
Pope Leo XIV, with Monsignor Leonardo Sapienza, walks out of the Vatican’s Synod Hall on May 10, 2025. (Credit: Vatican Media.)
(2025.5.11 Crux Contributing Editor Christopher R. Altieri)
枢機卿たちは教皇フランシスコの後任として教皇レオ14世をペトロの座に選んだ。
ロバート・フランシス・プレヴォストとして生まれ、ローマでアウグスティヌス会の総長を務め、ペルーのチクラヨで司教を務めた宣教司祭がバチカンにやってきたのは2023年のことである。
カトリック教会に前例がないことはないが、このようなことは過去にあまり例がなく、教会ウォッチャーを驚かせたことは間違いない。
*ハードパワーとソフトパワー
従来の常識では、枢機卿が米国から教皇を選ぶことはないだろう、と考えられていた。それは、バチカンの 「ソフトパワー 」と米国の政治的(経済的、軍事的、文化的)影響力という 「ハードパワー 」が不健全な形で結合してしまう、という恐れを持っていたからだ。
このような考え方を正当化する前例がないわけではなかった。
14世紀の大半、教皇が、そして最終的には教皇の”宮廷と政府”すべてが、フランスのアヴィニョンという町に移された。アヴィニョン教皇庁は、当時欧州の覇権を握っていたフランス国王が、教皇選挙が機能しなくなったのを解決する方便として始まった。それはすぐに「アヴィニョンの捕囚」(時には「バビロン捕囚」)として知られるようになり、1309年から1376年までの70年間続いた。要するに、アヴィニョンを教皇庁に引き入れることは、教皇庁をアヴィニョンに引き入れることと同じか、それ以上に悪いことになるのではないか、という懸念があったのだ。
「米国が政治的に衰退するまでは、米国から教皇が選ばれることはないだろう」というシカゴの故フランシス・ジョージ枢機卿の言葉は、長年にわたって広く使われてきた。時代の予兆を読み解く人々は、今、目撃していることは、その慣れ親しんが”知恵”の破棄を意味するのか、それとも予言の成就を意味するのか、おそらくその両方、と考えていることだろう。
*「レオ」という名前に込められた意味は
いずれにせよ、「レオ」という名前には大きな意味がある。歴代教皇で最後に「レオ」と名乗ったのはレオ13世で、近代におけるカトリックの社会教説の父であり、産業革命の熱気に包まれた時代に、資本と労働の権利と義務に関する重要な回勅『Rerum novarum』を教会と世界に発出した。
8日木曜日の夜、つまり教皇レオ14世が選ばれた夜に、教皇と食事をしたラディスラフ・ネメット枢機卿は、RTクロアチア・ラジオに対し、「教皇は21世紀に展開する『デジタル革命』を敏感に感じ取っておられる」と語った。「(教皇は)私たちは新しい革命の中にいると言いわれた。レオ13世の時代に起きていた産業革命と対比するように」。
Cruxのチャールズ・コリンズが教皇選挙の数日前に鋭く指摘したように、メディアの報道(枢機卿の発言の報道、分析、識者の論評)は、枢機卿たちが、選挙にあたって、一方では「伝統的価値観」やラテン語のミサ、他方では同性婚や女性聖職者をめぐる論争に象徴される保守とリベラルの対立に焦点を当てた課題を念頭に置くであろうことを強く指摘していた。
ひと言で言えば、「20世紀後半の論争」だ。これに対して、コリンズは「21世紀の前半は、人間であることの意味を問う社会だ」と書いている。これらの初期の兆候を、新教皇が認識しているとすれば、9日土曜日の朝、新シノドス・ホールに集まった枢機卿団を前に新教皇が行った講話で、教皇自身が可能性の残る疑念を取り除いたことになる。
教皇レオ13世は、歴史的な回勅『Rerum novarum(新しい事柄について)』をもとに、最初の偉大な産業革命の文脈における社会問題に取り組んだ。そして、レオ14世は語った—「今日、教会は、もうひとつの産業革命とAI(人工知能)の発展に対応して、その宝である社会教説をすべての人に提供する」。
*内に向けて、外に向けて
教皇レオ14世が宣教司祭として、また世界南部の貧しい地域で司教として奉仕したこと、また、聖アウグスティヌス修道会の総長、そしてバチカンの司教省長官として教会行政で指導的役割を果たしたことについては、これまで多くのことが語られてきた。これらすべてが、教皇選出にあたっての、枢機卿たちの判断に重要な役割を果たしたことは間違いない。
レオ14世がそれなりに評判の高い教会法学者であることは、初期の論評から判断すれば、特に教皇フランシスコ以降の教会の法学状況を鑑みれば、一般に考えられる以上に重要なことだ。
フランシスコの治世の間、高位の教会関係者たちから批判されたことのひとつは、しばしば私的なものであったが、教会内の広範な見方は、フランシスコはこれまでペトロの座に就いた者の中で最も注意深い秩序ある立法者ではなかった、というものだった。
