければならない預言的なしるしでもある。
「父よ、すべての人を一つにしてください」
(Arnaud Alibertは、 Augustinians of the Assumptionに所属する司祭で、La Croixの宗教担当編集者)
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