例えば、教皇フランシスコが2015年に行った結婚裁判の構造改革は、普遍的に好意的に受け入れられたわけではなかった。フランシスコによる教皇庁の断片的な改革は、理論的には適っていたが、教会の中央統治機構を21世紀の行動に適した形にする実際的な細部への配慮に欠けていた。
教皇フランシスコは、特定の問題を解決するために法的命令を出すことを好んだ。そのような物事の進め方は、目の前の問題にうまく対処できるかもしれないが、後々に困難を引き起こす傾向がある。フランシスコはその教皇職期間中、年におよそ5つのペースで使徒的書簡(motu proprio)を発布した。
少し視点を変えてみよう。 教皇ヨハネ・パウロ二世は在位中の26年間で31通の使徒的書簡を発布した。フランシスコは、在位5年目の終わりに、それを上回り、最後までペースを緩めることはなかった。
フランシスコの教皇任期中、最も重要な法改正は2019年に制定された「Vos estis lux mundi」だ。フランシスコは、教皇就任後、しばしば憂慮すべき不始末に悩まされたが、この法律を意味ある規則性や透明性をもって利用することに消極的であることが証明されている。そして、枢機卿たちは、自分たちが選んだ人物が事態を収拾しなければならないことを知っていた。
*クローゼットから”骸骨”を引き出す
バチカンのオブザーバーたちがすぐに指摘したのは、レオ14世は虐待と隠蔽のケースを扱うのに不完全な記録を持っているということだった。彼が直面した告発のいくつかは、信憑性が非常に疑わしい方面からのもので、当時のプレヴォスト枢機卿の容疑を晴らすような審査結果が出されていた。
だが重大な不始末の疑惑が残っている。そのひとつは、十分に根拠があるように見える。その疑惑とは、シカゴ大司教区の虐待司祭ジェームズ・レイ神父の事件に関するものだ。2000年にシカゴのアウグスチヌス会の管区長であった当時のプレヴォスト師は、性的虐待の疑惑があり10年近く聖職を制限されていたレイ神父を、アウグスチヌス会の所有する建物に住まわせた、というものだ。
シカゴ大司教区は、小学校のすぐ近くにあるアウグスヌス会の建物にレイを受け入れる際、レイに対してされている聖職の制限を指摘したと伝えられている。当時のプレヴォスト師は、小学校側に警告を発することも、警告を発するように仕向けることもなかったようだ。
レイの問題は、聖職者による性的虐待と隠蔽が世界的なスキャンダルに発展する2年前に起こったものだ。スキャンダルの世界的な表面化は2002年にボストンから始まったが、世界中に広がる前に、瞬く間に米国全土を巻き込んだ。
聖職者による性的虐待と隠蔽の危機は、教会の最近の歴史の一部であるだけでなく、非常に長い歴史を持つ、現在の教会の一部であることは間違いない。この危機に関する教会の主要な専門家の一人であるイエズス会のハンス・ゾルナー神父は「私たちが生きている間にこの危機が終わることはないだろう 」と2019年3月に語っている。
危機は2000年にはすでに私たちと共にあったが、スキャンダル、そしてスキャンダルが強いる意識は、地平線上にぼんやりとしかなかった。だが、間違いなく、人々を危険にさらし続けている。
BishopAccountability.orgのアン・バレット・ドイルは、レオ14世の、聖職者の性的虐待に関連する記録を 「厄介なもの 」と呼ぶ声明を発表した。その1つの「例外 」は、ペルーを拠点とするカトリック系団体 「Sodalitium Christianae Vitae(SCV)」に対する制裁である。SCVの内部告発をした虐待被害者、ペドロ・サリナスは、プレヴォスト枢機卿がバチカンの司教省長官であった当時、この団体を制裁するために「極めて重要な役割 」を果たした、と語っている。
とはいえ、バレット・ドイル氏は声明の中で、教皇レオ14世は、聖職者による性的虐待への対処で、「自ら進んでリーダーシップを発揮できることを証明しなければならないでしょう… 被害者とその家族の信頼を勝ち取るのは、教皇レオ14世にかかっているのです」と言明した。
聖職者の性的虐待に関するプレヴォスト師の不完全な記録は、実際、枢機卿たちの間で遅ればせながら目覚めつつあることの表れかもしれない。それは、枢機卿たち、そして彼らが選んだ人物が、虐待と隠蔽がいかに重要な問題であるかを、ようやく理解したことを示しているのかもしれない。 彼らが教皇に選んだ人物が「クローゼットの外に出ている人物」、つまり、彼が精査され、弁解の余地がないことを知っている…。
そう考えると、教皇レオ14世の選出は、枢機卿団が、聖職者による性的虐待とその隠蔽がもたらしている危機を、真剣に受け止めていることの表れなのかもしれない。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
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